第六十二話:思案
四代目の王、杉田晴信義景が極東の国ジパングより輸入し、自国で栽培を始めたのがきっかけとされる『米』は現在のカーリア国の主食である。
本来米には様々な使い道があるが、カーリア国においては純粋に食用にしか使われていない。つまり、炊いて食べるだけだ。一部の村では糊として使うこともあるが、それは少数である。もちろん、発酵させて日本酒を作り出すこともない。
他にも小麦を作る者もいれば、果物を栽培する者もいる。農民は税として年貢を納めるのだが、栽培するものが違えば納めるものも違う。大体は村ごとで育てるものが分かれているため、納めてもらう側としては特に仕分けが必要ということもない。
そろそろ稲刈りの時期ではあるが、義人は屯田兵として各村に派遣している兵士からの報告書を前に眉を寄せていた。
執務室の中には義人とカグラしかおらず、優希は図書室で義人のコモナ語の勉強に役立ちそうな本を探している。サクラは義人の寝室を掃除しているため、今は執務室にいなかった。
「農具が古くて作業効率が悪いか……鍬とかは木製だったもんなぁ」
義人は報告書に書かれた内容を読み進めつつ、片手で湯飲みを持ってカグラに淹れてもらったお茶をすする。そして一息つくと、湯飲みを机に置いてカグラへと目を向けた。
「金属製の農具を使う人って少ないのか?」
以前義人が視察で訪れたタルサ村で使った農具は、ほとんどが木製である。硬い木を用いて作った物だが、金属性に比べれば作業効率も悪く、道具としての寿命も短い。
「大体は木製だったと思います。金属……鉄を使った物は値段が高いですから、貧しい人は木製の物を使っています。中には自分で作る人もいるみたいです」
「稲刈りに使う鎌とかも木製なのか?」
「金属製、もしくは研いだ石です。風の魔法で鎌鼬でも起こせれば、簡単に稲刈りができると思いますけどね」
カグラの言葉を聞いて、義人は僅かに想像を膨らませる。鎌鼬で一気に稲を刈り、後は拾うだけで良い。それならば、確かに楽だろう。
「風の魔法が使える農民はいないのか?」
「いたら、今頃魔法隊か魔法剣士隊に引き抜いてますよ」
「あー……それもそうか。でも、そんな道具があったら便利そうだよな」
元の世界ならば稲刈り機がある。値段が張るのが難点だが、自分は稲刈り機に乗って運転するだけでいいのだから手作業よりは楽だ。
「鎌鼬を起こす道具ではないですが、魔力さえ使えれば風属性の『宝玉』で風の魔法を使うという手もありますよ?」
「『宝玉』? なんだそれ?」
義人が首をかしげると、カグラは楽しそうに立ち上がる。そして、以前のように講義しようと胸を張った。
「『宝玉』とは魔法具の一つです。『魔石』が変質して生まれるものですが、何らかの属性が宿った『魔石』が『宝玉』と呼ばれています。例えば赤い『宝玉』なら火炎魔法を“扱いやすく”なります。そのため『宝玉』を使えば、魔力があるけど魔法が使えないという人でも魔法を使える“かも”しれない道具です」
「……なんか、微妙そうな道具だな」
カグラの説明を聞いた義人は怪訝な顔をするが、それに対してカグラは苦笑を返す。
「たしかに、魔法を使う訓練をしていない人が使っても手品程度のことしかできません。ですが、“できる”のと“できない”のでは大きな差があります。それに、本来は魔法使いなどが魔法の威力を底上げするために使う魔法具ですから」
「珍しいのか?」
「我が国では毎年ごく僅かな量しか採掘されません。しかも質が悪いので、“珍しいけどいまいち使えない”といったところでしょうか?」
「はっはっは、いらねー」
笑い飛ばしつつ、義人は報告書に文字を書き込んでいく。商人のゴルゾーにもらった市場の相場が書かれた紙を見ながら、仮に農具を支給するとしたらどれぐらいの金がかかるのかざっと試算を始める。
「ですが、質の良い『宝玉』を腕の良い魔法使いなどが使えば危険です。上手く扱えば、一段階上の魔法を放つこともできるのですから」
「つまり、腕次第ではけっこう役に立つ補助魔法具ってことか?」
「はい……ところで、先ほどから何をしているのですか?」
義人が筆算しているのを見て、不思議そうな顔をするカグラ。
「もし農具を支給するとしたら、どれくらいお金がかかるか試算してるんだ。電卓があれば楽なんだけどな」
もちろん、この世界では電卓など存在しない。カーリア国では算盤が存在するが、義人は小学校の授業で習った程度の珠算しかできないので暗算か筆算で計算している。しかし、筆算をするにしても使っているのは筆と質の悪い紙だ。筆につける墨の量が多ければ、簡単に破れてしまう。
