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異世界の王様  作者: 池崎数也
最終章
189/191

閑話:後日談之一 こゆきのはじめてのおつかい

この話は、『異世界の王様』最終話の後日談になります。

続編というわけではないですが、書きたいネタがいくつかあったのでその内の一つを書いてみました。

本編に大きな影響はなく、蛇足な部分もありますが、『異世界の王様』の後に起きた些細な物語となります。


 その少女―――白龍であるその身に『小雪』と名付けた父親は、カーリアと呼ばれる国の国王である。『召喚の巫女』と呼ばれた少女が起こした謀反を治め、名実ともにカーリア国の国王となったその父親は、以前にもまして多忙な日々を送っていた。

 それでも、忙しい中で時間を割いて自分を可愛がってくれるため、大きな不満はない。父親は大好きだが、父親よりも長い時間を共に過ごす母親のことも大好きだからだ。ただ、怒ると父親よりも母親の方が怖いとも少女は思っていたが。

 しかし、ここ最近はそんな少女の両親共に忙しそうに働いており、一緒にいられる時間が少ない。少女にとって両親と一緒にいられないのは寂しいが、両親以外にも姉のような人や、師のような人がいる。その寂しさは大きくなかった。

 そこでふと、少女は思った。


 ―――何か、忙しい両親の手伝いをできないだろうか、と。


 これは、『召喚の巫女』が起こした謀反からほんの少しだけ時間が経った頃の、小さな少女とそれを見守る少年達が巻き起こした騒動のお話である。








「あー、くっそー。あっちーなー……」


 室内にこもる熱気に、思わず義人は愚痴のような言葉を吐き出した。

 『召喚の巫女』カグラが起こした謀反からおよそ二ヶ月。すでに季節は夏の兆しを見せており、日に日に気温が上昇しているような錯覚を受ける日々だ。それでも義人がいた“元の世界”に比べれば最高気温が低いため、過ごせないほどではない。

 優希が作った半袖のシャツに、七分丈のズボン。それに室内用のサンダルという、“元の世界”ならば見かけることができる非常にラフな格好である―――間違っても、一国の王がする服装ではない。さすがに来客がある場合は正装をするが、暑さに参った義人は専らラフな格好をしていた。


「ヨシト様……暑いのはわかりますけど、その格好では威厳が……」


 苦笑して、宥めるようにサクラが言う。『召喚の巫女』であるカグラ―――カスミがその職を解かれたが、国王付きのメイドであるサクラにそのような変更はない。むしろ、国王の護衛を務めるという意味では、以前以上にその立場を重んじられていた。

 なにしろ、『召喚の巫女』が起こした謀反の際には、グエン率いる騎馬隊の補佐もあったとはいえ単身で敵軍を突破し、義人を敵の総大将のもとまで送り届けてみせたのだ。その技量、その胆力、その忠誠。すべて称賛されるに相応しい、と多くの人間が思っていた。

 ただ、サクラとしては、城中で兵士とすれ違う際に直立不動で敬礼するのだけはやめてほしい……と心の中で思っていたが。

 そうやって苦笑しているサクラに、義人は人差し指を立てた。


「暑いからなぁ……ほら、あれだ。クールビズだ」

「くーるびず?」


 義人の言葉に首を傾げるサクラ。心底不思議そうな様子に和みつつ、義人は机に積まれた書類の山に目を向ける。

 『召喚の巫女』の謀反から二ヶ月近く経過しているが、謀反以前に比べると書類の数が多い。それまで同様の政務もあれば、カーリア国を良くしていくための政務もあるからだ。そして、『召喚の巫女』を務めていたカスミが職を解かれたため、その分の政務が義人や、宰相であるアルフレッドに振り分けられていた。

 

 ―――もっと臣下達に仕事を割り振るべきか? いやいや、今の状態でもかなり割り振っているし、この書類の半分は俺の裁可を仰ぐもの……せめてもう少し文官として使える奴がいれば……城下町や、国内の町村に文官を募集する旨の告知を出すか……でもその費用をどこから捻出しようか……。



 いなくなって再度、カスミの有能さを思い知った義人だった。文官としても武官としても国内では最高峰の人材だったのだ。そのカスミがいなくなった影響は、思いの外大きい。


「はい、義人ちゃん。こっちの書類の確認は終わったから、ここに置いておくね」

『ふむ、次の書類は……今年の年貢についてか』


 手伝いとして、優希とノーレの手を借りるほどに。


「ああ……サンキュ、優希、ノーレ」


 義人の隣に机を並べ、書類―――特に数字関係をチェックする優希に、それを補佐するノーレ。その二人に、義人は礼の言葉をかける。

 “元の世界”では義人よりも、志信よりも成績優良だった優希である。義人としては心苦しかったが、現状を打破するために優希の手を借りていた。数字の計算などは義人よりも早いくらいで、主に間違いの確認をしてもらっている。それに加えて、元王女であるノーレが加われば、並の文官よりも仕事を片付けられた。

 恋人と机を並べて仕事をすることに対して、嬉しいような、手伝ってもらって情けないような、複雑な心境の義人だった。


 ―――やっぱり文官がもっと必要だなぁ……サクラは護衛が主で、政務は苦手だし。ひとまず城下町で募集を……いや、待て、たしか退職した文官もいるはずだ。まずはそっちから……いやいや、今後のことを考えると若い文官を育てて……。


 そうやって義人が現状に対して苦悩していると、廊下の方から騒がしい気配が近づいてくる。最初に何故か優希が、そして義人とサクラがそれに遅れて気付くと、執務室の扉がノックされずに開かれた。


