第七十話:準備
一ヶ月ほどの月日が流れて秋も深まりつつあるその日、義人は主な文官や武官を会議室に集めて会議をしていた。議題は『レンシア国の記念式典について』で、レンシア国へ義人が赴くために様々なことを決めなくてはならない。
移動に際して必要な護衛。記念式典で贈呈する品や段取り。レンシア国に滞在するために必要な物や手続き。そして、それらに関する経費等々。
作物の収穫に関する仕事は落ち着いたが、問題は次から次に出てくる。義人はそのことに内心だけでため息を吐きつつ、交わされる会議の内容に耳を傾けた。そのついでに給仕としてサクラと共にお茶を配っている優希が淹れたお茶で喉を潤し、湯飲みを机に置く。そんな義人が座る椅子の傍では、以前より一回り大きくなった小雪が寝そべっていた。
「ふむ……レンシア国に送る人選をどうするかのう」
司会進行役であるアルフレッドが顎鬚を撫でつつそう言うと、義人の斜め後ろに立つカグラが口を開く。
「わたしかアルフレッド様のどちらかは行かなくてはならないでしょう。外交官がいるとはいえ、補佐できる範囲には限りがあります」
カーリア国とて外交官がいるが、その手腕はアルフレッドやそのアルフレッドの薫陶を受けたカグラには及ばない。それでも他国の外交官に多少劣る程度でしかないが、その多少で問題が起きるかもしれないのだ。
「そうじゃな、片方はヨシト王の補佐。もう片方は残って政務の指揮を執らねばならん……まあ、こちらには儂が残るかのう。ヨシト王の補佐はお主に任せるが、良いか?」
アルフレッドが特に悩むでもなくそう告げると、カグラは驚いたように目を瞬かせる。
「わたしで良いのですか?」
「何事も経験じゃよ。レンシアに赴くのは三年振りになるが、今のお主ならば大丈夫じゃろう。儂は何百回とレンシアに行ったことがあるし、これからは行く機会が増えるじゃろうし……のう?」
「なんでそこで俺に話を振るかね?」
突然話を振られた義人は、驚き半分不満半分で眉を寄せた。すると、アルフレッドは意地悪そうに笑う。
「色々とこの国を売り込んでくるのじゃろう? そうなれば、交流の機会も増えるじゃろうて。それならば、別段今すぐ行く必要もないしのう」
ほっほっほ、と笑うアルフレッドに、義人は肩を竦める。
「売り込むっていっても、新しく取引したい物があるだけだよ。多少だけど玉鋼の品質が安定してきたからね」
義人はローガスの得意げな顔を思い返し、口元を僅かに緩めた。
徐々に“たたら吹き”のコツが掴めてきたらしく、最近の玉鋼は以前よりも質が向上している。あとはその玉鋼を使い、贈り物用に剣の一振りでも作ってもらいたいところだ。
義人の口振りに自信を感じたのか、アルフレッドは次の話題に移る。
「それは良いとして、護衛はどうするかのう……」
「護衛? 以前はどうだったんだ?」
悩むアルフレッドに、義人が尋ねる。するとアルフレッドは宙に視線を飛ばし、昔を思い出すよう目を細めた。ただ、良い思い出ではないのかその表情は険しい。
「前王の時は、無駄な人員までつれて大勢で行ったんじゃ。多いときで三百人くらいだったかのう……止めたが聞く耳を持たんかったから、無駄な経費がかかって困ったもんじゃ。それでも召喚から数年はまともだったんじゃが……」
最後は愚痴になりそうだったので、義人はあえて聞き流す。
「無駄な経費はかけたくないなぁ……最小必要限の人数で良いんじゃないか?」
アルフレッドの言葉に義人が意見を述べるが、それに対してアルフレッドは苦笑する。
「たしかに、それほど人数はいらないんじゃ。しかし、国としての体面や見栄もあるから逆に少なすぎてもいかんじゃろう。大勢が無駄とは一概に言えんが、その辺りの見極めが肝心じゃな」
