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異世界の王様  作者: 池崎数也
最終章
185/191

第百八十一話:決戦 その4

 一瞬のブラックアウト。視界から全ての色が消え、何も認識ができなくなり、ついには意識まで消えかける。しかし、地面に倒れ込んだ衝撃で義人の意識は辛うじて繋ぎ止められた。

 今にも消えそうな意識の中で、義人は緩慢に思考する。



 ―――ああ、負けたのか……。



 それだけのことを考えるのも億劫で、思考が働かない。

 油断はなかった。だが、カグラの行動に虚を突かれ、回避行動が遅れてしまった。幸い上半身はつながっているが、現状では何の慰めにもならないだろう。

 傷口から、血が流れ出る。体の内側から徐々に冷たくなっていくその感覚は、怖気を感じるほどに不快だ。


「……ぅ……が……」


 何かを言葉にしようとするが、声が出ない。それどころか、ごぽりと、口から血が溢れるだけだ。

 血の滴る氷の薙刀を片手に、無感動な瞳で見下ろすカグラ。義人はそんなカグラに視線を向けることすらできず、己の血で窒息死ないようにするのが精一杯だ。


『そこをどけえええぇぇぇぇぇっ!』


 殺気を孕んだ怒声と共に、ノーレがカグラ目がけて鎌鼬を放つ。義人はおろか、カグラが使うものよりも鋭利で強力な鎌鼬。しかし、カグラは容易く回避すると、ノーレを警戒するように距離を取る。

 ノーレは牽制代わりに再度鎌鼬を放つと、すぐさま義人の元へと近寄り―――伸ばした半透明の手が、すり抜ける。


『ヨシトっ! しっかりするんじゃ! くっ……何故妾は治癒魔法が使えんのか……』


 触れることもできず、癒すこともできず。この時ほど、ノーレは風魔法以外使えない我が身を嘆いたことはない。あまりの不甲斐なさに涙が浮かぶものの、それで何かが変わるわけではないのだ。


「……の……れ……」


 だが、義人はそんなノーレに反応した。死にかけの身でありながら、何故泣いているのかと途切れ途切れの声を漏らす。


『っ! よ、ヨシト……しっかり……しっかりするんじゃ……』


 声にも涙が混じる。義人はそんなノーレを見て、涙を流させることを申し訳なく思った。


「……な……くな……」


 だから、泣かないでくれと義人は言う。その間にも傷口から血が流れ、ゆっくりと義人を死の淵へ追いやっていく。それを聞いたノーレは、少しでも義人が力を取り戻すようにと必死に声をかける。


『ユキやコユキが、お主の帰りを信じて待っておるのじゃぞ! 兵士達も、お主が勝つと信じておる! だから、だから……』


 血の気が失せていく義人を見て、ノーレは言い知れない感情を覚えた。

 六百年という永い眠りから覚めて、ようやく巡り合った自身の使い手。時折調子に乗ることもあるが、それでも自分を武器ではなく一個の存在として扱ってくれた少年(よしと)



