第六十四話:周辺国家
会議から二日経ったその日、今日一日の政務を片付けた義人は執務室の机の上に広げた紙の前で腕組みをしながら首を傾げていた。その横では、膝の上に卵を置いた優希が裁縫針片手に“何か”をせっせとと作っている。それにつられているのか、卵は時折小刻みに震えていた。
「えーっと、必要な材料は砂鉄に木炭だけだよな。あとは炉と、風を送るための鞴を作ってと。炉は粘土で作って……いや、まずは実験として小規模だから、小さい炉でいいか。いきなり成功するとは思えないし」
義人は優希が作っているものをなるべく意識しないように目を逸らしつつ、記憶を掘り返して必要なことを紙に書き記していく。時折カグラが興味深そうな表情で紙を覗き込み、気になることがあれば指摘する。
「材料は良いとして、この作業をするのは誰なんですか?」
「城下町の外れにある製鉄所に頼もうかなと思ってる。それで上手くいったら公共事業として扱い、いずれ職人の育成を目指そうかなと思ってね」
「職人の育成、ですか」
「ああ。職人だけじゃなく、医者とかも欲しいな。怪我なら治癒魔法で治るけど、病気は治せないし。あと、教育制度を作って学校を建てたい。もっとも、それを実現させるには金がいるからなー。それに時間もかかるし……なるべく早めに目処をつけたいよ」
そう言いつつ義人は苦笑し、手元の紙を叩く。
「これが上手くいけば、もう少し交易による収入が増えると思う。取らぬ狸の皮算用になりそうで怖いけど、その時は他の手を考えないとな」
「何か考えがあるのですか?」
カグラの問いかけに、義人は一度手を止める。そして引き出しを開けて中を漁ると、数枚の紙を取り出した。
「考えってほどのことじゃないけど、塩を輸出しようかなと思ってね。調べてもらったけど、カーリア国の近くの国が普段使う塩は岩塩だろ? だから、この国の海水から作る塩を輸出しようかと思うんだ。まあ、売れるかどうかはわからないけど」
手元の資料をカグラに見せつつ、義人は肩をすくめる。すると、そんな義人に優希が声をかけた。
「海水から塩を作ったら苦汁も一緒にできるよね。そうなると豆腐も作れるようになるよ? 大豆はこの世界にもあったから、豆乳はすぐに作れるし」
「豆腐か……寒くなったら鍋料理を食べたくなるし、丁度良いかもな」
「蟹もこの世界にいたら良いね?」
「もしいたら蟹鍋ができるな。よし、今度調べとこう」
優希の言葉に頷く義人だが、決して優希のほうは見ない。間違っても、目を合わせない。
「ところで義人ちゃん」
「ん? なんだ?」
「なんでさっきからこっちを向いてくれないの?」
「あー、そりゃアレですよ。ちょっと首を寝違えまして、ええ」
思いっきり嘘である。優希のほうを向かない理由は、現在優希が作っているものが問題だった。
「じゃあ、わたしが移動するね?」
「ストップ! 待て! 動くな! いや、動いても良いけど手には何も持たないでくれ。何も見せないでくれ。俺は“それ”に関してはノーコメントだ」
「今度はシンプルだよ?」
声色からして、きっと優希は心底不思議そうに首を傾げているのだろう。十数年に及ぶ付き合いから、顔を見ずとも義人にはわかる。だが、わかるからこそ義人は口を開いた。
「だからって、完成した下着を俺に見せてどうすんの!? 俺にどんなリアクションをしろと!? 服飾担当のケーリスに見せてきてくれ! いやむしろ見せてきてくださいお願いします!」
筆を机の上に置いた義人は、土下座しかねない勢いで優希に頭を下げる。それを見た優希は小さく笑った。
「ケーリスさんは『付け心地も良いですし、画期的ですね』って言ってたよ? あとは男性としての意見が欲しいなって思ってるんだけど」
からかうような優希に、義人は両手を交差させて拒否を示す。ついでに、服飾担当であるケーリスに『画期的ってなんだよ!?』と心の中で突っ込みを入れた。
別段恥ずかしさを覚えるほど初心なつもりはないが、義人としては何が悲しくて幼馴染みが作った女性用下着の意見をしなければいけないのかという感情がある。
恥ずかしさではなく、どういった反応を取れば良いのかわからないのだ。何か意見を言えば、そのまま取り入れられそうで怖い。
