第八十話:到着
カーリア国王都フォレスのものに比べて大きな城壁の門をくぐり、義人は馬車の窓から外を見る。本当ならば馬車の外に身を乗り出したいところだが、それはさすがに止められた。
窓の外に見えるのは、往来を生き生きとした表情で歩いていく住民の姿。もうじき夕方になるからか、和やかな雰囲気ながらも道脇の商人の声が飛び交い、十にも満たない子供が友達らしき他の子供と駆けていく。
「平和で、活気のある町だな……」
窓の外の光景を見て、義人は一人呟いた。
駆けていく子供を温かな眼差しで見送る老人。そんな老人の前を通り過ぎる、手を繋いだ若い男女。幸せそうな顔で笑い合う男女の傍で景気良く声を張り上げる商人。それら全てが、義人には少し眩しく見えた。
「この国の王様は、よっぽど優れた施政者なんだろうな」
町の様子を観察しつつ、義人は以前カグラから聞いた情報や書類等に書かれていた情報を頭の中から引っ張り出す。
国のことを考え、民のことも思うことができる賢帝とはカグラの弁だ。隣国のハクロアと戦をしていても民がここまで安らいだ表情をしているのは、コルテアが賢帝たる証拠の一つだろう。国全体を見渡してみれば違うだろうが、王都の人々の表情だけを見れば元の世界と似た雰囲気を感じ取れた。
「……ったく、俺がカーリアの住人だったら迷わずこっちに引っ越すね」
苦笑混じりに呟き、馬車の窓から身を離す。そして義人は馬車に据え付けられている椅子に背を預けると、ため息を一つ吐いてから天井を見上げた。
「そんで、その賢帝サマと色々交渉をしないといけないわけか……全部カグラに任せて俺は町の様子でも眺めてたいねぇ」
カグラの前で言ったら笑顔で殴られそうなことを口にする義人。そんな義人の隣に座っていた優希は、義人の言葉を聞いて首を傾げる。
「カグラさんに全部任せるの?」
「いや、それは冗談だから。魅力的な話ではあるけど、俺も“交渉”に参加しないといけないんだよ」
優希の言葉に笑って返し、義人は僅かに目を細めた。
「カーリア国の中で起こったことならまだしも、レンシア国の中で、しかもレンシア国の兵士
達に攻撃を仕掛けられたんだ。誤解だったから何も罰はなしっていうわけにもいかないだろうしな」
今回のことがどの程度の事態か、義人は正確に理解できていない。まずいと、端的ながらもそれだけは理解しているが、どれだけ重大かはわからない。そのため、交渉に関してはカグラや他の文官に大きく頼ることになるだろう。
いっそのこと丸投げするかと半分冗談で考えた義人ではあったが、カーリア国側の最終的な決定権は自分にあるのだ。それに、そんな大事を決める際に国王である自分がいないというのも体裁や都合が悪い。
それが例え、違う世界から召喚された“ただの”人間だとしても。
「……義人ちゃん?」
沈黙した義人を怪訝に思ったのか、優希が首を傾げながら声をかける。すると義人は取り繕うに笑い、何でもないと言わんばかりに首を振った。
「ただの考え事だよ。さて、そろそろ着くかな?」
徐々に減速しだした馬車の中でそう呟き、義人は馬車の窓から外を見る。
その視界には、見る者を圧倒するような雰囲気を放つレンシアの王城が映っていた。
城門をくぐり、停止した馬車から義人が降りる。義人はここから先が公の立場であることを弁え、制服を身に纏い、その上にカーリア国王が使う真紅のマントを羽織り、背中にはノーレを背負った姿で馬車を降りた。すると、一足先に王都ハサラへと到着していたカグラが歩み寄ってくる。表情が僅かに強張り、いつもに比べてやや足早だったが、義人の顔を見ると歩調を緩やかなものへと変えた。
「ご無事で何よりです、ヨシト様。怪我や被害などは?」
すでに報告を受けていたのか、挨拶もそこそこに本題を切り出すカグラ。表情を消してはいるが、どこかしら怒気を孕んだ気配が漂っている。カグラの言葉を聞いた義人は、僅かに思案してから口を開いた。
