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鍋運びのジジ  作者: 中村朱里


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5.黒衣の青年

その美しい存在は、ジジよりもいくつか歳上と思わしき青年だった。


最初にやけにジジの目についたのは、彼の、まるで黒瑪瑙のような瞳。長く濃い睫毛に縁取られたその切れ長の瞳は、目尻に朱が刷かれ、得も言われぬ艶やかさをその黒瑪瑙に添え、ぞくりと背筋が粟立つほどの色気を醸し出している。

背の中程まで伸ばされ、緩く一本の三つ編みにされた黒檀のような髪は、香油を使って梳かされているのか、大層艶やかである。

ともすれば女性的とも表現されそうな顔立ちは、エキゾチックな印象を見る者に与え、男にとっても女にとっても大層魅力的に見えるに違いない。

紅を刷かれた訳でもないというのに紅い唇には三日月のような弧が描かれているが、それは決してやさしげな笑みではなく、むしろ彼の残酷さを引き立てるような恐ろしさを孕んでいた。

身に纏う衣装は、現在ジジに剣を突き付けている男二人とイチイを拘束している男一人という、ほぼ同じ顔立ちの三人の服装と、デザインそのものはよく似ていた。首元を覆う立て襟と、紐でできたボタン、長い丈に深くスリットが入った上衣と、そのスリットからすらりと伸びたズボン。けれど明らかに、美貌の青年の衣装の方が上物であるとはわざわざ指摘せずとも知れた事実だった。

おそらくは絹で作られた、光沢のある黒の地に、金糸で大輪の蓮の花の刺繍が施してある上衣は、青年の雪のように白い肌を際立たせている。それは、ウィッチ・ゾーイが普段身に纏うドレスに負けずとも劣らない一級品だろう。


――と、混乱する頭の中で、そこまで青年を観察したジジが、そのまま硬直していると、螺旋階段の踊り場に立っていた青年は、足音一つ立てずに階段を下りてきて、ジジの前に立った。


ジジよりも頭一つ分は高い彼に見下ろされ、反射的にジジはぎくりと緊張する。そんなジジをしばし見つめていた彼は、ジジに左右から剣を突き付けている男達に向かって、にこりと笑いかけた。


「ハァイ、リオウ。剣を下げるネ」


ジジには聞き慣れない、やはり不思議なイントネーションのその口調。強い命令形ではなかったように聞こえたのに、そこには有無を言わせない響きが確かにあった。

喉元に左右から突き付けられていた一対の剣が、ようやく下ろされる。無意識にジジはほっと息を吐いた。ともすればそのまま、腰が砕けてその場に吸われ込んでしまいそうになったけれど、なんとか根性で耐え、目の前の青年を睨み付ける。


「……貴方方は、誰ですか。この屋敷が、金の魔女たるウィッチ・ゾーイの屋敷と知っての狼藉ですか?」


これまでも、ウィッチ・ゾーイが行使するウィッチクラフトを狙って、この屋敷にやってきた無礼な輩は少なくない。

ウィッチ・ゾーイのまじないにより、いくらこの屋敷が隠されているとは言っても、『そういう方面』に鋭い者からしてみれば、その気になればこの屋敷は見つかってしまうのだ。

けれどそのたびに、ウィッチ・ゾーイが自ら追い返してくれた。だが今はまずい。そのウィッチ・ゾーイが不在なのだから。となれば、ジジは自分の力で目の前の招かれざる客人を追い返さなくてはならない。イチイのことを、守らなくてはならない。


口の中は、緊張のせいか、もうからからに乾き切っている。そんな口で紡いだ声音は、気を抜けば震えてしまいそうになる。それでもジジは、懸命に言葉を紡ぎ、じっと青年の顔を見上げる。

ここで侮られる訳にはいかなかった。自分一人ならいい。けれど今は駄目だ。だってイチイがいる。ジジにとって何よりも大切な、ウィッチ・ゾーイからの預かり子であり、家族である少年が、今は拘束されているのだから。


目の前の青年の向こうでは、イチイが口を押さえられたまま男に捕らえられている。なんとかその腕から抜け出そうとしているようだけれど、男は優れた体術の使い手なのか、イチイの抵抗のすべてを、無表情のまま完全に封じ込んでいる。状況としては最悪だ。


どうしたものかと懸命に突破口を探すジジに、青年はにこやかにその紅い唇を開いた。


「名乗るほどの者じゃないネ。ああでも、『ヘイロン』って言う名前くらい、聞いたことはないカナ?」

「!!」


自分の目が大きく見開かれていくのを、ジジは他人事のように感じた。『ヘイロン』。世間に疎いジジでも、その名を知っていた。


ヘイロンとは、表社会ばかりではなく裏社会にまで大きくその名を轟かせるギルドの名だ。

表向きは、数多くの傭兵や商人、職人を抱え込む巨大複合ギルドだが、その実態は、命を懸けた賭け事や人身売買、危険薬物の取引、芸術品の贋作づくりとその売買などといった、法で禁じられたものにまで手を出し、莫大なる利益を上げているという闇ギルドである。