「とにかく、それは優希に一任するから! 俺はノータッチ!」
「んー……残念」
親しさを感じさせる気安さで、優希は笑う。義人はそんな優希に対して、相変わらず視線を逸らしたまま肩を竦める。
そんな二人の会話を黙って聞いていたカグラは、話を戻すべく咳払いをした。
「それで先ほどの話なのですが……」
「どこまで話したっけ?」
「塩を輸出するというところまでです」
そう言って、カグラは資料の紙を義人に返す。義人は資料を受け取ると、机の引き出しを開けて元の場所へと戻した。
「そうだった。まあ、輸出するって言っても利益がなさそうなら手は出さないけどな」
気を引き締め、置いていた筆を手に取る義人。そして記憶にある限りたたら吹きについての情報を紙に書き込んでいく。カグラは紙に文字を書き込んでいる義人の邪魔にならないよう注意しつつ、広げた地図を机の上に置く。
「塩もそうですが、カーリア国近隣の国で海に面している国はあまりありません。なので、海の幸を大量に輸出できれば多くの利益が出ると思うのですが……」
地図の表面を、カグラは国の境界に沿って指でなぞる。地図には近隣数カ国の地形が描かれており、義人は筆を持ったまま目を向けた。
近隣諸国で一番北に位置する国であるカーリア。その南に位置し、カーリアの三倍ほどの国土を持つ友好国レンシア。そのレンシアの東には武力を持って他国を支配しようとするハクロアが存在し、さらにその周囲には国にも満たない集落が点在している。ハクロアの国土はカーリアの六倍ほどあり、レンシアと比べても大きい。
義人はその地図を見て首を傾げる。
「レンシアもハクロアも海に面しているみたいだけど、これは違うのか?」
その問いかけがくることは予想していたのか、カグラは迷わず頷く。
「海に面してはいますが、我が国カーリアとは違って海に面する部分に線を引くように山脈が存在します。山脈には強力な魔物が住んでいますので、山を越えて漁村を作ることもできません。そのため、海に面しているとは言い難いのです」
「ふむふむ……“きちんと”海に面しているのはこの近隣諸国ではカーリアと……」
地図のあちこちへと目を飛ばし、義人は各国の位置を把握していく。
「一番近くではハクロアの北のほうの国か。いや、これは国か? カーリアよりも小さいけど」
ハクロアの北に位置し、なおかつ海に面している地域を見て首を捻る。カグラは義人が見ている先を視線から探すと、納得したように頷いた。
「そこは国ではなく、各町村が自治をしている地域ですね。しかし……」
そこで言葉を濁すと、カグラは言うべきかどうか迷うように視線を逸らす。義人はそんなカグラを不思議に思いつつも、続きを話すように目で促した。それに対して、カグラは僅かに姿勢を正す。
「以前軽くお話しましたが、レンシアとハクロアが戦争をしていたというのは覚えていらっしゃいますか?」
「レンシアの記念式典について話してたときに言ってたな。たしか今は小康状態なんだっけ?」
「はい。戦争自体は四年ほど前から始まったのですが、半年ほど前から小康状態になっています。時折小競り合いが起きているようですが、あくまで牽制だけのようですね。そして、その自治区は戦争開始当初にハクロアによって支配されました」
「属国……いや、国じゃないから植民地か? それで、どうなったんだ?」
さすがに紙に書く手を止め、義人はカグラのほうを見る。優希も話に興味を持ったのか、縫い針を針刺しに刺してカグラのほうへと目を向けた。
「これはゴルゾーさんに聞いた話ですが、若い男性は戦に駆り出され、残った人達は奴隷のように働かされたみたいです。塩や魚介類を安値で売らせ、時にはお金を払うこともなかったとか」
僅かに憤りが込められたカグラの話に、義人は眉を寄せる。
「酷い話だな。しかし、そうなるとハクロアを相手に交易するのも考え物か」
元々交易する気などサラサラないが、それを言うことはない。
なにせ元財務大臣のエンブズの件で多少関わりのある国だ。王としての立場は別として、義人個人としては交易など行う気は起きない。そんな義人の心情を見越したのか、カグラは同意するように頷いた。
「商人同士での取引はありますが、国としての交易はほとんどありません。ハクロアとしても、この国にあるもので取引しようと思うものはないでしょうし」
