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異世界の王様  作者: 池崎数也
第二章
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第五十一話:異世界の王様、城下町に出る その5

 義人は矢印と共に(かわや)と書かれた板に従い、外へと出る。

 この世界の主なトイレは水洗式などではなく、汲み上げ式のトイレだ。所謂(いわゆる)ぽっとん便所と呼ばれるものだが、臭いなどを考慮すると建物の外に作らざるをえないのだろう。 囲いの中に深い穴が掘ってあり、そこで用を足す仕組みだ。傍には手洗い用の水瓶(みずがめ)が置いてあり、義人は少しため息を吐く。


「城のはまだマシだけど、やっぱり一般人が使うトイレはこんな感じか……下水道を作って水洗式にするかねぇ? でもそんな金はない、と。しかし、あまり不衛生だと変な病気が発生しそうだしなー……って、イカンイカン。気分を切り替えにきたはずが、また余計なことを考えちまった」


 ちなみに、城のトイレは一応水洗式である。水洗といっても、常に水が流れているだけだが。


「さーて、トイレ……って、何か騒がしいな」


 飲み屋のほうから聞こえる大声を耳にして、義人は首を傾げる。何やら酔っ払いが騒いでいるらしく、騒ぎ立てるような大声が聞こえた。少し聞いていると、さらに少し経って悲鳴が上がる。


「酔っ払いってやだねー。酒は飲めども飲まれるなって言葉を知らないのか?」


 あーやだやだと肩を(すく)め、義人は気にも留めない。

 飲み屋の中で何が起こっているのか知るはずもないが、義人の顔には小さく笑みが浮かんでいた。

 



 それは、志信にとって驚くべきことだった。

 義人が席を離れ、志信が僅かに周囲へと意識を逸らした隙を突くように優希が立ち上がる。 あまりの自然さに、サクラはおろか志信でさえ反応するのに数秒を要した。それは、志信にとっては驚くに足る出来事である。


 北城の動きに気づくのが遅れるとは……まだまだ俺も未熟か。どうしても意識が緩む。お爺様のようにはいかんな。


 優希はカグラやサクラのように戦う術を知らない素人だ。その優希が立ち上がり、数歩歩いた時点でやっと気づいた未熟な自身に対して落胆しつつ、志信は気を引き締めた。


「北城? どうした?」


 すでに席から離れた背中へと声をかける。立ち上がった優希は答えず、笑顔を浮かべながら軽い足取りで騒いでいる男達の席へと向かう。


「お、どうした? あんなガキより、やっぱりこっちが良かったか?」


 歩み寄ってきた優希を見た男達は、揃って下卑た笑みを浮かべる。それに対して、優希も柔らかに微笑んだ。


「義人ちゃんと自分の顔を鏡で見比べてから言ってね?」


 そう言って傍にあったグラスを手に取り、一番近くにいた男の頭に酒をぶちまける。


「……は?」


 酒を頭からかけられた男は自分の身に何が起きたかわからずに、椅子に座ったまま呆然と優希を見上げた。優希は自分を見上げる男に対して、笑顔を深める。


「義人ちゃんは優しいからあまり怒らないし、どうでも良いことは気にしない。でも、わたしは許さない。さっき義人ちゃんの顔や性格について何か言ってたみたいだけど、“身の程”を(わきま)えようよ、ね?」


 それだけを言うと、優希は元の席へと戻っていく。あまりにも堂々と歩き去っていく優希に男達は反応できず、酒をかけられた男が事態を理解したのは優希が席に戻って数秒経ってからだった。

 男の顔が徐々に怒りで赤くなっていく。そして、目を見開いて大声を上げた。


「な、何すんだテメエエェーー!?」


 元々気の短い性格である。男は怒りを(あらわ)にすると、椅子を蹴立てて立ち上がった。それに対して、優希はクスクスと笑う。


「手が滑っちゃった。ごめんね?」


 笑顔で嘘を吐く。もっとも、嘘ではなく挑発に近いものだったが。


「このガキィ……」


 酒をかけられた男と、その仲間が立ち上がる。こういったことはよくあるのか、店主はグラスを磨きながら傍観していた。


「あわわ……ゆ、ユキ様、何をしてるんですか!?」


 事態の成り行きに慌てるサクラ。もっとも、彼女が慌てているのは男達が怖いからではなく、何か大事(おおごと)を起こした時のカグラが怖いからだ。そうやって慌てるサクラに、志信はため息を吐く。


