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鍋運びのジジ  作者: 中村朱里


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16/25

16.私の知らないこと

まだ灯が入れられていないというのに、その色とりどりの色彩豊かな色ガラスに透ける陽光が灯る街灯は、それだけで見る者を楽しませる。

行き交う人の群れは忙しなく、時折馬車がその群れの間を縫うようにしてどこかのんびりと進んでいく。

街道に所狭しと並ぶ店のその前では店主が威勢良く客を呼び込み、店先を覗き込む母親に手を繋がれた子供が他の子供ときゃらきゃらと笑い合う。

吟遊詩人が竪琴をかき鳴らしかつての英雄譚を歌い、大道芸人が何もなかったはずの片手に花を咲かせて一礼し喝采を浴びる。


そのすべてに、何もかもに、ジジは圧倒されていた。こんなにも人があふれている場所になんて来たことがなかった。

ここは歓楽街トゥーランドットを内包する王都でも有数の市場、通称『ロッシーニの台所』である。


「お嬢サン。ボーッとしてると置いてくヨ」

「っあ、は、はいっ!」


トントン、と横から肩を叩かれたジジはびくりと肩を震わせて、慌てて頷いた。そちらを見遣れば、微笑みつつも、本当に解っているのかとでも言いたげなリェンファの美貌がそこにある。微笑にも色んな種類があるのだな、とそんな場合でもないのにジジはぼんやりとそう思った。

高級娼館リアーヌの離れに閉じ込められていたはずのジジが何故こんなところにいるのかと言えば、理由は簡単だ。材料が切れたと言い出したジジを、リェンファが自ら連れ出したのである。


曰く、「ワタシ達が取り寄せるヨリ、本人に選ばせた方が早いデショ」と。


前回取り寄せてもらった材料に散々注文を――リェンファから言わせれば、『ケチ』を付けたジジには反論できなかったが、自分でより適した材料を選ばせてもらえるのならばそれに越したことはないと安堵したのも事実である。むしろ異を唱えたのは、リェンファの下僕もとい部下である三つ子達の方だった。それも当然だろう。何せリェンファは、三つ子の内誰も共に付けずに、ジジと二人きりで市場に出かけると言い出したのだから。

長男ティエンはその無表情に初めて苦々しげな渋面を作り、次男ハァイは「そりゃないっしょ若」と軽い口調ながらも譲らない様子で、そして三男リオウは「若ぁ、お戯れもほどほどにしてくださいよぉ」と困ったようにその眉尻を下げた。

ジジとてその気持ちは解る。三つ子の言うことはごもっともだ。薬を作らせるために拉致してきた相手とのんびり買い物しようなんて、リェンファは何を考えているのだろう。そしてそれ以前に、リェンファはかの巨大闇ギルドたるヘイロンの幹部だ。護衛の一人も付けずにその辺をほいほいと気安く歩いていていい身分ではないだろう。

だがリェンファは譲らなかった。「ワタシがその辺のゴロツキや、この間の抜けたお嬢サン相手に遅れを取るわけないデショ」とそれはそれは美しい笑顔で三つ子を黙らせた。

リェンファはジジのことを、『神経が図太い』と評してくれたが、リェンファだって大概ではないかとジジは思った。ついでにさりげなく馬鹿にされたことに割と傷付いてしまった。間抜けって。反論できない自分が悲しい。


と、まあそんな訳でジジはリェンファに連れ出され、この王都の台所と呼ばれるロッシーニ市場へとやってくる運びと相成った。

ジジはリェンファから貸し与えられた、リアーヌの使用人の証であるお仕着せの侍女服の上に、これまたお仕着せの外套を羽織っている。その隣のリェンファは、やはり黒の東洋風の、異国情緒あふれる丈の長い衣装を身にまとい、その上からシンプルながらも見る者が見れば一目で上等と解る外套を羽織っている。

リェンファとジジの服装を見て二人を見比べた者は何一つ疑うことなく、主人と使用人、と認識することだろう。間違っても誘拐犯と被害者だなんて思わないに違いない。たとえジジが助けを求めたにしても、リェンファの美貌とその口車に勝てる想像なんて欠片もできなかった。

悔しいが、リェンファの言う通り、リェンファがここでジジのことを取り逃がすなんてことはまずありえないだろう。このリアーヌの使用人としての格好のままジジが逃げ出したとしても、リェンファが警吏にでも訴えたら、ジジは「娼館に売り飛ばされた小娘が逃げ出しただけ」とでも思われて、あっさり捕まってしまうことが容易に想像できた。


