第二十一話:農作業と重圧
「うはははは! 俺は今、働いている!」
ストレス発散のために木製の鍬を振り下ろしつつ、義人は今の状況を非常に楽しんでいる。
何せ執務室で一日中書類を片付ける毎日だ。体を動かせることがこんなにも楽しいなんて、元の世界にいた頃は夢想だにしなかった。
義人にも『強化』に似た効果が働いているため、その動きはひどく軽快だ。力強く鍬を振り下ろし、土を掘り返していく。
「ヨシト王! 腐葉土を集めてきました!」
「よし! 掘り起こしたところに撒いていけ! あ、腐葉土だけじゃリン酸やカリウムが足りないから魚の骨なんかも今度撒いといてくれな?」
農民にそう話しつつも、掘り起こす手は止めない。日頃の運動不足を解消するために、思うがまま農作業に没頭している。
農民達はそんな義人を最初は遠巻きに見ていた。何せ、王が自ら畑仕事に精を出しているのである。
恐れ多いことこの上なかった。
しかし、実に楽しそうに農作業をしている姿を見ていると深い親近感を覚える。義人自身もまったく身分を気にしていないので、いつしか農民や兵士が一体となって農作業に励んでいた。
優希は村のほうで皆が飲むお茶や城から持ち込んだ米でおにぎりなどを作っている。そちらも非常に仲良くやっているらしく、時折楽しそうな声が聞こえた。
「まったく、あっちは楽しそうね」
実戦経験がない兵士が下級の魔物を相手に戦うのを監督しつつ、ミーファが愚痴のように呟いた。
自身はまず兵士の見本になるように紫色の鳥の魔物であるシドリを倒してみせると、後はサポートに回るだけだ。志信も数体の下級の魔物を倒すと、後はあちこちでサポートに徹している。
ウサギを二周りほど巨大化させて二本の角を生やした魔物のニカクウサギ。
カマキリを姿そのままに一メートルサイズまで巨大化させたような魔物のソルム。
童話に出てくるような棍棒を手に持ったゴブリン。
危険度は低く、すべて下級の魔物に分類されている。中級の魔物が出てくると一般兵ではきついかもしれないが、余程森の奥に入らない限り遭遇することもないだろう。
最初こそ人間とは違った動きをする魔物相手に苦戦していたが、動きに慣れると魔法剣士隊のほうが有利だった。森の中だから火炎の魔法は使えない。しかし、魔法で身体能力を向上させればそれだけで十分だ。あとは培った剣術だけで相手を倒せる。
そうやって魔物と戦っている兵士の後ろでは、他の兵士がせっせと腐葉土を集めていた。落ち葉を掘り起こし、良い具合に発酵している腐葉土を畑へと運んでいく。
それを横目に眺めて、今度は志信の姿を探す。
試合以来、何故か志信が気になって仕方ない。一緒に訓練をしたいと思うし、今もできれば傍で一緒に戦いたかった。自分の感情がまったくわからないが、それが何故か不快ではない。
ふと、志信と視線がぶつかった。
「っ!?」
慌てて視線を逸らす。それは反射に近い行動だった。数秒経って視線を戻すと、志信はすでに他の場所へと移動している。それを見たミーファは、残念そうなため息を吐いた。
―――どうやら俺はミーファに嫌われているらしい。
向けた視線をすごい勢いで振り払われた志信はそう判断した。
本人のためとはいえ、試合で様々なことをしたので仕方ないと視線を外す。そして苦戦している兵士の傍へと駆け寄り、手に持った棍を突き出して魔物を弾き飛ばした。
「相手のほうが小さいのだから、それに合った戦い方をしろ。こちらのほうが間合いは広いの
だから上手く立ち回れ。懐に潜り込まれると戦いにくい」
「は、はい! わかりました!」
志信より多少歳若い少女は緊張気味の声で返事をする。その様子に微笑ましさを感じた志信は、魔物が起き上がってくるまでアドバイスをすることにした。
「何も刀や魔法だけで攻撃しなくても良い。相手のほうが自分よりも小さくて軽いなら、蹴りだって十分に有効な攻撃手段になる。ある程度は体術も扱えなければ、刀が折れたときに苦労するぞ?」
そうやってアドバイスをしていると、今度は横手からニカクウサギが突っ込んでくる。少女が慌てて刀を構えるが、それよりも早く志信は地面を蹴っていた。
額に生えた角で突き刺そうと突進してくるニカクウサギの顎を蹴り上げ、浮いた体に前蹴りを叩き込む。人間と違って受身を取ることができないニカクウサギはそのまま後ろへと吹き飛び、木の幹に叩きつけられた。相手が起き上がってくるかわからないため、志信は残心としてしばらく構えは崩さない。そして十分に残心を取ると、少女へと目を向けた。
「もちろん、体術だけで相手を倒すという手もある。こちらの場合は刀と違って相手を殺さずに無力化しやすい。用途に応じて使い分けることも重要だな」
