閑話:後日談之三 白龍襲来
その日、義人は政務の合間に、散歩を兼ねて優希や小雪と共に城の裏手の訓練場で兵士達の訓練風景を眺めていた。珍しく小雪が構ってほしいと駄々をこねたため、それを受けた義人は政務を切りの良いところでいったん終わらせ、優希も誘って息抜きに出かけたのだ。
当の小雪は、義人と優希の間で両手をつなぎ、御満悦の様子である。サクラやノーレも護衛を兼ねてついてきているが、気を遣っているのか、義人達からは僅かに離れた場所にいる。
訓練を行っている兵士達も“国王”が見ていることに最初は緊張していたが、義人達の様子を見て穏やかに笑っていた。
政務も滞りなく回り、国内も大きな問題はない。
つい先日、志信がミーファとシアラに自分の気持ちを伝えに行ったと思ったら、婚約をしてきたという大事件もあったが、それ以外大きな出来事はなかった……むしろ、志信の件が強烈過ぎて、それ以外のことがそこまで印象に残らなかったのだが。
ちなみに、義人はその話を聞いた際に鼻からお茶を噴き、見ていた書類を台無しにしている。
「いやぁ、平和だねぇ……」
「へいわー?」
呟く義人に、小雪が首を傾げる。それを見た義人は、穏やかな笑みを浮かべながら小雪の頭を優しく撫でた。すると、小雪は心地良さそうに目を細めてそれを受け入れる。
最近は徐々に夏らしい気候になってきているが、“元の世界”と違ってカーリア国はそれほど暑くならない。それでも、外に出れば少しばかり汗ばむぐらいの気温はあるので、義人は青空を見上げ、今年の夏は少しばかり遊んでみたい気分になった。
「あー……もう少し熱くなったら、海にでも泳ぎに行きたいな……」
「うみー?」
「そう、海。西瓜割り……は西瓜がないからそれっぽい果物で代用して、海で泳いで、夜は花火とか良いよな。優希、水着も作れるか?」
小雪の頭を撫で続けながら義人が尋ねると、優希は当然とばかりに頷いた。
「もちろんだよ。あ、わたしも自分用に水着を作ろうかな?」
「おかーさん! こゆきのも!」
「うん、もちろん。小雪用に、可愛い水着を作ってあげるね」
「やったー!」
優希の言葉に、満面の笑みを浮かべる小雪。それを見た義人は、政務を片付けて行けば二泊三日の小旅行ぐらいは問題ないだろうか、と頭の中で算盤を弾く。護衛の兵士を連れていく必要があるが、彼らも半分休暇目的で連れて行けば良いのではないか。
義人は遠からぬ未来の予定を立て、たまには息抜きも必要だよな、とあとで計画を煮詰めてみることを決意し―――。
「ん?」
―――“ソレ”は、突然やってきた。
突如頭上に強力な魔力を感じ取り、義人は弾かれたように顔を上げる。魔力を察知するのが下手な義人でも感じるほどの、強大な魔力。それを疑問に思うよりも先に優希と小雪を両腕で抱き上げ、義人は地を蹴る。
「ヨシト様!」
『ヨシトッ!』
「わかってる!」
すぐさま駆けつけたサクラとノーレに叫んで返し、義人は空に向かって目を凝らした。すると、小さな影が城の裏手へと落下してくる。
魔法ならば被害が出る前に打ち落とす。そう考えた義人だが、徐々に見えてきたその姿に思わず目を見開いた。
「まさか……人間、か?」
重力に従って落下してくるその姿は、どう見ても人間だった。長い黒髪をたなびかせた女性が、義人達の傍へと落下してくる。
『他国からの刺客かもしれぬ……油断するでないぞ』
そう言って、ノーレも身構えた。落下してくるその女性の魔力は、桁外れに大きい。それこそ、小雪やカスミと比較しても遥かに強大なほどだ。
「おいおい……こんなとんでもない魔力を持った奴に狙われる覚えはないぞ……」
義人も相手の魔力の大きさを感じ取り、強がるように呟いた。城の中に逃げ込みたいところだが、魔法で攻撃されれば生き埋めになる可能性がある。
周囲の様子を窺ってみると、義人達同様に迫りくる巨大な魔力に気付いたのか、空を見上げて大きな声を上げていた。それでもすぐさま義人の元へと駆け付け、義人達の身を守るように円陣を組む。
そして義人達が状況を見守る中、女性は変わらずに地面へ向かって落下するが、何か魔法を使ったのか、音も立てずに着地する。そして長い黒髪を乱雑に払うと、義人達に視線を向けた。
「―――そこの人間」