「おとーさん! おかーさん!」


 そして飛び込んでくる、義人と優希の愛娘。下手すると机の上の書類を崩壊させかねない勢いで突っ込んでくる小雪を、すんでのところでサクラが抱き留める。


「っとと……コユキ様、何度も言っていますが、部屋に入る時はですね……」

「あ、さくらおねーちゃん」


 抱き留められて、ようやくサクラに気付く小雪。だが、今はそれどころではないのだ。


「おとーさん、おかーさん。こゆきにしてほしいことない?」


 サクラに抱きかかえられたままで、小雪が尋ねる。それを聞いた義人と優希は、思わず顔を見合わせた。


「小雪に……」

「してほしいこと?」


 互いに首を傾げるが、すぐに義人が苦笑する。


「毎日、健やかに過ごしてくれよ。俺が望むのはそれぐらいだ」

「うん、そうだね。小雪が元気に、笑顔で過ごしてくれれば嬉しいな」


 小雪の発言をどう取ったのか、義人と優希は笑顔でそう言った。


 ―――いや、まさか小雪がこんなことを言い出すなんてな。時が経つのは早いもんだ……。

 ―――そうだねー。生まれてもうちょっとで一年ぐらいなのに……子供の成長って、早いね。

 ―――むしろ一年経ってないのに、こんなことを言い出すことに対して何か思ってください……あと、わたしはいつまでコユキ様を抱えていればいいのでしょうか……可愛いですけど。

 ―――諦めよ。この二人は、こういう人間じゃ。あと、お主はもう少し自重せよ。


 義人、優希、サクラ、ノーレはアイコンタクトでそう話す。だが、その二人の発言が気に入らなかったのか、小雪は手足をばたつかせた。


「そーいうことじゃなくて、いま、おとーさんとおかーさんがしてほしいことってないの!?」


 大変不満そうに、頬を膨らませる小雪。本人はいたって真面目に抗議しているつもりだろうが、義人達からすれば『可愛い』という感想しか出ない。

 それでも義人は小雪の言いたいことを悟って、ふむ、と内心で頷く。

 これは、構ってほしいというのもあるのだろうが、それ以上に義人達の役に立ちたいということだろう。娘の成長を喜ぶべきか、寂しく思うべきか。それでも義人はすぐさま考えをまとめると、わざとらしく視線を窓の外へ向けた。


「あー、暑いなー。そういえば、なんか冷たい果物が食べたくなってきたなー」


 暑いからなー、と棒読みで義人が言う。すると、義人の考えを察した優希も口を開いた。


「そうだねー。でも、厨房から勝手に持ってきたら怒られるし、冷たい果物なんて置いてないからねー」


 義人と同じく、棒読みである。時折義人が厨房から酒やら果物を持ち出しているのを知っているが、それをこの場で言うこともなかった。優希にとっては、義人が考えているであろうことが自分のことのように読めたのもその理由である。


「じゃあ、こゆきがかってくる!」


 両親の様子に疑問を覚えることもなく、瞳を輝かせた小雪が宣言した。


「おお、そうか、嬉しいな。よし、それじゃあ小雪にお願いしよう。お金は……」


 言いつつ、義人は優希お手製のがま口財布を取り出す。中に百ネカほど入っているのを確認すると、小雪に手渡す。桃を若干細長くしたような果物―――ポポロが百個ほど買える額であり、おつかいに渡す額ではないが、これ以上の細かいお金を持っていなかった。

 小雪は義人からがま口財布を受け取ると、嬉しそうに笑う。義人から頼みごとを受けたのもそうだが、城下町へ足を伸ばしたことはほとんどない。いつも城内で過ごしているのだ。義人達の役に立ちたい心情とは別に、大きく刺激される好奇心もあった。


「それじゃあサクラ、悪いけど小雪についていって―――」

「だめ! こゆきひとりでいくの!」


 義人の言葉を遮り、サクラの腕から抜け出しながら叫ぶ小雪。それを聞いた義人は眉を寄せた。


「一人で? いや、でもなぁ……」


 さすがに一歳に満たない子供を一人で行かせるわけには、と思うものの、小雪は白龍である。見た目に反して実力は高く、カーリア国だけに限るならば上から数えた方が早いぐらいだ。危険は、限りなく小さいだろう。


「んー……城下町に行くのは良いけど、絶対に他人を攻撃したりしないこと。“元の姿”に戻らないこと。もし人に助けてもらったらきちんとお礼を言うこと。変な人についていかないこと。落ちているものは食べないこと。車には気をつける……って、“こっちの世界”にはないか。馬車や馬に気をつけること。あとは……優希、何かあるか?」

「ない……かな」


 義人が出した注意点に頷く優希。小雪も真剣に頷いており、義人との約束を破ることはないだろう。小雪は指折り注意点を復唱すると、途中で首を傾げた。


「へんなひとってどんなひと?」

「そうだな……お菓子を上げるからついておいで、とか、お嬢ちゃん可愛いね、とか言いながら近づいてくる人?」

「よくわかんないけど、わかった。じゃあ、いってくるね!」


 そう言い残し、小雪が小走りに部屋から出ていく。義人は小雪の背中を無言で見送ると、その姿が見えなくなってからゆっくりと立ち上がった。その表情は、心なしか輝いている。


