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異世界の王様  作者: 池崎数也
第二章
56/191

第五十五話:嗚呼懐かしき中学時代

 藤倉志信が滝峰義人と出会ったのは、中学二年の時だ。

 志信と義人は同じクラスになり、最初はクラスが同じという接点しかなかった。

 志信が他者と関わらないようにしていたというのもある。それでも、北城優希という少女と共にクラスの中心で笑っている義人を、彼にしては珍しくフルネームで覚えていた。

 運動はできるが、勉強は苦手らしい。だが、頭が悪いわけではない。その程度の認識しか持たなかったが、当時の志信にしては珍しいことである。

 ことあるごとに義人が話しかけていたというのも理由の一つだ。大抵の者は、最初志信に話しかければそれから話そうとすることはない。授業中でも休み時間の時でも寡黙に過ごす志信を相手にするより、気の合った友人と話すほうが良い。ほとんどの生徒はそう思い、進級して一月もすれば志信に話しかける者は皆無となった。


「おー、おはよう藤倉。今日も良い天気だなー」


 義人一人を除けば、だが。


「……おはよう、滝峰」


 一応、志信も挨拶を返す。義人はそれに満足そうに笑うと、志信の前の席に座った。だが、義人の席はそこではない。実際には志信の席の二つ後ろなのだが、世間話をするために座ることにした。


「今日の体育の授業でやるハンドボール、同じチームでやろうぜ」

「何故だ?」

「何故って、藤倉は運動神経良いだろ? 相手チームにはハンドボール部が三人いるし、こっちの戦力を整えないと勝てないしな」

「……俺はキーパーでもしておく」

「それはそれで心強いけどさー。こっちの動ける奴はハンド部がマークするんだよ。でも、藤倉ならマークされても簡単にかわせるだろ?」


 そう言って笑う義人に、志信は首を傾げる。

 たしかに素人を避けるのは簡単だが、学校内でそんな振る舞いをした覚えはない。祖父の教えで力をひけらかすことを嫌う志信は、体力測定などのときも手を抜いていた。それなのに、何故目の前の少年はそれを見抜いているかのように話すのだろうか。そんな疑問を見透かしたのか、義人は苦笑する。


「いや、藤倉ってこの前の体力測定のときかなり手を抜いてただろ? 注目を避けるつもりなのかもしれないけど、ちょっと挙動が変だったぞ。あと、歩き方が絶対普通じゃないし」


 志信は他の生徒の結果を見て、自分の体格や見た目でおかしくない程度の結果にしていた。歩き方は自分でも気づかなかったが、自然と足音を立てないようにしていたらしい。だが、どうやら義人にはそれが通じなかったようだ。

 

 なるほど、中々周りを見ているようだな……。


 志信は義人に対する評価を若干修正する。そんな志信に義人は笑いかけて、


「ちょいと失礼」


 そう言うなり、突然手刀を繰り出した。その瞬間、志信もほぼ反射的に動く。振り下ろされた手刀を受け流すと同時に、空いた片手で義人の顎に向かって掌底を放つ。長年祖父に叩き込まれた動きが、つい出てしまった。

 義人に合わせるように手を抜いたが、素人には避けられない速度である。志信は内心でしまったと後悔の声を上げたが、結果として掌底は外れた。

 義人は志信のカウンターを見て反応したのか、それとも最初からこうなることがわかっていたのか、すでに上体を引いていた。だが、それでもギリギリで義人の鼻先を掌底が掠める。


「おおっ! あっぶねー、ギリギリだな」


 鼻先を掠めた掌底に冷や汗をかきながらも、義人はそう呟く。それに対して、志信は振り上げた腕を元に戻した。


「……何のつもりだ?」

「いや、悪い。藤倉なら軽く避けると思ったんだ。まさかカウンターが来るとは思わなかったけど……まあ、これで運動神経が良いことがわかったな」


 うんうん、と一人頷く義人に志信はどんな言葉をかければ良いかわからない。少し悩んでいると、義人の袖を引く者がいた。


「義人ちゃん、何してるの?」


 そう言いながら袖を引くのは、北城優希である。義人といつも一緒にいる少女を見た志信は、名字を思い出すだけでも数秒の時を要したが、それでもなんとか思い出した。優希は志信のほうを見るが、大した感情も浮かべない。一瞥するように観察すると、義人へと笑顔を向ける。


