第七話:カグラとカーリア国
カグラだけ部屋に残ってもらい、アルフレッドとミーファは退室させる。義人は椅子に座り直すと、ため息を吐いた。
「王様か……いや、困った。親父達、警察に駆け込むだろうな」
「困ったねー。今度の試合どうしよう……」
義人の言葉に優希が相槌を打つ。義人は半ば諦めがちに、優希はまだ実感がないように喋っている。そんな二人を見たカグラは苦笑しつつ、座り直した義人に目を向けた。
「それでヨシト様。アルフレッド様とミーファちゃんを部屋から退出させて、わたしに何を聞きたいんですか?」
苦笑を朗らかな笑みに変え、カグラが尋ねた。だが、それはどこか作り物めいた笑顔。それを見た義人は、面倒くさそうに頭を掻く。
「んー、この国についてとか、この世界についてとかかな? あとは魔法についても知りたい。それと……」
そこで一度口を閉ざす。気だるげな動きで肘掛けに右肘を置き、右手の甲に顎を乗せてため息と共に僅かに口の端を吊り上げた。
「一体誰が“本当に”信用できるのか、とか」
「―――――」
僅かに、室内の空気が変わる。
カグラの笑みが深くなり、志信が音を立てずにカグラの背面へと回りこむ。その空気の冷たさと志信の動きを見た優希は、オロオロと周りを見るだけだ。
「正直さ、困るんだよね。突然こんな異世界に呼び出されてさ。しかもいきなり王様になれ?
ハッ、馬鹿馬鹿しいにも程があると思わない?」
「そうですね……たしかに、馬鹿馬鹿しい話だと思います」
「だよな。しかも、俺だけを召喚するならともかく、優希と志信まで一緒ってどういうことだよ? 向こうでの生活はどうなる? 突然異世界に召喚されて、今頃向こうの家族はパニックだろうさ。下手すりゃ警察に捜索願いが出されるかもしれない、いや、出るね。新聞やニュースでも騒がれるかもな。『高校生三人、神隠しに遭う』みたいな見出しで」
怒気混じりの声。決して大声ではないが、その声は部屋中に響く。
「その上、最低でも一年は戻れない。なあ、どうしてくれるんだ? おかげで人生が滅茶苦茶だよ。俺だけじゃなく、優希と志信の人生もだ」
「義人ちゃん、わたしは」
優希が何かを言おうとするが、義人が目で止める。志信はカグラの背後で立ったまま、ただ義人の言葉を聞くだけだ。
「この国では当たり前のことなのかもしれないけど、こっちの常識で他人に迷惑かけないでもらえないか? 俺はただの高校生で、王様なんぞやったこともない。政治や経済なんて学校でほんの少し習う程度。そんな人間に国王を任せるなんて、頭がどうかしてるとしか思えないぜ」
睨み付けながら吐き捨てる。悪意にまみれたその言葉を受けたカグラは、作り物の笑顔を消して義人の前に膝をついた。
「貴方のおっしゃることはもっともです。貴方や貴方の友人をこの世界に召喚したこと、それは許される問題ではないでしょう。ですが、わたしには謝ることしかできません」
「謝られても、問題は解決しないんだがな」
鼻で笑い飛ばす。そして、真正面からカグラの視線を受け止める。
「それを承知でお願いします。この国のために、ヨシト様達の力をお貸しください」
「俺達には貸すほどの力もない。まして、貸すことができたとして俺達に何の得があるっていうんだ?」
義人が嘲り混じりにそう言うと、カグラはそれを物ともせずに口を開いた。
「我が身を捧げます」
宣誓するかのような響き。嘘偽り一切なき、真摯な言葉をカグラは紡ぐ。
「この身は召喚の巫女。召喚されし王を補佐し、助ける者。戦えと命じられれば命を賭して戦い、守れと言われれば身を挺して王を守ります。身を差し出せと言われれば、喜んで差し出しましょう」
「―――本気か? アンタは、俺が死ねと言えば死ぬのか?」
真意を確かめるように、義人は問いを放つ。
「はい。死にましょう」
返ってきたのは肯定。まっすぐな視線を受け、それを見返す。
数秒目を合わせた後―――義人は呆れたように笑った。
「困った。本気だよ、この人」
「ああ、本気のようだな」
呟きに、志信が頷く。
