表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界の王様  作者: 池崎数也
最終章
190/191

閑話:後日談之二 藤倉志信の告白

 季節を問わず、藤倉志信の朝は早い。

 真夏だろうと真冬だろうと早朝に起き、鍛錬に励む。特に、“こちらの世界”に来てからは日中に近衛隊を中心に鍛錬を行うため、自身の鍛錬に充てる時間が少ないのだ。

 これは“元の世界”で祖父から教えを受けていた頃からの習慣だが、今でも変わらない。しかし、“元の世界”ならば祖父が自身を鍛えてくれたが、“こちらの世界”ではそうもいかない。“こちらの世界”に召喚された当初に見たカーリア国の兵士の練度はお世辞にも優れているとは言えず、志信自身が指導を施す側になっている。それはそれで楽しくもあるのだが、志信としては自身の鍛錬を怠りたくなかった。

 そのため“こちらの世界”でも早朝の訓練を継続しているのだが、一人で行う鍛錬には限界もある。ミーファなどは毎日のように早朝の鍛錬に付き合ってくれるのだが、志信としては自身より優れた技術を持つ者……カスミやアルフレッドなどが、たまにでも良いから鍛錬に付き合ってくれればと思っていた。

 私情を抜きにして、魔法を含めた本当の“戦い”として腕が立つ人物ならば、親友である義人も割と頻繁に顔を出す。だが、義人の場合は鍛錬と言うよりも自己防衛のための手段を得るためと、日頃の政務で溜まっているストレスを運動することで発散している面がある。それに加えて、ノーレと魔法を使わなければ義人の腕はそこまで高くない。

 志信から見れば目を見張る速度で成長しているが、元々の運動神経に頼っている部分も大きい。純粋な技術だけならば、まだまだ志信には遠く及ばなかった。

 そんな早朝の鍛錬ではあるが、“カグラ”の謀反以降、些か以上に以前と状況が異なっている。そのことを自覚する志信は、目覚まし時計などなくても自然と目覚めてしまうなり、少しだけため息を吐く毎日だ。


「……さて、布団の上で考えていても仕方ないな。鍛錬に行こう」


 志信は布団から起き上がるなり小さく呟き、僅かに残っている眠気を振り払うと手早く着替えていく。そして鍛錬用の棍を手に取ると、自室を後にする。そして近くの水場で洗顔などの身だしなみを整えると、いつも鍛錬に使っている場所へと向かう。

 しかし、鍛錬に向かう途中でも志信の思考は僅かに脇道へと逸れていた。

 早朝鍛錬が以前と異なる理由として、早朝の鍛錬に新しい人物が参加してきたのである……が、その人物が志信にとって悩みの種だった。悩みの種と言っても悪い意味ではなく、志信個人の感情に依るものだが。

 鍛錬に使っている城の裏手の訓練場に続く扉の前で一度だけ深呼吸すると、志信はゆっくり扉を開いていく。そして、風に乗って聞こえてくる声を聞いて思わず額に手を当ててしまった。


「眠そうだなシアラ隊長。眠いのならば、早起きしなくても良いのではないか?」

「……眠くない」

「だが、さっきから欠伸が止まらないようだぞ?」

「……眠く、ない」


 聞こえてきたのは、ミーファとシアラの声。“何故か”ミーファは仕事中の口調で、シアラは煩わしそうに答えているが。

 新しく早朝の鍛錬に参加しているのは、シアラだった。それまではほとんど顔を見せなかったが、“カグラ”が謀反を起こした際に志信が行った告白を受けて以降、できる限り志信の傍にいようとしているのだ。早朝の鍛錬はもとより、日中の僅かな時間だろうと、シアラは志信の傍にいた。

 志信としては、その心遣いはとても嬉しい。互いに口数が多いわけではないが、それでも共にいて心安らぐ存在である。しかし、志信としてはミーファに対しても浅からぬ想いがあり―――ミーファからの告白に対しても、志信は色よい返事を返していた。

 これが世に言う二股なのか、と少しばかり胃が痛むが、それも自分の選んだ道と気を引き締める。


「二人とも、おはよう」

「あっ、おはようシノブ」

「……おはよう」


 志信が声をかけると、二人は言い合いをやめて挨拶を返す。ミーファは薄く笑みを浮かべ、シアラは常の無表情ながらもどこか嬉しそうだ。

 それだけを見るならこちらも嬉しいのだが、と志信は内心で小さく呟く。問題は、ここからだ。


「では、いつも通り準備運動をして、そのあとは手合せといこう」


 そう言うと、ミーファとシアラは互いに視線をぶつけ合う。


「じゃあシノブ、わたしと手合せしましょう。今日こそは一本取ってみせるわ」


 先制するようにミーファがそう言うと、シアラは小さく鼻で笑った。


「……あなたじゃ、無理。シノブ、わたしとしよう?」


 ピキッ、という空気が凍る音を、志信は聞いた気がした。すでに夏と言っても差し支えない時期ではあるが、やけに周囲の気温が低く感じられる。


「……ほう、それは聞き捨てならんなシアラ隊長。以前つかなかった決着、この場でつけてくれようか?」

「……良い度胸。その喧嘩、買う」


 十秒と経たず険悪な雰囲気になってしまった二人。志信は胃が盛大に痛みを伝えてくるのを感じながら、二人の間に棍を突き出す。


「そこまでだ」


 二人が放つ妙なプレッシャーに気圧されながらも、志信はなんとかそう言った。二人の剣幕に、少しだけ声が震えそうになったのは余談である。


「訓練としての手合せならば良いが、それ以上は禍根になる。二人とも収めてくれ」

「ふんっ」

「……ぷい」


 志信の言葉を聞いたミーファとシアラは互いに視線を切ると、それぞれ準備運動に移る。ミーファとシアラは普段はそれほど仲が悪いわけではないが、志信が絡むと途端に刺々しい雰囲気になってしまう。

