第三十二話:突入
王都フォレスの南西に、エンブズの私邸は建っていた。
エンブズの私邸は広く、庭だけでいけば三千坪は超えているだろう。
家の作りは西洋風で、屋敷と形容するのが相応しい威容。二階建てだが一階ずつでもかなりの高さがあり、日本建築の四階建て並の高さがある。
屋敷自体も広く、百人以上住めそうな大きさだ。その周りをぐるりと塀が取り囲み、少数ながらも見回りの兵士がいる。
それを、魔法剣士隊と騎馬隊の総勢三百人で取り囲む。それだけで見回りの兵士が逃げ出したが、構っている暇はない。
「カグラ、先にここに向かわせた兵はどこだ?」
義人は馬から下りると、同じく馬から下りたカグラに尋ねる。カグラはすぐに辺りを見回すが、それらしい者はいない。
「おかしいですね……もし城に向かっていたとしても、今来た道の途中で鉢合わせたはずです」
「となると、答えは一つだな」
『無効化』の棍を手に、志信がエンブズの私邸を見据える。その言葉に義人は頷く。
「エンブズが伝令の兵をどうにかしたか……くそ、殺してないだろうな?」
「可能性は低くない。義人、お前はここに残ってくれ。俺とミーファ、グエン殿。それと数名の兵士を連れて突入する」
そう言うなり、志信は部下の指揮を執っていた二人を呼ぼうとする。だが、義人はそんな志信の肩をつかんだ。
「まあ、待てよ志信。俺も行く。今回の事件は俺の見通しの甘さが招いたことだしな」
「ヨシト様、それは違います! 今回の件はわたしの」
「あーあー。聞こえなーい」
カグラが自責を訴えようとするが、義人は両手で両耳を塞いで取り合わない。それを見たカ
グラは、大きな声を張り上げた。
「もう、ヨシト様!?」
「ちょ、キレないでください!? 冗談だから!」
カグラらしからぬ怒りの表情と声に、義人はすぐさま冗談をやめる。
「ヨシト様が行かれるのなら、わたしもついて行きます。今度こそ、ヨシト様をお守りしますから!」
「んー……じゃあ、よろしく頼む。外の兵の指揮を取ってもらおうかと思ったけど、各部隊の副隊長に任せるか。それじゃあ、そう伝えてくれ」
「はっ!」
傍に控えていた兵にそう言うと、すぐさま駆け出す。義人がそれを見送ると、すれ違うようにミーファとグエンが駆け寄ってきた。
「お、丁度良いとこに。今からエンブズの屋敷に突入するから、二人とも十名ほど兵を連れてきてくれ」
義人がそう言うと、ミーファは尋常ならざる様子で頷く。
「すでに用意は出来ています。ヨシト王、突入の許可を!」
滲む感情は怒りか、はたまた焦りか。ミーファの目は鋭く細まっており、纏う雰囲気は刃のように鋭い。
「落ち着けミーファ」
そんなミーファをたしなめるために志信が声をかけるが、ミーファは小さく首を振るだけだ。
幼い頃から追い求めた、父を暗殺犯に仕立て上げた仇。その存在がいつも以上にミーファの余裕をなくしている。気が高ぶって自然と魔法が発動しているのか、ミーファの周りには揺らぐような熱気があった。
「あー、落ち着けってミーファ。あんまり焦るようなら、突入する班から外すぞ? 王様命令で」
「な、何故ですか!?」
「当たり前だろ。今のお前と一緒に突撃したら、味方に被害が出そうだ。屋敷の中ということは室内戦だろうし、得意の火炎魔法なんか使われたら屋敷が焼け崩れかねない。だから、落ち着け。じゃないと連れて行かない」
「く……わかり、ました」
激情を堪えるように拳を握り締め、ミーファは数回深呼吸をする。すると少しは冷静さを取り戻したらしく、表情も先程よりは落ち着いたものに変わった。
それを見た義人は満足そうに頷き、集まってくる兵士達に向かって口を開く。
「よし! それじゃあ今から突入する! 中に入る奴は何が起こってもいいよう気をつけろ!
