第四十六話:兵士用食堂での一幕
騎馬隊隊長のグェン=クレアスは、騎馬隊に入隊してから十四年目になる熟練の騎兵である。
魔法を使わない純粋な技量でいえばミーファを凌ぎ、国内では屈指の槍の名手だ。その上人当たりも良く、部下からの信頼も厚い。また、隊長としての才もそれなりにあり、彼の率いる騎馬隊はカーリア国の部隊の中でも随一の練度を誇っている。
魔法剣士隊のように剣と魔法の力で主力になるわけでもなく、魔法隊のように遠距離から殺傷力のある魔法を射掛けるわけでもない。だが、馬を駆っての突進力と馬上からの攻撃は、他の部隊にはない特色である。
短く刈り上げた黒髪と、頬に走った三本の傷跡。その上、最近は無精髭のせいでよりいっそう精悍な顔立ちへと変わっていた。
どうでもいいことではあるが、頬の傷跡がどうやってついたのかを知る者はいない。
魔物と戦ったときについたという説や、彼女に引っ掻かれて傷ができたという説まである。他にも諸説様々あるが、グエンは語ろうとしなかった。真相は闇の中だ。
そんなグエンは今、兵士用の食堂で遅めの夕食を取ろうとしていた。
時刻は午後八時前。
本日の訓練も終わり、隊長業務も終了である。あとは食事を済ませ、大衆浴場で汗を流して自室に戻るだけだ。
グエンは出来立ての日替わり定食を受け取り、湯飲みにお茶を注いで適当に席へと座る。
「今日の夕飯は魚の煮付けか……」
お盆に乗った本日の主菜を眺め、ポツリと呟く。
料理などはしないため、魚の名前も知らなかった。日本でいうところの醤油のようなものを使っての煮魚だが、グエンがそれを知るはずもない。
自分と同じく、遅い夕食を食べている者を適当に見ながら食事を進めていると、隣の席にお盆が置かれた。
「隣、いいか?」
かけられた声に、グエンは口に含んでいるものを飲み込む。ついでにお茶でさらに流し込み、声をかけて人物へと顔を向ける。
「やー、こんばんは、グエン隊長。お互い遅い晩飯だねぇ」
義人だった。
「ぶふぅっ!?」
思わず吹き出す。
さも当たり前と言わんばかりに隣に座った義人は、そんなグエンを見て首を傾げた。
「おろ? どうしたんだ?」
「よ、ヨシト王!? 何故兵士用の食堂に!?」
思わず声を上げるグエン。そのグエンの声を聞いた他の兵士が何事かと振り向き、その隣の義人に気づいて目を見張った。
「いやー、今日の分の政務は終わったんだけど、せっかくだから兵士のみんなと親交を深めようかと思って。あ、良ければそっちのみんなも一緒に食べようぜー」
そう言いつつ、遠巻きに見ていた兵士達を手招きする。しかし、いきなりこの国の王に呼ばれて動く者はいなかった。近くの者と顔を見合わせ、どうするかを囁き合う。
そうして数秒が経過した時、今度は厨房の奥から誰かが顔を覗かせる。
「あ、義人ちゃんだー。もしかして今からご飯?」
優希だった。
兵士用の食堂の手伝いをしていたらしく、制服の上からエプロンを身につけ、手にはお玉を持っている。
「おお、ついさっき今日の分の政務が終わってな。志信は早めに夕食を取って夜の鍛錬をしてるし、一人で食うのも楽しくないからこっちにきたんだ。というか、優希も一緒に食わねえ?」
「うん、食べるよー。この時間から注文する人は少ないから、わたしが抜けても大丈夫だろうし」
エプロンを外し、優希は自分の分の料理をお盆に乗せていく。そして最後に厨房のほうへと顔を向け、『今日は上がりまーす』と声をかけた。
そのまま義人のほうへと向き直ると、嬉しそうに笑いながら義人の傍へと歩み寄って隣へと腰掛ける。心なしかその距離が近かったが、お互い子供の頃からの長い付き合いのため、気にすることはなかった。
優希が義人の隣に座ったのを見て、数人の兵士が傍に寄ってくる。
「ヨシト王。一緒に食べたいのは山々ですが、我々は馬に蹴られたくありません。そういうわけで、今日のところは……」
断り文句を言ってはいるが、微妙に冷やかし混じりだった。そして、義人にそんなことを言ってくれる兵士は限られている。
刀を腰に差してはいないが、間違いなく魔法剣士隊の兵士だ。
「馬? グエン隊長、どっか近くに馬でも繋いでるのか?」
かけられた冷やかしに、義人は素でボケる。それを聞いたグエンは無精髭を軽く撫でた。
「さて、ここは食堂ですからそんなことはないはずですが。私は騎馬隊の隊長ではありますが、馬ではないですしなぁ……」
相づちを打ったグエンも、どこかズレている。義人は一つ頷くと、遠巻きに見ている兵士に笑いかけた。
「ということで、みんなで一緒に食おうぜ。ほらほら、こっちに来いって。みんなで食べた方が美味しいだろ?」
そう言いつつ手招きをする義人に、兵士達は顔を見合わせる。そして諦めたように苦笑すると、それぞれ自分の料理を持って席についた。