 義人辺りに言わせれば、『全然刺々しくない。微笑ましい。国を巻き込んだ殺し合いに発展しないだけマシ。上級魔法も飛んでこないし』と実体験に基づいた笑えないことを言いかねないが、志信にとっては十分以上に辛いのだ。

 さてどうしたものかと志信が内心で悩んでいると、訓練場に続く扉が音を立てて開く。何事かと視線を向けてみると、志信にとって非常に頼りになる人物の姿が目に映った。


「おーっす。おはよう志信……っと、ミーファとシアラも一緒だったか」


 その人物……志信の親友である義人が、そう言いながら歩み寄ってくる。早朝の鍛錬に参加するのか動きやすい服装で身を包み、左手に鞘に納まったノーレを持ち、右手には訓練用の木刀をぶら提げていた。


「これはヨシト王。おはようございます」

「……おはよう……ございます」


 義人の登場に、さすがの二人も雰囲気を和らげて挨拶をする。


「二人もおはよう……んん?」


 しかし、義人はミーファとシアラの間にあった険しい雰囲気を読み取ったのか、僅かに思考した後にニヤリと笑った。


「おいおい、朝から志信を取り合って喧嘩しちゃ駄目だぞ。いや、待てよ、ここは『志信は愛されているなぁ』ってからかうところかね?」


 はっはっは、と笑いながら軽く言い放つ義人。それを聞いたミーファは顔を赤らめ、シアラは帽子のつばを指で引っ張って顔を隠す。


「よ、ヨシト王とユキ様の仲の良さには敵いません」

「……からかっちゃ駄目……です」


 照れながらも皮肉を返すミーファに、帽子の横から見える耳が真っ赤なシアラ。それを見た義人はますます笑みを深めつつ、志信へ視線を向ける。


「なんか、すっげーお邪魔虫な雰囲気にしちまったんだけど……俺も訓練に参加して良い……よな?」


 一応は志信に尋ねる。志信は義人の言葉に頷くと、義人に近寄って小声で呟く。


「すまん、助かった」

「いや、仲が良さそうでなによりだよ。あの二人って、意外と相性が良いのかねぇ。もっとギスギスした雰囲気になるか、とも思ったけど」

「仲が良さそうに見えるか?」


 さすがに、仲が良さそうと言われても素直に頷けない志信である。義人はそんな志信の発言にきょとんとした表情を浮かべるが、何かを悟ったように志信の肩を叩いた。


「よし志信、俺が古来より伝わる名言を伝授しよう」

「ふむ……拝聴しよう」


 何かのアドバイスかと、志信は背筋を正す。


「ずばり、『喧嘩するほど仲が良い』だ」

「……それは、この場合も適用されるのだろうか?」


 親友の発言を疑いたくはないが、いまいち信じきれない志信だった。








 そうやって、義人も参加して早朝の鍛錬が始まる。

 それぞれ準備運動をして体を解すと、素振りや軽い打ち合いをして体に問題がないことを確認する。そして後は実戦形式の手合せを行うのだが、ここで再度問題が発生した。正確には、後回しにしていた問題が再発しただけなのだが。


「さて、それでは手合せは……」


 そう言いつつ見回す志信だが、ミーファとシアラから向けられる視線が鋭い。最初の手合せの相手に誰を選ぶのか、それを決めるだけでこの有様である。ここ最近、毎回のように胃が痛くなる瞬間でもあった。

 即決で義人を選びたい志信だったが、そうなるとミーファとシアラが手合せを行うことになる。義人がいる以上あまり無茶はしないと思うが、熱が入って下手に怪我をされても困る。

 志信は頭の中でここ最近の記憶を辿り、ミーファとシアラのどちらを最初の手合せの相手に選んだかをカウントしていく。元々ミーファと共に鍛錬をしていた期間が長いため、シアラを優遇したいところではある。しかし、それも度が過ぎるとミーファが拗ねてしまうのだ。かといって、前回はミーファを最初の手合せの相手に選んでいる。

 どうしたものかと数秒で考え、志信は恐る恐る口を開いた。


「では……シアラ、手合せをしよう」

「……うんっ」


 志信が告げると、シアラは表情を綻ばせて頷く。それを見ていた義人は、朝から珍しいものを見たと言わんばかりに小さく口笛を吹いた。シアラが大きく表情を崩すところなど、滅多に見られるものでもない。



 ―――でも、志信は毎日のように見ているんだよなぁ……いやまあ、俺には優希がいるから別にいいんだけど、なんかちょっと羨ましいなぁ。こう、普通の恋愛? って感じで?



 優希に不満などなく、むしろ、自分が不満に思われていないかと思わないでもない。しかし、義人としては優希が、それに加えて想いを寄せてくれたカスミが、普通だったかと問われれば否と答えるしかなかった。特に、カスミとは国を割って争った仲である。

 傍目から見れば志信を巡って角をぶつけ合うミーファとシアラも、義人から見れば十分に“普通”の恋する女の子だった。

 その“普通”という認識が、一般の常識から大きくかけ離れていることは自覚しているが。


『自覚はしておるんじゃな』

「ノーレ、さらっと心を読まないでくれ……さて、それじゃあミーファは俺と手合せしようか」


 志信が決めたからには、義人もそれに従う。ノーレの突っ込みに反応しつつも、義人は木刀を構えた。それを見たノーレは姿を人型に変え、義人達から少しだけ距離を取る。

 木刀とはいえ、実際にはそれなりに重量がある。無防備な部分に当てれば骨も折れるし、下手な受け太刀をしなければ真剣とも斬り合える強度を持つ。実戦ならば迷いなくノーレを使う義人ではあるが、これは鍛錬なのだ。純粋に剣の技量を高めるために、鍛錬の際には木刀を使う。義人の技量を伸ばすことに文句はないため、自分以外の武器を使ってもノーレも文句は言わない。

