第六十七話:製鉄所
卵が孵って三日経った頃、義人は最近量が増え始めた書類を片っ端から片付けていた。時刻は午後三時。午前九時から仕事に取り掛かり、義人は昼食を取った後も執務用の机に座って書類に目を通し、王印を押し続ける。
疑問に思うことがあればカグラに尋ね、傍らで楽しそうに裁縫をしている優希やその膝の上で寝ている小雪を時折眺め、小休止の際にはサクラにお茶を淹れてもらう。
召喚された頃に比べれば仕事を片付けるペースも早くなっており、無駄も少なくなっていた。しかし今は農作物を収穫する時期のため、それに合わせて税金や年貢の納付が行われる。そのため、それらに関する書類があちこちから義人へと回ってきていた。
もちろん、すべてが義人の元へと集められるわけではない。各分野専門の文官が存在する以上、ほとんどの仕事は彼らによって片付けられる。それでも義人が決定しなければならない項目が数多く存在するのもまた事実であり、日を追う毎に増え始めた書類を前にした義人は小さくため息を吐いた。
「国の予算が潤うとはいえ、中々大変だなぁ……」
右手に持った書類……各町村に派遣してある屯田兵からの報告書を速読しつつ、義人は左手で湯飲みに手を伸ばす。
「あ、すぐにお淹れしますね」
それを見たサクラが、飲み易いよう適度に冷ましてあるお茶を湯飲みに注いだ。
「ありがとう、サクラ」
義人は書類から目を離し、サクラに対して礼を述べる。そして再び書類に目を落とし、お茶を飲みながら書類を大雑把に読んでいく。
専門的な知識がほとんどないため、義人が行うのは書類内容の確認が主である。それでもおかしなところや計算が間違っているところはすぐに発見でき、傍で仕事をするカグラを頼れば大抵のことは片付く。
現在までの収穫量から例年に比べて豊作であるという報告に頬を緩めつつ、その収穫量を元にどれだけの年貢が納められ、どれだけの税収になるか計算された書類を手に取る。
そして暗算と手計算で本当に合っているのかを計算し、眉を寄せた。
「微妙に数字が違うな……カグラ、この書類は担当に返しといて」
念のためもう一度計算して、間違っていることを確認する。計算を間違えたのか、それとも故意に間違えたのかはまだわからない。
書類に書かれた計算結果は義人の計算結果よりも僅かに多いため、おそらく前者だろう。これで少なかったらその差分をどこにやったのかと詰め寄らなくてはならないが、担当は横領をするような人物ではないので書類を返すだけに留める。
電卓などがないため、計算するのは全て人間の手で行う。だから失敗して良いというわけではないが、毎日数百数千の計算をする以上はどうしても計算間違いが起きてしまう。 さすがに数十年もの経験を持つ者なら間違えることはないが、経験の浅い若い文官の中には時折計算間違いをする者がいる。時間があるのならば計算した後にもう一度計算して確認するのだが、忙しい時期はどうしてもそれが疎かになってしまう。
義人は他に計算間違いが起きないよう祈りつつ、次の書類に手を伸ばした。
「ふむふむ、収穫の時期に合わせて魔物の活動が活発になっていると。面倒だなー」
以前から魔物による農作物の被害があったが、この時期はそれが顕著になる。今年は派遣した屯田兵のおかげで被害が少ないらしいが、それでも魔物退治のために何部隊かが城を出払っている。
ちなみに今日は騎馬隊と第二魔法剣士隊、第一歩兵隊と弓兵隊が魔物退治に出かけていた。機動力がある騎馬隊や魔法剣士隊は離れた場所へと赴き、機動力が少ない歩兵隊などは近辺の魔物退治を行う。
それに対して、義人はため息を吐いた。
「全員が魔法を使えたらなぁ……」
