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すべてはあなたの思うがまま  作者: 柴田エリカ
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第3話 暗雲

 


(まったく……ルイに騙されたような気がするわ)

 自覚する限り何も奪われていないと思うから騙されたと言えるのかどうか不確かだが、少なくともエリックが私に求婚しにきたりマーガレットと破談になったりというようなことはまるでなかった。マーガレットは目の前で、大陸の歴史のおさらいを熱心に喋っている。

 (何だったのかしら? あれは……)

 誰かに相談してみたかった。一人でこんなくだらないことを悩みたくなかった。お兄様の顔が一瞬浮かんだが、それはすぐに消えていた。お兄様に余計な心配をさせたくなかったし、お兄様は勘が鋭いから、私が隠しておきたいことも見抜いてしまう。


 (それにきっと軽蔑されてしまうわ)

 知られたくなかった。私が、こんなにも自己中心的でわがままな、どうしようもない欲望を秘めていたこと。自分でも驚くくらい。周りの者なんてどうでもいい。エリックの気持ちさえ、私はどうでもよかったのではないかという気がしてきた。本当、マーガレットに負けたことが悔しかっただけなんじゃないかしら、と。エリックを蔑ろにして、マーガレットを悲しませて、お父様を困らせる。ただ私の、わがままのために。


 身内だけじゃない。いずれは王妃になろうという人間がこんなに浅ましく愚かで、アランだって、国民だってかわいそうだわ。

 そんなことを考えていると頬を涙が伝った。


 「ひ、姫様!? どうかなさいましたか?」


 マーガレットが狼狽する声で我に返った。


 「ご、ごめんなさい。なんでもないの。考え事をしていただけで」

 「……姫様。姫様のそういうところが素晴らしく、尊敬に値するところだとわかってはいますが……嫁がれてからは、私のような身分の低いものに謝ってはいけませんよ」

 「……そうだったわね」


 マーガレットは私の涙の理由を婚約のことだと思っていそうだ。


 「ねえ、マギー。あなたは、自分の国の王が、愚かな王妃を戴いたらどう思う? 直接統治するのは王妃じゃないけど、悪影響よね、やっぱり?」

 「そうですね……」


 マーガレットが言葉を選んでいるのが伝わってくる。


 「王妃も権力があります。王が御せる範疇を超えて愚かな振る舞いを続けるようなら国民の反感を買うでしょうし、いずれはそれを御すことができない王への反発につながるでしょう。もちろん、姫様はそんな心配をなさる必要はありませんよ。姫様が聡明なのは私が一番よくわかっておりますもの」

 「マギーはそう言ってくれるけれど……」


 自分がとんでもない愚か者なのは自分が一番よくわかっている。それに、アランは立派な王になるだろう。先日の城下での散歩でそれはわかった。彼は野蛮だけれど、どこかお兄様にも似ているところがある。お兄様のお身体がもう少し丈夫だったらアネッサはもっと豊かな国になっただろうに。

 皆が私に遠慮しているのか、いずれ国を去る姫の耳に入れても仕方ないことだと考えているのか、誰も何も言わないけれど、国庫が火の車であることくらい私も知っている。そしてそのことを憂えているのに、することといったら税を重くすることだけなのだ。このままではいずれ滅びるのかもしれない。でも、それもどうでもよかった。今の私の関心ごとは政治ではない。

 

 あれから数日、私は以前からは考えられないほどアランとよく出かけるようになっていた。アランも滞在の予定を当初より延ばしている。

 小国の姫といえど、結婚前に機嫌を取っておくのは悪いことではないはず。

 何をするかといえば、大抵が城下での散策だ。

 実際に自分の足で城下を歩くと、この国がどれほど疲弊しているか感じられる。

 

 アランが一人で出かける分には何もなかったかもしれないが、私が同行するようになると、城下の警備は厳しくなり、身なりの貧しいものは城下から追い出されたという。

 これはアランが親しくなった街の大工が酒場でぼやいていたことだ。


 「姫様がお忍びで城下で遊ぶようになったお陰で、俺たちはおいそれと外も歩けねえ」


 そう大工が言ったすぐあとに、「本当に姫様がいらっしゃっているのか怪しいもんだ。何かと理由をつけて貧乏人をこの城下から排斥しようとしてるんだよ」とおかみさんが言った。

 そんな話をされているとき、決まって私は黙っている。顔が割れているとは思わないが、肖像画が出回っているのは確かだし、城下の人間ならパレードで私を見たことがあるかもしれない。


 (心配するほど面影はないはずだけど)

 いつもアップにしている髪の毛をだらしなく下方で結っている。化粧は薄く、特にリップは塗らない。それだけで日常に疲れて見えるということをアランが教えてくれた。アランはアランで、普段より横柄そうに振る舞う。

