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鍋運びのジジ  作者: 中村朱里


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24.今宵の献立

リェンファがジジが作った粥を口にしてからというもの、何故かそれ以降リェンファは、食事時になるたびにジジが貸し与えられている『台所』へとやってくるようになった。

ジジは最初こそ戸惑ったものの、まぁ別に構わないか、という結論に結局落ち着いた。

そもそもこの『台所』――もとい、高級娼館リアーヌの離れ小屋は、元を辿ればリェンファのものなのだから、ジジには目くじらを立てる権利なんて、ましてや物申す権利なんて、悲しく悔しいことにかけらとても持ち合わせていないのだ。だからこそ仕方ないと諦めた。別に危害を加えられる訳でもないのだから、気にせずに料理をするだけだ。

あと他に変わったことはと言えば、リェンファの訪れる時間に、あの三つ子の護衛が現れなくなったということだろうか。

今更彼らに親近感を抱ける訳もないのだが、なんとなく気にかかり、食事は毎回多めに作って、「ティエンさん達に渡してください」とリェンファに押し付けるようになり、次の日に三つ子のいずれかから礼を言われるのがここ最近の当たり前になりつつある。

何であるにしろ、ジジがまずすべきことは、料理なのだ。それだけなのだが、しかし。


「あ、だめですリェンファさんっ!」


ジジの制止の声など聞こえていないのか、ジジの肩の上からひょいっと手が伸びる。その白く長い指が、ジジがボウルの中で漬けダレとあえていたマグロの切り身を直接つまみ上げる。

ジジが慌てて振り返ると、いつのまにか背後に立っていたリェンファが、口の中にそのマグロの切り身を放り込んだ。

無言でリェンファはもぐもぐと咀嚼し、そして指先についたタレをぺろりと舐めとる。赤い舌が白い指先をなぞる、たったそれだけの仕草が嫌味なくらいに色っぽく絵になるのが何故だか無性に悔しい。

ジジの青灰色の瞳が批難を込めてリェンファを睨み上げるが、睨まれている当の本人はどこ吹く風の様子で軽く肩を竦めてみせる。


「ンー、悪くないケド、ワタシはもう少し生姜が効いてる方が好みネ。あと、ワタシ、アボカドはあんまり好きじゃないんダケド。なんかバターをそのまま食べてるみたいデショ」

「だったら先にそう言ってくれれば……」

「ン? 何か言った?」

「…………なんでもないです」


叩き付けたい文句がない訳ではなかったが、それを菜箸を握り締めることで耐えて、かろうじてジジはそう絞り出した。


そう、『だが、しかし』。


こうしてジジが食事の準備をしている時に、後ろから手を伸ばしてつまみ食いをしてくるのは頂けない。

これが一度や二度ばかりであるのなら、ジジだって見逃すことができたのだが、リェンファの場合は食事のたびにほぼ毎回つまみ食いをしては味付けだのなんだのに口を出してくるのだからジジとしては地味にストレスが溜まる。

十歳のイチイですらもうつまみ食いをしなくなって久しいのに、このリェンファという青年はどれだけ幼い子供なのだろうか。いや、子供ほど真っ白でかわいらしい相手ではなく、実際は冷徹で残酷な一面も持ち合わせている相手なのだけれど。

しかもリェンファにとって、ジジの作る料理そのものが嫌な訳ではないらしいところがまた悩ましい。

「オマエの作ったモノなんて食べられたモノじゃないネ」とでも切り捨ててくれれば、はいそうですか、とジジも身を引くことができたのに。

それなのにリェンファは、ジジにリクエストすることはあれど、ジジの作る料理そのものはどうやらそれなりにお気に召してくれているようで、徐々にジジがリェンファの好みの味を覚えていくのをなんだかそこはかとなく楽しそうに観察しているらしいのだから困ってしまう。

込み上げてくる溜息を飲み込んで、ジジは手元のボウルに、賽の目切りにしたアボカドを入れて、漬けマグロと手早くあえる。


「アボカドにはホルモンバランスを整えるために必要な栄養素がたくさん入ってるんです。森のバターって呼ばれてるくらいなんですよ?」

「やっぱりバターなんだネ」

「そ、そうですけど! でも、マグロはさっきリェンファさんが口にした通り、味が濃い目の漬けにしてあります。これとあえてご飯に乗せればおいしい丼物になりますから、ちょっと待っててください」


昨夜のうちに、醤油、レモン汁、砂糖、生姜、ニンニク、鷹の爪、ネギを混ぜて作ったタレに漬け込んでおいたマグロは、てりてりとそれは美しく、まるでルビーのように深みのある赤に輝いている。

