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すべてはあなたの思うがまま  作者: 柴田エリカ
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第7話 side:ルイ



 目を覚ますと、白い天井が目に入る。この部屋は、白で覆われている。私が着ている服さえ白く、いつかこの部屋に溶けて消えてしまいそうだ。


 今日は何をして過ごそう。乗馬をしようか、召使を相手にカードをしようか、本でも読もうか。毎日が退屈で仕方がない。特に、目が覚めている間は。私にとっては昼こそ寝ているようなものだ。夢のようにとらえどころがない日々と、空虚な人物たち。私を含め、この離宮は何もかもが空っぽだ。私の居場所は、前国王の配慮により王太后や現国王には知られていない。知られた時が、この人生の終わりなのだろうか。それともスリリングな日々の始まりなのだろうか。ここでは命を絶つに相当するきっかけさえない。


 けれど、最近は楽しいと思っていることもある。あの姫のことだ。

 運良く夢に入り込めたが、思ったよりも楽しめている。城にいる王太后や国王には、このように身分や立場に縛られて身動きが取れないような思いをすることがあるのだろうか。もしあるなら滑稽だが、私が夢には入れないということは、隙のある面白い葛藤ではないのだろう。最初は、花のように美しい大陸一の美姫と聞き、母を思い出した。母の記憶がある訳ではないが、肖像画を見ながらネーナが教えてくれた。


 母は自らの美しさで身を滅ぼした。であれば、噂の美姫も同じ運命を辿るかもしれない。姫が私の正体を疑っているのは特に面白かった。王族に擦り寄る人間(?)が打算なしであるわけがない。当然何か企みがあるものと思っていたが、夢の登場人物で存在さえ半信半疑なのに、警戒だけは実在する人間に向けるものと同じようにしているのが、姫の用心深さを感じさせた。


 ユーフォリムには権謀術数が渦を巻き、華やかな宮廷文化に妖しい影を添えている。薄っぺらい張りぼての煌びやかさ、その危うい華々しさこそ、諸外国に誇れる貴族文化なのだろう。もっとも本物を見たことはなく、夢にお邪魔させてくれる人々の記憶や知識を覗かせてもらっているに過ぎないが。

 しかし、こうした欲望の塊のような宮中は悪魔の最も好むところ。会ったことはないが、ユーフォリムには私の他にもたくさんの悪魔が棲んでいることだろう。



***


 最初に接触したのは兄のヘンリー王子だった。何か考えがあって彼を選んだわけではない。ただ、自分と似たような人間がいると感じて興味を持っただけだった。


 「そこにいるのは、誰?」


 兄は妹と違って、最初から私の姿が見えていた。それだけ他人に対する警戒心が薄いのか、ただの夢ではないということを彼の第六感が告げているのか。


 ヘンリー王子は生まれつき病弱らしい。あの儚げな美しさは、自分の体を頼りなく思っているからこそ生まれてくるものなのだろうか。ふわふわと夢に漂うような生き様は、人間よりも私たち寄りに思える。


 「私が何者かなど、貴殿にはどうでもいいことだろう」

 「それもそうだ」


 王子はあっさりと肯定し、その場に座り込んだ。高貴な身分のものが、この何もない空間で、得体のしれない人物を前に座り込む姿が意外だった。


 「近くへ」


 最初はそれが自分に向けられた言葉だとは思わなかった。反応しないでいると、王子はもう一度言った。


 「そこでは話がしづらいだろう。近くへ来て、私の話し相手になっておくれ、私の目が醒めるまで」

 「夢だとわかっているのに、夢の相手に話し相手を頼むなんてよほど退屈しているな」


 しかしその気持ちも分かる。私は王子に近づいた。


 「ああ、退屈だよ。夢か夢でないかはすぐに分かる。私の部屋でなければ全部夢だ。本当は夢など見たくない。夢の中でさえ時間を潰さなくてはならないなら、なおさらだ」

 「私は貴殿に何の義理もないが、望みさえすれば、何か刺激的なことをしてあげよう」


 この王子の倦怠は身に覚えがある。私はこうして他人の夢を自由に渡り歩く楽しみがあるが、それさえないこの王子が心から哀れに思えた。


 「刺激的なこと、とは?」

 「何でもいい。帽子から鳩を出すのは専門外だが、貴族の中で一番綺麗な娘を見つけて貴殿に惚れさせることもできる」

 「はは、女性を相手にする呪い師のようなことを言うな」

 「私を呪い師のような胡散臭い連中と一緒にしないでくれ」


 もしかすると呪い師と呼称される連中にも本当に力があるのかもしれないが、私のイメージは詐欺師でしかない。

 王子は薄く笑った。


 「君に、できないことってある?」

 「……何をしてほしい?」


 二人でしばし見つめ合う。そして、王子が沈黙を破った。


 「腹の探り合いをする気か、夢の中で?」

 

