第三十五話:ハクロア国の使者
エンブズの一件から五日ほど経ち、城の中は大分落ち着きを取り戻しつつあった。
各々が今まで通り仕事に励み、義人達もいつも通りの生活に戻りつつある。
今回の騒動でエンブズに道具を売った商人のベッソンは、何の罰もないのでは示しがつかないので罰金百万ネカで釈放。それと、違法な物は取り扱わないように言ってある。
税率を六割に引き下げるために片付けなくてはならない仕事もある程度片付け、下げられるところから順次引き下げていく。
税率引き下げの報を聞いた国民は諸手を上げて喜びの声を上げ、その喜びと感謝を綴った手紙が義人のところへと多く届いていた。
「うーん……ここまで喜ばれると、俺も嬉しくなるなぁ」
政務の合間に休憩を兼ねて手紙を読み、義人は頬を緩める。誰かに感謝されるというのはむず痒いが嬉しいもので、それが手紙という形で大量に送られてくれば尚更だ。
使える金が増えたということは消費する金も増えるということで、商業が今より活発になるだろう。そうすれば他の分野にも影響を及ぼし、今よりも生活の質が向上するのではないかと義人は思っている。
「はい、ヨシト様。お茶です」
「お、ありがとサクラ……っと」
サクラから差し出されたお茶を反射的に受け取り、顔を見て思わず目を逸らす。
「どうかしましたか?」
それを見たサクラは、不思議そうな顔で首を傾げた。
「いやいや、なんでもないよ。うん、なんでもない」
動揺を表に出さないよう気をつけ、義人はお茶を啜る。
「なんでもないと言われましても、今日だけで四回まったく同じことをおっしゃられてはわたしも気になります。ここ最近、毎日ですし……」
「ぶっ!」
サクラの切り替えしに、義人は思わずむせた。何度か咳をしながら、たしかに最近サクラの顔を見るたび同じことを言っていたなと自省する。
「あの、もしかしてわたし、知らない間に何か粗相を?」
言いあぐねていた義人を見たサクラは、怯えたように身を小さくして義人の様子を窺う。
「いやいや、なんでもないよ。うん、なんでもない」
そんなサクラを安心させようと慌てて口を開く。
「それで五回目です……ヨシト様」
言われて、義人の頬が引きつる。サクラは義人へと近づくと、懇願するような表情を浮かべた。
「お願いですヨシト様! 何か至らぬ点があったのならおっしゃってください! すぐに改めますから!」
「ちょ、近いっす! 近いですサクラさん! そんな見上げるように潤んだ瞳で俺を見ないでください!」
下から見上げるように自分を見てくるサクラに、義人は慌てて身を引く。
義人がここまでサクラに対して動揺しているのはもちろん、エンブズの一件が原因である。しかし、その表情に浮かんでいるのは恐怖などではなくただの羞恥心と照れだ。
サクラの姿を真似た『お姫様の殺人人形』に襲われて以来、義人はこんな調子だった。
殺されるかもしれないという極限状態で見た光景は鮮明に記憶に残っており、元々記憶力の良い義人は細部まで思い出すことができる。
そして、その記憶力が問題だった。あの時はまったく気にする余裕がなかった“あるもの”を今更ながらに鮮明に思い出してしまい、サクラに対してどう対応すればいいか困っているのである。
義人の視線がサクラの顔から少し下のふくらみへと向き、すぐさま目を逸らす。
幼馴染みである優希やカグラに鈍感だと言われる義人ではあるが、その分“その手”のことに弱かったりもする。
義人本人の名誉のために言えば、義人も“男の子”であり、思春期真っ盛りだ。しかし、偽者だったとはいえいきなり知り合いの女の子に迫られたとあっては平静を保てない。
サクラにも、サクラの姿を真似た『お姫様の殺人人形』が襲ってきたとは言ってあるが、どういう風に襲ってきたかまでは伝えていなかったのも原因の一つである。
―――落ち着け俺! 落ち着くんだ俺! あれは人形だった。本物のサクラじゃないんだ。だから落ち着いて対処しろ。さあ、サクラの目を見ていつも通り話しかけろ!