ただの声、ただの視線。それだというのに、義人の周囲を守る兵士が気圧されたように一歩引く。それでも義人は、言葉が通じることに僅かに安堵した。これでもし、問答無用で襲いかかってこられた場合、多くの犠牲が出るだろうと思われた。
女性は何も答えない義人達の様子に眉を寄せ、ゆっくりとした動作で近づいてくる。
「我が子を迎えにきた。すぐに渡すがよい」
そして、よく通る声でそう言った。それを聞いた義人は、思わず眉を寄せる。
「……我が子と言われても、突然過ぎてよくわからない。人違いじゃないのか?」
暗殺者の類ではないのかと思いつつ、尋ねた。すると、女性は義人の隣へ視線を向ける。
「白龍の子だ。そこにいるのだろう? 我と似た匂いがする」
円陣を組んだ兵士によって見えないはずだが、女性は白龍の子―――小雪を指名する。
義人は女性が言う『我が子』という言葉から女性の正体を推察し、思わず驚愕とした。
「まさか……あんたも白龍なのか?」
本来ならば、『小雪を産んだ白龍なのか』と尋ねるべきだったかもしれない。しかし、小雪にとっての母は優希なのだ。そのため僅かにニュアンスを変えたが、女性はそれを不快そうに受け取る。
「これならば、“本来の姿”でくれば良かったか……」
そう言いつつ、女性の背中から翼が生える。真っ白な、人型に化ける前の小雪が持っていた翼を成長させたような翼が、そこに生えていた。
女性は義人を見据え、口を開く。
「『龍の落とし子』として、我がそこにいる子を産んだ。そして今迎えにきた。説明としてはこれだけで十分であろう? さあ、渡すがよい」
ぞんざいに、己の言うことが絶対的に正しいと確信している様子で、女性が告げる。それを聞いた義人は、背後に控えるノーレへと疑問を込めて『思念通話』で話しかけた。
『ノーレ……“アレ”は本当に白龍なのか?』
『本物、じゃな……コユキをさらうために、どこぞの国の輩が一芝居を打っているのかと思うたが、身に纏う魔力が人間のものではない……質と量が、人の身では有り得ぬほど高いんじゃ……』
驚きか、それとも絶望か。ノーレは声を僅かに震わせながら、義人に目の前の存在が嘘を言っていないことを伝えた。
『こそこそと何を話している? そこの風の半精も言っているであろう。我は間違いなく、そこの子の母ぞ』
「っ!?」
ノーレと交わしていた『思念通話』に割り込まれ、義人は驚きの声を上げかける。ノーレも義人と同様に驚き、一目で風の妖精と人間の子であると見抜かれたことに驚嘆した。
「お、おとーさん?」
兵士の姿で遮られているが、声は聞こえたのだろう。小雪が義人の服の袖を引き、不安そうな、泣きそうな顔で見上げてくる。義人は小雪の頭に手を乗せると、その不安を払うように優しく撫でた。優希も、義人と同じように小雪の頭を優しく撫で、それで小雪も少しだけ不安が和らいだように表情を柔らかくする。
「それにしても……」
早すぎる、と義人は思った。
アルフレッドやカスミから聞いた話によれば、『龍の落とし子』で人間に預けた子供を親の龍が迎えに来るのは、数年から数十年後。故に、まだまだ先のことだと思っていたのだ。
小雪は義人と優希を実の両親だと思っていたし、二人も小雪を実の娘のように愛している。それだというのに、小雪の母を名乗る白龍の到来はそれを裂くものだった。
義人も、小雪を実の母親の元へと渡すべきではないかと思う気持ちはある。だが、例え短くとも、親子として密度の濃い時間を過ごしたのだ。素直に、はいわかりました、と渡すわけにもいかない。
ならば交渉をして、できれば帰ってほしいところだが、どう見ても交渉が通じる気配ではなかった。
「義人!」
「ヨシト様! ご無事ですか!?」
義人がどうするべきか悩んでいると、女性の異常な魔力を感じ取ったのか志信とカスミが駆けつけてきた。志信は『無効化』の棍を、カスミは氷の薙刀を手にしているが、義人としてはそれが目の前の女性に通じるイメージが湧かない。
「なっ……」
相対する人物を確認して、カスミは絶句する。
人間や魔物を含めても規格外の魔力量を誇るカスミだが、眼前の人物は、それを遥かに上回る魔力を身に纏っているのだ。魔力の扱いにも長けるカスミはそれをすぐさま感じ取ると、動揺をなんとか押さえつつ思考する。
―――これは……一体どういう状況ですか? 明らかに魔物の中でも上級……その中でも、さらに一握りの最上級の魔物?