 ミーファとしては、鍛錬のためとはいえ国王に木刀を向けるのに思うところはある。しかし、鍛錬自体は義人が望んだことであり、義人自身も鍛錬で木刀を向けられたからといって怒る性格でもない。それに、義人も“こちらの世界”に召喚された当初に比べて腕を伸ばしている。ノーレや魔法を使った実戦ならば既に敵わず、木刀だけを使った手合せでも徐々に勝率が五分に近づいてきているのだ。今はまだ七対三でミーファが勝ち越しているが、気を抜けば一気に逆転される可能性もある。

 しかし、だ。ミーファにとって、義人との手合せにおける勝率も気になるところではあるが、今はそれ以上に気になることがあった。


「今日は勝たせてもらうぜ」

「…………負けません」


 義人の言葉に対して、ミーファが固い口調で答える。

 シアラがいないところで負けるならばともかく、だ。今は、この場にシアラもいる。



 恋敵(ライバル)の前で、無様に負けることはできない。

 


 そう思い定め、ミーファも木刀を構える。が、義人はすぐに内心で首を傾げた。



 ―――あれ? なんだ? 怒ってる……というか、殺気?



 ピリピリと、空気が帯電したような感覚。僅かな悪寒が背筋を冷やし、義人は木刀の柄を握る手に汗が滲むのを感じた。



 ―――俺、何かミーファの気に障ることしたっけ……。



 早朝の鍛錬に顔を出して志信と過ごす時間を邪魔するのは確かに無粋かもしれないが、ここまで気に障るだろうか。

 内心で不思議に思いつつ、義人はミーファの挙動を注視する。その構え、その動き。義人の方に向き直ってこそいるものの、意識はどこか違う場所に向いているように感じられた。

 義人はミーファが気にしているだろう方向をおおよそに割り出すと、隙が出ない程度に視線を向ける。

 すると、視線を向けた先では、志信とシアラが一対一で手合せを開始していた。両者とも真剣だが、どことなく楽しげにも見える。棍術と杖術という、手合せとしての相性の良さもあるだろう。また、シアラの技量も高く、志信自身も身が入って訓練が出来ているようである。

 そんな二人の姿を見て、気合いやら怒気やら殺気やらが混ざり合っているミーファと対峙する義人は、内心で一つ頷いた。



 ―――ううむ……これは志信に恨み言を言えば良いのか、それとも微笑ましいと思うべきなのか。



 志信に良いところを見せたいのか、それともシアラに無様なところを見せたくないのか。

 はてさて、どちらかねー、と呑気に考えながらも、義人は決して隙を見せることはない。木刀を正眼に構え、適度に体を脱力させながらミーファの動きを待つ。『加速』を使って良いなら何の躊躇もなく先手を取るのだが、現時点ではミーファの方が義人よりも上手だ。

 勝ちたいが、それと同時に色々と学ぶつもりで対峙する。

 すると不意に、ミーファが木刀を大上段に構えた。それを見た義人はおや、と内心で首を傾げる。

 ミーファは良くも悪くも正道に基づいた剣術を振るうタイプであり、初手から大上段に構えるところを義人は見たことがなかった。



 ―――胴ががら空きだけど……誘いか?



 惑わせるために普段と違う構えをしているのかと、義人は勘ぐる。それでも不用意に斬りかかれば、義人が木刀を振るよりも早く斬撃が降ってくるだろう。



 ―――あれ? でもこの構えってどこかで見たことがあるような……。



 殺気を漲らせ、大上段に構えるその姿。義人は“元の世界”にいた頃の記憶が刺激され、ふと、テレビで見た某剣術が頭に思い浮かんだ。



 ―――あ、これ薩摩の示現流とかいうやつにそっくり、



「はああああああああぁぁぁっ!」


 余計なことに意識を向けたのを悟られたのか、ミーファが声を上げながら一気に踏み込む。さすがに本物の示現流のような掛け声ではなかったが、それでも義人が知るミーファのものとは思えないほど速い踏み込みだった。

 ミーファの怒声にも近い掛け声に内心で驚いた義人だったが、咄嗟に木刀を掲げて受け太刀の姿勢を取り―――木刀同士が激突した瞬間、義人の持つ木刀が悲鳴を上げる。


「っ!?」


 握った木刀に尋常でない衝撃が走った瞬間、ほぼ無意識のうちに義人は上体を後ろに逸らした。そして、樫の木に近い木質でできた木刀が眼前で粉砕される光景を目の当たりにする。


「うおおおおっ!? ちょっ! ありえねぇ!?」


 相手が真剣ならばまだしも、同じ武器を使っているのだ。圧し折るならばまだしも、どんな力を込めれば木刀が粉砕されるのか。

 義人は半ば悲鳴を上げながらも残った柄をミーファに投げつけ、すぐさま背後へと跳ぶ。だが、義人が退くのに合わせてミーファが地を蹴り、地面を滑るようにして突きを放った。

 その突きは吸い込まれるようにして義人の鳩尾に突き刺さる―――その瞬間に、横合いからノーレが放った風の塊によって軌道を逸らされた。


『……いや、さすがに臣下が主君に対して放って良い威力の突きではないと思うのじゃが』


 若干冷や汗をかきながら呟くノーレ。風魔法で軌道を逸らさなければ、一体どうなっていたのか。下手をすると、そのまま義人の体を貫通したのではなかろうかと思うほどに見事な突きだった。

 それを聞いたミーファは我に返り、震えながら両手を上げて降参のポーズを取る義人に対して膝をつく。


「も、申し訳ございません! つい、熱が入ってしまいました」

「お、おおう……一瞬、走馬灯が見えたぜ……」


 真正面に立っていたら、カスミでも受け切れなかったのではないかと現実逃避気味に考える義人。そこまでして志信に良いところを見せたかったのかと、義人は生まれたての小鹿のように身も心も震わせながら大きく息を吐く。