魚を生で食べる習慣はあまり一般的ではないが、ジジはこの食べ方が好きだし、ウィッチ・ゾーイにも「お酒にぴったりね」とご好評をいただいている。それに、マグロはただ単においしいばかりではないのだ。女性ホルモンの分泌に影響し、そのバランスを整える成分を含んでおり、またマグロそのもののタンパク質は女性ホルモンの材料になる。

リェンファの求める性転換に一役買ってくれるに違いないと結論付けた結果が、本日のメニューだった。


「はい、今夜のお夕食はマグロの漬け丼です。あとは小腹が空いたらこちらのナッツをどうぞ。良質な油の適切量の摂取が、女性ホルモンを増やすための第一歩です!」


炊き立ての白飯をどんぶりに盛り、その上に放射線状に漬けマグロを並べてタレをかける。最後にその中央に卵黄を落としてメインディッシュは完成だ。

その横の小皿にナッツを少々つまみにできる程度に添えて、テーブルの上に並べると、リェンファは大人しくテーブルの椅子に腰かけた。

そのまま無言で食事を始めるリェンファを横目に、ジジはコンロに火を入れて、ミルクパンに豆乳を入れて温め始める。


「こっちも後でちゃんと飲んでくださいね」

「また豆乳? ワタシは豆乳の風味が苦手だって、何回言わせるツモリ?」

「今日は豆乳で紅茶を煮出してスパイスと練乳を加えたチャイという飲み物にしますから。冷やしておくので、味は後で自分で確認してみてください」


異国ではよく飲まれるのだというミルクティーの飲み方を、豆乳でアレンジしてみたのだ。

もちろん事前にちゃんと毒味……もとい、味見はしてある。なかなかおいしかった。きっとイチイが好きな味だ。ウィッチ・ゾーイはもっとスパイスを効かせた方が好みだろう。

そこまで思ってから、はあ、とジジはミルクパンに向かって溜息を吐き出した。

このトゥーランドットという街の、リアーヌという高級娼館に連れてこられてから、もうすぐ一ヶ月が経過する。イチイは、そしてウィッチ・ゾーイは、今頃どうしているだろう。

魔女集会の期間は毎回異なり、一日もかからずに終わることもあれば、数週間経っても終わらないこともある。ジジの記憶では、一番長かったのは、二年前の魔女集会の三ヶ月という期間である。一夏をまるまる使って開催された魔女集会の議題は、魔女狩りをいっそう強化しつつある教会への対応を巡ってのものだった。今回も二ヶ月もの期間を要するような議題なのだろうか。占い小屋の管理人がいるとは言っても、イチイはきっと心細い思いをしていることだろう。

こんなところで呑気に料理をしている場合ではないのに、いつのまにか馴染みつつある自分が情けない。

はぁ、ともう一度溜息を吐いて、完成ひたチャイを大きなカップに移していると、ふいに視線を感じた。そちらを見遣れば、気付けば既にどんぶりを完食しているリェンファが、その眦に朱の乗る黒瑪瑙の瞳で、ジジのことを見つめていた。


「ソレで?」

「え?」

「肝心の薬の方は、ドウなってるのカナ?」


その問いかけに、ジジはうっと言葉に詰まった。反射的に目を逸らしたくなったけれど、黒瑪瑙の瞳はジジにそれを許してはくれない。無理矢理目を逸らしたとしても、リェンファは納得などしないだろう。リェンファ・リーという青年が、目的のためならば遠慮も妥協も決してしない性質の青年であるということに、いくら鈍いと言われるジジでも、いい加減気付いていた。


「が、頑張っては、います」


かろうじてそう絞り出したけれど、この答えがリェンファの望むものではないということは、ジジ自身が誰よりもよく理解していた。

そう。頑張ってはいる。それこそ、寝食を削って、ウィッチ・ゾーイの『台所』から持ち出した大鍋を前に、考えうる限りの方法で、便宜上『性転換薬』と呼ぶべきそれを作ろうとジジは奮闘していた。

その努力は、監視役兼護衛役である三つ子にも一応伝わっているようで、ティエンには無言で茶を勧められ、ハァイには「外の空気吸ったらどうよ?」とこの小屋の玄関前まで担ぎ出され、リオウには「甘いもの食べて休憩しなよぉ」とおやつを分け与えられるほどだった。

その心遣いがありがたくない訳ではないけれど、それ以上にただただ重圧がジジの両肩にのしかかる。

材料も製薬法も間違っていないという自信がある。けれど駄目なのだ。ウィッチ・ゾーイに弟子入りしてから、今日に至るまで、ジジのウィッチクラフトは成功した試しがない。現に今も、金の魔女の鍋は、失敗作の毒にも薬にもならないナニカで満たされている。

見ないふりをしていたが、そろそろ片付けてもう一度挑戦しなければと思っていただけに、リェンファの問いかけはぐさりとジジの胸に突き刺さる。それ以上言葉にできずに俯くジジの耳に、リェンファは瞳を眇めて続けた。


