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すべてはあなたの思うがまま  作者: 柴田エリカ
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第4話 side:エリック



 マーガレットに贈るための指輪を見つめていたら、幼い日の思い出が蘇った。今よりふっくらとした指にシロツメクサの指輪を嵌め、レースのハンカチを花嫁のベールに見立てていた。


 「ねえ、エリック。大人になったら、本当に私のことをお嫁さんにしてくれる?」


 こどもの、無邪気な問いかけ。


 「……もちろんです。姫様こそ、忘れないでくださいね」


 そうは言ったけれどあの頃から、それが現実にならないだろうと分かっていた、と思う。

 結婚など、できるはずがなかった。

 これが大国の話であれば、姫が臣下に嫁ぐこともあるだろう。しかしこの、周りを大国に囲まれている小さな国の姫が、政略結婚の道具にならないわけがない。

 できもしない約束を交わして、忘れないでください、とまで言ったのは、間違って培ってきてしまった淡い恋心を伝えてなくしてしまいたかったのかもしれない。


 姫と同じ年頃の子どもというのは、少なかった。いや、数は少なくなかったかもしれないが、自分の子供を積極的に姫と遊ばせようとする貴族が少なかった。多くの貴族が、いずれ他国に嫁いでいなくなる姫より、皇太子となるであろうヘンリー王子の遊び相手に子どもを派遣していた。ヘンリー王子は幼い頃よりお身体が弱く、陛下も常に気にかけていらっしゃったので、貴族たちが子どもを使って次代の権力への足がかりにしようと思うのも当然であった。多くの者が口にはしないが、ヘンリー王の治世というのは来ても長続きしないと思っていた。しかしヘンリー王子に子はいないし、これからできるかどうかも分からない。妃候補の娘たちが集められた誕生祝いの席を、ヘンリー王子は体調不良を理由に欠席された。


 「殿下って、どんな方なの?」


 自分の娘にそう尋ねられた父親が狼狽える様子を思い出す。


 まだ幼い頃はともかく、成長してからはまともにお顔を拝見したことさえない貴族も多かった。


 「あの姫様の兄君だぞ。たいそうお美しくて、聡明な方だよ」


 下級貴族の苦し紛れの推測は、あながち外れてもいなかった。


 クラリス様の評判は本当に素晴らしい。

 気立てが良く、花も恥じらう美しさで、国民の窮状を憂いてその胸を痛められ、自身の服装も一国の姫君にしては慎ましやかなものをお召しになっている、心優しい聖女のような姫。という噂。


 パレードの際には姫のお顔が良く見える東側の沿道の方が西側よりもはるかに混み合っている。他国の人間に会えば必ず、「貴国の姫君は本当にあの、巷に出回っている肖像画のように美しいのか?」と尋ねられる。

 ええ、それはもちろん、と答えるのが常だが、実際は姫の美しさは到底肖像画の一枚、たかがカンヴァスに絵具を塗り重ねただけの代物に表せるものではない。


 噂に尾鰭はつきものだが、姫の美貌をさらに凛と際立たせているものはあの権高さと世間知らずなところにあると思う。そうそう表には出さないがあの姫は実のところ気位が高いし、国民の窮状なんてお考えにならないし、家臣はそのようなみっともないことを姫のお耳に入れるのは間違いだと思っている。アラン様がいらっしゃる時にだけあらゆるところから捻出して最高の一着を仕立てているのだ。しかしその権高さを覆い隠す可憐な容姿はさも聖女然として見えるので、そのようなありがたい尾鰭がついているのだ。



 「ねえ、エリック」


 その頃国境沿いのある村で暴動が起こり、騎士団が鎮圧に向かうことになった。準備をしているところへ、姫が私に会いにきた。


 「暴動の鎮圧に行くなんて危ないわ。城に残ってよ」


 私がお会いした時すでにふくれっ面だったので、この分だとすでに誰かに宥められた後なのだろうと分かった。


 「誰かがいかなくてはならないのですよ。大丈夫、相手は碌に訓練もしていない烏合の衆なのだから、鎮圧だってすぐです」

 「だったら尚更、お前が行くことないでしょ。お前がいなくても大丈夫よ。あまり辺境に人を割くと、舐められるわ」

 「姫様。暴動を起こすほど、民衆の不満が高まっているのです。ここで中央の者が出向いて話だけでも聞いてやれば、少しは落ち着くというものですよ」

 「エリック、私はそのうちこの国を出て行くのよ。結婚して遠いところに行く。行ったらもう帰ってくるわけにいかないんだから。……あまり城を空けないでよ」


 姫はつい先日、アラン王子と婚約が決まったばかりだった。姫の気持ちは分からなくもない。生まれてから一度も出たことがない祖国を一人離れることが、この姫にとってどれほど心細く感じられることか。姫も、城で親しくしていた人たちと少しでも長く一緒にいたいという思いなのだろう。