「どうした? 怪我でもしたのか?」


 そうやって騒いでいると、志信が心配の色を浮かべながら声をかけてくる。その後ろには怪訝そうな顔をしたシアラも続いており、志信の言葉を聞いた義人は強張った笑みを浮かべながら右手を上げた。


「お、俺、今日のところは引き上げるわ……お邪魔しました。いや、本当にお邪魔しました」

「そ、そうか……わかった」


 膝をガクガクと震わせながら言われては、志信としては頷くしかない。志信もミーファの動きを見てはいたが、自分でも捌ききれるかどうかわからないほど綺麗な突きだった。朝も早くから死ぬ思いをした親友に内心で申し訳なく思いながらも、志信としては頷くことしかできないのだ。

 顔を青くしながら走り去る義人の姿を見送りながら、志信は大きくため息を吐くのだった。








 三日後。夕食も終わり、政務も片付いた義人は優希や小雪と共に自室でゆっくりとした時間を過ごしていた。

 自身の膝の上に座り、今日あったことを楽しげに話す小雪の姿に義人が癒されていると、部屋の扉をノックする音が響く。


「義人、いるか?」


 聞こえてきたのは、どこか疲れたような志信の声。それを聞いた義人は優希と顔を見合わせながら口を開く。


「いるけど……とりあえず、入っていいよ」

「失礼する」


 扉を開き、志信が義人の部屋へと入ってくる。志信は声同様に疲れたような、それでいてどこか悲壮さを感じさせる顔をしており、それを不思議に感じた義人は首を傾げた。


「どうしたんだ? なんか、奥さんが浮気相手と一緒に逐電(ちくでん)した挙句、財産を持ち逃げされた中年の旦那さんみたいな顔してるぞ?」

「その例えはどうかと思うんだが……一家団欒しているところにすまない。少し、義人に相談したいことがあってな」

「志信が相談、か……」


 このタイミングで、志信が疲れたような顔をしながら行う相談。その内容を的確に読み取った義人は、とりあえず優希に視線を送る。


「わたしと小雪は席を外した方が良いかな?」


 義人の視線を受け取った優希は、その意味を違えることなく質問を口にした。


「……いや、北城もいてほしい。女性の意見も聞きたい」

「こゆきは? こゆきも“じょせい”だよ?」

「小雪が女性……まあ、いてくれて構わない」


 重要なのは義人で、できれば女性の意見として優希もいてほしい。小雪はいてもいなくても良いのだろう。志信は真剣ながらも、落ち着かないように視線を彷徨わせる。

 そんな志信の様子を見て、義人は自室の扉へと歩いていく。そして少しだけ扉を開けると、廊下に立っていた護衛の兵士に声をかけた。


「悪いけど、少しだけ護衛から外れていてくれ」

「は……しかし、それは」

「志信がいれば護衛の必要はないだろ? それに、中には小雪もいる」


 そう言いつつ、義人は片手で拝むようにして頼み込む。それを見た兵士は苦笑すると、小さく一礼した。


「……わかりました。近くに待機していますので、何かあればお呼びください」


 “カグラ”を倒した義人に、近衛隊隊長の志信。それに白龍の小雪がいれば、並の護衛は不必要だろう。兵士は前言通り扉から離れると、多少距離を取った場所で護衛につくことにした。


「はい藤倉君、お茶」


 とりあえず志信の気を紛らわせようと、優希が湯呑にお茶を注いで手渡す。


「ああ、すまない……それと北城、一つ聞きたいことがあるんだが……」


 まず、志信は義人ではなく優希に声をかけた。それを見た義人は、おや、と僅かに片眉を上げる。


「その、だな……」


 だが、肝心の質問が出てこなかった。志信はお茶で唇を湿らせると、何度か口を開閉し、それでも意を決したように、血を吐くようにしながら口を開いた。


「二股をする男……というのは、女性としてはどう思う?」


 何かを堪えるようにしながら、志信が尋ねる。

 義人はその質問から、志信の意図するところを悟って顎に手を当てた。そして義人と同様に、優希も志信が聞きたいことを悟って小さく首を傾げる。


「女性と言うより、ミーファさんとシアラさんがどう思うかってことだよね?」

「っ……さすがだな」

「ううん、大抵の人ならわかると思うよ」


 感嘆したような声を漏らす志信に、優希は当たり前のように言う。それを聞いた志信は『そうなのか?』と言わんばかりに義人を見た。不思議そうな志信の視線を受けた義人は、苦笑しながら頷く。


「んー……二股する男の人かぁ」


 自身もお茶を飲みながら、優希は視線を宙に投じた。義人はそんな優希を見ながら、やっぱり小雪は外に出した方がいいんじゃないかと違う面で不安を覚える。主に、情操面的な意味で。


「そうだねー……一般論で言うと、最低だよね。昔の日本だったらそれも良かったのかもしれないけど、現代の日本だと受け入れられないと思うな」


 さらりと、回答を口にする優希。



 ―――なんだろう、別に優希は俺のことを言っているわけじゃないのに、胃が痛い……。



 志信に対して言っているはずなのに、妙に胃が痛むのを感じる義人だった。もしかして、遠回りに浮気をするなと釘を刺されているのでは、とすら思う。

 あとで胃薬をもらってくるべきかと、義人は真剣に考える。そして、そんな義人と同じ感情を抱いたのか、志信も頬を引き攣らせていた。


「そ、そうか……いや、そうだな」


 “元の世界”の常識に照らし合わせれば、最低の行為だろう。カーリア国では一夫多妻制だからと自分を納得させるには、“元の世界”の生活で培ってきた常識があまりにも大きすぎる。

 志信は眉を寄せながらお茶を飲み、僅かに迷った後に優希へと視線を向ける。普段は感情をそこまで表に出さない志信が、苦悩を露わにしていた。何度か相談に乗ったことがある義人から見ても、ここまで思い悩んでいるところは見たことがない。