一心に念じ、義人はサクラの視線を正面から迎え撃つ。
「本当になんでもないんだ。ちょっと気になることがあっただけで、それは今解決したから。サクラは何も気にしなくていいよ。あ、お茶のお代わりもらえるか?」
少し棒読みだったが、心を落ち着けてそう言い放つ。
「あの、お茶はまだいっぱい入ってるみたいですけど……」
言われて手元の湯飲みに目を向けてみれば、まだ七割ほどお茶が入っていた。
どうやら、思ったよりも冷静になれていないらしい。
義人はそんな自分が情けなくなったが、いずれ時間が解決するだろうと決め付けることで精神を落ち着かせる。
「さぁて、仕事仕事っと」
そして、とりあえず逃げた。
およそ午後二時。義人が七回目の鐘の音を聞きながら政務を片付けていると、扉をノックしてからカグラが入室してきた。
カグラにはそれなりに権限が与えられており、義人の代わりにある程度までの仕事なら独自の裁量で決定することができる。そのため城のあちこちに赴いており、最近では義人の傍にいることが以前よりも減っていた。それでも、一日の半分近くは義人の傍で政務を共にこなしているのだが。
そんなカグラが、珍しく戸惑った表情を浮かべながら口を開く。
「ヨシト様、謁見の申し出があるのですが……」
「謁見? ゴルゾーか?」
謁見と言われてすぐに思い浮かんだのは商人のゴルゾーだった。しかし、ゴルゾーには直接執務室に来ても良いと言い含めてあるのでそれはない。
ちなみに今回の件でのゴルゾーへの報酬は金ではなく、エンブズの屋敷にあった美術品数点だ。ゴルゾーからの希望だったのだが、自分なら高値で売り捌けるからそちらのほうが良いらしい。
しかしカグラは戸惑いを口調に乗せて、謁見者の素性を述べた。
「それが、ハクロア国からの使者が来ていまして」
「…………は?」
言われたことが少し理解できず、間を置いてから首を捻る。
「ハクロアって……エンブズが逃げ込んだ国だよな?」
「はい」
「おいおい、本当か? まさか戦争を仕掛けにきたんじゃないだろうな?」
冗談混じりに言ってみるが、もしそうなれば大事だ。ただでさえ国内が安定していないし、この国の兵力は低い。そんな義人の懸念に、カグラが首を横に振った。
「たしかにハクロア国は好戦的な国ですが、それはないかと。その、こういってはなんですが、我が国を相手に戦争を仕掛ける利点がありません」
「……うん、俺の立場でいうのもなんだけど、たしかに利点はないよな」
国力は低く、独自の生活様式を築いているこのカーリア国を支配してもメリットなどない。
なら何故きたか? それを考えるが、情報が少なすぎてわからない。
義人は少し思案していたが、すぐさま立ち上がって指示を出す。
「ひとまず謁見の間に行くとしよう。その使者とやらに会わないとどうしようもないしな。一応、警戒のために志信とミーファも呼んできてくれ」
「はい、わかりました」
義人の指示を聞いたカグラが執務室から足早に出て行く。義人はそれを見送ると、王のマントを身につけて王剣を腰に差した。
『さて、ノーレはどう見る?』
そして、すぐさま王剣ノーレへと話しかける。
『そうじゃな……同盟の申し出か、はたまた別の理由か。こうも情報が少なくては妾でも推察すら困難じゃ』
『やっぱりそうだよな』
ノーレでもわからないらしく、義人は思念通話を止めて謁見の間を目指す。
エンブズの一件以来城の中を警備している兵の数は増えており、出会う度に膝をついて頭を下げられるのには困ったが、今は笑って頭を上げさせる余裕はない。
とりあえずいつも通り苦笑だけ浮かべながら、義人は謁見の間へと向かった。
義人が謁見の間に足を踏み入れると、すでにハクロア国の使者らしき者達が膝をついて頭を下げている。人数を数えてみれば、その数三人。
義人はひとまず王座に座ると、急いできたらしい志信とミーファが控えていることを確認した。そしてカグラが傍に立ち、義人は口上を考えてから口を開く。