「そんじゃ、いただきまーす」
合掌してそう言うと、義人は自分の夕飯に箸をつける。そして一口食べ、元の世界で食べ慣れた味に眉を寄せた。
「これは……作ったのは優希か?」
「うん、そうだよ。こっちに来てから、わたしが作る料理は“全部”義人ちゃん好みの味付けにしといたんだー。少し濃い味付けが好きだもんね?」
「ああ、美味いよ。うん、これは箸が進むな」
舌鼓を打ちながら料理を食べていく義人に、そんな義人を見て嬉しそうに笑う優希。時折会
話を交え、楽しそうに食事を取る。そんな二人を見ていた兵士も肩の力を抜き、各々の食事を再開した。
「そういえばみんな、訓練の調子はどうだ? 新しく軍を編成したけど、何か不満はない
か?」
皆がリラックスしたのを見計らい、義人は味噌汁を啜りながらさも世間話のように尋ねる。それを聞いた兵士達は箸を止め、僅かに考え込んで口を開いた。
「そうですね……訓練の調子は良好です。何かあったら班長に聞けばいいですし、軍の編成は
特に問題ないかと思います」
「たしかに。今までは何かあったら隊長か副隊長に指示を仰がないといけませんでけど、その点で言えば班長がいると気軽に聞けるから良いですね」
口々に答える兵士達に義人が頷いていると、数人の兵士が苦笑を浮かべる。
「ただ、シノブ様が訓練に参加された時はきついですね。歳はそう変わらないはずなのに、あれほどの腕を持っていることに驚きですよ。まあ、教え上手でもありますが」
「まあ、志信は自分の爺ちゃん……師匠と一対一で学んできたからなぁ。その分色んなことを学んだだろうし、教え方も真似ればいいしな。それにしても、やっぱり教える立場の人間は多いに越したことはないか……他には何かあるか?」
「シノブ様が来ると、ミーファ隊長のやる気が上がるんです。そのせいで、訓練量が平時の倍ぐらいになるのをどうにかしてください」
魔法剣士隊の兵士が涙ながらに呟く。だが、微妙に口元が笑っているあたりそれほど深刻な悩みでもなさそうだ。
「本人に直談判しろよ。『シノブ様が来たときに異常にやる気を出すのを止めてください』っ
て。多分、斬られるか焼かれるかのどっちかだと思うけど」
義人が笑い混じりに答えると、周りの兵士も一緒に笑う。そこで一度会話を切ると、義人はご飯を口に運ぶ。
もしもカグラがこの場にいれば、『食事中の会話は慎んでください』と注意するだろう。だが、遅めの夕飯を食べてくると言い残して逃げてきたのでこの場にはいない。今頃王用の食堂に姿がないことに気づいているかもしれないが、兵士達の話を聞くためだと言えば多分許してもらえる。
そんなことを少しだけ考え、義人は思考から追い出す。そして次は何の話を振ろうかと考えていると、隣に座っていた優希がくすりと笑った。
「義人ちゃん、ほっぺたにごはん粒がついてるよ?」
「ごはん粒?」
優希に言われ、とりあえず左頬に触れるがごはん粒の感触はない。それを見た優希は、楽しそうに指を伸ばして義人の右頬からごはん粒を取った。
「はい、取れたよ」
そう言って、そのままごはん粒を食べる優希。その表情はどことなく嬉しそうだ。
「あ、悪いな。少し考えごとしてたから気づかなかったよ」
ハッハッハ、と義人は笑う。だが、それを見ていた兵士達はニヤニヤしながら何事かを話し合っていた。そして、そのうちの何人かが楽しそうに話しかける。
「ヨシト王とユキ様はいつも仲が良いですね」
「いやまったく。うらやましい限りですなぁ」
「うんうん、ヨシト王にあやかりたいものです」
完全に冷やかしだった。しかし、義人は首を捻る。
「幼馴染みだしなぁ……これくらい普通じゃないか?」
「だよね?」
『普通じゃないです』
「……そうか」
異口同音で兵士が唱和し、義人は頬を掻く。優希はまったく気にせず、笑顔のままだ。
「しかし、夫婦というわけでもないのにお二人は本当に仲が良いですな」
そんな二人を見ていたグエンは楽しそうに呟く。それを聞いた義人は、何か思いついたよう
に目を瞬かせた。
「そういえば、この国って結婚に関してどんな法律があったっけ? その辺は調べたことなかったんだけど」
「法律、ですか?」
「そう。俺の世界だったら男性は十八歳以上、女性は十六歳以上じゃないと結婚できないんだ。そういう年齢的な制限とかは決められてないのか?」
「そうですなぁ……年齢によって結婚が出来る出来ないというのはありません。まあ、政略結婚で幼い子が他国に嫁ぐこともありますしな」
「ふーん。そういうもんか」
「あ、それと一夫多妻制ですな」
「ぶふっ!?」
最初のグエンのように、思わず吹き出す義人。そして数回深呼吸すると、遠い目をして口を開く。
「一夫多妻制とは……さすがファンタジー。侮れねぇな」
