第四十三話:屯田兵計画
いつものように執務室で政務をこなしていた義人は、一枚の紙を前に眉を寄せていた。
部屋の中には義人とサクラしかおらず、カグラはアルフレッドと協議。志信は魔法隊で訓練。優希は厨房で元の世界の料理を再現しようとしている。
「あちこちの村で魔物による農作物荒らしや人的被害が増加中……人的被害において死亡者はいないものの、重傷者も出ている、か」
書いてある文を読み上げて、寄せた眉をさらに寄せる。
税率も六割に引き下げられ、最近はそれらに関する書類はほとんどなくなってきた。しかし、今度はそれを待っていたようにこういった問題が持ち上がる。
傍に置いておいた湯飲みを手に取り、義人は眉を寄せたままで温くなったお茶を飲み干す。そして湯飲みを元の場所へと戻してため息を吐いた。
「うーん……元の世界には魔物なんていなかったからなぁ」
どう対処すれば良いか、皆目検討もつかない。いっそのこと森を焼き払ってみようかと物騒な考えが義人の頭を過ぎったが、すぐさまそれを打ち消す。
それで森の中から魔物が逃げ出して被害が出たら本末転倒だ。それに、住む場所が減れば下級以上の魔物が森から出てくるかもしれない。
魔物の中でも食物連鎖のようなものがあり、ある程度の下級の魔物は中級の魔物の食料になる。中には草食の割に強かったり、魔力だけで生きることができる魔物もいるので微妙な食物連鎖だが。
ちなみに上級の魔物はほとんどが知性を持ち合わせているため、食料として無駄に他の魔物を襲うことはない。中には姿を変えて人間の生活の中に溶け込んでいる魔物もいるというのだから驚きだ。
義人はそのまま椅子に背を預け、傍で書類の整理をしていたサクラへと目を向けた。
「なあサクラ。この時期って、いつもこんな感じで魔物による被害が多くなるのか?」
そう話しかけると、サクラは書類整理をしていた手を慌てて止める。
「そ、そうです。もうちょっとしたら魔物の繁殖期になるので、食べ物を求めて森の中から出てくることが多いんです」
「森の中の食料だけじゃ足りないのか?」
「それもあるんですけど、えっと、下級の魔物を餌にしようとする中級の魔物がいるので、下級の魔物が森から逃げて出てくることもあるみたいです」
「……おお、なんてはた迷惑な」
森を焼き払うのはやっぱり駄目だったかと義人は内心で呟く。やはり住む場所が狭くなれば、逃げる魔物も多くなるだろう。
そもそも、魔物とて生きているのだ。ゲームのように一方的に滅ぼすわけにもいかない。
「そうですよね……あ、お茶のお代わりはいかがですか?」
「ああ、もらうよ」
急須でお茶を注いでもらい、義人は早速口をつける。義人が飲みやすいよう適度に温くしてあり、サクラのその心配りに感謝した。
「ふぅ……お茶を飲むと落ち着くなぁ。でも、たまには炭酸を飲みたくなるぜ」
夏の日差しも強くなってきており、それに比例して気温も上がってきている。元の世界ほど暑くはないが、それでも最高気温は三十度近くあるだろう。
こんな時は無性に炭酸飲料が飲みたくなるな、と義人は内心で苦笑した。
「炭酸ってなんですか?」
可愛らしく小首を傾げるサクラ。どうでも良いことだが、来ているメイド服は夏仕様で生地が薄めだ。もっとも、それでも長袖であり、暑くないのかと義人は時折疑問に思ったりする。
「炭酸っていうのは、俺の世界での飲み物でね。二酸化炭素が水に溶けている炭酸水を使った飲み物なんだけど……二酸化炭素はわかるよな?」
この世界ではその手のことがどれくらい解明されているかわからなかった義人は、一応サクラに尋ねた。するとサクラは少しだけ考え込み、思い出したように頷く。
