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鍋運びのジジ  作者: 中村朱里


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4.日常の崩壊

やがて、ウィッチ・ゾーイの部屋の壁に取り付けられている仕掛け時計の小窓から、本物かと見紛う細工の金糸雀が飛び出し、美しくさえずり出す頃、ほっとジジは息を吐いた。


よしよし、大体こんなものかな。そう内心で呟くジジの目の前に広がる光景からは、当初の荒れ果てた様など想像できないに違いない。見事に整理整頓され、何もかもが片付けられている。

しわくちゃになっていたドレスは整えられてクローゼットに収まり、書物はジャンルごとに分けられて本棚に。ワインの空き瓶は一か所にまとめたから後は運び出すだけだし、よく解らない道具の数々は埃を払って棚にしまった。屑籠の中身は空き瓶と一緒に後で運び出せばいいし、椅子の上に鎮座していた謎の頭蓋骨は、とりあえずテーブルの中央に花を添えて飾ってみた。それが正しいのかは解らないが、とりあえずジジはできることはやり遂げた。

さあお次はベッドのシーツを取って洗濯に、とジジがベッドに歩み寄った、その時だった。


「ん?」


仕掛け時計の金糸雀の歌声が変わった。正午を告げる歌声から、来客を告げる歌声にと変わったのだ。ジジはシーツをくるくるとまとめながら首を傾げる。


この屋敷には、ウィッチ・ゾーイによるまじないがかけられている、とは先にも語った事実だったか。この屋敷は、結界というほどご大層なものに守られている訳ではないが、『誰もが意識せずうっかり見逃してしまう』ようになっているのだ。

そのおかげで、金の魔女と誉れ高いウィッチ・ゾーイとその弟子であるジジ、そして孫であるイチイは、魔女の異能を狙う無礼者の目からも、神の名の下に魔女を狩り立てる教会の目からも、見事に守られ、平穏に暮らしているのである。


今はこの屋敷の主であるウィッチ・ゾーイは不在だ。彼女は屋敷に残されることになったジジとイチイの身を案じて、まじないを強化して旅立っていったはずである。ゆえに、この屋敷に客人などやってくるはずがないのだが――はて。


「ウィッチ・ゾーイが忘れ物でもなさったのかな」


だとしたらわざわざ屋敷に帰ってきたことも頷ける。掃除と整理整頓をしたばかりだから、ウィッチ・ゾーイにはどこに何があるのか解らなくなっていそうだ。

「好きにしていいわよ」と言われているからこそ、その言葉の通りに好きに掃除も整理整頓もしているけれど、その後で必要な物を探すウィッチ・ゾーイによって元の惨状にいつの間にか戻されてしまうから、もう少し片付けの仕方を考え直すべきかもしれない……と思い続けて早五年。

とりあえず、今回は直接顔を合わせて自分がウィッチ・ゾーイの忘れ物を探した方が早いだろう。そう結論付けたジジは、まるめたシーツを抱えて、ぱたぱたと急ぎ足で玄関へと向かう。


ウィッチ・ゾーイが魔女集会で恥をかかないように、昨晩も今朝も、ウィッチ・ゾーイとイチイが呆れるくらいに忘れ物がないか確認したつもりだった。それなのに、まだ手抜かりがあったのだろうか。

やはり私はまだまだだなぁと落ち込みたくなるけれど、落ち込んだって何の解決にもならないということを、他ならぬウィッチ・ゾーイとイチイが教えてくれた。だからジジは、落ち込む代わりに自分にできる精一杯のことをする。玄関がやけに遠く感じられるけれど、そんな甘えたことは言っていられない。


ほら、もうすぐだ。何やらイチイの怒鳴り声らしき声が聞こえてくるけれど、一体どうしたことだろう。

あの年齢に見合わない落ち着きを持ち、常に冷静なイチイが、こんな風に声を荒げるなんて珍しいこともあるものだ。

んん?と首を傾げながら、ジジはエントランスに繋がる扉に手をかけた。


「イチイ君? どうかし……」

「ジジ! 来ちゃ駄目だ!」

「え……ッ!?」


イチイの切羽詰まった叫びに、ジジは扉を半開きにして固まった。だが、そのジジが留めた扉がエントランス側から大きく開かれる。その勢いに引き摺られて前のめりになったジジがエントランスに足を踏み入れるのと同時に、左右からジジの喉に、ジジの髪よりももっと鋭くきらめく銀色の刃が、交差するようにして突き付けられる。


動けない。ジジの腕から力が抜けて、抱えていたシーツがどさりと床に落ちた。


「ジジ!」


イチイの悲鳴に、停止していた思考回路がすぐさま再び動き出す。喉元に左右から突き付けられた剣を持つのは、ジジを挟むようにして立つ、屈強な肉体を持つ二人の男性。


その二人はまるで鏡写しのようにそっくりな容貌をしていた。

紺鼠色の髪は短く刈り上げられており、その鋭く冷たい光を宿す瞳は暗い藍色。どちらも灰色の生地で作られた、立て襟に友布で作られた紐のようなボタンが並ぶ、身体のラインを隠す形の――おそらくは東の大陸のものかと思われる衣装を身に纏った男達だ。

そのそっくりな顔立ちに浮かぶ表情は、同じであるようでいてまったく異なる。右の男性のそれは、悪戯好きの子供のような、それでいてどこか残酷さが窺い知れる笑み。左の男性のそれは、のんびりと気の抜けた、それでいて一切の隙を感じさせない笑み。

そしてジジは視線を巡らして、目の前でイチイをその腕の中に捕らえている、やはり紺鼠色の髪を短く刈り上げ、深い藍色の瞳を持つ、ジジに剣を突き付けている二人の男性と同じ顔立ちの男性を見つめた。ジジの視線を受けても、イチイを捕らえている男性の表情は、一切の感情を窺わせない仮面のような無表情だ。


これが一体どういう状況なのか、ジジにはまったく解らなかった。何一つ解らなかったけれど、ここで下手に動いたら、自身の喉はたやすく切り裂かれるに違いないであろうということだけは、本能的に理解した。


どうしよう、どうしたら。じわじわと冷たい汗が吹き出し背筋を伝っていく。なんとかしなくてはいけないのに、イチイを助けなくてはいけないのに、それなのに。

そうジジが混乱する頭で、無意識に一歩前に出ようとした、その時だった。



「――――動かない方がいいヨ?」



聞き心地のいい、アルトよりも若干低めの、美しい声がジジの耳朶を打った。不思議なイントネーションのその声は、ピンと張り詰められた空気を優しくくすぐるように震わせる。

ともすれば喉が切り裂かれてしまいかねなかったというのに、そんなことも忘れて、ジジはその声の出どころを見上げた。それは、このエントランスの中央に位置する、二階へと繋がる螺旋階段、その踊り場。


そこには、黒を纏う、とても美しい存在が佇んでいた。


「ゴキゲンヨウ、お嬢サン」


それは、ジジが左右から剣を突き付けられ、イチイが拘束されているというこの緊迫した状況においてはあまりにも相応しからぬ、信じられないほどに柔らかな、息を呑むほどに美しい微笑みだった。

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