「北城、非常に失礼な質問になると思うのだが……聞いても良いだろうか?」

「質問の内容によっては答えないかもしれないけど……なに?」


 失礼な質問と前置きをする志信に、優希は泰然としたまま答える。義人は小雪を膝に乗せたまま、推移を見守るように口を閉ざす。


「北城は、義人を傍で見ていて、不安に思ったことはなかったのか?」

「えーっと……不安って?」

「その、なんだ……義人は“元の世界”でも“こちらの世界”でも、割と周囲の女性から好意を向けられることがあったと思うのだが」


 そう言いつつ、志信は義人へと視線を向ける。視線を向けられた義人は、このタイミングで見ないでくれと視線を外した。


「おとーさん、もてもてだったの?」


 だが、空気を読めない小雪が不思議そうに尋ねた。


「よし、少しだけ静かにしような。あと、そんなことないからな。今思えば、昔から優希が好きだったから周囲の女の子に目がいかなかったし」


 小雪の口を塞ぎながら、ぽろっと惚気る義人。それを聞いた優希は嬉しそうに頬に手を当てる。


「もう……義人ちゃんったら」

「あー……すまない。こういう時は、ごちそうさま、で良かったか?」


 場の雰囲気を壊してしまった義人は、ひとまず小雪の口に手を当てながら続きを促すように優希を見た。優希はいまだに嬉しそうに微笑んでいたものの、志信の質問に答えるのが先と気を取り直す。


「さっきの質問についてだけど、わたしって、けっこう他の人とずれているみたいなんだよね。だから、参考程度に聞いてほしいんだけど……」

「と言うと?」


 同年代の、それなりに見知っている少女からの言葉だ。志信は傾聴するべく背筋を伸ばす。優希は畏まった様子の志信を苦笑混じりに見やって、次いで、『きっと理解してもらえないだろうなぁ』と思いながらも言葉を紡ぐ。


「義人ちゃんが“そう望んだ”のなら、それで良いかなって。もしも仮に、義人ちゃんがカスミさんやサクラちゃんを選んでいても、素直に祝福したと思う。だから、不安がなかったかと言われると……」


 そこで言葉を切り、優希は天井を見上げる。そして自身の心に嘘がないかを確かめ、優しげに微笑んだ。


「うん、なかった。義人ちゃんが幸せなら、それでいいよ」


 そして、志信は優希が予想した通り、理解できないと言わんばかりに表情を歪めた。


「しかし、それでは……北城の気持ちはどうなる? もしも義人が北城以外を選んでいても、その気持ちが報われなくても、良いと言うのか?」


 失礼だとは理解し、それが心苦しいながらも志信は問いを重ねていく。実際には義人は優希を選んでおり、実現し得なかった話だ。しかし、“何か”が違えば、今義人の隣にいたのは別の女性だったかもしれない。

 だが、優希は志信の懸念に対して心底不思議そうに答えた。


「え? だって、義人ちゃんが誰かを好きなのと、わたしが義人ちゃんを好きでいることは別の話だよ?」


 全てが自明の事柄を解説するような口振りだった。そして、それ故に志信はいっそう混乱する。

 志信は、思わず視線で義人に問う。



 ―――もしや、俺は相談の相手を間違えているのだろうか?



 義人は、すかさず視線で志信に答える。



 ―――“一般的”な女性として尋ねるには、ちょっと……。



 幼馴染みであり、恋人であり、これから先も共に歩んでいくつもりではあるが、優希が“普通”の女性かと問われれば素直に頷けない義人である。

 “義人にとっては”優しく、家事も万能で、折れそうになった時は無理矢理にでも立ち上がらせてくれる自慢の恋人だが……好意を通り越して愛情を持ち、優希もまた同じだと確信しているが、客観的に見ると“普通”や“一般的”という言葉を当てはめることができなかった。

 男二人でアイコンタクトを交わすが、当の優希は何事もないかのように口を開く。


「話をまとめると、藤倉君が聞きたいのは女性側……この場合はミーファさんとシアラちゃんかな。藤倉君がこの二人を選んだけど、その二人からすれば自分以外にも好かれている女性がいるから、不安や不快に思っているんじゃないか。それが気になるんだよね?」

「……ああ。回りくどくなってしまったが、それを気にしているんだ」


 優希の問いに、志信は素直に頷く。それを見た優希は、僅かに視線を鋭くする。


「うーん……一番の解決方法は、藤倉君がどっちか一人だけを選ぶってことだと思うけど……それが出来れば相談には来ないよね?」


 確かめるように優希が問うと、志信は無言で頷いた。それが出来るのなら、そもそもシアラから告白を受けた時点でミーファへの想いを断ち切っていただろう。しかし、断ち切ろうにも無理だったのだ。

 その結果、ミーファとシアラはことあるごとに衝突を繰り返している。自分達のうち、どちらがより志信に近い位置にいるのか、それを決めるように。


「藤倉君は、ミーファさんとシアラちゃんのどっちのほうがより好きなの?」

「……二人とも、同じぐらい好きだ。優劣はつけられない」

「んんー……」


 その答えは予想していたが、伝えられる言葉が見つからない。

 優希も女の子として他人の恋愛話には興味津々―――などということはなく、志信に対して話せることも精々が一般論。自分が“ずれている”自覚もあるため、的確な助言はできそうにない。しかし、志信は義人の親友なのだ。助言することを“義人も”望んでいる。

 そうやって優希が悩んでいると、義人の手から逃れた小雪が不意に小さな手を打ち合わせた。

 その表情には素晴らしい閃きが浮かんだと言わんばかりの、子供特有の輝かしい表情を浮かべている。古典的表現をするならば、きっと小雪の頭上には電球のマークが輝いていただろう。