「見栄なんていらないと思うけどね。でも、ある程度は仕方ないか」
ため息を吐きつつ、義人は会議室に集まっている面々の顔を見渡す。外交に必要なのは文官だが、護衛として武官も連れていかなくてはならない。しかし、無駄に連れて行くのも経費の無駄だ。いくら全ての決定権が王である義人にあるといっても、その辺りのバランスが取りにくく、わかり辛い。
カーリア国の王都フォレスからレンシア国の王都ハサラまでは馬を使って約三日ほどかかり、往復で約六日。その上数日はレンシア国に滞在するため、多くの人数を連れていけばそれに伴って経費がかかる。
「戦争に行くわけでもないし、経費もかかる以上大勢で行くわけにもいかないな。少数精鋭……でも、それだと護衛の手が足りないかも……うーん……」
腕を組んで悩む義人。近衛隊は確実に連れていくとして、あとはどれだけ必要かがわからない。連れて行く文官の数を数え、それぞれに割り当てる武官や兵士の数を思案する。
「何かあったら困るし……楽観的な予測はしないほうがいいよな。小康状態とはいえ戦時中らしいし……あ、贈り物を運ぶのにも護衛がいるんだよな」
ブツブツと考え事を呟きつつ、義人は手元の紙に筆を走らせていく。いくら建国記念の式典に参加するだけといっても、それだけで済むはずがない。様々なことを話すだろうし、様々な交渉をするだろう。少なくとも、義人には色々と交渉したいことがある。その交渉が相手にとっても有益だという自信はあるが、何が起こるかわからない。
「俺の護衛は近衛隊に任せるとして、他はどうするか……志信は何かあるか?」
紙面に文字を書きつつ、義人は少し離れた位置に立つ志信に話を振る。志信は義人の傍に歩み寄ると、義人が文字を書き込んでいた紙に目を向けた。
「俺としては少数精鋭でいくべきだと思うが」
「ふむふむ……理由は?」
「人数が多すぎては逆に動きにくい。腕の立つ者数名で一つの班を作り、護衛に当たらせるのはどうだろうか?」
「班を作って、か。たしかに連れて行く文官は十人もいないし、それなら多すぎることはないかな?」
三人で一班を作ったと仮定すれば、文官十人でも護衛は三十人。そこに近衛隊を加え、さらにカグラとサクラがいる。
「全部で五十人を超えないぐらいか。でも、戦力としては申し分なさそうだな」
戦力と口にするが、義人は内心重たいものを感じで口を閉ざす。
レンシア国に向かう途中で魔物に遭遇することはあるだろうが、実際に人間相手に戦うことはないだろう。もしかしたら山賊や盗賊などがいるかもしれないが、正規の軍人相手に襲い掛かってくる可能性は低い。
それでも、以前の暗殺騒動の時のように人間と戦うことがあるかもしれない。そんな思考が頭を掠め、義人は苦い表情で湯飲みに手を伸ばした。すると、急須を持った優希がすぐさま歩み寄ってくる。その服装は以前の会議と同じようにメイド服だったが、すでに何度か見ているので義人が特に反応することはなかった。
「はい、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
笑顔でお茶を注いでくる優希に礼を言い、義人はお茶で喉を潤す。優希はお茶を飲む義人を楽しげに眺めていたが、ふと机の上に置かれた紙に目を落として僅かに表情を変えた。
「ねえ、義人ちゃん」
「ん?」
「わたしは……お留守番?」
留守番という言葉に、義人は首を傾げる。しかし、優希が机の上の紙……レンシア国に赴く人員の草案を見ていることに気づき、小さく眉を寄せた。
「あー……そうなる、かな?」
答える義人の口調は、弱い。つい今しがた考えた“万が一”を考えると、優希を連れて行くことに抵抗がある。
「藤倉君は良いのに?」