 王子は穏やかに微笑んだ。


 「私は、君に刺激的なことなんて求めない。でも、何かできる力があると言うなら、妹の願いを叶えてほしいかな」

 「噂の美姫か」


 王子は意外そうに目を見張った。


 「知っているんだね」

 「もちろん知っている。大陸一の美貌を持つ美しい姫。そうだろう? 噂が大陸の端から端まで届かないようであれば、大陸一とは言えない」

 「ああ。そう。その姫だ。大陸一の美貌。その姫には、美しさに見合うだけの幸せがあってしかるべきだとは思わないか?」


 美貌で名を馳せたユーフォリムの王妃が、殺されたという噂をご存知ないのかな。

 もっとも、王妃は殺されたのではなく、自殺だろう。結果として私という悪魔が生まれているのだから、王妃の不貞は間違いない。私にユーフォリム王家の尊い血は、一滴も流れていないのだ。

 

 「貴殿は、”美しさに見合うだけの幸せ”というものがどんなものだとお考えかな?」

 「さあね」


 大して考えもしていないだろうにそう言って、王子は立ち上がった。


 「でもこのままだと姫は幸せじゃないんだ。婚約が決まっているが、姫はそれを歓迎していない」

 「婚約を阻止すればいいのか?」

 「姫の考える幸せというものがどんなものか、私にはわからない。姫と私は、兄妹だが他人だからね」


 王子は妹の幸せを願う優しい兄の割には、突き放したような言い方をした。


 「とにかく姫が望むことをしてあげてほしい。心の底から望んでいることを、だ。それがもし国益に反するものでも構わない。王族のあり方としては間違っているかもしれないが、私は妹のためなら、魂だって差出せるよ」

 「貴殿の魂か……それは、近い将来手に入りそうだね」

 

 王子の笑顔は儚げだ。今にも消えそうで、霞のようで。

 自分の死を身近に感じている人間というのは、皆こうした雰囲気なのだろうか。 

 王族の魂を貰っておくのもいいかもしれないな。そんなつもりはさらさらなかったけれど。


 「だったら私は手を貸そう。貴殿の魂と引き換えに、姫の願いを叶えてあげられる」

 「……よかった」


 彼が心底安堵したように言うので不思議だった。

  

 「こういう時、自分の幸せを望まないのか?」

 「私の願いを叶えるのは、いくら君でも無理だよ」


 王子はあまりにあっさりと言った。もちろん私にもできないことはたくさんある。天と地を逆転させろと言われたら無理だし、できてもやりたくない。でも人間が望むことなら大部分は実現させられる自信があった。大金持ちになりたいと言うならそうしてあげられるし、人の感情だってやろうと思えばコントロールできる。面白くなりそうもないからほとんどの場合そうしないだけで。


 「言うだけならタダだよ。例えば君の病気を治せと言うなら、そうしてあげられる。対価は、そうだな」


 単純に王子の望みに興味が湧いた。


 「そのハンカチは? 貴殿が後生大事にしているものがキャビネットに仕舞われているようだが」


 魂とまでは言わないが他人が大切にしているものを欲しいとも思う。これも立派な対価だ。


 「病気を治して欲しいとは思わないな……。それにそのハンカチは大切なものだから、何の対価としても手放したくない」

 

 王子は、ふ、と息をついた。


 「もし私が私ではない誰かになりたいと言ったら、それはできるのか?」


 「ふむ、王子をやめたいということか?」

 「いや、違うな。例えば私が姫と婚約している王子になりたいと言ったらそれは叶うのか?」

 「……あなたにも周りにも”そう”だと信じ込ませることはできるよ」

 「体は私のままなのか?」

 「やはり病気を治したいということではないのか、それは?」

 「体に流れている血を丸ごと取り替えたいんだ」


 ここへきて、王子は少し苦しそうな顔をした。人が本当の願いを口にする時。

 その願いが浅ましいものだと自分でわかっているから、他人に恐る恐る差し出す時。

 私は自分の口角がわずかに上がるのを感じた。

 例え何かの契約に結びつかない話でも、人の内面を覗くのは楽しい。特に彼のように表面上穏やかに取り繕って見せている人が浅ましくも欲望を口にする姿を見るのは。


 「私は姫と血が繋がっているこの体が大嫌いなんだ、だから健康になどなりたくないし、魂だって惜しくない。この体は早く朽ちるべきだと思うから」

 

