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鍋運びのジジ  作者: 中村朱里


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8.彼は優しくない

そう、鍋である。

ジジがこの『台所』にまでやってきたのは、ウィッチ・ゾーイが愛用する鍋を取りに来たためだ。持ち運ぶには大きすぎるため、背中に背負うしかないのだ。背負った鍋は重くはないが、ジジの細く薄い背中をすっかり覆ってしまう。リェンファの言う通り、まるで亀のようだと評されても文句は言えない。自分でもそう思う。だが、だって仕方がないではないか。

リェンファがウィッチ・ゾーイに求めるのが薬であるならば、あらゆる薬を製造するこの鍋こそが必要不可欠なものなのである。ジジはまだ自分専用の鍋を持たされていないため、勝手ながら師の鍋を借りるしかない。

この五年間、ジジが丹精込めてお世話してきたウィッチ・ゾーイの鍋。いくら下手な反論ができないとは言っても、ここまで笑われるのは非常に不本意である。顔を羞恥に赤く染めて、ジジは怒鳴った。


「ばっ、馬鹿にしないでください! この鍋はただの鍋じゃないんですよ!? 金の魔女たるウィッチ・ゾーイの七つ道具の一つ、魔女の鍋なんですから!」

「だ、ダカラってッ!」

「オリハルコン製の魔女の鍋です! これで作った薬は本当によく効くんです!」


この金色に輝く鍋は、ウィッチ・ゾーイが魔女になったばかりのころ、古い知り合いである腕利きのドワーフに自ら依頼して作ってもらったものだとジジは聞かされている。

ジジの知るこの五年間というもの、単なる風邪薬からお貴族様が喉から手が出るほど欲しがる究極の美容液、ウィッチ・ゾーイが「秘密よ」と微笑を浮かべて人差し指を唇に寄せ、その用途をジジに教えようとはしなかった薬まで、本当に様々な薬を作り上げてきた逸品だ。

そんな逸品をこんな風に笑われるのは、ジジとしては不本意極まりない。いや、まあ、鍋そのものが馬鹿にされている訳ではなく、正しくは現状の亀のようなジジの姿のことをリェンファは笑っているのだろうけれど。

その証拠のように、ジジが口にした"オリハルコン"という言葉に、きらりとリェンファの黒瑪瑙の瞳がきらめいた。


「オリハルコン? ヘェ、高く売れそうネ」

「……頼まれたって譲りませんし、そもそもこの鍋でなくちゃ、魔女の薬は作れないんですからね」


黄金以上に価値があるとされる希少金属であるオリハルコンの塊である鍋は、その筋に売り飛ばせばたやすく一財産になるに違いない。悪名高い闇ギルドに所属する人間の前で、うっかりその材質を口にしてしまったことを悔やむジジの内心に気付いてか、リェンファはくつくつと喉を鳴らして笑った。


「別に譲ってもらうつもりも奪うつもりもないヨ。金には困ってないし、こんなことで金の魔女の不興を買うのも馬鹿馬鹿しいしネ」


ウィッチ・ゾーイの最愛の孫であるイチイを人質に取っている時点で、彼女の逆鱗を確実に踏み躙っている輩が何を言うのか。

そうジジは思ったが、口に出すことはしなかった。いくらウィッチ・ゾーイの逆鱗に触れているとはいえ、その彼女は不在なのだ。今、イチイのことを守れるのはジジしかいない。ならばジジはイチイのことを守ってみせる。どんなことをすることになったとしても、ジジはイチイのことを守らなくてはいけないし、守りたいと思っているのだから。


「私がこの『台所』に取りに来たのはこの鍋だけです。材料はいつも依頼を受けてから用意するので、ここには最低限のものしかありません。だから、貴方の求める薬の材料については、現地調達ということでお願いします。さあ、それじゃあ行きま……」

「チョット待って」

「はい?」


ジジがリェンファの横を通り過ぎ、そのままその背後の扉へと向かおうとすると、その通り過ぎざまにリェンファがジジの背の鍋を二度ほど叩いた。シャン、シャン、と。まるで楽器のように涼やかな音が響き渡る。

思わずジジが振り返ると、思った以上に間近に、リェンファの大層整った顔があった。その迫力あふれる美貌につい仰け反ると、そのままジジは背後にそびえ立っていた棚にしたたかに後頭部をぶつける羽目になってしまった。とても痛い。涙目になって後頭部を押さえて呻くジジを見下ろしながら、リェンファが呆れたような溜息を吐く。そんな仕草すら、やけに色っぽく婀娜っぽく、男にしておくのがもったいないほどだとジジはつい思ってしまった。そんな場合ではないのは百も承知だというのに。


「な、なんですか?」


痛みに震えながらジジが問いかけると、リェンファはそんなジジに向かって、にっこりと笑いかけた。美人の笑顔にはとんでもなく迫力があるということを、ジジはウィッチ・ゾーイとイチイからこれでもかと教えられているが、それはこの青年にも言えることらしい。

ジジの問いかけに、リェンファはその唇に弧を描いたまま短く答える。


「傷薬」

「え?」

「ダカラ、傷薬。ココにある? あるならさっさと持ってくるネ」


有無を言わせない口調だった。ジジが逆らうなんてちっとも思っていないに違いない、絶対的な強者の傲慢さが窺い知れるそれだった。一瞬、ジジの胸に反抗心が湧くが、次の瞬間には、ジジは自身に向かって内心で「落ち着け」と語りかけていた。

