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2.優しき食卓

不穏なる様相を呈していた鍋の中身を片付け、水場で綺麗に鍋を洗い流した後、ようやくジジは本日の夕食の準備に取り掛かった。


今夜のメニューは、とろみをつけた野菜のソースがかけられた白身魚のムニエルをメインに、焼き目のついたチーズが香ばしいナスとズッキーニのグラタン、淡い黄色が美しいコーンスープ、そして焼き立てパンである。

ほかほかといかにも食欲をそそる匂いを立ち上らせる料理の数々を前にして、ウィッチ・ゾーイの孫である天使の美少年、イチイは、深い色をしたアメシストの瞳をきらきらと輝かせた。


「やった、コーンスープだ。ねえジジ、おかわりはある?」

「あらあらイチイ、まだ食べてもいないのにもう次の心配?」

「だってお祖母様、先に言っておかないと僕の分まで食べちゃうじゃん」

「美しくあるためにはおいしいものがたくさん必要なのよ」

「僕だって大きくなるためにはおいしいものがたくさん必要なんだけどな」


いつもと同じ、ぽんぽんと打てば響くような祖母と孫の会話に、ジジは思わず苦笑する。毎度のことながら、つくづく仲の良い二人である。

ジジがこの屋敷にやってきて、三人で暮らし始めたばかりのころは、三人が三人とも必要以上に喋らないために沈黙ばかりの食卓が続いていたのに。それがいつの間にか、こんな風に和気あいあいとした雰囲気に満ちた食卓を囲めるようになった。イチイの語彙が増えたせいもあるし、ジジに遠慮がなくなってきたせいもあるし、ウィッチ・ゾーイは……まああまり変わらないが、とにかく、この五年間で、この屋敷はいい方向に向かっているのではないかとジジはこっそり思っている。


それが自分のおかげだなんておこがましすぎることはこれっぽっちも思っていないけれど、それでも、イチイとウィッチ・ゾーイが作る輪に自分の存在もまた加えてもらっていることが嬉しい。


ジジにとってはもう家族以上に大切な存在になっている二人は、そんなジジの内心の呟きに気付く様子もなく、意気揚々としてそれぞれダイニングテーブルの椅子に座る。

続いてジジも席に着くと、ウィッチ・ゾーイはその妖艶なる美貌に艶然とした笑みを浮かべて、白くたおやかな手をテーブルの上で組み合わせた。


「さて、それじゃあ頂きましょう。世界の恵みに」

「「世界の恵みに」」


ウィッチ・ゾーイに言葉をイチイと共に復唱したジジは、ウィッチ・ゾーイのワイングラスに白ワインを注ぎ、イチイのカップにはレモン水を注いだ。そして自分のグラスにも続けてレモン水を注ぎ、それを口に運びながら、二人がそれぞれ料理にカトラリーを伸ばすのを見守る。

ウィッチ・ゾーイはムニエルを、イチイはコーンスープを口にして、それぞれ、そのどこか冷ややかな印象を抱かせるよく似た凄絶なる美貌を柔らかく綻ばせる。花の蕾がほころぶ瞬間を切り取ったかのようなその表情に、胸の内に安堵が広がっていくのを感じながら、ジジはもう一度レモン水で唇を湿らせ、グラタンにフォークを突き刺した。


ジジはウィッチ・ゾーイとイチイと共に過ごす、こういう和やかな食事の時間がとても好きだった。

自分の料理で二人が笑顔になってくれることが嬉しかった。どうやら今日のメニューも好評のようだ。早くも明日の朝食はどうしようかな、なんて考えてしまう。


ウィッチ・ゾーイの弟子としては出来損ないの『鍋運び』で、イチイの子守役としてはどちらが世話をされているのか解らないのが現状であることを思うと、こうして家政婦としてなら少しくらいは役に立てることはせめてもの幸いだ。

