第九十一話:建国記念式典
レンシア国へと到着して四日目。十一月十日にあたるこの日はレンシア国の建国記念日である。
街中はもちろん、城の中でも前日に比べてどこか浮き足立つような雰囲気が漂い、朝食中でありながらもその空気を感じ取った義人は小さく苦笑した。
「なんというか、お祭りみたいだな」
手元のカップに注がれたスープを飲んでの一言に、傍で控えていたカグラが微笑みながら応
答する。
「国を挙げての祭事ですから。特に、ここ数年はハクロア国との戦のせいで簡素な式典でしたし」
「ああ、そういえばそうだったっけ」
「はい。そして、ヨシト様が仰ったお祭りというのもあながち間違いではないです。城下町はもちろん、あちこちの町や村でもお祭りが開かれますから」
そう言って楽しそうに話すカグラを横目に見つつ、義人は朝食を口に運ぶ。
いつもならば朝食の際に傍に控えるのはサクラだが、今日は『一日の予定を今のうちに知っておいてほしい』という理由でカグラが傍にいる。通常ならば食事中に話すことでもないが、今日一日の予定を考えるとなるべく早いほうが良いらしかった。
「それでは本日の予定ですが……」
一枚の紙を片手に説明を始めるカグラ。義人はそれを聞きながら、昨晩ヤナギから受け取った一枚の手紙……正確には何かの見取り図のことをぼんやりと思い出す。
あの後寝るまで見取り図を眺めていたが、思い当たるものは何もなかった。
『渡せば自分で気付くでしょ』
などという伝言もあったが、今のところは謎のままである。一体何の意味があったのだろうか、と伝言の意味を理解しかねていると、それまで義人に対して一日の説明をしていたカグラが小さく眉を寄せた。
「そして夜には……ヨシト様、聞いていますか?」
いつの間にやら説明がだいぶ進んでいたらしい。話半分で聞いていた義人は、至極真面目に頷いた。
「もちろんだとも。カグラがアルフレッドのことを『おじいちゃん』って呼んだときの話だろ?」
「違いますよ! それはわたしがまだ小さいときの話です! どういう風に今日一日の予定を話したらそこに行き着くんですか!?」
正直に聞いていなかったと言うのも怖かったため、義人はとりあえず惚けてみる。するとキレの良いツッコミが返り、その数秒後にカグラが脱力した。
「……全然聞いていないじゃないですか」
「ごめん、ちょっと考え事をしてた」
疲れたようにため息を吐くカグラに、義人はすぐさま謝る。カグラはそんな義人の言葉に小さく首を振ると、気を取り直したように姿勢を正した。
「いいですかヨシト様。本日行われるレンシア国の式典に参加するのは、我がカーリア国だけではありません。周辺の国からも祝いの使者が到着しています。だからせめて、公の場でそのような冗談を言わないでくださいね? きちんとカーリア国の王として振舞ってください」
カグラとしては公の場だけではなく一日中王として振舞ってほしいが、義人のことを考えるとそれは言えない。義人はカグラの言葉に苦笑しながら頷くと、細かく千切ったパンを口へと放り込む。
「わかってるって。それらしく振舞うよ」
何か特別なことをしなければいけないわけでもない。精々が祝いの品を渡すぐらいで、あとは適当に話を聞いていれば良いだろう。
この時の義人は、そんなことを考えていた。
『お初にお目にかかります。私はルクカ国の……』
『お初にお目にかかります。私はサーベス国の……』
『お初にお目にかかります。私は……』
『お初にお目に……』
「いや、ちょっと待てお前ら」
次々とかけられる挨拶の声に、義人は思わず日本語でそう呟く。
現在制服の上に王用の真紅のマントを羽織り、腰には王剣であるノーレを提げた格好の義人だったが、周囲に群がってくる他国の使者達を前に辟易とした表情を浮かべていた。
呟いた義人の言葉がわからなかったのか、声をかけてきた使者達が怪訝な顔をする。
その間に、義人は傍に控えるカグラへと目配せをした。すると、その意図を汲み取ったカグラが義人の耳元へと口を寄せる。
「本日の式典の使者として国王が参加したのはカーリア国だけのようですから、挨拶を兼ねた“品定め”かと」
カグラの言葉に、義人は挨拶をしてきた使者達の顔を見た。
『どうかなさいましたか?』
そのうちの一人が首を傾げる。友好的ですと言わんばかりの柔和な笑みと、表情とは違って探るような感情が見える目。
なるほど品定めとは上手いことを言うものだと内心で感嘆しつつ、義人も作り笑いを浮かべる。
『いえ、何でもありません。改めまして、カーリア国の王を務めているヨシト=タキミネです。そしてこっちが……』
そこまで言って、義人は傍のカグラに目を向けた。
『ヨシト王の補佐を務めています、『召喚の巫女』のカグラと申します』
ヨシトの視線を受け、カグラが一礼する。すると、カグラのことを見ていた使者達が僅かに好色そうな色を見せた。それを見た義人は少しばかり心が波立つものを感じたが、特に触れることなく自分を観察してくる視線を見返す。