「北城を止めなかった時点で俺も同罪か……まあいい。親友を侮辱されて黙っているのは腹が立って仕方なかったところだ」


 ゆらりと立ち上がった志信を見て、優希はサクラに目を向けた。


「ほら、藤倉君もやる気みたいだよ? サクラちゃんは良いの? 義人ちゃんを馬鹿にされたんだよ?」


 志信と違い、サクラにとって義人は仕えるべき人物だ。それを馬鹿にされたのは確かに腹に据えかねる。


「……わかりました」


 カグラに怒られることを覚悟して、サクラも立ち上がる。志信と違って優希を守れる位置に立ち、それを見た男達は笑い声を上げた。


「はははははっ! こっちは何人いると思ってんだ!」

「男は半殺しにして、女のほうは売り飛ばしてやろうか!?」


 一見すれば志信とサクラの二人と、肉体労働で鍛えてそれなりに力の強そうな男が七人の二対七だ。

 優希はわたしも戦えたらなーと思いつつ、口を開く。


「そっちは七人?」

「ああ? それがどうした? 卑怯とでも言うつもりか?」

「ううん、別に良いよ。だって……」


 そう言って優希が右手を上げると、男達の周囲に座っていた近衛兵六人が立ち上がる。そしてそれを合図にしたように残りの近衛兵六人が飲み屋へと飛び込み、優希は“楽しそうに”笑った。


「こっちはもっと多いから」


 そう言って、優希の右手が振り下ろされる。その数秒後、男達の悲鳴が上がった。




「ただいまーっと……あれ? 人が減ってね?」


 トイレから戻った義人は、店内を見回すなりそう呟く。今まで座っていた近衛兵も何人かいなくなっており、それを聞いた優希は小さく笑う。


「“お勘定”を済ませて出て行ったよ?」

「そうなのか? まあ、騒がしくなくなったからいいけど……ところで、志信とサクラはどうしたんだ?」


 義人がそう尋ねると、僅かに肩を落としていた志信と頭を抱えていたサクラが顔を上げる。志信とサクラは酷く落胆したように口を開いた。


「俺よりも、北城のほうが部隊指揮に向いているかもしれん」

「カグラ様が怖いです……」

「……はい?」


 二人同時にため息を吐き、義人は首を傾げる。

 志信は、近衛兵達がやけに生き生きと優希の指示に従っていたことに頭を悩ませていた。

 割とノリが良い者が多く、義人に忠誠と友情を混ぜたような感情を持っている近衛兵達は優希が酒をぶちまけたことに喜んでおり、そのため場の勢いで優希の指示に従ったのだが、志信がそれに気づくことはない。

 サクラは単純に、カグラに怒られることが確定したので気分が沈んでいた。これほど暴れれば、カグラは絶対に気づくだろう。

 目の前で首を傾げる己の主君を馬鹿にされたからだが、どう説明しても怒られるに違いない。

 義人はそんな二人を見ながら、そろそろ帰らないとマズイなと店主のところへと歩み寄る。そしてがま口財布を開くと、他の誰にも気づかれないように金貨を三枚……三百ネカほど手渡した。


「ごちそうさま。お茶美味しかったよ。これ、お代ね」

「……お客さん、お代も何も、多すぎるんですが?」


 お茶と牛乳を二杯ずつなので、代金は全部で十ネカもかからない。義人は店主の戸惑いに、苦笑を返す。


「また来ることもあるだろうし、その時は色々と話を聞きたいんでね。あとはまあ……」


 義人は一仕事やり終えた顔で椅子に座っている近衛兵達を見て、苦笑を深めた。後は城に帰るだけなので、護衛はそこまで必要ない。志信とサクラがいれば十分だろう。


「あいつらの食事代ってことで。これだけあれば足りるだろ?」


 そう言って、背を向ける。

 これから城に帰り、この日一番の大仕事をしなければならない。義人はため息を一つ吐くと、近衛兵に解散を告げて飲み屋を後にした。




「お帰りなさい、ヨシト様」


 義人がこの日一番の大仕事と評したカグラは、城門の前で仁王立ちしていた。

 顔は笑顔だが、怒りを表すように頬が引きつっている。義人は『ズゴゴゴゴ……』という効果音と共に、カグラの怒りで地面が鳴動する様すらイメージしてしまった。


「ぬ……なんという威圧感」


 隣で志信が感嘆を込めて呟いているが、その呟きに答える余裕など義人にはない。


「や、やあカグラ。こんなところで会うなんて奇遇だな?」

「そうですね。お城にいるはずのヨシト様と城門前でお会いするなんて、奇遇にもほどがあります」


 義人は頭を掻きながら『あはは』と笑い、カグラは口元に手を当てながら『うふふ』と笑う。そんな二人を見た城門の守衛は仕事を放棄してその場から離れ、仕事が終わって城門から出ようとした文官はそのまま回れ右をした。

