第四話:王
「カーリア国第一魔法剣士隊隊長、ミーファ=カーネルです。王をお迎えに参りました」
ミーファ、と名乗った少女はそう告げる。それは、少しばかり発音が違うが日本語そのもの。その言葉を聞いた志信は僅かに眉を寄せる。
「王?」
志信は困惑したような表情になる。だが、表面的には変わっていない。その表情の変化は、義人だけが気づいていた。
「はい、王です」
その表情の変化に気づくことができないミーファは、至極真面目な表情で頷く。
「何の話だ?」
志信の疑問の声に、ミーファは小さく首を振る。
「詳しい話は後ほど。今は、この森から出ることが先決です。私達についてきてください」
ミーファがそう言うと、離れた場所から多数の足音が響く。義人と志信は身構えるが、出てきたのは人間だった。そして、ミーファが志信に臣下の礼を取っているのを見るやいなや、全員が同じく膝を突く。
志信は義人に目配せをして、それを受け取った義人は頷いて腰の抜けた優希を抱きかかえる。ミーファや他の人間は、皆志信に目を向けているのでそれに気づく者はいない。
逃げよう。
それが、二人の内心だった。
いきなり王呼ばわりされて、平然としていられる人間はいない。例え言葉が通じるとはいえ、さらに悪い方向へ転がる可能性だってある。
義人と志信は、集団に気づかれないようスリーカウントを取る。それを見た優希が声を上げそうになったが、それよりも先に義人が手で押さえた。
……三。
志信は僅かに棒を握り締め、次いで足に力を込める。
……二。
義人は抱きかかえた優希に今から走る意思を目で伝え、
……一。
二人はどの方向に駆け出すか目を向ける。
……零。
同時に地を蹴る。義人は体を反転させて駆け出し、志信はミーファ達を見たままで後方へと大きく跳ぶ。だが、それを見てもミーファたちは動かない。そのことに義人と志信は疑問を覚えるが、気にしている暇はなかった。
その判断の元、さらに走ろうとして―――二人は足を止める。
「あー……団体さんでお出ましだったか」
思わず、義人は呟く。義人達を取り囲むように、周囲には何十人と人がいた。
「王よ、落ち着いてください。私達は貴方に危害を加えるつもりは毛頭ありません」
そう言って、ミーファが立ち上がる。
どう考えても逃げることはできない。それがわかってしまった義人は、ため息を吐く。
「まったく、なんだってんだよ」
義人は志信に話を振ってみるが、返ってくるのは沈黙だけだ。優希も答えることができず、ただ黙っている。
それを見たミーファは、義人達の傍まで歩み寄って兵士達に一度手を振った。それに従い、ガラガラと音を立てて馬車のようなものが引かれてくる。
「お乗りください。城に案内します」
三人は顔を見合わせるが、この状況で断るという選択肢は取れそうにない。義人はもう一度だけため息を吐いて、二人と共に馬車へと乗り込んだ。
安定のない道を進んでいるせいか、馬車はひどく揺れる。そのことに辟易しつつ、義人は対面に座る志信に目を向けた。
「なぁ志信……王ってなんだ?」
「……国家で最も上位にあたる統率者。もしくは最も優れた者につける称号」
「違う違う。合ってるけど違う。俺が聞きたいのは、なんで志信を王って呼んだのかって
ことだよ。実は王家の人間? って、いつの時代の話だっつーの」
自分で言ったことを否定しつつ、義人は考える。
見たことのない化け物に、時代錯誤な鎧や武器。西洋風な鎧に日本刀というのは微妙なところだったが、本物であることに変わりはない。
「うーん……もしかして、俺たち電波な人にでもさらわれたのか? あ、もしかして夢? 集団催眠とか、そういうやつか?」
義人は試しに自分の頬を引っ張ってみるが、普通に痛かった。続いて、優希の頬を引っ張る。両頬をつまみ、左右逆方向へと引っ張った。
「おお〜伸びる伸びる」
柔らかく、餅のような感触に思わず感嘆の声を漏らす義人。
「ひひゃいよ、ひょひとひゃん」