そんな風にジジが思っていることをウィッチ・ゾーイやイチイが知れば、「もっと胸を張って自信を持て!」と言われるに違いないけれど。ウィッチ・ゾーイが有無を言わせない笑顔で、イチイがその年齢に見合わない迫力の怒り顔で、そう自分に一喝してくる様子を考えるだけで、そのこそばゆさに笑みが零れる。


自身の想像に頬を緩ませながら食事を進めるジジと、早くも自らコーンスープのお代わりをスープ皿に注いでいるイチイを、ウィッチ・ゾーイはワイングラスを片手に見つめている。

なんだろう、とジジがフォークを動かす手を止めると、それを合図にしたかのように、ふいにウィッチ・ゾーイは「ああそうだわ」と呟いた。いかにも今思い出しましたとでも言いたげな声音だった。


ジジの青灰色の瞳と、イチイの紫の瞳がウィッチ・ゾーイの元へと向けられる。二人分の真っ直ぐな視線を笑顔で受け止めて、ウィッチ・ゾーイはその紅の刷かれた唇を開いた。


「言い忘れていたけれど、明日から私、しばらく留守にするわね」


その唐突な台詞に、青灰色の瞳と紫の瞳が揃って大きく丸くなる。

別に、ウィッチ・ゾーイが外出すること自体はそう珍しいことではない。この屋敷は町はずれの森の最奥にこっそり、そしてひっそりと……というにはあまりには堂々と居を構えている。

王都の貴族にも負けず劣らずのこの屋敷には人除けのまじないがウィッチ・ゾーイの手でかけられており、当然来客は限られている。そのため、日々の食事の材料や日用品の類は町から取り寄せるのではなく、自分達が森から出て町へ買い物に出かける必要があるのだが、その役目は主に、ジジとイチイが二人で協力して担っていた。


対するウィッチ・ゾーイはと言えば、はっきり一言で言ってしまえば、『引きこもり』。この一言に尽きる。曰く、「外出って面倒なのよね」とのことであるが、そんな彼女が自ら外出する機会と言えば、贔屓の仕立て屋に新しいドレスをオーダーにしに行ったり、宝飾店で装飾品を買い求めに行ったりすることくらいで、基本的に滅多に外出しないというのがジジの認識だった。

それ以外のウィッチ・ゾーイの外出はと言えば、町のギルドから秘密裏に依頼を受けて、魔女としての職務を果たすために、この隠された本宅である屋敷から、町の外れに居を構える小さな占い小屋に出向くくらいである。


ウィッチ・ゾーイが『魔女』として外出することは、これまでももちろん何度もあった。だが、その多くは日帰りのものであり、もし日を跨ぐ場合においては、ウィッチ・ゾーイは、ジジとイチイを伴って出かけるように努めている節があった。

にも関わらず、先程の台詞から察するに、今回はウィッチ・ゾーイはどうやら一人で出かけるつもりらしい。それも、数日に跨って。それだけ大きな依頼なのだろうか。もしやジジやイチイを側に置いておくことができないほどの危険を伴う仕事なのか。

そんな不安がジジの心に凝る。そしてそれはジジの表情にそのまま表れていたらしい。くすくすとウィッチ・ゾーイは笑って、その手のフォークを皿の上に休めた。


「そんな顔をしないでちょうだい。大したことじゃないわ。そろそろ集会の時期でしょう? 今回の集会はスカーレットが主催するから、ジジとイチイと一緒に行くのは少し、ね」

「ああ、あの赤いおばさん? まだ僕らにグダグタ言うつもりなんだ。よっぽど暇なんだね」

「こら、イチイ。いくら本当のことでもそういうことは胸に秘めておきなさいな。スカーレットに聞かれたらそれこそまたグダグダ言われるわよ」

「別に僕は何を言われても気にしないよ。それよりジジが馬鹿にされることの方がムカつくね」


フンッと鼻を鳴らしてパンを頬張る少年に、ウィッチ・ゾーイはまたくすくすと笑い、ジジはなんとも言い難い表情を浮かべた。こういう時、まだ十歳のイチイの方が、今年十九になる自分よりもよっぽど頼りになるとジジは思う。ウィッチ・ゾーイに初めて紹介された時からそうだった。ウィッチ・ゾーイにそっくりな、天使のような美少年は、賢く聡く、そして割と冷静に残酷である。


