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異世界の王様  作者: 池崎数也
最終章
182/191

第百七十八話:決戦 その1

 義人とカグラの合図と同時、両軍が動き出す。互いに横陣を敷いた状態だったが、カグラ側は最初に機動力の高い魔法剣士隊が前面へと飛び出し、それを補佐するように魔法隊が魔力を高め始める。


「始まりましたな」

「そうだな」


 先手を取って動き始めたカグラ軍を見て、義人とグエンは言葉を交わす。彼我の距離は数百メートル離れていたが、『強化』を使った魔法剣士ならば一分とかからず走破する距離だ。

 カグラ軍の動きに合わせて、義人軍の魔法剣士隊も迎撃のため前に出る。第一魔法剣士隊の副隊長であるシセイに率いられた魔法剣士達は意気揚々と前面に飛び出ると、腰に差した刀を抜き、構える。

 この場では敵同士だが、つい最近までは味方同士だったのだ。命までは取りたくないが、手加減をする余裕もない。なにせ、義人軍の方が寡兵である。それを覆すためには、義人軍の中では数が揃っている第一魔法剣士隊が奮戦する必要があった。


「それではヨシト王、わたしも前線に出ます」


 部隊の指揮をシセイに任せたミーファが、義人に一礼しながらそう言う。それを聞いた義人は、傍に控えていた志信に視線を向けた。


「志信は?」

「俺も、ミーファと共に行く。そして、シアラを連れ戻してくる」


 義人の問いに、志信は真剣な表情で返す。

 その手には『無効化』の棍が握られており、一片の迷いもない瞳でシアラがいるであろう方向を見る志信。そんな志信の様子に、義人はつい最近まで抱えていた不安が微塵も湧かず、真剣な表情で応える。


「わかった。気を付けてな」


 気軽に、しかし、これ以上ないほどの信頼を込めて義人は言う。


「ああ。義人も気を付けてくれ」


 義人の声に答えたのも、短いながらも信頼のこもった声。決意と、気合いが充溢している志信の様子に、義人は安心して送り出すことができる。

 志信は最後に近衛隊に指示を出すと、ミーファと共に戦場に向かって駆け出す。義人は走り去る友人の背を僅かに眩しそうに眺めると、すぐさま意識を切り替えて周囲の近衛隊に声をかけた。


「みんなは戦場の監督だ。なるべく死人は出したくない。もしもとどめを刺そうとしている兵士がいたら、止めてくれ」

「御意」


 義人の命令を聞き、近衛隊も前線へと走り出す。国王を守るべき近衛隊が身辺から離れるというのもおかしな話だが、戦場の監督を可能とするほどの力を持った兵士は他にいない。なにせ、志信が手塩にかけて育てた兵士達だ。数は少ないが、その力量は他の部隊の兵士よりも頭一つ抜けている。


「グエン隊長、どう見る」


 続いて、義人はグエンへと話を振った。戦いは始まったばかりだが、両軍とも既に当初の横陣ではない。魔法剣士隊を先頭に、魔法隊や歩兵隊、弓兵隊を並べた魚鱗の陣へ移行している。


「今のところは互角……といったところでしょうな。相手方に数で劣っていますが、こちらは士気で勝っています。第一魔法剣士が奮戦していますな」


 戦場を俯瞰しながら解説するグエンに、義人はその説明を追うようにして戦場へ目を向けた。

 最前線では魔法剣士同士がぶつかり合い、それを援護するように魔法や矢が飛び交い、怪我をした者が後ろへと運ばれていく。かつての仲間同士であるからか、飛び交う魔法は一撃で人を殺めるほどの威力はない。しかし、それでも怒号を上げてぶつかり合う兵士の姿を見れば、義人は震えを抑えるだけで一苦労だった。



 ――そこは、戦場だった。



 “元の世界”では見ることのなかった、人と人とがぶつかり合う闘争の場。両軍とも相手が顔見知りであるからか、殺し合いとまではいかない。それでも、平和な世界で育った義人にしてみれば、紛れもなく人死にが発生しかねない戦いというのは恐ろしく映る。


「……恐ろしいですかな?」


 そんな義人の様子を見て、グエンが声をかけた。それを聞いた義人は、平静を装いながら口を開く。


「ああ、怖いね。膝が震えそうになるよ」


 素直に怖いと答える義人に、グエンは僅かに頬を緩めた。だが、すぐに表情を引き締める。


「私も、ここまで本格的な人間同士の戦は初めてです。しかしヨシト王、これは、あなた様が望まれた結果でもあります」

「……そうだな、わかってるよ」


 グエンの言葉が胸に刺さるが、義人はそれを飲み込んで答えた。グエンの言う通り、眼前の光景は義人が選択した結果に発現したものである。カグラ達と……カグラと戦うと決めた時から、覚悟していた光景である。