 ――そして小雪は無垢に、純粋に、一切の悪気なく、自身の知識を披露するように言った。



「こゆきしってる! しのぶさんみたいなひとを『ぷれいぼーい』な『じごろ』っていうんだよね!」

「――――――――――――」


 小雪の発言に、志信が硬直した。

 『プレイボーイ』な『ジゴロ』。そんな、藤倉志信という人間を表現するのに一生使わないと義人が思っていた言葉。それをさらりと言ってのけた愛娘に、義人は戦慄を覚えつつ額から冷や汗を流す。



 ―――色々と間違っているぞというかどこでそんな言葉を覚えてきたってかああそうか“元の世界”のテレビで聞いたのかいやはや子供には驚かされるなぁまったくははは。



 何故かパニックに陥りながら、義人は盗み見るようにして志信を横目で見た。志信は小雪の言葉を反芻しているのか、瞬きもせずに硬直している。精巧な蝋人形と言っても通用しかねないほど、まったく動きがない。しかし不意に立ち上がると、無言で幽鬼のような足取りで歩き出し、義人の寝室から出ていった。

 ゆらり、ゆらりと。酔っぱらいの方がまだしっかりとしているのではないかと思うような足取りで、歩き去っていく。

 義人はそんな親友の姿に声をかけることができず、ひとまずは膝の上で『合ってる? 合ってるよね?』と目で問いかけてくる愛娘の頭に手を置いた。


「とりあえず、小雪はあとでお説教……じゃない、ちょっと勉強しようか」

「べんきょう? なにを?」


 心底不思議そうに首を傾げる小雪。義人は今からでも志信を追いかけるべきかと思案するが、三分と経たずに志信が戻ってきた―――何故か、その手に短刀を持って。


「あの……志信さん?」


 思わず、義人はさん付けで声をかける。一体どこからその短刀を調達してきたのか、そもそも何に使うつもりなのか、聞きたいことは山ほどあるが、下手に聞くこともできない。

 先程は死人のような顔をしていた志信は、今はまるで、見る者全てを安心させるような、透き通った表情を浮かべていた。穏やかに、まるで悟りを開いた修験者のように、一切の負の感情が抜け落ちた顔である。

 志信はゆっくりと床に膝をつき、正座をして背筋を伸ばし、一呼吸置いてから鞘に納まった短刀を抜き放つ。

 そして志信は、静かに告げる。



「すまんが義人、介錯を頼む―――俺は腹を切る」



「って待てええええぇぇぇぇ!」


 義人は自身が驚く反応速度で小雪を優希へと手渡し、『加速』を使いながら跳躍し、勢い余って天井付近まで到達したため天井を蹴りつけて志信の背後へ着地。そしてすぐさま羽交い絞めに移行する。


「一体何をどうしたら切腹なんて結論に至るんだよ!? いや、うちの娘が本当にすいませんでした! あとさり気なく介錯なんて頼まないでくれええええぇぇぇっ!」


 親友の突然の自決発言にパニック寸前になりながらも、説得を試みる義人。小雪の無邪気で残酷な発言が原因である以上、ここで傷の一つでも負われたら申し訳が立たない。

 親友として、そして志信が腹を切ったら最後、どんな行動に出るかわからないミーファとシアラのためにも、義人は志信を全力で止める。


「止めてくれるな義人! 客観的に考えてくれ……今の俺は、小雪の言った通りの、二人の女性を弄ぶ好色な男だろう? 小雪のような子供から見ても、それは明白。俺は、そんな自分に耐えられないんだ……」

「いやそれは遊びで弄んだとかなら納得もするけどって力強いなあああぁぁぁ! こっちだって『強化』を使ってるのに! こ、小雪! 志信を押さえるのを手伝ってくれ!」

「おとーさん、せっぷくってなに? じだいげきでやってたやつ?」

「いいから早く!? あとで教えるから!」


 切腹とは何ぞやと問う小雪に悲鳴混じりに答えながら、義人は志信を必死に押さえ込む。優希は腕力という点では普通の少女と変わらないため、助力を求めるわけにもいかない。優希自身もそれを理解しているのか、義人達の様子を困ったように眺めるだけだ。

 しかし、数秒も経つと、先ほどの小雪と同じように両手を打ち合わせて小さく微笑んだ。


「でも、藤倉君が気にしていることって、藤倉君だけじゃ解決しないんじゃないの? 結局は、ミーファさんとシアラちゃんがどう思うかってことなんだし。義人ちゃんも言ったけど、遊びじゃないんでしょ?」


 優希がそう言うと、正気を取り戻したのか志信が大人しくなる。そして、迷いもなく頷いた。


「もちろんだ。遊びなどと思う心はない……そもそも、そんな考えが浮かばない」

「だよね。それなら、藤倉君が取るべき行動なんて、決まってるんじゃないかなぁ」


 ニコニコと笑顔で話す優希に、若干嫌な予感がした義人は志信を羽交い絞めにしたままで尋ねる。


「その心は?」

「こうやって相談に来ている間も二人と一緒にいて、二人が不安にならないようにしてあげるんだよ。態度も大事だけど、ちゃんと言葉で『好き』とか『愛している』とか言ってあげればいいんじゃないかな」


 簡単でしょ、と優希は笑う。それを聞いた義人は、志信の性格を考えればそれは難しいんじゃないかと思った。しかし、肝心の志信はそうは思わなかったようで、優希の言葉を聞いて目から鱗が落ちたような顔をしていた。


「そんなことで、いいのか?」

「うん。二人とも同じぐらい想ってるんだ、二人とも大事なんだって伝えればいいんじゃない? 藤倉君のことだから、そういうことって言ってないでしょ?」

「……たしかに……言った記憶が、ない」


 もう大丈夫かと、義人は羽交い絞めをやめる。志信はそれどころではないらしく、自身の記憶を確認して愕然としているようだった。


「藤倉君が反対の立場だとして……ううん、ミーファさんでもシアラちゃんでも良いけど、『告白は受けてくれたけど、その後は何もない』って状況になったら、どう思うかな?」

