第四十八話:異世界の王様、城下町に出る その2
カーリア国王都フォレスは人口八千人ほどの都市である。
カーリア国内では最大の人口数であり、それに伴い商業や工業も少し発展している。
現代に比べればはるかに少ない人数だが、カーリア国は小規模国家。同盟こそ結んでないものの、友好国である隣のレンシア国とは国としての規模が違う。
そのレンシア国も数ある国の中では中規模国家に過ぎず、総人口は十三万二千人。王都であるハサラは二万八千人の人口を持ち、残りは四十五の町村から成り立っている。
商工業に農業、兵力や魔法技術などは全てカーリア国を超えているが、隣接するハクロア国との小競り合いが絶えない。
義人達が召喚される前にも幾度となくぶつかり合い、時折支援や援軍を求める使者が来ていたらしい。だが、その時決定権を持つ前王は暗殺により不在。王の許可なく支援は出来ないとして断っていた。
さてさて、もう少し国の中が落ち着いたら挨拶にも行かないとな……貴重な友好国だし、貿易ももっと盛んにしたい。でもこの国にそこまで有益な物はない、と。それまでに特産品を考えとかないとなぁ……。
義人はそんなことを頭の中で思い描きつつ、城下町への道を歩いていく。
優希やサクラ、近衛隊の準備が整い、義人達は城下町へと足を向けていた。
義人の左隣では志信が歩き、気を抜きながらも辺りを油断なく見ている。右隣には優希が歩き、こちらは楽しそうにしていた。
サクラは義人から数歩後ろを歩いている。メイドとしては、主君たる義人の隣や前は歩けないらしい。
近衛隊の十二人はそれぞれ普段着に着替え、一般人を装いつつ義人の周囲を警護している。武器になるような物は持っていないように見えるが、服のところどころが膨らんでいた。もっとも、近衛隊の八割近くは魔法を使えるので必ずしも武器が必要というわけではないのだが。
城下町が目前まで迫ると、志信はさり気なく左手を開き、二度ほど適当に払った後握り締める。それを見た近衛兵は歩調を上げ、先に城下町へと入っていった。
「今の合図、何だったんだ?」
近衛兵が城下町に入っていくのを見送った義人は志信に尋ねる。志信は散っていった近衛兵達を見送り、ふむと呟いた。
「『散開して王を警護しろ』と合図した。口頭で指示したら敵に聞かれる可能性もあるからな。他にもいくつか合図が決めてある」
「……本当に忍者で良いんじゃないか? というか、敵って誰だよ?」
「この場合は城下町の民だな。義人が王と気づかれれば騒ぎになるだろう」
「ごもっともで。それじゃあ、俺達は色々と見て回るか」
義人がそう言うと、隣を歩いていた優希が小さく首を傾げる。
「最初はどこを見るの?」
「まずは市場だな。実際にどんな物が、どんな値段で売られているのか見てみたい。その次は適当に回ろう。そして最後は酒場かな」
「酒場、ですか?」
今度は僅かに後ろを歩いていたサクラが疑問の声を上げた。義人はその声に振り返ると、楽しそうに笑う。
「情報の集まるところと言えば酒場が定番だろ?」
その定番とやらが、ゲームなどの知識によって決められたことをサクラはもちろん知らなかった。
現代に比べれば少ないとは言え、八千もの人間が住む町である。当然それに伴い、人々の生活が営まれていた。
威勢の良い掛け声と共に野菜や果物を売る八百屋。様々な刀剣や槍を売る刀剣屋。店先に見本の服を並べる服屋。その場で食べられるよう、椅子などを設置してあるお菓子屋。他にも様々な店が軒を連ねている。
住民と売り子の活気ある声。母親らしき女性に手を引かれて歩く子供。友人と共に楽しそうに話し合う少年少女。
義人はしばしその様子を眺め、頬を緩ませた。
「こういうところは、世界が違っても変わらないか……」
義人の感慨深い声に、志信は首肯する。
「そうだな。そして、この光景があるのも義人のおかげだ」