「一時間目は音楽だから教室移動しないと駄目だよ? 一緒に行こう?」

「ああ、了解。そんじゃ、行くか。藤倉も早く来いよ?」


 それだけを言い残し、義人は優希と共に立ち去った。志信はそんな二人を見送ると、音楽の教科書を取り出して小さくため息を吐く。

 義人に手刀を当てるつもりはなかったのだろう。不意打ちしたらどんな反応をするか見ようとしての行動だったのだが、それを瞬時に見抜けなかった自分に肩を落とす。


「俺もまだまだ精進が足りんな……」


 それだけを呟くと、志信も教室を後にした。志信が義人を友人だと思うようになる出来事が起きる、一ヶ月ほど前のことである。

 



 一ヶ月ほど経ったある日、志信はいつも通り一人で帰宅しようとしていた。家に帰れば祖父との鍛錬があるため、部活には所属していない。一緒に帰る相手もいないため、常に一人での登下校だ。

 だが、その日はいつも通りの下校にはならなかった。その日は日直の役目があり、放課後の簡単な掃除などで帰るのはいつもより遅い時間である。僅かに足を速めて歩く志信だったが、僅かに聞こえた音に足を止めた。


「……なんだ?」


 何かを殴り、蹴るような音。そして、僅かに漏れる苦痛の声。志信はどうするべきか僅かに逡巡し、音のするほうへと足を向ける。

 すでに放課後で、教室に残っている者はいない。グラウンドでは部活に精を出している生徒がいるが、校舎内に残っているものはごく僅かだ。

 志信は音を辿るように外へ出ると、校舎裏へと進んでいく。


「いじめ……か?」


 そして、目の前の光景を見てそう呟いていた。

 志信の視線の先では、一人の男子生徒を囲んで三人の男子生徒が殴る蹴るの暴行を加えている。三人とも軽薄な笑みを浮かべつつ、思い思いに拳を振るっていた。

 拳の振るい方から素人だとわかるが、それだと逆に危険である。肉体のどこを、どれだけ強く打てば人が死ぬかなど考えてもいない。

 志信としては、係わり合いになる必要はなかった。だが、こういった手合いは志信の嫌いなタイプの人種である。

 気が弱くて抵抗できない者を見つけ、暴力を振るってストレスの捌け口にする。そのくせ自分よりも強い者には手を出さず、媚びへつらう。

 僅かに腹立たしさを覚えつつ、志信は三人組の背後へと近づいていく。そして一人の男子生徒が拳を振り上げ、振り下ろそうとした瞬間に横から受け止めた。


「そこまでにしておけ」

「ああ? なんだテメエ?」


 志信の声に振り返ると同時に、威嚇のつもりか所謂(いわゆる)“ガンを飛ばす”三人組。志信は内心でため息を吐きつつ、それでも口を開く。


「ストレスを発散したいのならスポーツでもすれば良いだろう? それとも人を殴りたいだけか? 何にせよ、お前らの我侭を他人にぶつけるのはよせ」

「いきなり出てきて何言ってんだ!? 引っ込んでろ!」


 そう言うなり、志信を突き飛ばそうと一人の生徒が右手を突き出してくる。志信はそれに合

わせて生徒の内側へと踏み込むと、突き出された腕をつかみながら軸足を払い、地面へと投げ倒した。

 幸いというべきか、地面はアスファルトなどではなく土である。かなり軽く投げた上に土には芝生も生えているので、大した衝撃もないだろう。


「関係はないが、一度関わると決めた以上見過ごすわけにもいかないのでな。いじめなど、下らんことをするのは止めろ」

「この野郎!」


 仲間が投げられたことに腹を立てたのか、残りの二人が殴りかかってくる。志信はとりあえず手のひらで受け止めると、深いため息を吐いた。


「もう一度言う。いじめなど止めろ」


 受け止めた拳をそのまま握りこみ、ゆっくりと握力を加えていく。さすがに握った拳を握りつぶすことなどできないが、志信の握力は中学生の平均握力を軽く超える。徐々に拳を圧迫された二人は、痛みに顔を歪めながら必死に振りほどいた。そして、すぐに志信から距離を取る。