 ノーレの柄を、義人は強く握り締めた。そんな義人を見たサクラが何か声をかけようとするが、それよりも早く、義人が口を開く。


「俺達が……俺が選んだ結果だからこそ、勝って、みんなの苦労に報いないとな」


 戦場を真っ直ぐ見据え、決意を固めるように義人は言う。それを聞いたグエンは今度こそ頬を緩めると、手に持った槍を軽く扱く。


「あなたについて良かった」


 小さく呟くように言って、グエンは傍にいた馬の手綱を取る。そして義人に一礼してから、身軽に馬へ乗った。


「それでは、私は前線の手前で指揮を執ります。サクラ殿、ヨシト王の護衛をお願いいたします」

「わかりました。ヨシト様には、指一本触れさせません」


 小柄な少女が発するとは思えない言葉の力強さに、グエンは緩めた頬を苦笑の形に変える。しかし、すぐに真剣な表情へ変わると、馬を駆って前線へと向かう。

 前線の手前とはいえ、全軍の指揮を執るとなると危険は大きい。それでも常の表情で馬を走らせたグエンを見て、義人も国王としての表情を取り繕う。

 体調は万全で、精神的にも充溢している。頼りになる相棒が傍にいて、自分を支えてくれる仲間も大勢いるのだ。ついでに言えば、優希の作った弁当で気合も十分だった。


「さあて、俺も準備をするかねぇ……」


 前線の様子を眺めながら、義人は軽く体を動かし始める。今はまだ、動く時ではない。だから、動くべき時に動けるようにと思いながら、義人は体を解すのだった。








「うおおおおおぉぉぉっ! 押せ押せえぇぇぇっ!」

「退くなっ! 俺達が退いたら前線が崩れるぞ!」


 自分達よりも数の多い敵兵とぶつかり合いながら、義人軍の魔法剣士達は声を張り上げる。

 敵兵との技量はほぼ互角。そうなれば、数に勝る方が有利だ。だが、義人軍の兵士達は相手方の予想を超える粘りを見せていた。

 刀を振るい、時には相手が死なない威力ながらも魔法を放ち、寡兵と思わせない奮戦。しかし戦力差は覆せず、戦線こそ崩壊させないものの徐々に押し込まれ始める。

 “この世界”においては、兵士の数よりも一人の強者が戦場の流れを左右する。戦力が十倍も違えば話は別だが、戦場に一騎当千の強者がいた場合、勝敗は容易に覆るのだ。

 今のところ、その“一騎当千”に該当する『召喚の巫女』であるカグラは前線に出てきていないが、それでも前線でのぶつかり合いの時点でカグラ側へ軍配が上がりつつあり、義人についた兵士達は徐々に焦りを覚えていた。

 数の差を物ともしない粘りに、高い士気はある。だが、それでも第一魔法剣士隊はカグラ軍の魔法剣士隊と魔法隊を、数が少ないながらも義人側についた魔法隊と歩兵隊はカグラ軍の歩兵隊と弓兵隊をと、数の上で大きく上回るカグラ軍を抑え込むのは難しい。残った騎馬隊が遊撃として戦場を駆け回っているのが唯一の助けだが、数で上回る相手を抑え込むだけで体力を大きく消費する。

 両軍が激突してまだ十分程度。それだけの時間でも、義人軍は自軍の不利がどれほどのものかを悟る。このままでは徐々に押し込まれ、義人の元まで兵士が殺到するだろう。そうなれば負けであり、義人が掲げる目標も達成し得ない。



 ――だがしかし、義人軍の兵士達が敗北を意識し始めた瞬間に、戦場の空気が変わった。



 その二人組に最初に気付いたのは、カグラ側の魔法剣士だった。一直線に前線へと突っ込んでくる二人組を見て、顔色を変える。


「あれは……近衛隊隊長のシノブ様と第一魔法剣士隊隊長のミーファ様か!? 全員、気を付けろ!」


 魔法剣士が上げた警戒の声を聞き、カグラ軍は僅かに動揺し、義人軍の兵士達の抵抗が強まった。

 国王である義人の親友であり、近衛隊隊長でもある志信。それに第一魔法剣士隊隊長のミーファ。共にカーリア国の兵士の中では名が通っており、警戒に値する人物だ。

 特に、志信は近衛隊の訓練以外にも他の隊の訓練に紛れ込むことがあり、その力量は広く知られている。少しばかり寡黙でとっつき難いところがあるが、その人柄は誠実で実直。遠距離の魔法は使えないが、『強化』と己が鍛えた技だけでミーファを超えた人物だ。

 もちろん、そんな志信も一騎当千には遠く、万夫不当とも言えない。多数で取り囲めば倒すことも可能だろう。現状の戦力差ならば、三十人は魔法剣士を割り振ることができる。そうなれば、いかに志信といえども打ち破れるだろうと、カグラ軍で魔法剣士隊の指揮を執る隊長は考えていた。

 だが、最も早く志信達の接近に気付いた魔法剣士は眉を寄せる。



 ―――いつものシノブ隊長と、様子が違うような……。



 殺気混じりと言うべきか、怒気が前面に出ていると言うべきか。常の冷静沈着さを脱ぎ捨て、眼前に立ちふさがる敵達―――カグラ軍を真っ直ぐに睨み付けている。並走するミーファの表情も険しいが、志信ほどではない。

 その疑問の答えが提示されるまで、実はあと数秒というところまで迫っているのだが、戦場の真っただ中で考え事をしているわけにもいかない。その魔法剣士は疑問を横に置き、眼前の敵を抑え込もうと意識を集中させ―――きっかり五秒後に、意識を失った。








