奇妙な拾い物
あまりの事に何と答えて良いのか分からなかった。
かろうじて言えたのは「なるほど」と言う間の抜けた言葉。ひきつっているだろうけど作り笑いを浮かべるのが精一杯。
隣に座る仁科はこちらを見ず、中ジョッキに入った生ビールを咽喉を鳴らしながら飲んでいて、私の表情が多少おかしくとも気付いてなさそうだ。
同期入社の仁科はさっき、こう言ったのだ。
「平坂は気ぃ使わなくて良いから楽だわー」
気を使わないで済むのは、私に恋愛感情が皆無だと言う事だ。そう言った対象としても見ていないと言う意味でもある。
ここ二ヶ月程、金曜の夜に頻繁に仁科に飲みに誘われていて、もしかして……? と期待していた己を殴りたい。それから今すぐ帰りたい。
馬鹿な私は、一縷の望みをかけて尋ねてしまったのだ。
「なんで金曜ばっかり誘ってきたの?」
「だって、金曜の夜にヤローと飲んでるなんて嫌だろ。いかにもモテないーって感じで。平坂も寂しい一人もんなんだから、丁度良いじゃん」
追い討ちだった。
聞かなきゃ良いのに聞いた私が馬鹿だった。勝手に期待した私が馬鹿だったのだ、本当に。
仁科は悪くない。
悪くはないが、そうと分かればわざわざ金曜の夜にたらふく飲んで、貴重な週末を二日酔いと暗い気持ちで迎えたくない。金もかかる。仁科はかなり飲むのに毎回ワリカンなのだ。
考えなくとも、毎回これだけ好き放題飲み、食べまくってワリカンとか、私が体の良い飲み仲間兼おサイフなのは分かるだろうに。
私も人並みに焦りや寂しさなどがあったのだろう、片目をつぶって見てしまっていた。もしかしたら両目かも知れない。
つまり、全て無駄だと言う事が判明した。
ここにいてコイツの良く分からない武勇伝に凄いねと相槌をうつ必要もないし、愚痴を聞いて大変だねと慰める必要もない。
時間も金も気も使う必要もない。
そうと決まれば行動は早く起こすに限る。
「あ、私、明日用事があるんだった」
わざとらしく見えても構わない。
スマホの画面を確認してから仁科の方を向いて言った。
「帰るね」
満面の笑みを浮かべて言った。
「はぁ?」
信じられないものを見るような顔で私を見てるけど、やってる内容的に君も信じられないようなダメ男ですよ。
だってさ、君、そんなつもりもないのに期待させてたと思うし。八割方勝手に期待した私が悪いにしてもさ。
「ごめんごめん」
心にもない謝罪を口にしながらスマホやらハンカチを鞄に押し込み、財布を取り出す。
「えーっと、私の分はまだ始まったばっかりだし、このぐらいだよね」
はい、と千円札を三枚、仁科の前に置き、席を立つ。生ビールにお通しだから、こんなに要らないだろうけど、既に注文もしてしまってるし、後からぐだぐだ言われるのも面倒だから、食べていないけど多めに払っておく。
私がいるのを良い事にアレコレと頼んでたようだけど、たっぷり食べてしっかり支払ってくれたまえ。私の口には入らないし。
「ちょっ、オイ?!」
慌てた仁科は私に手を伸ばしてきた。それをかわして手を振る。
「じゃ、また会社でね」
脱兎の如く店を飛び出し、地下鉄の入り口に向かう。
駅は通勤のピークを外れたのか、人は思ったよりも少ない。
人の波を避けるように進んで改札でスマホをかざす。聞き慣れた機械音。
駅のホームに着くなり電車が到着し、乗り込んだ。