義人の返事を聞いた優希は寂しげに表情を曇らせ、滅多にしない“反撃”をした。それを聞いた義人は、虚を突かれたように動きを止める。
「ん、あ、えーっと……でも、ほら……な?」
義人は自分でも何を言っているのかわからなかったが、それでも長い付き合いで意図は通じると信じてもう一度『な?』と呟く。そんな義人を見たアルフレッドは、苦笑しながら口を開いた。
「別に連れて行っても良かろうて。ユキ殿もこの城から出ることはあまりないんじゃし、戦争を仕掛けにいくわけでもない。観光がてら……というわけではないが、街中を見て回るぐらいの余裕はあるわい。ヨシト王が心配するのはわかるが、レンシアは非常に治安が良い国じゃぞ?」
「ぐぬ……」
視線だけで『心配しすぎじゃ』と言われた気がして、義人はくぐもった呻き声を上げる。そして、それと同時にこちらの世界に召喚されてからのことを思い返した。
この世界に召喚されてから、優希が城から外出したことはほとんどない。義人もあまりないが、それでも視察などで何度か遠出をしたことがある。しかし、優希が城から外出したのは義人が知るだけでも片手の指で足りるぐらいでしかない。最後に外出したのはローガスの製鉄所へ共に行った時で、一ヶ月近く前の話だ。アルフレッドの言葉からそれを考えた義人は、数秒黙考して優希に目を向けた。
さすがに外出もしたくなるよな……。
心の中でそう考え、息を吐く。そして、苦笑混じりの笑みを浮かべて筆を手に取った。
「やっぱり留守番はなしで。優希にはレンシア国の料理研究をしてもらおう」
適当に名目をつけ、紙に書き加える。それを見た優希は、花咲くような嬉しげな笑みを浮かべた。
「うん、任せてよ! それと、我が侭言ってごめんね?」
笑顔の中に少しだけ申し訳なさそうな色を混ぜ、優希が小さく頭を下げる。それを見た義人は、肩を落として首を横に振った。
「いや、謝るのは俺のほうだ。ごめんな、優希。配慮が足りなかったよ」
優希に対する配慮が足りなかったことに、義人は頭を下げる。この場には臣下である文官武官がいたが、彼らはどこか楽しそうにその様子を眺めていた。
「やっぱりヨシト王は……」
「いや、でも……」
「しかしだな……」
それどころかヒソヒソと囁き合っていたりするが、それが義人の耳に届くことはない。
「若いのう」
義人達の様子を眺めながら、アルフレッドが楽しげに呟く。そして義人の後ろで不満そうな顔をしているカグラを横目で確認すると、今度は苦笑した。
「どうしたんじゃカグラ。ヨシト王の案に何か不満があったか?」
「……いえ、何も」
アルフレッドの言葉に、カグラは拗ねたように目を逸らす。自身にとっては孫のような少女の様子に、アルフレッドは好々爺染みた笑みを浮かべた。そして数秒ほど笑った後、表情を引き締める。
「さて、それでは護衛に当たる者達も決めねばな。ヨシト王、何か希望はありますかな?」
希望と聞かれて、義人は武官達の方へと視線を向けた。この場にいるのは各部隊の隊長だけ
で、それよりも下の者はいない。
「んー、どうしたものか……誰か、意見や希望があったら言ってくれないか?」
どういった編成にすれば良いのかいまいち見当がつかず、義人は意見を求める。すると武官達は顔を見合わせ、互いに小声で意見を交わし始めた。
そして数十秒ほど意見を交わし合っていると、不意にミーファが挙手する。
「ヨシト王、よろしいですか?」
「どうぞ」
公私を分けているため、ミーファの義人に対する態度と口調は固い。そのミーファの隣では第二魔法剣士隊の隊長が座っているが、第二魔法剣士隊は第一魔法剣士隊に比べて練度が低く、隊長もそれを理解しているのかあまり発言することがない。
「護衛として考えるのならば、魔法剣士隊の同行を進言します」