「書道も珠算も苦手なんだよな。今度から優希に任せようかね……」
子供の頃の習い事として習う者が多いが、義人は習い事をせずに外で遊ぶタイプの子供である。それとは対照的に、優希は書道も算盤も段持ちだ。それを考えると、義人としても悪い案には思えなかった。
「図書室から戻ってきたら頼んでみようか。って、カグラ? どうしたんだ?」
義人は少し浮かない顔をしているカグラへと尋ねると、カグラは首を横に振る。
「農具を支給するのは良いのですが、予算が取れるかどうか……国家予算も残り少ないですし」
国を運営するためには、どうしても金を使う。現在のカーリア国の一年の国家予算は約十五
億ネカだが、兵士の給料や公共事業など、他にも金を使う場面はいくらでもある。
今までは予算の約七割が税収で賄われ、それ以外は交易によって得ていた。しかし、税率を下げたため来年の国家予算は今年よりも少なくなるだろう。
「予算が減るのは税率を引き下げたから仕方ないか。でも、年貢を納めてもらえば多少は潤うし……今のうちに、もっと実入りが良い輸出品を考えるべきかな」
カーリア国の輸出を支えているのは鉄である。鉱山から発掘された鉄鉱石や製鉄した鉄を輸出しているのだが、その質は多少良い程度でしかない。それでも、戦争をしている国ならばいくらあっても足りないぐらいだ。
「採掘量の増加……いや、質の向上か? そもそもこの国の製鉄技術がどのくらいか調べないと……質がもう一つ上の鉄なら、取引価格も倍近くになる……」
ブツブツと呟きながら考え始めた義人を見て、カグラは口を閉ざす。ここ数ヶ月の付き合いで、こういうときの義人には声をかけないほうが良いと学んだ結果だ。カグラは思考を巡らす義人の邪魔をしないように注意しながら、湯飲みへと新しくお茶を注ぐ。
カーリア国の交易で取引する物の七割は鉄と鉄鉱石で、残りは鉱山から発掘される金や銀。それと本当に僅かの稀少鉱物に、自国で栽培した米などである。
米は隣国レンシアの一部の者に好評で、それなりの値段で取引されているが需要は少ない。
最近は兵士が経験を積むために戦った魔物から魔法具の材料になりそうな物を手に入れ、輸出もしている。しかし、下級の魔物から得られる材料などそこまで価値はないため、輸出全体の一パーセントにも届いていない。
中級の魔物から得た材料ならばそれなりの値がつくのだが、カーリア国では倒せる人間が限られているため中々手に入らなかった。
義人は椅子に背を預けると、大きな息を吐く。
「もっと人材が欲しい……できれば、文武両道な奴。こうなったら士官学校でも作るか? いやいや、そもそも学校みたいな施設もほとんどないからそっちが先か」
金が足りず、人も足りない。現状維持が精一杯だが、義人としてはそれを改善しなければならない。
この国には言葉を話すことはできても文字の読み書きができない者が多くいる。識字率として表現するならば、その割合は半分にも届かないだろう。
識字率は基礎教育の浸透状況を測る指針として広く使われているが、それと照らし合わせるとカーリア国での基礎教育の浸透状況はすこぶる悪い。
現在のカーリア国での勉強方法といえば、最初に挙げられるのは『親に聞く』ということだ。その他にも、『家庭教師を雇う』という手があるが、それは家庭教師を雇う余裕がある家庭にしか取れない手である。
「いずれ教育施設を作るとしても、それにはまた金が必要と。どこかに大金が落ちてないかなー」
カグラが淹れてくれたお茶を飲みながら愚痴を零す義人に、カグラは茶菓子を差し出す。
「落ちていれば苦労はしませんよ?」
「そりゃごもっともで」
カグラから茶菓子を受け取り、義人は口へと運ぶ。先日優希が作ったクッキーをこちらの世界の料理人が真似て作ったお菓子だが、甘さが目立つ。
「ちょっと甘すぎ。逆に辛いものが食べたくなるな」
咀嚼したお菓子をお茶で流し込み、一息吐く。そこで、義人の脳裏に閃くものがあった。
「辛いもの……辛いものか。カグラ、この世界では香辛料って貴重か?」
「香辛料ですか? 塩ならこの国でも作っていますけど……」
「塩か。いやいや、もう少し香辛料らしいものがいいな。胡椒とか山椒とか大蒜とか山葵とか、そういうのはないのか?」
義人がそう尋ねるが、カグラは首をかしげるだけだ。そして、申し訳なさそうに肩を落とす。
「コショウなどはわかるのですが、ワサビとはなんでしょう?」