そこまで思考し、カスミは女性の背中に白い翼が生えているのを確認した。
白龍―――それも、小雪と違って永い時を生きたであろう、成体の白龍だ。
その事実に、さすがのカスミも戦慄する。志信も女性の白い翼から正体を看破したのか、表情を硬くしていた。
「そこの娘……お主からは、我が馬鹿娘の匂いがするな。血縁か?」
そして、不意に女性がカスミへと視線を向けて問いかける。その言葉を聞いたカスミは、意識して体から緊張を追い出し、震えそうになる口を無理矢理開いた。
「馬鹿娘、というのがミレイ=シーカー様を差すのなら、わたしは確かに彼女の血縁。彼女の血を引いています」
「そうか……あの馬鹿娘め、今はそんな名を名乗っておったな……その上、人間との間に子を残しておったか。ふん、白龍の血はだいぶ薄くなっているようだが、な。それでも、あの馬鹿娘の血の匂いもする」
女性は無遠慮な視線をカスミに向け、上から下まで眺める。そしてその顔をよく見た後、不快そうに口元を歪めた。
「顔もそっくり、か……気に食わんな。ついでに潰していくか」
何でもないことのように呟きながら、女性が軽く手を振る。それを聞いたカスミは、全身に怖気を感じて咄嗟に背後へと跳んだ。すると、それまでカスミが立っていた場所が大きく陥没する。
「くっ!?」
何をしたのか、まったくわからない。カスミの目を以ってしても何も見えなかったことから風魔法だと思うが、その割に魔力の流れも感じない。それでも自身に向かって“何か”が迫っていることだけを感じ取り、カスミは必死に避け続ける。
「動きは悪くないか。では……む?」
女性が再び手を振り、見えない“何か”がカスミを捉えようとした瞬間、その“何か”を遮るようにして人影が―――アルフレッドが飛び込んでくる。そして拳を振り上げると、“何か”に向かって叩きつけて相殺した。
「あ、アルフレッド様……」
ギリギリで助けられたカスミは、安堵のこもった呟きを漏らす。しかし、アルフレッドはそれに答えず、女性へと視線を向けた。
「はてさて、何故このような場所に白龍の……それも、古龍の方がいらっしゃるのかのう」
古龍という言葉を聞き、カスミは驚愕に目を見開く。龍種の中でも何千年も前から生きているものを指すのだが、実際に見たのはカスミも初めてだった。その力は強力で、並の龍種が一つの村や町を壊滅させられるとすれば、古龍は国を、それも大国を“複数”滅ぼせるだけの力を持つと言われている。
アルフレッドは目の前の存在が悪しき者だとは思わなかったが、カスミを攻撃していたのが解せない。政務を放り出して駆け付けたが、あと少し遅ければ、カスミも“大怪我”をしていただろう。
女性はアルフレッドを興味深そうに見ていたが、何かを思い出したように小さく手を合わせた。
「お主は見覚えがあるな……たしか、東のエルフの村落で“やんちゃ”をしていた小童か」
「……まさか、儂のような小物を見知っておられるとは、光栄じゃな」
アルフレッドも永い時を生きているが、それでも小童扱いである。しかし、この場にいる者達の中では最も興味を惹かれたのか、女性が首を傾げた。
「謙遜をするな。加減をしているとはいえ、我の攻撃を防いだのだ。しかし、何故お主のようなものが人間の国にいる?」
純粋に疑問なのだろう。女性は不思議そうな表情をしていた。それを受けたアルフレッドは、女性が放った攻撃を無理矢理弾いたことで痛む右腕に眉を寄せつつも、笑ってみせる。
「親友に頼まれ、国の面倒を見ているのじゃよ」
「ほう……その親友とやらは、人間か?」
「左様。もっとも、もう何百年も前のことじゃがな」
アルフレッドがそう言うと、女性はどこか楽しげに笑う。