 ――その義人は今、命のともし火が消えようとしている。



 その現実を前に、かつて王女として形成した少女(ノーレ)の仮面が、剥がれる。溢れた涙が頬を滑り落ち、宙に消えていく。


『お願いだから、死なないでよぉ……“また、わたし一人”を残して、死なないでよぉ……』


 常の威厳を持たせるための口調が崩れ、素のノーレの姿がそこにあった。外見相応の口調で、死なないでくれと、また一人になるのは嫌だと、義人へ訴えかける。



 ―――ああ……泣かせちゃったな……。



 ぽろぽろと涙を流すノーレを見ながら、義人は心中で呟く。これ以上は声も出ず、体を動かすこともできない。ノーレが流す涙を拭うことも、できなかった。

 このままいけば、命を落とすだろう。そうなれば、眼前で泣くノーレ以外にも、多くの人を悲しませることになる。

 “元の世界”にいる両親も、親友の志信も、“娘”の小雪も。そしてなによりも、優希を悲しませることになる。

 それは、それだけは、絶対に受け入れられない。


『―――信じてる』


 消えかける意識の中で、不意に優希の笑顔と言葉が脳裏に過ぎる。


「っ……」


 それは薄れていく意識を繋ぎ止め、力が入らない体に僅かな力を取り戻させた。


「ぐぅ……」


 己の血で湿る地面に爪を立て、義人は無理矢理意識をつなぎとめる。そして落ちかけた瞼をゆっくりと上げ、意識を取り戻しながら、口内に溜まった血を乱暴に吐き出す。


「がはっ! ごほっ……ぐ……うぅ……」

『ヨシトッ!?』


 血を吐き出しながらも瞳に生気を取り戻した義人を見て、ノーレが声を上げた。義人はそんなノーレを見ながら、小さく呟く。


「そう……だよなぁ……優希が、信じてくれているんだ。負けられ、ないよなぁ……」


 少しずつ体に力を入れ、義人はゆっくりと体を起こす。


「こんなところで……死ねないよなぁ……」


 震える腕、震える足、震える体。血が抜けて平衡感覚が狂い、今にも倒れそうだ。

 立ち上がるという、普段なら意識せずともできることができない。それでも義人は全身に力を込め、ゆっくりと立ち上がっていく。そして、距離を取っていたカグラの方へと視線を向けた。


「…………」


 立ち上がっていく義人の姿を見て、カグラは僅かに目を細めた。

 袈裟懸けに斬りつけた傷は間違いなく重傷。その傷は深く、致命傷には及ぶかどうか。少なくとも、戦闘を継続するには深手に過ぎる。今すぐ治療を施さなければ、それこそ命に関わるだろう。

 事実、義人は立ち上がりつつあるものの、傷口がふさがったわけではない。

 押せば、間違いなく倒れる。そして倒れれば、二度と立ち上がることもないだろう。今にも崩れ落ちそうな体を支えているだけで、奇跡に近い。

 しかし、今にも死に絶えそうな重傷を負ってなお、カグラを見据える義人の瞳からは力強さを感じた。

 死ぬことを恐れていないわけではないのだろうが、それ以上に成すべきことがあると言わんばかりに。並の人間が受ければ、そのまま後ろに退きそうなほどの気迫を込めて。


「……それでこそ、ヨシト様です」


 義人に聞こえないほどの声量で、カグラが呟く。

 倒れていたら、それで楽だっただろう。気を失えば、苦痛が長引くこともないだろう。



 ――それでも、義人は立ち上がっていた。



 膝は震え、口からは血を吐き出し、傷口を力ない左手で押さえ、揺れる体を必死に支えてはいるものの―――義人は、立ち上がっているのだ。

 眩しいものを見るように目を細め、カグラは僅かに口元を綻ばせた。

 義人はズボンに手を入れると、震える手で小瓶を取り出す。そして封を歯で噛み千切ると、一気に中身を飲み干した。すると、カグラにつけられた傷が塞がり始め、僅かな時間で傷を癒していく。


「……ゴルゾーに、感謝だな」


 傷口が八割方塞がったのを確認して、義人は口元の血を袖口で拭いながら呟く。


『ヨシトッ! 平気なのか!?』

「平気……とは言えないかね。正直、生まれたての小鹿の方がよっぽど立派に立てるんじゃないかってぐらい、立っているのがきついよ」


 そう言って、義人はノーレの心配を受け流すように笑う。傷口は大部分が塞がったものの、急激な出血で意識は朦朧とし、体のあちこちの感覚がおかしい。自分がきちんと立てているかもわからない。だが、それでも義人は強がるように笑っていた。


『―――っ! こ、この戯けめ! そんな冗談が言えるのなら、大した怪我ではないようじゃな!』


 ノーレの怒ったような、それでいて泣くような声を受けて、義人は大きく頷く。


「ああ……こんなの、大した怪我じゃない」


 深呼吸を一つして、義人はしっかりと地面を踏みしめる。カグラは立ち上がった義人を警戒しているのか、それとも別の理由があるのか、氷の薙刀を構えたまま動かず、義人の様子を確認するだけだ。