ニカクウサギは気絶しており、それを見た少女は尊敬と熱のこもった目を志信に向ける。
「では、まずは実戦に慣れることだ」
その視線の意味を理解できなかった志信は、それだけを告げてその場を後にした。
太陽が中天を過ぎ、村のほうから鐘の音が響く。それを聞いた義人は、近くにいた農民に声をかけた。
「今の音は?」
「あれは正午を告げる鐘です」
「そうか。なら丁度良い、休憩にしよう」
手に持っていた鍬を地面に立てると、義人は作業している兵士達に向かって振り返る。
「今から昼食と休憩を取る! 森の中で戦っている者にも伝えてくれ!」
「はっ!」
傍にいた兵士が頭を下げ、すぐさまタルサの森へと走っていく。それを見送った義人は手拭いで汗を拭いた。そして自分が耕した畑を見て満足そうに笑う。
「これは良いストレス発散になるな。カグラに頼んで城の裏手に畑でも作ろうか?」
無理だとわかっているが、冗談交じりにそんなことを言ってみる。
そしてひとまず畑付近にいた魔法剣士隊を整列させると、楽しげに笑いかけた。
「なんだ、みんな泥だらけじゃないか」
「ヨシト王が一番泥だらけだと思いますが?」
調子の良い兵士がそう言うと、周りの兵士も楽しそうに笑う。
「ははは、そうだな。張り切りすぎたよ」
義人も一緒に笑い合う。そうやってしばらく笑っていると、村のほうから優希が小走りに駆け寄ってくる。
「義人ちゃん、おにぎりとお茶を用意しておいたよ。早く食べに行こう? あ、顔に泥がついてるよ?」
そう言うなり濡れた手拭いで義人の頬を拭う。それを見ていた兵士の間から口笛や冷やかしの声が飛んだ。
「うらやましいですな、ヨシト王」
「いやまったく。俺達も顔を拭いてもらいたいなー」
「なー」
「ええい、やかましい! 態度が砕けすぎだお前ら!」
口ではそう言うが、魔法剣士隊の態度は義人自身許容している。部下や臣下などより、友人やそれに近い関係のほうが義人にとっては嬉しいからだ。
そうやって笑いつつ、義人達は村に向かって歩き出す。
「優希、おにぎりは誰が握ったんだ?」
「んーと、わたしの他には同い年ぐらいの女の子達だよ?」
優希の言葉を聞いた義人は、後ろについてきている連中に振り返る。
「聞いたか? おにぎりは村の若い女の子が握ってくれたそうだぞ!? 味わって食えよ!?」
『はっ! 味わって食べます!』
男性兵士全員が迷いなく大声で返事を返す。
「お前ら一致団結しすぎ」
見れば、女性兵士はやや白い目で同僚を見ている。
そうやって村の広場まで行くと、一緒に農作業していた村人が若い女の子からおにぎりを受け取っていた。
義人は並んで受け取るように指示すると、自身も列に並ぶ。すると、今度はタルサの森の方角からミーファが砂煙を上げながら走ってくる。
「ヨシト王! 何故わたしの部下を貴方が指揮しているのですか!?」
どうやら、突っ込みのためにわざわざ走ってきたらしい。
「何故って……流れでつい?」
「そんなことでヨシト王の手を煩わせるわけにはいきません! というかお前達! 何故普通にヨシト王を並ばせているんだ! 王だぞ!?」
周りの兵士に怒鳴るミーファに、義人は肩を竦めた。
「こらこら、ミーファ。俺が自分で勝手に並んでるんだからいいだろ? というか、今日の俺は休養が目的でもあるんだ。好きにさせてくれよ」
「しかし……」
「王様命令」
伝家の宝刀を抜く。するとミーファは一瞬呻き声を出し、嘆息した。
「……わかりました」
「よし。それならミーファも並べよ。腹減っただろ?」
「はっ!」
一礼して最後尾に並ぶミーファ。しかし、別の列の最後尾に志信がいるのを見てそちらへと移動する。それをニヤニヤしながら見送った義人は、いつの間にか自分が受け取る番が来ているのに気づいて前を向いた。
「さて、腹減った……ん?」
差し出された竹皮に包まれたおにぎり。それを差し出していた少女に見覚えがあった義人は浅く記憶を辿っていく。そんな義人を見ていた少女は、嬉しそうな顔で頭を下げる。
「お久しぶりです、ヨシト王。親元に帰していただき、本当にありがとうございました」
「やっぱりあの時の……そっか、無事に帰れたか」
借金の形に取られ、商人のゴルゾーに贈り物と称して義人に差し出された少女達の中の一人だった。他におにぎりを手渡している少女達も、どこか見覚えがある。
「一緒の村だったんだな。なにはともあれ、無事で良かった」
「はい、他の子もみんな無事に戻れました。ヨシト王にはとても感謝しています」
本当に感謝をしているのだろう、含みもない綺麗な笑顔。義人は逆に申し訳なくなり、目を逸らす。