「真顔でそんなこと言われると照れるなー」
「で、でも、ヨシト様が王になられる前はこんなに活気のある街じゃなかったんです」
サクラの言葉に、義人は僅かに首を傾げた。
「そうなのか?」
「はい。税率が下げられてからはさらに活気が増し、民の生活も前より豊かになりつつあります」
「……そうか」
義人はもう一度目の前の光景を見据え、小さく笑う。隣の優希も微笑み、義人の袖を引いた。
「ねえ義人ちゃん、アレはなんだろ?」
「ん? どれどれ?」
優希が指差したのは緑色の果物らしきもの。八百屋の軒先に置かれた箱にたくさん敷き詰められている。大きさは現代のリンゴぐらいだが、青リンゴではない。微妙に形がでこぼこしている。
「うん、興味を惹かれるな」
そう言いつつ、義人は八百屋の方へと歩み寄っていく。すると、それに気づいた八百屋の女性は商売人らしい笑顔を浮かべた。
「いらっしゃい! 何か欲しいかい?」
『八百屋のおばちゃん』と形容するのが相応しい、中年の女性だった。義人は近所にもこういう人がいたなー、と内心感傷を覚えつつ口を開く。
「おばちゃん、それ何?」
「これかい? これは『カロの実』っていう果物さ。カロっていう木に生るんだけど、この時期にしか出回らない果物だよ」
「へぇ、美味しそうだ。四つほどもらおうかな」
そう言いつつ、義人は懐から財布を取り出す。もっとも、財布と言っても現在の財布ではない。
こちらの世界に紙幣はなく、ネカは硬貨である。金貨、銀貨、銅貨で価値が違い、金貨は百ネカ。銀貨は十ネカ。銅貨は一ネカだ。
そして、義人が取り出した財布はがま口財布だった。紙幣がないので硬貨を入れるために優希に作ってもらったものだが、作りは頑丈である。その上目や小さいながらも手足がつけてあり、可愛らしい蛙姿のがま口財布だ。
義人はがま口を開けると、中を覗き込んで僅かに考え込む。財布の中には以前税金を横領した文官に返還させたお金で作ったへそくりのうち、五千ネカほど入っている。そして金貨、百ネカ取り出すと、八百屋のおばちゃんに手渡した。
「毎度! ……ってお客さん! これ金貨じゃないのさ!」
「おろ? もしかして足りなかった?」
驚くおばちゃんに、義人はもう一度がま口を開こうとする。しかし、それを見たおばちゃんは大慌てで手を振った。
「逆だよ! 銀貨ならともかく金貨で果物を買われちゃお釣りが足りないさね!」
「あ、そういうことか。それじゃあ銀貨で払うよ。『カロの実』四つでいくら?」
そう言いつつ、義人はがま口を開く。すると、それまで事の成り行きを見ていたサクラが我に返って大慌てで義人の傍へと駆け寄った。
「よ、ヨシト様! 果物を買うお金ならわたしが出しますから!」
「いやいや、そうもいかないって」
大慌てのサクラをやんわりと宥める。八百屋のおばちゃんは義人とサクラ、そして志信と優希を見て訝しげに眉を寄せた。
「もしかしてあんた、どこかのお偉いさんのお坊ちゃんかい?」
「いや、違うよ。遠くから出てきた田舎者でね。こっちの勝手がわからないんだ」
お偉いさんも何も、この国の王である。だが、義人はそんなことを言うつもりはない。渡した金貨を受け取り、代わりに銀貨を渡す。すると四枚の銅貨をお釣りとして渡され、義人は『カロの実』を四つほど手に取った。そしてそれを優希と志信、それとサクラに手渡す。
「あの、ヨシト様?」
渡された中で困惑したのはサクラだ。
サクラは義人のメイドに過ぎず、本人もそう思っている。義人は主人であり、その主人に自腹で何かを買ってもらうなど想像の埒外だった。少なくともメイドとして教育された時はそう教わっている。しかし、義人はそんなことを気にする人間ではない。
いただきますと呟くなり、そのまま『カロの実』に噛み付いていた。それを見て、サクラは再度慌てる。
「ヨ、ヨシト様毒見をっ!?」