「―――さて、行こうか」

「え、あの、ヨシト様? 行くというのは、どこにですか?」


 戸惑ったようにサクラが尋ねる。それを聞いた義人は、むしろ不思議そうな表情でサクラを見た。


「え? 娘のはじめてのおつかいだぞ? ついていくだろ普通」

「そうだね。うん、普通だね」


 義人の言葉に笑顔で同意する優希。


『たしかに、お主のいた世界のてれびでそんな話があったが……』


 国王のすることではない、とノーレは愚痴のように呟く。そして、それと同時に義人が諦めることもないだろうと思っていた。


「でもでもっ、お仕事が」

「大丈夫だって。これぐらいなら帰ってきてからでも片付くさ。というわけで、行くぞ。それともサクラは留守番してる?」


 義人がそこまで言うと、サクラは肩を落としながら頷く。


「うぅ……カスミ様の苦労が、今になって身に沁みます……」


 義人の突飛な行動に付き合い続けていたカスミに対して、今更ながら同情にも似た感情を覚えるサクラだった。








「それで、何故俺まで駆り出されたんだ……」


 呟くように言ったのは、困惑の表情を貼り付けた志信である。

 緊急の要件であると、泣く一歩手前のサクラに乞われて駆け付けるなり、志信はやけに楽しそうな義人と優希の護衛につくことになっていた。その背後では、同様の理由で連れてこられた近衛隊の面々の姿もあった。


「申し訳ございません……わたし一人では、何かあった時にあのお二人を止めることができるとは思えなくて……」


 悲壮と言えるほどの表情をその顔に浮かべつつ、サクラが謝罪する。

 護衛ではなく、“何かあった時”に義人と優希を止めることができない。サクラが危惧したのは、それだけだった。

 護衛としては、サクラがいる。それ以前に、ノーレを携えた義人がいるのだ。義人一人だったならば護衛も必要だが、ノーレが傍にいるのなら話は別である。義人とノーレが揃っているのならば、並の護衛など逆に邪魔になる。


「……まあ、近衛隊の護衛任務とでも思えば良いか」


 若干の呆れと、大きな同情を覚えながら、志信は近衛隊に散開して小雪の護衛に務めるよう命じる。相手は幼い少女の姿をしているが、白龍だ。その小雪に気付かれないよう護衛を務めるというのは、大きな経験値になるだろう。


「風上に立つな。魔力は極力抑えろ。匂いは……他の人間も大勢いるから隠さなくても大丈夫だろう」


 そんな志信のアドバイスを受け、近衛隊の面々が散っていく。その表情には困ったような笑みが浮かんでいたが、主君である義人のすることだ。いつものことと割り切って、近衛隊の面々はそれぞれ配置につく。

 志信としても、義人と優希が娘と認め、自身の弟子のような存在でもある小雪の護衛に嫌な感情はない。ただ、多少の苦言は口にすることにした。


「義人……お前も正式に国王となったのだから、もう少し落ち着きを持った方が良い」

「ぐ、ぬ……正論過ぎて反論できねぇ」


 さすがに反論できず、義人は沈黙する。国王が気軽に外出していては、他にも示しがつかない。

現に、義人の裁可を仰ぎに来た財務大臣のロッサが『小雪の成長を見守ってきます。すぐに戻ります。探さないでください。義人』と書かれた紙が執務用の机に置かれているのを発見し、深いため息と共に頭を抱えていたりするが、それはまた別の話である。

 さすがに悪ノリが過ぎたかと反省している義人を見て、志信も表情を緩める。ここ『召喚の巫女』の謀反から二ヶ月、一日も休まずに政務に勤めてきた義人だ。多少の息抜きは必要だろう。幸いと言うべきか、謀反以降の義人の頑張りもあって臣下達に不審な動きはない―――今のところは、だが。


「お、いたいた。よし、俺達も行くぞ」


 小雪の姿を見つけて、義人が動き出す。

 その背中を見て、今度ミーファとシアラを誘って、城下町に行くかと現実逃避気味に考える志信だった。








 カーリアの王都フォレスは、国王の居城のお膝元とあって治安が良い。人口は八千人程度と“元の世界”で暮らしていた義人達にとっては少ないが、カーリア国では随一の多さである。

 建ち並ぶ家々と、それに見合った人の数。小雪は他人にぶつからないように、それでいてひどく上機嫌に歩いていく。優希お手製の水色のワンピースを身に纏い、その背にはデフォルメされた猫がアップリケのようにつけられたナップザックを背負っている。義人の世界で聞いた歌を鼻歌混じりに歌いながら歩けば、時折すれ違う人が微笑ましそうな視線を向けていた。

 小雪は義人が望んだ果物を売っているお店を探すために周囲を見回すが、城下町に一人で来たことはなく、地理がわからない。


「すいません! くだものをうっているおみせはどこですか?」


 だからと言うべきか、小雪は近くの店にあった軒先で休んでいるお婆さんにそう尋ねた。それを聞いたお婆さんは小雪の言葉と態度に相好を崩すと、僅かにしゃがんで小雪と同じ目線に合わせる。


「あらあら、可愛らしいお嬢さんですこと。おつかい?」

「うん! おとーさんが、くだものをかってきてほしいって」


 小雪は割と人見知りをする方だが、同時に、自分に対して無害な人間も見抜ける。それに加えて、城にはアルフレッドのような存在もいた。年配の人間ならば、まず危害を加えられることはないだろうと、無意識の内に判断している。


