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15.鍋運びのウィッチクラフト

オールドローズ、ワイルドローズ、イランイラン、ジャスミン、ベルガモット、サンダルウッド。

淡水真珠、月長石、薔薇石英、菱マンガン鉱。

腐る寸前まで熟しきった林檎、無花果の白乳汁、種無し柘榴の赤い粒。数々の男を破滅に追いやったという悪女が愛用したという鏡の破片、真昼の満月の下で生まれた桃色トカゲの尻尾、朔夜の流れ星の欠片、虹のふもとに埋まる蝶の翅、人魚の歌声を聴いて眠った女児の左手の薬指の爪の先。

その他エトセトラ。


ウィッチ・ゾーイから教えられた材料のひとつひとつを、ジジは慎重にくつくつと煮える鍋の中へと投入する。ひとつ材料を加えるごとに、鍋の中身は多彩に色を変え、その匂いはより色濃く甘くなる。

どうやら今のところは順調らしいことに、ほっと安堵の息を漏らしながら、ジジは更に氷砂糖をひとかけら投入した。


ジジは頭が良い方では決してない。けれど記憶力は悪くない。ウィッチ・ゾーイに教えられたウィッチクラフトのすべてをノートに記してきたが、そのノートがなくても材料や順序を諳んじることができる程度には、ジジの記憶力は確かなものだった。

まあそれは、それくらいに同じ工程を繰り返しては失敗し続けてきたという意味でもあるのだが、今はその事実を口にするのは無粋だろう。何せこうして過去の経験が現在に生かされているのだから、むしろこの場合は幸いであったというべきなのかもしれない。


リェンファに、『性転換の薬』ではなく、『性転換したように見せかける薬』を作ると宣言してから、既に一週間が経過している。その間、ジジはリェンファに材料を取り寄せてもらい、せっせと薬作りに励んでいた。

『性転換したように見せかける薬』とは、この場合、その薬を使った人間を、より女性的に魅力的に見せる薬、とでも言えば相応しいだろうか。

完成すれば、その香りを嗅いだだけで、自然と相手は、その香りを身にまとう人物を『魅力的な女性』と思うことだろう。ウィッチ・ゾーイの元には『女性らしさをより引き立てて魅力的になれる香水』として依頼される薬を、ジジは作っているという訳である。


さて、そろそろ仕上げだ。なんとか奇跡的にここまで順調に進めることができたものの、まだまだ油断はできない。

さあお次の材料は、とジジがテーブルの上のロゼワインに手を伸ばした、その時だった。


「おーい、ジジちゃーん。若がいらっしゃってるよぉ」

「えっ!?」


この『台所』の唯一の扉の向こうから、製剤中は頼むから一人にしてくれと言って追い出したジジの本日の監視兼護衛である、三つ子の三男坊、リオウの声がかかる。

その声に思わずびくりとしたジジの手が傾き、手に取ったばかりのロゼワインの瓶から馥郁たる芳香を放つ薄紅色の中身がドボドボドボッ!と鍋の中に導入されてしまう。

ひぇっと身を竦ませるジジの様子など知る由もなく、外から鍵をかけられている扉のその鍵が、開けられる音が続けざまに聞こえてきた。


「ま、待ってください! まだ開けちゃ駄目です!」

「えー? でもぉ、若は待たされるのお嫌いだしぃ?」

「そーゆーコトネ。まったく、一体何してるノ?」

「とにかく駄目、駄目なんですってば! 待……っ!」


ジジの必死の制止も虚しく、ガチャリ、と音を立ててこの『台所』の唯一の扉が開かれる。その瞬間、扉の隙間から吹き込んできた風に乗った新た空気により、『台所』の空気が一変する。同時に、鍋の中身の様相もまた、大きく一変した。

まずい、とジジが思う間もなく、ごぽり、と大きく鍋の中身が音を立てた。慌てて鍋に蓋代わりの板を乗せようとするが、遅い。


「きゃあああああっ!」

「若!」

「ッ!?」


ぼふっ!!と大きな音を立てて、鍋の中身が爆発した。

鮮やかすぎるショッキングピンク色の煙が『台所』中に充満する……かに見えたが、それは開け放たれた扉からふわふわと逃れ出ていく。

それを幸とすべきか不幸とすべきかは解らない。ジジに言わせれば、鍋の中身が爆発したのは、その扉が開けられてしまったからなのだから。


「……何、やってるノ?」


自身を爆発から庇ったリオウの腕を押し退け、リェンファはその眦に朱の乗る黒瑪瑙の瞳を半目にしてジジに問いかけた。非常に淡々とした声音である。呆れも怒りも、ましてや笑いも感じさせないアルトよりも少し低めの声音は、下手に責められるよりもよっぽどジジの胸に突き刺さった。