 「血、か」


 奇しくも彼は私と同じように、自らの体を流れる血が忌まわしいのだ。

 薄い皮膚の下を流れる自分の血が憎い。

 同じ苦悩を抱えるものとして、そして日々の倦怠に苦しむものとして大いに同情した。

 彼を苦しみから解放してあげたいとは思うが、体を取り替えるのは”できないこと”の一つだ。姫に、ヘンリーを血の繋がりの無い赤の他人だと思わせることはできるが、おそらくそれではヘンリーにとっては意味がないのだろう。

 なんとなく彼が本当に何を望みたいのかは察せられた。彼のような思いを抱く人は稀にいるから。


 「貴殿の望みを叶えることは確かにできそうにないな。代わりに姫の望みがどんなものであっても叶えると約束しよう」 

 

 王子は穏やかに微笑んだ。

 彼は血を丸ごと取り替えて欲しいと言うが、もしそれが実現したところでやはり彼は自分が兄であることを忘れられはしないだろう。彼を苦しめている倫理観の呪いから解放されない限りは。


 「……いつになったら夢が覚めるんだ?」


 王子はもう話を終わりにしたいようだ。


 「……目覚めさせてあげるよ」


 夢を見てるものが眠りから覚めればこの時間は終わる。しかし私の手で起こすこともできる。何か衝撃的な刺激があれば(たとえそれが夢の中でも)人は目を覚ますものだ。

 欠点といえば、夢の終わりと同時に私の眠りもまた妨げられるということ。まだ深夜なのに、目を覚まさなくてはいけない。しかも、私は目を覚ますとなかなか寝付けなくなる性質だった。今日は昼寝しよう。そう思いながら、王子との夢を離れた。

 

 妹を幸せにしたい、か。

 幸せ。

 漠然とした言葉だ。

 欲深いのか無欲なのか分からない。

 婚約を阻止してくれと一言頼まれていたら、さっさと婚約を解消してあげて、この暇潰しは終わりだったのに。

 王子の魂。対価が発生した以上、これも契約を交わしたことになるのだろう。

 今日仕事はしないはずだったのに。

 何が姫の望みか、王子は答えてくれなかった。

 つまりこれは自分で調べなくてはならない。

 

 でも、面白いことになると思った。姫の夢に入ってみよう。あわよくば姫からも魂を戴けるかもしれない。



***



 姫の夢に入るのは難しかった。夢に入ること、それ自体は難しいことではない。ただ、稀に姫のように警戒心が強く、自分の心を自分にさえ偽ろうとする者がいる。そういう者の夢に入るのは難しい。入ったとしても姿を認識してもらえないし、姿を見せられたとしても自分のテリトリーでしか会わせてくれない。

 (姿を見せるのが一番、話が早いのに)

 己の容姿がこんなにも優れているのに、見せることができなければ意味がない。最大の武器を使わずに戦うなんて、時間がかかる。ここまで姿を見せなかったのは初めてだった。

 もちろん、姿を見せなくても姫は契約してくれたけど。


 姫の願いを叶えるためとは言え、エリックの夢に入らなければならないのは憂鬱だった。面倒だし。

 

 「これがエリックか……」


 姫の記憶を探り、想い人であるエリックのところへたどり着く。パッとしない男だ。あれほどの美貌を持つ姫がなぜこのような平凡な男を好きになるのだろう。見た目だけではない。突出した武力も知恵もなく、大した名家の出でもない。凡庸という言葉が服を着て歩いていたら、まさにこんな感じになるだろう。それでも姫は彼が光だと言った。


 「この男に好かれるためなら魂さえ差し出せると言っていたな」


 果たしてエリックの胸中を覗くと、もう十分姫のことを愛しているようだ。でもつまらない男、良く言えば理性的な男なので何の行動にも移さず、自身と同じように地味で平凡で堅実な女と結婚しようとしている。


 エリックに好きになってほしい。

 これが願いだったのだし、私は労せずして彼女の願いならもう叶ったと言える。

 