それなりに混んだ車内で座れはしなかったけど、ドアの前が空いていたので、そこに立つ。こっちのドアは当分開かないから、良い場所を取れた。
地下鉄の電車の真っ暗な窓に私の顔が映る。
伸びた髪を適当に引っ詰めて、疲れが滲み出た三十路の顔。
思わず笑ってしまった。
こんなくたびれた女を誘ってくれていただけ、仁科は優しいのかも知れない。だって一応、女として認識されているから、金曜の夜に誘われていたんだから。
形容しがたい虚しさが胸を埋め尽くしていく。
「…………疲れた」
自分にも、疲れた。
私には実家と言うものがない。
両親は既に他界。
兄がいるが、転勤し、そこでお嫁さんを見つけて家を買った。
介護やらなんやらする親もいないし、好きにしたら良いと思う。お嫁さんも自分の実家近くに住んでくれて、嫁姑問題もないし、小姑だって遠く離れて連絡も取らないんだから楽だろう。良い相手を捕まえたと思ってくれたら有難い。
特段仲が悪かった訳じゃないけど、男女の兄妹なんて成人して別に暮らしていれば連絡なんて殆ど取り合わない。
義姉は子供の祝いを催促する時だけ連絡を取ってくるような人だし、うちの子供に迷惑かけないでね、とまで言われてるから仲良くする必要性を感じない。
むしろここまで言っておきながら、どう言う神経で祝いを催促するんだろうか。
普通に甥の成長を祝う気持ちは人並みにあったと言うのに。件の発言をいただいてからは放置一択。
遺産もあるにはあったけど奨学金の返済で全部消えた。
父親が女に学なんて要らない、なんて言ういつの時代の人間だと言いたくなるような人間で、母親はそんな父親の言いなりだったから、奨学金を借りて大学に進学した。
そんな訳で介護なんかの心配もないけど、いざと言う時に助けてくれそうな親類はいない。
いても助けてくれたかは分からない。
地元駅前の小さな飲み屋に入って飲み直す。
いつからお一人様で飲めるようになったんだったかな。
昔は出来なかったけど、やってみたら意外に簡単で、気楽で、気が向いたら飲みに行ってる。
人と飲むのが嫌いな訳じゃないし、あったらあったで楽しめる。でも、こうして一人で飲みたくもなる。
今日は、一人反省会だ。
男日照りによる寂しさで、冷静に物を考えられなくなってたなんて、恥ずかしいし情けない。
男なんていなくて平気だと思ってたけど、内心そう思い切れてなかったのが今回でよく分かった。
これで飲みすぎて間違って一線越えたりしてたら目も当てられない、本当に。そうなる前で良かった。二ヶ月で終わって良かった。仁科を好きになる前で良かった。アイツにたかられた分は勉強代だった。
強引にプラスに押し切って、目の前のグラスに注がれたビールをぐっと飲み干す。
やけに苦いな、このビール。
飲みすぎたな、と思いながら家に向かって歩く。
街灯の多い通りを選んで歩く。女として襲われなくても、ひったくりの被害なんかは十分あり得る訳で。
自衛は大事だ。
ドスン、と背後で音がして身体が硬直する。
確認しないで逃げないといけないと思うのに、その前に一瞬だけ確認しようとバッと振り向くと、何もいない。
呻き声が聞こえて足元を見ると、コスプレした青年が倒れていた。横たわっていると思わなかったのは、直前の音と、明らかに苦しそうな声と痛みに耐えている顔をしていたからだ。
……警察を呼んだ方が良いのか?