侮れないも何も、元の世界でも一夫多妻制は存在するためファンタジーは関係ない。
「前王は何人も妻を娶っていましたが……ヨシト王はどうされるのですか?」
遠い目をしている義人を見た兵士がどこか楽しそうに尋ねる。それを聞いた優希の目元が僅かに動き、義人は飛んでいた思考を元に戻して苦笑した。
「どうするも何も、三年……あと二年と九ヶ月ぐらい経ったら元の世界に帰るしなぁ。国の建て直しに、召喚国主制をどうにかすること。その他にも色々とすることがあるだろうし……」
「ヨシト王は元の世界に帰られるのですか!?」
これから先のことを述べていた義人を遮り、数人の兵士が腰を浮かせて悲鳴染みた叫び声を上げる。その驚きっぷりに、義人は逆に驚いて目を何度か瞬かせた。
「な、なんっすか……そんなに大声を出すようなことっすか?」
思わず体育会系的な敬語で兵士を見る義人。そんな義人の挙動に、兵士は浮かせた腰を落ち着けてから頭を下げた。
「あ、いえ、失礼しました。しかし、ヨシト王が元の世界に帰られては国の行く末が……」
「いやいや、だからそれを三年でなんとかするんだよ。召喚国主制の代わりに新しい制度を導入して、国を運営できるようにする。そして、俺と優希と志信の三人で無事に元の世界に戻る。それが俺の目標。難しいかもしれないけどな」
迷いなく言い切る義人に、グエンや兵士は何も言うことができない。
元の世界ならともかく、カーリア国の人口は八万人ほど。日本の現在の総人口に比べれば、千分の一もいないのだ。それに、この国の人間は王の言うことには盲目的に追従するところがあるのでかなり楽だろう。
最大の問題は、元の世界に戻るための方法である。
魔力が回復したカグラなら元の世界に戻せると聞いているが、義人としては手段が一つしかないのは不安に感じてしまう。
―――城の書庫でも漁ってみるか……それとも、ゴルゾーにそれとなく他の方法を調べてもらうかな?
夕飯を口に運びつつ、表面上はいつも通りに振舞いながら思考する。いくつかの案が頭の中を飛び交い、義人はそれを整理していく。
ところどころ元の世界の常識が通用しないために、慎重に行動しなければならない。
そうやって義人が色々と思案していると、不意に嫌な予感がした。
「……なんだ?」
本当に突然である。義人は急に、この場から逃げたくなった。
思わず周囲を見回し、何か変わったことがないかを確認する。だが、食堂の中に不審な点はどこにもない。不審な人物もいないし、見慣れぬ物が置いてあるわけでもない。
気のせいかと義人が首を傾げた瞬間、“彼女”はやってきた。
「何をしているんですかヨシト様っ!」
そう、カグラである。
王が使う専用の食堂に義人がいないことに気づいて探していたのか、全力疾走からスライディングで滑り込むような勢いでの登場だった。
その後ろにはサクラと兵士数名が付き従っており、割と本気で探していたらしい。
「王用の食堂に姿が見えないと思ったら、兵士用の食堂で何をしているんですか!?」
「何って……夕飯? 晩飯? って、どっちもあまり変わらないか」
「そんなことはどうでもいいです! どこかに行かれる時は供に誰かを連れて行ってください! それと、行き先もきちんと仰ってください!」
そう言いながら距離を詰め、カグラは義人の首根っこをつかむ。そして軽々と体を持ち上げると、まるで猫でも連れていくかのように義人を持ったままで移動を始めた。
「あ、あれー? ちょっとカグラさん。何か最近、俺の扱い酷くないっすか?」
「自業自得です!」
引きずるカグラに、引きずられる義人。抵抗する気もなく、抵抗してどうにかなる気もしない義人は、呆然としている兵士達にとりあえず笑顔を向けた。
「また今度来るわー。その時は俺の世界の話でもするから」
「ちゃんとご自分の食堂で食事を取ってください!」
引きずられたままで手を振る義人に、カグラは注意をする。兵士達は何の反応も取れずにそれを見送り、義人達はそんな兵士達の視線に気づかず先へと進んでいく。
「いやいや、兵士達とのスキンシップ……交流も大事だと思うんだ」
「それはそうですけど、ヨシト様が自ら出向くことはないはずです。言っていただければ交流の場を設けますから……」
「それじゃあ意味がないんだって。飾らない日常に紛れ込むからこそ意味があってだな……」
どんどん遠ざかっていく義人達。それを追うように優希も立ち上がり、食堂の出口へと歩いていく。そして、出口で一度止まると楽しそうに振り返った。
「お騒がせしましたー」
お辞儀を一つ残し、優希は駆け出す。
それを見送り、兵士達は緊張を解いた。
「……ふぅ、やれやれですな」
嵐が去ったように静けさを取り戻した食堂で、グエンは苦笑を零す。
今日も一日、平和である。