カグラの言葉に、嘘は一切ない。死ねと言われれば、本当に死ぬのだろう。そのことに内心で苦笑を浮かべると、義人はため息を一つ吐いてお手上げとばかりに両手を上げた。
この人は、信用できる。
「あーあー、わかったよ。ここはカグラに免じて、王様の真似事でもしてみるよ。どうやら、この世界で生活する手段がそれしかないみたいだしな」
「本当ですか!?」
カグラが喜びの声をあげるが、それを見た義人は一つ指を立てた。
「だけど、条件がある」
「何でしょう? この身を差し出せというのなら、喜んで差し出しますが?」
「む、男としてはとっても魅力的な提案で……イエ、ナンデモナイデス」
ちょっといいなー、なんて思ったが、ベッドの上に座っている優希の目がとんでもなく剣呑なものになったのですぐに撤回する。その迫力は、義人の背中に冷や汗が流れるほどだ。
「まあ、条件っていうのはさ、『可能な限り早く元の世界に戻れるようにしてくれ』ってこと」
「王に戻られると困るのですが……」
「そこはほら、俺がこっちにいる間になんとかするさ。召喚国主制を廃止して、新しい方法を決めるとか。三年あればなんとかなるだろ?」
義人はそう言うと、椅子から立ち上がって優希と志信に向き直る。
「優希、志信、巻き込んで本当にごめん。なるべく早く元の世界に戻れるように頑張るから、俺に手を貸してほしい。お願いします」
誠心誠意を込めて、頭を下げた。その様子に、志信は小さく頷く。
「俺は構わん。家の祖父ぐらいしか心配する者もいないが、その祖父も俺に免許皆伝を与えてからは全国を放浪しているしな。それに、俺はお前の決めたことには付き従うつもりだ。何なら、三年後に帰るのは俺でもかまわない」
「ははっ、サンキュー志信。嬉しいけど、なるべく早く帰すよ」
親友の言葉に、喜び笑う。そして、今度は優希へと顔を向けた。
「優希。なるべく早く元の世界に帰すから、少しだけ我慢してくれないか? 危険もないみたいだし、もし危険なことがあっても俺が守るから。だから、俺に力を貸してくれないか?」
真っ直ぐに見つめる。その視線に、優希は恥ずかしげに微笑んだ。
「うん。義人ちゃんが守ってくれるなら大丈夫だよ。三年だって我慢できる。だ、だから、そんな真剣な顔で見るの、やめてほしいなぁ」
「バカ。お前を三年もこの世界にいさせるわけにいかないだろ? 志信、優希を最初に向こうの世界に戻したいんだけど、いいか?」
「ああ、俺もそれが良いと思う」
すぐさま返事をしてくれる親友に、内心で感謝しながら話を続ける。
「というわけで優希。一年、いやもっと早くお前を帰らせる。俺も無事に帰れたら、責任でもなんでも取るから、許してくれ」
「せ、責任!? だったら、その……ごにょごにょ」
少し頬を染めて目を逸らす優希。なんと言ったか聞こえなかったが、義人はカグラに目を向けた。
「よし、それじゃあ色々と聞かせてくれ。この国や世界、それと魔法についてとか」
事の成り行きを見ていたカグラは、義人に対する評価を改める。そして、今まで纏っていた空気を軟化させて頷いた。
「この国や世界、それと魔法についてですか……」
うーん、とカグラは僅かに考えをまとめ、壁にかけてある地図を手にとって丁寧に話始め
る。
「まずこの国ですが、名前はカーリアと言います。大陸の最北端に位置し、総人口は約八万人。ここ、王都フォレスに約八千人。そして六つの町と十七の村があり、残りの人々が生活しています。国としての規模は小さく、ここ百年で軍事、魔法技術、農業、工業、商業、全てが他国に数歩劣っている状態です。ここまではいいですか?」
「いいけど……それでよく他国が手を出さないもんだ」
俺なら手を出す、と付け足す義人に、カグラは苦笑した。
「確かに、今の状態で侵略されれば困ったことになります。しかし、他国がこの国に手を出すことは今のところないんです」
そう言って、カグラはカーリア国の周囲を指でなぞる。