なんて理不尽な現実だろう、と内心で溜息を吐きながら、ジジは隣を歩くリェンファの顔をちらりと見上げた。

艶やかな黒檀の髪で編んだ緩い三つ編みを揺らして歩く姿に、道行く人々が見惚れているのが感じ取れる。リェンファが歩むたびにひらりと外套が翻り、その裾から上等な黒が覗く。たったそれだけのことですら、周囲の人々は目を奪われてやまないようだった。


――今日も黒い服なんだ。


ふとジジはそう思った。そういえば、ジジの知る限り、リェンファはいつも黒の地の異国の衣装を着ているようだった。トゥーランドットに連れてこられてからというもの、リェンファとは毎日ではなくともそれなりには顔を合わせてきた仲ではあったが、その中でリェンファが黒以外の色彩をまとったことがあっただろうか。答えは否だ。

模様は大輪の花であったり幾何学模様であったり動物であったりするが、その地の色はいつだって黒だった。それは確かにリェンファにとてもよく似合っているけれど、何故他の色を着ないのだろうと、ふいにジジは疑問に思った。きっと他の色だってとてもよく似合うだろうに。ジジのように冴えない鈍い銀髪でも、ぱっとしない青灰色の瞳でもないのだから、せっかくだからもっと色んな色を着ればいいのに。ウィッチ・ゾーイだって、様々な色彩を見事に着こなしているのだから、リェンファだって……と、そこまで思った時のことだった。

ふいにリェンファの黒瑪瑙の瞳が、ジジの方へと向けられ、ばっちりと視線が噛み合った。思わず固まるジジに、リェンファは笑みを深める。ぞっとするほどに美しい笑みだ。


「なァに? ワタシに見惚れちゃった?」

「気のせいです!」


意地悪く笑うリェンファに、自分がまたからかわれたことを思い知らされ、ジジはばっ!と勢いよく視線を逸らして前を向き、足を急がせた。

リェンファは追いかけてはこなかった。ただゆっくりとした足取りでジジの後をついてくる気配を感じた。こんな雑踏の中であるというのに、くつくつと喉を鳴らすリェンファの笑い声がやけにはっきりと聞こえてくる。

遊ばれている。完全に、遊ばれている。ここでいきなり走り出してみせたら、少しは彼の鼻を明かすことができるだろうか、なんて、できもしないことを考えてしまう。

そんな時、悔しい、と歯噛みしていたジジの、うなじでシンプルにひとつにまとめられるばかりであった髪が掴まれ、思い切り背後に向かって引っ張られた。


「痛っ!?」

「どこまで行くのカナ?」


ジジの髪を、その長い手を伸ばして容赦なく引っ張ってくれた犯人、もといリェンファは、悪びれる様子もなく小首を傾げて微笑んだ。

ジジは痛みに涙目になりながらリェンファを睨み上げるが、そんなジジの視線もなんのその、リェンファはジジの肩を抱き込むようにして引き寄せ、そしてこの市場の裏道へと入る。


「え、え?」


突然のことに、ジジは戸惑わずにはいられなかった。だがリェンファは何も言わない。ジジが反射的にしようとした抵抗も何もかも、いともたやすく抑え込んで、そのまま裏道の奥へ奥へとジジごと進んでいく。


「あ、あのっ!?」

「もうスグだヨ。ほら、ネ」

「……?」


多くを語ろうとしないリェンファの言葉に対して首を傾げた瞬間、ふ、と。何とも言い難い違和感が、ジジの全身を包み込んだ。

まるで今までいた場所とはまったく異なる空間に放り出されたような。まるで賽の目を振るかのように、空間がずれたような。

奇妙な感覚に瞳を瞬かせたジジは、そしてようやく気が付いた。ただ単に細い裏道に入ったからという訳ではない。リェンファに連れ込まれた裏道の先にも市場らしき賑わいが見受けられる。そこには、先程までの陽の光の下の喧騒とはまったく異なる、どことなく冷ややかで湿っぽい、陽の光の届かない場所にいるかのような……いいや、真実その通りの印象を抱かせる、陽の光の下で歩くことをはばかられるような者達が行き交い、同じく陽の光の下では取り引きしかねる商品を取り扱う店が連なっていたのだ。


ジジは気が付けば、そんな場所を窺い知ることができる裏道に、リェンファと共に立っていた。


先程までこんな市場があっただろうか。ロッシーニの側に、こんな市場が存在するのか。

訳が解らず呆然とするジジを余所に、リェンファが外套のフードを深く被り、ジジの目には彼の紅い唇しか見えなくなる。三日月のような弧を描くそれが、聞き分けのない幼子に言い聞かせるかのように奇妙なまでに優しく囁いてくる。


