第二十七話:人形との戦い
「まったく、頑張ってくれるのは嬉しいですけど、ヨシト様にも困ったものです」
サクラの部屋でお茶を飲みながら、カグラが呟く。それを聞いたサクラは苦笑した。
「そうですけど、今日はちゃんと休んでくださるそうですよ?」
「わたしや貴女を王命を使ってまで部屋から追い出しているのですから当然です。もし休んでいなかったら、明日……」
ふふふ、と暗い笑みを零すカグラ。
「わたし達に気を使ってくださったんですよ。ヨシト様は、優しい方ですから」
どことなく嬉しそうなサクラに同意の頷きを返し、カグラは湯飲みに注がれたお茶を飲み干す。部屋の大きな窓が開いており、吹き込む風は涼しく心地良い。
「さて、わたしは少し執務室の様子を窺ってから魔力回復の施設で眠ります。この時間なら、
さすがに休んでくれていると思いますが」
時刻はすでに午前零時へと差し掛かっている。もしまだ執務室にいたら、無理矢理にでも寝室に連行するつもりだった。
「サクラはもう休んでください。明日も―――」
そこまで言った時、言葉を遮るように部屋の扉がノックされる。規則正しく二回叩かれたその音に、二人は顔を見合わせた。
「もしかして、サクラの逢引の邪魔でしたかねー」
「ち、違いますよ! そんなわけないじゃないですか!」
半分冗談だったのだが、本気で慌てるあたり本当に違うらしい。
「どちら様ですか?」
気を取り直したサクラが尋ねると、扉がゆっくりと開く。
「こんな夜更けに失礼する」
そして、部屋に入ってきたのは志信だった。見知った顔だったことにサクラは安堵し、カグラは眉を寄せた。
「シノブ様、一体どうしたんですか?」
「なに、廊下を歩いていたら二人の声が聞こえてな」
「いえ、そうではなく」
志信の言葉を遮り、カグラは志信の手に持っている物を指差す。
「何故、武器を携帯しているのですか?」
カグラの言う通り、志信は右手に棍を携えていた。それもいつも使っているような手作りの棍ではなく、しっかりと装飾がされている。棍の先端には文字が書かれており、それを見たカグラが顔色を変えた。
「それは『無効化』の術式? 志信様、一体何故……っ!」
何かに気づいたようにカグラが後ろへと跳ぶ。そしてすぐさま腰を落として無手で構えを取った。
「貴方、誰ですか?」
尋ねる声に、先程までの親しさはない。サクラは何事かと志信を注視して、カグラ同様距離を取った。
「カグラ様!」
「わかっています。アレは人間ではなく、おそらく魔法人形の類でしょう」
僅かな時間で看破したカグラに、志信は小さく笑った。
「ふむ、流石は召喚の巫女といったところか」
「人形が、一体何の用です?」
低い声でカグラが尋ねる。志信は問いに対して、静かに答えた。
「お前達に死んでもらうと思って、な!」
一歩で間合いを潰し、手に持った棍を横に振りかぶる。挙動の速さに反応が遅れたカグラは、それでもなんとか両腕を構えながら後ろへと跳んだ。
「くっ!?」
横薙ぎの一撃を咄嗟に受けとめ、衝撃に逆らわず弾き飛ばされる。サクラは後ろに弾かれたカグラに一瞬意識を裂き、
「そんな暇はないぞ?」
眼前に迫った志信の掌打を腹部に受けて、同じように後ろへと吹き飛ぶ。咄嗟に後ろに飛び
つつ、魔法で氷の盾を生み出したがそれでも志信の掌打は止めれなかった。
二人とも開けていた窓から外へと投げ出されるが、空中で体勢を整えると足から着地する。窓からはそれなりに高さがあったが、魔法で身体能力を強化できる二人にとっては問題にならない。
地面を滑るように着地して勢いを殺すと、頷き合ってすぐに駆け出す。
「まさかこんな直接的な手を取るとは……急いでヨシト様のところへ向かいます」
「はい!」
返事を返すサクラ。どこか適当な窓か扉を破壊して城の中に戻ろうと走っていると、それを遮るように人影が立ちはだかる。
「シノブ様!? いや、こっちも魔法人形か!」
それは、サクラの部屋で襲ってきた志信とまったく同じ姿の志信だった。
「カグラ様、こっちも追いつかれました!」
隙を見せないように確認してみれば、棍を構えた志信がサクラと対峙している。その手には『無効化』の術式が刻まれた棍を持っており、明らかに魔法対策だろう。
『無効化』とはその名の通り、魔法を無効化する魔法である。
『無効化』の魔法を施した魔法使いの腕にもよるが、魔法使いとしてかなりの差がない限り魔法を防ぐことができる。
主に魔法使いと戦うために兵士の武具に付加する魔法だが、特殊な文字を刻むことによってその武具が壊れない限り永続的な効果を持つ。
「明らかにわたし達を殺す気ですね……まったく、まさかこんな直接的な愚行に出るとは。相手もかなり焦っていると見える」
カグラとサクラは冷静に志信と牽制し合う。だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。義人にも同じように刺客が迫っているだろう。
「サクラ、すぐにこの人形を片付けてヨシト様のところに行きますよ」
「はい!」
やはり義人の傍にいるべきだったとカグラは後悔するが、今は眼前の敵に集中する。
相手の姿や能力を真似できる魔法人形は昔から存在しているが、その全てを真似できるはずもない。故に、志信の戦闘能力も完全に真似できないからすぐに倒せる。
