第九十話:謎の手紙
時刻は午後三時を回り、明日の建国記念の式典のためか城のあちこちで忙しない空気が流れる中、義人はその忙しなさとは無縁の場所で椅子に腰を下ろしていた。
職人が手がけたものらしく木造りながらも非常に座り心地が良い椅子に背を預けながら、義人は円形のテーブルを挟んだ向こうで同じように椅子に座る二人の人物を見る。
一人は、どこか所在無さげに義人の様子を窺うエリス。そしてもう一人は、何が楽しいのか笑顔のティーナだった。
椅子に座る二人の三メートルほど後ろには、給仕のために一人の女性が控えている。しかしおそらくはサクラと同じように護衛も兼ねているのだろう、その挙措には無駄がない。
それに対して、義人の傍にいるのは隣に座る優希と義人の後ろに控えるサクラである。ノーレはこの部屋に入室する前に守衛に渡すよう求められ、危険はないだろうという判断から預けてあった。
「…………」
義人は無言のままで先程出されたティーカップに手を伸ばし、カップに注がれていた紅茶で軽く喉を湿らせてからティーナへと目を向ける。
『あー……それで、俺達が元いた世界についてでしたっけ?』
『はい!』
ニコニコと元気良く返事をするティーナを眩しく思いつつ、義人は三十分ほど前のことを思い出す。
カールの部隊や他に訓練していた部隊を午前中から昼過ぎまでにかけて視察した義人達だったが、昼食を食べ終え、他のところの様子を見に行くかと移動を始めた矢先にエリスとティーナに遭遇したのである。
そして軽く話し込んでいるうちにティーナから、
『もし良ければ、元いた世界のお話を聞かせてください!』
これまた元気良く、そう言われたのが現在この場で椅子に座っている理由だった。
交渉などは全て臣下に任せてあるため、義人自身がすることはあまりない。ならば上の人間と話すのが自分の仕事かと一人頷き、義人はティーナの申し出を承諾していた。
『そうだなぁ、元いた世界に関してか……』
承諾したは良いが、どう話したものかと義人は悩む。すると、今まで義人の様子を窺っていたエリスが優希へと視線を移した。
『あの、ヨシト王……そちらの方は……』
優希に関しての話も聞いているが、詳細は知らない。
少なくともこの場で自分達と同じ席に座れる地位の方なのかしら? などと思考するエリスだったが、そうなると選択肢は限られてしまう。姉のレミィと違い、そういった情報網を持たないエリスは現状で最も考えられる答えを口にした。
『ヨシト王のお妃様……でしょうか?』
恐る恐るというわけではないが、エリスはなるべく慎重に尋ねる。もしもそうならばすでに紹介があるものだとは思っていたが、もしもということもあった。
すると、それを聞いた義人は虚を突かれたように動きを止める。
『え?』
言われたコモナ語がわからなかったわけではない。習った範囲のコモナ語で理解できる内容ではあったが、そう聞かれるのは些か予想外だった。
―――お妃様って、優希がだよな?
なんとなく、義人は隣の優希を見る。すると、同じように優希も義人を見て……互いに小さく笑い合った。
『そっか、この場にいればそんな風に思われるのも当然か』
我ながら抜けていると義人は笑い、エリスに勘違いされたことを喜びながら優希も笑う。
『うん、そうだね。義人ちゃんが勧めるから座っちゃったけど、やっぱりわたしは後ろにいたほうが良いかな?』
優希がそう言うと、エリスは義人と優希の会話に首を傾げながら口を開く。
『違うのですか?』
エリスの問いに、義人は苦笑しながら頷いた。
『優希は幼馴染みでしてね。それと友達の志信が一緒にこの世界に召喚されたんですけど、元の世界の話をするのなら一緒にと思ったんですよ。優希、自己紹介を頼むよ』
『うん』
義人の言葉に頷き、優希はエリスとティーナを見る。
『義人ちゃん……じゃなかった、ヨシト王と一緒の世界から召喚されたユキ=ホウジョウです。カーリア国での役職は……ヨシト王の友人?』
『客人もしくは料理と裁縫、他諸々の担当じゃないか?』
『でも、それぞれにちゃんと担当の人がいるよ?』
『それもそうか』
二人して頷き合う。
義人もそれなりに元の世界の知識を教えたが、優希は料理やお菓子、元の世界の意匠を取り入れた服飾なども作っている。それを踏まえれば、今回召喚された三人の中で元の世界の知識を最も役立てたのは優希だとも言えた。
そうやってあーだこーだと話す二人だったが、そんな二人を見てエリスが相好を崩す。
『お二人は仲がよろしいんですね?』
微笑ましいというよりは羨ましさを含んだ声。姉であるエリスの言葉に、ティーナは同意す
るように頷く。
『お姉様の仰るとおり、仲が良いんですね?』
『まあ、けっこう長い付き合いなんで』
羨ましさを視線に乗せたティーナに苦笑しつつ、義人は答える。王族ともなれば、気軽な付き合いのできる相手というのは中々いないのだろう。
義人はそのことに対して僅かな苦さを覚えつつ、元の話の流れに戻すべく元の世界の話をすることにしたのだった。
『本当に、その車とやらは馬より速く走れるのですか?』
『このお城よりも何倍も高い建物が建ってるって本当ですか!?』
元の世界に関して話すこと一時間少々。興味津々な面持ちで時折質問をする二人に笑い返しつつ、義人は頷く。
『この世界の人からすれば信じられないと思うけど、本当だよ。俺としては、この世界で使われている魔法のほうが信じられないけどね』
『魔法がないということにも驚きましたが、すごい世界なんですね……』
義人の言葉に対して驚きながらも頷くエリス。部屋に案内された時に比べ、その雰囲気は大分打ち解けたものになっていた。
元の世界はどのような場所か?