 三人は顔を見合わせると、志信が非常に厄介な存在だと判断して背を向けた。


「く、くそっ! 覚えてろよ!」


“お約束”の逃げ台詞を残し、三人は逃げ出す。志信は特に追うことはせずに、いじめられて

いた生徒に目を向けた。だが、すぐに興味を失って歩き出す。


「あ、あの! ありがとうございました!」


 歩き出した志信に、いじめられていた生徒は慌てて礼の言葉をかける。志信は少しばかり足を止めると、何も言わずに頷いた。

 やはり慣れないことはするものではないと思いつつも、かけられた感謝の言葉に悪い気はしない。何か言おうにも良い言葉が見つからず、口下手な自身に呆れを抱く。

 結局志信は何も言わず、帰宅の途につくことにした。




「ふむ、気が乱れておるのう」


 家に帰り、祖父……藤倉源蔵との鍛錬を始めようとして言われたのはそんな言葉だった。

 もしも義人がこの場にいたならば『気ってなんだよ!?』とツッコミを入れただろう。しかし、この時はまだ義人と親しくない上、志信が自身の祖父の発言を疑問に思うことはない。


「気……ですか?」

「そうじゃ。さては、学校で何か変わったことがあったな?」


 そう尋ねる源蔵の言葉は、年の功か全てを見透かしているように聞こえる。志信は話すか話すまいか僅かに逡巡し、口を開く。


「いじめの現場に遭遇したので、いじめをしていた者達を追い払いました」

「ほほう、いじめとな……」


 顎に手を当て、源蔵は何度か頷く。すでに六十を超えた源蔵は、志信に比べれば拳二つ分ほど背が低い。しかし、ピンと背筋を伸ばしたその姿は歳不相応に若々しく見える。表情は一見柔和に見えるが、薄く開いた目だけは鋭かった。


「それで、どうやって追い払ったんじゃ?」

「どうやって……とは?」

「口で注意して追い払ったのか? それとも拳を振るったか? いや、そもそも何故いじめられていた者を助けた?」

「口で注意し、話を聞かなかったので一人は軽く投げました。残りの二人は拳を握り締めるだけに留めました。何故助けたかは……」


 そこまで言って、志信は言葉を濁す。

 確たる理由などない。偶然暴行の音を聞き、少し気になったから足を運んだ。そして、いじめている者が少し気に食わなくて追い払った。それだけである。


「……偶然、目に付いたからです」


 志信がそう言った瞬間、源蔵が水のような動きで間合いを詰める。志信は一瞬遅れてそれに気づいたが、すでに遅い。志信へと踏み込んだ源蔵は、志信が防御する時間すら与えずに掌底を叩き込む。


「馬鹿者! 確かな理由もなく力を振るうでない! 意味なき力はただの暴力じゃ! お前にはそれを幼い頃から教えていたはずじゃぞ!」


 腹部に掌底を受けた志信は咄嗟に後方へと飛ぶが、威力を逃がしきることはできなかった。歯を食いしばり、痛みを堪えながらも反論する。


「っ……ならば、見ぬ振りをしろと言うのですか?」


 多少なり掌底の威力を殺した志信を内心で褒めつつも、源蔵がそれを表に出すことはない。志信の、自身の孫の問いに、源蔵は眉を寄せる。


「ならば逆に聞くが、明日再び同じ場所で、同じ者が、同じ者達にいじめを受けていたとする。その時はどうするつもりじゃ?」

「それは……」

「助けるか? それとも見捨てるか? お前が今日助けたことにより、お前に助けを求めてくるかもしれぬ。だが、お前が助けたことにより、今日よりも酷い暴力に(さら)されるかもしれぬ。もしもそうなったとき、お前はどうするつもりじゃ?」

「…………」


 源蔵の言葉に、志信は答えることができない。もしもこれが普通の家庭だったならば、志信の取った行動は褒められただろう。

『いじめられているのを助けました』

『そうか。志信は偉いな』

 そうやって、志信の行動を褒めるだろう。だが、源蔵は違う。

 助けたが故に状況が悪化することなど、世界中のどこにでも転がっていることを知っている。また、自分自身もそういったことを引き起こしたことがある。だからこそ、志信を褒めるわけにはいかない。