 お陰で私たちは王族どころか、身分が高そうと思われてもいないようだった。……いや、酒場の娘であるイリーナだけは、私が庶民ではないと見抜いた。取り繕おうとするとぼろが出そうで濁しまくった挙句、イリーナは私のことを「駆け落ちしてきた地方の豪商の娘」だと思っている。やはり話しすぎると世情に疎いのが分かるらしい。


 「それにしても姫様は、こんな汚い城下のことをどう思っていらっしゃるのだろうね? 遊びったって、楽しいもんは何もないだろうに」


 おかみさんが言った。まだお忍びで遊んでる姫の話が続いているらしい。


 「そうかな? ここらはともかく、大通りの方は貴族の娘さん方御用達のブティックがたくさん並んでる」


 アランは、先日エリックたちと遭遇したブティックのことを思い出して言ったのだろう。


 「いいなあ、お姫様は……。あたしも綺麗な服を着てみたいよ」


 イリーナが呆れたように言ったのを、おかみさんが諫めた。


 「まあ、イリーナ。分相応な装いをするのが淑女ってもんだよ。国庫が火の車なのに贅沢三昧するなんて、いくらお姫様でもやっていいことじゃないさ」

 「贅沢三昧だなんて」


 私は思わず口を挟んだ。

 贅沢三昧なんてしていないわよ!

 そう言いたかった。

 少し意外そうにおかみさんにイリーナ、数人の常連客が私を見ている。


 「……贅沢なんてしているのかしら? ここ最近はパレードだって少ないし、いくら王室でもない袖は振れないでしょう?」

 「そうとも! だから王家は平民から巻き上げようと税を重くしてるのさ! 貴族連中からは取らず、俺たちその日暮らしの平民から!」


 大工の言葉に、周囲も次々と同意する。

 心配そうなイリーナの視線を受けて、私も口を噤んだ。

 アランが私に目配せをしたので、私は席を立った。




 「城下の暮らしは平民と言えど……地方ほどきつくはないはずよ」


 酒場を出た後、私はアランに小声でそう言った。


 「税が重くなったのと、姫が遊び歩いているという噂でヒートアップしているんだろう。すでにあった王家への不満だが、今は矛先が姫へ向いているだけだ」

 「……私はよろしいのよ」


 先ほどのおかみさんの言葉には少し腹が立ったが、どんな勘違いをされたって、私には誤解を解く術がない。平民からすれば、王子が来るたび新しいドレスを仕立てることだって贅沢に思えることだろう。それに私はいずれは国からいなくなる人間だ。心配なのはむしろ悪評が立ったままの王家に残される、お兄様やエリック達の方だ。


 「しばらくは城下への外出を控えよう。城下の"治安維持"が、最近過激なのは事実だし」

 「ええ、そうね……」


 最近は頻繁に出かけていたから、しばらくなくなると思うと寂しくもある。

 城にいるとどうしてもマーガレットを見ない日はないし、マーガレットの顔を見るとルイの約束のことやエリックのことを思いだしてしまう。


 (会いたいと思いながら寝れば、ルイに会えるかしら)

 具体的な話をルイは何もしてくれなかった。

 私たちが交わした約束はどうなっているのか確認したい。


 (ルイにお願いしたら、国庫を潤沢にすることもできたのかしら……)

 一瞬そう思ったが、あの時の私に国のことなど考える余裕はなかった。

 (それにやっぱり私は身勝手な女だから、国のことより自分を優先していたと思うわ。不思議な力で国庫を潤したところで、誰も褒めてくれないもの)

 自分の利益になることが、何より大切だ。

 


***



 城へ着いてアランと別れた後、私はお兄様のいる離れへと向かった。

 アランと出かけたら、その日見聞きしたことをお兄様に報告するのが習慣になっている。

 お兄様も国の疲弊を心配していた。なにせ疫病のこともある。このまま放っておけば病は都にまでくるかもしれない。今はまだ国境の、辺境の村の話だとしても。


 そしてお兄様は、南の国で起きた革命の芽の話をしてくれた。もちろん王国軍に鎮圧されたそうだが、残党狩りはまだ続いている。もし残党が再び勢いを取り戻し、万が一にでも革命に成功したら、その勢いが他の国にまで波及する可能性がある。そうなったら……

 (またエリックは鎮圧に行かなくてはならなくなる……)

 今度も無事に帰ってくるという保証はない。実際これまでも、何人かは帰ってこなかったのだから。



 その夜。

 私は覚えがある感覚に包まれていた。誰もいない城の庭園。


 「ルイ! ルイ! いるんでしょう? 姿を見せて!」


 思えば夢の中でこの場所を歩き回ったことはない。ルイの姿は庭園にはない。

 私は城内を歩き出した。ルイの名前を呼びながら、部屋の扉をかたっぱしから開けていく。

 私が入ったことのない部屋の扉を開けても、そこには暗い闇が広がっているだけだった。

 (私に、想像できないから……)

