第九十四話:共に踊りて
相手を変えながら踊ること三十分少々。さすがに疲れを感じた義人は、軽く休憩を取るべく壁際に置かれたテーブルの元へと移動する。
「あー疲れた疲れた」
そう言って義人は額に浮いた汗を軽く拭い、傍のテーブルに置かれていたグラスを手に取ってビンに入った水らしき液体を注ぐ。
そして特に気にすることなく一息にグラスを傾け、
「ぶっ!?」
思わぬ味に、吹き出した。
「な、なんだこりゃ? 日本酒か?」
口周りについた酒らしき液体を拭いつつ、首を傾げる。元の世界でもほとんど口にしたことはないが、その独特の味わいを間違えるはずもなかった。
「くそ、一息に飲もうとするんじゃなかった……って、匂いで気付けよ俺」
喉が渇いたところで飲んだせいか、やけに味が残っているように感じる。義人は水差しを手に取ると、今度こそはと水を口にした。
『お口に合いませんでしたか?』
そうやって義人が日本酒らしき酒の味を忘れようとしていると、不意に声をかけられる。それを聞いた義人は声の主へと顔を向け、小さく苦笑した。
『ヤナギ隊長か……一応知っている味だったけど、喉が渇いているところだったから飲みきれなかったよ。これ、どこの酒?』
声をかけてきたヤナギはいつもの服装と違う、義人と似たような燕尾服を窮屈そうに着こなしながら日本酒らしき酒が入ったビンを手に取る。
『それは故郷ジパングの酒でして。米を使って作ったものなんです。商人に頼んで取り寄せたのですよ』
『へぇ、ジパングの酒かぁ。ジパングってここから遠いんだっけ?』
そう言いつつ、義人はもう一口水を飲む。休憩がてらの雑談だったが、ヤナギはそれに付き合ってくれるらしく僅かに遠い目をした。
『そうですね……レンシア国から出立するなら、徒歩で二月と船旅が一週間といったところでしょうか。『強化』が使える人間ならば二週間ほどで大陸の東まで行けるかとは思いますが』
『そこから船に乗り換えかー。ジパングって島国なんだよな?』
『はい。四つの島々から成り立っている国です』
『ほうほう。沖縄とかはないのかな?』
『オキナワ?』
『いや、こっちの話』
音楽に合わせて踊り続けている人々を眺めつつ、義人は水を口にする。ヤナギはそんな義人の視線を追って踊る人々に目を向け、僅かに破顔した。
『踊り疲れましたか?』
『少しだけ。踊り慣れなくて……と、あれ? あそこで踊ってるのってカール隊長?』
何気なく見ていた中にカールの顔を見つけ、義人は少し目を細める。そんな義人の横で同じようにカールの姿を確認したヤナギは、苦笑しながら頷いた。
『カールですね。立場は護衛ですが、おそらくティーナ様に捕まったのかと』
『本当だ。引っ張られてるな』
ヤナギの言葉通り、ティーナに腕を引かれて踊るカールの姿に義人は僅かに首を傾げた。
『俺が言うのもなんだけど、ああいうのって大丈夫なのか?』
『大丈夫とは?』
『ほら、王女とその臣下が踊るってことさ』
立場的にどうなのだろうかと質問する義人に、ヤナギは再度苦笑を浮かべる。
『カールがティーナ様に引っ張られるのはいつものことでして』
『……ふうん。色々と大変なんだな』
『ティーナ様は楽しそうですが』
義人の言葉に苦笑を笑みに変え、ヤナギは手に持った日本酒らしき酒が入ったビンを傍に置く。そんなヤナギの動作を見て、義人は誰も使っていないグラスを手に取った。
『飲むならグラスがあるけど?』
『いえ、自分も護衛の身ですから』
『こういう場なら別に良い気もするけど……お、カール隊長の踊る相手が変わった。今度はレミィ姫か。ティーナちゃんはともかく、今度はどうなんだろう?』
手に取ったグラスを元の位置に戻しつつ、ヤナギへと尋ねる義人。ヤナギはその問いに対して、軽く首肯した。
『大丈夫ですよ。なにせ、姫様からの誘いを無碍に断る方が問題ですから』
『それもそうか。それじゃあ、俺も戻って踊る相手を見つけるかな。雑談の相手をしてくれてありがとう、ヤナギ隊長』