 「姫、帰ってきたら必ず時間を作りますから。ほんの少しの辛抱ですよ」

 「……わかったわ。必ずよ」


 姫も自分の言葉で留まるとは思っていなかっただろう。それでも引き下がる姫の姿に罪悪感を覚えた。しかしいまの姫にとって、私との接点を増やすことは好ましくない。私にとっても、余計な未練を増やして辛くなるだけだ。

 姫様はまだ、私のことを好いてくださっていらっしゃいますか。

 そう尋ねてしまいたい。でもその答えを聞いて何ができるだろう。返答がイエスでも、ノーでも。



 ***



 鎮圧は予想外に手間取った。村一つと聞いていたのに、我々が到着する頃には近隣の村や街を飲み込んでいた。民衆は反乱軍を自称していて、確かに軍隊とも呼べる規模に膨らんでいた。


 「率いている男、なんというか……カリスマ性があるんですかね」


 すっかり空になった村の酒場で、ポールが言った。


 「田舎の男にそんなものが備わっているとはな。烏合の衆と舐めていたが、甘かった」


 リーダーは役人の息子だった。貧しい者からの搾取には我慢がならないと言って蜂起したらしい。

 (早く帰って、姫のご機嫌とりをしなくてはならないのに)


 「エリック、気を引き締めろ。田舎の平民は王都の者が想像する以上に困窮している。猫をも噛む窮鼠なのだから」


 気の乱れを見抜いてか、団長に釘を刺された。


 「分かっています。蜂起した以上簡単に引き下がってはくれないでしょう……」

 「その通りだ。我々がいち早く首謀者を討ち取って戦意を削ごう。勝ち目がないとなれば、冷静になるものも出てくるだろう」

 皆が頷く。


 「明日の勝利に」

 そう言って空の杯を掲げた。酒場には酒も残っていたが、皆毒を恐れて口にはしない。


 元が農民だから自分たちの住む場所を燃やすというのは躊躇われるらしい。どの町も村ももぬけの殻だが焼け野原になっているということはなかった。そのかわり地の利を生かしたゲリラには悩まされた。

 我が国は豊かではない。資源もなく、独立さえ運よく保っているに過ぎない小国。過去、何度も周囲の国に攻められて、幾度となく国土を削られてきた。次戦争が起こればこの国はおしまいだと、宮廷人の口にも上る有様。戦争は幸か不幸か姫の婚約で当面の危機は去ったと言える。だが、不作による困窮は静かに国を蝕んでいる。こうした反乱も、小さな芽のうちに潰しておかなければ、何が命取りになるかわからない。


 「俺は、姫様が心配ですよ」

 ポールが呟く。


 「……なぜ?」

 「だって、なんと言っても相手はあの大国ですよ。後宮が、ユーフォリムのように荒れていてもおかしくないし、あのおっとりとした姫様が無事でいられるか、心配にもなりますよ。あの王子様は、姫様のことを守ってくださりそうもないし」


 他国の王族だぞ、と諌めつつ、ポールの懸念はもっともだと思った。


 ユーフォリムもまた、わが国と国境を接する大国だ。先ごろ疫病で崩御した国王には溺愛している正妃がいた。私も姫様もまだ生まれていない頃の話だが、正妃になる前のこの女性は肖像画の写しが高値で流通し、他の大陸からもそのお姿を一目見ようとはるばるやってくるものが絶えなかったという。噂が本当なら姫様以上だ。

 この正妃は、第一子の出産後に自殺している。側室の陰謀とも囁かれたが、有力なのはこの第一子が不義の子ではないかという説だ。そうでなければ、幸せの絶頂にあるはずの正妃が自殺などするはずがないし、謀殺なら第一子出産前に行われなければ意味がない。しかしこの話は陰謀説が流布しては都合の悪い犯人一味が積極的に広めたものかもしれない。他国の、ましてや王族のスキャンダルなので詳しい話は耳に入ってこないが。

 このとき生まれた第一子は密かに殺されたとも、今もどこかに幽閉されているとも聞く。どちらが真実であれ、今のユーフォリムの王太子、いや、今の国王陛下は後妻の子だ。後宮にいる美しい女の命などいくつあっても足りない。

 姫はしたたかさを持って入るが、まだ芽が出てもいない害の種を潰して回るようなタイプでもないのだ。


 「私はてっきり、姫様はエリック殿と結婚なさるものとばかり思っておりました」

 ポールが残念そうに言う。


 「そう言う者も昔はいたな。お前も本気にしてたのか?」


 ポールが子供っぽくむくれた。

 私も、期待していた。

 自分が姫と結婚できるかもしれない。可能性はゼロではない、と。

 父から事前に聞かされていたのに、姫の婚約の話を正式に聞いたときのショックは、計り知れなかった。


 「本気に、してましたよ。エリック殿がサリンジャー嬢と恋仲だと知るまでは。そのうちに姫様の婚約話がなくなって、エリック殿と婚約することになるかもと思っていました」

 「…………」

 さすがにそれは夢想家すぎる。


 これほど純朴ならば、私が姫との未来をずっと思い描いていられるような性質ならば、もしかして何かが違っていたのだろうか?