「周囲が山や森に囲まれているため、魔物による人的、農的被害が多く、その上土地も痩せています。多少良質な鉄が採れますが、目立った鉱産物もありません。他国に移動するにも不便な場所のため、軍事的価値もほとんどなく、国として成り立たせるのが精一杯の国です」
「……こうして聞くと、ものすごい駄目な国に聞こえるんだけど」
「ええ、まあ……」
何も反論できないように、曖昧に笑うカグラ。
俺、こんな国の王なのか……。
少しばかり暗鬱な気分になるが、それをなんとか振り払う。
「そしてこの国だけの特徴ですが、召喚国主制によって統治する王を召喚しています。召喚された王の下でわたし達は」
「ちょっとストップ! いや、待て! さっきから気になってたんだけど、なんで王なんだ? さっきも軽く言ってたけど、他世界の知識を取り込むことで、この国をさらに発展させることができるから俺達を召喚したんだよな?」
「はい、その通りですが?」
何かおかしなことでも? と言わんばかりにカグラが首をかしげる。
「だったら別に王にしなくてもいいじゃないか。研究者とか、技術者みたいな役職に就かせた方が目的に沿ってるだろ?」
元の世界の役に立つ物が作れるとは思わなかったが、それは言わずにおく。
カグラは少し考え込み、ややあって困ったように笑った。
「ヨシト様のおっしゃることもわかります。ですが、これは建国当時からの習わし。すでに何百年も続いたことですので、変更は不可能かと……」
「いや、なんでそれをおかしく思わないのかって俺は言いたいんだが」
そうは言いつつも、頭の隅では理解する。
この国の王は異世界から召喚するということを、生まれてからずっと教えられていたのだろう。一種の洗脳みたいなものだが、たしかにそれならおかしく思わない。
そんな規則を作った人物に文句を言いたくなったが、数百年も昔のことだ。義人は心の中だけで罵詈雑言を言い募り、ため息と共にそれを止めた。
「もういいや……続きをお願いします」
「はい。世界には多くの国があり、その数は定かではありません。この国と比較的友好関係を築いているレンシア。極東にあると言われているジパング。確認されているだけでも三十を超える国々が存在しています。それらの国は他国と戦争を行ったり、独自の文化を築き上げていたりします」
「ふむふむ、そのへんは俺達の世界と変わらないのか」
勿論国名などは違うが、人間のやることに変わりはないらしい。ジパングという名前に少し惹かれたが、そのまま話の続きを促す。
「世界のあちこちには魔物と呼ばれる生物が存在し、その猛威を振るっています。中にはアルフレッド様のように人間に協力する種族もいらっしゃいますが、大半は危険な存在と言えるでしょう」
「たしかに、森で出会ったのは危険だったなー。紫色の三つ目鳥に、四本腕の熊とか」
「シドリにバズスですね。しかし、魔物としての格はあまり高くないですよ?」
「格?」
「はい。希少性や戦闘能力、魔法が使えるかどうか、知性があって人間に対して友好的か……知り得た情報を元に、上級、中級、下級の三つで分けられています。この分け方に関しては魔法に対しても同様で、効果や威力を元に分けられています」
そう言いつつ、カグラは右手で三本指を立てる。
「上級に分類される魔物はそのほとんどが高い知性を持ち、無駄に人を襲うことはありません。しかし、中には一国を滅ぼせるだけの力を持つ魔物もいます。中級に分類される魔物も知性を持ちますが、半数以上は好んで人間を襲います。それ以下を下級と定めていて、これらはほとんどが知性なく人間を襲います。シドリは強めの下級の魔物で、バズスは中級の魔物に含まれますが弱い部類ですね」
「あれで下級と中級の弱めのやつ? つくづく危険な世界だな。上級までいったらどうなるのやら……」
「上級で有名な魔物といったら龍種ですね。もっとも、上級に区別される魔物の大半は知性がありますから、逆に危険じゃないかもしれません。市民にとっては下級の魔物が一番の天敵です。畑を荒らし、人を襲う。中級の魔物はよほど森の奥に入らないと遭遇しませんから」