涙目で抗議する優希に、義人は笑って手を放す。
「いや、すまん。軽くつまむつもりが、思ったよりも伸びたせいで面白くってな」
「うぅ……戻らなくなったらどうするの?」
「大丈夫だろ、多分。戻らなくなったら、現代に復活した瘤取りじいさんとして有名になれるかもよ?」
「瘤取りじいさんって……わたし、女の子だよ?」
「……余裕だな、二人とも」
いつの間にか緊張感をなくした二人に、志信がため息交じりの突っ込みを入れる。その言葉に、義人は大きく頷いた。ついでに、右手の親指も立てる。
「おうよ。今更じたばたしても、問題は解決しないしな。とりあえずは森から抜け出せるんだし、今は大人しく連行されるしかないだろ。それに……」
チラリと、義人は自身の体に目を向けた。
「いつもより体が動くし、いざとなったら逃げ切るくらいは出来るだろ」
「それもそうだな」
義人の言葉に志信も頷く。何故かはわからないが、今までにないほど体が軽い。元々運動神経の良い二人は、それを感覚で理解した。
「えっと……逃げられるかな?」
そんな二人に、優希は困ったような声を漏らす。
優希は運動神経に自信があるわけでもない。そのため、逃げ切れるか不安だった。
「多分」
「多分なの!? 絶対って言ってくれないの?」
「いや、何とかなるって、きっと。多分。そうだといいなー」
結局は絶対と言わず、義人は欠伸を一つ吐く。
「ま、そのときはなんとかするって。今度こそ、担いで逃げるっていうのもありだし」
そう言って義人が笑うと、僅かに戸惑ってから優希も頷いた。
「……ふむ」
義人と優希の会話を聞きながら、志信は視線を横へと向ける。馬車の中から見える風景は、先程の森の中から場所を変えていた。
レンガ造りのような建物が遠くに見え、さらにその周りには畑らしきものが広がっている。 志信は他にも見ようと思ったが、馬車を囲むようにして歩いている兵士のせいで見ることができなかった。
もしや日本では、ない? いや、そもそもあのような生き物がいる時点でおかしい。
兵士の格好を見ながら、志信はふとそう思う。
あんな鳥がいたら、間違いなく辞典に載るだろう。ニュースで報道されてもおかしくはない。
仮に未知の鳥だとしても、それはまだ良い。百歩譲ってその存在を許容する。だが、鳥はまだしもあの熊は有り得なかった。
四本の腕に、火を吹く熊。
はは、と志信は内心で笑う。いや、笑うしかなかった。
これでは、義人の言うとおり夢ということにしたほうが最も説明しやすい。しかし、それを理性が否定する。
夢とは思えないほどのリアルな感覚。いくら明晰夢でも、ここまでのリアルさはないだろう。
「ん、どうかしたのか志信?」
思考していた志信に、義人が声をかける。志信はそれに首を振って応えると、義人は肩を竦めた。
「とりあえず、今は休んでおこうか。さっき走り回ったから、少し疲れちまったよ」
義人の提案に、志信と優希は頷く。
「そうだね。馬車が止まってくれないと、降りることもできないもんね」
「そうだな」
休むという提案に、全員で賛同する。義人は軽く息を吐き、背もたれに身を預けた。
石畳の上を馬車で往く。進むごとにガタガタと揺れるが、義人達は慣れたせいか大して気に留めなかった。
馬車の外に目を向けてみれば、規則正しく一定の間隔で家が並んでいる。そして、その家の量に比例するかのように人の姿もあった。だが、それは義人の知る服装とはかなり異なり、ミーファ同様、時代錯誤と感じてしまうようなものばかりである。
「なあ、気のせいか。この馬車、注目されてねえか?」
思わず、義人が呟く。
道行く人は、何故か馬車を凝視している。それも一人や二人ではなく、ほとんどの人間が馬車を見ていた。
「勘違い、ではないようだな。たしかに注目されているようだ」
義人の問いに、志信が肯定で答える。その答えに、義人はため息を吐いた。
「だよなぁ……」
見せ物のパンダの心境とはこんなものだろうか?