外の奴はもしエンブズが逃げ出したら捕まえろ! いいな!?」
『はっ!』
一糸乱れぬ返事に、義人は腰の王剣を引き抜く。
「行くぞ!」
そう叫び、入り口の門へと駆け出した。
『ヨシト、だったかの』
義人達が門の傍まで移動すると、右手に持った王剣が思念通話を繋げてくる。
『ん? そうだけど、どうした? 今は割と逼迫した場面なんだけど』
『何、妾の名前をつけてもらうのを忘れていただけじゃ』
『……名前? こんな時に何を言い出すんだよ』
『戯け! お主との繋がりが深くなければ全力での力の行使ができないのじゃ!』
『繋がりって……まあ、俺には名前があるのにお前は名前がないのは可哀想か。それじゃあ、『オウケン』でどうだ?』
ひとまず安直に考えた義人はそう言ってみるが、返ってきたのは限りなく低い声だった。
『祟る(たたる)ぞ?』
『ごめん、冗談です。祟らないでください』
間髪入れずに謝り、義人は僅かに思考する。
『お前の性別は?』
『戯けめ。口調で女とわかるであろう』
わからなかったと言いたかったが、本能が警鐘を鳴らすのでそれはやめておく。
ふむ、と一つ頷くと、自信ありげに義人は笑った。
『それじゃあ『ノーレ』でどうだ?』
『ほう、ノーレか……何故その名を?』
『昨日『風と知識の王剣』って言ってただろ。知識は英語で……俺の世界の言葉で『ノーレッジ』って言うんだけど、そこから名づけさせてもらった。性別が男だったら『ウインド』だな』
『案外安直な男よの……まあ良い。ノーレ……ノーレか』
噛み締めるような声が聞こえる。声には喜色が混じっており、どうやら気に入ったらしい。 それに安堵すると、義人は直面してる事態の解決に気を割くことにした。
突入するために兵士が門を開けようとしたのだが、内側から閂がかかっているらしくビクともしない。
高さは五メートル近くあり、材質は樫の木。ところどころ鉄板で補強されており、厚さもかなりある。兵士十人がかりで体当たりをするが、それでも効果は薄かった。
「こうなったら、わたしが焼き払うか」
不穏な言葉を呟きつつ、ミーファが刀を抜く。
波紋は直刃。無駄な装飾はなく、鍔がはめられているだけだ。その輝きは見事で、練習刀とは違い刀工によって鍛えられた業物だということが窺える。さらに、ミーファの火炎魔法に耐えられるように耐魔法の加工もされていた。
『あの小娘では周りに飛び火するかもしれんの。ヨシト、妾を使うが良い』
『ノーレを? ああ、風でぶち破るのか……ぶち破れるのか?』
途中まで頷き、途中で疑問を差し挟む。昨夜振るったときはサクラを弾き飛ばしたが、その程度の威力で頑丈な門を破壊できるとは思えない。
『戯け。名を付けられた妾なら、あの程度の門を破るのは容易いわ。少し、お主は疲れると思うがの』
『少し疲れるくらいならいいけど。まあいいや、とりあえずやってみる』
王剣をしっかりと握り、門へと目を向ける。
「全員門の前からどけ!」
「え? は、し、しかし……一体何を?」
「いいからどけって! 王様命令!」
何か考えがあるとわかったのか、兵士や志信達がすぐさま門の前から離れていく。それを確認した義人は、ノーレへと思念を送った。
『それじゃあ、頼むぞノーレ』
『うむ、任されよ。ヨシトは門に向かって思い切り剣を振るがよい!』
ノーレの言葉と同時に、王剣の周りに風が渦巻き始める。それを見たカグラは僅かに目を見張り、義人は自身から抜け出る“何か”に眉を寄せた。
『お主の魔力を使っておるだけじゃ! 心配するでない!』
「魔力、ね。俺にもそんなのあったんだな」
『そこの巫女には到底敵わんがな。ほれ、魔力を吸ったから威力は十分じゃ!』
義人は王剣を両手で持ち、正眼に構える。そして一度深呼吸をすると、門に向かって駆け出す。
「はああああああ!」
気合を乗せ、両腕を振り上げる。重心配分も関係なく思いきり踏み込むと、風を纏った王剣を振り下ろした。
瞬間、轟音と共に暴力的なまでに激しい風と鎌鼬が吹き荒れ、すさまじい圧力と衝撃で門を粉々に破壊する。
そしてそのまま勢い余り、エンブズの私邸の壁に砕けた門が命中して破砕音を立てた。
「っ、はぁー……はぁー……」
義人は王剣を振り切った体勢で大きく息を吐く。魔力が大きく削がれ、立ちくらみのような感覚を覚えて膝をついた。
『魔力の半分を消費してしもうたか……魔力の変換効率が最低じゃったから仕方ないが、今後の課題じゃな』
