第二十八話:危機一髪
空中に浮かぶ数多の氷の矢。その量は自身の危険を省みず、相手を確実に殺すためのものだ。先端は矢じりのように鋭く、人の体など容易く貫く。
義人を馬乗りで押さえ込んでいるサクラの姿をした人形は、喜悦の笑みを浮かべて口を開く。
「それじゃあ、死んでくださいね」
その言葉に、浮かんだ氷が落下を始める。そこからさらに加速し、一秒後には全身を氷の矢で貫かれた死体が一つ転がることだろう。
迫り来る死の気配に、義人は恐怖と諦観を覚える。避けようにも体を押さえ込まれ、動くことも叶わない。
―――くそったれ……ここまで、か。
見ている光景がスローモーションになる。迫り来る氷も同じようにゆっくり落下し、義人は引き伸ばされた時間の中で愚痴を吐くように内心で独白した。
―――なんだよ、死ぬ間際に走馬灯なんて見ないじゃねーか……親父、お袋、ごめん。優希、志信、すまん。元の世界に戻るって言ったのにな……。
緩やかに流れる時間の中でそう呟き、義人は目を瞑ろうとする。
どうせすぐに死体に変わる身だ。そう思った義人の視界の端で、何かが動く。
緩やかな時間の流れを拒否するように、弾丸のような速度で突っ込んでくる人影。
「やああああああ!」
それは、優希だった。
ラグビーのタックルさながらにサクラへと飛び掛り、義人の上から弾き飛ばす。それをスローモーションに見ていた義人は、すぐさま我に返って必死に地面を転がった。それと同時に、緩やかだった時間の流れが正常のものへと戻る。
降り注ぐ氷の矢が腕や背中をかすめ、空中に鮮血が舞う。灼熱のような痛みが体に走ったが、それを堪えて壁際まで転がり続ける。
体のあちこちに裂傷を負い、左腕には小さな氷の矢が刺さっているが、死ぬよりは断然良い。義人はすぐに跳ね起きると、離れた場所に落ちている王剣をつかみ取る。
『戯け! いきなり妾を手放すやつがあるか!』
「すまん! それは後だ!」
痛みを堪え、左腕の傷口から内部を凍らせようとしている氷の矢を引き抜き、床へと投げ捨てる。
目で見なくとも腕から血が流れ出るのを感じたが、歯を食い縛って左手を持ち上げて剣の柄を握った。そして両手で王剣を構えると、氷刃を優希に振り下ろそうとしているサクラへと駆け出す。
「させるかあああああ!」
無我夢中に、氷刃を纏った右腕を斬り飛ばす。そして返す刀で肩口から腰にかけて一気に切り裂き、剣を振り抜くと同時にそのまま蹴り飛ばした。
サクラの姿を真似た人形はそのまま壁へと叩きつけられ、元の木作りの小さな人形へと姿を変える。義人は荒い息を吐きながらそれを確認すると、足元でうずくまる優希の傍へと膝を折った。
「おい優希! 大丈夫か!?」
王剣をすぐ傍に置き、肩を抱きかかる。すると、ヌルリとした感触が手に伝わった。慌てて見てみれば、氷の矢で切れたのか優希の脇腹からかなりの量の血が流れ出ている。
「くそ! おい! しっかりしろ優希!」
「ん……義人、ちゃん?」
「ああ! 優希、あんまり動くな! お前脇腹からかなり血が出てるんだ!」
義人はそう言いつつ、周りを見回す。遠くから誰かが駆けてくる音が聞こえ、すぐにでも人が来るだろう。
そんな義人に、優希は“いつも通り”笑いかける。
「わたしはどうでもいいよ。義人ちゃんは、怪我しなかった?」
「どうでもいいって、お前……」
溢れる血の量はそれなりに多い。致命傷ではないが、痛みも大きいだろう。
「ごめんね、義人ちゃん。嫌な予感がしたんだけど、気づくのが遅れちゃったんだ……」
だが、優希は痛みなど感じていないかのように語りかけてくる。ただ義人の身だけを案じて、自分の身などどうでも良いと言わんばかりに微笑んでいた。
「ヨシト王! 大丈夫ですか!?」
そんな二人の元に、守衛の兵士二人が他の人間を連れて走ってくる。それを見た義人はすぐさま指示を出す。
「医者は誰だ!?」
「はっ! わたしです!」
「まず優希の手当てをしてくれ! 出血が酷いんだ!」
医者を名乗る女性がすぐに優希の容態を確認し、一緒に来ていた部下に目を向ける。
「わたしはユキ様の傷を治します。貴方達はヨシト王の怪我を」
「はっ!」
女性は優希の傷口に手を当てると、精神を集中していく。すると手のひらから暖かな光が溢れ、優希の傷口をふさぎ始めた。