 では、私が入ったことのない部屋にはルイはいないのだろう。


 (他に人間はいない)

 この静けさの中なら、誰かいればすぐにわかると思う。でも人の気配はしない。

 ルイが人かどうか、怪しいものだけど……。

 城内で私が入ったことがある部屋は限られている。城には使用人の部屋も城で暮らす貴族の部屋もある。でもそれらのほとんどの部屋に私は入ったことがない。


 「うっ……重い」


 玉座の間の扉が閉まっているのを初めて見たし、自力で扉を開けるのも初めてだった。

 やっと開けると、人がいないせいでいつもより広く見える玉座の間の真ん中に、誰か立っている。


 「ルイ!」


 人影が振り向く。


「姫様。お待ちしておりましたよ」

 「……エリック」


 どうしてここに、とか。しばらく会ってないな、とか。やっぱりこんな異質な状況で見たとしてもエリックはかっこいいなとか。


 あなたの心を捉えるために、私は……。


 「エリック、どうしてここに?」


 どうしてエリックが、私の夢で、玉座の間にいるのだろう。


 「ですから、姫様をお待ちしておりました。この国は、いずれは滅びゆく……。姫様が国の犠牲になる必要はありません」


 エリックはそっと私の手を取った。


 「ここ最近アラン殿と出かけるあなたの姿を見るたび、胸がざわつきました。あなたとアラン殿が婚約してしばらく経つというのに、今になって私は長い間、過ちを犯していたと悟ったのです」


 エリックは私に一歩近づいた。そして、ほとんど口づけでもしそうな距離で、私の目を熱っぽく見つめる。瞳が熱く揺れて情熱的だ。こんな瞳で見つめられることをどれほど願ったことか。


 「後戻りできなくなってようやく気が付きました。姫様、お願いです。私と逃げてください。私は、あなたが国とともに亡びるのも、かといって他国へ嫁ぐのも、どちらも耐えられません」

 「……マーガレットのことはどうするの?」

 「マーガレットのことを愛していると思っていました。でも、あなたへの想いほどではない……。マーガレットと結婚すれば、平和な家庭を得られるでしょう。あなたとなら決して持ちえない、安寧の日々を……。しかし真の恋の道は茨の道、姫様、どうか私と共に歩むとおっしゃってください」

 「…………」

 「姫様」


 「……私が、あなたと共に歩むと言えば、どうなるの、ルイ?」


 エリックは彼らしからぬ艶然とした微笑みを見せた。


 「さすが、恋するものの目は欺けないな」


 ぱっと私の手を離した彼はもうルイの姿だった。


 「魂に見てくれなど関係ない。姫、君が私と共に歩むと言ってくれれば、私は君の魂を戴いてそのまま契約は終わりだったよ」

 「まるで悪魔ね。最悪の演出だったわ」


 「そんなことを言われると自信がなくなるな。騙されてくれる人の方が多いんだけどね」

 「勉強不足よ。エリックは決して私にあんなことは言わないわ。もし私のことを愛していたとしても、絶対にね」

 「そんなことはないって証明してあげるよ、姫。君は私の正体を見破れたからね」

 「やっと、私との約束を果たす気になったのね」


 「姫、この国は滅びゆく。それは君も薄々感じていることだと思うけど」

 「何が言いたいの? それと、私の恋に何の関係が? 私はいずれこの国を離れる。お兄様たちのことはもちろん心配だけど、私には近い将来関係がなくなるのよ」


 嫁いだらもうアネッサの人間ではない。


 「姫……。いや、何でもないよ。さあ。私は約束を守る。だから姫、約束が果たされたときには対価に君の魂を貰う」

 「魂? それがあなたが欲しいものなの?」

 「そう。私は、悪魔だからね」


 ルイがいたずらっぽく言う。


 「そう……、確かに、私は魂なんてどうでもいいと思ってるわ。こんなものでいいのなら、喜んであなたに差し出せる」


 「君はそう言うと思ったよ。魂と引き換えだというと渋る人間はいくらでもいるのにね」


 「私は目に見えるものしか信じないのよ。死んだあとのことなんてどうでもいい。私のあずかり知らぬところだし、生きている今この瞬間こそが私の人生なんだもの。目の前に差し出されている手を、死後を心配して掴まないなんて馬鹿げているわ」


 「素晴らしい。もちろん対価は君の願いをかなえてからだ。エリックを君のものにしてあげる」


 ルイのその言葉を聞き終わると、私の目はいつかのように目覚めていた。


 (前もこうだったわ。今度こそ本当なのよね? エリック……)


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