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1.鍋運びのジジ

鍋運びのジジ。それがジジの通り名だ。

あの金の魔女の弟子でありながら、ろくなウィッチクラフトの一つも満足に行使できず、できるのはせいぜい魔女の七つ道具の一つである大鍋を運ぶことくらいだと嘲られ、本人もそのことを自覚している。

そのため、ジジはいつしか、『金の魔女の後継者』ではなく、弟子にも慣れない役立たずの『鍋運び』と呼ばれるようになった。


自分が嘲られ笑われることくらい、どうということではない。慣れている。けれど、ジジが侮辱されることはそのまま、ジジの師匠である金の魔女、ウィッチ・ゾーイの評判まで貶められるに繋がってしまいかねない。

自分が何を言われても今更気にしない。でも、自分のせいで尊敬する師まで軽んじられるのは、どうしても嫌だった。


ウィッチ・ゾーイは、強く美しく誇り高い、最高位の魔女だ。

豊かに波打つ、腰まで届く長い髪は、光を弾く見事な黄金。まるで繊細な金細工のような、長く濃い、伏せれば影を落とす睫毛に縁取られた瞳は、彼女の思慮深さをそのまま映す深い色のアメシスト。深紅のルージュで彩られた唇には常に艶然とした笑みが刻まれ、その笑顔には誰もが目を奪われるに違いない。

たわわに実る熟れた果実のような胸、きゅっと締まった腰、そしてその腰から悩ましげな曲線を描く下半身。深いスリットの入ったドレスから覗く脚もまた見事に引き締まっている。

シンプルなデザインのドレスばかりを好む彼女だが、彼女にとってはフリルもリボンも必要ないのだ。その美貌、その肢体、彼女を構成するすべてが、彼女の美を引き立てる。


そう。ウィッチ・ゾーイは、とても美しく優秀な魔女なのだ。ジジの鈍い銀の髪や、冴えない青灰色の瞳とは比べるのもおこがましいほど、ウィッチ・ゾーイの容姿は輝かしい。

ウィッチ・ゾーイは、飾り気のない地味な服、それもスカートではなくズボンばかりを好んで着るジジに、口を酸っぱくして「たまには化粧くらいしなさいな」「そんなつまらない服じゃなくて、もっと華やかな色のドレスを着なさい」と繰り返すけれど、人には向き不向きというものがあるとジジは思っている。ウィッチ・ゾーイを見ていると、自分には到底彼女のように美しい装いなど似合うとは思えないし、自分が着飾るよりもウィッチ・ゾーイが着飾っているのを見る方がよっぽど楽しいのだ。


そんな美しき魔女、ウィッチ・ゾーイとジジの出会いは、五年前に遡る。

あの時から、彼女の美貌はちっとも変わらない。ウィッチ・ゾーイには孫にあたる少年がいて、彼は今年十歳になるのだから、彼女は既にそれなりの年齢であるはずだとジジは思っている。だが、ウィッチ・ゾーイの容姿は、せいぜい二十代後半程度の、若々しいものである。

果たして実年齢は何歳なのか。気にならない訳ではないのだが、実際に問いかけたことはない。以前彼女に年齢を問いかけた無粋な男が、「女はミステリアスな方が魅力的なものよ?」と迫力満点の笑顔と共にウィッチ・ゾーイに彼女の杖で頭を殴られていたからだ。君子危うきに近寄らず。触らぬ神に祟りなし。至言である。


ジジがウィッチ・ゾーイに身を寄せることになるきっかけとなったのは、そのウィッチ・ゾーイの孫の存在だった。ウィッチ・ゾーイにとっての娘とその夫が事故により他界し、残された子供、すなわちウィッチ・ゾーイにとっての孫にあたる少年は、ウィッチ・ゾーイに引き取られることになったのだという。


当時五歳だった少年の名は、イチイ。

ウィッチ・ゾーイそっくりの、金の髪と紫の瞳を持つ天使のような美少年。

そんな彼の子守役として、ジジはウィッチ・ゾーイに拾われた。


ウィッチ・ゾーイと初めて出会ったあの夜のことは、今でもまざまざと脳裏に思い出せる。

身体が芯から凍らされていくかのような、寒い寒い冬の夜だった。月も星も見えない、重く暗い雲に覆われた空から、はらはらと真っ白な雪が止め処なく舞い散っていた。

あの夜、パーティーの帰り道であった夜道を一人歩いていたウィッチ・ゾーイが、片耳のイヤリングを落としたのを、道端にうずくまっていたジジはたまたま目にした。それを拾い、足早に歩くウィッチ・ゾーイを追いかけて、彼女に届けたのがきっかけだった。