「闇市ヨ。表が『ロッシーニの台所』と呼ばれているなら、コッチは『デュマの大鍋』と呼ばれてるネ。魔女のまじないで一般人の目からは遠ざけられてるケド、コッチも立派な王都の市場の一つヨ」

「闇市……?」

「ソウ。オマエの欲しがる材料は、ロッシーニよりもコッチの方が揃いやすいカラネ。ソレが分かってるからティエン達も渋ったんだろうケド。ココではワタシとはぐれたり、ワタシから逃げたりしたら、お嬢サンみたいなのはあっと言う間に『食い散らかされて』オワリだろうカラ、ちゃんとワタシについてきてネ?」


闇市という響き、食い散らかされるというその表現、リェンファの唇が描く酷薄な笑み。そのどれもが、ここで迷ったが最後、ジジの人生の道が途絶えてしまうに違いないことを教えてくれていて、ジジはただただこくこくと何度も、言葉もなく頷いた。

そんなジジの反応に気を良くしたらしいリェンファは「ヨロシイ」と一言呟き、ジジを解放してさっさと裏道から出て行ってしまう。その後を慌てて追いかけて、ジジは彼の隣に並んだ。足の長さの違いで急ぎ足にならざるを得ないが、ここに置いていかれる訳にはいかないのは前述の通りだ。


そして、ジジはリェンファと共に、足りなくなってしまった材料を買い集め始めた。もちろん財布はリェンファ持ちである。「金のかかる女ネ」とリェンファに揶揄とも嫌味とも取れる言葉をかけられたが、やはりジジには反論できなかった。リェンファの言う通り、この闇市では薬を作るために必要な材料には事欠かないが、その代わりに相応の値段がすることを、店先で何度も思い知らされたからである。値段を聞かされるたびに顔を蒼褪めさせるジジにとって、平然と代金を支払うリェンファの姿は最早魔物だった。


加えて、ひとつ、意外だったことがある。ジジと一緒に買い物するリェンファが、あのヘイロンの幹部リェンファ・リーであると気付いた店の店主は、誰もが好意的にリェンファに接していたのだ。

「よくぞ当店へ!」から始まり、「いつもお世話になって……」だの、「これは値引きさせていただきますね」、「おまけにこれを入れておきます」だの、更には「リェンファ様からお代なんて受け取れません!」と言い出す店員までいた。まあ彼らも商売人であるので、あくまでも彼らが許容できる、商売になる程度のサービスではありそうだったが、それにしてもリェンファに対して破格の待遇をしているようだった。そしてそれを、リェンファは笑顔で受け入れている。その姿が不思議だった。


ジジは闇ギルドの幹部という存在は、さぞかし恐れられ、遠ざけられている存在であるとばかり思っていた。だが、リェンファのこの様子を見ていると、そういう訳であるというばかりでもなさそうだ。


――私は、まだ知らなくちゃいけないことがあるのかもしれない。


自分はきっと何も知らないのだ。ただリェンファが性別を女に変えてまでヘイロンの首領になりたがっているということくらいしか。それで十分だと思っていたけれど、本当にそれでいいのだろうか。そんな疑問がジジの胸を支配する。

リェンファが持つのを嫌がったため、自分で買い集めたすべての材料を両手で抱えなおし、胸を占める疑問に思考に対して思考を完全に傾けていたジジが、惰性のまま市場の雑踏を歩んでいた、その時だった。


「あれ?」


遅ればせながらにして、ふと気付く。ジジはぴたりと足を止めて、きょろきょろと周囲を見回した。突然道の真ん中で足を止めて人の流れをせき止めたジジを、道行く人々は迷惑そうに見遣って通り過ぎていくが、今のジジはそんなことは構っていられなかった。すぐ側を歩んでいたはずのリェンファの姿がどこにも見当たらない。


「――――うそ」


この市場に入った時に言われたリェンファの脅しめいた警告が耳に蘇る。

「ワタシとはぐれたり、ワタシから逃げたりしたら、お嬢サンみたいなのはあっと言う間に『食い散らかされて』オワリだろうから――」。

優しくも冷酷なその言葉が改めて思い出され、ぞ、と、背筋を冷たいものが駆け抜けていく。


そうしてジジは、両手の荷物を抱えたまま、その場に言葉もなく立ち尽くした。

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