 源蔵は志信に背を向けると、いっそ冷たさを滲ませた声を投げかけた。


「今日の稽古は中止じゃ。今日のことを、お主がしたことを良く考えよ。三日ほど稽古はせぬ。そして、その間武を振るうことは禁止とする」

「……はい。ありがとうございました」


 道場を後にする源蔵に、志信は頭を下げる。そして、道場の隅に行くと座禅と組んで目を瞑った。

 源蔵に言われた言葉を思い返しながら、志信は小さくため息を吐く。

 しばらく考えても、答えは出なかった。




 その日から二日後、志信はいつも通りの放課後を迎えていた。教科書を鞄に入れ、席を立つ。すると、そんな志信の傍に一人の男子生徒が近寄ってきた。


「あの、藤倉君……」

「ん?」


 声に振り向いてみれば、どこかで見た男子生徒が立っていた。何故かオドオドとしている男子生徒を見て、志信は僅かに記憶を漁ってなんとか目の前の人物を思い出す。


「ああ、君か」


 それは、二日前にいじめから助けた生徒だった。志信が思い出したことに安心したのか、その男子は“困ったように”笑う。


「その……この前助けてもらったお礼がしたいんだけど……」

「礼などいらない。俺が勝手にやったことだ」


 様子を見る限り、あれからいじめは受けていないのだろう。志信はそう判断して、自分の取った行動は間違いではなかったと僅かに安堵する。


「それじゃ申し訳ないよ……だから、ちょっとこっちに来てくれないかな?」


 そう言って、志信の袖を引く。その行動に疑問を覚えつつも、志信はついていくことにした。

 どうせ明日までは鍛錬をすることもできない。ならば家に帰っても暇なだけだ。そう考え、男子生徒の後をついていく。

 しかし二日前の校舎裏へと案内される頃には、そんな考えも消えていた。


「お、ちゃんと連れてきたな」


 そんな声をかけられ、志信は内心ため息を吐く。校舎裏には、二日前に追い払った三人組が待ち受けていた。しかも、他に仲間らしき男子生徒が四人ほどいる。

 志信をここまで連れてきた男子生徒は、怯えるように口を開いた。


「つ、連れてきたよ。だから、僕のことはもう放っておいてくれるんだよね?」


 その言葉を聞いた志信は、今度は本当にため息を吐く。

 状況が悪化したな、と。祖父の言う通りだったと。それだけを思い、疲れたような息を吐く。

 そんな志信を他所に、一人の生徒がニヤニヤと笑いながら近づいてきた。


「ああ? そんなわけねーだろ!?」

 オドオドと状況を見ていたいじめられっ子を蹴り飛ばす。蹴られた方は後ろへと転げると、慌てて逃げ出した。


「あ、逃げやがった!」

「いや、今日のところはいいだろ。コイツがいるし。あいつは明日またいじめるから」

「あはは! ひでー!」


 男達の会話を聞きながら、志信は思案する。

 見たところ全員素人だ。囲まれる前に勝負を仕掛ければ、簡単に倒しきることができるだろう。だが、祖父には“武”を振るうなと言われている。それなら逃げるかと考えたが、それを見越したように一人の男が口を開いた。