少しは疲労も取れたし、乾いた喉も潤っている。義人はそんな言葉と共に一歩前へと踏み出し、それを見たヤナギは悪戯っぽく笑った。
『次に踊る相手は、すでに誘われるのをお待ちのようですが?』
『え?』
そう言って後ろへと下がるヤナギに、義人は疑問の表情を浮かべる。
「―――ヨシト様」
それとほぼ同時、自分に対してかけられた声。
義人は聞き覚えのあるその声に振り向き……思わず動きを止めた。
「あ……」
意識せず、口から呟きがこぼれ落ちる。
振り向いた先。こちらの世界へと召喚されて以来見慣れた服装の少女を反射的に探そうとして、無意識の内に覚えた違和感が義人の動きを止めた。
「カ、グラ?」
呼ばれた声と、その顔。そして腰まで届く絹のような黒の長髪を留める、落ち着いた色合いの髪飾りには見覚えがある。何せ、それは義人自身が送ったものだから。だが、いつもと違う服で着飾るその姿には見覚えがなかった。
それは常日頃来ていた紅白の巫女服ではなく、漆黒のイブニングドレス。
ミーファが着ていたものに比べればやや露出が少ないものの、紅白の巫女服に比べれば遥かに多い。
義人の視線を受けたカグラは、どこか落ち着かない様子で僅かに頬を赤く染め、目を逸らした。
「ど、どこかおかしいでしょうか?」
ドレスの裾を握り締めながら尋ねるカグラ。義人はその問いを聞いて、つい先日にカグラから聞いた言葉を思い出す。
『その……たまには、違う服にしたほうが良いのでしょうか?』
そんな言葉が頭に浮かび、義人は感嘆とした思いを乗せて口を開いた。
「その結果がこれか……驚いたな」
見慣れた服装とは違うだけで、大きく印象が変わる。その上ところどころ見える白い肌が少し眩しく見え、義人は少しだけ目を逸らした。
「あの……やはり似合いませんか?」
目を逸らした義人をどう見たのか、カグラは不安が滲む声で尋ねる。義人はその声を耳にして、すぐに首を横に振った。
「いや、そうじゃなくて! 驚いたというかビックリしたというか!」
意味は同じである。そのことに気付けないくらい混乱した義人は、身振り手振りをしながら先程の親友の言葉を借りて口を開く。
「なんというか、その……綺麗で驚いたよ、カグラ」
借りはしたが、きちんと言い切れない。
カグラの思わぬ服装に驚きすぎて冷静になれず、普段なら言えそうな褒め言葉も碌に言うことができなかった。
着替えてくると聞いてはいたが、そこから先を全く考えていなかったのである。
義人は言葉が詰まった自分に対して内心で罵倒を投げかけ、臆面もなく褒めきった志信に賞賛の言葉を送りつつカグラの様子を窺う。
「ぁ……ぅ……」
義人本人にとっては中途半端な賛辞。
しかしそれはカグラにとってはおどけたわけでも冗談混じりでもない、言葉に詰まりながらも、それ以上に本心を感じさせる一言。
カグラは視線を左右に彷徨わせ、次いで義人の足元に視線を向ける。そしてそこから視線を上に動かし、義人と目が合うなり再び視線を下へと向けた。
「あの……その……ありがとう、ございます」
最初は頬だけ赤かったカグラだが、今では首まで赤く染まっている。それでいて恥らうように左手でイブニングドレスの裾を握り締め、落ち着かないように右手を胸に当てていた。
「い、いや、どういたしまして」
そんなカグラの様子を見た義人は、気恥ずかしさを感じてカグラ同様視線を逸らす。
「…………」
「…………」
周囲の音を置き去りに、奇妙な沈黙が満ちる。ヤナギは場の空気を読んだのか、すでにその姿はない。
――落ちつかねぇ……でも、このままでいるわけにもいかないか。
義人は落ち着かない気持ちを抑えつつ、逸らしていた視線をカグラへと向けた。そして、改めてカグラの姿を観察する。
袖がなく、胸元や背中の部分が露出している黒のイブニングドレス。それを身に纏い、恥らって義人から視線を逸らすその姿には可憐さと儚さ、そして得も言えない艶やかさが感じられる。それは普段のカグラからは感じられないもので、義人は目を逸らすことなくカグラの観察を行った。
――カグラってけっこうスタイル良いよな……って違う! 落ち着け俺!?