 戦場を、志信とミーファと共に駆け抜ける。

 時折斬りかかってくる兵士は殴り倒し、蹴り倒し、棍で薙ぎ倒し、志信は一直線に前線へと突っ込んでいく。

 これから、シアラの元へ行かねばならないのだ。邪魔をする者も、立ちふさがる者も、今の志信にとってはこれ以上なく感情を揺れさせるものに過ぎない。

 そして揺れる感情は、怒りへと傾いていた。


「……どけ」

「シノブ?」


 ぽつりと呟かれた声に、ミーファが怪訝そうに返す。だが、それに応えることなく志信が咆哮した。


「そこを、どけええぇぇっ!」


 普段は物静かな志信が発した怒声に、前線にいた兵士達が一瞬硬直する。志信はそれを隙と捉えると、一足飛びに敵兵士が密集している場所へと飛び込んだ。

 それはまるで嵐のようだったと、その場にいた兵士は後に語る。

 縦横無尽に繰り出される棍が、片っ端から兵士を薙ぎ倒していく。棍を突き出し、払い、引き戻し、常にない苛烈さを以って志信は前へと突き進む。その動きはかつてないほど荒々しく、しかし正確かつ高い技量で繰り出される棍は相手の抵抗を許さず、次々に意識を刈り取っていく。

 複数の兵士がほぼ同時に吹き飛ぶ光景など、そうそうお目にかかれるものではない。ミーファは自身も刀を振るいつつ、数歩先を進む志信のその動きに戦慄した。

 カグラのように『強化』を使って力任せに複数の相手を薙ぎ倒すのではなく、確かな技術で以って複数の相手を打倒する志信。ミーファとしては志信の技量は見知ったつもりだったが、まだ底までは見えていなかったらしい。

 志信の力闘振りを見た兵士達が、輪を作るようにして志信から距離を取った。

 近づけば、やられる。そう感じさせるだけの技量差と、気迫を志信は持っていた。

 志信が開けた穴はすぐさま義人軍の兵士達が埋め、志信とミーファを先頭として前線を押し上げ始める。それを見たカグラ軍は負けじと志信達へ打ちかかるが、今の志信に容赦はない。

 振り下された刀を避けると同時に膝を叩きこみ、むせた相手の胸ぐらを掴んで足を払い、敵兵が固まっている場所へ投げ飛ばす。兵士達が動揺すればその隙をついて棍を振るい、前線に穴を開けていく。

 そして、そんな志信の様子を、シアラは陣の中間地点で眺めていた。自分の元へと一直線に進んでくる志信の姿。それを認めて、シアラは手に持つ杖を強く握り締める。


「シアラ隊長?」

「……あなた達は、下がってて」


 そう言うなり、シアラはゆっくりとした足取りで前へと出る。向けた視線の先には、一組の男女の姿。ある意味ではシアラの予想通りであり、ある意味では予想外なその組み合わせ。

 一歩一歩、着実に近づいてくる。志信とミーファが肩を並べ、自身の元へと。

 二人が共闘する光景を目にしたシアラは僅かに胸の痛みを覚えたが、それを努めて無視すると手に持った杖を一度、力強く振る。一メートルほどのその杖は、頑丈な木材から作り出し、『強化』の魔法文字を刻んだシアラが愛用する武器だ。

 周囲にいた兵士達に志信を避けて義人軍を攻めるよう指示を出すと、自身もゆっくりと志信達の元へと近づいていく。

 シアラが動いたことで、それまで志信達の前進を止めようとしていた兵士達も動きを変える。志信とミーファを避けるようにして前線の兵士に挑みかかり、シアラの戦いを邪魔しないよう距離を取り始めた。

 そしてついに、志信とシアラは言葉が交わせる距離まで近づく。


「……シノブ」

「シアラ……」


 互いに名を呼び、視線を交わし合う。両者の間にあるのは悔恨か、苦悩か。

 志信は義人側につき、シアラはカグラ側へとついた。つまり両者は敵で、戦うべき相手だった。


「…………」


 先に視線を逸らしたのは、シアラである。これ以上交わす言葉はないと言わんばかりに視線を切り、手に持った杖を構えて見せた。それを見て、志信は僅かに表情を歪ませた。悲しそうに、悔しそうに表情を変え、しかし、すぐさま表情を取り繕う。

 腰を落とし、棍を中段に構えて志信はシアラを見据えた。そこには今しがた浮かんでいた揺れる感情はなく、シアラを敵として冷徹に捉えたように見えた―――少なくとも、表面上だけは。


「すぅ……はぁ……」


 静かに呼吸を整え、志信は内心を殺してシアラを見る。

 声をかけようと思っていた。“あの時”の言葉に、応えようと思っていた。だが、シアラを前にした時、そんな感情は消えていた。

 相対するシアラには、既に迷いがない。自分がどんな言葉をかけても揺らぐことはないだろう。そう判断したが故に、志信はこれ以上語らない。

 そんな志信の横では、ミーファが刀を両手で構えていた。その構えは基本に忠実な正眼の構え。シアラは僅かに視線を向けると、すぐに志信に視線を戻して杖を斜めに構えて腰を落とす。