「あ、逃げたいならどうぞ? 逃げたらその分あいつを殴るから」


 そう言われ、志信は逃げようとした足を止める。そんな志信を見て、男達は笑い声を上げた。


「おやおや、正義の味方は辛いねー! 他人事に首を突っ込むからそうなるんだよ!」


 正義の味方などではない。志信はそう言おうと思ったが、結局言うことはなかった。ただ、無言のままで防御の構えを取る。


「お? やる気? この人数相手に勝てると思ってんの?」

「……元より、勝つつもりなどない」

「は?」


 小さく呟いた志信に、眉を寄せる男達。志信はそれに構わず、“提案”を持ちかける。


「殴りたいのなら、殴れば良い。だが、これからあいつに手を出すのは止めろ」

「……あははっ! カッコいいこと言うなぁ!」


 志信の提案に笑い、一人の男が殴りかかってくる。腹部を狙った打撃を前に、志信は腹筋に力を入れて受け止めた。

 それを皮切りに、男達が志信を取り囲む。そして、思い思いに志信を殴り始めた。




 志信が一方的に殴られ始め、すでに十分近く経つ。

 校舎裏は日当たりが悪く、職員室からも離れている。その上人気(ひとけ)がなく、好んで人が立ち寄ることはない場所だ。

 そんな場所で、志信はただひたすらに私刑(リンチ)を受けていた。

 筋肉を固め、急所を打たれそうになったら優先的に防御する。打たれると同時に身を引き、衝撃を最小限に殺す。そうすることで、志信はいまだに地面に倒れていなかった。


「くそっ! タフな奴だな!」


 逆に殴る側のほうが疲れてきている。だが、志信としてもそろそろ体力の限界が近い。


「おい! コレ使おうぜ!?」


 そんな志信に業を煮やしたのか、一人の男子生徒が折れた木の枝を持ってくる。木の枝は不恰好に曲がってはいるものの、竹刀ほどの太さがあった。


「そりゃさすがにマズいだろ……」

「頭さえ殴らなきゃ大丈夫だって。それにこいつ、異常にタフだしな」


 さすがに木の枝は拙いと思ったのか、注意の声が飛ぶ。しかし、木の枝を持った男は聞こうとしなかった。実際は志信が異常にタフなのではなく、衝撃を殺すことによりダメージを減らしているだけだ。だが、それがわかるはずもない。

 志信は歯を噛み締める。さすがに、木の枝を素手で受け止めるのは厳しい。できることはできるが、そこまで威力を殺すことはできないだろう。下手に受ければ骨が折れるかもしれない。


「よーし、何発耐えられるかな?」


 そう言いながら木の枝を振り上げる。周りの男達は止めようか止めまいか悩んでいるが、今更言っても間に合うものでもない。

 受けずに捌くしかない。そう判断した志信は腕を構えようとするが、散々殴られた腕は思うように動いてくれなかった。


「よし、いくぞ!」


 木の枝を振り下ろそうと、男が踏み込む。軌道を見る限り、狙いは右の肩口だ。そう判断した志信は咄嗟に両腕を交差して受け止めようとして―――背後で地面を蹴る音を聞いた。

 志信の視界の端に、何か動くものが映る。そして、それが何なのかを判断する前に木の枝を振り下ろそうとした男が横合いから蹴り飛ばされた。蹴ったほうはそれなりに勢いがついていたらしく、蹴られた男は数メートルほど地面を転がって動きを止める。


「お前……」


 蹴った人物を見て、志信は思わず口を開く。そんな志信に対して、蹴った人物……義人は気軽に笑った。


「おっす藤倉。ずいぶんと大変そうだなー」


 志信の姿を頭から爪先まで見ると、今度は苦笑する。


「何やってんだよ? 藤倉なら、こんな奴らとケンカしても簡単に勝てるだろ?」


 そう言って笑い飛ばすが、志信からすれば余計なお世話だった。これでは自分が殴られた意味がない。事態は余計に悪化する。そう思うと、彼にしては珍しく怒りの感情を覚えた。


「余計なことを、するな」


 怒鳴るわけでもないが、十分に怒りを滲ませた声。それを聞いた義人は肩を竦める。


「文句ならあっちの方に言ってくれよ。俺は、頼まれて首を突っ込んだだけさ」


 義人が背後に向かって指を差す。すると、そこには先ほど逃げた男子生徒の姿があった。だが、何故か左頬が腫れている。


「日直の日誌を職員室に提出した帰りに突然泣きつかれてさ」

「……先ほどまではなかったはずの傷があるようだが?」

「いや、話を聞いたら腹が立ったんで殴っといた。そしたら俺の連れも平手打ちを食らわせたから、腫れちまったんだよ」


 そこまで言うと、義人は周りを見回して拳を鳴らす。


「さて、選手交代だ。藤倉に代わって、ここからは俺が相手になるぞ?」


 志信の隣に立つ義人を見て、何人かが顔を見合わせた。


「た、滝峰には関係ないだろ? 引っ込んどいてくれよ」

「吉岡に春野、それに川崎か……お前らとケンカするのって小学校の時以来か? それにしても、中学生にもなっていじめなんてするなよ」


 義人の方はすでにケンカする気満々である。今名前を挙げた三人は、過去のクラスメートだ。義人をからかったことで優希に平手打ちを喰らったことがあるのだが、この場では割愛する。

