表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/25

13.空の鍋から得る答え

そして、その次の日から、ジジの戦いは始まった。ジジに貸し与えられたのは、リアーヌの敷地内に隠れるようにして存在する離れの小屋だった。ジジ一人が暮らすには十分なその小屋には、当然のごとく炊事場が整えられており、つまりはそこがジジにとっての『台所』となったのである。


リェンファが求める薬が何たるかを聞かされてから既に数日が経過している。

その間、ジジが何をしていたかというと、答えは簡単だ。ウィッチ・ゾーイの鍋の前で正座していた、である。

自分のこの現状を改めて口にしてみても、ジジには自分が何を言っているのか解らないし、実際にその姿を見たリェンファには「遊んでるノ? ふざけてるノ? それとも本気なノ? 個人的に、三つ目が一番救いようがないと思うんだケド」とまで言われてしまった。ジジは反論できなかった。


そもそも、結論から先に言おう。男が女になる薬、すなわち性転換の薬を作ることなど、やはり不可能であるということを。

それはジジが『鍋運び』であるからではなく、たとえ『金の魔女』たるウィッチ・ゾーイであったとしてもそんな薬を作ることは叶わないに違いない。この数日で出た結論は、これ以外の何物でもなかった。リェンファに当初伝えたのと同じ結論である。


それをつい先程、ここ数日ちっとも進歩しない様子のジジを見に来たリェンファにも改めてそう伝えたのだが、それでもリェンファは「作ってみせるって言ったのはオマエだよネ?」と美しく微笑むばかりでジジの意見など求めてはいないようだった。

あの美しい青年にとっては、ジジが性転換の薬を完成させること以外の答えなど必要ないのだろう。当然だ。だからこそリェンファは『金の魔女』の居場所を探し出し、その弟子であるジジをこの歓楽街トゥーランドットまでさらってきたのだから。


だが、とは言われても。


「無理なものは無理だよ……」


がっくりと肩を落としてジジは空っぽの鍋の中を覗き込んだ。磨き抜かれた金色の底に、ジジの情けない顔がまるで鏡のように映り込んでいる。ぐしゃりと顔を歪めると、底の中のジジの顔もまたぐしゃりと歪んだ。

それを見ていたくなくて、こうべを力無く垂れさせれば、自然と鍋の底は見えなくなる。

そのことに無意識にほっとしているジジの耳に、カタンと扉が開かれる音が届いた。


「ちったぁ進んだかと思えば、相変わらずって感じか?」


笑い混じりのその声に、のろのろと顔を持ち上げてそちらを見遣れば、その視線の先にあるこの『台所』唯一の出入り口である扉の前には、短く刈り上げた紺鼠色の髪と、剃刀のように鋭い深い藍色の瞳に笑みを刻んだ、屈強な体格の男が立っていた。

その顔の持ち主をジジは三人ほど知っているが、今この『台所』にやってきたのが誰なのかを、ジジはわざわざ問いかけずとも解った。


「ハァイさん」

「よ、ジジちゃん。今日の監視兼護衛は俺だからよろしくー」

「はぁ。どうも、よろしくお願いします」


この子供のような笑顔と親しげな口振り、間違いなく高級娼館リアーナが悪鬼の三つ子の次男、ハァイである。

ここ数日、三つ子は交代でジジの監視兼護衛を担当してくれている。元々寡黙であるらしい長男ティエンを除いて、次男ハァイ、三男リオウとは、気付けばジジはそれなりに会話をするようになっていた。

だがあくまでもそれだけだ。リェンファに忠誠を誓っているのだという彼らは、いくら親しくなろうともジジの味方にはなってはくれず、この離れから逃してくれることはない。

ああ、その笑顔が憎たらしい……と、内心で溜息を吐くジジを余所に、ハァイはスタスタとジジの元まで歩み寄ると、ジジの前に鎮座している空っぽの鍋を覗き込んで肩を竦めた。


「魔女ってのはもっと万能なモンだとばっかり思ってたけど、そうでもないんだな」

「あの人にも言いましたけど、魔女にできることはあくまでも『自然の摂理に従ったこと』なんです。確かにはたから見れば物語の中のような、人知を超越した『魔法』のように見えるウィッチクラフトもありますが、どれもちゃんとそこには『奇跡』ではない『理由』があって、だから」

「あーはいはいはいはい。もういいって。俺、頭悪ぃから小難しいことは解んねぇの。そういうのは兄貴の担当だからな。それにどんな理由があろうが、俺達は若に従うだけ。つまり、どんな手を使っても、あんたに性転換の薬を作ってもらうだけなんだよ」