「偉いわねぇ……果物を売っているお店は、この道を真っ直ぐに進んで、二つ目の角を曲がったところにあるわ。一人で行けるかしら? 良かったら、連れて行くわよ?」

「ううん。こゆきがたのまれたことだから」


 お婆さんの言葉に、小雪は申し訳なさそうに答えた。それを聞いたお婆さんは、笑みを深くする。


「あら、余計なことを言っちゃったわね。それじゃあ、気を付けてね」

「ありがとうございました!」


 小雪がそう言って頭を下げると、お婆さんは優しげな表情で小雪の頭を撫でた。小雪はそれにはにかんで見せると、小さく手を振って歩き出す。

 お婆さんはそんな小雪を笑顔で見送ると、自身も店の払いを終えようと立ち上がった。


「え? お支払いですか? つい今しがた、少年がお金を払っていきましたけど……あれ? でも、どこかで見たことがあったような……」


 そして、そんなことを言われて首を傾げる。

 誰かが間違えて払ったのだろうか、不思議なこともあるものだ、と思いながら、お婆さんは店を後にするのだった。








 背後でそんなことが起きているとは知らず、小雪は王都の道を歩いていく。そして、その小雪を追うようにして、義人達も王都の道を進んでいた。


「はぁ……はぁ……いや、きちんと道を尋ねることもできたな。『おとーさん』は感動しているよ」

「だからといって、あのご老人のお茶代を払って、『加速』を使って戻ってこなくても良いのではないか」


 良い仕事をしたと言わんばかりの笑顔で汗を拭う義人に、志信が冷静に突っ込みを入れる。目立たないようにと刀に変化して鞘に納まったノーレを引っ提げて、突然姿を消した時には何をするつもりかと冷や汗を流したものだ。

 小雪が他人に道を尋ねたことや、その後のやり取りは問題ない。しかし、義人(おとーさん)の行動が予想外だった志信である。

 親馬鹿だと思ってはいたが、ここまでとは思っていなかった。親友の行動に若干の呆れを見せつつ、志信は道を歩く小雪に視線を向ける。

 願わくば、何事もなく買い物を終えてくれ―――と切実に志信が思った瞬間、どこか挙動不審な男性に小雪が声をかけられた。

 男性の身長は低く、やや小太りで、この暑さからかやけに汗を掻いている。そして、運動をしたわけでもないのにやけに息遣いが荒い。どこか興奮しているようにも見えて、その体は小刻みに震えている。

 呼吸が荒く、五歳程度の少女に見える小雪に声をかけたその男性は―――。


「はぁ、はぁ、お、お嬢ちゃん、可愛いねぇ。お、お菓子をあげるから、おじさんの家に来ない?」


 変態だった。

 どう見ても変態だった。

 どう言い繕っても誤魔化せないほどに、変態だった。

 唇を読んでその台詞を義人達に伝えた志信が思わず腹を切りたくなるぐらいに、変態だった。


「――――――」


 無言で一歩を踏み出す義人。その手には刀になったノーレの姿があり、手が真っ白になるほど強く柄を握り締めている。


『落ち着くんじゃヨシト。コユキがついていくとは限らんって痛い痛い痛い! 強く握り過ぎじゃこの戯けめ!』

「はっ!? ……いや、ごめん」


 手元から上がった悲鳴に、義人は我に返って頭を下げた。無意識にノーレを掴んで一歩を踏み出していたが、そこからどうするつもりだったのか。やけに笑顔な優希もそうだが、返ってくる答えが怖くてサクラは聞けなかった。

 そうやって義人達が騒いでいると、小雪は男性に向かって頭を下げる。


「ごめんなさい! へんなひとにはついていっちゃいけないっておとーさんにいわれてるんです!」


 それだけを告げて、小雪は歩き出す。男性は小雪の言葉に硬直したが、背を向けて歩き出した小雪をどう思ったのか、その背に手を伸ばし―――横合いから三人の近衛兵に体を掴まれ、物陰に引きずり込まれた。


「あ、やべぇ」


 やけに笑顔で男性を物陰へ連れ込んだ近衛兵の姿に危機感を覚え、義人は『加速』を使って姿を消す。それを見た志信も、ため息を吐きながら駆け出す。そして数秒もかけずに物陰へ駆けつけてみると、目が笑っていない笑顔を浮かべた隊士三人が男性を取り囲んでいた。


「はっはっは、こんな往来で一体何をしようとしていたのかね? んん? 誰にも言わないから言ってみなさい―――さっさと吐けよ。こちとらあんま気ぃ長くねぇぞ」

「おいおい、あんまり脅すと喋れないだろ―――体に直接聞いてでも喋らせるけどな」

「お前ら、相手は民間人だぞ。ほどほどにして―――まあ、腕の一本くらいはかまわないよな」


 笑顔から一転、殺気すらこもった目つきで男性を睨む面々。


「ひいいいいぃぃぃぃっ!?」


 突然の殺気に、男性は地面に蹲って体を丸める。それは少しでも身を守ろうとする防衛本能だったのかもしれないが、近衛隊の面々には逆効果だった。再度笑ってない笑みを浮かべると、親しげに男性の肩を叩く。


「悲鳴を聞きたいわけじゃないんだよなぁ。一体何をしようとしていたのかを教えてほしいんだよ。な? 教えてくれよ。な?」

「い、いや、その……」


 男性はしどろもどろに視線を彷徨わせる。それを見た近衛兵の一人が頷いた。


「ん? ああ、可愛いお方だものな。思わず声をかけてしまったんだよな?」

「えっ、あ、は、はい! そうなんです! 思わず声をかけてしまったんです!」

「そうかそうか。それなら仕方ない―――それで、声をかけて、家に連れて行ったあとは何をするつもりだったんだ? アァ?」

「そ、それは……」


 再び視線を彷徨わせる男性。

 義人と志信は目の前の光景に僅かに言葉を失うが、すぐさま止めに入ることにした。止めなければ、何をするつもりなのかわからない。

 物騒な言葉を交わす近衛兵の三人に、志信は指導の仕方を間違えたのかと真剣に悩み、義人はこれも自身やその娘である小雪に対する忠誠なのだろうかと頭を痛めた。


「あ、これはお見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございません」


 義人達の姿に気づき、近衛兵達は直立不動の体勢を取る。

 小雪に気付かれずに男性を物陰へ引きずり込む手腕は大したものだと褒められるかもしれないが、そのあとの行動が……と、先ほどの自分の行動を棚に上げる義人。志信は眉間を指先で叩きつつ、疲れたような声を出す。


