第二十話:視察
朝特有の清涼な空気を吸い込み、大きく背伸びをする。
城門の前に魔法剣士隊が隊列を組み、王都の外へと歩き出す。そんな中、義人は馬に跨ると、カグラに声をかけた。
「それじゃあ行ってくる」
義人は後ろに優希を乗せ、カグラは馬上の義人を見上げると笑顔で頷く。
「お気をつけて。シノブ様とミーファちゃんがいるから大丈夫だとは思いますけどね」
「魔法剣士隊を丸々連れて行くんだ。危険はないって」
カグラの言葉に苦笑を返す。
義人が身につけている携行品は王のマントだけだ。だが、その周りを固めるように兵士が並んでいる。
「それではシノブ殿。ヨシト王を頼みましたぞ」
少し離れたところではアルフレッドが志信に声をかけていた。そして、それを聞いたミーファが僅かに頬を膨らませる。
「アルフレッド様、魔法剣士隊の隊長はわたしなんですけど?」
「シノブ殿が辞退していなければ、“元”魔法剣士隊隊長になっていたかもしれんがのう」
ミーファの抗議にアルフレッドが意地悪く笑う。ミーファはうっ、と呻くとあらぬ方向に目を逸らした。
「俺は魔法を使えませんからそれはないでしょう」
「いやいや、シノブ殿には『強化』のようなものがかかっておるから資格はあるのじゃよ。魔法の恩恵を受けていれば魔法剣士と呼んでも差し支えないからのう」
「しかし、俺は他人に指示を出すよりも自分が動くほうが楽です。ミーファのほうが隊長に向いているでしょう」
そんな会話を聞いていると、このままでは色々と拙いと思ったらしきミーファが大声を上げる。
「そ、それじゃあタルサ村に行くわよ! 全員、出発!」
叫ぶなり逃げるように馬で駆けていくミーファ。それを見た義人達は、やれやれと苦笑し合った。
タルサ村は王都フォレスから馬で早駆けすれば一時間もかからない場所にある。
魔法剣士隊の兵士は馬に乗っていないが、皆魔法で身体能力を上げているのである程度の速さで走ることができるから問題はない。
全員がタルサ村に着くには二時間もあれば大丈夫だろう。義人は馬を走らせながらぼんやりとそんなことを考えていた。
カグラが連れてきたこの馬だが、十分に躾がされているため馬に乗ったことのない義人でも非常に乗りやすい。その上他の馬よりも多少体が大きく、後ろに優希を乗せていても平気で走ってくれる。
「お馬さんってやっぱり足が速いねー」
「そうだなー。でも、俺としては周囲を走る連中のほうがすごいと思うぞ。周りから見るとけっこう不気味だろうけど」
それなりに早く走っている馬と並走する無言の集団。手には鞘に納めた刀を持ち、隊列を崩さずに走っている。かなりシュールな光景だ。
義人は風を切りながら馬を走らせつつ、後ろへと流れていく風景を見る。
馬に乗って疾走していくなど元の世界では味わえなかった体験だ。速さでいうなら車に分があるが、馬の走る振動などが伝わってきて実に不思議な気分になる。
「なんつーか、楽しいな……」
何気なく呟いた言葉は風に流されていく。
魔法を使う人間がいて、魔物がいる異世界。もしもRPGならば魔王がいて、それを倒すために旅に出ただろうか。
そんなどうでもいいことを義人が考えていると、後ろに座っていた優希が力いっぱいしがみついてきた。そして、小さく呟く。
「楽しいね」
どうやら聞かれていたらしい。
義人としては、しがみつかれた際に背中に当たった柔らかいものが気になったがそれは顔に出さない。ついでに『柔らかくてあったかいなー』なんて思ったが、もちろん口には出さない。義人も男の子なのである。
「オ、オオ。タ、タノシイナー」
ただし、明らかに動揺して片言になっていた。優希はそんな義人の声を聞くと、小さく笑う。
「どうしたの? 義人ちゃん、声が変だよ?」
そう言いつつ、落ちないよう義人の腰に回していた腕に力を入れてさらに密着した。
「イヤイヤ、ナンデモナイデスヨ」
ダラダラと冷や汗が流れている。義人はこういった事態にはとことん弱く、優希もそれを知っていた。さらに今は馬に乗っており、逃げ場はない。
結局、義人はタルサ村につくまで片言のままだった。
「ふぅ……ここがタルサ村か」
タルサ村についた義人は馬を下り、額から流れる冷や汗を拭う。同じく馬から下りてきた優希は、どことなく幸せそうだ。
「どうした義人。なにやら顔色が悪いが? 乗り慣れない馬を使ったせいで足を痛めたか?」