「…………」


 沈黙する志信。そんな志信に対して、優希はさらに言葉をぶつけていく。


「不安にならない? 怖くならない? 心配にならない? 嫌にならない? 疑問に思わない? 本当に自分のことを好きなのかって、何のために告白を受けてくれたんだろうって、不思議に思うんじゃない? 一対一ならまだしも、同じような境遇の女の子がもう一人いる。もしかすると、自分の知らないところでもう一人と一緒にいるんじゃないかって、自分よりももう一人の方が好きなんじゃないかって……どう? 藤倉君はどう思う? 藤倉君が逆の立場だったら、どう?」

「……俺、は」

「藤倉君は不安に思わない? 怖いと思わない? 心配だと思わない? 嫌だと思わない? 人の気持ちって変わるものだから、もしかすると……」


 いつの間にか笑顔を消し、優希は志信を無感情に見る。


「―――少し時間が経てば、ミーファさんもシアラちゃんも藤倉君の傍から離れていくかもしれないよ?」

「っ!」


 その言葉が最後だった。志信は弾かれたように部屋から飛び出し、一直線に駆け出していく。

 義人は僅かに呆然とした後、志信が置いていった短刀を鞘に戻してため息を吐く。


「結局、俺が言いたかったことは優希が全部言っちゃったか……」

「……駄目だった?」


 それまでの表情から一転して、優希は僅かに不安そうにする。しかし義人は首を横に振った。


「いや、いつもは俺から色々言ってたからなぁ。たまには女性側の意見も必要だろ……ただ、やけに言葉に棘があったような気が……」


 再び胃が痛くなるのを感じた義人であるが、優希はすまし顔で首を傾げる。


「気のせいだよ」

「……さいですか」


 志信が開け放った扉に視線を向け、義人は肩を竦めた。どうなるか見に行きたいところではあるが、さすがにそれは野暮というものだろう。

 願わくば、良き結果になるように。心中でそう願い―――とりあえず、まずは小雪の偏った知識をどうにかしようと思う義人だった。








 廊下を疾走する志信を、見回りの兵士などが何事かと驚いた目で見る。しかし志信はその視線に構わず全速力で走り、ミーファとシアラがいるであろう場所へと向かっていく。

 隊長という要職に就く二人だ。この時間ならば、遅めの夕食を取るために食堂だろうと当たりをつける。

 そして滑り込むようにして食堂へ到達すると、目的の二人は壁際の席に陣取って座っていた。だが、近いようで遠い、互いを警戒しているような距離である。


「……シノブ?」

「どうしたの? そんなに慌てて」


 二人はすぐさま志信に気付くと、不思議そうな顔をした。常に冷静沈着な志信が、肩で息をしながら近づいてくるのだ。少ないながらも食堂に残っていた兵士達も、何事かと志信の様子を窺っている。


「二人に話したいことがあるんだ」


 志信がそう言うと、ミーファとシアラは互いに探るような視線を向けた。志信の様子は尋常ではない。しかし思い当たる節がない以上、相手が知っているのではないかと疑心暗鬼になって視線をぶつけ合う。

 そんな二人の様子を見て、志信は優希の言ったことが正しかったのだと悟る。

 志信から何を言われるのか、もしかするとどちらか片方だけを“選び直す”のではないかと、不信と不安の表情を浮かべる二人。

 その表情を浮かべさせているのは、他ならぬ自分なのだ。

 席から立ち上がり、傍に寄ってきた二人を見ながら、志信は口を開く。


「その、だ。こんなことを尋ねるのは非常に情けないのだが……二人は、今でも俺のことを、その、好ましく……」


 しかし、後半になるにつれ声が小さくなってしまう。ミーファとシアラは、そして食堂に残っていた他の兵士達は一体何事かと顔を見合わせているが、切羽詰まっている志信がそれに気づくことはない。



 ―――ええい! 情けない!



 ここにきて気持ちが折れそうになる自分を叱咤し、志信は一度深呼吸をする。そして気息を整え、再度口を開く。


「二人は―――俺のことを、好きでいてくれるか?」


 そして口から出てきたのは、真っ直ぐな、あまりにも真っ直ぐな質問だった。

 それを聞いたミーファとシアラは互いに顔を見合わせ、志信の言った言葉を反芻し……驚愕から目を見開いた。


「え……えぇっ!? ちょ、その、何!?」

「……驚いた」


 一体何事かと、ミーファは大いに慌てる。シアラは一見常と変らない態度だが、目がものすごい勢いで泳いでいた。


「突然で本当にすまない。だが、大事なことなんだ」

「そ、そりゃあ大事なことだけど、こ、ここで……言うの?」

「……シノブ、大胆」


 ミーファは動揺しすぎて傍のテーブルに乗っていた皿を引っくり返し、シアラは帽子のつばを所在なさげにつまんでいる。

 それでも、志信は真剣だった。場も時間も状況も一切合切置き去りにしているが、真剣だった。優希に言われた言葉も影響しているが、それでも、両者と付き合うようになってから想いを確かめ合ったことがないのも事実。そうなれば、寸刻さえ我慢できずに尋ねるしかなかった。

 もしも志信が“普通”の高校生らしい生活を送っていれば、いや、幼い頃から武術に没頭した生活さえ送っていなければ、もっと言いようもあっただろう。もっと器用に、上手く言葉を伝えられたかもしれない。だが、志信はあくまで真っ直ぐに、愚直に聞くしかないのだ。

 もちろん、志信にも羞恥心はある。自身が好き合っている相手に、『自分が好きか』と改めて尋ねるのには勇気もいる。もしもミーファやシアラの気持ちが変わっていたらと思うと、不安にもなる。



