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鍋運びのジジ  作者: 中村朱里


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22/25

22.私の知らないこと

たった一言の、何の飾り気もない謝礼の言葉だったが、カロリーヌのその「ありがとうございます」には万感の思いがこもっているようだった。

少なくともジジにはそう思えてならなかった。だからこそジジは、笑みを含んで力強く頷きを返した。

そんなジジの態度に安堵したらしいカロリーヌは、ソファーから静かに立ち上がった。


「それでは、少しばかりお茶でもご一緒にいかがですか? もちろん、リェンファ様もご一緒に」

「え」

「随分お待たせしてしまいましたから、きっとご機嫌を損ねていらっしゃると思いますの。あの方は待たされるのが本当にお嫌いな方ですから」


困った方でしょう?と続けつつも、眉尻を下げて微笑むカロリーヌの表情には、隠し切れない慈愛がにじみ出ていた。結局カロリーヌは、リェンファのことがかわいくて仕方がないに違いない。

ジジにとっては見た目ばかりが綺麗で中身は性悪というか悪辣というか意地悪というか……いやそればかりではないことをなんとなく教えられてしまったのでそうとばかりは言えないが、まあとにもかくにも、総括すればとんだ災厄のような青年であるが、カロリーヌにとっては敬愛する主人が残した愛しい子供であるのだろう。そしてだからこそ、その愛情がカロリーヌを苦しめているというのならば、随分と皮肉が利いているものだ。

好きだから。愛しているから。それだけでは駄目なのだろうかと思ってしまうジジは、きっとまだまだものの道理の解らない『子供』でしかなくて。そして反対にカロリーヌは、あまりにも道理を解りすぎている『大人』で。

リェンファとランファの望みを叶えるにはきっとどちらも必要なのだろうけれど、そう簡単に物事が進む訳がない。

足して二で割ればちょうどいいのかな、などと考えるジジを余所に、楚々とした微笑みを深めたカロリーヌは、優雅な一礼と共に「少しお待ちくださいね」と言い残して、部屋から出て行った。広く静かな部屋に残されたのは、ジジ一人きり。

そこでようやくジジは、大きく息を吐き出した。気が付かない内に、自分は随分と緊張していたらしい。

がちがちに凝り固まっている身体をほぐすように大きく両腕を天井へと向けて伸びをしてから、ジジはもう一度、先程よりは小さな溜息を吐く。その溜息は、静謐が満ちる部屋の中に溶け、何を残すこともなく消え失せた。


「……私、何してるんだろ」


誰にともなく呟いた台詞に対する答えは無論ない。思えば随分遠いところまで来てしまったものだと、今更ながらジジはそう思う。何故こうなったのか。こうなってしまったのか。そう自問して、すぐにジジは答えを得た。すべては、自業自得であると。

リェンファには先日思い切り啖呵を切ってしまったし、カロリーヌにはつい先程、それこそ「自分に任せてほしい」というような意訳がされてしまっても何一つ文句が言えないことを言ってしまった。

これまた今更ながら、自分の浅慮さにジジは頭を抱えたくなった。というか実際に抱えた。これは非常に困った事態である。どうしよう。

だって、ジジはリェンファの望みをそのまま叶えることに、未だに抵抗がない訳ではないのだ。抵抗がないどころか、正直今でも賛同しかねる思いである。それは、カロリーヌから、ランファ・リーという存在のことを聞き、彼女が成そうとしたことをリェンファが受け継ごうとしていることを聞いてもだ。

ただリェンファの性別を『女性』に公式上は変えるとして、本当にそうすることができたとして、それで、本当に――本当に、それだけでいいのだろうか。

カロリーヌの様子から察するに、彼女はあまりリェンファが『女性』になるということに賛同している訳ではないようだ。

それは彼女もまた自然の摂理に従う魔女であるから、という理由ばかりではなく、彼女はそのままのリェンファを慈しみ、そしてその母であるランファの遺志を尊びたいと思っているから、という理由もあるのだろう。

ならばリェンファの部下であるあの三つ子はどうだ。ティエンも、ハァイも、リオウも、言い方こそ違えど、リェンファが首領になることを望んでいるようだった。そのためにリェンファが性別を変えようが構わないと。それがリェンファの望みであるならと。

と、そこまで考えて、はたとジジは首を傾げた。リェンファの望み、だと?