 しかしエリックはずっと姫を好きなのに、今まで何も起きていない。

 私が何かしてあげないと、これから先も彼らに何も起きないだろう。


 「これ以上は、過剰なサービスになるかな」


 エリックから、対価を貰えばいいか。

 そう考えた。

 王子が願ったのは、姫の幸せ。そして姫はエリックの心を欲した。

 エリックの幸せを望んでいるわけではない。もっとも、姫は自分でエリックの幸せを望んでいないことくらい承知しているだろう。でなければ婚約も祝福するはずだ。姫は自分がいかに身勝手かわかっている。でもその点は好ましい点だった。


 エリックは、やはり凡庸な男だった。でも凡庸さを責めるのは酷かもしれない。王子や姫がおかしいのだ。最近は麻痺していたが、そもそもこの世に多いタイプを凡庸と呼んでいるのだし、エリックがどんなに面白くない男でもそれは彼の欠点ではない。姫がエリックの婚約を知ってから嫉妬に駆られたように、エリックもまた最近の姫とアランの仲の良さを見て焦燥感を覚えているようだった。誰も彼もが失いかけてから焦り出す。つなぎとめる努力をしなかったくせに。


 エリックの婚約者であるマーガレット・サリンジャーは、善良な娘だった。仕事のことも家のことも自身の幸せも、現実のこととして考えている。


 彼女の運命を狂わせることは簡単だ。少しでも何かが違っていたら彼女は助かっていたし、あるいはもっと酷い死に方をしていたかもしれない。彼女は何も悪いことをしていないのに、身勝手な人間が周りにいるせいで身を滅ぼすことになる。


 (……かわいそうに)


 本当にそう思った。人の運命を左右したのは初めてではないが、大抵はいつ死んでもいいような人間だった。けれどこうして何の落ち度もない人間が死にゆくのは心が痛む。

 強いていうなら彼女の罪は周りの想いに鈍感だったこと……だろうか。

 彼女が姫の想いに気がつくのは無理だっただろう。あの姫は家族以外に決して自分の心の裡を見せない。しかしエリックの想いにもまったく気がつかなかったのだろうか。あの男がそんなに巧みに自分の気持ちを覆い隠しておくことができるとは思えないが。


 きっかけとしてはこれで十分だろうと思った。エリックも姫も、マーガレットの死を自分のせいだと思うだろう。

 彼女の死によってもたらされる幸せを、彼らが素直に享受できるとは最初から思っていないが、どちらも前に進もうとするだろう。自分の大切なものを犠牲にしてしまった以上。


 それでもどうにかならなければまた”手出し”しなくてはならない。王子との契約は姫が幸せにならなければ果たされたことにならないのだから。


 

***


 最初に行動を起こしたのがエリックだったのは想定内だったし、姫がエリックに応えないのも想像の範疇だった。

 しかしそれも長続きしないだろう。いずれ彼女はエリックの手をとる、そんな確信があった。姫は一見自制心があるようにも見えるが、あの兄に比べればまだまだだ。王子は自制心がある。いっそそんなもの手放してしまえばいいのにと思うほどに。この国でなければ兄妹で結婚したって別に不思議ではない。でも生まれてから一度もこの国を出たことがない彼ら兄妹にとって、肉親に異性としての目を向けること自体が気味の悪いものなのかもしれない。それが例え自分の内から生まれ出た感情であっても。

 王子はこの現状をどう思っているのだろう。まさかマーガレットの死に私が関わっているとまでは見抜いていないと思うが。

 姫と私が契約したことも彼は知らない。姫も話していない。もっとも、話されたところで王子は私との接触を明かしはしないだろうけれど。


 (そう考えるとエリックは本当に口が軽いな)


 口止めしたわけではないし、話そうと話すまいと彼の自由だ。それに、彼が私を天使だと表現したからか、今のところ姫が私の関与に気づいた様子はない。

 けれど、一般的にこうした契約事項は他言すると碌な結果にならないということは、物語や神話でも知られているのではないだろうか。

 

 姫は、エリックの告白を喜んでいる。それは明らかだ。

 この間は詰られたが、今は少し落ち着いて心境の変化があるかもしれない。

 今度は姫に会いに行くことにした。もしかしたらこれで最後になるかもしれない。

 私が狂わせた運命をどう辿るのか、見届けたいと思った。

 


 

 

 


 

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