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すべてはあなたの思うがまま  作者: 柴田エリカ
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第6話 嵐



 朝起きると、城内が騒がしかった。いつもより人が少ないし、皆不安そうな表情を浮かべている。

 マーシイは私を起こすと、今日は城の外へ出ないように言いつけた。

 アランのところへ行くと言うと、マーシイはいくらかホッとした表情で「ええ、それがよろしいでしょう」と言った。マーシイたちが話したがらないことでも、アランはきっと喋ってくれる。

 私がアランの部屋へ行くと、アランは自分が連れてきた数人の部下と話をしていた。アランは人払いをしようとしたが、私はそれを制した。どうせすぐに帰るのだから。

 「今日は朝から騒がしいようだけど、何かあったの?」

 「小規模な暴動だ。それがイディアスで起きたことだから少し過敏に反応しているんだな」

 「イディアスで……?」

 皆が不安そうにするわけだ。城下にほど近い街での暴動とは。

 これまでのように辺境で起こる村のそれとは訳が違う。下手をすれば彼らは城下、果ては城にまで押し寄せるのだから。


 「何が原因だというの?」

 おかみさんやイリーナの話を思い出す。城下でさえあの調子だった。

 「まあ、色んな不満が蓄積した結果だろう。詳しいことはまだわからないが」

 「そう……」

 本当に詳細が分からないのか、それとも私には伏せられているのか。アランの部下が私に厳しい視線を向けている。

 アネッサは滅びる。

 ルイの言葉を思い出す。

 この国はあまりにも弱い。だからこうしてアランとの婚約話が持ち上がったのだ。国を守るために。

 「面白いわね、外敵から国を守るための婚約だったのに。こんな風に内から瓦解していくなんて」

 「姫」

 アランが気遣わしげに声をかけてくる。

 いつかは滅びるかもしれない、それも近いうちに。そう思ってはいたけれど、こんなにも近くまで滅亡がやってきているのだ。


 「部屋に、戻るわ」

 アランは部下に送らせるといったが辞退した。自分の城なんだから自分で歩ける。

 この小さな国で生まれ育った私にとっては、自分の行く先々に人がついてくるなんて、想像するだけで寒気がする。

 「ルイ……、聞いている?」

 部屋で、虚空に向かって問いかける。返事はない。でも、ルイは聞いているだろうと思った。何でも私のことを知っているから。

 「あなたはこうなるって分かってたの? だから昨日、あんなことを?」

 返事はやはりない。あるいは私が感知できないのかもしれない。

 エリックは当然鎮圧に駆り出されて城にいないだろう。これではルイの仕事の成果など確認のしようがない。

 


 暴動が思ったよりも激しいものだったということを知ったのは、この五日後のことだった。そしてその時には暴徒たちは城下まで押し寄せており、城下にも被害が出ていた。城は静まり返って、誰も息をしていないかのようだった。私も生きた心地がしなかったし、暴徒が城下に至ったという話を聞いた時は私もここで死ぬのかと思った。エリックの安否も心配だったが、城のすぐ外で起こっているにもかかわらず、騎士団の一人一人の安否は分からない。不安を紛らわせるためにお兄様に会いに行ったり、情勢が情勢なので国に帰れずにいるアランのところに行ったりした。でも何をしても真に不安を和らげるのは無理だった。誰かにエリックの安否だけでも教えてほしかった。


 城下の暴徒は大体逮捕され、最初に暴動を率いていたリーダーが戦死したとあって、暴動は収束に向かった。これでまた束の間の平和が戻ってくるかに思われた。騎士団も少数を除いて帰還すると言われ、帰還するメンバーの中にはエリックもいた。明日にはエリックが戻るだろう。期待に胸を躍らせた。こんなに明日を楽しみにしたのは久しぶりかもしれない。そこへ、マーガレットが尋ねてきた。