迷いはしたものの警察を呼んだ。やって来た警官に、起き上がった青年が説明する。
彼女が酔っ払って、いつもと違う自分を誰だか分からずに間違って呼んでしまいました、すみません、と丁寧に謝罪した。実際酒臭い私に警察官は呆れ顔はしたものの、気を付けて下さいよ、と言って真っ白いあの自転車を漕いで去って行った。
違うと、青年を発見した時の状況をいくら説明しても全く聞いてくれなかった。絶対に酔っ払いの戯言だと思われている。まったく聞く耳もってくれなくて、結構飲んだでしょ、あなた、なんて言われたし。
残されたのは、謎のコスプレした青年と、酔いがだいぶ醒めてきた私の二人。
とりあえず、帰ろう。
何も言わずに立ち去ろうとした私の腕を青年が掴む。
「待って!」
「嫌です! 放して下さい!」
深夜に道の真ん中で大声出すなんて不謹慎だが、時と場合によってはそれどころじゃない。なんだったら火事だと叫ぼう、そう思っていた私に青年は言った。
「僕は異世界から来たんだ」
…………酔いは醒めてないようだ。
強引に自宅に押し入られてしまった。
あぁ、私の人生はもう終わりだ。大した人生じゃないけど、こんな終わりってどうなんだろう。
それともこれは酔っ払った私の夢なのではないかと言う可能性も否定出来ない。
何故なら、部屋の明かりの下で見る青年は、目の覚めるような美青年だったから。
さすがにこんな美形が異世界から来ました、なんて、夢じゃないなら何だって言うんだ。
もう夢で良い。夢で良いから寝かせてくれ……。
酔ってるのだ、自分は。だから寝て朝がくれば酔いも醒めて二日酔いで頭は痛むし吐き気もするだろうが、とりあえずこの訳の分からない状況からは脱出出来る筈だ。
眠気と疲労と酒と現実逃避の全てが渾然となって私を全力で眠りに誘ってくる。
化粧落とし用シートで適当に化粧を落とし、ざっとシャワーを浴びて着替え、ベッドに潜り込む。
シャワーを浴びて薄着で戻った私に青年は顔を真っ赤にして慌てて顔を背けていた。……うん、よく出来た夢だ。美青年が私如きのこんな姿を見て赤面する筈がない。
ベッドに潜り込み、眠りに落ちる瞬間、夢なんだったら、もっと青年を堪能すれば良かったな、と思った。
結論から言えば夢ではなく、目覚めて酔いが醒めているにも関わらず、青年はいた。
奇妙なモノを拾ってしまった……。
青年の名はカオル。異世界から来た割にはこっちの名前じゃないか、やっぱり嘘なんじゃないかと思っていた私に、カオル青年は説明した。
カオル曰く。
彼の祖母は落ち人──こちらの世界からあっちの世界にうっかり迷い込んでしまったのだそうだ。珍しい事ではあるけど、あり得ない事ではないようで、友人の母親も落ち人なんだそうだ。珍しい所かゴロゴロいるレベルなんじゃないの、それ。神隠しってこんな頻繁なの?
それで現地人であるカオル青年の祖父と恋に落ち、定住を決意したと。ほほぅ、随分とドラマティックですね。
そんな祖母が四男に付けた名がカオルで、幼いカオル少年に祖国だった地球という星の事、生まれ育った日本と言う国の事をよく話したらしい。
すっかり毒されたカオル君は自分の結婚相手も祖母と同じ世界の人が良いと言う結論に至ったらしい。
ヘェ……ソウナンダ。
だがしかし、そんな簡単に人は落ちて来ない。待ちに待った落ち人は同性であったり、まったく好意的に思えない人だったりで、気がつけばカオル少年はカオル青年になっており、友人達は妻子持ちになっていたと。
これはいかん! と思ったカオル青年は同じ現地の人と出会う……事はせず、自らこっちに来たんだって。
…………アホか!!
そんな訳で祖母からこっちの言葉は教わっているし、文化も子供の頃から学んできたし、生きていけるように家事も覚えてきたんだって。
お金も祖母が持っていたものを持ってきた、と言って見せてもらったけど、残念、それ、旧紙幣だ。今は聖徳太子じゃない、福澤諭吉大先生です。
それを教えたら凹んでいたけど、小銭は使えるし、銀行に持っていけば交換してくれるだろう。
「嫁探しに来たと」
そうです、と良い笑顔で頷くカオル青年。
「それはまぁおいおい……。とりあえずこちらで生きていく為に仕事も見つけなくてはならないですね。
さすがに祖母の両親は存命ではないでしょうし、親類がいたとして、僕の存在を受け入れてもらえるとは思えないので」
どうしてその良識を元の世界で発揮しなかったのかな……。
日本で無戸籍って、生きていくのが相当に難しいだろうと思う。調べた事ないけど。
異世界に行っても問題ないって言うか後腐れもないって言う、ぴったりな人をとっとと見つけてカオル青年にはお帰りいただこう。
だってカオル青年、自分の意思で帰れるって言うもんだから。
落ち人ってなんなんだ、とは思うものの、自分の望む世界に帰れるんならそれに越した事はない。
満願叶ってお帰りいただきたい。