騎士団や自警団が摘発しようにも、ヘイロンが社会に与えている影響力は計り知れず、ゆえに王都の騎士団すら手が出せずにいると聞いている。


目の前の青年は、そのヘイロンの関係者であるらしい。脅しのための冗談であってほしいと思っても、青年に嘘偽りを言っている様子はない。

さあっとジジの顔からますます血の気が引いた。


蒼褪めているジジの顔を見つめたまま、目の前の青年はにっこりと笑みを深めた。その衣装に描かれた黄金の蓮の花が綻ぶかのような、とても美しく魅力的な笑みだ。状況が状況でなかったら、ジジはうっかり見惚れてしまっていたかもしれない。現状、そんな余裕なんてジジには欠片もないのだけれど。


「この屋敷が金の魔女の持ち家であることくらい調査済みヨ。俺達はその金の魔女に用があってわざわざこんな辺鄙な田舎までやってきたんダカラ。サァ、さっさと金の魔女を出してくれるカナ? お嬢サン、ワタシの言ってること、ちゃんと聞こえテル?」


ことりとわざとらしく小首を傾げてそう問いかけてくる青年の口ぶりは、まるで幼い子供に言い聞かせるかのようなそれだ。

だが、それにいちいち目くじらを立てている余裕もまた、ジジにはなかった。どこからどう見ても一般人ではない職に就いていそうな男性四人、それもイチイを人質に取っている者達を前にして、ジジが持ち合わせている武器はと言えば、このお世辞にもうまいとは言えない口だけなのだから。


「ウィッチ・ゾーイは現在不在です。帰ってくる時期も未定となっております。お解りいただけましたら、イチイ君を解放して、どうぞお帰りを」


お出口はあちらです、とジジは青年の背後の玄関へと視線をずらしてみせた。青年の整った眉が、器用に片方だけ持ち上げられる。

「フゥン」と小さく呟いた彼は、ジジのことをその黒瑪瑙の瞳で見下ろしたまま、ゆっくりと紅い唇を開いた。


「ティエン」


その唇から発せられたのは、たった一言だった。何かを指示した訳でもない、ジジにはやはり聞き慣れないその単語。けれど、その一言は十分すぎるほどの威力を持つ言葉だったらしい。少なくともジジにとっては致命的な言葉だった。

 青年の言葉に対し、その背後に立ってイチイのことを拘束する無表情な男が、イチイのことを突然床に転がし、その細い腕を捻り上げたのだ。


「――――ッ!」

「イチイ君!」


声にもならない悲鳴を上げるイチイの元にいち早く駆け寄ろうとしたジジは、左右に立っていた男達の剣によって阻まれた。目の前に立つ青年の笑顔は変わらず美しいままだ。その涼やかな美貌をこれ以上もなくきつく睨み付け、ほとんど悲鳴のようにジジは怒鳴った。


「何をするんですか!」

「ダッテ、お嬢サンが生意気ダカラ?」


そう何でもないことのように笑う青年の微笑みに、ぞっとジジの背筋に悪寒が走る。彼の微笑みはこんなにも美しいのに、それ以上にこんなにも恐ろしいのだということを、今更ながら理解させられる。

微笑みが優しいばかりのものではなく、こんなにも冷酷なものになれるのだということを、ジジは初めて思い知らされた。


「サ、お嬢サン。もう一度聞くヨ。金の魔女はドコ?」

「だから、いないって……!」

「ティエン」

「やめて!」


青年に命じられ、より一層イチイの腕を捻り上げようとする男を、ジジは再び悲鳴を上げるようにして静止した。

青年の黒瑪瑙の瞳を、にじんできた涙に濡れる瞳で見つめ返し、ジジは懸命に言葉を紡ぐ。


「今は、魔女集会の時期なんです。ウィッチ・ゾーイはその集会に参加するために、今朝旅立たれました。魔女集会の開催地も期間も毎年秘匿され、参加者以外には伝えられません。たとえそれがどれだけ近しい者であっても、決して口外されないんです。だから、私達は本当に、ウィッチ・ゾーイが今どこにいるのか、いつになったら帰ってくるのか、どちらも何も知らないんです!」

「ほら! 僕だってそう言ったじゃないか!」


ジジの言葉に、床に押し付けられ腕を捻り上げられながらも、イチイもまた同調する。怒りと共に苦痛がにじむその幼い声に、ジジは今度こそ本気で泣きたくなった。

どうしてこんな時に自分は何もできないのだろう。無力な小娘だから、なんて理由など認めたくはなかった。自分が鍋運びなんかではなく、立派な魔女の弟子だったら、ウィッチクラフトの一つでも行使して、この招かれざる客達を撃退することだってできたかもしれないのに、今のジジにできるのは、ただ真実を口にすることだけで、その真実を信じてもらおうと努力することだけなのだ。


――貴女は貴女にできることをすればいいのよ。それがきっと、素敵なことに繋がるわ。


ジジの脳裏で、慕わしい師が優しく微笑む。その笑顔に応えたいのに、今の自分にはどうすることもできないのが、こんなにも悔しくてならなかった。

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