「さて、まずは顔を上げてもらいたい。ハクロア国の使者とのことだが、一体どういった御用向きかな?」
ひとまずそう言うと、使者達が頭を上げる。そして使者の一人が慇懃な態度で口を開いた。
「我がハクロア国の国主より書状を携えて参りました」
「書状?」
使者がぎこちない日本語と共に白い木箱を取り出し、傍にいた兵士がそれを受け取る。そして箱を開けて危険がないことを確認すると、今度はカグラへと手渡した。
「魔法を使った仕掛けもありません。それではヨシト様」
魔法による仕掛けがないことを確認すると、今度は義人へと渡す。義人は木箱を受け取ると、中身の書状を取り出して広げた。そして、小さく呟く。
「……読めん」
書状に書かれていた文字は、日本語でなくまったく別の言語である。おおよその国で通じるコモナ語と呼ばれるものだが、異世界出身の義人に読めるはずもない。
「すまん、カグラ。ちょっと読んでくれないか?」
仕方ないので書状をカグラに渡し、読んでもらうことにした。
書状に書かれていたことは、大まかに説明するとこうなる。
曰く、王都に不法侵入をした者を手討ちにしたこと。その不法侵入した者がエンブズであり、不法侵入に対する抗議と手討ちに対する詫び。
それらがつらつらと書き綴られており、義人は眉を寄せた。
「不法侵入? エンブズはハクロア国に登用されたと言って喜んで飛んでいったんだが、不法侵入なのか?」
裏切って、などとは言わない。向こうもそれは知っているだろう。そんな意図を込めた言葉に、使者は首を傾げた。
「はて、登用とは? そのような話は窺っておりませんが?」
初耳だと言わんばかりのその態度に、義人はさらに眉を寄せる。
「エンブズ殿はそちらからの密偵ではないのですか? そう判断されて兵士に斬られたのですが」
「密偵? あんな密偵に向かない奴を密偵にするわけないだろ」
「そうですか。ですが我が国は戦時中でしてな。怪しい動きを取られては、こちらとしても相応の対応を取らなくてはならないのですよ」
義人を侮っているのか、それともカーリア国を侮っているのか。それともその両方か。使者の態度はすこぶる悪い。
「それでエンブズを殺したってわけか。だけど、よくエンブズがこの国の人間だとわかったな?」
その態度に感化されてか、義人も態度を少し変える。何故殺したのがエンブズというカーリア国の人間だとわかったのか、それを追求していく。
「エンブズ殿の顔を知っている商人がいましてな。それで知ることができました」
使者は義人の言葉をさらりとかわす。
商人が様々な国を股にかけて行商するのは珍しいことではない。それなら何故都合良くエンブズの顔を知っている商人がいたのかと言いたかったが、使者の顔を見る限りその答えも用意してあるのだろう。
義人は一度口を閉じ、王座に背を預けた。
「それで? 書状には不法侵入に対する抗議と、エンブズを殺したことに関する詫びが書かれてあるが、具体的にどうしたいんだ?」
追求を止めた義人に使者は僅かに目を細める。そして一拍の間を置いて口を開いた。
「痛み分けにする、というのが我が国王の意向です」
「おいおい、こっちは財務大臣を殺されて、そっちは不法侵入をされただけだろ? それで痛み分けっていうのはおかしな話じゃないか」
本当はそんなことなど思っていないが、義人は使者に噛み付く。すると、使者は薄い笑みを浮かべた。
「では、エンブズ殿が戦時中の我が王都へと不法侵入したのはそちら側の指示と判断して良いのですね?」
使者の言葉に、義人は再度口を閉ざす。
それを認めてしまえば、事実とは異なるとしても先程の密偵という言葉を肯定することになりかねない。
密偵でなくても、向こうが密偵と断定して押し通す気だろう。しかもハクロアは戦時中だ。そんな中で密偵を送り込んだと判断されれば、戦端を開く理由にされるかもしれない。それでもこのまま話を終わらせる気がない義人は、別の方面から攻める。