 騒ぐことのない志信と違って、義人はクラスの中心で騒ぐ人物である。その分学年に関係なく交友関係が広く、成績はあまり良くないが教師の受けも良い。その上運動神経も良く、一対一のケンカなら確実に負けるだろう。

 数人は戦う気がなくなったが、それでも止まらない者もいる。


「いきなり出てきて好き放題言ってんじゃねえよ!」


 義人に蹴り飛ばされた生徒が立ち上がり、そう叫びながら義人へと殴りかかった。


「そりゃもっともな話だ。でもな」


 義人は一つ頷くと、口の端を吊り上げる。


「いじめなんてやってる奴に言われても、まったく気にならないね!」


 振り下ろされた拳を掠めながらもかわし、お返しと言わんばかりに拳を叩き込む。それを合図に、いまだ拳をおさめていない最初の三人組が殴りかかった。

 二人の拳をかわし、残った一人の拳を避けられないと判断した義人はわざと受けに行く。勢いが乗り切る前に前へ出て、正面から額で受け止めた。


「いってえな!」


 引こうとした拳をつかみ、自身へと引き寄せる。そうすることで相手のバランスを崩し、空いた腹部に拳を打ちつけた。

 そんな義人を、志信はただ呆然と見ていた。運動神経は良いが、武術などをかじったわけでもない義人の動きを。

 そうして、騒ぎを聞きつけた教師が駆けつけるまで志信は立ち尽くしたままだった。




 教師が駆けつけるなり、義人は志信の手を引いて逃げ出した。捕まったら指導室で説教のフルコースが待っている。そう判断した義人は、何故か呆然としている志信の腕を引いて傍のフェンスを乗り越え、脱兎の如く逃げていく。


「ぜぇ……ぜぇ……何とか逃げれた、かな?」


 学校からある程度離れると、義人は走る足を止める。そして荒く息を吐くと、殴られて切れた口内の血を吐き捨てた。それを見た志信は、とりあえず手当てをするべきだと判断する。


