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鍋運びのジジ  作者: 中村朱里


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20.おとぎ話になれなかった昔話

ウィッチ・ゾーイほどではないにしても、それでもジジよりもずっと長くを生きてきたに違いない老婦人、カロリーヌのエメラルドのような瞳には、ジジには侵し難く感じられてならない、確かな炎が宿っていた。その炎を人は、決意と呼ぶのかもしれない。

そんな炎を瞳に、そしてその胸に抱くカロリーヌが語りたいという話。それは先代ヘイロン首領、ランファ・リーの物語であり、その息子であるあの青年――リェンファ・リーに繋がる話であるという。


何故突然カロリーヌがそんなことを言い出したのか、ジジにはさっぱり解らなかった。「聞いてもらえないか」と問われて、頷きを返したものの、それは自分が利いていい話なのだろうか。

そういえばリェンファは、別れ際にカロリーヌに言っていたではないか。「余計なことは言わないように」と。今からカロリーヌが語ろうとしている話は、その“余計なこと”の範疇に入ってしまう話なのではないかと、はたと気付いたジジは情けなく両方の眉尻を下げた。

どうしよう。そんなジジの思いは解りやすくありありと顔に描かれていたらしい。カロリーヌはくすくすと、そのたおやかな手を口元に寄せて上品に笑った。


「本当に、ジジさんはお人好しというか……いいえ、ただきっと、貴女はただただとてもお優しいのですね」


褒められている、のだろうか。貶されているような気もした。けれどどちらであったにしても、ジジは嫌な気分にはならなかったので、曖昧に笑ってごまかすことにした。

カロリーヌはひとしきり笑った後、ふいにそのかんばせから笑みを消した。凛としたその表情にどきりとするジジの顔を覗き込み、彼女はやはり決意を秘めた声音で続ける。


「そんな貴女だからこそ、わたくしは知ってもらいたいのです。ランファ様のことを。そしてそれ以上に、リェンファ様のことを」


その言葉に、ジジは青灰色の瞳をぱちりと瞬かせた。

先代ヘイロン首領、ランファ・リー。そしてその息子、現ヘイロン幹部にして高級娼館リアーヌの主人、リェンファ・リー。二人に関してジジが知っていることなど、よく考えてみなくてもこれだけだ。たったこれだけなのだ。別にそれで構わないと思っていた。というか、意識したことすらなかった。知りたいなんて思いもしなかった。それこそ、今日、リェンファと一緒に街道を歩いている時、自分が本当は、まだ知らなくてはならないことがあるのではないかと、ふいに気付いた、その瞬間まで。

そのジジの『知らないこと』を、『知らなくてならないこと』を、目の前の貴婦人こそが教えてくれる。ジジはそんな気がしてならなくて、無言のままカロリーヌの言葉の先を視線で促した。


「ランファ様が先代ヘイロン首領に就任された経緯はご存知ですか?」


ぱちり。ジジはもう一度瞳を瞬かせた。まさか一番最初に質問が飛んでくるとは思わなかった。慌てて姿勢を正し、ええと、とジジは言葉を紡ぐ。


「先々代首領の方が病に斃れたから、くらいしか……」

「ええ、その通りです。先々代首領、アラーイス・アル・ニール様のご遺言により、ランファ様はヘイロンの首領となられました」


カロリーヌはジジの言葉を否定することなく穏やかに肯定した。「その通り」という言葉に、自分の答えが間違っていた訳ではなかったらしいことに、ほっとついつい安堵するジジを、カロリーヌは微笑ましそうに見つめてくる。

そしてそのエメラルドの瞳が、今となっては過去となってしまった記憶を覗き込むように、今はもうどこにもいなくなってしまった誰かを思い出すかのように、遠くを見つめるそれになる。


「ランファ様は、本当に、本当にお美しい方でした。リェンファ様と瓜二つと言っても過言ではありません。艶めく黒檀の髪、黒瑪瑙の瞳、雪のように白い肌、血のように紅く色づく唇――それこそ、絵物語に出てくる美し姫すら、あの方の前では膝を折るに違いないと思わせられるほどに」


うっとりと、その白い頬を薔薇色に染めてかつての主人を語るカロリーヌの姿は、まるで初恋を語るいとけない少女のようだった。いいや、『かつての』ではない。今も昔も、カロリーヌにとってはランファこそが唯一無二の主人なのだろう。彼女の声音は、ジジにそうと思わせるだけの確かな熱を孕んでいた。


「けれどその美しさこそが、ランファ様にとっては最大の不幸であったのでしょう」


そして、凪いだ湖面に小石を投げ込むかのように、ぽつりと続けて落とされたその台詞は、ジジとカロリーヌしかいない静寂が支配する部屋に波紋を描く。その波紋は、大きく円を描いて部屋に広がっていく。