義人の様子を見た志信が傍に寄ってくる。義人は遠くを見るような目で志信を見た。
「なんというか、針の筵? いや、違うか。桃源郷と地獄を全力疾走で行ったり来たりしてた気分だ。頑張った、俺」
言われた言葉の意味がわからず、志信は僅かに眉を寄せる。言った本人の義人も意味がわからず、やっぱりいいやと手を振った。
点呼を取っているミーファをなんとなく見ていると、義人達の方へと初老の男性が一人歩み寄ってくる。その後ろでは村人が大勢並んでおり、義人が身に着けているマントを見るとすぐに膝をついた。
「私、この村の村長を務めている者です。まさか王自らお越しいただくとは……」
恐縮しきったように頭を下げる村長に、義人は苦笑を向ける。
「そんなに頭を下げないでくださ……下げないでくれ」
危うく敬語で話しかけて、慌てて口調を改める。そして馬を預けると、嘆願書を開いて村長の前に掲げた。
「嘆願書をもらったからな。俺もこの国の民がどういう生活をしているか自分の目で見てみたかった。だから、そんなに畏まらないでくれ」
「は、はい……」
想像していた王の人物像と違ったのか、村長は若干安堵した表情で顔を上げる。そんな村長を一瞥すると、義人は村の方へと目を向けた。
タルサ村は人口約千人で、農業を生業としている者が多い。だが魔物が出没する森が傍にあるため、よくその被害を被っている。
村の様子は、端的に表して活気がない。人の姿がちらほら見えるが、その顔には疲労の色が滲んでいる。そのことに顔をしかめた義人は、ミーファに点呼が終わったことを確認して村長に顔を向けた。
「とりあえず魔物が出るっていう森の傍まで移動する。村長、案内してくれ」
「は、はい!」
大きく返事をした村長の後に続き、義人達は歩き出す。その際にも村の様子を眺め、義人は手にした紙に色々と書き込む。
「義人ちゃん、それ何?」
「これか? これはタルサ村に関する資料で、俺自身がこの村を見た感想を書いてる」
村民の生活や走り回っている子供たち、村の設備などを観察しつつ、義人は先頭に立って案内をしている村長に質問をぶつけることにした。
「村長、今からいくつか質問をするから正直に答えてほしい。いいかな?」
「もちろんですとも。王に嘘をつくなどとんでもありません!」
「そうか……なら質問。生活は苦しくないか? いや、苦しいだろ?」
あまりにも直接的な質問に、村長はどう答えようか迷う。
ここで肯定すれば、今の政治を批判することになるかもしれない。前王は政治批判をした者には容赦がなく、大勢が罰を受けたと話を聞く。
もしかしたらこれもそういった質問かもしれない。そう思った村長は、首を横に振った。
「い、いえ。大丈夫です」
明らかな嘘に、義人はため息を吐く。
「いや、そんな誰が見てもわかる嘘をつかれても逆に困るって」
「義人ちゃんに対して嘘をついたらそれだけで罰を受けさせるよ?」
さらりと横の優希が笑顔で告げ、村長が身を震わせて頭を下げる。
「も、申しわけありませんでした! せめて罰は私一人に!」
「そんなことするか! 優希も何言ってんだよ!?」
優希の額をデコピンで弾き、義人は今にも土下座しそうな村長を立たせた。
「ちゃんとありのままに話してくれ。そうしないと、きちんと改善できないだろ?」
「わ、わかりました。正直に言われていただければ、生活はかなり厳しいです。村民の中には借金をして、自分の子供を借金の形に取られていった者もいます」
「うっ……そうっすか」
借金の形に取られた子供を贈り物として差し出されたことがある義人は、内心気まずくなって目を逸らす。だが、そうしているわけにもいかず気を取り直した。
「やはり税金か?」
「ええ。税金が七割では生活も厳しいです。他国へ引っ越そうとした者もおりますが、引っ越すための金もなく断念していました」
「……仮に、税金が六割か五割に下がったらどうだ? 少しは生活が楽になるか?」
義人がそう言うと、村長は大きく首を縦に振る。
「少しなんてものじゃありませんよ! 六割なら借金をする者がほとんどいなくなるでしょうし、五割なら皆豊かな生活ができます」
「そうか。いや、そうだよな」
村長の言葉に嘘はないと判断すると、思考を巡らせていく。
―――どうにかやって税金を下げないとな……いや、俺が下げようと思えば下げられるのか?