「俺としては嬉しいけど、王としては嬉しくないなぁ……」
顎に手を当て、義人は困ったように視線を宙に飛ばす。しかしそれも数秒のことで、表情を引き締めて視線を戻した。
「ひとまずハクロアのことは置いておこう。さっきカグラが言っていた、海の幸を大量に輸出できればっていう話はどうなんだ?」
そう義人が問うと、カグラは質問に答えるためか僅かに距離を詰める。
「それはですね、海から他国まで距離があることが問題なんです。これも以前お話しましたが、海で取った魚などは鮮度を保つために氷付けにして運んでいます。しかし、氷は時間が経てば溶けてしまいますし、氷の分余計に重いです」
「まあ、そりゃそうだよな」
氷を使った冷蔵庫はあっても、魚自体を凍らせることができる冷凍庫はこの国にはない。しかも運ぶための手段は人力か、もしくは馬車である。重すぎれば運ぶことができず、その結果大量に運ぶことができない。かといって氷の量を減らせば腐敗するかもしれないのだ。
「海からこの王都まで運ぶのに馬車で二日。さらに、ハクロアの王都であるハサラまでは王都からでも馬車で約一週間かかります。その間、氷が溶ける度に凍らせなければいけません。そのため、需要があっても供給できるのは少量というのが現状です」
カグラの説明を聞いた義人は、納得するように首肯して最後に首を捻る。
「干物にすれば良くないか? それなら凍らせなくても、冷やしておくだけで良いし。あ、でもそれだと刺身とかは無理か。貝類なら干物にしても良さそうだけど、魚の干物だと調理方法も限られそうだしな」
そこまで言うと、義人は優希のほうに苦笑を向けた。
「この世界だと、車のありがたさがわかるな」
「作れば良いんじゃないかな?」
「いや、作れないから。馬車はあってもガソリンで動く車なんて作れないから」
優希の提案に手を振って否定する義人。技術力もそうだが、エンジンの構造も知らないのに作れるはずがなかった。そして、それ以前にガソリンがない。
魔法で代用できないかなと義人は考え始めるが、それを遮るようにカグラが呟き声を漏らす。
「干物……干物ですか。値段は落ちますけど、その分大量に運べれば最終的に利益が大きくなりそうですね……」
そこまで言うと、何かに納得できたのかカグラが立ち上がった。
「可能かどうか、担当の者に聞いてきます」
それだけを言い残し、カグラは執務室から歩き去る。止める暇なくそれを見送った義人は、隣の優希と顔を見合わせる。
「もしかして、この国って干物もなかったのか?」
「どちらかというと、魔法で凍らせるっていう手段があるのが問題じゃないのかな?」
「あー、なるほど。便利だから魔法を使った方法が先に浮かぶわけか。干物自体はあると思うけど、元の世界とは違う冷凍方法が存在するからそっちを使っちまうんだな」
机の上に広げられた地図を元の場所に戻しつつ、義人と優希は意見を言い合う。そして最後に、義人はポツリと呟いた。
「今度からは、この世界の人間だけど魔法が使えない奴からも意見を聞いたほうが良さそうだな」
意外とあっさり良い方法見つかるかもしれない。最後にそう付け足して、義人は元の作業に戻ることにした。
その夜、夕食を食べ終えた義人は今日書いた『たたら吹き』についての資料を寝室で読み返していた。志信に書いてもらった資料と照らし合わせつつ、覚えている知識と合わせて読んでいく。
『のう、ヨシト』
「んー? どうした?」
そんな義人に、ノーレは声をかけた。
『お主の世界では、皆が皆お主のように知識を溜め込むものなのか?』
暇だったのか、その声色は世間話のもの。対する義人も、世間話程度に反応する。
「別に知識を溜め込んでるわけでもないさ。この世界に比べて大量の情報が溢れ、ある程度の情報は調べればすぐに手に入れることができる。そんな世界で生きていれば、誰でも知ってるだろうさ」
『そうなのか?』
「多分、な。まあ、俺の場合は学校の勉強よりもこういった知識を覚えるほうが好きだったっていうのはあるけど」
資料を見ながら答える義人に、ノーレはふむと相槌らしき声を漏らす。