「……本当に?」

「ナニが?」

「ひゃぅっ!?」


突然思考に割り込んできた声に、ジジは思い切り身体をびくつかせてしまった。ソファーの上で、座ったまま見事に跳ねてしまった。まるで水揚げされた魚のような反応をするジジの耳に、くつくつと喉で笑う声が聞こえてくる。


「怪我してても元気そうで何よりだネ」

「ええ、本当に。ジジさん、お茶をお持ちしましたよ。もちろん、お茶菓子も」


気が付けば、開け放たれた扉の向こうに、リェンファと、ティーセットの乗ったカートを押すカロリーヌの姿があった。若き美貌の青年と、そんな彼に仕える気品あふれる老婦人といった姿に思わず息を飲むジジをよそに、リェンファはすたすたと部屋に入ってきたかと思えば、そのままどさりとジジの隣に腰を下ろした。

もはや反射的にびくりとするジジを、リェンファの、眦に朱の乗る黒瑪瑙の瞳がちらりと見遣る。


「随分と楽しく話し込んでいたみたいりだケド、何の話をしていたノ?」

「え、あ、えと、い、色々……です」

「フゥン?色々、ネェ」


涼やかな目元を意味ありげに細めて、何やら含むものがある言い振りでジジの言葉を反芻するリェンファに、ジジはかろうじて曖昧に笑ってみせた。

そんなジジのぎこちない笑顔をしばし眺めていたリェンファは、やがて興味も失せたのか、そのまま視線を前方へと移して、いそいそとテーブルにティーセットを移動させているカロリーヌへと向ける。

ようやくリェンファの視線から解放されたジジは、ほっと気付かれない程度の大きさの、小さな吐息を漏らした。

おそらく、というか確実に、カロリーヌが先ほど語った内容は、リェンファにとっては『余計なこと』であるに違いない。先代ヘイロン首領、ランファ・リーの物語は、そのまま今のリェンファに繋がるものだ。その因縁をジジが知ったことを、きっとリェンファは面白くは思わないだろう。カロリーヌにだってそれが解らないはずがないというのに、彼女はジジに語り聞かせてくれた。

その意味を、そこから出すべき答えを、ジジはきちんと考えて、そして得なくてはならない。


「どうぞ、ジジさん。お好きなものをお召し上がりになって。紅茶にミルクは必要かしら?」

「っ、あ、はい! わ、綺麗……!」

「ふふ、ラベルオテロ自慢のアフタヌーンティーですわ」


カロリーヌに声をかけられ、ジジはとりあえず考えることを放棄して、目の前のきらびやかなティーセットに心を明け渡すことにした。ジジが思わず歓声を上げると、そんなジジの反応に、微笑ましげにカロリーヌも相好を崩した。

白磁に青の顔料で柔らかなタッチで花の柄が描かれたティーセットに、空に伸びる木々の枝場を模した銀の枠に支えらえた三段重ねのケーキスタンド。そのスタンドに乗っているのは、愛らしいパステルカラーのマカロンや、かわいらしいプチケーキ。キッシュやスコーンは香ばしくきつね色に焼き上げられ、サンドイッチはこれもまた様々な種類があり、その挟まれた具の彩りが美しい。その他にも、蜜漬けにされ鮮やかな色になった果物が乗るクッキーや、ドライフルーツ、ナッツなど、ちょっとしたつまみまで完備されているティーセットに、ジジは現在の状況がどうういうものであるのかもすっかり忘れて、うっとりと見入ってしまった。