「これは……?」
「治癒魔法です。さ、ヨシト王の傷も治しますので見せてください」
女性の部下らしき者の言葉を聞き、義人は痛みがある部分を向ける。すると部下は数人がかりで義人の傷口に手を当てた。
「ユキ様に比べれば傷は浅いです。ヨシト様、痛みはありますか?」
「い、いや、そんなにない。というか、傷が浅いなら先に優希を治してくれ」
義人がそう言うと、女性の部下は患者を安心させる笑みを浮かべる。
「大丈夫です。我々が束になって治癒魔法を使うよりも、隊長一人の方が早いですから」
言われて目を向けてみれば、優希の傷口はすでに大部分がふさがれて出血もほとんど止まっ
ていた。それを見た義人は感嘆の声を漏らす。
「……すごいな」
「我々治癒魔法を使える者の中でも、隊長は別格ですから」
ちなみに彼らは正確には医者ではなく、治癒魔法が使える魔法使いである。多少の外傷程度ならすぐに完治させることができ、病気などを担当する本来の医者とは違った役割を持つ。
治癒魔法は他の魔法よりも適性を持つ者が少なく、その存在は稀少だ。
暖かな光が義人の背中を照らし、時間を追うごとに痛みが引いていく。氷の矢が刺さっていた左腕も治癒魔法をかけてもらうと、傷口がゆっくりとふさがっていくのが確認できた。
「まさに魔法って感じだな」
「時間がかかるので戦闘中には使えませんけどね」
義人の感嘆の声に、治癒魔法使いは苦笑を返す。
小さな傷をふさぐのにも多少時間がかかるため、戦いながら治癒魔法をかける余裕などない。カグラクラスの魔法使いになると話は別だが、並の治癒魔法使いでは精々痛みを和らげながら戦える程度でしかない。
「ふぅ……ヨシト王、これで大丈夫です」
「あ、うん。ありがとう」
治療が終わったのか、痛みはすでにない。試しに腕を回してみるが、特に違和感はなかった。
『ふん、魔法使いの質も落ちたものよ。あの程度の傷を治すのに数人がかりで数分も時を要するとは』
「なんだよいきなり」
『戯け。口に出すでないわ。妾に話しかけるときは心の中で念じよ』
そう言われ、義人は半信半疑で口を閉ざす。
『えーっと、こうか?』
『うむ。やればできるではないか』
『おお、思ったより簡単だな』
『魔力を使った意思疎通は下級魔法の一種じゃからな。もっとも、好んで使う者もあまりおらんが』
『……あれ? ということは、俺って魔法使ってるのか?』
『魔法とはちと違うな。妾と触れておるから、こちらから強制的に思念を繋いで話しかけておる。妾に触れずに思念通話が出来るようになっておけ』
『えー、無理だって。魔法なんてファンタジーチックなもの、俺には使えねーって』
『戯けが。魔力があれば魔法は使えるようになるわい。己に埋蔵されている魔力量もわからんのか』
『埋蔵て……なんか、得体の知れないものが体に入ってるみたいで嫌だな』
義人は自分の体に意識を向けてみるが、特に何かを感じるということはない。
『うん、わからん』
『この戯けが……まあ良い。その話は後でする。今はまず、事態を収束させよ』
言われて周りの様子を見てみれば、城のあちこちに火が灯されて兵士が走り回っている。どうやら寝ていた者達も起き出してきたらしく、城の中が騒がしくなってきた。
優希も治療が終わったらしく、義人の方へと近づいてくる。
「魔法ってすごいね、義人ちゃん」
「あ、ああ」
今まで重傷を負っていたとは思えぬ明るさで優希が話しかけてきた。義人はひとまず返事を返し、優希の様子を窺う。
傷を負ったのは脇腹だけだったのか、他に治療でふさがれた傷はない。眠っていたのか寝間着用の薄い服を身に着けており、腹部付近が血で黒く染まっていた。裂けた服の隙間からは白い肌が覗いており、傷跡は目に見える限り残っていない。
それを見た義人は、音が立つくらいに歯を噛み締める。そんな義人の様子に、優希は泣きそうな顔になった。
「ど、どうしたの義人ちゃん? どこか痛い?」
「いや……ゴメンな、優希。さっきは助かった。ありがとう」
礼を言い、頭を下げる。
優希がサクラに飛び掛らなければ、自分は死んでいた。だが、そのせいで優希を危険な目に合わせたことが義人には許せなかった。
心のこもった言葉に、優希は相好を崩す。