ひらひらと面倒臭そうに手を振ってジジの台詞を打ち切ってくれるハァイに対し、悔しさを感じない訳では決してなかったけれど、かと言ってどう反論していいものかも解らずに、結局ジジは唇を噛み締めて口を噤むことしかできなかった。

『どんな手を使っても』。その言葉の響きの空恐ろしさに薄ら寒さを感じる。そんなことを言われたって、自分にはどうすることもできないのに。


魔女が行使するウィッチクラフトは、『物事を少しばかり素敵な方向へ導くもの』だ。その『少しばかり』のさじ加減を間違えれば、物事はたやすく不幸な顛末へと転がり落ちてしまう。

ジジは、『金の魔女』の弟子として、そんな不幸な結果を招くことになりかねない薬なんて、作りたくはなかった。

リェンファが求める薬がそういう類の薬であることを想定せずに安請け合いをしてしまった自分の浅慮さが悔やまれるが、イチイが人質に取られていたあの時にジジができることはそれだけだったのだから仕方ない――とは言い訳だろうか。

そもそもジジは『鍋運び』なのだから、どんな薬を求められたとしても元々作れるはずもなかったのだし。求められたのが性転換の薬などというものではなくとも、おそらく同じ状況に陥っていたに違いない。情けないことだが。


脳裏でウィッチ・ゾーイが、その柳眉を物憂げにひそめて、「ジジは本当に仕方のない子ね」と溜息を吐いた。

ウィッチ・ゾーイ、本当にごめんなさい。ジジは悪い弟子です。

脳裏に浮かんだ師の姿に、ジジはこれまた脳裏で土下座した。無論返事はない。「なんて仕方のない子なの」と更に重ねて詰られることもない代わりに、「本当に仕方ない子なんだから」と許してもらえることもないのだ。


だからジジは、自分の力でこの現状を打破しなくてはならないのである。


とりあえず鍋を前にしていつまでも正座したままでいる訳にもいかず、ジジは立ち上がった。その服装は、この高級娼館リアーヌにおける下働きの侍女のものだ。春をひさぐ娼婦達の世話をする彼女らのものを、リェンファが貸し与えてくれたのである。「ずっと同じ服でいるワケにはいかないデショ」と。

ジジが普段着として着ていたシャツやズボンとは似ても似つかないお仕着せのワンピースとエプロンだが、これはこれで動きやすいのだということをジジは初めて知った。

そういう気配りに事欠かないリェンファの采配にやっぱりジジは悔しくなってしまう。無理矢理薬を作らせる訳ではなく、のんびり待っていてくれるのもありがたい。待つのは嫌い、と言っていたけれど、それでもジジのことを待っていてくれるのは、やはりありがたいことだと思う。そう認めるのは、とても癪に触るけれど。


――何故、そこまでして。


改めてそう思わずにはいられない。

いくら古くから定められたしきたりだからと言って、先代首領の遺言をまっとうするためだけに男から女になろうとするなんて、ジジには考えられないことだった。

そこまでしてヘイロンの首領になろうとするリェンファのことが解らない。というか、闇ギルドの幹部であり拉致誘拐の主犯でもある青年の考えることなんて解りたくもない。


世情にあまり通じていないジジには、ヘイロンの首領と言う立場が持つ意味も権力も何も知らない。もう少しそれを知れば、また何かが変わるのだろうか。

リェンファが性転換して女性になろうとするのを、手助けしたいと思えるようになるのだろうか。

リェンファと覇権を争っているというヴィルフォールという幹部は、リェンファの態度から察するにあまり好い男性ではなさそうだし、そんな彼がヘイロンの実権を握るくらいなら、リェンファに協力した方がずっとマシだと思えるようになるのだろうか。

それこそまさかだ。ありえない。


何であるにしろ、自然の力を借り、自然の摂理に従って行使される魔女の秘術、ウィッチクラフトには、できることとできないことがある。今回は後者であったということだ。それをいくら伝えても理解してもらえないならば、ジジは大人しくここで薬を作るふりをして、いずれリェンファに『相応の対価』を差し出すだけだ。