 それは、魔法を使うためではなく杖を主体として戦うための構え。棍よりも短いが、明らかに接近戦を意識した構えを見て志信は小さく呟く。


「……杖術か」

「…………」


 応える声はない。ただ静かに、志信とミーファの動きを待つだけだ。それを見たミーファは、眉を寄せながら口を開く。


「シアラ隊長、何かシノブに言うことはないか?」

「……?」


 ミーファの言葉に、シアラは首を傾げた。この場で、一体何を言えというのか。志信の敵として立つ、この場で。

 何も言葉を発さずにいるシアラを見て、ミーファが一歩前へ出る。


「シノブ、あなたはどいていて。シアラ隊長は、わたしが倒すわ」

「そうはいかない。これは、俺の戦いだ」


 こればかりは譲れないと言い切る志信。そんな二人の様子を見たシアラは、小さくため息を吐いた。


「……二人同時にくれば良い。わたしは、負けない」

「……ほう、大した自信だなシアラ隊長。わたしとシノブを同時に相手取って、勝てると?」


 余裕とも取れるシアラの発言に、ミーファは刀を握る力を強める。同じ隊長ではあるが、年下の少女にここまで言われたのだ。かつて志信に自信を砕かれたミーファであるが、それでも積み重ねた鍛錬による自負がある。

 これ以上の言葉は無用と言わんばかりに構えを取り続けるシアラを見て、志信が僅かに前傾姿勢になった。続いて、ミーファも地を蹴るべく足に力を入れ、


「っ!?」


 その瞬間を狙い澄ましたように放たれた氷の矢を避けるために、真横へと跳んだ。それと同時にシアラが前へと踏み込み、志信も合わせて踏み込む。

 先手を取ったのは、シアラだった。

 志信が棍を繰り出すよりも早く志信の懐へ飛び込むと、手に持った杖を鳩尾目がけて突き出す。志信は右足を軸に体を捻って杖での突きをかわすと、棍を回転させて突きを放ったシアラの両腕へと振り下ろした。だが、シアラは突いた杖をすぐさま引き戻すと、振り下された棍に杖を合わせて表面を滑らせることで受け流し、自身の間合いに引き込んだ志信の顎を狙って折りたたんだ肘を放った。

 思いの外、動きの速いシアラの体術。それを前にして、志信は一旦距離を取るために肘を避けながら地面を蹴る。

 それを見たシアラは杖から左手を離すと、氷の矢を避け切って接近してきたミーファに向けて再度氷の矢を撃ち出す。さらにそこから風の塊を発生させて志信に向かって放つと、杖を両手持ちに変えて再度志信へと踏み込んだ。

 自分目がけて飛んでくる風の塊に気付いた志信は、『無効化』の棍を振るってそれを打ち消す。だが、その隙にシアラは低い姿勢で駆け抜け、真下から潜り込むようにして志信の懐へ入った。

 まずい、と志信が思ったのと同時に、シアラが短く持った杖を志信の脇腹に叩きこむ。志信は咄嗟に横へ跳ぶことでその衝撃を殺すが、完全には流せない。それでも片手で側転すると、すぐさま体勢を整えてシアラと相対する。

 志信の棍と、自身の体の小ささを上手く利用したシアラの戦い方に、志信は内心で舌を巻く。



 ―――体術と魔法の両方を鍛えている……サクラと同じか。



 シアラの動きを見て、志信はシアラの実力をそれまでの見積もりから数段上へと置く。サクラと同様に接近戦も魔法もこなせるその器用さは、驚異的だ。それも、サクラのように氷魔法一辺倒ではなく、視認できない風魔法を織り交ぜてくる辺りはサクラよりも戦い難い。それに加えて、シアラが取っている戦法も厄介だった。

 志信に対しては、棍が振るい難い超至近距離での接近戦。

 ミーファに対しては、氷魔法を中心とした魔法戦。

 志信との距離が近すぎるため、ミーファも火炎魔法を使って援護することができない。そもそも、シアラがミーファに対して放つ氷の矢は一度に十本近く撃たれるため、回避に専念しなければ近づくことも、志信を援護することもできない。


「厄介なっ!」


 まさか、本当に自分と志信を同時に相手取って戦うとは思っていなかったミーファは、思わずそう吐き捨てる。

 ミーファがかつて参加した国内の武術大会ではシアラが参加しておらず、訓練で戦うこともなかったため、その実力がどれほどのものかわからなかった。それでも、接近戦に持ち込めれば勝機があると思っていたが、志信との戦いを見る限り接近戦でも高い力量を持つことが窺える。


「動き難そうな服装だというのに、よく動くな」


 シアラと向き合っていた志信は、思わずそう呟く。貫頭衣に似たローブに三角帽子を被っているが、動き難さを感じさせないどころか帽子を落とすことすらない。

 早朝訓練で顔を合わせることがほとんどなかったため、志信としてもシアラの手の内はわかっていない。氷魔法と風魔法を使うことは知っていたが、接近戦を行いながら魔法を行使できるほどに熟達しているとまでは思っていなかった。

 『無効化』の棍があるため、ある程度までの魔法は打ち消せる。しかし、シアラは『無効化』している隙を狙って攻撃を仕掛けてきた。魔法を放たれた場合に志信がどう対応するか、それを知っているからこそできる戦法だろう。

 それは、それほどまでに志信の戦い方を熟知しているということでもある。



 ―――なるほど、シアラが戦うところはあまり見ていないが、俺が鍛錬しているところはよく見られていたからな。



 自分の動きが読まれていることを悟った志信は、内心で苦笑を漏らした。今もミーファに対して牽制の氷魔法を放ちつつ、志信に対しては一片の隙も見せていない。その隙のなさに、志信は敬意にも似た感情を覚える。まったくもって、“こちらの世界”では驚くべき人物が多いことだ。