「ノーレ、刀に」

『う、うむ……あまり心配をかけるでないわ』

「悪い」


 ノーレが姿を刀に変え、義人は慎重に柄を握る。それまでは羽のように軽かったノーレが、普通の刀のように重く感じた。


「よく、立ち上がれましたね」


 そんな義人を見て、カグラが話しかける。義人は具合を確かめるようにノーレを一振りすると、口の端を吊り上げた。


「なんだ、そのまま寝といたほうが良かったか?」


 軽口を叩くように義人が言うと、カグラは小さく首を傾げる。


「そうですね……わたしとしては、“どちらでも”良かったのですが」


 すり足で義人との距離を縮めていくカグラ。それを見た義人は応えるようにノーレを構える。


「ヨシト様、最後に一つ聞かせてほしいことがあるのですが」

「なんだ?」


 互いに隙を窺いながら、言葉を交わす。


「何故、立ち上がったんですか?」

「……何故、と聞かれても困るな。そりゃ負けたくないからだろ」


 負けても良いと思うのなら、最初からこの場に立っていない。そう言い切る義人に、カグラは質問を重ねていく。


「負けても良いではないですか。本来“こちらの世界”は、この国は、あなたにとっては所詮別の世界、まったく関係のない国です。わたしが言えた義理ではないですが、今も血を流しながら立ち上がり、わたしと対峙している。あのまま倒れていても良かったのでは?」


 不思議なものを見るように、カグラが視線を向ける。義人はそんなカグラの視線を受けると、互いの間合いを測りながら答えた。


「たしかに、俺達を“こちらの世界”に召喚したカグラの言うことじゃないな。でも、それでも答えるとしたら、俺がこの国の国王だから……かな」


 ピクリと、カグラの表情が動く。


「『召喚国主制』を廃止したら、適切な相手に王位を譲っても良いと仰った方の言葉とは思えませんね」

「まあな。国王って言ったけど、別に大層な意味じゃない。俺は精々十八年程度しか生きていないガキだし、“こちらの世界”についても、まだそこまで知らない。ただ、一年ほどこの国で生活してきたからな。この国が“停滞”している現状が我慢できないんだよ」

「停滞……ですか?」

「ああ。何百年も前の慣習を守り続けて、異世界の人間を召喚し、その人間のもとで国を発展させていく。まあ、その話も色々と裏があったけど……どうだ? この国は発展しているか?」


 義人が問うと、カグラは僅かな間を置いて答える。


「……他国に飲み込まれることもなく、六百年という長き年月を過ごしてきたのです。発展しているのでは?」

「俺には、停滞しているだけにしか見えないね」


 カグラの言葉を切って捨て、義人はようやく整った呼吸に安心する。それでも、まだ体の方は不調であり、この戦いの中で治ることはないだろうが。


「だから、俺はこの国が前に進めるようにしたいんだよ。その第一歩が、『召喚国主制』の廃止だ」

「前に進めるようになったら、ヨシト様は“元の世界”に戻るのでしょう? さすがにそれは無責任だと思うのですが」

「そう思うのなら、最初から責任を全うできる人間を王座に据えとけよ。見知らぬ他人をいきなり連れてきて責任を取れって言っても、普通は納得しないぞ」


 それに、と付け足して、義人は不敵に笑う。


「そいつが自分の足で立てるようになったら、あとは蹴り出して勝手に歩かせる。それが俺の考えでね。まあ―――最近は、歩き出したら一緒に隣を歩いても良いか、とも思うんだが」

「……そう、ですか」


 義人の言葉と表情に、カグラも小さく笑う。隣を歩いても良い、それはつまり―――。


「さて……それじゃあ、そろそろいくか」


 間合いを測りながら体の感覚がだいぶ戻ってきたと判断して、義人は大きく息を吸う。それを見たカグラも氷の薙刀を構え直し、義人の出方を待つ。


『ノーレ!』


 地を蹴ると同時にノーレが『加速』を発動し、義人は風に乗って最高速まで一瞬で到達する。



 ―――もってくれよ、俺の体っ!