「とりあえず、離してやれ」

「は……しかし、あのままでは一体何をするつもりだったのか。未遂とはいえ、厳罰が必要かと」


 いつもならば志信の命令に逆らうことのない近衛兵が、反論するように言う。


 ―――いや、うん。これは小雪がみんなに愛されているってことだよな。うん、きっとそうに違いない。


 義人は自分にそう言い聞かせる。そして蹲ったままの男性に視線を向けると、どうしたものかと首を捻った。いかがわしい目的で小雪に近づいたのだろうが、その後の近衛兵の対応で僅かに同情心もある。だからと言うべきか、義人は“笑顔で”男性の肩に手を置いた。


「今回は見逃すよ……“今回は”、ね」


 言外に次はないと、笑顔で告げる。男性は言葉もなく頷き、這うようにして逃げ出す。それを見送った義人は、脅かし過ぎたかと頭を掻いた。


「さすがはヨシト王―――逃がして、安心したところを仕留めるわけですね?」

「なにさらっと怖いこと言ってんの!?」

「え? 違うので?」


 心底不思議そうに首を傾げる近衛兵の様子に、義人は思わず志信へ視線を向けた。志信は義人の視線を受け取ると、そっとその視線を外す。


「これも忠誠の形だ……多分」

「そう思うなら、まずは目を逸らさないでくれ」


 志信の返答に白目を向け、義人は一つ手を叩く。


「一応、今の男のあとをつけて、身元の確認だけはしておいてくれ。間違っても手を出すなよ?」

「はっ」


 義人の命令を受けて、近衛兵が一人駆け出す。それを見送ってから、義人は小雪の追跡に戻るのだった。








「おねーさん、おいしいくだものください」


 ようやく果物屋を見つけた小雪は、店先で客の相手をしていた店員らしき女性に声をかけた。その声を聞いた女性は周囲を見回し、そして自分よりもかなり低い位置にいる小雪を見て目を丸くする。


「おや、可愛らしいお客様ね。こんなおばさん捕まえてお姉さんだなんて……果物は何を買うのかしら? おまけしちゃうわよ?」


 多少恰幅の良いその女性は、小雪の容貌と発言から上機嫌にそう言う。それを聞いた小雪は小さく首を傾げたあとに、元気良く言った。


「おいしいくだもの!」

「希望はないの?」

「おいしいの、おねーさんがえらんでください!」

「あらぁ……おつかいかしら?」

「うん! おとーさんにたのまれた!」


 元気いっぱいな小雪に表情を綻ばせつつ、女性は頷く。そしてふと視線を往来へ向けてみると、物陰から物陰へと移動する義人達の姿を見つけた。義人は女性の視線が自分に向いていることに気付くと、一瞬焦った顔をしてから口元に人差し指を当て、小さく頭を下げる。それを見た女性はある程度事情を悟ると、笑みを深くした。

 どこぞの御令嬢がわがままを言って家を抜け出し、それを護衛が陰から見守っているのだろうとアタリを付けて、店に並べている果物へ視線を落とす。当たっているようで外れている予想を胸に秘めつつ、女性は小雪へ尋ねた。


「いくらぐらいの物を買いたい?」

「んーっと……これぐらい」


 そう言って、小雪は小さな手でがま口財布を開けて中身を見せる。中には百ネカほど入っているが、子供のおつかいにしては多い額だ。女性は苦笑しつつ、いくつかの果物を見繕っていく。


「さすがに多すぎるわね……それじゃあ全部で十ネカ分ね。持てる?」

「これにいれてください」


 女性にナップザックを差し出す小雪。女性は丁寧な手つきでナップザックを開け、硬い果物を下に入れ、柔らかい果物は硬い果物の上に置く。そして小雪に背負わせると、ポポロを一つ手に取った。


「はい。それじゃあこれはおつかいをしているお嬢ちゃんへのご褒美ね」

「……いいの?」

「もちろんよ」

「わぁ……ありがとうっ」


 ポポロを渡し、小雪の頭を女性が撫でる。小雪はくすぐったそうに笑うと、女性に礼の言葉を告げて頭を下げる。

 良く出来たお子さんねぇ、と微笑ましく思いながら、手を振りながら歩き出した小雪に女性は手を振り返す。良いものを見たと言わんばかりの笑顔を浮かべて、女性は小雪の姿が見えなくなるまでその姿を見送るのだった。








「果物も無事に買えたようだな……」


 無事に買い物を終えた小雪を見て、志信が安心したような声を出す。ここまでくれば、あとは問題も起きないだろう。

 小雪は果物屋の女性から受け取ったポポロを大事そうに両手で持ち、城に向かって歩き出している。そんな小雪の様子を見て、義人は大きく頷いた。


「よし、それじゃあ城の料理で使う果物は今度からあの店で仕入れるということで―――」

「だから落ち着け義人。疲れているのか?」


 妙なテンションの義人に、志信が冷静に突っ込みを入れる。それを見て、サクラは志信についてきてもらって良かったと心底安堵した。

 主に義人と近衛隊が暴走しているが、予想に反して優希が冷静であることもサクラにとって追い風である。優希は笑顔で小雪の様子を眺めており、余程のことがなければ口出しをすることもないだろう。