 素直で無垢で、純粋な、少し間抜けな部下の顔を思わず凝視してしまった。

 いや、私はポールではない。それに、とても臆病だ。姫のご婚約の話を聞かされてなお破談を期待してなどいられない。それに私は自分をよく知っている。実際に破談にでもなろうものなら、なんとか仲を取り持とうと奔走してしまうタイプだ。姫が仮に傷ついていても、国のためだからと言い放ってしまう。そして姫はそういう時に限ってはわがままを仰ることなく、「お前が言うならそうするわ」と仰るに違いない。


 「私はマーガレットを愛している。だいたい私のようなものと姫様となんて、不釣り合いもいいところだ」


 ポールはまだモゴモゴと不満そうだったが、私に不平を述べられても致し方あるまい。実際私と姫は不釣り合いだ。幼馴染で仲が良かったから、そうは思いづらいというだけで。


 それに比べてマーガレットとは、真実釣り合いが取れていると思う。案外黙っていてもサリンジャー家との縁があったかもしれないと思うほどだ。父に話した時も諸手を上げて大賛成だった。すぐに向こうの家と話をしようと言い出した。


 「いや、本当に安心した。お前が恐れ多くも姫様を望んだらなんと言って諌めるか、考えていたからな」

 「杞憂でしたね、父上。私も分をわきまえています。幼い頃の口約束を、いつまでも本気にはしませんよ」

 「うむ……。とにかくお前が現実的なお嬢さんとの恋に落ちたのなら、親として叶えてやる他あるまい」


 父は張り切っていた。

 そう、これは、姫への愛情とは性質がまるで違う。姫への愛が物語に出てくるようなものならば、マーガレットへの愛はもっと生活的で、穏やかで具体的に想像がつくものだ。姫もそのうちアラン様と現実的な愛を育てるだろう。私と姫の現実は異なる世界にあるのだから。


 とは言えその話を姫に直接するのは躊躇われた。「そうなの? おめでとう」と笑顔で仰る姫の姿が想像に難くない。姫を望んでいないと言ったが、面と向かって祝福される覚悟はできていなかった。マーガレットの方も私事をペラペラと話す気は無いのか周囲に話さないので、隠しているようになってしまった。いつか姫のお耳に入る時は来る。でも、それは今ではない。そう思い続けた。できれば姫がアラン様に嫁いでからがいい。もうお顔を合わせなくなってから。それなら姫の口から祝福を聞かされなくて済む。


 

 戦いの結果、反乱勢力のリーダーは投獄されることになった。これほど民衆の支持を集めた人物を処刑するのはより人心が離れる原因になる。案の定、リーダーが捕らえられたという噂が広まると民衆は散り散りになり、後は簡単なものだった。

 帰路、田舎の村や町を見て、この国が長くないという人の気持ちがわかる気がした。数年前からこうだったのだろうか。ただ日々の生活に困っているだけではなく、人々が死を待っているかのような、静かな絶望感が広がっている。城下ではここまでひどくない。ただ、貧しいというだけで。他国の王族に比べればアネッサ王家など慎ましやかに暮らしている方だ。しかし民の目からは、食べるものの心配をしていないというだけでも贅沢三昧に映ることだろう。

 勝利を見せつけるかのようにゆったりと行進しながら、この国が今後どうなるのか案じた。


 「帰ったら真っ先にサリンジャー嬢のところへ行くんだろ? 婚約者が長く王都を離れて、心細かっただろうな」


 同僚のエスタがからかってくる。


 「あ、ああ、そうだな……」


 確かに遠征した後は真っ先に恋人や婚約者、家族の元へ向かうべきだ。しかし、帰ったらすぐ姫の元へ向かわなければと思っていた。姫を諦めているのに。現実を大切にしなければならない。

 そうは思っていても。


 「でも、まず姫様に会いに行くよ。王都を出る前に約束しているから」


 ポールの耳に入らないように声を潜めてしまう。


 「お前は姫様のお気に入りだもんな」


 エスタが当然のように言う。

 それは不思議な感覚だった。婚約者のいる男が他の女性に真っ先に会いに行くと言っても、咎められない。相手が私とはどうなりようもない王族で、仕えるべき相手で、恋愛対象ではないと思われているから。

 それでいい。誰も私の胸の内まで見透かすことはできない。




 

 

 




 

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