 「姫様、何か欲しいものはございませんか?」

 「いいえ、特には……。どうしたの、買い出し?」


 マーガレットの身分で買い出しするなど余程特別なものを買いに行く時だ。最近城は出入りの商人を制限するようになったので、どうしても必要なもの以外はこうして城の誰かが買い物に出かける。誰に何を頼まれたのだろうと呑気に考えつつ、「今城下へ行くのは危ないんじゃない?」と付け足す。鎮圧されたと言われる暴動だがまだ残党が残っている。


 「大丈夫ですよ。城下の民はもう日々を取り戻しているのですから」


 確かに、いつまでも暴徒に怯えていたら生活できない。アランに控えようと言われて以来、酒場にも行っていない。城下の被害は他の地域に比べればさほどでもないと言うが、イリーナたちは無事なのだろうか。

 そんなことを考えながらマーガレットを送り出して、一日が過ぎた。こんな他愛のない言葉が、私たちの最後の会話だった。



***



 

 「君が会いたがっているような気がしたんだ」


 夢の中。相変わらずの美しい姿でルイが立っている。私は顔が強張っているのを感じた。


 「あなたの仕業なの? マーガレットのことは」


 声が震える。指先が冷たい。いまにも倒れそうなのに、これだけはルイに聞かなければならないと思っていた。お願い、否定して。勘違いだと言って! 単なる不幸な偶然なのだと。


 「君はそれを知ってどうするの?」


 ルイが冷たく突き放す。


 「私には知る権利があるわ! あなたと契約したんだもの。マーガレットのことがあなたの仕業でなければ、あなたはどうやってエリックの気持ちを私に向けさせるつもりだったと言うのよ?」


 思わず激昂すると、涙が溢れてくる。身体は芯から冷えているように感じるのに、涙だけがやけに熱い。ルイは私の言葉に意外そうに言った。


 「君が知らなくていいことなら、知らないままでいた方がいいんじゃない? 余計な罪悪感を抱くはめになるよ」


 罪悪感。


 「それがあなたの答えなのね」


 ルイは何も言わない。でも私は確信した。どんな手を使ったにせよ、マーガレットはルイのせいで死んだのだ。いや、浅ましくも悪魔の手を借りた、私のせいで。


 「こんなこと、望んでいなかったわ……」

 「君は、マーガレットに申し訳ないとは思わないと言ったよ」

 「そうだけど! でもマーガレットは私の大切な友人だったのよ……それも、本当だった。二人とも私の大切な人で、こんな風に悲しませるのが目的だったわけじゃないわ!」


 偶然エリックのいる時に医務室へ行ったマーシイは、エリックがマーガレットの亡骸に縋り付いて泣いているのを目撃したらしい。そんなところを想像するのも嫌だ。エリックを悲しませるなんて思っていなかったし、ましてやマーガレットをこんな風に失うことになるなんて。

 それと同時に、私が同じように死んだら、エリックは私の亡骸に縋り付いて恥も外聞もなく泣いてくれるのだろうかと思った。こんな時にまでマーガレットと張り合おうとしている自分が情けなくなる。


マーガレットの死は、すぐに城中に知れ渡った。城の中では唯一の暴動の犠牲者だった。マーガレットが何をしに行こうとしていたのかと言うと、マダム・フリンゲルのブティックにドレスを取りに行っていたらしい。残党に襲われたのは帰り道のようだ。馬車ごと襲われて、馬車からドレスは見つかったが、それも無惨に引き裂かれていた。何もそれをこの時期に取りに行かなくてもとマーシイは引き止めたが、もともとドレスの完成日は過ぎていて、エリックが帰還すると聞いたから取りに行くことにしたらしい。マーシイはどうしてもっと強く引きとめなかったのかと悔いていた。私もそうすればよかったと思う。危ないとは言ったけど、本気で心配していたわけじゃなかった。でももしマーガレットが行くのをやめても、私がルイに頼んでしまった以上、マーガレットは何かが原因で命を落とすことになったかもしれない。