 ――サクラがそう思ってしまったのが引き金だったのか、それとも運命か。


 僅かに気が緩んだサクラの視線の先で、小雪が出会い頭に人にぶつかった。

 曲がり角から突然出てきた、人相が悪い男達の足にぶつかってしまったのだ。小雪はバランスを崩して尻餅をつき、両手に持っていたポポロは砂埃が舞う路上へと転がっていく。


「あ……」

「いってーな……なんだ、このガキ。人の足にぶつかってきやがって」


 思わず小さな声を上げ、路上に転がるポポロを呆然とした目で見る小雪。そんな小雪に対して、小雪にぶつかった男は不快そうに鼻を鳴らす。

 その間の悪さ、“男達の”運のなさに、サクラは思わず、夏の訪れを感じさせる晴れ渡った青空を仰ぎ見てしまった。


 ―――ああ、良い天気です……今度、シアラちゃんと一緒に城下町で甘いものでも食べにきましょう……でも、最近はシノブ様と一緒にいたいからって、付き合いが悪いんですよねー。


 ついでに愚痴のような言葉を内心で吐き、気分を切り替える。

 さすがの近衛隊も、曲がり角から不意に出てきた男達を止めることができなかったのだろう。サクラが目を凝らしてみると、焦ったように手で合図を送り合っている。

 そうやって慌てている近衛隊を余所に、小雪は男達に向かって小さく頭を下げた。


「ぶつかってごめんなさい」


 男達の敵意に少しだけ怯えつつも、小雪は謝罪の言葉を口にする。そして路上に落としてしまったポポロを取ろうと手を伸ばし―――拾うよりも早く、男達の一人がポポロを拾い上げる。


「謝るだけで済ますつもりか? ああ?」

「おいおい、相手はガキだぞ」

「でも見ろよ。かなり質の良い服を着てやがる。どこぞの金持ちの娘じゃねえのか?」


 頭上から遠慮のない視線を向けられ、小雪は怯えるようにして一歩下がった。

 基本的に、小雪が過ごしている城中ではその素性を知らない者などいない。義人が娘として認める少女であり、その外見や性格も相まって城中では高い人気を誇るのだ。特に女性や年配の者には可愛がられており、敵意を向けてくる者などいない。

 もしも相手が魔物だったならば、話は別だっただろう。上級の魔物の中でも上位に属する白龍を相手にしようと思う魔物は限りなく少ない。しかし、少女の姿になっている小雪は、何も知らない人間から見れば、特に悪事に就く人間から見れば、格好の獲物にしか見えなかった。

 この時、志信が真っ先に考えたのは小雪の安全―――ではなく、男達の身の危険だった。怯えているが、小雪は間違いなく白龍の子である。その魔力、膂力は並の人間など遥かに上回る。下手に受ければ、志信ですら一撃で倒されかねない力を持っているのだ。

 そしてそれ以上に、志信の親友であり小雪の父親である義人。それに加えて義人の恋人であり小雪の母親である優希。この二人がどういった行動に出るか。

 頼むから妙なことはしてくれるなよ、と心中で祈りつつ、志信は傍らの義人と優希を見て―――思わず、見なければ良かったと、そっと視線を逸らした。


「一秒……いや、その半分もいらないかな……五十メートルも離れてないし……」


 口の端を吊り上げて、何をするつもりなのか危険な気配しかしない台詞を呟く義人。ノーレの鯉口を切っては鞘に戻し、鞘に戻しては鯉口を切るといった動作を繰り返してもいる。ノーレはそんな義人に何を思っているのか、何も言わない。

 優希は義人ほどわかりやすい動作をしていない。ただ、その笑顔がやけに、志信の不安を掻き立てる。そんな志信の隣では、サクラが死闘に挑むかのように強張った表情をしていた。


「シノブ様……わたし、今のあのお二人の前に立つくらいなら、単身でカスミ様に挑む方がまだ楽な気がします……」

「言うな……」


 小声で洒落にならないことを呟くサクラに、志信は心底疲れたような声を出す。これも親馬鹿の一種なのだろうかと、頭痛すら感じた。

 志信とサクラが戦慄している中、自分達が非常に危険な立ち位置にいることに気付かない男達は、小雪を見ながら口元に下卑た笑みを浮かべる。


「そうだな……俺達も鬼じゃねえ。その身なりなら多少は金も持ってんだろ? そいつを渡すなら見逃してやる」


 これはさすがに現行犯で逮捕して良いのではないか、と物陰に潜む近衛兵達は顔を見合わせた。だが、義人から可能な限り小雪のおつかいを成功させてやりたいとも言われているため、下手に手を出せない。もしも動いて良いのなら、隊長である志信から合図の一つもあるだろう。

 そう考えていた近衛兵達だが、肝心の志信が義人と優希の挙動を真剣に注視していたため、それは叶わなかった。

 さすがにこのままでは、と内心は割と冷静だった義人は男達をどうするべきかと悩み―――男達の“背後”に見えたとある姿に、すぐさま風を纏って前傾姿勢を取った。


「待て! やめろ義人! さすがに『加速』はまずい!」

「だ、駄目ですよヨシト様っ! そりゃわたしもあの人たちを殴り飛ばしたいですけど、さすがにそれはやり過ぎです!」


 いきなり『加速』を使って走り出そうとしている義人を見て、さすがに見過ごすことができず、志信とサクラが止めに入った。

 義人を背後から羽交い絞めにする志信に、さり気なく物騒なことを言いつつ義人に前面から抱き着いて止めるサクラ。傍目から見ると義人にサクラが抱き着いているようにも見えるが、義人としてはそれどころではない。