どのような文化が発展しているか?
どのような国があり、人口はどれほどか?
そんな規模の大きな話から日常で使う生活品などの身近な話までを簡単にした義人は、口休めにと紅茶に手を伸ばす。優希は話すことを義人に任せていたものの、時折話の内容を補足するなどしていた。
義人の対面に座るエリスは、義人が紅茶に手を伸ばしたのを見て自分も紅茶に手を伸ばす。そしてティーカップに注がれた紅茶をゆっくりとした動作で飲むと、隣で紅茶と一緒に用意された焼き菓子を頬張るティーナを見て苦笑混じりに微笑んだ。
『ティーナ、お行儀が悪いですよ』
そう言いつつ、エリスはティーナの口周りを軽く拭く。その口調は責めるようなものではなく、困ったようなものだった。
『えへへ……ありがとう、お姉様』
口周りを拭かれたティーナは嬉しそうに笑い、そんな二人を見て義人も相好を崩す。
本来ならば失礼に当たるのだろうが、義人がそんなことを気にしないと知ったティーナは他所向けでない普段通りの振る舞いをしていた。
『仲が良いんですね?』
義人と同じように二人を見ていた優希が尋ねる。するとエリスは少し照れたように、控えめに微笑む。
『大事な妹……大事な家族ですから』
そんな言葉と共に微笑むエリスを見て、義人は僅かな思考に耽る。相手は本物の王族だが、家族に対する情などは普通の人間と変わらない。その辺りの感情はもっと淡白なものかと思っていた義人だったが、目の前の二人を見ていればそんなこともないように思えた。一見すれば、普通の仲の良い姉妹に見える。
もっとも、身に纏っている服装からして“普通”という言葉は当てはまりそうになかったが。
二人に対してそんな印象を抱くのと同時に、義人は今しがたエリスが言った『家族』という言葉に対して小さくため息を吐いた。
―――親父とお袋、元気かなぁ……。
無言のままに紅茶を飲み、こちらの世界へと召喚される前の生活を思い出す。
毎日学校に通う、こちらの世界に比べれば変化に乏しいながらも平和な日常。自分を産み育ててくれた両親。それらが頭の中を掠め、義人は遠い目をしながら僅かな郷愁に浸る。エリス達に元の世界に関して話したことも引き金だったのかもしれない。
「義人ちゃん?」
そんな義人の心情の変化をすぐさま察したのか、優希が心配そうな声をかけた。
「ん? ああ、ごめん。ちょっと考え事をしてた」
優希の言葉に笑って答える義人。すると、義人と優希の会話はわからずとも雰囲気だけで察したエリスが表情を変えた。
『もしかして体調でも崩されましたか?』
『いや、それは大丈夫。ちょっと元の世界のことを思い出してて……他に何か聞きたいことはある?』
自分が崩してしまった場の雰囲気を取り繕うように、義人はエリスとティーナに尋ねる。そんな義人の問いに、エリスも場の雰囲気を変えるように新たな質問をするのだった。
夕食も終わり、窓の外では夜の帳が降りきった時刻。
寝室のベッドに腰掛けた義人は、ランプの灯りに照らされながら財務大臣のロッサからの報告書に目を通していた。本人からの報告も聞いているが、用意された報告書にも目を通しておいて損はない。
報告書に書かれている内容はロッサに一任した交渉に関してであり、実際に交渉を担当した外交官などからの報告とまとめて書かれていた。
「賠償金の金額をどうするかで話が難航している、ねぇ……」
報告としては受けるが、請求している金額が妥当なのかはわからない。そもそもこの世界は
現代とは貨幣価値が異なり、こういった事態にどれだけの賠償金を請求すればいいかも知らないのだ。その辺りの感覚はこの世界で生まれ育った人間にしかわからないため、義人が口を出すことはない。
「まあ、何かあればカグラに……ん?」
何かあればカグラに確認を取るかと義人が考えたとき、寝室の扉が軽くノックされる音が耳に届く。その音を聞いた義人は、報告書を傍の机に置いて口を開いた。
「どうかしたか?」
場所が寝室であるためにサクラを傍に置いていないが、それでも部屋の外には何人もの兵士がいる。何かあったのかと義人がノーレに手を伸ばすが、それを遮るように扉の外から声が響いた。
「レンシア国のヤナギ様がお目通りを願っていますが、どうされますか?」
「ヤナギ隊長が?」
義人は思わず首を傾げる。一体何の用があるのかと思考するが、思い当たる節がなかった。
「うーむ……悩んでもわからない、か。よし、通してくれ」
考えても埒が明かないと判断した義人は、ヤナギを通すように声をかける。すると多少の問答が部屋の外から聞こえ、それが収まると同時に扉が開いた。