「それじゃあ、いきなり襲い掛かってきたガルアスについてはどう説明する気だ? エンブズを手引きするためにそっちから送ってきたんだろ?」
義人がそう言うと、使者は表情を変えずに再び首を傾げた。
「はて、ガルアス? 誰ですかな、それは」
これもとぼける気らしい。
たしかにガルアスがハクロア国の人間だという証拠はないし、偽名の可能性もある。その上、目の前の使者は義人よりも交渉事では上手だ。追求しても簡単にかわすだろう。
義人は内心で怒りの感情を殺しつつ、頭では冷静に考えを進めていく。
証拠がなくては相手を糾弾することもできず、このまま食ってかかれば相手側が反撃に出てくる可能性がある。
「……わかった。痛み分けだとそちらの国王に伝えてくれ」
だから、義人には頷くしかなかった。
証拠を集めて正式に抗議をしたい気持ちもあるが、証拠になるものを残しておくほど相手も馬鹿ではないだろう。
「承りました。いや、お話が早くて助かります」
まさに慇懃無礼と言うべきか。国力差のあるカーリア国を見下す使者は含み笑いをしつつ、 他の使者に目を向ける。すると傍に置いていた大きめの木箱を手に取った。
「では、こちらをお渡しいたします」
「それは?」
「エンブズ殿でございます」
サラリと告げる使者に、義人は目を見開く。
「エンブズ、だと? そのどう見ても人の頭くらいしか入らないようなものが?」
嫌な予感がするが、それでも指摘する。すると使者は感心したように頷いた。
「ご名答です。さすがに体まで持ってくるのは大変でしてな。こちらは首桶でございます」
カグラが控えている兵士に目配せすると、兵士が頷いて木箱を受け取る。そして中身を見るなり顔を青くした。
「た、たしかに、エンブズ様です……氷付け、ですが」
「腐敗防止のための処置です」
何でもないように使者は言葉を挟む。義人は右手を握り締めつつ兵士に目を向けた。
「弔ってやってくれ」
「はっ!」
例え横領した上に反逆したエンブズだが、死んでしまえば恨んでも仕方ない。義人は感情を見せないように心がけつつ、使者に向き直る。
「他に何かあるか?」
「いえ、ありませんな。それでは、失礼いたします」
おざなりに頭を下げ、使者達が退出していく。義人はそれを睨むように見送り、姿が見えなくなるなり歯を噛み締めた。
こちらが国として正式に抗議する前に、先手を打ってきたのだろう。武力を背景に知らぬ存ぜぬを主張し、しつこいようなら威嚇する。単純だが実に効果的だ。
元の世界なら国際連合や国同士の貿易、周囲の国からの風評などの関係があるため到底できないことだが、ここは力がある国が上に立つ世界。抗議して実力行使に出られれば、大きな被害を受けてしまう。
「くそっ……」
小さく吐き捨てる。個人の喧嘩ならともかく、国全体に関わる喧嘩など吹っかけるわけにもいかない。それも、負けるとわかっている喧嘩なら尚更だ。
別段、エンブズのことを悼んでいるわけではない。たしかに人が死んだのは初めての経験だが、目の前で死なれたわけではないため義人自身でも意外なほどに感情が波立たない。ただ、相手のやり口が義人は気に食わなかった。
「ヨシト様、ハクロア国に向かわせている調査隊はどうなさいますか?」
そんな義人を気遣ってか、カグラの声はいつもより柔らかい。
「……これじゃあハクロアを探る意味もない。それに、その調査隊も不法侵入だと絡まれても困るしな。すぐに呼び戻してくれ」
「わかりました」
頷くカグラを横目に、義人は立ち上がる。気分が滅入っているが、片付けるべき仕事はまだいくらでもあるのだ。
義人は何とか気を落ち着けて執務室へと向かう。それを見た臣下達も各々の仕事場へと戻っていく。
ただ、ミーファだけは気の抜けた表情で、いつまでもその場に立ち尽くしていた。