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鍋運びのジジ  作者: 中村朱里


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9.知らない場所

は、と。息を呑んだその瞬間に、ジジは目を覚ました。

そして遅ればせながらにして、自分が眠って――正確には、気を失わされていたことに気付く。慌てて横にされていた身体を起こそうとしても、信じられないくらいにふかふかのベッドに身体が沈んでしまってうまく上半身を起こせない。

そうしてしばらくもぞもぞと、まるで仰向けにされた虫の如く悪戦苦闘した末に、やっとの思いでジジは身体を起こした。


「ここ、は」


唇からこぼれた声は、力なく掠れたものだった。寝かされていたことでぼさぼさになっていた髪を改めてうなじで一つにまとめ直しながら周囲を見回す。

見たことのない部屋だった。一つ一つの調度品は派手ではないが品のよい、上等なものだとジジの目にも解るものばかりだ。ベッドサイドテーブルの上に置かれた、美しい花の生けられた花瓶すら、うっかり割ってしまったらジジには弁償しきれない値が付くに違いないもので、ついついびくびくしてしまう。

だが、そう怯えてばかりもいられない。未だにはっきり現状が把握できない中で、ジジは恐る恐るベッドから降りた。毛足の長い絨毯に足が沈む。けれどしっかりと自身がその場に立てることに、無意識に安堵の溜息をジジがもらした、その時だった。


――キャハハハハッ!

――いやぁだ、旦那ったら!

――さ、どうぞわたくしの元で休んで行ってくださいな!


何人もの女性の、何重にも色が重ねられた甘ったるい声音が聞こえてくる。外からだ。

その声に、まるで蜜に引き寄せられる蝶のように、ジジはその足にベッドの脇に置かれていた部屋履きを引っかけ、そっと窓へと近寄った。


歩み寄った先にある大きな窓は、朱塗りの木枠が外側に設置された、嵌め殺しのそれになっていた。木枠の隙間から外を覗き込めば、ここがどうやら建物の二階に当たる部屋であることが窺い知れる。

まだ日は高い位置にあると思っていたのに、外はもう宵のとばりが下りていた。明るく見えたのは、いくつもの赤いランタンが整然とどこまでも吊るされているからだと遅れて気付く。

その赤く明るい光に浮かび上がる、街道に沿ってやはり整然と建ち並ぶ建物の、その朱塗りの枠の向こうでは、色とりどりの華やかな衣装に身を包んだ女性達が、枠から手を伸ばして道行く男性の袖を引く。


――ここは、どこ?


そんな今更過ぎる問いが脳裏に浮かぶ。そして次の瞬間には、何故自分がこの現状に至っているのかが、ジジの脳裏にまるで紙芝居を見せられているかのようにまざまざと蘇った。


「な、鍋っ!」


そう、鍋だ。ウィッチ・ゾーイの許しなく勝手に『台所』から持ち出した、魔女の七つ道具の一つである鍋が、背中にない。

意識を失う瞬間までは確かにこの背にあったはずなのに。慌ててジジは窓から離れ、きょろきょろと部屋中を見回した。広い部屋だ。ウィッチ・ゾーイの屋敷でジジが使っている部屋よりもずっと広い。

この部屋のどこかに鍋は隠されてしまったのか、それともあの青年達……リェンファ達によって持ち去られてしまったのか。ジジは判断するすべを持ち合わせてはいなかった。

部屋の扉に駆け寄ってそのドアノブに手をかけても、案の定鍵がかけられていて扉は開かない。ならば今のジジにできることは、この部屋の中で鍋を探すことだけだ。


自らの焦りに急かされ逸る心をなんとか落ち着かせようと、意識的にゆっくりと深い呼吸を繰り返しながら、ジジは部屋の探索を始めた。

とは言っても、人の気配を感じさせないほどに整然と片付けられたこの部屋で、あの大きな目立つ鍋がどこに隠されていると言うのだろう。

どう探していいものか解らず、結局ジジはベッドに腰掛けて深々と溜息を吐いた。


「イチイ君、大丈夫かな」


脳裏に浮かぶのは、ウィッチ・ゾーイの屋敷に残してきた、ジジにとってウィッチ・ゾーイと同じくらいに大切でならない少年の存在だ。彼のことを思うと、それこそ鍋なんて二の次、三の次でしかない。ジジにとっても、そしてきっとウィッチ・ゾーイにとっても、イチイとはそういう存在だった。

大丈夫かな、と呟いた自分の声がそのままこの部屋の美しい紋様の壁にぶち当たって跳ね返り自分の胸に突き刺さってきたようで、その痛みにジジは両手で顔を覆った。


――順を追って思い出していこう。


そうジジは自らに言い聞かせる。

ウィッチ・ゾーイが魔女集会に出かけたその日の内に、屋敷は闇ギルドたるヘイロンの一味であるという、リェンファ・リーと名乗る青年達に襲われた。彼らはとある薬を必要としていると言い、ウィッチ・ゾーイを呼び寄せるためにその孫であるイチイを人質として連れ去ろうとした。そこでジジが、「自分がその薬を作ってみせる」と豪語して、イチイの代わりにリェンファ達についていくことになったのだ。

そこまでいい。納得済みだ。魔女の秘薬を作るために必要な鍋を、何故かリェンファと共に『台所』にまで取りに行ったジジは、その鍋を背に背負って玄関のエントランスへと戻った。