「俺自体はかすり傷程度だったし、すぐに治癒魔法で治してもらったよ。他には近衛兵が何人か怪我したくらいだ」
そのかすった場所が悪ければ死んでいた可能性があるが、そんなことは口にしない。疲労がまだ抜けきっていないのか、妙な体のだるさを感じていたがそれも口にすることはなかった。
「そうですか……」
他にも細々とした報告を聞き、カグラが頷く。そして、義人の傍に控えていたサクラへと目を向けた。
「サクラ」
「……はい。申し訳、ありません」
どこか冷たい響きのこもったカグラの声に、消沈したサクラの声が応える。そんなサクラの様子に義人は苦笑しつつ、サクラの頭をポンポンと撫でた。
「首を突っ込んだのは俺のせいだよ。サクラはそれに付き合わされただけだし、俺を十分守ってくれた」
義人が庇うようにそう言うと、事の成り行きを見ていた志信が口を開く。
「義人の護衛がおろそかになったのは、俺の指示のせいでもある。サクラ一人の責任ではないだろう」
「……ん」
そして志信の言葉に同意するようにシアラが頷いた。カグラはそんな三人を見ると、俯いているサクラへと視線を向けてため息を吐きながら肩を落とした。
「ヨシト様がそう決められたのなら、わたしに言えることはありません。わたしも、ヨシト様のご温情を受けた身ですしね……ですが」
一度言葉を切り、カグラは義人に目を向ける。てっきり怒られるとばかり思っていた義人は、カグラが特に何も言わなかったことに内心驚きつつも次の言葉を待つ。
「ヨシト様も危険な目に遭われたと聞きました。これ以降は、危険だとわかることに自ら手を出されないようにお願いします」
その願いは臣下としてのもとか、それとも別か。義人はそう思考しようとして、その考えをすぐさま打ち切って頷く。
「ああ、さすがに今回の件で懲りたよ。これからは余計なことには首を突っ込まないようにするさ……なるべくだけど」
義人としても今回の件で色々と考えることができたが、もしも目の届く範囲で知り合いが危険な目に遭っていたら迷わず首を突っ込むだろう。だが、死ぬかもしれないという極限状態を味わってからはその考えもやや改まっている。
そんな義人の様子を見て何か感じるものがあったのか、カグラは真剣な表情で頷いた。
するとその時、カグラの元へと一人の兵士が駆け寄ってくる。服装を見てレンシア国の兵士だと悟った義人は、カグラへと話しかける兵士の挙動をなんとなく眺めていた。
「……そうですか。わかりました」
数度言葉を交わして兵士が去っていく。小声での会話だったため義人には聞こえなかったが、深刻な話題というわけでもなさそうだった。
「どうかしたのか?」
「いえ、これからの予定に関してでした……っ! コ、コルテア王!?」
兵士との会話内容について口にしようとしたカグラだったが、途中で驚きを露わにして膝をつく。その視線は義人の後ろに向けられており、義人はつられるように後ろへと振り返った。
そして、視界に入ったのは一人の男性。
外見から判断すると四十歳から五十歳程度で、白みがかった金髪と口周りや顎を覆う髭が貫禄を漂わせている。瞳の色と同じ赤を基調とした豪奢な服を身に纏っており、金糸を用いた刺繍が施されたその意匠は嫌味のない高貴さが感じられた。
義人はカグラが呼んだ名と、周囲の人間が男性に対して膝をついていることから相手が誰なのかと思考していく。すぐさま目の前の人物と符合する情報を頭の中から引っ張り出し、義人は反射的に背を伸ばしていた。
「レンシア国国王……」
そんな呟きが漏れる。事前に読んだ資料には外見に関する記述は多少あったものの、元の世界のように写真などがあるわけでもない。カグラが名前を呼んだおかげですぐに気付くことができたが、もしもカグラが名前を呼ばなくても雰囲気だけで察することができただろう。それだけの雰囲気が、目の前の男性……コルテアにはあった。
コルテアは義人の傍へと歩み寄ると、僅かに観察染みた視線を向ける。しかしすぐにそれを消すと、僅かに腰を折って頭を下げた。