「愛し愛されて育てられるはずだった美しい少女は、心無い人買いにさらわれて、この異国の地にまで連れてこられました。そして、当時からその名を馳せていた娼館リアーヌに売り飛ばされたのです」


それはよくある話だ。この世界のどこにでも転がっている、わざわざ語り聞かせるまでもない、とても小さくて、些細で、そして残酷な、よくある話。

けれどその話はただの話に終わらずに、ひとつの物語が始まるきっかけになった。巨大闇ギルドたるヘイロンの首領、ランファ・リーの、始まりの物語。


「そこでランファ様は、当時既にヘイロンの首領でいらしたアラーイス様に見初められました。アラーイス様はリアーヌの高級娼婦であったランファ様を見受けされ、自身の妻とした彼女にリアーヌの主人という立場をお与えになりました」

「い、いきなりそこまで……?」

「ええ、いきなりそこまでです。アラーイス様のランファ様へのご寵愛ぶりは、誰もが目を瞠るようなものでした。その当時のわたくしは、既にこのラベルオテロの次期代表になることが決定しておりましたが、そんなわたくしに、アラーイス様はランファ様のお世話を命じられたのです」

「この上更にそこまでなんですか……」

「はい。この上更にそこまでなのです」


ころころと笑うカロリーヌに、ジジは半分引きつった笑みを返すことしかできなかった。

カロリーヌの話から察するに、当時からカロリーヌの立場は、ヘイロンにおいてかなり重要な立ち位置であったはずだ。そんな彼女を世話役に任命するだなんて、それは少しやりすぎなのではないかとジジは思った。

それほどまでにそのアラーイスという男性は、ランファという女性のことを愛したのか。一介の娼婦をその娼館の主人の座に据えるくらいなのだから、その寵愛ぶりも窺い知れるといったものだが、それにしても。


――ああ、でも。


でも、そうするだけの必要があったのかもしれない。そうしなければならない理由が、きっとあったのだろう。

ただヘイロン首領の妻という立場だけでは、ランファを守るにはきっと足りなかったのだ。カロリーヌという存在を味方につけることで、アラーイスはランファの護りを固めようとしたのか。

そうなんとなく理解するジジのその想像など、カロリーヌには手に取るように解ったのだろう。しかり、とでも言いたげに、カロリーヌは微笑んで頷いた。


「ランファ様は、それはそれは素敵なお方だったのですよ。冷酷無比と恐れられたアラーイス様が骨抜きにされたのも納得できるものだとわたくしは微笑ましく思ったものです。強く、美しく、慈悲深くいらしたランファ様は、その不幸な境遇の中ですら、その名の示す通りに艶やかに咲き誇る大輪の蘭の花のようなお方でした。女としてのわたくしは、ランファ様のことを心から敬愛しておりますが、もしもわたくしが殿方の身に生まれついておりましたら、きっとアラーイス様と恋の鞘当てをしたに違いありませんわ」


くすくすと楽しげに過去を懐かしむカロリーヌのその笑みに、どこか寂しさが感じ取れるような気がしたのは、気のせいなのか。思わず神妙な顔つきになるジジに、カロリーヌはその笑みを困ったように変えて――そして、またぽつりと、囁くように続けた。


「アラーイス様は、ランファ様を、心から愛していらっしゃいました。ですが、ランファ様にとっては、アラーイス様はご自身から何もかも奪った憎き男であったのです」

「……!」


それは。それは、なんて皮肉な話なのだろう。

だっておとぎ話の中では、美しいお姫様は、自分を救ってくれた王子様と恋に落ちるのに。愛し愛され、新たな愛を育むのに。

けれどそれはあくまでも物語の中の話であることを思い知らされる。

故郷からさらわれたのも、娼婦になったのも、そうしてヘイロン首領に見初められたのも、ランファにとっては物語なんかではない現実だった。受け入れ難い、許し難い、紛れもない残酷な現実でしかなかったのだ。


「そんな中で、ランファ様は身籠られました。それからのランファ様は、人が変わってしまったかのようでした。それまで使っていた公用語をお捨てになり、母国のお言葉しか話されなくなり、アラーイス様を拒絶して。わたくし以外に誰も側に近寄らせようとはしませんでした」


それこそまるで、美しく誇り高い獣のような姿であったとカロリーヌは語る。常に毛を逆立て、牙を剥き出しにして、自分自身に、そして孕んだ我が子に、誰一人として近寄らせまいとでもするかのように。


「そうして、ランファ様はご自分に瓜二つの、玉のようなご子息を産み落とされました」

「それ、が」

「はい。リェンファ様です」


ジジの脳裏に、あの黒衣の美しい青年の姿が浮かんだ。眦に朱の乗る、美しい黒瑪瑙の瞳に宿るあの光が、何故だか今は思い出せなかった。

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