「は、はい。そのくらいなら」
「そっか。それで、炭酸水を使った飲み物なんだけど、飲み心地がなんとも言えない飲み物なんだ」
「そうなんですか。どんな飲み心地なんです?」
「そうだな……シュワシュワ?」
「しゅわしゅわ?」
抽象的な表現だと義人は自分でも思ったが、炭酸ならシュワシュワだろうと一人納得する。対するサクラは先ほどよりも首を傾げていた。
「しゅわしゅわ……」
擬音のような言葉を呟きながら考え込むサクラの様子に少しだけ癒されつつ、義人は執務机の引き出しを開ける。そして、カーリア国軍の部隊がどれだけ魔物退治に出撃したかを記録した紙を取り出した。
「んー、なるほど。たしかに以前と比べると出撃の回数も増えてるな」
以前の出撃数と最近の出撃数を比較して頷く。次に、どの部隊がどれだけ出撃したかを確認する。
「ふんふん。第一魔法剣士隊と騎馬隊が多いな。やっぱり機動力かねぇ? その次が魔法隊と第二魔法剣士隊。その次が第一歩兵隊と弓兵隊のセット。第二歩兵隊は少し……」
そこまで読んで、義人は首を傾げた。
「第三歩兵隊は? あれ? 載ってないぞ?」
もう一度資料の紙を見るが、第三歩兵隊は載っていない。他にも紙があるのかと引き出しを漁るが、見つかることはなかった。義人が最初の資料に視線を戻し、端から端まで読み直しているとサクラがおずおずと口を開く。
「第三歩兵隊は、その、練度が低いので……」
非常に言いづらそうな口調だったが、その言葉の意味が十分に伝わった義人の頬が僅かに引きつった。
「魔物退治に派遣したことがないと?」
そんな馬鹿なと義人は言いたくなったが、思い返してみれば確かに第三歩兵隊を魔物退治に向かわせた記憶がない。
義人は再度引き出しを開けると、今度は志信に書いてもらった各部隊に対する報告書を取り出した。無駄に達筆で書かれた報告書を取り出すと、第三歩兵隊のところを読み進めていく。
「『全体的に運動能力に難あり。武器を振るうにはまだ筋力が足りていない。まずは基本的な筋力トレーニングから教えているが……新兵の寄せ集めの部隊を作るよりも、各地の村で農作業に従事させたほうが良いかと思う』。うん、これは酷い」
報告書を読み上げ、義人は思わず頭を抱えた。
カーリア国軍の内訳は、志願してきて兵士になった者と元々が兵士の家系だった者に分かれる。
各地の町や村から志願してくる者、親の跡を継いで兵士になる者。
大抵はそのどちらかなのだが、前者の場合は完全に素人であることが多く、後者の場合は親から手ほどきを受けていることが多い。そのため、戦力という点では両者間に大きな開きがある。
もっとも、他国の軍と比較すれば両者は団栗の背比べでしかないのが悲しい現実だったりするが。
この第三歩兵隊は村から志願してきた者が多く、半数が少年少女と呼んで差し支えない年齢のため練度が著しく低い。その上、志願と言っても食い扶持に困った親を助けるために兵士になった者も少なくなかった。そのため中々成長が見られず、魔物退治に派遣するには不安がある。
「でも、兵士は必要だしな。しかし、訓練させるだけではかけた時間と金が勿体無いか。どうしたものかね……」
第三歩兵隊を解散させるのも手だが、それでは今までかけた時間と金が無駄になる。税金横領の芽を潰したとはいえ、税率を六割に下げたため国の財政に余裕はないのだ。
「となると、やっぱり屯田兵にするしかないか。サクラ、この世界にも屯田兵っているよな?」
なにやら考え始めた義人の邪魔をしないよう、傍で控えていたサクラへと話を振る。すると、サクラは目を瞬かせた。
「屯田兵ってなんですか?」
「いないのかよ!」
予想が外れて思わずツッコミを入れる義人。