「気にしなくて良いよ、そんなこと。わたしは、“義人ちゃんさえ”無事でいてくれればいいんだから」
笑顔の優希に、義人も笑顔を返す。優希の言葉に少しだけ違和感を覚えたが、それを遮るように誰かが駆けてくる。
「ヨシト様! ご無事ですか!?」
突風のような速度で走ってくるカグラに、義人は眉を寄せた。
「カグラ、お前どこに行ってたんだよ?」
「申し訳ありません! 敵の足止めに時間を取られました!」
「足止め?」
「はい。シノブ様の姿を真似た人形二体に襲われまして……」
「志信を真似た二体の人形って、おい」
もしそちらが部屋に来ていたら、確実に殺されていただろう。義人はその最悪の想像を振り払う。
「倒してきたのか?」
「いえ、思いのほか手強く、現在サクラと本物のシノブ様が戦っておられます。わたしはヨシト様の身の安全を確認するために先にここへ来た次第です」
「サクラ!? サクラは無事だったのか!?」
「は、はい。最初サクラの部屋に共にいたのですが、そこで人形に襲われまして。城近くの森で戦っているはずです」
「その人形は本物よりも強いのか?」
「いえ、それはないと思います」
「そうか……なら、援軍はいらないな。今頃志信が片付けて……いや、一応人を行かせたほうがいいか」
そう呟くと、カグラは義人が握っている王剣に目を落とす。
「もしや、ヨシト様自ら戦われていたのですか?」
「ああ。サクラの姿をした人形が部屋に来てな」
「サクラを真似た人形が……よく、ご無事で」
「死に掛けたけどな」
そう言って、背中を見せる。上着のあちこちが裂けており、それを見たカグラは膝を突き、悔恨の表情で地面に擦り付けんばかりに頭を下げた。
「此度の騒動、見通しが甘かったわたしの責任です。なんなりと罰を申しつけください。どんな罰でも喜んでお受けします」
声の響きに嘘はなく、仮に死罪を言い渡せばカグラは迷わず頷くだろう。義人は肩を竦め、頬を掻いた。
「まだこの騒動は終わってねぇよ。カグラの罰は、犯人を捕まえてからだ。ひとまず、寝ている臣下を叩き起こして謁見の間に集める。城の中に住んでいない奴は屋敷に兵を向かわせろ。それと、必要ないと思うけど志信達がいる場所に兵を出してくれ。頼んだぞ、カグラ」
「……はっ!」
「よし、良い返事だ。それじゃあ、俺は着替えてくる。さすがにこんな格好でいるわけにはいかないしな」
そこまで言って、義人は優希に向き直る。
「優希も、服を着替えたほうがいいな」
「うん。それじゃあ着替えてくるね」
「ああ。俺も寝室で着替えてくる。もう大丈夫だと思うけど、一応守衛の数は増やしておくか」
治癒魔法をかけてくれた者達にもう一度礼を言うと、義人は優希を部屋まで送って自身も寝室へと戻った。
「くそっ!」
寝室に戻り、周りに誰もいなくなると怒りを込めて吐き捨てる。寝室にはあちこちに戦いの傷跡があり、義人は先程以上に歯を噛み締めた。
今回の騒動、カグラは自分の責任だと言ったがそれは違う。自分に手を出してくるにはまだ余裕があると高を括っていたのが原因だ。
義人は地面に放っていた鞘をつかみ、王剣をひとまず鞘に納める。
『そう心を乱すでない。原因はお主でも先程の巫女でもなく、事を企てた者であろう?』
「……なんだ、鞘に納めても喋れるのかよ」
『柄をつかんでおるじゃろうが、戯けめ。それに喋っておるのではなく思念じゃと言うとるに。まあ良い。臣下の前で怒った姿を見せなかったのは良くやった、と褒めておく』
「たまたまだよ」
義人は何度か深呼吸をすると、怒りで叫びたくなるのを徐々に押さえ込んでいく。
『……なんじゃ、自分を殺そうとしたことが今になって気に触ったのか?』
「ちげえよ。たしかに俺を殺そうとしたことにも腹が立ったけど、それ以上に相手の取った手段が気に食わねえ。そして、優希に助けられた挙句怪我をさせた自分に腹が立ってるんだ」
『ふむ、なるほどのう。気にするな、とは言えんが、怒りで目を曇らせて大局を見誤るような真似はするでないぞ?』
「ああ。ありがとよ。肝に銘じておくわ」
激情を押し殺しながら言葉を返し、王剣を壁に立てかける。それきり言葉が聞こえなくなったところをみると、やはり触れてなければ思念通話ができないのだろう。
もう一度深呼吸をして気分を落ち着かせると、義人はとりあえず服を着替えることにした。