ジジが差し出したイヤリングに、ウィッチ・ゾーイは大層驚いたようにその紫色の目を瞠り、「あらあら」と呆れたように笑った。


――質屋にでも売り飛ばせば、当分遊んで暮らせたでしょうに。貴女、とんだお人好しのお嬢さんね。


それが、はじまりだった。

どこにも行くあてがなかった当時十四歳だったジジの汚れた手を、ウィッチ・ゾーイは「私の家にいらっしゃいな」とためらうことなく握ってくれた。どうして自分を、と問いかけると、「そうねぇ」とウィッチ・ゾーイは悪戯げに笑ってこう言った。


――ちょうど子守を雇おうと思っていたの。それに、そろそろ私も弟子を取ろうと思っていたからかしらね。


意味が解らなかった。そんな理由で、素性も知れない薄汚い小娘を拾うなんて正気の沙汰ではないと思った。なんだかとんでもないことを言われているような気がして、ジジは思わずその場から逃げ出そうとしてしまった。

けれどそんなジジをいともたやすく捕まえて、ウィッチ・ゾーイは自身の屋敷にジジを連れ帰り、そのまま孫であるイチイに引き合わせたのである。


それから始まった、ジジと、ウィッチ・ゾーイと、イチイの、三人での生活。

どうせすぐに追い出されるに決まっているとジジは覚悟していた。けれど、そうはならなかった。


おそらくは、イチイがジジに懐いたことが理由としては大きいだろう。イチイは、まだ当時五歳であったというのに、その年齢に見合わないくらいに賢く聡い少年だった。きっと、当時十四歳だったジジよりもっとずっと。

ジジが子守役であったはずなのに、気付けばジジの方がイチイに世話をされているようなものだった。


それだけでも申し訳なくて仕方なかったのに、イチイばかりではなくウィッチ・ゾーイのジジに対する態度もまた、その申し訳なさに拍車をかけた。ウィッチ・ゾーイは、ジジがどれだけ不出来な弟子であったとしても、決して見捨てようとはしなかったのだ。


『金の魔女』と誉れ高いウィッチ・ゾーイ。四大精霊の力を借りて数多のウィッチクラフトをいともたやすく行使する彼女の弟子としては、ジジはあまりにも不出来だった。

精霊に力を借りるどころかその存在を知覚することもできず、まともに行使できるウィッチクラフトは一つもなく、できるのはせいぜい魔女道具の一つである鍋の管理だけ。


申し訳なかった。あまりにも申し訳なかった。

これ以上優しい二人に迷惑をかけたくなくて、そっと出て行こうとしたこともある。けれど、ジジは驚くほどあっさりと捕獲された。そして、ウィッチ・ゾーイとイチイの二人掛かりで、説得という名の脅迫をされ、ジジはそのままウィッチ・ゾーイの元に留まることになったのである。


あの日のことはとてもよく覚えている。忘れられるはずがない。それくらいに二人の剣幕は怖かったし、そこまで自分に心を割いてくれることが何よりも嬉しかった。


それから、ジジは正式にウィッチ・ゾーイの弟子となり、イチイの子守役の任を仰せつかった。そして子守役ばかりではなく、気付けばジジは、生活能力が皆無なウィッチ・ゾーイの代わりに、家事のすべてを請け負うことになった。

最初は慣れなかったものの、年を経るごとにその腕は上がり、気付けばジジは今では立派な家政婦だ。


だが、それを喜んでばかりもいられない。現実とは非情なものだ。

ウィッチ・ゾーイが求めた本来のジジの役目は、イチイの子守役ばかりではなく、もう一つあるとは先にも述べた話だ。

魔女の中でも最高の賞賛を受けるべき金の魔女、ウィッチ・ゾーイのウィッチクラフトを受け継ぐ弟子という役目。それがジジに求められた役目だったのだが、しかし。


非常に遺憾なることに、ジジには、前述の通り魔女としての才能が皆無だったのだ。


そもそも実際の魔女という存在は、絵物語の中で語られるような奇跡を行使するような存在ではない。もちろん四大精霊の力を借りて少しばかり所謂『魔法』と呼ばれる類の秘術を行使することもあるが、それよりも世間に求められるのは、少しばかり未来を窺う占いや、ものごとを少しばかり良い方向に導くまじない、身体を少しばかり治す生薬の生成などといった、『少しばかり素敵なこと』と呼ばれる類の術である。

それらは多少は才能が物を言う部分もあるが、その大半は努力でもって補い切れるものだ。例外なのはウィッチ・ゾーイの若々しい美貌くらいだろう。……そのはず、だったのだが。



「ウィッチ・ゾーイ。やっぱり私は鍋運びが精一杯のようです」



努力ですら補い切れないものもあるということを、ジジはこの五年間でよくよく思い知らされていた。そうして今日も今日とてジジは、魔女の鍋を前にして、途方に暮れている訳である。