内心でそんなことを考えていると、不意に馬車が減速する。
「そろそろです」
一度軽くノックされ、馬車の外からミーファの声が聞こえた。義人が志信にアイコンタクトを送ると、志信はそれに頷いて口を開く。
「そろそろ、とは?」
「城に着くのです。皆、王の到着を心待ちにしているでしょう」
ミーファ自身も、それを喜んでいるのだろう。僅かに弾む声で、そう告げる。
それを聞いていた義人は、小さく頷いて志信と優希の耳元に顔を寄せた。
「俺としては、このままついていったほうが良いと思う。逃げるのもありだけど、向こうさんは志信を『王』って言ってるんだ。悪い扱いにはならないだろ」
「たしかに。ひとまずは話を聞いたほうが賢明か」
「で、でも……もしその話が嘘だったら? 本当は、わたし達を騙すつもりで連れてきたとか……」
少しばかり震える声で優希が尋ねると、義人は首を横に振った。
「いや、それはないだろ。向こうさんに嘘をつく理由がねえし、騙す意味もない。だから優希、あんま心配すんなよ」
義人はポン、と優希の頭に手を乗せる。それは幼い頃からの癖で、優希もなすがままに頭を撫でられた。
そんな二人を見ながら、志信はふっと微笑む。志信にとって、二人のそんな様子を見るのは好ましいものだった。
そうしていると、馬車が完全に停止する。徐々に減速していたのが完全に止まり、辺りがにわかに騒がしくなっていく。
何事かと、義人は窓から外を見る。すると、馬車の周りを人の群れが囲んでいた。
そのことについて義人が口を開こうとすると、それを遮るかのように馬車の扉が開かれる。そして、それと同時に歓声が義人達を包んだ。
周りの人間は、皆口々に『王』がどうだと叫んでいる。それを聞いた義人は苦笑し、志信は僅かに眉を寄せる。優希は歓声の大きさに、オロオロしながらとりあえず義人の袖をつかんだ。
「王よ、こちらです」
三人が観衆の様子を見ていると、ミーファが傍に歩み寄ってくる。義人はとりあえず志信を前に押し出し、自身は優希と共にその後ろへと続いた。
立ち並ぶ観衆の間を、三人は無言で歩く。その三人に向けられる視線には、好奇心と困惑が込められていた。
そんな視線に晒されながら、三人はミーファに続いて歩いていく。石畳の道を歩き、中世の趣がある跳ね橋を渡って城門をくぐる。
「……こりゃでかいな」
城門をくぐった先に建っていたものを見て、義人は思わず呟く。まるで、歴史の教科書に載っているかのような巨大な城がそこにはあった。
石造りの壁に、何箇所かに建てられた尖塔。おそらくは城の人間を住まわせるためであろう、居館。それは、確実に日本にない様式の建物だった。
「ははは、ここまできたら、外国まで誘拐されたってのが一番しっくりくるか」
今まで見たことのない威風ある建物にやや圧倒されつつ、義人は冗談交じりにそう言ってみる。だが、反応はない。優希は完全に圧倒されたのか、ポカンと城を見上げ、志信も少しばかり驚いているようだった。
城を見ながら、義人は軽く考えを巡らせる。
中世の趣の城に、鎧を着た兵士。民家らしき建物もレンガ造りで、コンクリートなど使われていない。
実際に外国へ行ったことがないため断言はできなかったが、今の状況はかなりおかしいものがある。その上、極めつけは森で出会った鳥と熊。
義人は昔から様々な本を読んできたが、あんな形状の鳥や熊は載っていなかった。もし仮に未確認の動物だとしても、あれほど目立つ動物が見つからないはずがない。現に、化け熊を倒したミーファなどはまるで見慣れているようにも見える。つまり、見慣れるくらい日常で遭遇する可能性があるということだろう。
火を吹く化け物なんて、一体どこのファンタジーだ?