 ―――だが、北城も言っていたではないか。『気持ちを口にすることも大事だ』と。



 まったくもってその通りだと、志信は思う。だから、と意を決して言葉を紡ぐ。


「義人のように、一人だけを選べれば良いのかもしれない……だが、俺は二人とも、その、す、好きなんだ」


 最後にもう一度弱気になってしまったが、それでも、『好きだ』と伝えた。


「…………」

「…………」


 対するミーファとシアラの反応は、沈黙である。互いに横目で視線を交わし合い、志信が何故こんなことを言い出したのかを検討していく。だが、両者とも思い当たる節がなかったため、志信本人に疑問の目を向けた。


「あの、その、シノブ? そう言ってもらえるのはすごく……うん、すごく、嬉しいんだけど……何かあったの?」

「……シノブがそんなこと言うなんて、珍しい……というか、二回目? どうかした?」


 普段の志信ならば、『好き』だなどと口にすることはない。それも、こんな人目のある場所で言うなど、ミーファとシアラにとっては予想外に過ぎた。現に、遠巻きに様子を窺っていた兵士達が奇妙なものを見たと言わんばかりにざわめいている。

 しかし志信はそんな周囲の様子を気に留めることもなく、口を開く。


「最近、ずっと考えていた」

「……何を?」


 志信の言葉に、シアラが不思議そうに首を傾げた。


「俺は、このままで良いのか、とな。ミーファとシアラは俺を選んでくれたが、俺は“二人”を選んだ。それで本当に良かったのか、と……」


 なんとも情けないことだが、と自重するように志信は小さく苦笑する。


「俺の態度がはっきりしないから、二人もそのことで悩んで、不安になっているだろう。俺はそのことを理解していたようで、理解していなかった。義人や北城にも相談したが、それを指摘されるまで実感が湧かなかった」


 志信は呼吸を整えると、ミーファとシアラの二人へ交互に視線を向けた。


「俺の態度が原因だということはわかっている。だが、それが原因で、二人が険悪な雰囲気になるのは、辛い。俺は、“二人とも”好きなんだ」


 もう一度、『好きだ』と言葉を伝える志信。ミーファとシアラは互いに顔を見合わせるが、ミーファは顔を赤くしながら、シアラは帽子で顔を隠すように顔を背ける。


「べ、別にわたしだってシアラ隊長のことが嫌いだとか、憎いってわけじゃないわ……恋敵だけど」


 ミーファは顔が赤くなっているのを自覚するが、それよりも、志信の言葉が嬉しかった。悩みに悩んで、それでも“自分のことも”好きだと言ってくれる。自分だけを見てほしい気持ちもあるが、自分で言った通り、シアラのことも嫌いではないのだ。顔を背けているが、気を抜けば頬が緩みそうになる。


「……わたしも、別に嫌いじゃない」


 シアラは今、自分がどんな顔をしているか鏡を見ないとわからなかった。不思議と悪感情はなく、心臓が非常に激しく脈打っている。頬に手を当ててみれば、やけに熱い。何かの病気だろうかと、ぼーっとする頭で考える。ただ、口元が緩んでいるのだけは理解できた。

 志信の発言は傍観者から見れば二股の宣言とも取れたが、幸いと言うべきか“こちらの世界”は“元の世界”とは様々な常識が異なっている世界だ。特にミーファもシアラも、カーリア国は一夫多妻という概念は生まれた頃から染みついている。それこそ、シアラに至っては実父が前代国王であり、その多くの妾のうちの一人が自身の母親なのだから。

 普段と違う様子の二人に志信は少しだけ内心で首を傾げつつ、それでも嫌がっていないと判断して話を続けた。


「だからというわけではないが、もっと三人の時間を持ちたいと思う。普段から接しているが、俺はその……もっと仲を深めていきたいと思っている」


 そこまで言うと、さすがの志信も顔が赤くなってくる。それでも勢いに押されるように、志信は更なる言葉を二人へ向けた。


「二人が良ければ―――これから先、死ぬまでずっと」


 それがある意味求婚の言葉であると志信が気付いたのは、ミーファの顔がさらに赤くなり、シアラが帽子を取ってその真っ赤な顔を見せた時だった。

 ミーファとシアラは互いに真っ赤な顔を見合わせ、小さく微笑み合い、同じように顔を赤くしている志信に向けて頷いた。


「えと……うん、はい。その、よろしくお願いします」

「……うん。死ぬまで、一緒」


 そして、二人から肯定の言葉が返ってきた瞬間、息を潜めて様子を窺っていた兵士達から歓声が爆発した。


「おめでとうございますミーファ隊長! シアラ隊長!」

「誰か! ヨシト王にも報告だ!」

「俺が行く! ヨシト王の分の乾杯の酒を準備しとけよ!」

「くそう! 酒だ! 酒を持って来い!」


 突然上がった歓声に、志信が弾かれたように振り向く。そして何故こんなに人がいるんだと、驚愕したように目を見開いた。


「……あ……え?」


 ミーファとシアラに視線を向けてみれば、二人はやはり気付いていなかったのかと、ため息を吐くようにして笑い合う。志信は衆人環視の中でプロポーズ紛いなことを口走った自分に対して愕然としたが、そんな二人を見て、すぐに思い直した。



 ―――プロポーズ“紛い”では、ないしな。



 二人さえ良ければと思ってしまえる自分に、志信は僅かに驚く。しかし、それが不思議と嫌ではない。

 さらに近くへと寄ってきたミーファとシアラを見て、志信は二人と同じように微笑む。

 周囲で騒ぐ兵士達をどうにかしないといけないが、今はまだ、二人の笑顔を見ていたかった。

 






 後日、義人のもとに独身の兵士が押しかけて、『志信達のいちゃつきっぷりが酷いのでなんとかしてほしい』という苦情を受け取ったのだが、それはまた別の話である。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