 ギシギシと、嫌な音と感触を伝えてくる己の体に喝を入れ、義人は音を置き去りにして駆け回る。塞がりきっていない傷口から血が零れ落ちていくが、それに構う余裕もない。

 失った血液と、駆け回ることで消費する酸素。それらが義人の意識を徐々に遠退かせていくが、それでも、歯を噛み締めることで意識を保つ。

 下手をすると失血死しかねないが―――それならば、失血死するよりも早くカグラを倒すだけだ。


「おおおおおぉぉぉっ!」


 咆哮と同時に、カグラの四方八方から斬撃を見舞う。秒の間に放つ斬撃は、およそ五回。死の数歩前とは思えないほどの集中力を発揮して、義人はひたすらに斬撃を繰り出す。

 対するカグラも、これまで以上の集中力で義人の猛撃を防いでいく。それどころか、掠める程度ではあるが時折反撃を加えつつ、だ。

 そうして刃を交え合うこと三十秒。刃と刃がぶつかり合う音が連続して聞こえ、最早一つの長音にしか聞こえない。だが、その短くも長い戦いも、唐突に終わりを迎える。


「づぁっ!?」


 カグラが反撃に放った攻撃が、義人の左肩を深く抉る。その衝撃で『加速』の最中に体勢を崩し、義人はカグラから離れるようにして地面を転がっていく。そしてカグラから二十メートルほど距離が離れた時点で動きを止めると、痛みを堪えながら顔を上げた。


「……あー……やっぱり、勝てないか……」


 声に滲んでいたのは、諦観だった。“このままでは”どうやっても勝ち目がないと、彼我の力量を察しての呟き。それでも義人はノーレを杖のようにして立ち上がると、痛む左肩を無視してノーレの柄を両手で持つ。肩から溢れた血が腕を伝い、ノーレの柄元を赤く濡らしていく。


『それで、どうするんじゃ?』


 義人の血で汚れることを厭わず、ノーレが尋ねた。


「これ以上は、体も魔力ももちそうにないからな……あとはもう、真正面から行くしかないな」


 そう言った義人の体は、限界が近い。いや、むしろすでに限界を超えていた。

 血を大量に失い、全身には疲労が鉛のように圧し掛かっている。無理をしたせいか視界はかすみ、距離を置いて立つカグラがよく見えなかった。特に『加速』の影響で両膝に負担がかかっており、あとは直線移動で『加速』を使う程度にしか耐えられないだろう。


『十中八九……いや、確実に迎え撃たれるぞ? 何か手はあるのじゃな?』


 義人の状態が痛いほどにわかるノーレは、声に気遣いの色を混ぜながら尋ねる。それを聞いた義人は小さく頷いた。

 このままでは、どうやって勝てない。ノーレが『加速』を使い、義人がノーレ自身を振るって攻撃を行う今のままでは。カグラの反応速度を上回れない以上、打破することは不可能。しかしそれならば―――。


『“俺も”『加速』を使う』


 それならば、義人はそれをさらに上回る。


『……はははっ、なるほどのう。それは思いつかなかったわ』


 答えを聞いたノーレが、呆れたように笑った。一体いつから考えていたのか、ノーレ自身思いつかなかった方法である―――あまりにも、危険すぎて。


『しかし、それは危険どころの話ではないぞ? わかっておるか?』

『わかってるよ。俺だって、できれば使いたくなかったんだ……ノーレ、最後まで付き合ってくれるか?』


 軽く言うようにして、その実、決意で固まった声だった。それを聞いたノーレは、本心から呆れる。


『ふむ……失敗すれば、妾も刀身ごと折れかねんのじゃぞ? 妾が協力しなければ、どうするつもりじゃ?』


 これから行うことを考えれば、多くの危険がある。それを考慮してノーレは声をかけるが、義人の決意は揺らぎそうにない。例え断っても、ノーレをその場に残して単身で突っ込んでいくだろう。