普段は気にしないようにしていたことが頭に浮かび、義人は目を閉じる。そして自分を落ち着けるように深呼吸をすると、少しは落ち着いたことを自覚してからカグラに向かって右手を差し出した。
「せっかくの機会、せっかくのドレスだ。俺と、踊ってくれるか?」
尋ねた言葉が聞こえたか、義人にはわからない。
それでも、カグラは義人の手に自分の手を重ねて小さく頷く。
「はい……喜んで」
そう言って微笑むカグラに、義人も微笑み返す。
このときばかりは、何も考えず。
『いやはや、見事でしたな』
舞踏会も終わり、その余韻に浸っていた義人に声をかける人物が一人。その声を聞いた義人は、背筋を伸ばして声をかけてきた人物……コルテアへと向き直る。
コルテアの言葉が先程カグラと踊ったことを指しているのだと判断した義人は、苦笑交じりに首を横に振った。
ちなみに、カグラは義人と踊り終わった後に何故か逃げるようにして部屋から抜け出している。その顔が今まで見たこともないほど真っ赤に染まっていたのを知っているのは、一緒に踊った義人とさり気なく義人を護衛していた志信だけだ。
『ありがとうございます。ですが、まだまだ不慣れでして……見苦しくなかったのならば良いのですが』
『なんの、技術の巧拙などは問題ではありますまい。あれほど息を合わせて踊れる者は中々……そういえば、お連れの女性はどうされたのですかな?』
途中まで褒めていたコルテアではあるが、ふと思い出したように義人へと尋ねる。義人はそのことに苦笑を深めてみせた。
『借りた部屋にいますよ。さすがにこういう場に連れ出すわけにもいかないですし、育てている白龍の子もいますから』
『なるほど……よろしければ、これから一つどうですかな?』
そう言って義人に見せるのは、二つのグラスと一本のビン。中身は酒だろうかとアタリをつけながら、世間話のためだけに話しかけてきたとも思えず義人は頷いた。
『いただきましょう』
義人が意図を察したことを悟ったのか、コルテアは僅かに破顔する。そして傍のテラスへと続く扉を開け、先に歩き出した。
『では、まずは一杯』
そう言いながらグラスを義人に手渡し、手ずからビンを差し出すコルテア。
周囲の見える範囲に給仕係の姿はなく、護衛は扉の傍にいるレンシア国第一魔法剣士隊隊長のクレンツだけである。そのため余程内密の話をしたいのかと思った義人は、どこか拗ねた顔のシアラの相手をしていた志信だけに頼んで扉の傍に控えてもらっていた。
『これはどうも』
果実酒らしき液体がグラスに注がれ、義人はコルテアから酒のビンを受け取ってコルテアの持つグラスへと酒を注ぐ。そしてある程度注いだところで腕を止め、お互いに示し合わせたようにグラスをぶつけた。
『建国記念に乾杯……と言ったところですか?』
小さく笑いながら義人がそう言うと、コルテアも笑いながら応じる。
『此度は祝いの品までいただき、感謝申し上げる』
『大した物ではないので恐縮ですけどね』
そう言って義人はグラスに口をつけ、果実酒らしき酒を口に含む。カグラがいれば毒見がと
騒ぐところだが、コルテアがそんな手を取るはずもない。それを理解している義人は、特に気にすることなく酒の味を楽しむことにした。
『飲みやすい上に美味しいですね、これ』
『城下町に良い酒を仕入れる店がありましてな。そこのお勧めだったのですが、気に入ってもらえて何よりです』
コルテアもグラスを傾け、果実酒を飲む。そして未だに熱気の冷めない城下町の様子に目を向けた。そして何気ない口調で義人へと話しかける。
『祝いの品で頂いた玉鋼という鉄に関してですが……』
『玉鋼が何か?』
『実物を見ましたが、あれは良い鉄ですな。目の利く者に見せましたが、通常の鉄とは違うようで』
『……まあ、たしかに違いますね』
話の意図が見えず、義人はとりあえず適当に相槌を打つ。どうやって製鉄したのか教える気もないが、話を無視するわけにもいかない。
『玉鋼は、すぐに生産できるものなのですか?』
穏やかな問いかけながらも、探るような視線。義人はそんなに気になるものだったのだろうかと内心で首を傾げるが、それを表面に出さずに肩を竦めた。
『申し訳ないですが、それは簡単に教えることはできません。国益に関わることなので』
『ふむ。教えれば、誰にでも使える技術というわけですかな?』
『さて、それはどうでしょう? 何せ元の世界の知識を使ったもので……この世界の人が方法を知らないままで同じことをするには、余程の偶然が重ならないと無理だとは思いますが』
暗に無理だと告げ、義人はコルテアの様子を窺う。
たたら吹きは方法や材料さえ揃えば、あとは回数を重ねることで鉄の質を良くできる可能性がある。そのため、たたら吹きに関する情報を知っているのは義人達を除けば鍛冶師のローガスとその周りの一部だけだ。もしも腕利きの間諜を送り込まれれば情報が漏れるかもしれないが、コルテアの表情を見る限りそのことを考えているようには見えない。