「く、薬を作っていた、はず、なんですけど……」


鍋の爆発を真正面から受け止める羽目になり、けほ、と苦しげにむせ込みながらジジが答えると、リェンファは、ほぅ、と溜息を吐いた。物憂げなその仕草は、いっそ嫌味なくらいに絵になる美しいそれだ。そして眇められた彼の瞳は、そのままジジへとひたりと向けられる。


「コレで何度目?」

「な、七度目だったかと……」

「残念、不正解。正しくは九度目ネ。いい加減、本邸の使用人だけじゃなくて娼婦にも怪しまれ始めてるんだケド、どうしてくれるのカナ?」

「その節は本当に申し訳ないと思っています」

「謝るだけなら猿でもできるネ。ワタシが欲しいのは謝罪ではなく完成品ヨ」


取りつく島も、掴む藁も、どちらもどこにもなかった。すげなくさっくりと言い切られ、ジジは申し訳なさから来る居心地の悪さに唇を噛んで俯く。

反論なんてできるはずがない。リェンファの言う通りなのだから。ウィッチ・ゾーイであればきっとこうはならなかっただろう。あの誉れ高き師であれば、一日とかからず薬を完成させて、さっさとイチイの待つ屋敷に引き上げていたに違いない。ウィッチクラフトの一つもろくに行使できないジジは、やっぱり『鍋運び』しかできないのだ。鍋運びのジジはどこに行っても鍋運びでしかない。


正直なところ、こうなることは解っていたことではある。繰り返すが、だってジジは鍋運びなのだから。

リェンファに向かって薬を作ってみせると豪語したものの、本当は作れる自信なんてちっともなかった。傷薬すらまともに作れないジジに、魔女の秘薬が一人で作れるはずがない。

それでもそうするしかないと、作ってみせると言うしかないと思って、今に至る訳だが、それは間違いであったのかもしれないと今更ながらジジは思った。


まだ待っていてくれているリェンファの気がいつ変わるとも知れない中で繰り返す失敗は、少しずつ、そして確実にジジの精神を削っている。

諦める訳にはいかないことは解っていた。でも、だからと言ってどうしたらいいのだろう。

自分にできることをすればいいとウィッチ・ゾーイは言ってくれたけれど、できないことを求められている時にはどうしたらいいのか、ジジには解らなかった。


「あ、の」

「ナニ?」


薬に関しては今ここでいくら考えても仕方がない。そう自分に言い聞かせて、また次を頑張るだけだと内心で頷きつつも、それは空元気に過ぎず、ジジの口から漏れた声はいかにも恐る恐るといった、力弱い声音になってしまった。そんなジジに対し、リェンファがことりと首を傾げる。その瞳に宿る凪いだ光にも、淡々とした声音にも、怒りはない。けれど期待もまた感じられない。

もしかしたら、もう諦められているのかもしれない。だったらもう解放してくれればいいのに。そう考えるのは、我ながらあまりにも自分勝手で、自分にばかり都合のいいことだ。

そう思いつつ、ジジはリオウを背後に控えさせてこちらを見つめてくるリェンファに問いかけた。


「私が渡したレシピの食事、食べてくれてますか?」


ぱちり、と黒瑪瑙の瞳が瞬く。そう、レシピだ。一週間前から、ジジはリェンファに、女性ホルモンの向上を目指すためのレシピをたびたび渡している。

女性ホルモンのための食材というとどうしても限られてしまうから、飽きないように、できる限りレシピを思いつくたびに新たな紙面に書き込んでは、その日の監視役である三つ子の一人にご馳走して味見……彼らにとっては毒味をしてもらいつつ、何度も渡してはいるのだが、それについての話題を、リェンファも三つ子も持ち出そうとしないのが気になっていた。

毒になる食べ合わせになるようなメニューなど作ってはいないし、それは三つ子達によって証明済みである。とはいえ、肝心のリェンファにとってはどうなのか。

これまた正直なことを言ってしまえば、女性ホルモンを増やすメニューなんていうのは方便だ。ジジの提案に、より説得力を持たせるための。単に食事を変えるだけで性別を変えられるのならば、それこそ誰も苦労はしない。リェンファばかりではなく、様々な事情により、性別を変えたがる者など山といる。そんな人々を差し置いて、たかが食事一つで性別を変えようとするなんて、おこがましいにも程があると言えるだろう。

そんなジジの、ギリギリ嘘ではないけれど、かと言って真実とも言い難い言葉に気付いているのかいないのか、リェンファはふわりと微笑んで、「さァて」とまた首を傾げてみせる。緩やかな三つ編みが揺れた。


「どうだろうネ?」

「そう、ですか」


答える気はない、と、言われているような気がした。そしておそらくそれは、間違ってはいないのだろう。たぶん、ではあるけれど、渡したレシピはどれ一つとして活用されていない気がした。試作品として作った食事は、寡黙なティエンを除いた残りの二人からは好評をいただいている。けれどそんなことはリェンファには関係ないに違いない。食べるか食べないかの判断は、ジジでも三つ子でもなく、彼自身に委ねられている。