小さく呟き、頭を振る。もし全部隊が魔法使いか魔法剣士なら、戦力としては今の何倍にもなるだろう。『強化』を使えば馬の全力疾走にやや劣る程度の速度で移動することもでき、攻撃魔法を使えば下級の魔物程度なら楽に倒せる。だが、現実問題魔法を使える者は限られている。魔力を持って生まれ、魔力を操ることができなければ魔法は使えないのだ。
益体もない考えだと、義人は苦笑する。そして次の書類に手を伸ばして、小さな声を漏らす。
書類に書かれてあったのは先日のたたら吹きに関することで、城下町に外れにある製鉄所で試しに行おうと考えていたのだが、相手側が難色を示していると書かれてあった。
そして、難色を示されたことに義人は小さからぬ驚きを覚える。
一応は依頼という形を取ったが、義人発案の依頼だ。依頼ではあるが、王命に近い。召喚国主制にして王の命には盲従するこの国の在り方を考えれば、それに難色を示されたことに驚き、それと同時に義人は密かに喜びの声を上げた。
「王様の命令を拒否してくれるなんて、嬉しいじゃないか」
本来なら喜ぶところではないが、義人としては非常に嬉しい。何の理由があるのかわからないが、王命に難色を示す者がいるなど興味を惹かれる。
「でも、これを拒否されるのは困るな……」
どういう風に難色を示したのかは書かれていない。書類を書いた者は義人が他の製鉄所に頼むと思ったのだろう。しかし、義人は机の上に乗っている書類の量を確かめると、口元を笑みの形に変えた。
たしかに、他にも製鉄所は存在する。この国の貿易の目玉である鉄を製鉄するための施設なら、城下町の中でも三ヶ所はある。だが、義人としてはその製鉄所に強く興味を惹かれた。
「よし、さっさと片付けてその製鉄所に行ってみるか」
思い立ったら即実行する。
急げばあと一時間程度で終わるだろう。そう判断した義人は、仕事のペースを上げるべく次の書類へと手を伸ばした。
「製鉄所の視察、ですか?」
今日の分の仕事を片付けるなり言われた義人の言葉に、カグラは眉を寄せた。今度は何をするつもりですかと言わんばかりのカグラの目つきに、義人は冷や汗をかきつつも身振り手振りを加えながら説得にかかる。
「ああ。どんな施設なのか見てみたいし、どんな人が働いているのかも見てみたいんだ」
どう言いくるめようかと考えながら義人がそう言うと、カグラは僅かに黙考して口を開く。
「……ヨシト様が行きたいと仰るのなら、わたしに止めることはできません。今から行かれるのですか?」
「え、あ、うん。できれば」
いつもなら危険がどうとか軽率な行動は慎んでほしいと言うはずだが、何故か頷くカグラに義人は毒気を抜かれる。
断られたら以前のようにアルフレッドに頼もうと思っていたのだが、カグラは断らない。以前カグラに黙って城下町に行ったことがあったので聞いたのだが、カグラはそんな義人を見つめると、どこか縋るように言葉を続けた。
「わたしもご一緒したいのですが……よろしいですか?」
「別に良いけど……あー、どうかしたのか?」
義人は強硬に反対されると思っていたのだが、あまりにもすんなりとカグラが頷いたことに疑問を示す。しかし、カグラは義人の言葉に小さく微笑んだ。
「ヨシト様が外出されるのなら、それを守るのもわたしの役目ですよ?」
「……そう、か」
カグラの言葉に内心首を傾げつつも、義人は一応納得したように頷いてみせる。
以前なら『前もって言ってください』、『王が軽々しく外出するなど』と小言の一つでも言ったはずだ。
それがなかったことに安堵しつつも、腑に落ちないものも感じる。
「どうかしましたか?」
そんな義人の内心を見透かしたのか、カグラが不思議そうな顔で声をかけた。義人は反対されないのならそれで良いかなと自分に言い聞かせ、苦笑混じりに手を振る。
「なんでもないよ。カグラのほうは仕事は大丈夫か?」