 城が悲しみで包まれているのをこの肌で感じた。マーガレットがいかに色んな人に愛されていたかがわかる。

 マーガレットに最期のお別れを言うために、何人も医務室に押し寄せた。すぐに地下へ運ばれなかったのはこの人望のためだろう。本来なら城に死の穢れを持ち込むことを何よりも嫌う宮廷人たちが、遺骸を受け入れただけでも驚嘆すべきことだ。しかしいくら朋輩であっても、大抵の女性はその姿を見るに耐えなかったらしい。基本的には止められるし、制止を振り切ってその姿を見たものは卒倒している。


私も周囲からとても強く止められた。私は、マーガレットの遺骸が地下に運ばれてからその姿を見に行った。その時に確信はなかったけれど、マーガレットを死に追いやったのはきっと私なんだから、目を背けるわけにいかないと思った。

 一人で会いたいと言って部屋に入ったので、私はマーガレットとあの地下で対峙した。冷たく暗く、時が止まってでもいるかのような非日常的な空間。マーガレットの遺骸は、可能な限り綺麗な状態にしてあったのだと思う。布に血が染みて硬くなっていた。その硬い布をそっと外し、マーガレットの顔を見ようとしたけれど、頭部は幾重にも布で覆われていて、全て外したところでもとに戻すのは大変そうだった。何度か布を捲り、私はこれ以上はできないと感じ、布を全て元に戻した。捲るごとに増えていく凝固した血液の量に、冷や汗が止まらなかった。


 身体の中でも辛うじて損傷の少ない手を見る。ほっそりとした手は、生きていた時どんな状態だったか思い出せないほどに生気はなく、乾燥していて、形良く整えられていたはずの爪もボロボロになっていた。その手は物のように冷たく冷え切っていて、硬かった。急に百年も衰えたのではないかというほどに、若い女の手とは思えなかった。

 左手は完全だったが、右手の指が一本無くなっていた。右手をそれ以上見るのは苦しく、目を背けた。同時に、なぜ左手の指は完全なのだろうと不思議にも思った。右手の失われた指には、指輪がついていたのだろう。彼女が身につけていた売れそうな装飾品は全て奪われていたのに、どうして左手の婚約指輪には手をつけられていないのだろう。血でくすんで薄汚れたこの指輪が、そんなにも安物に見えたのだろうか。

 左手の薬指から、婚約指輪を抜き取る。硬くなった手から指輪を抜くのは一苦労だった。綺麗に拭けば、指輪はまた輝きを取り戻すだろう。肉体が魂の容れ物に過ぎないというなら、マーガレットの魂は今どこに在るのだろうと思った。


 「あなたは見た? あの、マーガレットの凄惨な姿を。あなたが殺したのよ! よくもあんな風に……」

 思い出して八つ当たりする。自分だって、見てはいないくせに。どんな死に様だったのか、人伝に聞いただけだ。

 「見たよ。自分の仕事だから」


 ルイが淡々と言う。


 「あなたは、悪魔よ」

 「知っていただろう?」


 震えているのが怒りでなのか絶望でなのか、もうわからなかった。誰もいない庭園に突っ伏して泣き喚く。ルイに見られるのは癪だったが、現実ではなかなか涙を零せないし、真に私の泣いている理由を分かる人もいない。


 「マーガレットを殺しておいて、私の魂を奪おうだなんて素敵な商売だわ。出て行ってよ!」


 自分の過ちが憎い。あの選択をした私が恨めしい。一時の嫉妬に煽られて、大切な友人を死なせてしまった。


 「姫」


 ルイがこの場では異質なほど優しい声をかける。


 「君を傷つけてしまったお詫びに教えてあげる。エリックは君のことを元から想っていたよ。私が何かするまでもなく、ずっと君のことを好きだった」


 ルイが立ち去る気配がする。いつもは消えたり、私の目が覚めたりして終わるのに。

 誰が悲しんでいても、あの悪魔は何も感じないのだろうか。今私が魂を賭けられるなら、迷わずマーガレットを生き返らせてと頼むのに。今すぐに、私の命と引き換えでもいいから。