ジジとてウィッチ・ゾーイやイチイと共にアフタヌーンティーを楽しむことはあったが、ジジの手作りの茶菓子ではここまで繊細には作ることは叶わない。ウィッチ・ゾーイやイチイがこの場にいたら、さぞかし喜んだに違いないのに、と思うと、つきんと胸が痛んだ。

その痛みに気付かないふりをして、ジジはさっそくマカロンに手を伸ばす。だが、ジジの手がそのまま淡いグリーンのマカロンを摘まみ上げることはできなかった。


「え」

「……」

「リェンファ様?」


今にもマカロンに触れようとしたジジの手を、横のリェンファが無言のまま掴んだのだ。その細腕のどこにそんな力があるのかと訊きたくなるほどに強い力で掴まれ、ジジは自分の手を前に出すことも、逆に身体の方に引き寄せることもできずに固まった。

何か自分はまずいことをしてしまっただろうか。そんなつもりはちっともない……のだが、リェンファにとってはそうではないことを何度も今日までやらかしてしまったジジは「ひぃ!」と内心で悲鳴を上げ、唇の端を引きつらせる。

恐る恐るリェンファの顔を見上げれば、彼の黒瑪瑙の瞳は、ジジのことなど見てはいなかった。黒瑪瑙の瞳がゆっくりと眇められ、そうして彼は紅い唇に弧を描く。


「カロリーヌ。オマエも耄碌したネ?」


え、いきなりすごい失礼。と、ジジは思った。

耄碌だなんて、カロリーヌのように美しく毅然とした貴婦人からは最も程遠い言葉であるように思えてならない。

どういうことかと訝しげに首を捻るジジの手を解放したリェンファは、フン、とつまらなそうに鼻を鳴らす。リェンファのその反応に、きょとりとエメラルドの瞳を瞬かせていたカロリーヌの顔色が、さっと変わった。


「まさか……っ!」

「そのまさかヨ」


信じられないと言いたげにカロリーヌが漏らしたその台詞に、冷ややかにリェンファが口添える。短いその一言に、カロリーヌの表情が変わった。それまでの穏やかな、優しげな微笑みから一変して、冷たく近寄りがたい、冷徹なヘイロンの門外顧問の表情になる。


「申し訳ありません、リェンファ様。わたくしの不始末です。すぐに手を回します」

「ウン、そうしてくれるカナ」

「かしこまりました。ごめんなさいね、ジジさん。わたくしは席を外させていただきます。こちらのティーセットには、決して手を出さないでくださいませ」

「は、はい」


ドレスの裾を持ち上げて優雅に一礼したかと思うと、すぐさまカロリーヌは踵を返して部屋から出て行った。残されたのはジジとリェンファの二人きり。二人並んでソファーに座っているだけという居心地の悪さといったらない。

口慰みに目の前のきらびやかなティーセットに手を伸ばしたくても、カロリーヌに釘を刺されてしまってはそうすることもできない。

結局ジジは、膝の上に両手を置いて、そっとリェンファに声をかけることにした。


「あの……?」

「毒だヨ」

「へ」

「だから、毒。何度も言わせないでくれるカナ?」


至極面倒くさそうに、億劫そうに言われたその台詞に、ジジはゆっくりと目を瞬かせ、そうして、そのまま大きくそれを見開いた。


「――毒!?」

「うるさいヨ」

「す、すみません」

「解ればヨロシ」


ジジがひっくり返った声を上げると、わざとらしく両耳を手で塞いで、じろりとリェンファはジジのことを睨み付けてきた。それが単なるポーズであることは解っていても、リェンファほどの凄絶な美貌の持ち主に睨まれるとそれなりどころではなく怖い。怖すぎる。

ひえ、と身体を竦ませるジジに、リェンファは溜息を吐いて、テーブルの上に並ぶきらびやかなティーセットの中の、そのカップを指先で弾いた。リェンファの長く美しく整えられた爪と、薄い磁器がぶつかり合い、かすかな音を立てる。