「魔法剣士隊か。妥当なところだけど、理由は?」
「機動性があり、攻撃と防御の両方に秀でているからです」
実にシンプルな理由を述べるミーファ。義人としても納得できる話ではあるが、それを遮るように別の者が手を上げた。
「シアラか。どうぞ」
「……はい」
シアラは小声ながらも妙に通る声で返事をすると、ゆっくりとした動作で立ち上がる。
「……護衛じゃないけど、レンシア国の魔法隊の訓練が見てみたい……です」
「いや、護衛に関する意見が聞きたいんだけど。でも、訓練を見てみたいか……」
義人は中々ずれてる子だなと内心で苦笑するが、シアラの案には考えさせられるものがあった。他国の人間に自国の訓練の様子を見せる可能性は低いだろうが、義人としても気になる。
「たしかに見てみたいけど、見せてもらえるものか?」
疑問を含んだ問いを投げかけると、それを受けたアルフレッドは僅かに首を傾げた。
「どうかのう……いくら友好国とはいえ、今の時勢ではいつ敵になるかもわからんしな」
「それもそうか。でも、可能性はあるんだろ?」
「そこは交渉次第、といったところかのう。自国と他国、その間にどれだけの差があるのかは向こうも気になるじゃろうし」
「なら保留かな。一応頼んでみるけど、期待はするなよ?」
最後の言葉はシアラに向けての言葉だったが、シアラは無言で首肯する。そして椅子に座る……と思いきや、立ったままで再度口を開いた。
「……それなら、魔法隊の同行を進言します」
「何が『それなら』なのかいまいちわからないぞ。理由は?」
「……魔法隊も機動力があるし、魔法攻撃は威力が高いから抑止効果が抜群……です」
「抑止効果、か。騎馬隊や歩兵隊、弓兵隊の意見は? あ、治癒魔法使いは何人かつれていくから」
治癒魔法使い達を管理している隊長にそう声をかけ、他の者に意見を求める。すると、騎馬隊隊長のグエンが真っ先に手を上げた。
「よろしいですかな?」
「どうぞ」
義人の許可に、グエンは椅子から立ち上がる。
「騎馬隊も機動力はありますが、それは馬に乗っていたらの話。護衛となると騎馬隊は向かんでしょう。弓兵隊は接近戦が苦手ですし、もしも相手が魔法を使ってきたら歩兵隊では荷が重い……故に魔法剣士隊か魔法隊を同行させるべきだと思います」
「グエン殿に賛成です」
「同じく」
グエンがそう言うと、他の隊長も同意するように頷く。もしも何かあった際、相手が魔法を使えるのならば勝てないと彼らは理解している。それならば魔法を使える者に任せたほうが効果的だろう。そういうことだと判断した義人は、隊長達が“自分の意見”を言ってくれたことに内心喜びつつ口を開く。
「それなら、いっそのこと両方連れて行こう。魔法剣士隊二つと魔法隊でそれぞれ十人ずつ……いや、ここは第一魔法剣士隊と魔法隊の二つにしておくか。隊長にも同行してもらうから、隊長二人を除いて十四人ずつ選出してくれ。選出の基準は任せるから」
「はっ!」
「……わかりました」
義人は第二魔法隊の隊長も連れていこうとするが、すぐにその考えを改めた。もしも自分達がいない間にカーリア国で問題が起きてしまい、その際主力である魔法剣士隊の隊長が両方とも不在というのは拙い。そう判断してのことだったが、第二魔法剣士隊の隊長も不満がないのか特に何かを言うことはなかった。
「よし、それじゃあこっちに残る部隊はいつも通り訓練や魔物退治に励むこと。指示はアルフレッドに一任する。あと、残った第一魔法剣士隊の兵は第二魔法剣士隊に合流して訓練を行い、魔法隊は副隊長に訓練の指示をさせること。いいな?」
『はっ!』
一糸乱れぬ返事に、義人は頷き返す。
そして、いるかわからないこの世界の神様に『何も起きませんように』と祈るのであった。