第九十六話:帰国
『では、そろそろ出立しようと思います。滞在の間はお世話になりました』
来る際に乗ってきた馬車を背に、義人はコルテア達へ向けてそんな言葉をかける。それを聞いたコルテアは、苦笑混じりに首を振った。
『大したもてなしもできず、申し訳ない』
『いえ、そんなことはないですよ。それにしても、国王自らの見送りとは恐縮ですね』
苦笑するコルテアに、義人も苦笑を返す。すると、コルテアの後ろに立っていたレミィが悪戯っぽく笑った。
『あら、わたし達もいるのですけれど?』
『これは失礼。しかし、レミィ姫達のような美しい女性に見送ってもらえるとは光栄の至りですよ』
『ふふ……お上手ですこと』
義人が冗談混じりの言葉と共にレミィと“作り笑い”で笑い合うと、今度はティーナが口を開く。
『また来てくださいね? また、ヨシト王達の世界のお話を聞かせてほしいですっ!』
もちろんだとも。
義人はそう言おうとするが、これから先にそんな機会があるかを考えて言葉を変える。
『……機会があれば、いくらでも。その時は、優希に元の世界のお菓子でも作ってもらおうか?』
『はいっ!』
元気良く、それでいてどこか寂しそうに頷くティーナ。そんなティーナに、義人はレミィの時とは違って心の底から笑う。
『カール隊長と仲良くね?』
『……うぅ、頑張ります』
笑いながら、最後にからかいの言葉を一つかける。
何を頑張るのかはティーナ次第だが、義人の言葉を聞いたティーナは常の活発さを潜め、頬を染めながら俯いた。
『む……』
同時に、レミィの表情が僅かに動く。何かしら思うところがあったようだが、それは義人の言葉に対してか、それともティーナの反応に対してかはわからない。それは言わぬが花というものだろう。
――カール隊長も大変だなぁ……。
自分で言っておきながら、義人は心の中で他人事のように呟く。そして、この場にいる者の中でまだ口を開いていない人物へと目を向けた。
『それではエリス姫。色々と話ができて楽しかったです』
『……はい、わたしもです』
頷くエリスに、義人は僅かに複雑な思いが浮かぶのを感じて小さく眉を寄せる。だが、エリスはそんな義人の表情の変化に気付いたのか、胸元で右手を握り締めてどこか儚げに言葉を紡ぐ。
『また、お会いする機会はありますか?』
その問いに込められた感情は、意味は何だったのか。
義人はそれを読み取れないながらも、頷きを返す。
『おそらくは』
『……そう、ですか』
義人の言葉を聞いたエリスは、視線を落として唇を引き結ぶ。そして数秒俯いた後で、どこか強さを感じさせる視線を義人へと向けた。
『“頑張ってくださいね”』
『え?』
かけられた言葉に、義人は目を丸くする。
頑張れという言葉が何を指しているのか。義人はそれを考え、数秒の後に思い当たった解答に表情を笑みへと変えた。
『―――ああ。ありがとう、エリス姫』
おそらくはコルテアから話を聞いたのだろう。そう判断した義人がコルテアへと目を向けると、コルテアはどこ吹く風と言わんばかりに目を逸らす。
そんなコルテアの様子に小さく笑うと、義人はもう一度だけエリスに視線を向ける。
本当にコルテアが政略結婚をさせるつもりだったのか、それともあくまで交渉の手札として口にしたのか、義人には推測でしか判断できない。
コルテアの発言はあくまで交渉の一環であり、義人が頷かないことを見越していた可能性もある。だが、それも過ぎたことだと義人は首を横に振った。そして、気を取り直してエリスへと視線を向ける。
『それじゃあ、そろそろ……』
『はい。それでは、お気をつけて』
そんなエリスの言葉を最後に、義人は背後の馬車へと乗り込むのだった。
完全な整地がされていない街道を馬車で進むこと二日。
時折上下に跳ねる馬車の中で、義人は何かを考えるように目を瞑っていた。その隣では、そんな義人の邪魔をしないようにと小雪を寝かしつけた優希の姿がある。義人の傍に立てかけられたノーレも喋りかけることはなく、レンシア国へ行く時とは比べ物にならない静けさで馬車は進んでいく。
「ヨシト様」
だが、その静けさを破るように馬車の外から声が響いた。その声を聞いた義人は数秒経った後に目を開け、馬車の側面につけられた窓を開ける。
「どうした?」
「もうじきレンシア国とカーリア国の国境に差し掛かります。そのため、クレンツ隊長がご挨拶にと……」
「ん、了解」
短く答え、義人は周囲を囲むように併走するレンシア国の兵士達に目を向けた。
その数はおよそ百。コルテアが国境までの護衛を命じたレンシア国第一魔法剣士隊の兵士達だ。
レンシア国の中でも随一の練度を誇る第一魔法剣士隊の半数と隊長であるクレンツに護衛を任せたのは、コルテアなりの好意と誠意か。他にも何か役目があるのかもしれないが、義人はありがたく送ってもらうことにしていた。
義人が馬車の停止を告げると、それに合わせて周囲の馬車や護衛の兵士達も足を止める。そこから少しばかり待つと、クレンツが隙のない足取りで義人の乗っている馬車へと歩み寄ってきた。