コルテアはグラスに注がれた果実酒を軽く飲むと、少しの間を置いて口を開く。
『ヨシト王がいた世界というのは、たいそう平和らしいですな』
『……世界全体を見ればそうも言えませんが、少なくとも身の回りは平和でしたね』
『魔法がない代わりに、様々な技術が発達しているとも聞きました』
娘のエリスやティーナから聞いたのだろうと判断して、義人は僅かに首肯する。
『そうですね。魔法はありませんが、違うものが発達しています』
『それは便利なものですかな?』
『便利……ですね。この世界で再現するのはほとんど不可能ですけど』
『ならば一部は可能だと?』
コルテアは義人の言葉尻を捕まえ、動揺を促すように尋ねた。それに対して、義人は曖昧に笑う。
『可能ですね。それがどんなもので、どれだけあるかは秘密ですが』
そう言って言葉を切り、義人は少しばかり温くなった果実酒を飲む。コルテアは義人の言葉の真偽を見極めるように義人の一挙動を見ていたが、すぐに表情を緩めた。
『そうですか……では、違う質問をしてもよろしいか?』
『どうぞ』
質問という言葉を聞いて、義人は内心警戒を強める。話し振りからして、玉鋼のことはそこまで重要ではないのだろう。そう思った義人はコルテアの言葉を待ち、
『ヨシト王は、妻は娶らぬのですか?』
『……は?』
聞こえた言葉に、耳の調子を疑った。
『妻……ですか?』
もしや聞き間違いだろうか、などと思いながら尋ね返す。すると、コルテアは至極真面目に頷いた。
『ユキ殿もそういった間柄ではなく、カグラ殿も違う。となればもしや、元の世界に居るのですか?』
『いや、元の世界でもこの世界でも妻はいませんよ。というか、元の世界では十八歳にならないと結婚できないという法律がありまして』
『そうですか。しかし、この世界では他世界の法は関係はありませんぞ?』
『それはそうですけど』
話題の転換で空気が緩んだように感じ、義人は僅かに緊張を解く。すると、それを見計らったようにコルテアが告げた。
『ヨシト王さえ良ければ、我が娘はどうでしょう?』
『……え?』
再度、義人は自分の耳を疑う。だが、そんな義人の様子に構わずコルテアは話を続けていく。
『親の欲目かもしれませんが、娘達は全員器量良し。特にエリスなどは、ヨシト王と歳もそう変わりませぬ。いかがかな?』
『い、いや、いかがかなと言われても……』
サラリと、重大な選択を迫られる。義人は少しばかり混乱している自分を自覚しながらも、何とか冷静に考えをまとめようと時間稼ぎに口を開く。
『レミィ姫達はこのことをご存知なんですか?』
『もちろん知らせてあります。それに、嫁ぐことは王家の娘の役目でもある……娘達も、幼少の頃よりその覚悟を持っています』
そう言って義人の言葉を待つコルテアの目は、本気だった。少なくとも、義人の目から見れば本気に映る。
――くそ、政略結婚をさせる気か? そんなことをする気はないぞ?
義人は内心で愚痴に近い呻き声を漏らし、それでも表面上はなるべく冷静を装う。
『……急な話で、すぐの返答はできかねます。それとお節介ですが、娘さんの幸せを願うなら結婚相手は自分で選ばせた方が良いのでは?』
自分でも甘いことを言っていると思ったが、それでも義人はそう尋ねる。すると、コルテアは首を横に振った。
『幸せを願うからこそ、です。レミィやティーナはともかくとして、エリスは物怖じするところがありましてな。特に、あの子は男を怖がる。表面上は平気を装うとするのですがな』
そこまで言うと、コルテアは一瞬だけ親の顔を覗かせる。
『しかし、貴方は違った。おそらく、この世界の人間ではないからでしょう。この世界の人間が持つ雰囲気とは、どこか違う。今日も、まさか自分からヨシト王のもとに行って踊るとは思いませんでした。もっとも、今のところは興味本位でしょうがな』
僅かに訪れる空白。義人は脳裏にエリスの控えめの笑顔が浮かび、つい先程共に踊った時のことを連想する。
たしかに、エリスには心惹かれるものがあった。だが、だからといってすぐに頷けるはずもない。それに、このタイミングで持ちかけるのならばただの縁談でもないだろう。現在の自分の立場を考え、義人は慎重に尋ねた。
『そうは言われても……仮にエリス姫と結婚して、俺にどうしろと?』
困惑するように尋ねる義人。半分は演技で、半分は本気である。少なくともこの場で解答することはできないが、コルテアの意図を聞き出さなくて答えようもない。
そうやって警戒する義人に対して、コルテアは真剣な表情で告げる。
『―――我が国と同盟を結びませんか?』
同盟の人質に娘を差し出す、と。