 合図もなく、志信とシアラは同時に地を蹴る。そして棍と杖を打ち合わせ、隙あらばさらに踏み込んで拳と蹴りを交え、互角に渡り合う。

 打ち合わせた棍と杖は、五十合ほど。その間にもミーファはシアラに斬りかかろうとするが、上手く近づけない。

 二対一だというのに互角の現状を見れば、シアラの方が実力は上と見るべきだろう。しかも、そうやって戦っている最中にも義人軍とカグラ軍はぶつかり合い、徐々に義人軍を押し込んでいる。このままで、義人軍の敗北は必須。

 だが、志信とミーファを抑え込んでいるシアラにとっては、自身が不利だと感じていた。ミーファを接近させないために放つ魔法に、志信と渡り合うための『強化』。それらはカーリア国の中では有数の魔力量を誇るシアラとしても、看過し得ないほどの速さで消耗を強いる。特に予想外だったのが、ミーファの実力の高さだろう。

 シアラとしては、志信と戦っている間に魔法だけでミーファを仕留められると思っていた。しかし現実は異なり、ミーファは今も虎視眈々と反撃の隙を窺っている。

 ミーファ個人の思惑もあったものの、志信と毎日のように行っていた早朝の鍛錬。それがミーファの実力を伸ばし、この場を膠着させるほどまで成長していたのだ。

 このままでは、いずれ魔力が尽きて敗北する。

 そう判断したシアラは、勝負に打って出る覚悟を固めた。志信とミーファに対して牽制代わりに氷の矢を放つと、すぐさま距離を取る。そして右手を頭上に掲げ、氷の矢を打ち払った二人を睨むようにして見た。

 残った魔力は四割程度。シアラが魔力を高め、それに合わせて空中に二十センチ程度の氷の矢が生まれていく。一、十、百と数を増やし、数百近い氷の矢が生まれ、志信とミーファに狙いをつける。矢の先は丸くしてあるが、直撃すれば意識を刈り取るだけの威力があるだろう。

 空中に多くの氷の矢が浮かんだのを見て、志信とミーファは驚きの表情へと変わる。シアラが中級魔法までは扱えることは知っていたが、実際に見るのと聞くのとでは大違いだ。

 シアラはさらに左手も頭上へ掲げると、さらに魔力を高めていく。するとそれに合わせて風が吹き始め、氷の矢を巻き込んでシアラの頭上で回転し始めた。


「氷魔法と風魔法の同時使用!? なんて器用な!」


 シアラの魔法を見たミーファは、思わず悲鳴にも似た声を上げる。氷の矢だけならば、数は多いがどうにかなる。しかし、氷の矢を巻き込んで逆巻く風は、どう見ても無傷で凌げるようなものではない。

 氷魔法と風魔法。その二つを共に中級の規模で発動させて複合させた、シアラの切り札だ。作った矢の先端を尖らせていたら、掠らせる程度でも相手を削り殺せるほどの威力を持つ。今は氷の矢の先端を丸めているが、それでも直撃すれば全身を氷の塊で殴打され、意識を失うだけではすまないだろう。


「……っ」


 シアラが作り上げた魔法を見て、志信は唇を噛み締めた。風の中で煌めく氷の矢は、数百。いかに志信でも、それらを全て打ち落とすような芸当はできない。手に持った『無効化』の棍を使ったとしても、途中で『無効化』が切れて敗北するに違いない。

 魔法を使われる前にシアラ本人を倒すかと思考するが、既に魔法は完成している。その状況で真正面から突っ込めば、それこそ狙い撃ちにされるだろう。シアラにしてみれば、両腕を振り下すだけで事が足りるのだ。

 負ける。このままでは、確実に負ける。

 そう判断できてしまうほどに、シアラが展開した魔法は強力だった。魔力の消費は大きいものの、それに見合うだけの威力を備えているように見える。

 ある意味で、シアラは志信の弱点を的確に突いてきたと言えた。志信を倒すには、純粋に接近戦で上回るか、『無効化』の棍で無効化できる以上の威力の魔法を使う必要がある。逆に言えば、その条件を満たせる者からすれば、志信は決して難敵ではない。

 そして、志信にとって最悪なことに、シアラは後者の条件を満たした魔法使いだった。接近戦の腕は、志信ほどではない。しかし、志信を倒せるだけの魔法が使える。

 志信は、自分が魔法を使えないことをこの時ほど悔んだことはない。魔法を使われる前に接近戦に持ち込めば良いと考えていたため、魔法を習得することは考えていなかった。そもそも、自分には魔法の才能がないと判断していたのもその一因だろう。

 その結果が、眼前の光景だ。

 こんな自分を好いていると言ってくれた少女に、力及ばず負ける。

 本当は引き留めたかった少女を連れ戻すことができず、負けるのだ。

 自分が負ければ、義人軍は大きく不利になるだろう。士気が落ち、下手をすると継戦することすら不可能になるかもしれない。そうなれば、義人が掲げた目標を達成することもできなくなる。