義人が若年であることを侮っているのか、向けられる視線はどこか含んだものがある。それをなんとなくだが感じ取った義人は、顔に出さないよう注意しながら内心だけでため息を吐いた。
現在義人達がいる場所は、通常ならば謁見に使用するための部屋である。しかし、建国記念日である今日はその用途から外れ、式典を行うために様変わりをしていた。
小学校の体育館ほどの面積を誇る謁見の間は今や、嫌味にならない程度の装飾が施された華美な空間へと姿を変えている。
壁には動物らしき模様が金糸で描かれた真紅の幕がかけられており、床に敷かれるのは幕の色に揃えたのか真紅の絨毯。さらには職人が手がけて作ったらしきテーブルが運び込まれ、その上に敷かれた純白のテーブルクロスが一際目立っていた。
そして、義人達が座る場所から少し離れたところにはレンシア国の主だった文官武官が綺麗に整列している。部屋の隅には見張りの兵士も立ち、少しばかり物々しいものが感じられた。
ちなみに、カーリア国の人間としてこの場にいるのは義人とカグラだけである。部屋の外には志信や近衛隊、それにサクラが控えているが、入室は許可されていない。財務大臣のロッサを筆頭にした文官達は、レンシア国滞在中に交渉がまとまるか微妙なため、今日も交渉に当たっていた。
今のところは用意された椅子に座ってレンシアの国王であるコルテアが部屋に入ってくるのを待っている状況だが、その僅かな時間にも挨拶がてらに義人の人となりを確認しようと他国の使者が声をかけてくる。それに対してカグラがにこやかに威嚇の雰囲気を見せているが、使者達はそれで引っ込むほど細い神経をしていなかった。
カーリア国はレンシア国を挟んで反対側に位置するため、交流がほとんどない。そもそも大陸の北端に位置するカーリア国と隣接している国はほとんどなく、今回は何かしらのきっかけを探すための挨拶なのだろう。
―――式典の前に声をかけないで、黙って椅子に座っていてくれよ……と、そういうわけにもいかないのか。
義人は内心でそんなことを呟きつつ、傍に控えるカグラと共に適当に使者達の応対をしていくのだった。
『本日は我がレンシア国の建国を記念する式典へとお越しいただき、御礼申し上げる』
義人が他国の使者に囲まれて辟易すること十分少々。
今まで目にしたものよりも華美なドレスに身を包んだレミィ、エリス、ティーナの三人を従えて入室したコルテアは、開口一番にそう口にした。それに合わせて三人の姫が一礼し、使者達が返礼するのに合わせて義人も頭を下げる。そして、さり気なくコルテアやレミィ達の様子を窺った。
レミィは青みがかった白いドレスに身を包み、エリスとティーナは純白のドレスに身を包んでいる。場の雰囲気を読んでいるのか、常日頃は活発なティーナも今は大人しく、言うなればお姫様らしくしていた。エリスは使者達の視線を受けて少しばかり顔を俯かせているが、それでも義人が初めて見たときのように気を張っているようだ。
そんなエリスと対照的とも言えるのが、長女のレミィである。胸を張り、芯が通ったようにピンと背筋を伸ばし、生来の気質を表すような真っ直ぐな瞳で使者達と視線を交わすその姿は王女というよりは女王と呼んだほうが相応しく感じられた。
もっとも、当然のことではあるがこの国の王たるコルテアの立ち振る舞いにはまだ及ばないようではあったが。
そんな三人の姫の前に立つコルテアの服装は派手過ぎず、華美過ぎず。身に纏う服には材質の良さを窺わせる白い布地を使用し、金糸や銀糸を使って縫い上げられているものの無駄な装飾はない。その上にはビロードらしき真紅のマントを羽織り、頭には金の王冠を乗せている。
レミィ達同様、まるで御伽噺から抜け出たような服装だった。だが、現実で目の当たりにしてはそんな考えも浮かばない。その場に立っているだけで大きな存在感を放つコルテアを前に、義人は苦笑しながら頬を掻いた。
「散々“本物”だと思ったけど、ここまでくると何も言えないなぁ」
他国の使者達に向けて礼の言葉を述べるその姿を一言で表すならば、威風堂々。人の上に立ち、導いていく人間が放つ雰囲気があった。
『向こうは生まれながらに王族、お主と違うのは当たり前じゃ。それに、向こうはお主の倍は生きておるんじゃろうしな』
義人が雰囲気に呑まれていると、それを察したノーレが義人に思念通話を投げかける。それを聞いた義人は、苦笑染みた声を返した。
『そりゃそうだけどさ。あれは生まれと年齢だけじゃないだろ?』
『うむ。あとは王としての経験の差じゃな』
ノーレは義人の言葉を肯定すると、さらに言葉を続ける。
『何はともあれ、最高の手本じゃ。今のうちに少しでも立ち振る舞いを学んでおくんじゃな』
『難しいことを言ってくれるなぁ……ま、元の世界に戻っても役に立つかもしれないし、覚えておいて損はないかな?』