***



 マーガレットの葬儀で初めて帰還したエリックの姿を見た。声をかけるべきか悩み、姫として、エリックとマーガレットの共通の友人として、彼に声をかけるべきだと思った。でも、その憔悴した姿を見たら声をかけるなんてとてもできなかった。私が、マーガレットを死に追いやった私が、どうしてエリックに何か言えるだろう。お悔やみを言う資格はない。涙を流す資格もない。エリックの心を今苛んでいるのは、元はと言えば私のせいなのだ。

 誰にも謝れない。それに、誰に許してもらえるというの? 私が一番自分のことを許せないのに。


 葬儀の後、アランが下手な慰めを言いにきたが、聞きたくないので追い返した。マーシイが角が立たないように丁重に返してくれたが、私もアランが国に帰る時だけは見送りをした。無神経なアランにしては珍しく、私に余計なことを言わず、私も形式的な言葉だけを口にして別れた。もともとが予定を超えてかなり長引いていた滞在だ。小さな国を襲った脅威も当面は去った今のうちに平和な故郷に帰れてせいせいしているだろう。今回の滞在で、長い間私はアランのことを理解しようとかまるで思っていなかったことを実感した。彼も私に興味を示さなかったけれど、私だって同じだ。実際一緒に城下に出るだけでも見えてくることはあったし、一緒に平民のふりをして酒場に潜入し、平民とお話しするのも楽しかった。イリーナとは、アランがいなければ出会えなかっただろう。

 お兄様はこんな時、私に声をかけない方が良さそうだと判断したらしく、いつでも宮へ来るようにとマーシイに託けて、私には何も言わなかった。


 「ごめんなさい、マーシイ」

 「姫様、何を謝るのです? 簡単に人に謝罪してはならないといつも申し上げていたでしょう」


 そう言うマーシイの目尻にも涙が浮かんでいる。私も涙を流しそうになった。その言葉を特に私に口にしていたのはマーガレットだからだ。


 「マーシイだって、マギーの死を悲しんでいるでしょ。私のことは構わなくていいわ」


 私ばかりが悲しんでいるような顔をしていられない。マーシイにとってもマーガレットは大切な同僚で、娘のようにも思っていただろう。


 「私は、仕事をしていた方が気が紛れますからお気になさらないでください。姫様も休まれてください。ここのところ、ろくにお眠りになっていないでしょう」

 「ええ。そうね……。でも、起きているわ。眠ると悪い夢を見そうなの」


 マーシイが気の毒そうな顔を私に向ける。私は庭を散歩すると言った。お供しますと言われたけれど、断った。ひとりになりたい。しばらくは誰も庭に寄せ付けないよう、マーシイに頼んだ。庭でひとり花々を見ながら、どうして今生きているのが私なのだろうと思う。


 私が眠れていないのは事実だった。眠ろうとすればするほど目が冴えて、それでも眠りに落ちそうになると、瞼の裏にあの手が蘇る。私が最後に見た、マーガレットの一部。なくなっていた右手の指。そして薬指の指輪ごと綺麗に残されていた彼女の左手。あの時の私がどうして彼女の遺体から指輪を取ったのか分からない。ただ、これをマーガレットに残しておくのは嫌だった。ポケットに手を突っ込んで、その小さな輪をみる。ダイヤは相変わらずくすんだままで、地金にも血がこびりついている。汚れていて見えないが、内側には何か刻印でもあるかもしれない。エリックから受け取った婚約指輪。昔から、私が喉から手が出るほど、欲しくて仕方がなかったもの。それが、今は私の手の中にある。