「す、すみません!」
ツッコミを入れられたサクラは、反射的に慌てて頭を下げた。
「いやいやいや、怒ってないから! ただのツッコミだから!」
頭を下げたサクラを宥め、すぐに頭を上げてもらう。そして一息ついて、屯田兵について説明をしていく。
「屯田兵っていうのは、普段は農業に従事している兵のことだよ。未開発の土地を開墾したり、有事の際は兵士として戦ったり、それ以外は農業をしながら過ごすんだ。農業は体力を使うし、鍬とかを振るえば筋力もつくしな」
この国の場合、有事とは魔物と戦うことだ。他国と戦うつもりはないので、敵と呼べるのは魔物か山賊や盗賊ぐらいしかいない。
屯田兵なら農業をしながら魔物を退治して経験を積むことができ、なおかつ魔物による被害を減らすことができる。
「うん、いいな。自分の生まれた村で屯田兵をさせれば土地勘もあるから魔物相手にも有利に戦えそうだし、自分の生まれた村を守るってことでやる気も出そうだ」
そこまで呟いて、言葉を切った。それを実行するにはいくつか問題があり、それに対する案も考えなくてはならない。
それは、第三歩兵隊を屯田兵にしても魔物相手に勝てなければ屯田兵の意味がないことだ。戦えなければ農民と大差がない。
実戦経験がほとんどなく、下級の魔物相手にも苦戦する練度では不安がある。
「他の部隊も屯田兵に……いやいや、それじゃあ治安維持が大変だし、敵は魔物だけじゃないしな。ここは、他の部隊から屯田兵に戦いを教えられる人材を少しずつ派遣させるか」
そうすれば屯田兵にした兵士だけでなく、現地の農民を鍛えることもできるだろう。そうすれば、有事の際の戦力を増やすことができる。
しかし、そうなった場合今度は派遣する人材が問題になってくる。
屯田兵や農民を鍛えることができる実力を持ち、なおかつ指揮も執れなくてはならない。他人に何かを教えるには自らもそれに精通していなければならないし、ある程度教養も必要だ。
そこまで考えた義人は、ため息と共に軽く頭を抱えた。
「人材不足が痛いな、こりゃ」
各部隊の隊長を屯田兵にするのはもちろん不可である。
部隊全体の指揮を執る人間を指導や指揮する立場とはいえ、屯田兵として村に派遣しては本人も不満に思うだろう。
そうなると隊長や副隊長よりも下の人間になるが、カーリア国軍には中隊長や小隊長、班長などといった役職はない。部下の指揮は全て隊長か副隊長が執ることになっている。
もしも戦争で両方とも討たれてしまえば、その軍は一気に瓦解してしまう。
いたるところに前王の負の遺産があるが、他国との戦争がないがために簡略化されすぎた軍もその影響を受けていた。
「あー、まずは軍の編成を見直しか。次に派遣する人材選び。その辺は志信やミーファ、カグラやグエン隊長に頼むかな」
他人任せだが、こればかりは仕方ない。性格や人となりなら義人でもある程度わかるが、戦う術など門外漢もいいところである。
「ま、適材適所かね。よし、それじゃあサクラ。悪いけどカグラを呼んできてもらえるかな?」
「あ、わかりました。すぐにお呼びします」
サクラは小さく頭を下げ、少々慌てた様子で執務室を後にする。小走りに走り去るサクラを見送り、義人は軽く息を吐いた。
「別にそこまで急がなくていいんだけどなー」
そう言った瞬間、微妙に閉まっていない執務室の扉の隙間を通って人が転ぶような音と『きゃっ!』という悲鳴が耳に届く。どうやら、サクラが転んだらしい。その光景が簡単に想像できて義人は小さく笑みを零す。
「あれで俺の何十倍も強いっていうんだから、この世界は怖いよな」
もっとも、小動物のような仕草や転んだりするのも、全てが演技という可能性もあると義人は考えていたが。