龍や魔物といった単語がファンタジーちっくだと義人と優希は思ったが、それは口に出さない。
「そして魔法ですが、これは魔力を使って様々な現象を起こすことです。例えば……」
言葉を切り、カグラが人差し指を立てる。すると、その指先に小さな炎が灯った。続いて、炎が消えて小さな氷が浮かび上がる。
「このように、魔力を炎に変えたり、氷に変えたりすることができます。今は魔力が空っぽな
ので、この程度しかできませんけど」
申し訳なさそうなカグラだが、それを他所に義人と優希は歓声を上げた。
「おおー! すっげぇ! 優希、本物の魔法だぞ!?」
「すごいすごい! タネも仕掛けもないんだよね!?」
きゃっきゃっ、と喜ぶ二人に、志信は苦笑しつつカグラへと話しかける。
「成程。では、あの化け鳥が遠距離から攻撃できたのは魔法を使っていたからか」
「シドリですね? たしかに、あの魔物は風の魔法を使います。とは言っても、風の塊を飛ばすぐらいで殺傷力はあまり高くないです。バズスの炎くらいになると、危険ですけどね」
喜んでいる二人を尻目に、志信は質問を重ねていく。
「魔法とやらは誰にでも扱えるのか?」
「いいえ。魔法はその人が持つ資質によって大きく左右されるものです。魔力がなければ魔法は使えず、才能がなければ高度な魔法を使うことはできない。また、人によって使える魔法が異なります。炎の魔法は得意だけど、氷の魔法は発動すらできない人。治癒の魔法が使えるけど攻撃の魔法は使えない人など、様々です。そして一般市民の大半は魔法が使えず、兵士の中でも使える者は限られています」
「そうか、それでミーファは『魔法剣士隊』と名乗っていたんだな」
「そうです。そして、この国の魔法技術はあまり高くありません。魔法剣士隊隊長のミーファちゃんでさえ、魔法の腕は中級に届くかどうか。一応魔法使いの隊もありますが、その隊長でさえ使える魔法の威力は中級ぐらいです」
「では、魔法を使わない兵隊の練度はどのくらいだ?」
「……一般兵士の練度も、士気も、そこまで高いものではないんです。この国は他国に侵略されることがないので、戦ったことがあるのは魔物ぐらいです。それも、魔物と戦ったことすらない兵士もいるでしょう」
「規模は?」
「各地の町や村での魔物に対する防備、王都の防衛等に割り振られている全兵力を集めて約千二百、ですかね。部隊数は八で、内訳は魔法隊が一つに魔法剣士隊が二つ。弓兵隊が一つに歩兵隊が三つ。残りは騎馬隊が一つです。義勇兵を募ればまだ増やせるでしょうけれど」
「現状維持なら大丈夫なようだが、他国に攻め込まれれば危険だな」
そこまで言うと、志信は黙然と壁に背を預ける。そんな志信に、カグラは感心したように微
笑んだ。
「ヨシト様の話を聞く限り、貴方の世界はひどく平和なようです。ですが、貴方自身は違いますね? 立ち振る舞いに隙がないです」
「……家が武術の道場をやっている。俺が義人を支えられるとすれば、その方面になるだろう」
「腕は立ちますか?」
「素人に負けることはない。しかし、この世界の人間がどの程度のものかによる」
「わたしも武芸を嗜んでいますが、貴方は『素人に負けることはない』なんて腕ではなさそうですね……王の傍に、貴方がいたことは僥倖です」
「買い被りだ」
「そうでしょうか?」
クスクスとカグラが笑う。そんな二人の会話を、優希とじゃれ合いながら聞いていた義人も笑いかける。
「こらそこ。何話してんだよー」
「ふふっ、何でもないです。でも、少し安心しました」
そこで笑うのを止め、カグラは背筋を正す。
「明日より、ヨシト様には王として務めていただきます。不肖、このカグラも及ばずながら助力いたします。わからないことがあれば、お聞きください」
そう言って、カグラは臣下の礼を取る。
「王、ね。まあ、まずは名前と顔を覚えるところから始めるかな……」
これからのことを考え、義人はため息を吐く。ただ、その表情は今までと違い、決意と希望の光が秘められていた。