 マーガレットと代わりたかった。どうしてこんなことになったのかしら。私がもっと毅然とルイを拒絶していればもちろんこんなことにはならなかった。いいえ、もっと前、私が二人の仲を知らないままでいれば。それか、もっと早くから、アランとの仲を深める努力をしていれば、結婚に希望が持てたのかもしれない。あるいはエリックへの想いをもっと早くに伝えて、陛下にも申し上げていれば、もしかしたら私の想いが本気と分かれば陛下も婚約を断ってくれたかもしれない。私が婚約を渋るのを見て一応は検討してくださっていたんだもの。お兄様は私の想いをご存知だったけど、逆にお兄様以外には全然知られていなかった。思っているだけでは伝わらないのに、私は自分が望む方向へ進めばいいな、と勝手に期待していただけだ。そして思い通りにならなかったら悪魔の手を借りてまで取り戻そうとする愚か者。考えれば考えるほど、足掻きようはあった気がする。こんなことになる前に。この庭をエリックとふたりで歩いていた頃には、まだ何かできることがあったはず。


 姫様。マーガレットの柔らかい声が蘇る。マーガレット、あなたは何も悪くなかったのに。


 「姫様」


 一瞬、マーガレットの声かと思った。振り返ると、そこにいたのはエリックだった。なんだかひとまわりは小さくなったような気がする。私は握りしめた指輪を慌ててポケットに入れた。


 「マーシイに、誰もいれないでと言ったのに」

 「マーシイ殿を叱らないでください。私が頼んだのです」


 エリックが近づいてくる。私の心臓は早鐘を打つように騒いだ。エリックに合わせる顔がないと思ったけれど、確かに嬉しいと感じている自分がいる。どこまで身勝手な女だろう。


 「姫様とこうして庭にいるのは久しぶりですね」

 「……そうね」


 エリックは何をしに来たのだろう。私を慰めに来たわけではないことくらい分かる。


 「サリンジャー家との婚約がなくなったのは残念だったわね」


 マーガレットとは口に出せなかった。私の平坦な物言いに彼も少々驚いたような気配がする。このことに関して私が何か言える立場にないのは私しか知らないのだから当然だろう。私も、ルイとのことがなかったらもっと心のままに慰めの言葉を口にしていたと思う。


 「ええ……でも、これは私のせいなのです」


 エリックの口から飛び出した意外な言葉に今度は私が驚く番だった。


 「お前は、マギーの死を自分のせいだと思ってるの?」


 エリックは答えなかったが、その瞳が肯定している。


 「いったいなぜ?」


 エリックがもっと早く帰っていればマーガレットはその死を免れただろうか。でも、その死はルイによるものなのだ。私がエリックを望んだから、邪魔なマーガレットは殺された。おそらくこの襲撃を回避したとしても、マーガレットにはまた別の形での死が待っていただろう。


 「理由は、お答えできませんが。でも、マーガレットの死は私に責任があるのです。私と婚約していなければ、彼女が命を落とすことはなかった。私は、姫様のご友人まで奪ってしまった……」

 「……」


 マーガレットが襲われたのはドレスを取りに行ったからだ。そのドレスは確かにエリックと婚約していなければ、マーガレットが取りにいかないものだった。そのことを指して自分の責任だと言っているのだろう。


 「お前が気にすることではないわ」

 本当に。

 「お前は優しすぎるのよ」

 だってマーガレットの死は私のせいだから。他の誰にも責任のないこと。エリックが自分を責めるのを見るのは辛い。私のせいだと言えたらどんなに楽か。

 (でもきっと、悪魔の存在なんてエリックは信じないわね……)

 話したら、私の精神状態を心配してきそうだ。


 「いいえ、私のせいなのです」

 いつになく強く、エリックが断言する。


 「ドレスのことでしょう? なぜマギーが外出したのかは私も知ってるわ。みんな止めた。お前に責任があると言うなら、止めきれなかった私たちにだってあるわよ」

 少し苛々と言い募ると、エリックも気圧されたように黙る。なんなのかしら、これは。非は完全に私にあると言うのに、それを明かすことはできない。それなのに、自分が悪いと思い込んでいるらしいエリックをなぜ私が宥めているのか。