「だったら怖いな、っと。サクラが戻ってくるまで他の書類を片付けとくか」
そう呟いて、義人は自分の裁量だけで判断できる書類に手を伸ばした。
サクラから義人が呼んでいることを伝えられたカグラは、丁度話し合いをしていたアルフレッドに頭を下げた。
「それでは、わたしはヨシト様の元へ戻りますね」
「うむ。残った書類は儂が片付けておこう」
「いえ、それはわたしが……」
「気にするでない。お主はヨシト王を最も補佐する立場の人間じゃ。この程度の雑事など、この年寄りに任せておけば良いんじゃよ」
カグラの言葉にアルフレッドが好々爺染みた笑みを浮かべる。
カーリア国では宰相と召喚の巫女は立場で言えば同格だが、カグラはアルフレッドに対して常に自らを格下の者として接している。これは年齢的なものもあるのだが、能力的にもアルフレッドのほうが遥かに上だからだ。
アルフレッドは人間でなく、エルフである。
人間とは違って寿命が長く、非常に長命。その人間の何倍もある長き生で身につけた知識の量はカグラの数倍あり、しかも他分野に渡って博識である。その上エルフという種族は魔法の才に秀でてもいた。
もしもアルフレッドがカーリア国にいなければ、義人を召喚する前に国が滅んでいたとカグラは思っている。
国民にこの国で最も重要な人物は誰かと尋ねれば、皆が王の存在を挙げるだろう。しかし、カグラの立場から言えばアルフレッドも同じくらい重要な人物だ。
エルフであるアルフレッドを人物と呼ぶかは微妙なところだが。
カグラは傍で待機していたサクラを伴い、義人の執務室へと向かう。
時折すれ違う文官や武官、兵士からかけられる挨拶に返事を返しつつ、薄い絨毯張りの廊下を歩いていく。
「それで、ヨシト様は今度は一体どんなことを言われたんですか?」
歩みは止めず、斜め後ろに追従するサクラへと尋ねるカグラ。それを聞いたサクラはすぐに返答する。
「それが、『屯田兵』というものがどうとか……」
そう言いながら、義人との会話をカグラへと話す。それを道すがら聞いたカグラは、ふむと一つ頷いた。
「兵士に開墾や畑仕事をさせ、有事の際は敵と戦わせる、ですか。町村の自衛団を強化したような感じですかね?」
魔物が暴れ回るこの世界において、自衛団を形成する町村は珍しくない。正義感がある腕自慢の若者などが集まり、外敵に対する備えを整えるのはある意味当然と言えるだろう。裕福な権力者などは独自に傭兵を雇っているところもあるくらいだ。
しかし、傭兵はともかく自衛団の民兵はそこまで強くない。農作業などで体力はあるが、魔物を相手にするには能力不足な感がある。
カグラも第三歩兵隊の練度は知っているが、自衛団の民兵と比べればまだ第三歩兵隊のほうが上だ。兵の半数が若く、経験が少ないとはいえ剣の振り方も知っている。
税率が六割に下がり、金が消費されて商業が発達するまでは国の税収も減ってしまう。それでも、税金を横領している者がいなくなったために国政はなんとか無事に回っているが、余剰戦力を抱える余裕はない。
その余剰戦力は大した戦力にならないが、下級魔物ぐらいなら追い払えるだろう。一対一なら厳しいが、集団で戦えば追い払えるはずだ。
……追い払えますよね?
少し遠い目をしつつ、カグラは内心だけで呟いた。
外交を行うのは大半がアルフレッドだったが、カグラも他国へと外交で赴いたことがある。 その際にその国の軍の訓練風景をこっそり見たことがあるが、自国の軍と比較すると暗澹たる気持ちを覚えたものだ。
「ヨシト様の案に期待するとしましょうか……」
サクラに聞こえない程度のため息を一つ吐き、カグラは執務室へと急いだ。