 深呼吸を一度だけすると、志信はシアラを真っ直ぐに見る。シアラの魔法は、直撃すれば氷の塊で全身を殴打されるようなものだ。その数、その威力。下手をすると全身の骨が圧し折れ、そのまま命を失う可能性もある。

 “ならば”、全身の骨が折れる前にシアラの元へたどり着く。

 常人ならば決断に戸惑うことを、志信は至極当然と即断する。“自分一人”では、他に打てる手がないのだ。



 ――だが、この場にいるのは志信だけではなかった。



「アレは、わたしがなんとかするわ」


 固い声で、しかし決意の籠った声でミーファが告げる。志信よりも前に出て、刀を構えると、シアラと同じように魔力を高めていく。


「だが……」

「あら、わたしだって魔法剣士隊の隊長よ? ……大丈夫、わたしを信じてシノブ」


 肩越しに振り返り、志信を安心させるようにミーファが微笑む。それと同時にミーファの構えた刀から紅蓮の炎が吹き上がり、大きな熱量が志信の頬を叩いた。

 ミーファは前を向くと、シアラと視線をぶつけ合う。

 シアラは、ミーファが志信の隣にいることに。

 ミーファは、シアラが志信の気持ちを掴みかけていることに。

 両者とも、負けられないという感情を糧に、魔力を高め続ける。


「……っ!」

「はあああぁぁぁぁっ!」


 動いたのは、同時だった。

 シアラが両手を振り下し、ミーファは炎を纏った刀を大上段に構え、氷の竜巻へと真正面から立ち向かう。

 氷の竜巻が直撃するよりも一瞬早く、ミーファは刀を振り下ろす。すると、ミーファの全身から炎が吹き上がり、氷の竜巻に対抗するようぶつかり合った。

 ミーファを押し潰すように氷の竜巻が迫るが、ミーファは火炎を操って飛来する氷の矢を溶かし、風の中に含まれる鎌鼬を弾き、背後の志信まで魔法を届かせない。


「づぅっ!?」


 しかしそれでも、シアラの優位は揺るがない。

 溶かしきれなかった氷の矢が脇腹にめり込み、肋骨が折れる感触にミーファが短く声を漏らす。打ち消しきれなかった鎌鼬が掠め、ふとももから血が溢れ出す。

 シアラは魔法使いであり、ミーファは魔法剣士である。

 魔法という一点において、シアラはミーファよりも長い年月を研鑽してきた。魔力量も、シアラの方がミーファよりも多い。

 対するミーファは、魔法よりも剣術に重きを置いてきた。魔法剣士隊の隊長として、辛うじて中級までの火炎魔法は使えるが、補助魔法を除いて他の属性の魔法は使えない。

 シアラの使う、氷と風の中級魔法を複合させたような強力な魔法となれば、対抗することは難しいだろう。シアラがこれまでの戦いで魔力を多少消費しているとしても、それは揺るがない。

 ミーファは、それほど多くの魔力を持っていない。並の魔法使いに比べれば多い方だが、それでも中級魔法を一度使えば限界が近くなる。今は辛うじて拮抗しているが、あと数秒もすれば氷の竜巻に飲み込まれるだろう。

 自分よりも上位の魔法の使い手に、正面から魔法で対抗する。その結果は、敗北として現実のものになろうとしている。


「それでも……」


 痛む脇腹、流れ出る血に構わず、ミーファは全身に力を込めていく。

 敗北は必至で、このままでは志信もろとも氷の竜巻に押し切られる。そうなれば、志信も危惧した通り義人軍が崩れかねない。

 そんな“建前”が浮かび、すぐにミーファは本音で建前を塗り潰す。



 ―――わたしは、シアラ隊長だけには負けたくない!



 既に決しつつあるものの、それでも、恋敵には負けたくない。


 そして、なによりも、このままでは『シアラを連れ戻す』と義人に約束した志信を、嘘つきにしてしまうではないか。


 眼前に、氷の矢が迫る。避ける時間は、ない。


「―――それでも、負けられるかああああぁぁぁぁっ!」


 眼前に迫った氷の矢は、額を叩きつけて砕く。徐々に弱くなっていた火炎が、一気に膨れ上がる。


「……嘘」


 氷の竜巻と拮抗する火炎を見て、シアラが小さく呟いた。

 氷の矢の先端を丸めた以外、手加減なく作り上げた魔法だ。志信の持つ『無効化』の棍でも防げず、シアラが知る限りミーファの魔法の技量では防ぎようがない―――はずだった。

 一体どんな絡繰りかと、シアラは目を疑う。

 カグラが相手だったならば、理解できる。サクラが相手だったならば、まだ納得もできる。しかし、相手はミーファなのだ。魔法の腕では自分の方が上だと、自信を持って言える相手だ。

 そのミーファが、自分の使える魔法の中でも最も強力な魔法を防ぎ、拮抗し、そして今、凌ぎ切った。

 さすがに無傷には程遠く、左手で右の脇腹を押さえ、体のあちこちから血を流し、手に持った刀は魔法の負荷に耐えきれなかったのか半ばから折れ飛んでいる。

 それでも、ミーファは立っていた。

 氷で切ったのか、別の理由か、額から血を流し、後ろ髪を止めていた髪飾りが燃えていつもとは違った髪型になっていたが、それでもミーファは立っていた。


「はぁ……はぁ……シノブ、大丈夫?」


 震える体を動かして、ミーファは志信へと視線を送る。今にも膝から力が抜けて倒れそうだが、意地で体を支えていた。


「ミーファ……」


 背後の志信には氷の矢一本たりとも通さなかったミーファは、明らかに満身創痍。それほどまでに身を挺してシアラの魔法を防いでくれたミーファを見て、志信は言いようない感情を覚える。