 カグラは目だけ笑わないまま笑い終えると、待っていたと言わんばかりに目を見開く。


「ヨシト様は一体何を考えているのですか!? わたしが席を外した間に城を抜け出すなんて!」


 怒り心頭と言わんばかりのカグラだが、義人としても今回は言い分がある。


「抜け出したって……ちゃんとアルフレッドに許可を取ったぞ? 城下町に行ったのは視察のためだし、一人で抜け出したわけじゃない。志信にサクラ、それに近衛隊。護衛もちゃんとつけてる。問題はないだろ?」


 いつもなら頭を下げて謝るところだが、今回は義人が折れるとサクラや近衛隊にまで飛び火する可能性がある。そのため、いつもと違って毅然と答えた。


「そ、それは、そうですが……何故わたしに隠したんですか?」


 義人の言うことに正当性を感じたのか、カグラの気勢が弱くなる。それを見て取った義人は、とどめと言わんばかりに苦笑した。


「カグラに言えば絶対に同行しただろ? でもカグラはこの国では有名人だろうから、一緒にいると俺が王だと気づかれる可能性が高い。だから言わなかったんだ」


 そこまで言うと、義人は姿勢を正して頭を下げる。


「でも、()け者にしたみたいでカグラには悪いと思ってる。すまない」


 真摯に告げて頭を下げる義人に、カグラは数秒経ってため息を吐く。それは苦笑の混じったもので、カグラは苦笑と申し訳なさを足して割ったような表情を浮かべた。


「そんなに言われたら、怒れないじゃないですか……ちゃんとした理由があったのなら、わたしにも知らせてください。きちんとした理由なら、わたしだって止めたりはしませんから」


 そう言ったカグラの表情は、どことなく寂しそうでもある。そんなカグラの表情を見た義人は、ポケットに入れていた包みを取り出した。そしてカグラに一歩近づくと、包みを手渡す。


「これは?」

「ちょっとしたお土産。開けてみてくれよ」

「はぁ……」


 言われるがまま包みを開けるカグラ。そして中身を取り出すと、戸惑ったように義人へ顔を向ける。


「手櫛だよ。髪留めとしても使えるから、もし良かったら使ってくれ」


 少し照れくさかったのか、義人は頬を掻く。

 カグラは手櫛と義人を交互に何度も見ると、最後にはゆっくりと顔を俯かせた。表情は前髪に隠れて見えないが、雰囲気は悪いものではない。


「ありがとう……ございます」


 小さい呟き。その声に込められた感情は、義人にはわからない。だが、少なくとも嫌がってはいないと判断した義人は小さく笑った。そんな義人の笑いにつられたようにカグラが顔を上げる。

 透き通った笑顔で、カグラは微笑む。

 日が沈んで暗かったせいか、その頬が僅かに赤かったことに気づけた者はいない。


「本当に、ありがとうございます」


 ―――本人ただ一人を除いて。




 おまけ。


 義人とカグラのやり取りを見ていたサクラは、カグラの怒りが収まったのを見て内心安堵の息を吐く。


 ―――これで怒られずにすみそうです……。


 サクラにとっては上司であり、姉のような存在でもあるカグラの説教は長い。その上怖いので、それが回避されたことはサクラにとって嬉しいことであった。

 義人につけてもらった桜の髪飾りを軽く撫で、小さく嬉しそうに笑って義人のほうを見る。

 これから夕食を取るだろうから、その準備をしなくてはならない。サクラがそう考えたとき、カグラと目が合う。


「あ、サクラは後でわたしの部屋に来てくださいね? 少し“お話”したいことがありますから」


 にこやかに告げるカグラ。

 最後の最後で捕まったサクラは、涙目で肩を落とした。


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