『夜分に失礼いたします、ヨシト王』
そう言って入室してくるのは手ぶらのヤナギだ。その後ろに視線を向けてみれば、以前ヤナギが使っていた杖を守衛の兵士が手に持っている。預けたのか、預けるように求められたのか。義人が見かけた限りいつも身に付けている和服らしき服装に身を包み、手には何も持たず腰にも何も差していない。そのおかげというべきか、ヤナギが武器の類を持っているようには見えなかった。
ヤナギが魔法使いである以上、武器がなくても魔法があるため危険性は減っていないかもしれないが、それでも視覚的には安全に見える。もっとも、ヤナギが襲い掛かってくるようには見えなかったが。
『いきなりどうしま……どうしたんだ?』
危うく敬語が口から出そうになり、義人はすぐさま口調を切り替える。慣れないなと内心で苦笑するが、そんな義人を前にしたヤナギは膝を突いて真剣な表情で口を開く。
『少し内密に話したいことがありまして。できれば人払いをしていただきたいのですが……』
人払いをと言われた義人は、ヤナギの後ろで妙な行動をしないか見張っている兵士達へと目を向けてからヤナギへと視線を戻す。
『いきなり人払いをと言われてもなぁ……俺は良いんだけど、周囲が納得してくれそうにないんだ』
ヤナギの行動を見張っている兵士達が当然とばかりに頷く。何せ、つい先日義人が襲われたばかりだ。それが誤解だったとはいえ、護衛する側としては目を離すわけにはいかない。もしもヤナギが凶行に及んだ際、抑えられるかどうかは別だったが。
そんな義人や周囲の兵士の様子に、ヤナギは僅かに苦笑した。
『こちらのしたことを考えれば当然のことでしたね。では、このままで』
そう言って、ヤナギは懐に右手を伸ばす。その動作に兵士が動こうとするが、ヤナギは敵意はないと言わんばかりに苦笑した。
『この場でヨシト王を害して、何の得がありますか?』
『そりゃごもっともで』
兵士が刀の柄に手をかけても動じないヤナギに、義人は苦笑を返す。そんな義人の相槌にヤナギは苦笑を引っ込めると、“何か”を握った右手を懐から引き抜いた。
『それは?』
引き抜かれた右手が握っているものを見て、義人が尋ねる。ヤナギが手に握っていたものは、どこか古さを感じさせる手紙らしきもの。材質は紙なのかわからないが、それでもかなりの年数が経過しているように感じられた。
『我が師からです』
『師? カグラ似っていう、ヤナギ隊長の師匠のことか? なんだ、この町にいたのか?』
差し出される手紙を受け取りつつ、義人は首を傾げる。すると、そんな義人の言葉に対してヤナギは首を横に振った。
『いいえ、これは俺が師匠の元から離れる際に受け取ったものです。おそらく出会うことがあるだろうから、渡しておくようにと』
『……いや、話が見えないんだけど』
一応手紙を受け取った義人ではあるが、表情を怪訝なものに変える。すると、ヤナギはそんな義人の反応はもっともだと言わんばかりに頷いた。
『師匠は旅の占い師でして。偶然弟子入りすることができたのですが、俺が一人前になったと判断した師匠からいくつかの予言のような助言をいただきまして……その中の一つに、この手紙がありました』
『……はぁ。占い師ねぇ』
『ええ。もっとも、占い師という名前の魔法使いでしたが』
苦笑するヤナギを見つつ、義人は手紙の封を切る。その占い師とやらが一体何の用だろうかと、手紙の封から一枚の紙を引っ張り出して目を落とし―――眉を寄せた。
『なんだこれ? 見取り図?』
中から出てきたのは、どこかの部屋らしき見取り図が一枚のみ。何かの言葉が書かれているというわけでもなく、目を引くものと言えば一つだけつけられた小さな赤い丸ぐらいだろうか。灯りに透かしたりしてみるが、他には何もない。
『それと、『渡せば自分で気付くでしょ』という伝言がありましたが……』
義人の反応を見たヤナギが申し訳なさそうに告げ、義人は眉を寄せてからこめかみを軽く叩く。
『何に気付けと?』
『それはわかりません。手紙を渡して伝言を伝えるようにとだけ……』
ヤナギの言葉に、義人は再度目を落とす。どこかの部屋の見取り図らしい、一枚の手紙へと。
さすがに棚などの配置物などは書かれていないが、窓や入り口などは書かれており、壁らしき部分に赤い丸がつけてある。
義人はその赤い丸を見て、ため息を吐いた。
『……これで何に気付けと』
そう呟いた義人の声に、ヤナギは申し訳なさそうに苦笑するだけであった。