 それまで、志信はミーファを自分よりも弱いと思っていた。事実、『無効化』の棍を使わなくてもミーファは志信に敵わないだろう。しかし、ミーファは志信が防げないシアラの魔法を防ぎきってみせた。

 そのことに志信は、敬意にも似た感情を覚える。


「ありがとう」


 力が抜けて体勢を崩したミーファを抱き留めながら、志信は呟く。ここまでしてくれたのだ。あとは、自分が決着をつける。

 ミーファをゆっくりと地面に座らせ、志信はシアラと向き直った。シアラは自分の魔法が防がれたことで呆然としていたが、すぐさま気を取り直して杖を構え直す。さすがに、今の魔法をもう一度撃つだけの魔力は残っていない。仮に撃てても、地面に座り込んでなお睨み付けてくるミーファが立ち上がり、再度防いでしまいそうだ。

 志信は一歩一歩、油断なくシアラへと歩み寄っていく。シアラはそんな志信の動きに合わせて、少しずつ後ろへ下がっていく。

 志信達から離れて戦う義人軍とカグラ軍の声も、どこか遠くに聞こえる。志信は時折放たれる氷の矢を『無効化』の棍で叩き落としつつ、シアラとの距離を縮めていく。

 その志信を見て、シアラは恐怖を覚えた。戦場に立てば志信と戦うことになる。それを踏まえて決意したはずなのに、無表情で歩み寄ってくる志信が恐ろしくて仕方がない。


「シアラ」


 そんな志信が、シアラの名を呼んだ。シアラはびくりと震え、志信の目から逃げるように視線を逸らす。


「……何?」

「“この前”の答えを返しに来た」


 この前という言葉に、シアラはより一層身を震わせる。志信はそんなシアラを見て、無表情から一転、苦笑を浮かべた。


「義人とミーファに背を押されて、それでようやくこの場に立つことができた。笑ってくれ。二人が背を押してくれなければ、俺はこの場に立つことができないほど、勇気が持てなかった」

「……聞きたく、ない」


 志信の言葉を遮るように、シアラが氷の矢を放つ。だが、志信は今度は『無効化』の棍を振るわず、氷の矢が頬を掠めるのにも構わず前へと出る。


「シアラ、お前が“あの晩”に言ってくれた言葉。俺もそのまま返そうと思う」


 さらに、氷の矢が放たれる。氷の矢は狙いを外さず志信の左肩に直撃するが、志信は僅かにのけ反っただけで歩みを止めない。骨にヒビが入ったような痛みはあるが、今はそれどころではない。

 なにせ、志信にとって人生で初めての告白だ。その程度の痛みでは、止まらない。



「俺も、シアラが好きだ」



 そう言って、志信は笑みを浮かべてシアラへ右手を差し出す。

 その背後で、ミーファが何かを諦めたようにため息を吐く。

 そしてシアラは、杖を取り落しそうになる自分を叱咤しながら、唇を強く噛んだ。

 あの夜に続くはずだった言葉を、志信が口にした。聞くまいとして遮った言葉を、志信が口にしたのだ。

 嬉しくないはずが、ない。だが、シアラにとってはカグラに対する罪悪感も大きい。

 感情では、志信の手を取りたいと思う。

 理性では、志信の手を取るまいと思う。

 二つの相反する気持ちがぶつかり、シアラは迷いに迷い、そして決断する。


「……シノブ、わたしは」


 呟きと同時に、シアラの頭上に氷の矢が出現した。その数は戦いが始まった頃よりも遥かに少ないが、それでも二十本は浮いている。


「シアラ……」

「……嬉しかった。でも、駄目」


 合図のように、シアラが右手を上げた。志信は痛んだ肩を庇って棍を右手だけで持つが、片手で全てを防ぎきれるとは思えない。


「今は、わたしはあなたの敵なのだから」


 言葉と同時に、氷の矢が放たれる。志信は自分に向かってくる矢を三本ほど棍で叩き落とすが、片手ではそれが限界だ。


「シノブッ!」


 氷の矢が直撃するよりも一瞬早く、背後にいたミーファが志信を押し倒すようにして氷の矢の射線から逃れる。


「あぐっ!?」


 志信の盾になるように覆いかぶさったミーファが、小さく悲鳴を上げた。氷の矢が何本か背中を殴打し、激痛が走ったためである。それでもミーファは志信を守りきると、小さく笑顔を浮かべた。