 “何故”自分を止めるのかと心底焦りながら、義人は悲鳴にも似た声を上げた。


「ば、なんで俺を止めてるんだよ!? 確かにイラッとしてたけど、俺じゃなくて、“向こう”を止めろ! むしろ止めてくれ!」


 義人の言葉があまりにも切羽詰まっていて、志信とサクラは思わず義人が示す方向へ視線を向け―――そして、絶句した。

 それまで義人の傍にいたはずの優希の姿が、ない。そして、一体どうやったのか、未だに小雪に言い募っているゴロツキの背後に、その姿を現していた。

 近づいた夏の熱気によるものか、陽炎のように揺らめくようにしてゴロツキの背後に立っているのだ―――その手に、近くにいた近衛兵から拝借したのか鞘に納まった刀を持って。

 彼我の距離はおよそ五十メートル。『加速』を使った義人でもなければ、容易に詰められる距離ではない。


 ―――ユキ様何をするつもりですかっ!?

 ―――わからん! が、少なくとも平和な手段ではない!


 一瞬のアイコンタクト。サクラと志信は優希の“次の”行動に戦々恐々とする。なにせ、優希が起こした行動だ。“前科”がありすぎて、何を仕出かすかわからない。

 義人はすぐさま志信とサクラの拘束から抜け出すと、ノーレに指示を飛ばして『加速』を使う。それと同時に義人も『加速』を使い、かつて“カグラ”を相手にした時よりも数段上回る速度で優希の背後へと回り込んだ。そして今にも“何か”を仕出かしそうな優希を横抱きに抱き上げると、傍の物陰へと飛び込む。


「義人ちゃん?」


 なんで止めるの? と言わんばかりに首を傾げる優希。


「……むしろ、俺は“何”を止めたんだろうな」


 男達に対する苛立ちも一瞬で吹き飛ぶ優希の行動に、義人は冷や汗を流す。

 小雪は俯いていたため、義人達には気づいていなかった。そのことに安堵半分、いっそこのまま出て行ってしまうかと義人が決断しかけたその時、不意に声が響く。


「―――これは、何の騒ぎですか?」


 聞き覚えのある、凛とした響き。その声が聞こえた小雪は弾かれたように顔を上げると、声のした方へ視線を向ける。


「やれやれ、“知った魔力”を感じたと思えば……何故コユキ様がこのようなところにいるんですか?」


 そこに立っていたのは、魔法隊の隊服に身を包んだカスミだった。腰まで届く長さの黒髪をなびかせ、怪訝そうな顔で小雪と男達を順に見る。


「かぐらっ」


 カスミの姿をみた小雪は、すぐさまそちらへと向かう。そしてカスミの着ている服の袖口を引っ張ると、目に涙を溜めながら口を開く。


「かぐら、こゆきがもらったくだもの、あのひとたちが……」

「いえ、あの、コユキ様? わたしはもう、その名前は名乗れないんです。今はカスミと……」

「そんなのどーでもいいから!」

「そんなの……」


 小雪の発言に微妙に傷つきながらも、カスミは小雪の発言と、男達の内一人が手に持つポポロを見て全てを悟る。


「なるほど……しかし、よく自分で取り戻そうとしませんでしたね?」

「だって、おとーさんがひとをこうげきしちゃだめって……」


 その言葉に、カスミは僅かに笑みを浮かべた。


「そうですか。偉いですね、コユキ様」


 軽く小雪の頭を撫でて、カスミは男達に視線を向ける。男達は突然現れたカスミの姿に面喰っていたが、その容姿を見てにやけるように笑う。


「ずいぶんと上玉なお嬢ちゃんじゃねえか……こりゃついてるぜ」

「へへへ……お嬢ちゃん、そのガキの知り合いか? だったら―――」



「―――だったら、なんですか?」



 男達の言葉を遮るようにして、カスミが指を鳴らす。すると、男が持っていたポポロが風にさらわれ、カスミの手元まで飛翔した。カスミはポポロを優しく受け止めると、氷魔法で空中に氷を生み出し、炎で溶かして水に変え、ポポロの表面についていた汚れを洗い流す。そして最後に、ポポロに付着した水を風で飛ばすと、小雪の手に握らせた。


「もう落としちゃ駄目ですよ?」

「わぁ……ありがとうかぐら!」

「いえ、ですからわたしのことはカスミと……」


 自身の手に戻ってきたポポロを見て、小雪は心底嬉しそうに礼の言葉を口にする。カスミはそんな小雪に苦笑してみせると、再度男達に視線を向けた。


「ああ、話の途中で失礼しました。それで、わたしがこの子の知り合いだったら、何をどうしてくれるのでしょうか?」


 にこりと、花のような笑みを浮かべるカスミ。対する男達は、カスミが行った一連の魔法行使に驚愕している。


「風に、氷に、炎……それに、カグラ?」

「お、おい、まさか……」

「召喚の……巫女!?」


 真昼に幽霊でも見たような顔で、男達は一斉に後ずさった。『召喚の巫女』と言えば、つい最近までカーリア国で“最強”として君臨した名である。魔力量、使用できる魔法の種類、そのどちらも並の魔法使いの比ではない。事実、男達の目の前でカスミが何事でもないように行った魔法行使は、一流と呼ばれる魔法使いでも到底成し得ないだろう。