慌てるサクラに、義人は苦笑した。
「毒見も何も、何で毒を盛られなきゃいけないんだよ」
義人の立場を考えるならサクラの反応の方が正しい。しかし、義人としては毒が盛られる可能性など無いと考えていた。
それよりも、サクラの反応を見て余計な疑念を持ったらしい八百屋のおばちゃんのほうが重要である。
「いや、騒がせて悪いね。この子ちょっと心配性でさ」
そう言って、『カロの実』を齧る。
「うん、こりゃ美味いな。ほら、サクラも食べてみろよ」
サクラに促すと、サクラは助けを求めるように優希と志信を見た。しかし、二人も既に『カ
ロの実』を口にしている。すると、サクラは説得を諦めて肩を落とした。
「後で絶対カグラ様に怒られます……」
遠からぬ未来を予見して、サクラは薄く涙を浮かべる。義人はそのことを極力考えないようにしつつ、八百屋のおばちゃんを見た。
「まあ、気にしないでよおばちゃん」
「……そうさね。気にしないことにするよ」
関わらないほうが良いと見たのか、おばちゃんは一応首肯する。義人は苦笑すると、食べかけの『カロの実』に目を落とした。
「しかしこれ、美味しいなー。この時期だけって言ってたけど、やっぱり売れる?」
「そうだねぇ。ポポロと違って一年中食べられるってわけじゃないし、売れ行きは好調さね。値段も安いし、手軽に食べられるから。それと、税率が下がったからねぇ」
義人の表情が僅かに動く。
「そういえばそうか。税率が六割に下がったけど、下がる前と比べたらやっぱり違ったりする?」
「そりゃあね。商品も多く仕入れられるし、お客さんもたくさん買っていってくれるし。新しい王様には感謝してるよ。前王はそりゃ酷かったからねぇ……」
しみじみと呟くおばちゃんに、義人は力強く頷く。
その後も十分ほど話し、義人達は八百屋を後にした。
「いやぁ、色々と話が聞けて良かった。税率を引き下げて本当に良かったよ。しかし、商業が発展するのはまだ先かなー」
周囲に聞こえないくらいの声量で話す義人。それを聞いた志信は、疑問に思ったことを尋ねる。
「やはり、最初に金貨を渡したのはわざとだったのか?」
「んー? まあ、わざとというか、百ネカで買い物したらお釣り分の金があるのかなーと思っただけだよ。あとはまあ……」
義人は目だけで周囲の様子を窺う。
八百屋でのやり取りを見ていたのか、義人達を見る視線がいくつかある。興味や好奇心といった視線もあれば、少々剣呑なものもあった。
「大金を持っている田舎者に対して、どんな行動を取るかなーと」
悪戯小僧のように笑う義人。その言葉に志信は頷き、優希はいつも通り義人と一緒に笑い合う。しかし、サクラは首を傾げていた。
「まあ、もうちょっとすればわかるさ。その時は志信とサクラの出番かな。っと、見ろよ志信。刀を売ってるぞ」
「む?」
刀と聞いて志信の興味がそちらへ向く。視線を向けた先には刀剣屋があり、それを見た志信の表情が僅かに綻んだ。
「よし、ちょっと見てみるか」
志信の表情が変わったのを見て義人は即断する。もちろん自分も興味があったからなのだが、こういった方面なら志信の本領だろう。
「御免」
志信を先頭にして刀剣屋へと入る。すると、見るからに商人といった風体の男が出迎えた。
「いらっしゃいませ」
商人らしい笑みを顔に貼り付け、一礼する。だが、表情は笑っていても目は笑っていない。義人達を値踏みするかのように見ている。
「少々刀を見たいのだが」
その視線に気づきつつも、志信は気にしない。そんな視線は商人のゴルゾーと会えば嫌でも慣れる。義人と優希も気にせず、サクラだけオドオドとしていた。
店主の承諾を得ると、志信は傍にあった刀へと手を伸ばす。刀に一礼し、どこからともなく懐紙を取り出すと、それを口に咥えてゆっくりと刀を引き抜いた。
今どこから懐紙を取り出したんだ?