「摩り下ろして使う調味料だよ。鼻にツーンとくるやつ。あ、こっちだと名前が違うのか?」
日本語が通じるから時折忘れがちになるが、ここは異世界である。元の世界での名前とは違う可能性があると思った義人は、適当に白紙を取って紙面に筆を走らせていく。
「えーっと、摩り下ろす前の山葵はと……できた。こういうやつなんだけど、知らないか?」
紙面に描かれたのは、葉の部分なども描かれた白黒の山葵だ。摩り下ろす前の山葵を見たことがある者なら、すぐにわかるような物体がそこには描かれている。
「うーん……『ラディ』ですかね? 変な臭いがするんですけど、香辛料なんですか?」
「『ラディ』っていうのか? 俺の世界だと、摩り下ろして醤油と一緒に刺身につけて食べるんだよ」
「そ、そうなんですか? あれを……そんな」
「ああ。でも、山葵だと用途が限られるか。やっぱり、胡椒とかがいいな」
今でこそスーパーなどで手軽に手に入るが、昔は胡椒などの香辛料は非常に貴重なものだった。
料理に使うのはもちろん、防腐や殺菌効果が高いものは食料の保存にも使われている。胡椒などは大航海時代の食料の保存に重宝されており、同じ重さの金と交換していた時期もあるぐらいなのだ。そのため香辛料貿易を巡って様々な国が熾烈な争いを繰り広げ、貿易の主導権を握ろうとしている。
そんな話をした後、この世界ではどうなのかと義人は質問を飛ばした。
「コショウはある程度使われていますが、必ずしも必要というわけではないんです」
「必要じゃない? 料理や食料の保存に使うだろ?」
「料理や殺菌には使うのですが、食料の保存に使うというのはあまり聞きません。精々、旅人が持ち歩く保存食用に使うくらいですね」
何故と聞こうとして、言葉が止まる。
元の世界では料理と食料の保存に使われている。電気が通っていないこの世界では、冷蔵庫などもないはずだ。しかし、食料を保存する方法は他にもある。その方法を思い出した義人は、思わずため息を吐いた。
「そういえば、魔法で氷を作れるんだっけ……魔力がある限り氷を作れるのなら、金を払ってまで香辛料を手に入れようなんて思わないわな。あーもう、そういう要素も入れて考えないといけないのか」
電気を使った冷蔵庫いらずだとため息を吐き、ついでに机へと突っ伏す。ところどころ元の世界の常識が通じないのが義人にとって頭の痛いことだった。
現代では通用したことも、こちらの世界では通用しないことがある。その逆もまた然りだが、この世界の情報が少ない現状では義人に打てる手は少ない。
「でも、魔法が使えない一般人になら売れるか? いや、そもそも香辛料が貴重じゃなかったら意味がないか。こうなったらやっぱり現代の道具を……って、技術力が足りないっつーの!」
一人ノリツッコミをしつつ、義人は頭を悩ませる。魔法という存在は便利だが、義人にとっては邪魔な存在に思えてくるほどだ。
「こうなると、今はこの世界に存在しないけど、この世界の技術力でも作成可能な物が限られてくるな」
そう呟きつつ義人が真っ先に思い浮かべたのは『銃』の存在だ。
魔法が主力のこの世界では、銃のような武器はまだ存在していない。火薬は存在しているが、その用途は土木作業で発破に使われるぐらいだ。
火縄銃ぐらいなら、この国の技術力でも作れるだろう。だが、作ってもあまりメリットがない。
その理由としては、今しがた挙げた魔法の存在がある。
下級魔法でも火縄銃より威力があり、有効射程距離も長い。その上魔法は連射も可能で、魔力が続く限り撃つことができる。
メリットとしては、使い方さえ覚えれば誰でも使用できるという点だ。魔法と違って連射はできないが、弾切れは方法次第でどうにでもなる。引き金を引いて目標に当てれば殺傷できるため、魔物退治にも有効かもしれない。そして、人間相手にも十分強力な武器になる。
「だけど、それは駄目だな」
義人が銃を開発しない理由が、“そこ”にあった。
銃があれば、この世界の戦いの仕組みを変えることが可能だろう。最初は火縄銃からのスタートだが、改良を重ねれば魔法よりも強力な武器になる。いずれ大砲などもでき、魔法よりも遠距離からの攻撃が可能になるだろう。
そうなると、それだけ多くの人が死ぬことになる。
義人としては、それは避けたかった。故に、銃などは作れない。
「こうなったら、今あるものを現代の知識で改良するしかないか……よし、優希と志信にも知恵を出してもらおう」
一人で考え、一人で納得する義人。
カグラはそんな義人の様子を嬉しそうに、それでいて、どこか複雑そうな表情で見ていた。