そう、カグラは思っていた。
『強化』以外何の魔法の援護もなくミーファを倒したと聞くが、それは試合での話だ。
それに、その程度ならサクラでも十分に可能。
そう判断して―――眼前の志信が姿を消した。
「っ!?」
いや、消してない。ただ、動きの速さに目が追いつかなかっただけだ。離れていたはずの距離はすでになく、眉間目がけて必殺の打突がすでに放たれている。
カグラは咄嗟に首を横に倒し、紙一重で棍をかわした。風圧が髪を数本散らし、カグラは反射的に前へと踏み込む。
右手に魔力で風を集めて真空の渦を作り、鎌鼬を発生させると、志信の胴体を吹き飛ばす勢いで解き放つ。
「遅い」
だが、それより志信が棍を引くほうが速かった。『無効化』の術式が施された棍先で鎌鼬を薙ぎ払うと、勢いそのままに回し蹴りを繰り出してくる。
カグラは横っ飛びに地面を蹴り、蹴りを避けると共に右手で地面を突き飛ばして回転。そこから左手を志信に向け、今度は城の壁に叩きつけようと突風を放つ。
しかし、これも通じない。事も無げに棍を振るって霧散させると、悠々と間合いを詰めてくる。
まずい……。
ここで初めて、カグラの心に焦りの感情が浮かんだ。
カグラの知らないことだが、ミーファと試合をしたときの志信は本気ではない。出した実力は精々六割ほどだ。そんな志信の姿を真似た『お姫様の殺人人形』は、およそ九割相手の能力を真似ることができる。
その上手に持った棍に施された『無効化』の魔法が厄介だった。
小手先の下級魔法では簡単に防がれる。かといって、カグラの魔力は本来の全魔力の一割も回復していない。それでも並の魔法使い十人分以上の魔力があるのだが、“本気”で戦えばすぐに底をつくだろう。
サクラのほうに目を向けてみれば、カグラ以上に苦戦している。発生させた氷の剣は容易く砕かれ、放った氷の矢はことごとくが弾かれていた。それでもなんとか持ちこたえているのは、防御用に氷の盾を作りだしているからにすぎない。しかし、それも長くは持ちそうになかった。
しかも、戦う間に城から徐々に離されている。城へと向かおうとすればその進路を防がれ、それ以上の後退を余儀なくされた。
義人の部屋付近には守衛の兵士もいるだろうが、もし腕の立つ者の姿を真似た人形が相手なら並の兵士では太刀打ちできない。義人自身も運動能力は高いが、戦いになると話は別だ。もし自分かサクラ、志信やアルフレッドかミーファの姿を真似されれば勝ち目はほぼなくなる。
その思いがカグラをいっそう焦らせるが、対峙する志信の人形が義人の傍へ向かうことを許さない。
「ゴルゾーさんから魔石を買っておくべきでしたね……」
魔石があれば魔力を吸い取って自分のものにできる。だが、ないもの強請りをしている暇もなかった。
戦う場所を城近くの森まで移動させられ、焦りはさらに募る。こうなったら志信かミーファが気づいて義人を助けに向かってくれることを祈るが、前者はともかく後者は期待できない。
武官の寝泊りする場所は義人の執務室や寝室から遠く、何かあっても気づくのは容易ではない。守衛の兵士や見回りの兵士用の詰め所になる部屋もあるが、自分ならまず先にそこを潰すだろうとカグラは唇を噛んだ。
「すみません、ヨシト様」
だから、カグラは覚悟を決めた。
なるべく早く魔力を回復させてくれと、困り顔で言っていた己が主君に対して一言詫びて精神を集中する。
まさかここまで大胆な手で暗殺しようとするなど、見通しが甘かったと認めざるを得ない。 助けに向かうための魔力を残しつつ、全力で目の前の人形を破壊する。おそらく回復した魔力は全て使い切ることになるだろうが、義人に死なれるわけにはいかなかった。
気配が明らかに変わったカグラに、警戒の表情を浮かべた志信が距離を取る。
そしてカグラが魔法を使おうとした瞬間、人形の志信が真横へと吹き飛んだ。
「え?」
まだ自分は魔法を使っていない。ならばサクラかと視線を向けてみるが、サクラは少し離れたところで戦っている。
「ふむ、まさか自分自身をこの目で見ることになるとはな……まったく、面妖な」
次いで聞こえてきた声に、カグラは目を見張った。
「シノブ様!? どうしてここに!?」
もしやまた人形かと警戒するが、今度の志信には人間らしい生命の鼓動を感じた。
「鍛錬をしていたのだが、何やら戦うような音が聞こえてな」
それだけ言うと、すでに体勢を立て直している人形に目を向ける。
「一体何が起こっている?」
「何者かが義人様の暗殺を企てたようです。わたしとサクラは足止めに遭っていました」
「そうか……なら早く行け。アレは俺が潰しておく」
そう言って手作りの棍を構え、目でカグラを促す。カグラは頷くと、一陣の風に乗って駆け出した。それを見た人形が止めようとするが、志信がそれを許さない。人形との間合いを一息に潰し、わざと棍を受けさせて力比べに持ち込む。
カグラの姿が見えなくなると、志信はすぐに距離を取って棍を下段に構えた。それに対し、人形も鏡写しのように棍を下段に構える。
「自分自身と戦えるとはな……」
まったく同じ構えを取った人形に、志信は小さな笑いを零す。
これもまた、良い糧になる。
義人の身に危険が迫っているから時間をかけられないのが残念だ。
志信は自分がどんな動きをするのか客観的に見れることに喜びを覚えつつ、人形と同時に駆け出した。