義人は疑問に思うが、深くは突っ込まない。きっと普段から持ち歩いているのだろうと無理矢理自分を納得させ、何度か角度を変えて刀を見る志信の様子を眺める。
刀身を光に透かし、地金を見て、刃紋を確認する。志信はそれで満足したのか、刀を鞘に納めた。
「どうだった?」
義人が尋ねると、志信は僅かに考え込む。そして僅かに店主を見やると、刀を元の場所へと戻した。
「ふむ……実際に試し切りをすればもっとわかるのだが、美術品としては失格だろうな」
「おや、これは異なことを仰いますな。刀は振るうものでございましょう? 飾っておいては宝の持ち腐れでは?」
店主の言葉を聞くと、志信は義人に小さく耳打ちする。
「この世界では刀剣は美術品ではないようだ。作りは頑丈で、戦うことに重点を置かれている」
「本当か? というか、志信って刀の見方とか知ってたんだな」
「ああ。お爺様に刀の見方は教わった」
「そういや志信の家にも何本か刀があったな。そんで、どうだった? 志信としての評価は?」
「……下の中、といったところか。頑丈だが、切れ味は鈍そうだ」
店主に聞こえないよう小声で話し合う二人。優希とサクラは物珍しそうに鞘に納まった刀を眺めている。しかし、そこでサクラは眉を寄せた。
「ヨシト様、シノブ様。あそこに飾られている刀を見てください」
「ん、どれ?」
義人と志信につられて小声で話しかけてくるサクラ。義人と志信はサクラに言われた方向に目を向けた。そして志信が刀を手に取ると、店主が僅かに驚いたように声を上げる。
「おやお客さん、中々お目が高いですな。それは当店でも最上級の一品ですよ」
最上級と言われ、志信は先ほどより丁寧に刀を持つ。そしてゆっくりと刀を引き抜くと、刀身に刻まれた文字を見て目を細めた。
「これは?」
「刀の強度を上げるために『魔法文字』が刻んであります。さらに、耐魔法の効果も付加されているため敵の放った魔法を切り裂くことも容易く、この国の魔法剣士隊隊長のミーファ=カーネル様にも愛用される一品でございます」
「ぶふぅっ!」
思わぬところで知人の名前が出たことに噴き出す義人。志信はそんな義人の反応を気にせず、刀の作りを見ていく。
「ふむ……刃紋は直刃調に小乱れ。地鉄の組み方は……見たことないな。しかし、丁寧な作りだ。切れ味も良さそうだな」
志信が下した刀の評価に、店主は嬉しそうに笑う。
「お若いのに見る目がありますな。腰の物にどうでしょう?」
「欲しくはあるが、生憎と俺の使う武器は長物でな。いつか用立ててもらうやもしれんが」
「そうですか……残念ではありますが、当店では長物も扱っております。ご入用の際は是非ご利用くださいませ」
「そうさせてもらう」
志信は刀を元の場所へと戻す。義人は志信と店主の様子を見て、楽しそうに笑った。
「あんなに楽しそうな志信も珍しいな」
「た、楽しそうなんですか? あれで?」
義人の言葉にサクラが首を傾げる。店主と会話している間も志信の表情は変わっておらず、いつもの無表情のままだ。少なくともサクラにはそう見えたため、首を傾げるしかない。
小柄なサクラが小動物のように首を傾げるのを見て、義人は無意識のうちにサクラの頭に手を乗せて撫でた。
「まあ、志信と長く付き合えばわかるさ」
「そ、そうですか……」
撫でられるのがくすぐったいのか、それとも恥ずかしいのか、サクラは少しばかり顔を赤くする。それを見た優希は頬を膨らませた。
「義人ちゃん、わたしも!」
「んー?」
乞われるままに優希の頭も撫でる義人。微妙におざなりだったが、優希は嬉しそうに笑う。
「そんじゃ、他のところを見て回るかね」
手を離し、義人達は刀剣屋を後にした。