何故突然リェンファが傷薬なんて言い出したのかは解らない。もしや傷薬こそが、リェンファが求める薬なのだろうか。確かにウィッチ・ゾーイ特製の傷薬は、一般的に出回っている傷薬よりもずっと効くが、だからと言って市販の傷薬が悪いものであるという訳でもない。こう言っては何だが、傷薬程度のために、わざわざあの『金の魔女』を敵に回すような真似をするメリットが、ジジには想像できなかった。

そんなジジの逡巡に気付いているのかいないのか、ただ単に反応の鈍いジジに業を煮やしたのか、リェンファの白く長い指が、ジジの額を思い切り弾く。小さく悲鳴を上げるジジに、リェンファは再びにっこりと美しく笑った。


「ワタシ、待たせるのは好きダケド、待たされるのは大嫌いネ。傷薬、アルノ? ナイノ?」

「あ、あります! ちょっと待ってください!」

「ソウ。なら早くネ」


情け容赦なく急かしてくるリェンファに焦らされながら、ジジは小走りになって、この『台所』の中で一番小さな棚の元まで駆け寄った。美しい空色のペンキで彩られたその棚は、この『台所』において唯一ジジだけのものと言えるものだった。このジジそして、専用の空色の棚は、『台所』のみならず、この屋敷全体において、唯一、ウィッチ・ゾーイの薬が常備されている棚である。

その中には、ジジが一人で製薬を練習するために集めた薬草や、この五年間でウィッチ・ゾーイから教わったウィッチクラフトを綴ったノートばかりではなく、ウィッチ・ゾーイが自らジジのために作ってくれた薬が何種類か収められているのだ。傷薬もその一つである。日頃から何かと生傷の絶えないジジのために、ウィッチ・ゾーイが作ってくれた。

その傷薬が収められている青い小瓶をジジは取り出して、いつの間にかすぐ側まで来てジジの棚を覗き込んでいたリェンファに、その小瓶を差し出した。


「これ、ですけれど」

「フゥン」


青い小瓶を受け取り、中身を確かめるように蓋を開けてその匂いを嗅いだリェンファは、片手で蓋と小瓶本体を持つと、もう一方の手をジジに向かって差し伸べた。その白い手の意図が解らず、青灰色の瞳を瞬かせるジジに焦れたように、リェンファは差し伸べた手をより一層前へ……すなわち、ジジの目の前へと差し伸べる。


「手」

「え」

「手。両手、見セテ」

「え、あ」

「早く」

「は、はい!」


先程よりも強い、最早命令口調と言っても過言ではない言いぶりに、ジジは反射的に両手を開き手の平を上にしてリェンファの前に出した。

そこでジジは、大変遅ればせながらにして、自らの手の平が、リェンファの部下である男達の刃によって切り裂かれていたことを思い出す。傷そのものは深くはなく、今は血がにじんでいる程度だが、その存在を改めて目にすると、じわじわと痛みが込み上げてくる。

その痛みに思わず顔をしかめたジジだったが、その表情はすぐに、驚きのそれに取って代わられることになった。


「ひゃっ!?」

「こんなものカナ」


リェンファが、その手に持っていた傷薬を、思い切りジジの両の手の平にぶちまけたのである。傷薬が傷口に染みることはないが、それは何の慰めにもならない。とにかく驚かずにはいられなかった。そのまま硬直するジジを置き去りに、リェンファはその辺にちょうど転がっていた包帯を手に取った。そしてくるくると器用に、ジジの両手に、それぞれ包帯を巻いていく。

気付けばジジの手には、丁寧に包帯が巻かれ、ただただ呆然とジジは、それを見下ろすことしかできなかった。

そしてやっとの思いで視線を持ち上げてリェンファを見遣れば、そこにはニヤリと唇に笑みを刻むリェンファの美貌がある。


「マサカ、ワタシがたかが傷薬ダケを求めてココまでやってきたと、本気で思ってたノ?」

「ッ!!」


茶化すような口ぶりに、ジジはかぁっと思い切り顔を赤く染めた。からかわれた、と気付いても遅い。治療をしてくれたことはありがたいが、それに素直に礼を言えるような状況ではない。そもそもジジが怪我をした原因の一端は、この青年にある訳だし。

悔し紛れに睨み付けても、リェンファはどこ吹く風だ。その美貌に浮かぶ涼しい表情は崩れない。


「ソレで? ナニかワタシに言うコトは?」


金の魔女の弟子は傷の手当てをされても何も言わないような礼儀知らずなのか。そう暗に問いかけられているような気がして、ジジはぐっと一度唇を噛み締めてから、心底悔しげに小さく呟いた。


「……ありがとうございます」

「ウン。ドウイタシマシテ」


くつくつと喉を鳴らして笑うリェンファを、悔し涙でにじんだ瞳で睨み付け、今度こそジジは『台所』を後にした。振り返るような真似はしない。どうせ確認なんてしなくても、リェンファはジジの後をのんびりとついてきているに違いないことが、何故だか不思議と理解できてしまったのだから。

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