瀬川 小春〜恋〜
瀬川 小春〜恋〜
時計を見ると短針がもうすぐ2を指そうとしていた。
「直人さん、もうお昼ご飯食べちゃってるだろうな」
部活からの帰り道、私は美風荘への帰路を歩いている。
もうすぐ、明日直人さんとお花見をする約束をした桜並木が見えてくる。
そこを通り過ぎればすぐに美風荘だ。
明日は腕によりをかけて料理を作らなくちゃ。
だって直人さんと一緒に食べるんだもん。
でも、お姉ちゃんって料理が上手なんだよね。
元々は調理師を目指していただけあって私の中途半端な腕じゃ絶対に勝ってこないもん。
直人さんも毎日、お姉ちゃんの作る料理を美味しそうに食べてるし。私の作った料理でも同じように美味しく食べてくれるかな?
「あっと」
考え事をしすぎて道を曲がり忘れる所だったよ。
なんか最近の私はずっと直人さんのことばかり考えている。
昨日、お風呂でお姉ちゃんに忠告されたとおり、最近のお姉ちゃんとの話題は気がつけば直人さんの話にばかりなっている。
私が故意的にしている訳じゃない。
気がつけばいつも私は直人さんの事ばかり話している。
「直人さん」
私は直人さんのことが好きなのかな?
だから、こんなにも直人さんのことばかり考えているのかな?
今まで誰かを好きになったことなんか無いから分からないよ。
でも、どうしてだろう。
『直人さん』って口にするだけで心が喜んでいるのは。
「でも、楽しみだな明日のお花見は」
気がつけば私は桜並木の中を歩いていた。
もう桜たちは満開だ。
まるで歌っているかのように楽しそうに風に揺られながら、花びらを世界に散りばめ、私の視界を桜色に染めてくれる。
そんな桜色の視界の中でお姉ちゃんと直人さんがいる美風荘が見えてきた。
「ただいま」
靴を脱ぎながら私はお姉ちゃんに私の帰宅を教えた。
ああ、もうすぐ四月だからかな、ちょっと汗かいちゃったよ。
お腹減っているけど、先にシャワー浴びようっと。
「おかえりなさい、小春」
「おかえり、小春ちゃん」
「あっえと・・・・・・」
リビング戻るとお姉ちゃん、そして予想外にも直人さんがいた。
直人さんはテーブルに座ってお姉ちゃんが作ったきつねうどんを食べている。
時刻はもう2時を過ぎているのに何で直人さんがまだいるの?
「小春はどうする、すぐにうどん食べる?それとも先にシャワー浴びる?」
「あ、うん。うどんを食べたいな」
シャワーを浴びようと思っていたけど予定変更。
シャワー浴びてる内に直人さんが帰っちゃうかもしれないもん。
シャワーは直人さんが帰ってから浴びようと。
あ、でも今の私って汗くさくないかな。部活でけっこう汗かいちゃったし、もしかして先にシャワーを浴びた方が良いかも。
直人さんも汗くさい女とか嫌いだろうし。
「そんな所で突っ立ってどうしたの、小春ちゃん?」
「あ、そうですね」
ああ、なんか恥ずかしい所見られちゃったかも。
変だよね、ドアの前でずっと突っ立ってるなんて。
私は恥ずかしさのあまり急いで直人さんの前の椅子に座った。
でも、直人さんの前に座ると別の恥ずかしさを私は感じてしまうの。
「直人さん、今日はご飯食べるの遅いね。何かあったの?」
お姉ちゃんの手作りきつねうどんが来るまで直人さんとお話。
「ああ、ちょっと親から電話が掛かってきてね。話してたら長くなっちゃって」
お姉ちゃんの手作りうどんを直人さんは美味しそうに食べている。
ああ、やっぱり料理じゃお姉ちゃんに勝てそうもないよ。
どうしよう、明日のお花見。
「直人さんの親か。どんな人なんだろう?」
折角直人さんが目の前にいるのだから難しいことは考えないでもっと楽しいことを考えてみよう。
そんな訳で想像に頭を働かせてみる私。
「別に普通の親だよ、小春ちゃん。夫婦円満でね、まあちょっと悩みは抱えてるみたいだけどね」
「悩み、を?」
「まあね。前にも話したけど、俺には弟が一人いる。その弟が今ちょっと反抗期って言うか、弟の考えてることが親には分からないらしくてね。