そう言いつつカグラ用の机の上を見てみれば、書類はほとんどない。それでも数枚の書類があるが、時間はあまりかからないだろう。
「外出から戻ってからでもすぐに終わりますから、気にしないでください。それでは外出の準備をしてきますね。集合は城門前でよろしいですか?」
「あ、ああ」
どこか嬉しそうなカグラの様子にやや圧されながらも、義人は頷いてみせる。そしてカグラが執務室から出て行くのを見送り、その姿が見えなくなってから湯飲みへと手を伸ばした。
「なんだろうな」
「さあ……わたしもあんなカグラ様は初めて見ました」
義人の疑問に追従するサクラ。カグラと長年の付き合いがある彼女も疑問に思ったらしく、義人と一緒に首を傾げている。
「ねえ、義人ちゃん」
そんな二人の横で、優希が口を開く。膝の上に小雪を乗せ、目線は執務室の扉に向けたままで声をかけた。
「わたしもついていって良いかな?」
「優希も? でも、そろそろ夕食の準備の時間だろ? それに、これは一応公務の一環だからなぁ……」
以前のように城下町の視察程度ならば良いが、今回は以前とは状況が異なる。
お忍びではなくこの国の王として出かける以上、何があるかわからない。相手側が難色を示しているのなら、何かしらの交渉をすることになるだろう。他の製鉄所を利用すれば良いだけの話だが、義人としては難色を示した相手に興味が湧く。
「そっか、残念」
義人がどうするか迷っていると、それを見た優希はすぐに身を引いた。そして、小さな笑みを向ける。
「じゃあ、晩御飯を作って待ってるね?」
「ん……期待しとくよ」
優希があっさりと引いてくれたことに感謝しつつ、義人は椅子から立ち上がった。傍らのノーレを手に取り、執務室の入り口へと向かう。そして扉を開け、優希とサクラの方に顔を向けた。
「それじゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい」
小さく手を振る優希と、頭を下げるサクラ。小雪は相変わらず優希の膝の上で眠っており、反応はない。
そんな光景に小さく笑いながら、義人は執務室の扉を閉めた。
ノーレを片手に城門前へと移動した義人は、背筋を伸ばして直立する兵士に苦笑する。楽にしてくれと声をかけるが、兵士が姿勢を崩すことはない。その堅苦しさからどこの部隊の兵士かと気になったが、それを遮るようにカグラが姿を見せた。
「すいません。お待たせしました」
恐縮そうに頭を下げるカグラに軽く手を振り、義人は周りを見回す。
「あれ? 近衛隊は?」
「いませんけど……どうしてですか?」
「いや、準備をしてくるって言ったから、てっきり護衛の兵士を集めに行ったのかと思って」
「なるほど……しかし、今回の護衛はわたしだけです」
「あ、そうなのか?」
「はい。何分急なことでしたし、わたしも戦闘に支障が出ない程度には魔力が回復しましたから。そうなると、他の兵士は邪魔になるだけですので」
「邪魔って、どういう意味で?」
思わず気になった義人が尋ねると、カグラは頬に手を当てて苦笑する。
「“味方の被害”が出ると困りますから」
サラリと物騒なことを告げるカグラに、義人は顔の筋肉が硬直するのを感じた。そして、背中に背負ったノーレに思念通話を飛ばす。
『ノーレ、ノーレ! 今の言葉はマジなのか?』
『マジ?』
『本気、本当かってことだ』
『ふむ、たしかに完全に魔力が回復していないとはいえ、巫女ほどの魔力を持った者が本気で暴れれば……』
『暴れれば?』
『……まあ、世の中には知らぬほうが幸せなこともあろうて』
『うおぉいっ! 逆に怖いっつーの!』
言葉を切ったノーレに突っ込みを入れる義人。するとノーレは五月蝿そうに鼻を鳴らした。