「滝峰、怪我の手当てをしよう」

「あ、病院はパス。ケンカがばれたら親父とお袋に怒られる」

「……ならば、俺の家に来い。簡単な手当ぐらいならできる」

「本当か? じゃあ頼むよ」


 志信の提案に頷き、義人は歩き出す。迷いなく歩き出した義人に、志信は困惑したような声を上げた。


「……俺の家がどこにあるか、知ってるのか?」

「ん? ああ、知ってる。(へい)があって、道場っぽい建物がある家だろ? 割と俺の家の近くだし。表札に藤倉って書いてあったから間違いないだろ」

「そうか……」


 義人の歩く方向に本当に家があるので、そこで会話を打ち切る。そして、家に祖父がいないことだけを祈りながら志信は帰宅した。




 とりあえず義人を客間に案内し、志信は手当て用の道具が入った箱を取りに行く。茶でも出すべきだろうかと僅かに思案し、ひとまず急須と湯のみも用意する。

 そして客間に戻ると、祖父がいた。胴着としても使える頑丈な普段着を身に纏った祖父が、義人と向き合っている。


「なんじゃ、お主は?」

「あ、どうも初めまして。藤倉君のお爺さんですか? 俺……いや、僕は藤倉君のクラスメートの滝峰義人です」


 源蔵の問いに、義人は敬語で答えた。すると、源蔵は僅かに口元を緩める。


「敬語はいらん。お主くらい若いなら、多少生意気であるべきじゃ」

「あ、そうですか? それならそうさせてもらいますよ」


 そう言うと、義人は救急箱とお盆を手に持った志信に目を向けた。それに合わせて、源蔵も志信に目を向ける。


「……何があったか、おおよそ見当はつく。まずは手当てをしてやりなさい」

「……はい」


 源蔵の言葉に従い、志信は義人の手当てをしていく。そんな二人を見ながら、源蔵は義人へと目を向けた。


「見当はつくが、何があったんじゃ?」

「藤倉は手を出さずに殴られてて、俺は助太刀……かな?」


 そう言って義人は志信に話を振る。話を振られた志信は肯定するように頷くと、事の顛末(てんまつ)を話し出す。

 源蔵は静かにそれを聞くと、眉を寄せた。


「見たことか志信。お主が起こした行動が、事態の悪化を招いた」

「……はい」

「いやいや藤倉、そこで納得するなよ」


 頷いた志信に、義人は裏手でツッコミを入れる。それを見た源蔵は、義人に目を向けた。


「ほう? それではお主は、事態は悪化していないと?」

「悪化じゃなくて解決だろ? さすがに今回ほどの騒ぎになったらもうあいつはいじめられないさ」

「ずいぶんと簡単に言う。もしもまた、同じいじめが起こったらどうするつもりじゃ?」

「そりゃもちろん、また追い払いますよ」

「だが、それではいじめられる者のためにもならんし、現実的ではない。もしもお主が預かり知らぬ場所で同じことが起きたらどうするつもりじゃ?」


 嘘は許さないと言わんばかりの鋭い眼光を前に、義人は苦笑した。


「それは助けられないな。うん、その時は自分で何とかしてもらうしかないよ」

「……それは、無責任というものではないのか?」


 源蔵の声に凄みが加わる。だが、義人は大して臆せずに笑い飛ばした。


「それじゃあ爺さんは、日本の裏側で起こってる戦争に義憤を感じて止めにいくか? 行かないだろ?」


 それこそ現実的じゃない。そう呟き、義人は言葉を繋げていく。すでに敬語ではないが、源蔵としてもそちらのほうが若者らしくて好ましい。ただ、義人の話を興味深そうに聞くだけだ。


「俺は正義の味方じゃないし、何でも万能にこなせるスーパーマンじゃない。だけど、手の届くところで気に食わないことがあったら首を突っ込むし、それが解決できることなら手伝ってやりたい」


 そこまで言うと、義人は口の端を吊り上げる。


「そしてそいつが自分の足で立てるようになったら、あとは蹴り出して勝手に歩かせるさ。いじめられるのなら、いじめられないように努力させる」

「それは何故じゃ? お主がそこまでする理由はないはず」

「理由? 簡単だよ。“俺が気に食わない”。それだけさ」

「ほっ、またずいぶんと身勝手な理由じゃ」

「人間そんなもんだと思うけど? 自分が気に食わないからいじめる。それなら反対に、自分が気に食わないからいじめを止めるっていうのもアリだろ? 世の中、気に食わないから戦争する奴だっているんだ」

「まあ、アリじゃな」


 志信が持ってきた急須で茶を注ぎ、源蔵は湯飲みを義人に差し向ける。


「飲むかね?」

「いや、口の中切ってるから遠慮させてもらうよ。しみると痛いんだ」

「首を突っ込まなければ、そうなることもなかったんじゃぞ?」


 揚げ足を取るような問いに、義人は苦く笑った。


「そうなったら、俺は嫌な気分で帰宅することになったね。そうなると幼馴染みが心配するから勘弁だ」

「怪我をするほうが心配するじゃろ」

「いや、あいつは俺が“俺らしくない”行動を取るほうが余程嫌だろうさ」

「ほほう、若いのう……」

「爺さんが老けてるだけだっての」


 志信を置いてけぼりにして、二人は楽しそうに笑う。


「お爺様……」


 とりあえず口を挟んでみると、源蔵は含み笑いをしながら立ち上がった。そして志信の頭に手を乗せると、乱暴に撫でる。


「お前は、何のために藤倉の技を身につけたんじゃ? 儂も最初はお主に藤倉の技を教えるつもりはなかった。平穏な日々を送れば、それで良いと思った。だが、お前は儂に武術を教えてくれとせがんだ……それは何故じゃ?」