「別に気にしないでくれ。元はと言えば、悪政を敷いていた前王が悪いんだし。俺は人として当たり前のことをしただけだよ」
「そういうわけにはいきません! わたし達はみんな、もう二度と親元に帰れないと思っていましたから、本当に感謝しているんです。それに、あんなにたくさんのお金までいただいてしまって……」
心苦しそうな少女を前に、義人は歯を噛み締めた。
今の義人が個人の裁量で扱える金額は限られている。王とはいえ、私的な判断でお金を渡すと決めたために財務担当の者を通して大金を渡すことはできなかった。そのため一人あたり五百ネカずつぐらいしか渡せなかったのだが、目の前の少女はそれを大金と喜んでいる。
それが、ひどく心苦しい。
「それに、借金がいつの間にか帳消しにされていたとお父さんが言ってました。王様のおかげなんですよね?」
花の咲くような笑顔だった。目の前の少女は、借金を帳消しにしたのが義人だと信じきっている。
「以前の王様は酷い人でしたけど、今回はヨシト様が王様で良かったです!」
実に、嬉しそうな声だった。他の少女や、一緒に農作業をしていた村民も頷いている。
「……そうか。いや、ありがとうな」
感謝の言葉が、笑顔が重い。
自分の取った行動が誰かを幸せにして、誰かを不幸にするかもしれないという重圧。
それは、覚悟していた。いや、したつもりだった。だが、実際に目の前で感謝されると言い表せぬ喜びを感じ、判断を誤った時のことを考えると鉛のように気分が重くなる。
「本当に、ありがとう」
結局、その少女の顔をまともに見ることができずに義人はその場を後にした。
少し離れた芝生の上に腰を下ろした義人は、竹皮を解いて中のおにぎりに手をつける。無言でつかんで口に運ぶと、程良い塩の辛さに頬を緩めた。
「こりゃ、優希が作ったやつかな……」
自分好みの味付けに、そう呟く。すると、それを聞いたかのように優希が歩み寄ってきた。その手には二つの湯飲みを持っている。
「はい、義人ちゃん。お茶だよ」
「ああ、サンキュ」
湯飲みを受け取ると、優希は義人の隣に腰を下ろした。その距離は肩が触れ合いそうなほど近く、長年義人の隣を歩んできた優希の距離だ。そして自分の分のおにぎりを頬張ると、笑顔を見せる。
「美味しいね?」
「そうだな。これ、優希が作ってくれたんだろ?」
「うん! わかってくれたんだ……嬉しいなぁ」
「……ま、長い付き合いだしな」
ぼんやりと呟き、義人は雲一つない青空を仰ぎ見る。その表情はどこか遠くを見ており、その表情が何か考え事をしていると読み取った優希は、倣うように青空を見上げてポツリと呟いた。
「義人ちゃんの思う通りにしたらいいんじゃないかな?」
「俺の考えを読むなんて……エスパーか?」
「ううん。でも、義人ちゃんに限ってはそうかも」
見上げていた顔を下げ、優希が義人に向かって柔らかく微笑む。長年見慣れたその笑顔を前に、義人は肩の力を抜いた。そして、苦笑混じりに話し出す。
「なんていうかさ、今になってプレッシャーを感じてるんだ。初めてゴルゾーが来たときに『歪んだこの国を良くしてやろう』って強く思えたんだけど、それに伴う責任の重さが、な」
「きつい?」
「きついっつーか、重いな。今日あの子らの笑顔を見てそう思ったよ。そんで、俺なんかで王様が務まるのかってちょっと不安になった」
サァ、と芝生の上を風が撫で、二人の髪を揺らす。
「そう考えると、昔の殿様とかってすごいよな。この国は人口八万人くらいらしいけど、その何倍もの人達の生活を守っていたんだから」
「義人ちゃんが弱音を吐くなんて、珍しいね」
「そうか? まあ、相手が優希だしな」
「―――ふふ、嬉しいな」
義人の言葉に、優希が心から嬉しそうに笑う。
「義人ちゃんなら大丈夫だよ。義人ちゃんが良いと思った方向に進めば、みんな幸せになれるよ」
「簡単に言うねー。買い被りだっての」
「そうかな? でも、少なくとも」
優希が立ち上がり、満面の笑顔で振り返る。
「わたしは、そう信じてるよ」
信頼しきったその表情に、義人は小さく笑う。
「じゃあ仕方ないな」
義人も立ち上がり、兵士達を交えて笑い合っている村民の方へと目を向けた。
「もっと頑張ってみる。あと、ありがとな優希。気が晴れた」
「義人ちゃんの役に立てたのなら、それだけで嬉しいよ。さ、残ってるおにぎりも食べちゃお?」
「そうだな。腹が減ってはなんとやら。まずは腹ごしらえだ」
いつもの力ある表情に戻った義人を、優希は陶然とした笑顔で見つめる。
意識が残ったおにぎりへと向いていた義人は、そんな優希の笑顔に気づくことはなかった。