帰ったらカグラに聞いてみよう。
心の中だけでそう呟くと、義人は疲れた息を零した。
タルサの森の傍まで案内してもらった義人達は周囲を見回す。森の奥からは魔物の鳴き声が聞こえ、少々薄気味悪い。
そんなタルサの森から少し離れた場所には柵が作られており、それを超えれば広い畑が見える。柵のあちこちが壊れているのは魔物の仕業だろう。
義人は畑に足を運ぶと、マントを魔法剣士隊の兵士に預けて畑の土を掘り返す。それを見た村長や農作業をしていた村民が目を剥いて驚いているが、義人は気にしない。
「ミミズもいないし、ずいぶんと痩せた土だな……」
痩せた土とは有機質がなく微生物も居ないことを指す。これでは肥料を与えても微生物が居ないため、与えた肥料を分解して植物の養分とすることはできず、結果として植物の育ちがすこぶる悪くなる。
そのためにはまず肥料よりも微生物を土に与えなくてはいけない。義人は元の世界で見ていたテレビからの知識を思い出すと、一つ頷いてミーファを呼んだ。
「お呼びですか?」
「ああ。予定通り魔物を退治する班と腐葉土を集める班に分ける。両方とも実戦経験がない奴を均等にしてくれ。一定時間が経ったら交代させるから」
「その……本当に腐葉土を集めたり農作業をするために兵を使うのですか?」
そんなことをするために兵がいるのではないとミーファの目が語っている。それを見た義人はたしなめるように説得を開始した。
「兵士だって食事を取るだろ? その食事の材料は誰が作ってるんだ?」
「それは農民です」
「そうだ、農民だ。だけど、野菜を育てるのにも米を育てるのにも金と時間がかかる。そんな農民の苦労の末に出来た物を俺達は食べてるんだ。手伝っても罰は当たらないさ。そうだろ?」
「それとこれとは話が別です。農民はそれが仕事であり、わたし達は刀や魔法を振るうのが仕事です」
反発するミーファに、義人は意地悪く笑う。
「器が小さいな、ミーファ。志信なら迷わず賛同してくれるぞ? 試しに呼んでみよう。おーい、志信ー! ちょっとこっちに来てくれー!」
「ちょ、ヨシト王!?」
ミーファが慌てるが、そんなものは無視する。呼ばれた志信はすぐに駆け寄ってきた。
「どうした?」
「いやさ、ミーファが農作業や腐葉土集めに兵を使うのは嫌だって言うんだよ。どう思う?」
簡潔に会話の内容を話すと、志信はミーファに目を向ける。
「ミーファはどうやら義人の案を深く考えなかったようだな」
「深く? 深くってどういうこと?」
志信が話すとなるとやけに素直なミーファの態度に、義人は少しだけ苦笑した。そんな義人を他所に、志信が説明を続けていく。
「農作業とは存外体力を使う。鍬を振って土を掘り起こす動きは剣の振り下ろしの訓練にもなるだろう。そして腐葉土を集めるにはまず落ち葉を掘り起こすことから始める。だがその間は魔物に対して無防備になるだろう。そのために魔物を相手にする班があり、仲間が腐葉土を掘るために無防備な状態でいるなら嫌でも緊張感を持つ。そうすればより良い訓練になるだろうし、守るということの大切さも学べる。そして腐葉土が手に入れば肥料代がかからず、農民も助かるだろう。どうだ? どこか拙い点があるか?」
つらつらと告げる志信に、ミーファは満足そうに頷いた。
「ううん、拙い点はないわ。そんなことを考えつくなんて、流石シノブね!」
「いや、考えたの俺なんですけど……」
「よし、それじゃあ早速班分けしてくるわ」
「聞けよ」
納得したのか、鼻歌混じりに去っていくミーファ。そんなミーファの背中を見送った義人は、志信に悲しげな目を向ける。
「なあ、俺って王様だよな?」
「もちろんだ」
力強く頷いた志信は、ミーファがどんな感情を持っているかも当然のように気づいていなかった。