「なるほど……エルフであれば、まあ、良い。人間の世界にそれほど影響があるわけでもなし……お主は少しばかり目に余るが、間引くほどでもない、か」
間引くという言葉に、再び場が緊張する。しかし、アルフレッドはそれを視線だけで制すると、女性と視線をぶつけあった。
「それで、本日は何の用じゃ?」
「うむ。我が子を迎えに来た。そこの子よ」
そう言って、女性は顎で小雪のいる場所を示す。それを聞いたアルフレッドは、義人と同じように表情を歪めた。
「……『龍の落とし子』を迎えに来るにしては、早すぎると思うんじゃがのう」
「たまたま通りかかったからな。ついでに連れて帰ろうと思う。邪魔するなら、力づくでも連れて行くぞ」
会話をしているようで、実際は自身の望みを一方的に告げる女性。アルフレッドはその要求の内容を理解するが、義人が納得するとは思えない。事実、義人の方を見てみれば、女性の存在感に驚いてはいるものの、屈してはいなかった。
そして、アルフレッドの視線を受けた義人は、自身の周囲を護る兵士達を押しのけながら前に出る。
「俺の家臣をいじめるのは、それぐらいにしてくれるか? てか、俺の娘に用があるんだろ? 余所見してんなよ」
挑発するように、義人が言う。それを聞いたアルフレッドは、思わず額に手を当ててしまった。
下手をすれば小雪が連れて行かれるだけでなく、国が滅ぶ可能性もあるのだ。しかし、そんなアルフレッドの懸念を嘲笑うかのように、女性は義人の言葉を聞いてどこか面白そうな表情を浮かべている。
「ほう……人の身でありながら、我を恐れぬか?」
そう言うと同時に、女性の身に纏う魔力が増大する。それはもはや、物理的な圧力すら伴って義人へ迫るが、義人は鼻で笑ってそれを受け流した。
「―――娘の前なんでね。格好悪い姿は見せられないでしょ」
実際には、恐怖を感じている。しかし、それを微塵も表に出さず、余裕の態度で義人は言った。
「ふっふっふ……なるほど、面白い」
義人が恐怖を感じているのを見越した上で、女性は笑う。
人間にしては、中々見事な胆力だ。現に、義人の周囲を護る兵士達は絶望染みた表情をしている。それでも逃げ出さないのは驚きだったが、義人に対する兵士の忠誠心も高いのだろうと女性は思った。
そして女性は、義人の隣にいる小雪へと視線を向ける。小さい、非常に小さい娘だ。だが、その身に纏う魔力は、たしかに自分と同質のものが感じられる―――が、多少、見知らぬ魔力も混ざっていた。女性がそれを不思議に思って視線を巡らせてみると、今度は優希と視線がぶつかる。
優希は、じっと女性を見ていた。そこに恐怖の色はなく、ただ、観察するような視線を向けてくるだけだ。
「なるほど……そこの人間の娘が我が子を孵化させたか」
「うん、そうだよ」
女性の言葉に、優希が首肯する。相変わらず恐怖の色は、ない。今まで女性も長い年月で多くの人間を見たことがあるが、これまで出会ったことのないタイプの人間だった。魔力の量も、人間としては桁外れに大きい。その質は―――少しばかり人間離れしているが。
そして、当の小雪は目の前の女性を見て不思議な感覚を覚えていた。目の前の女性が、嘘を言っていないのだということも、何故か理解できる。
初めて見たが、どこか無意識のうちに安心できるのだ。
まるで―――“おかーさん”のように。
目の前の女性が、敵ではないと小雪は本能で理解した。
だが、この女性は自分を連れて行くという。“おとーさん”や“おかーさん”と引き離すと、そう言っている。
「…………やだ」
故に、小雪はそう呟いていた。義人の腰にしがみつき、目の前の女性を否定するように叫ぶ。