「ワタシが欲しいのは努力じゃなくて結果ヨ。そしてワタシは待つのは嫌い。いい加減理解してるネ?」

「は、い」


解っている。解ってはいるのだ。それなのに何一つ前に進めない自分はやはり『鍋運び』でしかない。いいや、その鍋すらも、もう重くて持ち上げられなくなってしまいそうだ。

考えれば考えるほど落ち込んでいくジジの姿をどう思ったのか。小さな溜息がジジの耳朶を打つ。思わず顔を上げると、リェンファは、小さく苦笑を浮かべてジジを見つめていた。


「……マァ、まだ待ってあげてもいいケド。ソレじゃ、そのチャイとやらを寄越してクレル?」

「――――あ、は、はいっ! どうぞ!」


リェンファのその表情は、驚くほど柔らかいものだった。美しい微笑に目を奪われ、知らず呆然とするジジに向かって、リェンファは、ン、と手を差し伸べてくる。

ハッと息を呑んでから、慌ててジジはまだ温かいチャイで満たされたカップを差し出した。

それを受け取って口に運んだリェンファの眦が穏やかに細められる。表情こそまたツンと澄ましたものになっているけれど、その眦の変化が、リェンファがチャイをお気に召してくれたらしいことをジジに教えてくれた。

ほ、と安堵の息を吐き、椅子に座って自分の分のチャイをカップに注ぎ、ジジもまたそれを口に運ぶ。スパイスのよくきいた甘く優しい味わいは、身体を温めるばかりではなく、心もまた落ち着かせてくれるようだった。

そうして、互いに無言でチャイを飲んでいたその時。ふいにリェンファがカップをテーブルに戻す。その表情が、それまでの柔らかなものから、いつも彼が浮かべている、年若くしてヘイロンの幹部として活躍する権力者としてのものになる。

びくりと反射的に身を竦ませるジジに構わず、リェンファは一言、「入れ」と告げた。

意味が解らずぱちぱちと瞬きを繰り返すジジの耳に、小屋の扉が開かれる音が聞こえてくる。そちらを見遣れば、見慣れた三つ子の面々のうちの一人が、そこに立っていた。


「ティエンさん?」


おそらくはリェンファの指示で席を外しているのだろう彼がわざわざやって来るなんて、何かあったのだろうか。

そうジジが首を傾げると、三つ子の一人――つまりは長男であるティエンが、その暗い藍色の瞳を瞠ってジジのことを見つめていた。いつも鉄壁の無表情を誇る彼にしては随分と珍しい表情だなぁと更に首を傾げると、そんなジジのことを見ながら、リェンファもまた目を丸くして首を傾げてくる。


「オマエ、三つ子を見分けられるノ?」


その質問の意味が解らなかった。

それはどういう意味だろう、と思いながらも、ジジはリェンファとティエンの顔を見比べながら眉尻を困ったように下げる。


「見分けるも何も、全然違うと思うんですけれど……」


間違えようなどないと思うのだが、何か自分はおかしなことを言っているだろうか。それとも、もしかしたらそこに立っているのはティエンではなくてハァイか、あるいはリオウなのだろうか。いやいやそんなはずはない。そこに立っているのは間違いなくティエンである。わざわざその口を開いてもらってそれぞれの口調で確認しなくても、まとう雰囲気がこんなにも違うのだから、誰だって慣れればすぐに見分けられるだろう。

何をそんなにも二人は驚いているのかと疑問符を浮かべるばかりのジジを、しばし見つめていたリェンファとティエンであったが、やがて二人は顔を見合わせる。

リェンファはくつりと笑い、ティエンはわずかに肩を竦めてみせた。そのやりとりの意味をジジが理解するよりも先に、リェンファが口を開く。


「ティエン。オマエのことをワタシは呼んだつもりはないんダケド」

「失礼致しました。急を要する件でして」

「フゥン? ソレで?」

「若を、客人がお待ちです」

「客?」


珍しく言葉数の多いティエンに対し、リェンファの整った眉が訝しげにひそめられる。ジジもまた首を傾げた。

太陽はとうに日が沈み、不夜城と呼ばれるこのトゥーランドットに火が灯る時間だ。高級娼館リアーヌの本領が発揮される時間である。誰もが忙しくなるこの時間にわざわざ、リアーヌの主人たるリェンファを、事前の連絡もなしに訪ねてくる相手などそうはいないだろう。

どんな相手なのか気にならないと言えば嘘になるが、だからと言って今の自分の立場でその相手について言及できる訳もなく、ジジはただリェンファとティエンのやりとりを見守ることしかできない。

リェンファが無言でティエンに、言葉の先を促す。いつも以上の無表情で、ティエンは続けた。


「ヴィルフォール氏と、そのご息女、オリヴィア嬢が、若にお会いしたいと」

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