『決まってる。それなら、真正面から俺一人で殴りに行く』


 そして、それを裏付けるように義人は言い切った。

 血の気を失い、全身に傷を負ってもなおカグラを見据える義人。ここまでくれば、降参しても良いだろうに。ノーレがそう思うほどにボロボロだ。

 万全の状態ならばいざ知らず、今の状態で義人が口にした案を実行しても成功の確率は限りなく低い。


『仕方ないのう、この戯けめ。最後まで付き合ってやるわい……今度は、最後まで一緒じゃ。お主だけでは死なせぬよ』


 だからこそ、ノーレは承諾する。失敗すれば義人も、ノーレも死にかねない。しかしノーレは、自身の使い手である義人に笑うようにして応えてみせた。

 そんなノーレに、義人も小さく笑い返す。


「ああ、まったく、本当に……」


 僅かに前傾姿勢に。震える足腰に喝を入れ、大きく息を吸い込み、そして―――。


「―――お前は最高の相棒だよ!」


 力強く、地を蹴った。

 義人とカグラの間には二十メートル近い距離があり、先ほどまでならカグラの元へ到達するまでにカグラは迎撃の態勢を整えていただろう。

 義人の移動速度も最初に比べれば落ちており、カグラ自身も目が慣れてきていた。義人の振るうノーレに合わせて防御するだけなら、容易く実行できる。


 ――そう、カグラは思っていた。


「え?」


 義人の姿が、完全に消える。二十メートルも距離があれば、どこへ移動しても見落とすはずはない。そう思っていたカグラは、反応が一拍遅れた。

 義人の姿が消え、その姿を探すために思考した一瞬。その一瞬をついて、義人はカグラの懐へと潜り込む。

 ノーレの『加速』と、義人自身が使った『加速』。二重に発動した『加速』はカグラの予想を超え、義人とノーレの予想すら超え、文字通り目に映らない速度での踏み込みを実現した。

 ゴキリと、踏み込んだ義人の足から嫌な音が上がる。人体が出し得る速度を遥かに上回る移動速度に、その速度を制動するための踏み込み。それらは『強化』を使っていた義人の体の限界を超え、使用した本人に牙を剥く。

 踏み込んだ右足から激痛が走り―――しかし、義人の動きは止まらない。ノーレを振りかぶり、これまで振るってきた中で最も最短距離、最速で振り下す。


「っ!?」


 振り下す直前で、カグラが義人の存在に気付いて動いた。踏み込んだ際に僅かに鈍った義人の動き。それを捉えて体が反応する。

 多くの魔法を使ってなお尽きていない魔力。義人と違ってほとんど傷を負っていない体。それらを総動員して『強化』によって底上げされた身体能力が、二重の『加速』を使って神速の域に達した義人に対抗する。

 義人とカグラの目が合う。ここまでくれば、互いに小細工を挟む余地もない。これ以上の魔法を使う余裕もない。



 ――それでもカグラは、唇を小さく笑みの形に変えた。



 構えていた氷の薙刀を義人の太刀筋に合わせて振るい―――何の抵抗もなく、氷の薙刀が両断される。

 光景を巻き直したように、カグラが義人につけた傷と同じ場所が斬られた。肩から脇腹にかけて一直線に斬られ、カグラの体が崩れ落ちる。

 そして、ノーレを振り切った義人もまた、その体を崩れ落ちさせた。右足から激痛が走り、立つことすらできず地面へ転がる。


「はぁ……はぁ……」


 だが、倒れ伏したカグラと、すぐさま上体を起こして荒い息を吐く義人の姿を見れば、どちらに軍配が上がったかは明確だろう。それでも義人は左足一本で立ち上がってノーレを構え直し、カグラの反応を待つ。

 自分でも立ち上がれたのだ。ここでカグラが立ち上がらないと考えるのは早計だった。そう判断した義人だったが、カグラが立ち上がることはない。それどころか身動ぎ一つせず、倒れても立ち上がった義人とは違う様子だった。

 それまで義人達の戦いを見ていた周囲の兵士達から、今度こそ決着を悟った歓声が上がる。義人軍の兵士が士気を最高潮まで高め、反対にカグラ軍の兵士は絶望したように顔を伏せた。

 周囲の歓声を聞きながらも、義人は感覚がない右足を庇いながらカグラのもとまで体を寄せる。そして、ゆっくりとカグラの体を抱き起こした。


「……カグラ」


 静かに声をかけると、カグラがどこか虚ろな目で義人を見る。


「……ああ……負け……ちゃったんです、ね……」


 傷口から流れ出る血を見ながら、カグラが呟く。義人はカグラの血で汚れることに構わず抱き支えると、カグラの右手を持ち上げて傷口に当てた。


「……俺の勝ちだ。だから、まずは『治癒』でその傷を塞げ」


 重傷だが、今ならまだ命に関わるほどではない。数分も放置すれば話は別だが、今ならまだ、治せる。

そう思った義人が治療を勧めるが、カグラは熱に浮かされたような顔で義人を見る。


「……最後……何を、やったんですか?」


 途切れ途切れの質問。それを聞いた義人は、傍らのノーレに視線を向けてから答える。


「俺もノーレも『加速』を使えた……それが答えだ」

「……なる、ほど……それは、速いわけですねぇ……」

「ぶっつけ本番だったんだよ。試す機会はなかったし、使えばこうなることはわかっていた。見ろ、右足がおしゃかだ」


 踏み込んだ右足からは、カグラに受けた刀傷並の痛みが伝わってくる。足の指か、それとも足の甲か。もしくは関節自体が砕けたか。今は考えたくないが、『治癒』を使える人間がいなければしばらくは不自由な生活を送ることになりそうだった。