「やだっ! おとーさんもおかーさんも、ずっといっしょがいい!」
それは、迎えに来たという女性を否定する言葉。本当の親ということに疑いはなかったが―――小雪は、それでも義人と優希の元から離れたくなかった。
そんな小雪の、心の底からの願いを聞いた義人は、小雪の頭を少しだけ強く撫でる。自身を父と慕う少女の気持ちが、心底嬉しかった。
義人はしがみつく小雪を抱き上げ、その背中を軽く叩き、優希へと抱き渡す。そして体を解すように肩を回し、周囲の兵士達に向かって笑いかけた。
「さーて……悪いな、みんな。俺、また無茶するわ」
一国の王としては、間違いなく落第点の選択だろう。国王である自身の命を危険に晒し、付き従う者達の命も危険にさらし、それでも目の前の女性と対峙しようというのだから。
小雪を女性に引き渡せば、それだけで終わる。それだというのに、カスミもアルフレッドも敵いそうにない存在へ歯向かうのだ。本当に国のことを思うなら、それは悪手でしかない。
義人の言葉を聞いた護衛の兵士達は、諦めたような、それでいて温かみのある笑顔を義人へ返す。
「仕方ありませんね……ヨシト王は、本当に無茶ばかりされる」
「まったくだ……見てくださいよヨシト王。足の震えが止まりませんわ」
それぞれが軽口を飛ばし、それでも腰の刀を抜いた。義人はそれを見て、背後を指差す。
「優希と小雪を頼む」
「了解しました。なぁに、この身を盾にしてでも守りきってみせますよ」
「ご武運を!」
義人が前に出て、兵士達が後ろに下がる。サクラも、優希の護衛をするために一緒に下がった。それを見た女性は、不思議そうに目を細めた。護衛の兵士を下がらせて、一体どうするというのか。まさか、国王本人が戦うのかと、心底不思議に思う。
「まさかだが……我と戦おうというのか?」
そのため、一応は聞いてみることにした。その間にも巨大な魔力による圧力が義人へ襲いかかるが、義人はそれでも前に出てくる。
兵士は国王の身を護るものだが、それも場合によって異なる。兵士にとって義人は護衛の対象だが、当の義人は、そんな兵士達よりも腕が立つのだ。
それこそ、『召喚の巫女』を打倒するぐらいには。
だからこそ、義人は前に出る。そして女性の目を真っ直ぐに見つめ、口を開いた。
「娘が離れたくないって言ってるんだ……なら、その手を放すわけにはいかねえよ!」
女性の圧力を押しのけるようにして、義人が叫ぶ。それと同時にノーレが刀の形態に変わり、義人の右手に納まった。
それを見たカスミや志信も、それぞれ武器を構える。アルフレッドは義人の行動を見て、大きくため息を吐いた。
義人も、自身の行動が間違っているのは理解している。理解は、している。
――だがそれでも、一人の親として、“おとーさん”としては間違っていない。
義人はそう内心で呟き、ノーレを構えて前傾姿勢を取る。
出し惜しみはしない。最初から全力で、目の前の女性を仕留めるつもりで地を蹴る。
『ノーレ!』
『うむ!』
義人とノーレの二人による、二重の『加速』。それも、“カグラ”と戦った時とは違い、体も魔力も万全の状態だ。
義人が文字通り、姿を消す。それと同時に、カスミと志信も動いた。
義人は一歩で女性との間合いを詰め、しかしそこで軌道を変えて女性の背後へと回る。そして無防備な背中に向かってノーレを振るい―――あっさりと、手の平で受け止められた。
「っ!?」
「ほう……人の身にしては、中々速い」
以前、義人はミレイを相手に斬りかかって斬撃を防がれたことがある。その時使っていたのはノーレではなかったが、それでも、防御の際は素手で防がれるということはなかった。しかし、目の前の女性は、何も魔法を使わずに素手で受け止めているのだ。