「……強く、なりたかったからです」

「強くなってどうする? お前の言う強さとはなんじゃ?」

「それは……まだわかりません」


 怒られるかもしれない。そう覚悟して言った言葉に、源蔵は笑う。


「まあ、そうじゃろ。儂も志信ぐらいの歳の頃は、それがよくわからなんだ。だが、もう少し歳を取ればわかる……もしくは」


 そこで言葉を切り、源蔵は義人を見る。


「こやつのように“自分”を曲げねば、早くにわかるかもしれんな」

「そうなんですか?」

「さて、のう。だが志信、これだけは覚えておいてほしい」


 志信の頭に乗せた手を、ゆっくりと退かす。


「理由なく力を振るえば、それはただの暴力じゃ。だが、確たる信念を持って力を振るうのなら、儂に言うことはない。それは暴力ではなく、“力”じゃからのう」


 そう言って源蔵は背を向けた。志信には、源蔵の言葉の意味がまだ理解できない。だが、それでも今の言葉を心に刻みつけた。

 義人と志信は黙ってそれを見送り、姿が見えなくなってから大きく息を吐く。


「いや、なんつーか……すごい爺さんだな」


 苦笑交じりの声に、志信は頷いた。


「ああ。自慢の祖父だ」

「そうかい。じゃあ、手当てありがとな。俺は帰るよ」


 義人は立ち上がり、そのまま歩き出す。だが、途中で足を止めると笑いながら振り返った。


「それじゃあ、また明日な。“志信”」


 名前で呼ばれたことに、志信は動きを止める。そして首を傾げた。

 そんな志信に、義人は笑いを苦笑に切り替える。


「いやー、俺って友達になった奴は名前で呼ぶことにしてるんだよ。駄目か?」

「駄目ではないが……」


 断る理由もなく、かといって頷くこともない。そんな志信に苦笑を一つ残し、義人は玄関に向かう。

 今から三年以上昔。義人と志信が名前で呼び合うようになった“三日前”の出来事である。




「うあー! 改めて話されると恥ずかしいなおい!」


 志信の話が終わり、義人は悶えながら地面を転がっていた。


「あの後大変だったよね。結局ケンカしたのが義人ちゃんだってバレて」


 転がる義人を見て、優希が小さく笑う。

 結果として、義人と志信は翌日生徒指導室に連行された。いじめに関わっていた者も呼ばれ、いじめられた本人も交えての説教である。


「あー……結局停学くらったしなぁ。まあ、事情を話したら親父とお袋に怒られなかったのがせめてもの救いだったな」

「それで、シノブ様がヨシト様を名前で呼ぶようになったのはいつからなんですか?」


 話を聞き終えたカグラがそう尋ねる。あとでミーファにも話してあげようと思っていた。


「停学三日の最終日だな。志信の家に遊びに行ったときにようやくだ」

「俺にしては頑張ったほうなのだが……」

「俺としてはその場で言ってほしかったけどな。まあ、いじめっ子が手を出すことはなくなったし。結果オーライさ」


 停学が解けた後、義人と志信はしばらくの間いじめられた生徒と共に帰宅したり、遊んだりしていた。そうすれば再びちょっかいを出されてもすぐに気づけると思ってのことだが、生徒指導の体育教師に余程キツく叱られたのか、ちょっかいを出してくることはなかった。

 いじめに加わった生徒に対して“何故か”女子の間で色々と噂が流れて抑止力になっていたのだが、それは義人達の知るところではない。

 いじめられていた生徒と気の合いそうな者を近づけ、義人以外に数人友人が出来たら直接関わるのを止めた。もちろん義人は友人付き合いを止めたわけではないが、あまり支えすぎるのも本人のためにならないと思っての判断である。

 義人は地面を転がるのを止めると、勢いをつけて起き上がる。そして空気を変えるように背伸びをした。


「さーて、それじゃあ政務に戻りますかね。思ったよりも話し込んじまったし」

「そうですね」


 義人の言葉に従い、志信を除いて皆政務に戻るために立ち上がる。


「それでは、俺は訓練に戻るとしよう」


 そう言って、志信も立ち上がった。そして夏の日差しに目を細め、小さく息を吐く。


 まだ、お爺様の言葉は完全に理解できない。だが、それでもゆっくりと正解に近づいていける、か。


「ん? ボーっとしてどうした?」


 そんな志信に、義人が声をかけた。志信は何でもないと首を振ると、訓練場のほうへと視線を向ける


 自分勝手に振るうのが暴力ならば、俺は“誰か”のためにこの“力”を振るおう。


 心の中でそう呟いて、志信は歩き出す。


 ―――今のところ、その“誰か”は一人だけである。







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