それでどうすればいいのかって俺に電話をしてきたって訳」
直人さんはどうなお兄さんなんだろう。
その弟さんから見た直人さんってどんな風に見てるんだろう。
ちょっとだけ気になるかな。
「はい、小春」
お盆に熱々で作りたてのきつねうどんを載せてお姉ちゃんがやって来た。
お姉ちゃんは私の前にきつねうどんを置くと、私の隣に座って直人さんと何かやら話し出した。
私もきつねうどんを食べつつ、直人さんと話すのを怠らなかった。
でも、本当にお姉ちゃんのきつねうどんは美味しいよ。
こんなの食べたら自信なくしちゃうな。
私はシャワーで体を洗いつつ、明日のお花見のことを考えていた。
直人さんに私の作った料理を食べてもらいたい。
私が作った料理でも直人さんはお姉ちゃんが作った料理みたく美味しそうに食べてくれるのかな?
あ、これはちょっと違うかな。
私の正直な気持ちは、美味しそうに食べて欲しいな、かな。
「ねえ、小春、聞こえてる?」
脱衣場の方からお姉ちゃん声が聞こえてきた。
私は「聞こえてるよ、お姉ちゃん」と返事をしてシャワーをいったん止めた。
「私、四時になったら明日のために買い物に行こうと思ってるの。小春も一緒に行かないかしら?」
「うん。一緒に行くよ」
私はお姉ちゃんの意見に賛同した。
「分かったわ。それでは四時までに明日、直人さんのために何を作るか考えておくようにね」
お姉ちゃんはまるで私をからかうかのような声で脱衣場から去っていた。
もうっ、お姉ちゃんは。
私はもう少しシャワーを浴びようと蛇口をひねった。
その時、鏡に私の顔が映っていた。
鏡の中の私は何処か顔が火照って見えていた。
四時になって私とお姉ちゃんはそろって美風荘を出た。
こうやってお姉ちゃんと二人だけで出かけるのもちょっとだけ久々かな。
お姉ちゃんは明日どんな料理を直人さんに作ってあげるんだろう。
お姉ちゃんの事だから腕によりをかけた豪華な料理を作るんだろうな。
そうしたら、私の出る幕なんか何処にもないよ。
「小春は、直人さんに何を作ってあげるか決めたの?」
「実はまだ。思いつくものすべてお姉ちゃんには勝てそうにないから」
「あら、別に私たちは勝負をしている訳じゃないでしょう」
お姉ちゃんの冷静なツッコミ。
私だってそんな事は分かっている。分かってるけど、心じゃ絶対にお姉ちゃんに勝ちたいって思ってるんだ。
「でも、私だって直人さんの喜んだ顔みたいんだもん」
ちょっと拗ねるような声で私はお姉ちゃんに言った。
「ふぅう」
横からお姉ちゃんの溜息が聞こえたかと思うとお姉ちゃんはいきなり私を抱きしめた。
暖かくて力強くて、しっかりとお姉ちゃんは私を抱きしめてくれた。
そして、ちょっとだけ怒った声で私にこう言ったの。
「小春は本当に直人さんのことが好きなのね。
いいわ、一緒に考えましょう。小春が直人さんの喜んだ顔を見てるように。
それと、小春。悩みがあるのならいつでも私に言いなさい。
私は小春のお姉ちゃんなんだから」
もうっ、お姉ちゃんは。
私は心の中でそう呟いた。
「うん。そうだね、ありがとうお姉ちゃん」
そして、声に出してお礼を言った。
買い物を終えた私はまっすぐには美風荘へ帰らずちょっとだけ若狭海に寄り道をして帰ることにした。
これは私のわがまま。
帰って直人さんのために、明日の花見のための料理を作る前にどうしても海をみておきたいと感じたから。
「本当、海って広いよねお姉ちゃん」
遙か彼方に広がる水平線。
それを眺めながら私は直人さんの言葉を思い出してみた。
『海はずっと海のままなんだ』
直人さんの言葉を思い出してもう一度海を眺めてみるとやっぱり、海が違って見えた。
小さいときから知ってる海。
この海は私が赤ちゃんの頃から知ってたはずなのに今、私の前には私が知らなかった海が存在していた。
海という生き物が。
でも、私の言葉に返事は帰ってこない。
だって、お姉ちゃんは先に美風荘へ帰ってしまったから。
私は一人で海を見ているの。
お姉ちゃんはやっぱり海が嫌いなのかな?