もしも使っているのがただの日本刀だったら、それも理解はできた。だが、義人が今握っているのはノーレだ。切れ味は、その比ではない。
「ぐっ……あっさり防いでおいてそんなこと言われても、嬉しくないな」
防がれると同時に距離を取る義人。カスミや志信も、義人が二重の『加速』を使った攻撃を防がれるとは思っていなかったのか、攻撃する機を失っている。
女性は義人の斬撃を防いだ手に視線を向けると、ほんの一筋傷がついているのを見て目を細めた。
「褒めておる。今のは風魔法を使った移動術か。そこの風の半精の助力もあるのだろうが、大したものよ。誇って良いぞ」
淡々と、褒め言葉らしきことを口にする女性。対する義人は、まったく褒められた気がしなかった。
自身の手の平からほんの僅かに流れ出る血を見て、女性はそれを舌で舐め取る。傷口は数秒もせずに塞がり、表情に喜色の色を浮かべた。
「血を流したのは何百年ぶりか……そうだな、あの馬鹿娘を放り出した時以来、か」
血を流す、というほどの怪我でない。しかも既に治っているため、義人としては言うべき言葉が見つからなかった。それでも、抗うべく動く。
義人は速度に任せて女性の周囲を動き回り、志信はそれを補佐するように動き、そしてカスミが氷の薙刀を女性へと叩きつける。だが、一撃の威力という点では小雪にも匹敵するカスミの力を以ってしてもなお、女性には届かない。
女性は氷の薙刀を微動だにせず受け止めると、握力だけで砕いて折る。
「お主も、人の身にしては中々の魔力―――もっとも、我からすれば貧弱だがな」
そう言って、女性がカスミに向かって拳を振るった。
一見軽く放っただけの拳だが、直撃すれば城塞すら打ち砕く。それを看破したカスミは全力で『強化』を行うと、なんとか女性の拳を受け流した。そして、その隙に義人と志信が攻撃を仕掛ける。
義人が振るうノーレは再び手で防がれるが、志信が放った突きは防御すらされない。女性の鳩尾に命中したが、まるで鉄を突いたような感触だった。
「ほほう、棒を使った武術か。槍とも違う……興味深いな」
そう言うなり、志信に対しても拳が振るわれる。志信は棍での防御を考えるが、膂力の差から意味がないと判断して棍を放棄。振るわれた拳を包み込むようにして手の平で受け、勢いに逆らわず受け流し、距離を取った。それでも拳を受け流した手が痺れており、顔をしかめる。
「なんという馬鹿力だ……カスミや小雪以上だぞ」
「あの、シノブ様? さもわたしが馬鹿力のように言わないでくださいますか? コユキ様と違って、『強化』を使わなかったら普通の女の子なんですからね?」
動揺を誤魔化すように軽口を叩き合う志信とカスミ。女性はそんな二人のやり取りを楽しげに見やり―――首筋に迫った義人の斬撃を受け止め、その腕を掴んだ。
ノーレが咄嗟に鎌鼬を放って女性の腕を切断しようとするが、刃が通らずに弾かれる。女性は義人の手を叩いてノーレを払い落とすと、そのまま義人を地面へと叩きつけた。
「ぐはっ!?」
「義人!」
「ヨシト様!?」
背中に走った衝撃で、義人の口から声と息が漏れる。志信とカスミが義人を助け出そうとするが、女性が義人の首に手を添えたのを見て動きを止めた。
「少しは楽しめた……さて、人間よ。これが最後だ。あの子を渡すが良い。あの子は、母である我の元で育てる」
拒否すれば、首を折られかねない。痛みの中で、義人はそれを理解する。この女性の膂力ならば、それこそ小枝を折るよりも容易く人間の首を折れるだろう。
自分の命が握られているという恐怖。義人は“カグラ”と対峙した時とは違う、絶対者に対する恐怖を覚えた。
普通の人間ならば、小雪を実の娘のように思っていなければ、すぐにでも頷くだろう。