目の前の大鍋を前にして、力なく頭を垂れるジジに、本日は淡いラベンダー色のたっぷりとしたドレープの流れが美しい、胸元が大きく開いたドレスを着こなしているウィッチ・ゾーイは、「あらあら」と笑った。


「どうして貴女って子は、料理はできるのに薬は作れないのかしら。ここまで来るといっそこれもまた才能かもしれないわね」

「……すみません」

「嫌ね、責めてる訳じゃないわよ。このくらいの方が私も教え甲斐があるわ」

「それ、五年前から聞いてます」

「ふふ、そうね。でも本当のことよ。貴女は貴女にできることをすればいいの。それがきっと、素敵なことに繋がるわ」


そう言って美しく微笑んでくれるウィッチ・ゾーイの言葉はジジにとってはとても嬉しいものだったけれど、それでも目の前のコレについては複雑になることしかできなかった。

鍋の中で、ぐっつぐっつと不穏な音を立てながら煮えたぎる、濁った緑色の、もはや液体なのか固体なのか分かりかねる、本来であれば透明な液体になるはずであった気付け薬モドキ。これは一体何なのだろう。少なくとも薬ではない。絶対に。良薬は口に苦しというが、これは最早そういうレベルのものではないことは、誰の目から見ても明らかであった。

視界がにじむのは、鼻にツンとつくなんとも言えない酸っぱいにおいのせいか、はたまた自分があまりにも情けなさすぎるからか。きっと、ではなく確実に両方だ。


そう結論づけて溜息を吐くジジに、ウィッチ・ゾーイは真紅のルージュが刷かれた唇にそっと手を寄せてクスクスと笑った。誰もが見惚れずにはいられないに違いない、蠱惑的な美女の笑みだ。

けれど今のジジにとっては、その笑顔は申し訳なさをくすぐられるものでしかない。ますます俯くジジの頭を、ウィッチ・ゾーイの白くたおやかな手が撫でていく。


「焦ることはないわ。昔は途中で炎が上がって全部を消し炭にしたり、逆に何故か質量が増して得体の知れない液体をあふれさせたりしていたんだから、それに比べたら随分上達したんじゃない?」

「それ、あんまりフォローになってません」

「あら、そう?」


図らずもどこか恨めしげな響きを宿すことになってしまったジジの言葉を美しい笑みと共に受け流し、ウィッチ・ゾーイは「さて」と一言呟きながら、その白い手にある彼女の愛用の杖を一振りする。途端に、鍋を煮立たせていた炎が、一瞬で消え失せた。

その行為の意味するところとはつまり、本日の授業は終了であるということだ。


「そろそろ夕食にしましょう。イチイがお腹を空かせて待っているわ」

「はい。ウィッチ・ゾーイは食べたいものはありますか?」

「ジジの作ってくれるものはなんでもおいしいからなんでも……と、言いたいところだけれど、『なんでもいい』が一番困るのよねぇ。そうね、今夜は白ワインを開けましょう。いいものをもらったのよ。だからそれに合う料理がいいわ。白身魚があったのではないかしら? それをムニエルにしたら、イチイも喜ぶんじゃない?」

「じゃあ、後は野菜であんを作ってムニエルにかけたり、とか……?」

「あら素敵。楽しみね」


おずおずとジジが提案すると、ウィッチ・ゾーイは大輪の牡丹がほころぶかのように笑った。その輝かしい笑顔に、ジジを責めるような翳りはない。


ジジの失敗など、最早何度目かも知れないもので、最早怒るを通り越して呆れに至り、そしてその呆れを踏み越えて笑うしかないものだと思われていることはまず間違いない。

それでもこうしてウィッチ・ゾーイが笑顔を見せてくれるたび、彼女がジジのことを見放さないのだということを教えられている気がして、申し訳なさと共に嬉しさも感じられるのも事実である。


「じゃあジジ、食事の前に、まずはこの鍋の片付け、お願いするわね。私は部屋にいるから、食事の準備ができたら呼んでちょうだい」

「はい、ウィッチ・ゾーイ」


もう一度ジジの頭を一撫でして、『魔女の台所』と呼ばれる研究室を後にする師の後ろ姿を見送り、ジジは改めて本来傷薬となるべきだった謎の物体が、煮立てる炎も消えたというのに未だにぐつぐつと音を立てている鍋を見下ろし、よし、とシャツの袖を捲った。


――頑張らなくちゃ。


魔女の弟子にすらなれていない『鍋運び』の自分。できるのはせいぜいこの鍋の管理くらいだけれど、だからこそ少しでも、その数少ない『自分にできること』をやり遂げたい。それは『鍋運び』だけではなく、たとえ家政婦であろうとも子守役であろうとも、同様のことが言える。自分は一生懸命、誠心誠意を込めて職務をまっとうするだけだ。


それがジジにできる、ウィッチ・ゾーイへの恩返しだと信じて、ジジは決意を新たにするのだった。

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