苦笑を交えて義人は思う。しかし、一概に笑い飛ばすことができないもの事実だ。
「ったく、夢なら早く覚めろっての」
愚痴ってみるが、今の状況が夢でないことなど百も承知である。痛さで目が覚めるならば、さっきの森の中で目が覚めていただろう。だから、義人はこれが現実のものとして受け止めることにした。
直立する兵士の脇を通り、一際大きな扉を開ける。木製の扉はやや重たげな音を上げながら、ゆっくりと開いた。
床には赤い絨毯が引かれ、その絨毯に沿うように幾人もの人が並んでいる。
そして、その中でも一際目立つ人物がいた。
白の衣に緋色の袴。靴ではなく、足袋に草履。神社で見かけるその姿はまさに―――、
「……巫女だ」
「……巫女さんだね」
「……巫女だな」
その人物を見た三人は、顔を見合わせて頷き合う。互いの見解に相違がないことを確認すると、今度は疑問が頭を掠める。
ここまで中世の格好をした連中ばかりだったというのに、何故いきなり和装の人物が出てくるのかと。
「カグラ、王を連れてきたわよ」
「はい。お疲れ様です、ミーファちゃん」
そんな巫女……カグラに親しげな声をかけるミーファ。それに対し、カグラも笑顔で頷いた。
「それで、どこにいたんですか?」
「西の森の真ん中付近、かな。私達の到着がもう少し遅れるか、召喚した先が森の奥だったら間に合わなかったわよ」
「あはは。まあ、間に合ったから良いじゃないですか」
楽しそうに会話する二人。だが、その後ろから初老の男性が声をかけた。
「二人とも、王がお待ちじゃぞ」
咎めるようなその声に、ミーファは慌てて表情を引き締める。
「そうでしたね。アルフレッド様、王剣は?」
「ちゃんとあるわい。それで、どなたが王かの?」
そう言って、アルフレッドと呼ばれた男性が鞘に包まれた剣を取り出す。剣を渡される際、義人はアルフレッドの耳が少し長いことに気づいたが、気にすることはなかった。
受け取った宝剣は、銀細工の鞘に、宝石が埋め込まれた鍔。形状から、ミーファが持つ日本刀とは違った西洋刀であることが窺えた。
ミーファはそれを受け取り、志信の元へと歩み寄る。そして、膝を突いて剣を差し出した。そんなミーファを見たカグラが、少し首をかしげる。
「王よ、これをお受け取りください」
「これは?」
「これは、カーリア国王が代々受け継ぐ宝剣です。カーリア国建国時、当時最高の魔法使いの手によって魔法をかけられた剣で、王にしか扱うことができません」
どこかで聞いたことがある話だな。
そんなことを考えつつ、義人はことの成り行きを見守る。
カグラは志信に目を向け、続いて義人に目を向けて再び首をかしげた。
「持てばいいのか?」
「はい。そして、剣を抜いてください。それが王たる証になるのです」
「……わかった」
一度ため息を吐いて、志信は剣の柄に手をかけた。そして、鞘から剣を
「む?」
抜けなかった。
まるで錆付いているかのように、剣はビクともしない。
それを見たミーファの額から、冷や汗が一筋流れ落ちる。カグラの笑顔が一瞬固まり、アルフレッドは目を見開く。
そして、志信も困ったように口を開いた。
「抜けないぞ」
見ていればわかる。
そんな突然の事態に、一番冷静だったのはカグラだった。
「えっと、多分王はそっちの人だと思うんですけど……」
そう言って、義人を指差す。
「は?」
突然の指名に、義人は素で返事を返した。ついでに自分を指で指してみるが、カグラの言葉は変わらない。
「はい。感覚的に、わたしが召喚したのは貴方だと思うんですが」
その言葉を聞いた志信は剣を持ったまま義人の傍へと歩み寄る。そして宝剣を差し出すと、自分はその横へと並んだ。
宝剣を受け取った義人は、なんとなく優希にパスする。
「ふぇっ? わたし?」
いきなり渡された宝剣に驚く優希。一応柄を握り、引いてみるが抜けることはない。
必然的に、残ったのは義人だけになってしまった。
大丈夫。きっと俺も抜けないさ。
内心でそんなことを思いながら、宝剣の柄を握る。そして、ゆっくりとそれを引いた。
「げ……」
スラリと、何の抵抗もなく剣が鞘走る。あっさりと抜けてしまった剣に、義人は思わず呻きに近い声を上げた。だが、すぐさま気を取り直して剣を鞘に納める。
「まあ、抜けなかったということで……駄目?」
一縷の願いを込めて聞いてみるが、返答は沈黙による否定だった。