 「姫様。ドレスのことだけではなく、マーガレットのことは本当に私のせいなのです。話せば姫様に軽蔑されるに違いありません」

 エリックは静かに言った。

 「ドレスのことだけではなく?」

 エリックが何かしたのだろうか。喧嘩でもしていたのだろうか。

 「ええ……」

 エリックが周囲を見渡す。


 「心配しなくても誰も来ないわ。そうマーシイに頼んだのだから。あなたはこうして入ってきたけど……」


 マーシイも、相手がエリックでなければいくら頼まれたからと言って中庭に案内したりしなかっただろう。マーシイのことだから、落ち込んでいる私が、大好きなエリックと話せば少しは元気を取り戻すと思ったに違いない。


 「私はあなたが何を話しても軽蔑なんてしない」


 これには自信があった。だって私が悪いんだもの。この件に関しては、エリックが何を言ったとしても。


 「座って話しましょう。落ち着いたところでね」


 中庭にあるお気に入りの東屋。時々はここでお茶をしていたこともある。最近はしていなかったけど。エリックを付き合わせたことも、何度もある。エリックを促してベンチに座らせる。


 「さあ、話して。あなたが話すことで楽になるなら聞いてあげるわ」


 絶対エリックに非はないが、本人があると思っていて、それを吐きだしたいとも思っているなら、私はせめてそれを受けとめてあげよう。

 エリックはぎこちなく口を開いた。


 「城下にいる時、夢を見たのです」

 「夢?」

 「ええ。天使が出てきました。夢の中に」

 「ふふ」


 思わず笑ってしまった。深刻な顔のエリックの口からまさか天使などと言う言葉が出てくるとは。夢に悪魔が出てくる私とは大違いだと思って、微笑ましい気持ちになる。

 しかしエリックはニコリともせずに続けた。


 「そこで、天使は私に言ったのです。私の望みを叶えるなら、私も捨てなければならないものがあると」

 「望み?」

 「その捨てなければならないというものが、マーガレットと家の安泰でした」

 「…………その夢を見たのは、一回だけ?」


 一瞬、彼の言う天使とは、ただの夢ではなく、ルイのように夢を渡り歩ける人によるものではないかと思った。

 あまり聞いたことのない話だけど、実際私の前に現れたし、彼のような人間が他にいてもおかしくない。それがエリックの夢に出てきたとしても。


 「ええ、一回だけです」

 「……」


 私はルイの夢を何度か見た。ルイは何度も私を惑わすようなことを言ったし、エリックの話から受ける印象とは少し違う。だいたいルイは天使ではないし。ルイではない別個体の生き物なのだろうか。それかやっぱりただの夢か。エリックは真面目な人だから、たまたま見た夢を自分のせいだと思ってしまったのか、それとも真偽は不明だがこれこそたまに聞く予知夢というやつなのか。


 「私はただの夢だと思いました。夢なら、望みを叶えたいと。でも、あれは夢ではなかったのかもしれません。こうしてマーガレットを失った以上……」


 まだ家の安泰が残っている。マーガレットとの婚約がなくなったからと言って傾く家ではない。

 そう思ったけれど、エリックはそこまで考えていないようだ。


 「それで? マーガレットを失って、お前の望みというのが叶ったの?」


 戦地で見た夢だ。生きて帰りたいとか、そういう望みだろうか。

 エリックはまっすぐに私を見た。


 「いいえ。まだ叶ってません」

 「じゃあその天使はまだ仕事をしていないわね」

 「姫様、茶化さないでください……」

 「お前の望みはなんだったの?」

 「……姫様が国を捨て、私を選んでくださるなら、私も姫様の手を取ると、私は天使に言ったのです」


 エリックの瞳は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えない。


 「嘘よ……」

 そう口にしたつもりが、私の耳にも届かなかったし、唇が震えて舌も回らなかった。私の言葉はきちんと声になっていたかもわからないほど薄く、ただ吐息となってこぼれ落ちたのかもしれない。