ままならないな、とこみ上げてきた小さな溜息を飲み込んで、ジジは、そろそろと続ける。


「それで、その、非常に言いにくいんですけど」

「ナニ? 今更作れないなんて言ったらどうなるか、解ってるよネ?」

「そ、そうじゃないんです! そうじゃなくて」


いや本当は『作れない』というのが一番正直なところではあるのだご、まさかここで馬鹿正直に本当に「作れません」と言い切るほどジジは無謀ではなかった。

慌てて首を振るジジを、リェンファが口元に微笑を浮かべながらも、その瞳にはうろんげな光を宿して見つめている。その光に気圧されつつ、ジジは両手の指を胸の前で落ち着かなさげに何度も組み換えた。

言うべきなのか、言わざるべきなのか。答えはもちろん前者なのだ。言わなくてはどうにもならないことなのだから。でも、非常に言いにくい。そんなジジの逡巡を聡く汲み取ったらしいリェンファは、そのジジの迷いを至極面倒臭そうに「早く言うネ」と急かすことで切り捨てる。

――致し方あるまい。そう内心で結論づけたジジは、ようやくその口を再び開いた。


「その………材料が、切れました」


沈黙が、このジジの『台所』に堂々と横たわり、場の空気を完全に支配した。それ以上誰も何も言おうとはしなかった。あのいつものんびりと笑みを浮かべているリオウですら、唖然とした様子でジジのことを見つめてくる。その視線が痛かった。


「……………お嬢サン」

「は、はい」

「意外と神経図太いって言われナイ?」

「……空気が読めないとは言われます……」


淡々としたリェンファの問いかけに、羞恥に顔を真っ赤にしながら、ジジはそう答えて俯いた。リェンファの言いたいことは解る。

そもそも、今回の薬の材料は、すべてリェンファに取り寄せてもらったのものだ。中には珍しくはなくとも手に入れるには難儀するものも含まれており、そんな材料を一日とかからず揃えてくれたリェンファに、ジジはヘイロンの勢力がいかに大きなものなのかということを改めて思い知らされた気がした。

そして集められた材料の数々は、どれも決して少量ではなかった。十分すぎる量が用意されていた。少なくともリェンファはそのつもりでいたようだったし、ジジもまた、これだけあればと思っていた。


思っていたのだが、しかしだ。


ジジは自分の実力を見誤っていたらしい。我ながらここまで失敗ばかりを繰り返すとは思っていなかった、なんて、それこそ言い訳にしかならない。

あまりにも自分が情けなくて視界が歪んでくるジジの耳に、はぁ、と、それはそれは深い溜息が届く。


「……ナニが足りないのカナ?」


その問いかけにばっと勢いよく顔を上げると、その涼やかな美貌になんとも言えない表情を浮かべたリェンファが、腕を組んでこちらを見ていた。リェンファの問いがぐるりと大きく脳裏で巡る。

何が足りないのか、と自身に言い聞かせながら、先程の爆発で散乱してしまった材料の乗るテーブルへと慌てて視線を滑らせる。


「え、えっと、朝咲きのオールドローズのドライフラワーと、ルイボスティーと、赤瑪瑙の粉末と、ロゼワインと……」

「アー、もういいヨ。解った解った」


必死に指折り数えて使い切ってしまった材料をあげつらうジジの台詞を、リェンファは億劫そうにひらひらとその白い手を振ることで中断させ、また溜息を吐いた。


「ワタシが集めた材料に散々口出ししてケチを付けたクセに、本当図太いお嬢サンネ」


返す言葉もなかった。リェンファの用意してくれた材料に、これは乾燥させすぎだとか、これでは不純物が入りすぎているとか、これは偽物だとか、ジジはリェンファの言う通りケチを付けまくっていたからだ。

ぐっと言葉に詰まるジジに、リェンファはもう何度目かも解らなくなってきた溜息を再び吐いて、一言「リオウ」と背後の下僕の名を呼んだ。


「はーい。若、なんですかぁ?」

「本邸に行って、使用人用のコートを持ってくるネ。お嬢サンのサイズなら、まだ余ってるデショ」

「え? ってことは」

「リオウ」

「……はーい。余計なことは言いません!」


リオウの無駄口を許さずに彼を『台所』から追い出したリェンファは、そうして、いまいち事態が掴めずに呆然としているジジに向かって、にこりと笑った。


「ワタシは待たされるのは嫌いだし、面倒はもっと嫌いヨ。だから、もうこの際、お嬢サンと一緒に買い出しに行くことにするネ」


異論は許さないと言外に告げ、笑みを深めるリェンファの迫力はとんでもないものだった。そんな彼に対し、ジジはといえば、ただただ呆然と、「…………はい?」と呟くことしかできなかった。

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