「―――断る」
だが、義人は頷かなかった。一片の迷いもなく、命乞いをすることもなく、女性の言葉を切って捨てる。
女性の目が、驚きからか僅かに見開かれる。続いて、何の前触れもなく頬に衝撃を受けて、大きく吹き飛ばされた。
「……なんだ?」
義人の傍から強制的に離され、女性は首を傾げる。殴られたような感触があったが、と視線を向けてみると、義人の傍で拳を振り抜いた体勢の小雪と、その小雪の肩に手を置く優希の姿があった。
「おとーさんをいじめるなっ!」
目が合うなり、小雪が叫ぶ。優希は義人の無事を確認すると、安心するように微笑んだ。
「義人ちゃん、平気?」
「大丈夫……だけど、あんまり無茶はしないでくれ」
「えへへ……ごめんなさい」
義人の言葉に、優希ははにかんでみせた。優希が行ったのは、“小雪と一緒に義人の傍へ移動する”という、言葉にすればそれだけのことである。
もっとも、移動を開始してから終了するまで、女性に気付かれないほどの移動速度だったが。以前、優希に背後を取られたことがあるカスミは驚きも少ないが、志信などは驚愕している。
女性は不思議な生き物を発見したように優希を見たが、当初の目的を思い出したのか義人達へ向かって歩き出す。しかし、そんな女性の前に小雪が立ちはだかった。
「そこを退け、我が娘よ」
「どかないっ! おとーさんとおかーさんはこゆきがまもるもん!」
小さな体で両手を広げ、義人や優希を庇うように立つ小雪。それを見た女性はしばらく思案していたが、ゆっくりと小雪へと近づいていく。
「待て……小雪に、それ以上、近づくな……っ」
小雪へ近づく女性を見て、義人は痛む体を無視して立ち上がろうとする。だが、強かに地面に叩きつけられたため、体が言うことを聞かなかった。それでも優希の肩を借りて立ち上がり、傍に戻ってきていたノーレを掴む。
女性は小雪まであと一歩というところまで近づくと、小雪の目線に合わせるように膝を折ってしゃがみ込む。そして、小雪と目を合わせて静かに問いかけた。
「……そんなに、そこの人間達が大事か?」
「うん! だから、こゆきがまもる!」
「そうか……」
義人を傷つけた女性に対する敵意と、それ以上に義人や優希を護るのだという決意のこもった瞳を見て、女性は一つ嘆息する。
「ならば、仕方ないか」
小さく呟き、女性が立ち上がった。その動作を見て、カスミや志信はいつでも義人達を守るために飛び出そうとする。
「よかろう、合格だ」
―――だが、女性の口から出てきた言葉で、二人は動きを止めた。
「は……合格?」
義人も、女性が何を言っているのかわからずに首を傾げる。女性はそんな義人達を見て、小さく笑みを浮かべた。
「お前達は、我が子を託すに足ると判断した。我を前にしても退かぬその胆力、人の身にしては十分な武勇。そして、我が身可愛さに、我が子を差し出さぬ愛情。どれも見事」
嘘偽りなく告げる女性に、義人は全てを理解して地面に腰を下ろす。そして、疲れたようにため息を吐いた。
「おい……なんだ……つまり、アンタは『龍の落とし子』で子どもを預けた相手が、どんな奴か試したっていうのか?」
「その通り。下らぬ人間が親を名乗っておったら引き裂いてやろうかと思ったが、必要なかったな」
親子として引き裂くのではなく、物理的に引き裂くのだろう。それがわかった義人は、表情を引き攣ったものに変える。
眼前の小雪の実の母親は、単に娘を育てている者がどんな人間かを調べにきただけらしい。たまたま通りすがったからついでに連れて行くというのも、嘘だったのだろう。無論、義人が我が身可愛さに小雪を差し出していれば、女性が口にした通りその身を引き裂かれていただろうが。