海をみても全然楽しそうにしないし、逆にちょっと辛そうな目をいつもしているの。
それってやっぱり……。
「さて、がんばろう」
じめじめしたことを考えるのは好きじゃない。
明日は直人さんと花見をするんだ。
がんばろう。
絶対に美味しい物作ってみせるんだから。
「小春ちゃん」
と、意気込んでいた私にいきなり声が掛かってきた。
この声は直人さん。
私は慌てて直人さんの方を向くと直人さんは少しだけ駆け足で私の方へ向けって来てくれていた。
「直人さん。どうしたんですかこんな所で?」
ちょっと驚きと嬉しさのあまり気が動転してしまったけど私は何とか平静を装った。
「海を見に来たの。小春ちゃんは?確か明海さんと一緒に買い物に出かけたはずじゃ」
「買い物の帰り道です。お姉ちゃんも誘ったのだけど、お姉ちゃんって海があんまり好きじゃないらしくて先に美風荘に帰ちゃった」
手に持っていたスーパーの買い物袋を直人さんへ見せながら私は言った。
「そっか」
「はい」
やっぱり不思議だ。直人さんと話しているだけで不思議と心が躍り出してくる。
やっぱりこれが恋って言われるものなのかな。
こんなにも胸がドキドキすることなのかな?
日に日に直人さんを意識し始めている私がいる。
最初に出会ったときよりも何倍も直人さんのことを知りたいと思う。
そして直人さんのことばかり考えている。やっぱりこれって恋なのかな?
「小春ちゃん」
「あ、はい。何ですか?」
「さっき天気予報で明日は快晴だって言ってたよ。明日はちゃんと桜見出来そうだね」
直人さんは笑顔を私に見せてくれた。
その笑顔を見た私は自分で顔が火照るのを感じた。
やっぱり私って直人さんのことが、好き、なのかな。
この自問、今日で何回目だろう。
でも直人さんと一緒に入れることをこんなにも喜んで、直人さんの笑顔を見てこんなにも恥ずかしさを感じて、直人さんのために何かをしてあげたいと思う私がいるんだもん。
これって恋なのかな?