「少し、どころの、疲れじゃ、ねぇ……」
ついた膝を持ち上げ、なんとか立ち上がる。長距離のマラソンを走り終えたような倦怠感が身を包み込んでいるが、今は疲れて膝をついている場合ではない。
「門は開いた! エンブズを捕まえろ!」
開いたというレベルではなく、門はバラバラになっている。周りの兵士達は呆気に取られていたが、義人の号令ですぐさま駆け出した。
そして、その流れに逆らうようにカグラが駆け寄ってくる。
「ヨシト様! いきなり魔法を使うなんて、体に異常が出たらどうするんですか! いえ、そもそもどうやって魔法を……」
「それは後回しだカグラ。この件が終わったら説明するよ。今は、エンブズを捕まえることが先だ」
疲れを無視し、義人も駆け出す。
志信達はすでに門をくぐって屋敷の玄関を蹴り破り、邸内へと突入している。
ここでのんびりしているわけにもいかず、カグラも護衛の兵士数名と共に駆け出した。
玄関の扉を蹴破って突入した志信達はすぐさま周囲を警戒し、誰もいないことを確認して次々と先に進んでいく。
屋敷は広く、部屋数も多い。しかし、普通の屋敷ならば見られるはずの使用人の姿はなく、閑散としている。
「どこだ! エンブズッ!!」
ミーファが声を張り上げるが、声は屋敷の奥へと吸い込まれていくだけだ。グエンや兵士達も辺りを探っているが、エンブズは見つからない。
そうやって闇雲に探していると、カグラを伴った義人が追いついてきた。
「いたか!?」
「いや、いない」
すぐさま志信が首を横に振る。義人も周囲を見回すと、王剣のノーレが思念を送って話しかける。
『奥じゃな。大きな魔力反応がある』
『大きな魔力反応? 本当か?』
肯定の意思がノーレから伝わり、義人はすぐに駆け出す。それを見た志信が横へと並んで走り、斜め後ろにカグラが続く。
「どうした義人?」
「こっちにエンブズがいる……と思う。勘だけどな」
本当はノーレが教えてくれたのだが、王剣が喋って教えてくれたと言っても理解してもらえないだろう。義人の言葉や勘を疑わない志信は、迷いなく先へと疾走していく。
「……ん、魔力反応があります。この先に誰かいるのに間違いはないみたいです」
ノーレに遅れて魔力を察知したのか、並走するカグラが奥へと目を向ける。
「ヨシト王! カグラ!」
廊下を走っていくと、大きい扉が見えてきたところでミーファが合流した。グエンは他の場所で兵の指揮を取っているのか、姿が見えない。
志信はすでに大きい扉へとたどり着き、取っ手に掛けられた南京錠を壊そうとしている。だが、思ったよりも頑丈だったのか棍を右手に構え、南京錠ではなく取っ手を突き壊して南京錠を外した。
「また強引な手を……」
そんな志信に苦笑するが、開いたので気にしないことにする。すぐさま気を引き締めると、義人はノーレを握る手に力を込めていく。
「カグラ、屋敷の構造からしてこの先はどうなってると思う?」
「おそらく庭に続いていると思います」
「庭……いや、テラスか? 屋敷の外は兵士を配置してるし、こりゃ詰んだかな?」
「いえ、油断は禁物です。エンブズは魔法を使えますが、魔力量は少ないはずです。それなのに、この先から感じる魔力はかなり大きいですから」
「そうか。じゃあ、気を引き締めてかかるぞ」
「はい!」
カグラの返事を耳に、扉へとたどり着く。
そして志信と一度頷き合ってから、扉を開けた。
「不意打ちには気をつけて……ん?」
扉を開けると共に、風が吹き込んでくる。それだけならおかしいことではない。だが、風に含まれた臭いに義人は眉を寄せた。
鼻の奥を刺激する、ツンとした臭い。風で薄れているが、それでもなお嗅ぎ分けることができる鉄の香り。
「っ!」
不意打ちに構わず、扉を開け放つ。志信が先行し、それに続いてミーファとカグラ、義人がテラスへと飛び出す。
「来たか、ネズミ共。おや、ヨシト王自らお出でとは……」
そんな義人達を出迎えるように、二十メートルほど離れた場所にエンブズが軽薄な笑みを浮かべながら立っていた。それを見たミーファから歯軋りの音が聞こえ、志信は棍を握り締める。
「エンブズ!」
義人が一歩踏み出して、パシャリと水音が響く。その音と、靴裏に感じるぬるりとした感触に、エンブズを見ていた義人は石畳の足元に目を落とす。
「なん……っ!?」
まるで義人達を出迎えるように、辺り一面に血の海が広がっていた。