カスミや志信、アルフレッドも、女性の言葉を聞いて臨戦態勢を解く。女性から感じていた圧力がなくなり、言葉が真実だと判断したのだ。
女性はいまだに警戒心を解いていない小雪へ、ほんの少しだけ優しげな視線を向ける。
「さて、我が娘よ。今のお前の名を、お前の口から聞かせてほしい」
「……こゆき。おとーさんとおかーさんがつけてくれた、だいじななまえだよ」
「ふむ……コユキ……小雪……小さい雪、か。良い名だ」
確かめるように何度か呟き、女性は義人と優希にも視線を向ける。
「お前達の名は?」
「滝峰義人だ」
「北城優希だよ」
義人は脱力しながら、優希はいつも通りに答えた。
「ヨシトとユキか……お前らの名前も憶えておこう。小雪を良き子として育てていること、感謝しよう」
そう言って、女性は背中の翼を大きく広げる。それと同時に義人の体が光に包まれ、痛みが消えた。女性はそれを確認してから、空を見上げる。
「待て……アンタの名前は?」
今にも飛び立ちそうな女性の姿を見て、義人は思わず尋ねていた。その問いを受けた女性は、義人へ視線を戻して笑みを浮かべる。
「我が名は白龍姫―――全ての白龍の母だ」
それだけを言い残して女性―――白龍姫は空へと舞い上がった。そして、ある程度の高さまで上昇すると姿を変え、白龍本来の姿へと変化する。
それは、全長百メートル近くある、真っ白な龍の姿。白龍姫は別れの挨拶でも告げるように一鳴きすると、その巨体に見合った巨大な翼を羽ばたかせ、風を巻き上げながら遠ざかっていく。
義人はそんな白龍姫の姿を呆然と見送ると、今頃城下町では大騒ぎになっているんだろうな、とぼんやり考えた。
それでも、離れることがなかった愛娘を抱き寄せて、その頭を優しく撫でる。
「小雪が大きくなったら、また来るんだろうなぁ……」
自身の腕の中で、くすぐったそうな声を上げる小雪。義人はもしも小雪を手放していたり、娘とは思わずに貴重な白龍として売り払っていたりしたら、と考え、その身を震わせた。
もしそんなことをしていたら、怒り狂った白龍姫によってカーリア国が滅びていた可能性もある。
「おとーさん、どうしたの?」
それでも、心配そうに見上げてくる小雪を見れば、その可能性はなかったか、とも思えた。白龍姫に頼まれずとも、小雪は大事な娘として育てているのだから。
義人は小雪をもう一度だけ抱き締めると、白龍姫が飛んで行った空を見上げる。
「しかし、さすがはミレイの母親だ……突然過ぎだよ、まったく」
呆れるように呟いて、義人は兵士達に城下町へ何も問題ないことを伝えるよう指示を出すのだった。
後日、城の裏手に轟音と共に金塊が降ってくるという珍事が起こった。
その金塊は巨大で、額にすればカーリア国の国家予算に匹敵しそうなほどである。そして、金塊には『養育費だ』と刻んであり、それを見た義人は再び頭を抱えることになった。
「とりあえず……言葉通り小雪の養育費にするか……」
小雪が大人になるまで何年かかるかわからないが、白龍であるため食費が非常にかかる。人型に化けていても、普通の人間の数倍は食べるのだ。
この金塊がなくなるまでは、白龍姫も小雪を引き取りに来ないだろう。
―――余ったら、小雪が嫁入りをする時の持参金にするか……。
現実逃避気味に考える義人だったが、小雪が大人になるのも、嫁入りをするのも、まだまだ先の話である。
本作に関係のない余談ではありますが、『平和の守護者』というタイトルで新しく物語の掲載を始めました。
本作には関係のない(異世界等に関係のない)、別ジャンルの物語ではありますが、よろしければそちらもお読みいただければ幸いに思います。