『ようこそおいでくださった、カーリアの王よ。儂はレンシア国国王、コルテア=ハーネルン。此度はエリスを助けていただき、感謝を申し上げる。そして此度の我が臣の非礼、大変失礼した』
「あ、いや……」
あっさりと頭を下げてみせるコルテアに面食らった義人は、コルテアの持つ威風、覇気とも呼べる雰囲気に押され、どう答えれば良いかわからず傍のカグラへと目を向ける。だが、すぐに気を取り直して口を開いた。
『初めまして、カーリア国の国王を務めている滝峰義人と申します。今回のことは……まあ、不幸な事故とでも言いますか。とりあえず、お姫様とカール達はそちらへお返しします』
慣れないコモナ語で答えつつ、義人は頬を掻く。すると、コルテアはそんな義人を観察するように見ながら頭を上げた。
『謝罪に関する協議などを行いたいところではあるが……ヨシト王も多少疲れている様子。協議は明日行うものとしてよろしいですかな?』
『……そうですね。もうじき夕暮れですし、こちらとしても多少考える時間が欲しいです』
義人がそう答えると、コルテアは同意を示すように頷く。そして傍に控えていた兵士に目を向けた。
『カーリアの方々を客室へ案内せよ。失礼のないようにな』
『はっ!』
コルテアの言葉に答え、兵士が義人達を案内するべく傍へ寄ってくる。その足取りはしっかりとしたもので、何気ない動作にも訓練が行き届いていることを窺わせた。
義人は後ろに控えていた志信へと振り返ると、アイコンタクトを取って互いに小さく頷き合う。そして義人は何事もなかったように元の体勢に戻ると、案内の兵士に従って客室へと足を向けた。
「ぷはぁー……何だありゃ。アレが本物の王様ってやつか」
客室に案内された義人は、いつも自分が使っている執務室と同程度の広さを持つ部屋を見回した後で開口一番そう呟いた。現在客室にいるのは義人だけで、他の者も各自客室へと案内されている。
義人はノーレを傍に立てかけると、無駄にでかいベッドへと倒れこんだ。
『あれがレンシアの国王か。機先を制されたのう』
三、四人は同時に寝れそうなベッドで手足を伸ばしている義人に、ノーレが思念通話で話しかける。それを聞いた義人は、同意を示すように答えた。
「ああ、まさかいきなり出迎えに出てくるとは思わなかった。しかも、あんなにあっさりと頭を下げるとはねぇ……」
しかも、頭を下げたといっても下手に出たというわけでもない。毅然とした態度で謝罪するその姿は、ある種の高潔さが見て取れた。
『非があることを自覚しているんじゃろう。ならば、少しでも印象を良くしてこれからの交渉での不利をなくしたいじゃろうしな』
「交渉……交渉か。ノーレはどのくらいが妥当だと思う?」
寝転がっていた状態から身を起こし、義人は鞘に納まったノーレを見る。ノーレは考え込むように沈黙すると、少しの間を置いてから答えた。
『通常なら今回ヨシトに危害を加えた者の引渡しを要求し、加えて賠償金を請求するといったところかの。それでヨシトの気が治まらんのなら戦を仕掛けても問題ないじゃろう。それくらいの事態じゃ』
「いやいや、問題あるっつーの。ミーファも戦端を開く理由になるって言ってたけど、そもそも戦ってどうするんだよ? 正直、勝てるとは思えないぞ」
『……まあ、そうじゃろうな。まともに戦えば勝てんじゃろうが、向こうはこちらとの戦は避けようとするじゃろう。戦えば“本命”に対して隙をさらすことになるじゃろうしな』
「ふむふむ……」
ノーレの言葉に頷きつつ、義人はどんな妥協点にするか模索する。国として、それなりの対応を取らなければならない。義人としては面倒だが、『はい、許します』ではすまないのだ。
「ま、今晩にでもみんなを集めて意見を聞くかな。俺一人で決めるなんて到底無理だし」
レンシアで行うのは建国記念式典の参加と玉鋼の取引に関する交渉ぐらいだと考えていたが、ここにきて厄介な交渉が加わってしまった。
義人はそのことに若干の疲労感を覚えつつ、ため息を吐いた。