 つい二ヶ月ほど前に『召喚の巫女』が起こした謀反の際、現国王である義人に敗れたものの、その武勇は市井に伝わって久しい。

 しかし、『召喚の巫女』と呼ばれたカスミは小さく首を振った。


「いえ、わたしはカグラではありません。今は、“ただの”カスミです」


 その言葉の意味を理解できた者は、この場にいない。言った本人、カスミだけが理解できる言葉だった。

 男達は顔を見合わせると、次の行動を思案する。相手が本物の『召喚の巫女』ならば、勝ち目はない。素手で上級の魔物に挑む様なものだ。だが、もしも偽者ならば―――そこまで考えた時、男達は足元が冷たいことに気付く。何事かと視線を下げてみると、いつの間にか男達の両足が氷漬けになっていた。


「なんだこりゃあっ!?」


 咄嗟に動こうとするものの、氷が両足を強固なまでに地面へ貼り付けている。それでも男達が氷から抜け出そうとすると、カスミが呆れたような声を漏らした。


「考えるにしても、長すぎます。五秒もあれば、逃げるなり立ち向かうなりできたでしょうに……“あの方”ならば、一秒あれば五回は斬りかかってきますよ」


 最後の言葉だけは小さく呟き、カスミは懐から笛を取り出す。そして大きく笛を鳴らすと、一分もしない内に城下町を巡回していた他の兵士達が集まってきた。その中にはシアラの姿もあり、カスミや小雪、そして両足を氷漬けにされて動けない男達を見て、目を丸くする。


「……何があったの?」

「コユキ様に対して“おいた”をしていたので、少々お仕置きを。詰所に連れて行って、教育しましょう」

「……わかった」


 カスミの言葉に頷いて、シアラは他の兵士達に指示を出す。兵士達は男達を縄で縛ると、両足が凍ったままなので俵でも担ぐようにして持ち上げた。


「……コユキ様はどうするの?」

「わたしが城までお連れしましょう。申し訳ございませんが、あとの始末をお願いします」

「……わかった」


 何故小雪がここにいるのか。シアラはそれを疑問に思うものの、カスミの言を採用する。集まってきた野次馬を散らしつつ、兵士達をまとめて撤収し始めた。カスミが何気なくその様子を眺めていると、軽く袖を引かれる。


「かぐら、きょういくってなに?」

「お願いですから、カスミとお呼びください。教育は教育ですよ。きっと、あの人達も数日もしない内に善良な市民に生まれ変わります」

「ふーん……」


 わかったような、わからないような。そんな声を漏らしながら、小雪はカスミの背中に上り始める。


「……あの、なんでわたしの背中をよじ登っているんですか?」

「おんぶ」

「いえ、おんぶはおんぶなのですが……はぁ……」


 ため息を吐き、次いで苦笑を浮かべ、カスミは歩き出す。『強化』を使えば、小雪一人の体重など大したものではない。小雪が落ちないように足を固定すると、ゆっくりと歩き出す。


「ねー」

「はいはい。なんですか?」


 自分をやけにぞんざいに扱う小雪に僅かな疲れを感じつつも、カスミは小雪の声に答える。すると、小雪は僅かに照れたような表情を浮かべ、カスミの肩口に顔を押し付けた。


「ありがと、かすみ」

「……どういたしまして」


 自分の名前がきちんと呼ばれたことに僅かに驚き、そして、カスミは微笑むようにして答える。

 小雪としては一人でおつかいを達成したかったが、男達の敵意を受けてその気持ちも薄れてしまった。それでも、『おとーさん』や『おかーさん』に話すことはたくさんある。

 ゆっくりと歩くカスミの背で、小雪はナップザックに感じる果物の重さを感じながら、城に着くまでと僅かな眠りにつくのだった。








「やれやれ……運が悪かったのか、小雪にはまだ早かったのか」


 カスミに背負われた小雪を見て、義人は抱き締めていた優希の体を離す。さすがに、もう大丈夫だろう。優希は何事もなかったように義人へ振り返ると、小さく首を傾げた。


「どうする? 城に戻る?」

「あー……そうだな。小雪が城に着くよりも早く、戻った方が良いか」


 ゆっくりと歩くカスミの姿に苦笑しつつ、義人はそう言う。すると、不意にカスミが義人達がいる方へと視線を向けた。そして、義人に苦笑を返すように笑い、ウインクを一つ向けてくる。


「あっちゃー、やっぱりバレてたか」


 そんなカスミに苦笑を深め、義人は口元に人差し指を立てた。それを見たカスミは得心したように頷き、歩く速度をさらに緩やかなものにする。

 カスミがいるならば、護衛も必要ない。そう判断した義人は、志信に近衛隊解散の合図を送る。その合図を受けた志信は頷きを返すと、物陰に潜む近衛隊へハンドサインを送って解散させた。

 散っていく近衛隊の姿を見ながら、義人達も城へ向かって歩き出す。


 城にはまだ、執務室に置いたままの政務と、これから突撃してくるであろう小雪の話を聞くという、大きな仕事(たのしみ)が残っているのだから。




 こうして、小雪という少女はまた一つの経験を重ねた。

 大好きな両親と、何故か疲れていた姉と師。そして、新たに好きになった少女(カスミ)。それぞれに今日起きたことを嬉々として話して回るのは、また、別の話だ。

 そして、今回のおつかいについて、何年か経った後に裏であった騒動を両親から笑って話されることになるのだが、それもまた別の話である。


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― 新着の感想 ―
[良い点] おばあさんのお勘定を加速を使って払ってみたり柄の悪い人に絡まれてるのを見てキレそうになってみたりと義人の親バカ加減がよく伝わってきて良かったです おつかいから帰ってきた小雪が義人に報告す…
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