「ワタシを狙ったんデショ。別に珍しくもないネ」


淡々と、面白くもなさそうに、ただ事実を語っているだけだとでも言いたげにリェンファは続ける。ジジは混乱しつつも、何故リェンファがこのティーセットに毒が入っているのか解ったのかが不思議だった。ジジのその疑問は解りやすく顔に出ていたらしく、リェンファは仕方がないと言いたげに溜息をまた吐いて、手近なカップを持ち上げた。


「ホラ、底を見てみなヨ」

「……?」


促されるままにそのティーカップの底を覗き込めば、琥珀色の紅茶で満ちたその最深部に、鳥の模様が浮き上がっていた。細いくちばしを持つ小鳥の形に、カップの底が黒ずんでいる。


「トラツグミの報せだネ。特殊な顔料を使って、薬物に反応するようになってるんだヨ。解りやすいデショ?」

「は、はぁ」


そうですね、とここであっさり頷いていいものなのか、ジジには大変悩ましい問題だった。リェンファはさらりと言ってくれるが、そんなにもあっさりさっくりと語っていい内容なのだろうか。たぶんおそらくきっと違うと思うのだが。

けれどそれをジジが言っても何も始まらないことも解っていたため、ジジはティーカップをテーブルに戻すリェンファに続けて問いかけた。


「あの、珍しくない、って、その、ヴィルフォールっていう人のせいじゃないんですか?」

「別にヴィルフォールに限らないヨ。ワタシのコトを邪魔に思ってる奴らなんてごまんといるカラネ。そもそもヴィルフォールはワタシを排除したいんじゃなくて利用したいんダシ。だから今回は別口だろうネェ。まさかこのラベルオテロの中で事を起こそうとする奴がいるとはまだ思ってなかったケド。マァ、リアーヌでも最近多いから、そう驚くまでもないヨ。おかげで最近まともに食事にありつけてないから困ったものダネ」


困った、と言いつつ、ちっともそう思っているようには聞こえない声音であり、口調だった。お腹が空いたヨ、とうそぶく冗談混じりの台詞に、しばしジジは思考が停止した。

食事にありつけていない、とは。そんなこと、知らなかった。知ろうともしていなかった。

だって、この人は、リェンファは、何でも持っている人で、何でもできる人だと、勝手に思っていたから。食事に困っている姿なんて、これっぽっちも想像できない。

そう、想像すらしていなかったのだ。


「ごはん、食べてないんですか?」

「ン? ……アー、お嬢サンのレシピ、そういう訳で使ってないんだヨネ。いくらまともなレシピでも、作る奴がまともじゃない奴ばかりダカラ。ウン、ゴメンネ?」

「…………」


実に適当な謝罪の言葉だった。自分が悪いだなんて、リェンファはリェンファでこれっぽっちも思っていないのだろう。そうだ。リェンファは悪くない。きっと悪くない。

だから仕方ない――と、それでジジが納得すると思ったら、大間違いだ。


「リェンファさん」

「――――ン?」


ジジの声が常よりも明らかに低くなっていることに気付いたのか、リェンファは首を傾げた。その肩口に乗っていた緩い三つ編みがするりと背に落ちる。普段ならばその些細な動きにすら目を奪われていたに違いないが、今のジジはそうではなかった。それよりももっと優先すべきことが、許せないことが、目の前の青年にはあるのだから。


「帰りましょう。買い物をしてからになりますけど」

「アァ、ハイハイ。薬の材料ならまた後でネ」

「はい、後でいいです。私が欲しいのはもっと別の材料ですから」

「……ンン?」


訝しげにゆるりと再び首を傾げるリェンファをよそに、ジジはソファーから勢いよく立ち上がった。

その勢いに驚いたように目を瞬かせるリェンファの鼻先に、びしっ!と人差し指を突き付けて、ジジは今までになく強気に宣言する。


「健全な肉体は健全なごはんから。お財布、お願いしますね」

「…………どういうコト?」


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