 「姫様、ずっとお慕いしておりました」


 なんだろう、覚えがある。


 「姫様、どうか、私と共に歩むとおっしゃってください」


 そうだ、ルイだ。彼が私に言ったのと同じだ。あの時ルイが扮するエリックの目は熱く濡れて熱っぽかった。しかし今のエリックは悲愴感さえも感じさせる表情で、まさしく悲劇の主人公そのもの。

 エリックは私に決してこんなことを言わない。ルイがエリックに扮した時、私は彼にそう言ったのに。何が彼にこうさせるのだろう。マーガレットの死? マーガレットが死んで憔悴している今だから、こんな風にらしくない言葉も口にしてしまうのだろうか。

 エリックが見たという夢。夢で見たことを真に受けるなんて。

 しかも、私を選ぶとマーガレットを捨てるはめになるという夢。天使だというなら随分けちだ。

 エリック、お前は誤解しているのよ。マーガレットが死んだのは私の夢のせいなの。ただの夢ではなく、私が悪魔に頼んだの。魂と引き換えにして。お前を私のものにするために、私の悪魔がマーガレットを殺したのよ。

 そう言えたらどんなに楽か。


 「姫様」


 反応しない私に焦れたのか、エリックが私を呼ぶ。


 「エリック。話を聞いて思ったの。やっぱりあなたが責任を感じることはないわ。マギーのことはただの偶然よ。そして私はお前の手をとるわけにいかないの」

 「……ご結婚のことですか? 姫様、この国はいずれ滅びゆく。姫様が国の犠牲になる必要はありません」


 エリックはそっと私の手を取った。


 「後戻りできなくなってようやく気がつきました。姫様、お願いです。私と逃げてください。私は、あなたが国とともに亡びるのも、かといって他国へ嫁ぐのも、どちらも耐えられません」


 ルイのことを最初は胡散臭い呪術師だと思っていたことを謝罪したくなった。彼は未来でも見えていたのだろうか。

 私は夢の中でも、彼の手を取らなかったけど。

 私はエリックの手をそっと離した。その手に、マーガレットとの婚約指輪はない。もう捨てたのかしら。片方は私が持っているのに。


 「エリック、あなたの気持ちだけ受け取っておくわ」


 私は立ち上がった。


 「姫様!」

 「部屋へ戻るわ。ひとりにして。最初のようにね。私もマギーを亡くして動揺してるの。頭を冷やしたいから……」

 「姫様。私のことがお嫌いですか」


 私はその言葉に答えなかった。答えないまま、庭を後にした。

 嫌いなわけないわ。今でも好きよ。マーガレットをあんな目に遭わせたくせに、今でもお前の手を取りたいと思っているわ。


 でも、マーガレットが死んでまだ日が浅いのに。まだ傷も癒えていないのに。エリックは性急すぎる。エリックもきっとまだ動揺している。冷静になれば、マーガレットが死んだところで私が国を捨てるはずはないと気がつくだろう。その時になって彼の手を取った私を諌めるかもしれない。そうなったら、

 「惨めよね……」

 ポツリと呟く。大切な友人を死に追いやってもまだ、私は自分が惨めな立場にならないか心配している。でも、エリックが私に告白してくれたことが、私には嬉しかった。ルイの言葉を信じるなら、この状況になって初めて、彼が長年の想いを口にしてくれたということになる。たとえ今は冷静ではなかったとしても。ポケットの中の指輪を触る。この指輪をマーガレットの元へ返す気はさらさら起きなかった。

 

 

 

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