鍋を背負って現れたジジを見た瞬間の、玄関のエントランスにいた面々の表情はある意味では見物だったと言えた。

『台所』にて、リェンファが「亀のようだ」と評した通りのジジの姿は、誰の目にも滑稽極まりなく見えたらしい。

リェンファの部下である三人の男の内、無表情の男のそれまでの仮面のような表情に大きな変化は見られなかったがそれでもぴくりと無言のまま何かを堪えるかのように眉をひそめたし、子供のような笑顔の男は誰にはばかることなく「ダッセー!!」と爆笑し、のんびりとした笑顔の男は「魔女の使い魔って亀だったっけぇ?」と首を傾げて呟いてくれた。

そんな彼らに囲まれ、囚われの身の上になっているイチイですら「ジジ……」と半目になって嘆かわしげに眉間を押さえていた。

前述の三人の反応など気にしないが、流石にイチイのその子供らしからぬ反応にはジジもちょっぴり傷付いた。閑話休題。


そしていざリェンファ達と共に屋敷を後にしようとした時のことだった。イチイが大泣きし始めたのである。

あの、ジジよりも賢くて、ジジよりも聡くて、ジジよりももっとずっと大人だと思っていたイチイが、その美しいアメシストの瞳から大粒の涙をいくつもいくつもこぼしながら、声を上げて泣き喚き、ジジにしがみついて決して離れようとしなかったのだ。

煩わしげに溜息を吐いたリェンファが、部下の三人にイチイをジジから引き剥がそうとしたが、それを制してジジはイチイを抱き締めた。


どうして忘れていたのだろう。

どれだけ大人びていたって、イチイはまだたった十歳の子供なのに。たった十歳の子供が、親しい人間が見知らぬ輩に連れていかれ、広い屋敷にひとりぼっちにされるなんて、そんなこと耐えられるはずがないのに。


しゃくり上げるイチイの背を宥めるように何度も撫で、そしてジジはイチイの頬に口付けた。ウィッチ・ゾーイが旅立つ前に、ジジとイチイにしてくれたような、触れるだけの優しい口付けは、イチイの涙でとても塩辛い味がした。そしてその隙を突いて、イチイの耳元で短く小さく、ジジは囁いた。


――占い小屋へ。


と。そして「行ってきます」とイチイに笑いかけた後の記憶が、ジジにはない。

イチイの、「ジジ!」という涙混じりの悲鳴を最後に聞いた気がする。あの悲痛な声が、耳にこびりついて離れない。

確かあの時、首に軽い衝撃が走って、それから後はさっぱりだ。気付いたらこの部屋にいた。

目の前にいたはずのイチイはいない。背負っていたはずの鍋もない。たった一人でこの部屋に閉じ込められている。


「イチイ君……」


この際自分のことなどどうでもいい。勝手に持ち出した鍋のことを二の次にすることに対して気が引けない訳ではないが、繰り返そう。鍋よりもイチイの方が大切なのだ。イチイの無事には代えられないのだ。


ジジが意識を失ったあの後、彼はどうしただろう。

その実年齢よりももっとずっと賢く聡い少年だから、ジジが口にした「占い小屋へ」という言葉の意味を正しく理解してくれているはずだとは思うけれど。


占い小屋とは、ウィッチ・ゾーイの屋敷を隠す森から最寄りの街にひっそりと存在する、ウィッチ・ゾーイが『金の魔女』として唯一窓口として認めている店だ。その名の通り世間一般には占いを商いとする、どこにでもあるような易者の店として認識されているが、知る人ぞ知るところによれば、あの占い小屋は、高名なる『金の魔女』と繋ぎを取れる唯一の店として知られている。

普段はウィッチ・ゾーイが信頼している管理人が出入りするばかりの、正に開店休業と言うのが相応しい店だが、時にウィッチ・ゾーイ自ら店先に立つ場合には、そこは秘された魔女の館となる。

あそこに行けば、ジジもイチイも知っている管理人に助けを求めることができるし、もしかしたらウィッチ・ゾーイに連絡を取ることもできるかもしれない。

現状としておそらくリェンファ達に連れ去られた身の上でしかないジジには、イチイならばきっと大丈夫だと信じることしかできないのが歯痒い。どうかどうかと祈るばかりの自分が悔しい。

イチイがさらわれることになるよりは、自分がこうしてさらわれることになった結果の方がずっとマシなのだから、これ以上求めること自体が分不相応なのだろうけれど、それでも。


そうしてジジは、顔を覆っていた両手を下ろした。どちらの手にも、器用に包帯が巻かれたままだ。痛みはもう感じない。これを巻いてくれたのが、あのリェンファという青年だということを思い出すと無性に腹立たしく思えてきて、ジジは包帯を無理矢理解こうとした。だが、その包帯が解かれることはなかった。ちょうどその時、ガチャリと扉の鍵が開けられる音が聞こえてきたからだ。

びくりと大きく体を震わせたジジは、包帯を解こうとしていた手を止めて、わたわたと慌てながらベッドの掛け布団を頭から被った。そして待つこと数秒、ジジにとっては何時間にも及んだかにも思えるほど、焦れったいほどにゆっくりと扉が開かれる。そうして現れた存在に、ジジは改めて息を呑まされる羽目になった。

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