「……カグラ?」


 義人の言葉を聞いたカグラだったが、義人の目を見たまま視線を逸らさない。


「……本当に……強くなりました、ね……」


 どこか嬉しそうな声で呟くカグラ。その言葉を聞いた義人は、僅かな違和感を覚える。


「カグラ、お前……手を抜いたな?」


 最後の一太刀がぶつかり合う瞬間、義人は自身の敗北を悟っていた。二重に発動した『加速』を使ってなお、反応してみせたカグラだ。義人が無傷だったならば話も別だっただろうが、今は違う。

 魔力は尽きかけで、体は満身創痍。『加速』を二重に発動しても、その速度は通常の『加速』を多少上回った程度でしかなかった。


「……いいえ……最後の、一太刀は……本当に、見事でしたよ……」


 そう言って、カグラは笑みを浮かべる。

 そう、カグラにとって、最後の二重の『加速』は予測を超えるものだった。



 “下手をすれば”、そのまま斬られかねないほどに。



 カグラの表情から、義人は自分の言葉が正鵠を射ていることを悟る。


「カグラ、なんで俺を斬った時に殺さなかった?」


 思い返してみれば、カグラに斬られた時もおかしかったのだ。カグラの技量を以ってすれば、一太刀で義人を仕留めきれたはず。それだというのに、義人は重傷で済んだ。

 “もしも”義人が立ち上がれなくとも、治療をすれば助かる程度には加減されていたのだ。

 傷口に障らないように小さな声で尋ねる義人。カグラは少しの間だけ義人の瞳を見つめていたが、不意に視線を外す。そして、痛みを感じていないように口元を笑みの形に変えた。


「……ふふっ、わたしが、本当にヨシト様を殺せるわけがないじゃないですか……」


 ――その言葉で、義人は全てを悟る。


 カグラは、最初から義人を殺すつもりはなかった。いや、そもそも、この戦に勝つつもりすらなかったのかもしれない。

 ならば何故謀反を起こしてまで義人と対峙をしたのか。その理由に思い至り、義人は思わず声を荒げた。


「っ! この馬鹿! まずは傷を塞げ! これは“国王”としての命令だ!」


 カグラは、一向に自身の傷を塞ごうとしていない。そのことからも、義人が脳裏に描いたカグラの謀反の理由を裏付けるようだった。

 治癒魔法が使える者は、陣の後方に配置している。それに加えて、怪我人の治療を任せていたためカグラほどの重傷者を癒す魔力は残っていないだろう。そうなると、カグラが自分の意思で傷を治すしかない。


「ノーレ! 陣の方から治癒魔法が使える奴が残っていたら連れてきてくれ!」


 それでも、最悪の可能性を考えて義人はノーレに指示を出した。もしかすると、少しでも治癒魔法が使える者も残っているかもしれない。


『任せよ』


 義人の指示を聞いたノーレはすぐさま人型に戻り、宙を飛ぶようにして義人軍の陣へと向かう。

 義人はノーレが飛び去ったのを確認するが、それと同時にカグラが咳き込んで血を吐き出したのを見て、慌ててカグラの口元を拭った。


「カグラ、今すぐ自分の傷を治せ! このまま死のうなんて許さないぞ!」

「……いえ……これが、最善でしょう……『召喚の巫女』は消え……『召喚の巫女』を倒した、新しい、強き王がこの国を……」


 そこから先は、言わずともわかった。

 『召喚国主制』を廃止すると義人が言った時には、この絵図を引いていたのだろう。『召喚の巫女』を倒せるほどの人物が国王になれば、周辺国家への牽制にもなる。その上、陣営を分けることで臣下の踏み絵にもなるのだ。