ジジの脳裏に浮かぶのは、燃えるような豊かな赤毛を後頭部で一つにまとめ、キャッツアイのような金色と褐色が入り混じる印象的な瞳を輝かせる、赤の魔女と呼ばれる魔女の姿だ。その名を、ウィッチ・スカーレット。

何かとウィッチ・ゾーイをライバル視してくる彼女とジジが顔を合わせたことはほんの数回ほどだ。前触れなくこの屋敷にやってきてはウィッチ・ゾーイに勝負を挑み、そのたびにこてんぱんに負かされては半泣きで帰っていく彼女のことは、実に印象深い。

その腹いせなのかは解らないが、彼女は、事あるごとにジジやイチイのことをお荷物扱いしては馬鹿にしてくる、なかなかに大人げがないところがあった。思えば、ジジのことを『鍋運び』と呼び始めたのは彼女が最初であったのだったのではなかったか。


出会い頭に「なぁに、この貧相な小娘は? こんな鍋運びくらいしかできそうにない小娘を弟子に取るなんて、ゾーイも耄碌したものねぇ」と言われたことは記憶に新しい。


ちなみにその後、そんなウィッチ・スカーレットに思い切り手作りの泥団子を渾身の力を込めてイチイが投げつけていたことも、それをウィッチ・ゾーイが腹を抱えて笑いながら眺めていたことも、ジジはしっかり覚えている。

その、赤の魔女、ウィッチ・スカーレットが主催する魔女集会。なるほど、ジジやイチイが参加するには向かないだろう。


そもそも魔女集会というものは、魔女同士の情報交換の場として定期的に催されるイベントである。そしてその魔女集会は、まだ年若い魔女見習いである弟子達にとっては、魔女同士の交友関係を広めるための重要な機会でもある。

それを思えば、ジジもまたウィッチ・ゾーイの弟子として、魔女集会に参加すべきなのであろうが……いかんせん、主催者との相性が悪すぎる。出席したが最後、主催者であるウィッチ・スカーレットを筆頭にして、自分が散々馬鹿にされるであろうことくらい、あまり頭の回転が早くないジジでも理解できた。


鍋運びと言われようがジジは今更気にしない。繰り返すが、本来ならばジジも集会に参加すべきなのだ。

けれど、もし参加したら、不出来な弟子を持ったウィッチ・ゾーイまで嘲られることになってしまうのではないか。参加しなくても、「鍋運びしかできない弟子を連れ出せないのだろう」とウィッチ・ゾーイは馬鹿にされてしまうのではないか。どちらであってもジジには辛すぎる選択だ。


思わず無言になって俯くと、ジジの一つに束ねた長い銀髪を、ウィッチ・ゾーイの指が梳いていく。恐る恐る頭を持ち上げれば、そこにはとても輝かしい、金の魔女と呼ばれる師の笑顔があった。


「そんな顔をするものじゃないわ。大丈夫よ。スカーレットは私が適当にあしらっておくから。貴女はイチイと一緒にいい子にお留守番していて。イチイ、ジジのこと、頼むわね」

「もちろん。任せてよ、お祖母様」


にっこりと祖母そっくりの美しい笑顔で頷くイチイに、ジジはがっくりと項垂れることしかできなかった。

ウィッチ・ゾーイ。ここは私に「イチイのことを頼むわね」と言うところではないんですか。

そう問いかけたくなるが、今までの経験上、イチイに「だってジジより僕の方がしっかりしてるでしょ」と諭されることが目に見えていたため、結局ジジは黙ったまま目を伏せた。沈黙は金。先人の言葉は偉大である。

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