義人としては、学校での勉強に力を入れたことはあまりなかった。優希や志信はテストでも上位に入っていたが、義人は大抵平均点を取るぐらいの成績でしかない。かといって、別に頭が悪いわけでもなかった。
「学校の授業で学んだことってさ、人生のどこで役に立つのかいまいちわからなくてな。将来使うあてがない数学の公式を覚えるよりも、もっと違うことを覚えたほうが有意義じゃないかって思うんだよ。もっとも、進学や就職には必要だし、雑学を覚えたから使う機会があるのかと聞かれたら答えはノーだけどさ」
自分で言ったことに、義人は苦笑する。それは誰もが思うことだろう。そして、考えても意味のないことだ。
将来就きたい職業があって、そのために専門の学校で学ぶわけでもない。とりあえず進学できるところに進学して、将来の目標を定めることもなく言われるままに勉強をする。テストや受験のために学び、それが過ぎれば記憶から風化する知識。義人にとっては、勉強よりも人間形成の場としてのほうが意味がある気がした。
『何故そんなところに通うんじゃ? 話を聞く限り、意味がなさそうじゃぞ』
「必要な知識もあるからなー。あとは義務教育っていう制度があって、中学校……十五歳までは学校に行かなくちゃいけないんだ。集団生活を通して人間関係を学ぶことも重要だしな」
この国には中学校というものがないため、義人は年齢で説明する。
『ふむ……なんとも評価のし難い場所じゃのう』
「そんなもんだって」
ノーレの言葉に義人は苦笑すると、手に持っていた資料をまとめて机の上に置く。そして背伸びをすると、一つ欠伸を漏らした。
「ちょっと早いけど、そろそろ寝るかな?」
早寝早起きの習慣が身についたせいか、多少の眠気を感じる。歯を磨いて寝るかと義人が判断した時、不意に寝室の扉がノックされた。
「ん? 誰だ?」
「義人ちゃん、わたしだよ」
義人が扉越しに問いかけると、耳慣れた声が響く。それを聞いた義人は、特に迷うことなく扉を開けた。
「どうした……って、何してるんだ?」
扉を開けた義人は、震える卵を落とさないように慌てている優希を見て眉を寄せる。
「そろそろ産まれそうなの!」
「ヨシト王のお子さんがですか?」
卵を落とさないように注意しながら優希がそう言うと、扉の右横にいた守衛の兵士が真顔でぼける。それを聞いた左横の兵士は右横の兵士の頭を叩いた。
「なんでヨシト王の子供が卵から産まれるんだよ!?」
「いや、つい……」
叩かれたほうも自分の言ったことのおかしさに気づいたのか、照れながら頭を掻いた。義人はそんな守衛の二人に苦笑しつつ、優希を寝室に招き入れる。
「まあ、とりあえず入ってくれよ。あ、誰か呼んできたほうが良いかな?」
「ううん。必要ないと思うよ。孵化するだけだし。呼んでる間に卵が孵っちゃうかもしれないよ?」
「そ、そうか?」
優希の様子に首をかしげながらも、龍の卵が孵化するという好奇心に押されて義人は優希の言葉に納得する。優希は寝室の扉を閉めると、座布団の上に卵を置いた。
『何の騒ぎじゃ?』
ノーレが義人に尋ねると、義人は卵を見ながら思念通話で答える。
『そろそろ卵が孵るらしいんだけど……本当か?』
口には出さずに思念通話で尋ねると、ノーレから何かを探るような波長が義人へと伝わる。そして数秒経った後、肯定するような声が返ってきた。
『ふむふむ。たしかに、そろそろ孵化しそうじゃの。僅かじゃが、内側の魔力が漏れつつある』
『危険は?』
『ないじゃろう。じゃが、せめてエルフか巫女くらいは呼んでおいたほうが良いのではないか?』
『アルフレッドかカグラを?』
『うむ。エルフなら他の魔物についても知っておるだろうし、巫女ならば何かしらの知識を持っておるじゃろう』
『そっか。それじゃあそうするかな』
ノーレの言葉を聞いた義人は、卵を見ている優希の傍へと歩み寄る。
「やっぱりカグラかアルフレッドを呼んできてもらうよ。そっちのほうが何かあっても対処できるし」
そう告げて義人が寝室の扉へと向かおうとすると、ズボンの裾を引っ張られて足を止める。 何事かと義人が目を向けるが、優希は視線を合わせずに口を開いた。
「見てよ義人ちゃん。孵化するみたいだよ?」
裾から手を離さずに、優希が告げる。
パキリと音を立てながら、優希の言葉を肯定するように卵にヒビが入った。