 ここにきて、義人の表情が完全に崩れた。歯を噛み締め、感情が溢れそうになるのを必死に堪える。

 間違いなく、カグラが命を投げ出そうと決意したのは自分の行いに起因するのだから。


「お前は……俺に殺されれば、それで満足だって言うのかよ……なんで、そんな……」


 馬鹿なことを、とは口が裂けても言えない。命を賭けてまでこの大芝居を打ったカグラにとっては、“この形”が最上だったのだろうから。

 それでもなお、何故だと義人は思う。そんな義人の心情を察したのか、カグラは体を支える義人の手に自分の手を重ねながら申し訳なさそうに言った。


「……ヨシト様の、隣には……もう、ユキ様がいますから……せめて、心の中には残りたいじゃないですか……」


 どんな形でも良い。どんな形でも良いから、義人の記憶に残りたかった。

 義人と優希、そして小雪の幸せな家族の形を見続けられるほど、カグラの心は強くなかった。

 自ら手にかけたことで、義人は悔い悩むだろう。その点については、カグラとしても申し訳なく思う。 しかし、カグラにはそれぐらいしか思いつかなかった。

 命を投げ出し、義人の思い描く『召喚国主制』や『召喚の巫女』が存在しない国家像をより良いものとして実現する。その上で、少しでも義人の心に残りたい。

 わがままだと言われれば、カグラとしても否定できない。これは、カグラにとっては間違いなくわがままなのだから。

 今もゆっくりと死に向かうカグラを見ながら、義人は涙を浮かべる。カグラのように、手加減が出来れば良かった。しかし、極限の状態で手加減ができるほど、義人は卓越した腕を持っていなかった。


「……あぁ、くそ、なんでだろうな……なんで、“こうなった”んだろうなぁ……」


 まったく私情を見せず、カグラとは完全に国王と臣下として付き合えば良かったのか。

 それとも、優希に心が向いたままでもカグラの告白に応えれば良かったのか。

 それ以上に遡って、カグラに押し倒された時にでも応えれば良かったのか。

 思い返しても、明確な答えがあるわけもない。

 義人は乱暴に涙を拭うと、カグラの手を強く握り締める。


「頼むから死ぬな! 俺はまだ、お前に謝ってないこともある! だから、死なないでくれ!」


 “元の世界”に戻った時、義人はカグラの心を傷つけた。そのことを、義人はまだ謝っていない。“こちらの世界”に戻ってきてから、言い出すタイミングがなかったのもある。しかし、間違ってもこんな、死に別れるようなタイミングで謝罪することではないのだ。


「生きてくれよカグラ……それで、ビンタを何発でも打って、怒って、俺に頭を下げさせてくれよ……」


 言葉がまとまらない。それでも義人は必死に声をかけ、カグラを思い直させようとする。

 カグラは義人の言葉が聞こえたのか、苦笑した。


「……それでは……今、叩かせてもらいましょうか……」


 ゆっくりと、カグラの腕が上がる。そして義人の頬を打つ―――力もなく、優しく頬に触れた。

 そしてカグラは、徐々に小さくなりつつあった声で最後の願いを口にする。


「“最期”に……わたしの名前を呼んでくれますか?」

「……死ぬな、カスミ」


 カグラではなく、カスミ。そう義人が呼ぶと、カグラは本当に安心したように笑顔を浮かべた。


「…………ああ、良かった。最期に、ヨシト様にもう一度、本当の名前を……呼んで……」


 一瞬、言葉が途切れる。それでもカグラは目を開いたままで義人と視線を合わせると、最後の力を振り絞るようにして言葉を紡いだ。


「ヨシト、様……わた、しは、あなたの……ことが……」


 そこまで口にして、カグラの体からゆっくりと力が抜けていく。それでもカグラは口を開き、


「―――大好き、でした」


 義人にしか聞こえない声量で、そう呟いた。

 その言葉を聞いた義人は、涙を隠すように顔を伏せる。


「……馬鹿だよ、ホント」


 それはカグラに向けてか、それとも己に向けてか。噛みしめるように呟き、義人は涙が溢れた目を閉じる。



 その声が聞こえたのか―――カグラもまた、目を閉じたのだった。


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