それがたとえどんなに辛いことであったとしても、ジジに後悔はない。イチイが難を逃れるためならば、それはジジが人生を懸けるに値するだけの価値がある。

だからいい。いいのだ、けれど。


そうは言ってもどうしたものか。

ここ数日、ジジはほぼこの『台所』にこもり切りになっていて、顔を合わせた相手と言えば、リェンファとその部下……リェンファ曰くの下僕である三つ子だけだ。

その中で解ったことなど、前述の、『性転換の薬など作ることは不可能』であるという結論くらいだろうか。後は強いて言えば、三つ子が心の底からリェンファに忠誠を誓っているらしいこと、くらいか。

常に少なくとも一人は必ずリェンファの側に付き、彼のことを守っているらしい三つ子の姿は、たった数日、ほんのわずかな間しかその姿を見ていないジジにすら、彼らの忠実さを物語っているように見えた。リェンファのためならばその命すら惜しくはないとでも言いたげだった。


だからこそジジは、本日たまたまジジの監視役を勤めているハァイに、思わず訊いてしまった。


「ハァイさんは、あの人が女性になることに、抵抗感とかないんですか?」


その質問は、別に相手がハァイだから問いかけた質問ではない。三つ子が相手ならば誰でもよかった質問だった。自分が忠誠を誓った主人が、その性別を変えると言うこと。いくらそれが主人自身の望みであるとはいえ――いいや、そもそも、それは本当に主人の、リェンファの望みなのだろうか。本当にリェンファは、女性になりたいと思っているのだろうか。

ジジには何も解らない。だから問いかけずにはいられなかった。けれどそんなジジの質問に対し、ハァイは笑うばかりだ。その笑顔は、彼の美貌の主人の微笑とは似ても似つかない、あっけらかんとしたものだった。


「男だろうと女だろうと若は若だもんよ。関係ねぇな。それに元々、若はその辺の女よりもよっぽど別嬪さんだし? そういう意味じゃ、わざわざ女にならなくても簡単に男も女もたらし込めるだろうけどなー」


そう言ってからからとハァイは笑って肩を竦めた。あまりにもあっさりとした答えに、ジジは戸惑わずにはいられなかった。そんな簡単な問題だろうかと思う自分の方が間違っている気がしてきた。解せない。

まあとは言え、確かにハァイの言うことも間違ってはいないのだろう。むしろその言う通りだと言った方が正しいかもしれない。リェンファのあの美貌をもってすれば、老若男女を問わずに、自身の魅力に溺れさせることだってできないことではないに違いない。

艶やかな長い黒檀の髪、眦を朱が彩る黒瑪瑙の瞳、雪のような肌、紅の唇。どれを取っても一級品の造作は、誰もが見惚れるだろうと太鼓判を押せるものである。

ウィッチ・ゾーイやイチイの美貌に慣れたジジだからこそ、リェンファに溺れずに済んでいるけれど、あの二人の存在がなかったら――と、考えるだけでぞっとしてしまう。冗談ではない。

……と、なんだか話が脱線してしまったが、一体何の話をしていたのだったか。ええと、とジジは思考回路を巻き戻す。視線を感じてそちらを見遣れば、ジジの答えを待つように、ハァイがこちらを見つめている。そうだ、彼だ。彼の答えを聞いたのだった。

そして、その鋭い造作の顔立ちに幼げな表情を浮かべている彼の顔をまじまじと見つめていたジジの脳裏に、ポンッと彼の台詞が再生される。彼は何と言ったのだったか。そうだ。『わざわざ女にならなくても』。確かに彼は、ハァイは、そう言った。


「――――それです!」

「へ?」

「そう、それです、その手がありました! ありがとうございますハァイさん!」

「お、おお、どういたしまして?」


ハァイの大きく分厚い手を、自身の両手で取ってぶんぶんと振るジジに、ハァイが戸惑ったように首を傾げながら、とりあえずと言ったばかりに頷いた。そんなハァイは置き去りに、ジジは彼に向かって頭を下げた。


「話したいことがあります。ハァイさん、あの人を呼んでいただけますか?」


ジジの言う『あの人』が誰なのかなど、今更ハァイは問いかけてくるような真似はしなかった。幼げな笑顔を浮かべたまま、冷たい光をその深い藍色の瞳に宿す彼は、ジジがこれから彼にとっての大切な人を害さないか警戒しているのだろう。この数日、ちっとも何もしようとしなかった監視対象が、突然自ら相手を呼び出そうというのだから、ハァイの表情はごもっともなものだ。けれど、ジジはその迫力ある表情を、恐れることなく見つめ返す。


そう、『わざわざ女にならなくても』。


その言葉が、今のジジにとっての突破口になる。そしてその突破口の先にあるのが、今のジジにできる、唯一の『ジジがジジのままできること』なのだから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