「はい」
照れと嬉しさを隠しながら、私は直人さんに頷いて見せたの。
今日は直人さんとお姉ちゃんと一緒にお花見をする日。
空は昨日、直人さんが教えてくれたとおりに晴れ渡っていて、桜の花びらが今日も風に乗って世界へと散りばめられている。
でも、私はそんな桜よりも気になって仕方なかった事があった。
もちろん、直人さんのことだ。私はずっと直人さんを見ている。
直人さんのことをずっと見ている。
直人さんから目がはずせないでいた。
後、言うなれば直人さんにはまだ私の料理は食べてもらっていない。
昨日、お姉ちゃんと話って決めたことだけど、私の料理じゃお姉ちゃんの料理に勝てっこない。
だから、二人の料理は別々に出すことにしたの。
先にお姉ちゃんの料理、そして一息ついた後で私の料理を直人さんに食べてもらうと言った計画だ。
お姉ちゃんの作った料理はやっぱり美味しくてもうすぐ無くなってしまいそう。
そしたら、今度は私の料理を直人さんに食べてもらう。
直人さんは美味しいって言ってくれるかな。
ちゃんと私の料理食べてくれるかな。
やっぱり、緊張してくるよ。
「ねえ、直人さん。今日は小春も料理を作ったの、宜しければ食べてくださらないかしら」
「ああ、もちろん」
お姉ちゃんの合図に私は一端、美風荘に戻った。
そして、今朝早起きして作った私の料理を直人さんに食べてもらおうと、再び直人さんとお姉ちゃんのいる桜並木へ戻った。
美風荘から直人さんのいる桜並木へ戻るまで、私はずっと胸の鼓動を感じていた。
直人さんが私の作ったこれを食べてくれるという不安と期待を胸の鼓動として感じていた。
「あ、直人さん。私、の作った苺大福です。良かったら、その、食べてください」
私の作った料理は苺大福だった。
同じ料理ならお姉ちゃんには勝てない、でもこんな料理はまだお姉ちゃんもまだ直人さんには作ったことが無いと教えてくれた。
だから、私は一生懸命に作ったの。
これからきっと直人さんも『美味しい』と言ってくれるはずだと信じて、かんばって作ったの。
直人さんは苺大福を手にして口へと運んだ。
私の胸の鼓動は今まで感じたことがないほど大きくそして早く高鳴っている。
少しだけ胸が苦しくなってきた、息も苦しくなってきた。
私の作った料理を直人さんに食べてもらうのがこんなにも怖いことだったなんて知らなかった。
怖くて、直人さんが『美味しくない』と言うのが怖くて胸が苦しい。
まだ、直人さんは苺大福を口に含んでいる。
そんなに時間は経っていないのかな。でも私にはもの凄く長く感じるよ。
直人さんが何て言うか怖いよ。
そして、ついに直人さんは苺大福を込み込んだ。
私の心臓は今にも止まりそうなほど高鳴っていり。
私はずっと直人さんの言葉を待った。
直人さんの言葉を、待った。
「美味しかったよ、小春ちゃん」
直人さんは言った。
確かに『美味しかったよ』と。
私は恐怖から解放されると今度は嬉しさに心を捕らわれた。
初めて、直人さんに私の作った料理を食べてもらった。
そして、初めて『美味しかったよ』と言ってくれた。
私の胸の鼓動はまだ高鳴ったままだった。
でも、これは恐怖じゃない。
やっと分かった。
これは好きな人を目の前にしたときめきだったんだ。
私はやっぱり、直人さんが好きなんだよ。
好きで好きで恋してるからこんなにも胸が高鳴っているんだよ。
好きな人に『美味しかったよ』って言ってもらえたからこんなにも嬉しいんだよ。
私はやっと自分の気持ちに自信が持てた。
「はい。ありがとうございます」
私の顔を見ていた直人さんとお姉ちゃんは少しだけびっくりした様な顔をしていた。
今の私ってどんな顔をしてるんだろう。
自分じゃ自分の顔を見れないから分からないよ。
でも、きっと私は素敵な顔をしてるんだろうな。
だってやっと分かったから、自分の気持ちが。
前から分かってたけど自信が持てなかった。
今なら自信も持って胸を張っていることが出来る。
でも、まだ直人さんに告白するには勇気が足りないかな。
直人さんの前にいるだけでこんなにも、苦しいほどに胸が高鳴るんだもん。
告白するにはもうちょっと時間が掛かりそうだよ。
それでも、私の気持ちだけはちゃんと分かった。
私は、直人さんが好きです。
そして、私たちの物語は始まった。
Beginning
あとがき。
昔に書いていた物語をちょっと加筆修正した本作。あらすじにも書いてあったように、”Beginning”で終わる物語です。
本当は、この後の展開も色々と頭の中にはあるのですが、直人と小春のこの先の物語を書くことは恐らく無いことでしょう。
映画は実は期待感に溢れた予告編が一番楽しい時もあります。
この先、直人と小春がどんな物語を紡いでいくのか、私の頭の中にはその先があります。
でも、もし、この物語を読んでくれた誰かの頭の中に私の想い描いている物語とは違う話があったのなら、それだけでこの物語をここで終えた意味はあるのだと思います。