軽口のようにそう言う義人だったが、覚えていても役に立つかはわからない。確実に使う機会があるとすれば、この世界で、カーリア国の王として振舞うときぐらいだろう。
『元の世界で使う機会があるのか?』
『いや、どうだろう? 会社の社長とか、上に立つような人間になれば必要かもしれないけど、元の世界だと当面は必要なさそうな気が……こっちの世界で生活するのなら必要だろうけど』
『ふむ、たしかにあの振る舞いを覚えてもう少し威厳が欲しいところじゃな。最近、お主の周囲の人間の態度が崩れすぎているしのう』
周囲の人間と聞いて、義人は近衛隊の人間や魔法剣士隊の男連中の顔を思い浮かべる。
『俺としてはそっちのほうが気楽で良いんだけどな。あいつらだって、弁えるところは弁えてるしさ』
『それにしても、ちと砕けすぎておる気もするがな……』
呆れたようにノーレが呟き、そんなノーレの声に義人は苦笑を返す。
「…………」
そうやって話す義人とノーレの後ろでは、カグラが無言で唇を噛み締めていた。
式典は滞りなく進み、一時間ほどで終わりを告げた。
コルテアはレンシア国の歴史に関することを簡単に話し、そこから近年のレンシア国を取り巻く環境について話す。
その中にはそろそろ孫の顔が見たいという、おそらくは場を和ませるための冗談も含まれていた。そんな父親の冗談に対して僅かに顔を赤くしたレミィによっての突っ込みが入ったりもしたが、その話しぶりは元の世界で校長などの話を聞くのが嫌いな義人でも思わず耳を傾けてしまうようなものだった。
そして話が終わって解散……とはいかず、席を立った義人はコルテアのもとへと歩み寄る。
『建国記念、おめでとうございます』
そう言って義人は、建国記念を祝うための贈呈品が書かれた目録を手渡す。目録の内容は米や海産物、それにカーリア国が元々輸出していた鉄と少量の玉鋼だ。
それに対して、差し出された目録を見たコルテアは申し訳なさそうな笑みを浮かべる。
『賠償の決定案もないこの状況では、祝いの品をいただくのは気が咎めますな』
『それはそれ、これはこれですよ。気にしないでください』
『そう言っていただけると助かります。おや? この玉鋼というのはなんですかな?』
コモナ語で書かれた目録に目を落としていたコルテアだったが、気になるものがあったらしく義人へと疑問の声を投げた。それに対し、義人はコルテアと同じように目録へと目を落としながら口を開く。
『簡単に言えば、質の良い鉄ですよ。カーリア国で採れる鉄の質は中の上程度ですが、この玉鋼の質は今のところ上の下といったところです。それにここだけの話、もっと質が良くなる余地もあります』
ロッサに玉鋼を交渉の札にしても良いと言ったが、まだ使っていなかったらしい。そのことに義人は少しばかり頭を悩ませるが、この場で直接コルテアに言ったほうが効果的だろうと判断して内容を少しだけ話すことにした。
『ほほう……良質な鉄はいくらあっても良いが、中々手に入りにくい。新しい鉱脈でも見つけられたのですか?』
『そこは企業秘密ですね。それでも何かを言うなら、元の世界からの知識を使った産物とだけ言っておきます。後で実物を見てもらえればどんな鉄かわかると思いますが、今のところ交易品として取り扱いたいと思っています』
詳しい話は文官達に聞いてもらうとして、義人は少しでも興味を持ってもらえればと言葉を重ねる。しかし、多少話したところでこの場には相応しくない話題だと判断して切り上げることにした。
『この後の予定は、城下町で行われる祭りに出席でしたか?』
朝食中にカグラから聞かされた予定を思い出しつつ、義人は尋ねる。もちろん、祭りに出席と言っても食べて飲み歩くわけではない。
コルテアは義人の言葉に頷くと、僅かに相好を崩した。
『ここ三年は規模が小さかったため、例年よりも大きなものでしてな。護衛も万全のものにし
ますし、お連れの女性を連れて行かれても大丈夫ですぞ?』
お連れの女性、と聞いて義人は頬を掻く。
『あー……っと、もしかして、エリス姫かティーナ姫のどちらかに聞きました?』
やはりきちんとした紹介をするべきだろうかと義人は思案するが、そんな義人の思考を遮るようにコルテアが頷く。
『お二人の関係が羨ましいと、エリスが言っておりましてな』
『……エリス姫が何を言ったのか非常に気になるところですが、幼馴染みですから。まだそういう関係ではないです』
どこか誤魔化すように告げる義人と、そんな義人を見て何やら頷くコルテア。すると、そんなコルテアの元に一人の兵士が駆け寄って一礼する。そして耳元で何事かを囁くと、コルテアは義人に目を向けた。
『護衛の準備が整ったとの報告が来ました。それでは、移動するとしますかな?』
そう言って移動を提案してくるコルテアの言葉を聞くと、義人は近衛隊から適当に一人呼ぶ。
せっかく違う国にきたのだからと自分に言い聞かせ、義人は近衛兵に優希への伝言を頼むのだった。