「……無事、みたいね」

「ミーファ、お前……」


 先程切った額から血が流れ落ち、志信の頬を濡らす。それを見た志信は動揺したような声を出すが、それを聞いたミーファは小さく首を振った。


「ああ、大丈夫よ。致命傷じゃ、ないから」


 痛みを堪えながらもそう言って、ミーファはゆっくりと身を起こす。そして志信と同じく、動揺したような視線を向けてくるシアラに向かって、静かに歩き出した。

 ふらふらと、まるで幽鬼のような足取り。だが、ミーファがシアラを見る瞳は限りなく鋭い。その瞳に怯えを感じたシアラは、ミーファを狙って氷の矢を放つ。

 相手は正に満身創痍。あと一撃加えれば、それだけで倒れ伏すだろう。それに加えて、ミーファは武器を持っていない。先ほど刀が折れたため、既に手放している。


「邪魔よ」


 そう考えて放った氷の矢はしかし、ミーファが振るった拳によって砕かれた。蚊でも払うようにして、その実、これ以上ないほど力を込めて氷の矢を殴りつけ、粉々に砕く。

 空中に散らばった氷の欠片に目もくれず、ミーファは足を引きずるようにしてシアラへ近づいていく。額から血が流れ、ミーファ自身の髪の色と相まって首から上が真っ赤に染まっているような状態だ。


「ねえ、シアラ隊長。一つ聞きたいことがあるんだけど」


 常の公私を分けた口調を捨てて、ミーファは話しかける。歩み寄りながらも、シアラから視線は外さずにミーファは話しかける。


「あなたは、なんでカグラについたの?」

「……カグラ様が“ああなった”責任を取るため」

「ふぅん……」


 睨みつけるようしながら、ミーファはシアラとの距離を縮めていく。それを見たシアラは、理由がわからない恐怖感を覚えて杖を構えた。ミーファは足元が覚束ず、右の脇腹を押さえるために左手を塞いでいる。

 横に薙ぐか、それとも縦に振り下すか。一瞬だけ逡巡し、シアラは杖を真正面から振り下ろす。

 狙いは額。当たらずとも、掠めるだけでミーファは倒れるに違いない。

 そう、シアラは思っていた。

 振り下される杖を見て、ミーファは冷静に上体を少しだけ横に逸らす。振り下された杖が頬を掠めて肩にめり込むのも無視して、右手を握り絞めて拳を作る。そして何の躊躇も遠慮も容赦もなく、


「ふざけるなぁっ!」


 咆哮と共に、シアラの顔面へと拳を叩きつけた。

 体が痛むのを無視した上で、体重を乗せた一撃。シアラは頬を殴られて後ろに倒れそうになるが、ミーファがそれを許さない。

 ミーファは痛む脇腹から左手を離してシアラの胸ぐらをつかむと、無理矢理引き寄せ、額を叩きつける勢いで顔を寄せて至近で睨み付ける。


「シノブとの間に何があったかは知ってるわ。でも、シノブにそんな“荷物”を押し付けて、自分は今回の責任を取るためにカグラ側につきます? 寝惚けたを言ってんじゃないわよ! 責任を取るって言うのなら、カグラにつくんじゃなくてこっち側に立ってカグラを止めなさいよ!」


 重傷さを感じさせない動きで、ミーファがもう一度シアラへと拳を叩きこむ。シアラはその衝撃で僅かに体が浮いたが、歯を食いしばると杖を手放して拳を握る。


「……っ! あなたには、関係ない!」


 お返しと言わんばかりに、シアラがミーファを殴りつけた。ミーファとシアラでは身長差があるが、すでにフラフラのミーファはそれだけで倒れそうになる。しかし、まだまだ言い足りないのだ。

 倒れることを気合で拒否して、ミーファは睨んでくるシアラを睨み返す。


「うるっさいわね! 関係あるのよ! こっちは、アンタの的外れな責任感に巻き込まれたのよ! おかげで公衆の面前でシノブに告白することになったし、ヨシト王達にからかわれたのよ!」

「……シノブに……告白?」


 聞き逃せない台詞に、シアラが反応する。心なしか握り締めた拳から軋むような音が聞こえ、それを聞いたミーファは鼻で笑い飛ばす。


「ええそうよ。もっと時と場所を選んで言うつもりだったのに、ヨシト王達がいる前で言ったのよ! 悪い!? 少なくとも、シノブの答えを聞くことを拒否したアンタに何かを言われる筋合いはないでしょうが! でも、シノブはアンタのことを―――」

「……うるさいっ」


 苛立ち混じりで冷たく言い放ち、ミーファの顎を真横から拳で撃ち抜く。既に満身創痍だったミーファはそれを最後に意識を失い―――すぐ傍まで接近していた志信に抱き留められた。


「……シノブ……」

「……そういうことらしい」


 ミーファを片手で抱き留めながら、志信は苦笑する。


「まったく、情けない限りだ。ここまでミーファに助けられるとは思っていなかった」


 そう言いながら、志信は再度右手を差し出す。


「もう一度言おう。シアラ、俺はお前が好きだ。だから、今日はお前を連れ戻しに来た」


 “あの時”は伸ばせなかった手を、ゆっくりと伸ばしていく。シアラは何も言わず、伸びてくる手をじっと見ていた。

 そして、ようやく志信の手がシアラへと届く。


「あの時止められなくて、すまなかった。だけどもう―――」


 志信はシアラの腕を掴むと、自分の方へと引き寄せる。ミーファを支えているため片手になるが、それでもしっかりと、シアラを抱き締めた。



「お前を離さない」



 その言葉を最後に、シアラから抵抗する意思が完全に抜ける。

 それを見た志信が微笑み、志信達を避けるように展開していた兵士達から歓声が上がるのだった。


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