動きやすさを重視した白い鎧を身に纏い、右手には鋭利な穂先の槍一本。それを見て、義人が乗る馬車の傍に控えるカグラが何かを言おうとするが、クレンツはそれを察したように傍にいた部下へと槍を手渡して無手になる。そして義人が馬車から降りてくると、膝をついて頭を下げた。
『わざわざ送ってもらってありがとう、クレンツ隊長。コルテア王にお礼を伝えておいてもらえるかな?』
『御意。お伝えしておきます』
短い、それだけのやり取り。膝をついて頭を下げているクレンツにかける言葉は少なく、それに応える声も少ない。
さすがに国境を越えてまで護送するわけにもいかず、クレンツ達とはここで別れることになっている。
義人は背後へと振り返ると、カグラと同じように傍で控えていた志信へと声をかけた。
「志信も何か言っておくことはあるか?」
「俺か? そうだな……」
義人の言葉を聞いて、志信が一歩前へと出る。そしてクレンツを真っ直ぐに見据え、ゆっくりと口を開いた。
『御武運を』
たった一言。だが、短いながらも心のこもった一言。
その言葉に志信らしい、と義人は内心で苦笑した。すると、それを聞いたクレンツは作り笑いではない柔らかな表情で応じる。
『ありがとうございます。カール隊長達にも伝えておきます』
そう言って、志信へ一礼するクレンツ。何か通じるものがあったのか、両者の言葉には何の含みもない。志信は純粋に相手の武運を祈り、クレンツもそれを素直に受ける。
レンシア国とハクロア国の争いが再び激しくなるのは、そこまで遠い未来でもない。現在は小康状態だが、早くて数ヶ月、遅くても数年以内には雌雄を決するときが来るだろう。
志信の言葉がその戦いでの武運を指していると読み取った義人は、遠くを見るように目を細めた。
――まあ、それまでには何か変わってる……いや、変えてみせるさ。
そこまでくれば、あとは“その時”に王位に就いている者の仕事だ。
義人はこれから先のことを考え、軽くため息を吐く。
「やれやれ、まずは目の前のことから片付けるか。帰ったら、仕事の山が待ってるんだろうなぁ」
予定よりもレンシア国に長く滞在してしまった分、仕事は増えているだろう。
アルフレッドを筆頭に政務を行っているはずだが、重要な案件はもとより、大抵の案件は義人の裁可を必要としている。
幸いと言うべきか秋の収穫による税の徴収はほとんど終わっているため、一日か二日徹夜すればすぐに片付くはずだ。もっとも、徹夜をするにもカグラが止めに入らなければという条件がつくが。
『それではヨシト王。我々はこれで』
そうやって少しばかり、近い未来に関して考えていた義人へとクレンツが別れの言葉をかける。それを聞いた義人は、すぐさま気を引き締めて頷いた。
『気をつけて帰ってくれ……なんて、余計な心配かな?』
『いいえ、ありがとうございます』
義人は余計な世話かと苦笑するが、クレンツは至極真面目に返答する。そして、膝をついた状態から立ち上がると、最後に深く一礼した。
『それでは、失礼します』
そう言って、クレンツは部下達が待つ場所へと戻っていく。義人はそんなクレンツの背中を見送ると、自分の馬車へと乗り込んだ。
「よし、それじゃあ帰るか。カグラ、出発の合図を」
「わかりました」
窓越しにカグラへ出発を告げてから、義人は馬車の背もたれに体を預ける。そして疲れたようにため息を吐くと、それを聞いた優希が労わるように微笑んだ。
「お疲れ様、義人ちゃん」
「ああ、お疲れ。でも、ここから城までまだ二日くらいかかるしなぁ……」
ぼやくように義人が言うと、優希は楽しそうにそれを眺める。
「お城に帰ったらお仕事がたくさんあるだろうし、今のうちに休めるだけ休んでおいたほうが良いんじゃない?」
優希の言葉に、義人は先ほどまで考えていたことを思い出す。そして、先ほどよりも深いため息を吐いた。
「……そうだな、今のうちに休んどくか。馬車の中だけど」
そんな言葉と同時に、ガタガタと音を立てて馬車が動き出す。
最初はゆっくりと、そしてそこから一定の速度まで加速すると、伝わる振動がほぼ一定へと落ち着いた。義人は体に伝わる少しばかり強い振動を受けながら、休むのは難しそうだと苦笑する。
「これから大変そうだなぁ……」
小さく呟いたその言葉が指しているのは、これから城へ帰る道程のことか、それとも未来のことか。
それは義人にとっては大した意味のない、ただの独り言。傍に座る優希も言葉を返さないような、本当に些細な呟き。
―――その呟きに応えるように、義人の懐で古びた手紙がカサリと音を立てた。
どうも、作者の池崎数也です。第三章が終了いたしました。ようやく折り返し地点です。まさか九十六話までかかるとは……書き始めの予想では、四章が終わって五章に入っているぐらいの話数だったりします。次話からは第四章ということで、もっとテンポ良く話を書いていきたいですね。それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いです。