『簡単なことじゃ。『強化』だけで戦うにしても攻撃魔法を使うにしても、味方が多ければそれだけ動きが、攻撃の幅が制限される。それならば、初めから一人で護衛したほうが良いじゃろう?』
『良い、のか?』
『並の者ならば数が多いほうが良いのじゃろうが、ある一定よりも上の者になれば逆じゃな。魔力が多ければその分『強化』の効果も上がり、攻撃魔法の威力や範囲も大きくなる。しかし、仲間ごと攻撃するわけにもいかんじゃろ?』
『そりゃそうだけどさ……カグラが本気で暴れたら、そんなに危険なのか?』
『そうじゃのう……“本気”ならあのエルフでも勝ち得んな。エルフと仏頂面、ついでにメイドの三人でかかればあるいはといったところじゃ。もっともあくまで本気……魔力が完全に回復していたらの話じゃぞ?』
『今のままなら?』
『魔法剣士“隊”と互角……いや、巫女が有利か?』
「さすがにそれはないですよ!」
義人とノーレが会話していると、突然カグラが大声を上げる。義人が思わず顔を向けると、カグラは怒りか羞恥かで顔を赤くしていた。
「……俺、口に出してた?」
「“聞きました”。思念通話の有効範囲内なら、聞き取れますから」
僅かに頬を膨らませるカグラを前に、義人は空中へと視線を投じる。微妙に義人の足が震えているのは、きっと気のせいだろう。
「護衛対象ごと敵を吹き飛ばすなんてことは……」
「しませんよ! ヨシト様の安全が第一ですから!」
「はぁ」
慌てるカグラを天辺から爪先まで眺め、義人は気のない声を漏らす。
巫女服という外見を除けば、普通の女の子にしか見えない。魔法というものが存在する時点で外見などは関係ないかもしれないが、それでも目の前のカグラが戦う姿を想像して義人は眉を寄せた。
『えっと、マジで?』
カグラが魔法剣士隊を相手に立ち回る光景を想像して、ノーレへと再度話を振る。
『マジじゃ』
「……まあいいや。とりあえず製鉄所に行こう」
今までも様々な話を聞いていたが、義人としては実感が湧かない。それでも本当なのだろうと自分を納得させ、とりあえず製鉄所に向かうことにした。するとそんな義人の隣にカグラが並ぶ。
「しかし、製鉄所を視察してどうされるおつもりですか? しかも、たたら吹きの実験を打診して断られたところですよね?」
視察するとしか聞いていないカグラが首を傾げ、義人は小さく笑う。
「今度は直接頼もうと思うんだ」
「たたら吹きをですか? それならば他の製鉄所もありますが……」
カグラは義人の言葉に難色を示すが、それに対して義人は肩を竦めて見せる。
「直接頼んでも無理だったらそうするさ。でも、王命を断ったのがどんな“人”かも見てみたいし、話をしてみたい」
義人がそう言うと、カグラは驚いたように目を見開く。そして、慌てたように口を開いた。
「ヨシト様は、何故城下町の外れにある製鉄所を選んだのですか?」
「何故って……適当に目についたからだよ。城下町の外れなら大量の木炭を運び込んだり、大量の木炭を使っても住民から苦情が出ないかなー、なんて思ったんだけど」
事実、その製鉄所を選んだ深い理由があるわけではない。ただ単に、製鉄所を探して一番最初に目についたのがそこだったからだ。そこまで言うと、カグラはため息に似た息を吐きながら僅かに肩を落とす。
「その製鉄所の責任者は、人ではありません。ドワーフです」
ドワーフという言葉に、義人は目を丸くする。
「ドワーフ? ドワーフって魔物の?」
「はい」
短く答えるカグラ。義人は軽く頭を掻きながら、アルフレッドの顔を思い浮かべた。
「アルフレッド以外にも魔物が働いてるんだなぁ」
「ドワーフも高い知性がありますし、アルフレッド様が宰相を勤めるこの国だからこそ可能なことですね」
「へぇ……」
カグラの言葉に、義人は目を細める。
「魔物か……魔物、ね」
そして、カグラにも聞こえないほど小さく呟いた。