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異世界の王様  作者: 池崎数也
最終章
179/191

第百七十五話:終わりの始まり その4

 ―――魔法隊隊長シアラ=テンシア離反。

 早朝、起き抜けにその報告を聞いた義人は、思わず額に手を当てながら天井を仰ぎ見てしまった。そして動揺を抑えるようにため息を吐き、報告してきた兵士を下がらせると、何故か兵士と共にいた志信へ視線を向ける。


「それで、何かあったのか? 何か、落ち込んでいるみたいだけど」


 義人はいつの間にか布団に潜り込んでいた小雪の柔らかい頬を軽く突き、気分を入れ替えるようにして尋ねた。兵士の報告に紐付けて考えるならば、シアラが離反したことについてだろう。



 ―――志信もショックを受けたよな……いや、シアラとの仲を考えると、俺よりもショックだよな。



 普段の二人を見れば、その仲が深まっていることは察せられた。寡黙な性格同士だが、それが苦になっていたようにも見えない。ある意味ではお似合いの二人だと、義人は見ていたぐらいだ。

 そんなことを考える義人に対して、志信は視線を床へと向けると両手を強く握り締める。


「……昨晩、シアラが俺のところへ来た」


 ぽつりと、絞り出すようにして志信が言葉を吐き出す。その様子に尋常ではないものを感じた義人は完全に眠気を消し去ると、寝台の上ではあるものの姿勢を正した。


「シアラが?」


 シアラの離反よりも、志信の様子にこそ不安を覚えつつ義人が尋ねる。こんな、悄然とした志信を、義人は初めて見た。


「己の犯した過ちを償うために、カグラの元へ行くと……そう言っていた」


 呟くように、志信は言う。以前シアラから義人とカグラの確執について相談を受けたことがあると前置きして、義人へと頭を下げた。


「俺が、シアラへと言ったんだ。俺なら、『悔いていることを示し、行動で償う』と。シアラはそれを実践するために、カグラの元へ行った」


 大罪を悔いる罪人のような表情で、志信は悔恨の念を露わにする。


「すまない、義人。俺にはシアラを止めることも……いや、引き留めるための声をかけることすらできなかった」


 離反を決断したのはシアラだ。しかし、それを後押ししたのは自分だと、志信は義人へ詫びる。

 これで、戦力の上では義人側が不利になった。『召喚の巫女』であるカグラに加えて、魔法隊の隊長であるシアラが敵に回ったのだ。これが他の者に伝われば、離反する者はさらに増えるだろう。

 そのことを考え、志信はいくら謝罪しても足りない気持ちになる。もしも自分があの場でシアラを引き留めていれば、こうはならなかったかもしれない。例えシアラの意思が固く、説得することが出来なくとも、あの時行動していればと考えれば、悔やみきれない。

 下手をすればこのまま自決でもするのではないかと義人が心配するほどに、志信の後悔は強かった。常に冷静で、義人からすればある意味大人のように見えていた志信が、ここまで後悔している。

 義人は頭を掻くと、小さくため息を吐く。


「決断したのはシアラだろ? それなら志信のせいじゃないよ――なんて言葉じゃ、納得しないよな?」

「……ああ」


 頷く志信を見て、義人は内心でため息を吐いた。いくら義人が志信の責任ではないと言っても、志信は頷かないだろう。

 志信は頑固な、それこそ自身を上回る頑固な性格をしていると義人は見ている。普段の生活の中では表に出さないが、これと決めたことは必ず貫き通す男だ。義人も大概頑固なところがあるが、頑固さでは志信も決して譲らない。今の志信を納得させるには、余程のことがなければ無理だ。

 義人は、その頑固な部分が現状を招いているという自覚はある。己の決めたことを貫き通すために、カグラと対峙することになった。

 そして志信は、自分がシアラを止めることができれば状況は変わっていなかった、義人が不利になることはなかったと思っている。

 もたらす影響の大小は異なるが、覚える後悔に差はない。だが、だからこそと、義人は真剣な表情を作る。シアラを止めることができず、苦悩している親友を前に、敢えて感情のない声を出す。


「それで、どうするつもりなんだ?」

「……どうする、とは?」


 どこか疲れたように尋ね返す志信。そんな志信に、義人は鋭い視線を向けた。


「さっきも言ったけど、シアラがカグラ側についたのはシアラが決断したことだ。俺とカグラのどちらを正しいと思うかではなく、カグラへの負い目で決断したことだけど、俺はその決断を尊重する」

「義人……お前は、気にしていないのか?」


 信じられないと言わんばかりに、志信が義人を見た。不信というよりも驚愕に近い感情が籠った視線を受け、義人は、そんな感情を志信に向けられるのは初めてだなと思う。だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。今は少しでも、目の前の親友の心を軽くしてやりたかった。


「気にしていないと言えば嘘になるよ。でも、元を正せば俺とカグラの諍いが原因だからな。自業自得と思うさ」


 おどけるように言いながら、義人は自身の傍で眠る小雪の髪を優しい手つきで梳く。言うほどには気にしていないと、態度で伝わるように。

 そんな義人を見て、志信は唇を噛み締めた。戦力の関係上、シアラという存在は到底無視し得ない。



 ―――それでも義人が気にしないと言うのならば、やはり俺が……。



 志信の瞳に、僅かに剣呑な色が混ざる。しかし、それと見て取った義人は眉を寄せて口を開く。

 俺が言えた義理じゃないけど、と前置きして、義人は言葉を投げつける。


「何か物騒なことを考えているみたいだけど……シアラを相手に、戦えるのか?」


 シアラが志信にだけ別れを告げた理由。それを普段の二人の関係から推察した義人は、そう尋ねた。

 もしも義人自身が優希と戦うことになったら、はたして武器を向けることができるか。そんな仮定を考えれば、志信の心情も理解できる。だからこそ、義人は志信を責めることなどできない。


「……わからない」


 義人の問いに、志信は力ない声で答えた。自分がシアラと戦う姿をイメージするものの、そこから先が思い浮かばない。

 勝つか、負けるか。そもそもどう戦うのか。どんな言葉を交わし、どんな感情を持つのか。それらを想像し、志信は眉を寄せる。



 ――想像して浮かんだのは、恐怖に似た感情。



 誰かと戦うことをここまで恐ろしいと思ったのは、これが初めてだった。命がかかった殺し合いでも、ここまで恐ろしい、怖いと思ったことはない。事実、志信は“こちらの世界”に来て幾度も命を賭けた戦いを潜り抜けてきたが、昂揚こそすれ恐怖を覚えたことはなかった。

 それが、シアラが相手というだけで戦意が萎む。

 何故だと、志信は苦悩した。このままいけば、シアラは義人の敵として立ちはだかる。そうなれば、志信はシアラと争う敵になるだろう。

 それが、たまらなく恐ろしい。

 苦悩する志信を見て、義人はため息を吐く。そして、心中で“ミーファに”謝罪しつつ、寝台から降りて志信の肩を敢えて軽く叩いた。


「まあ、好きな子と戦うかもしれないっていうのは辛いよな」

「―――っ!?」


 先程以上に驚愕の感情を見せる志信。何故と言わんばかりに目を見開くその姿に、義人は苦笑する。


「なんでって顔をするなよ。ある意味、カグラよりもわかりやすかったぞ?」


 今日は志信の色々な表情を見る日だ、などと珍しいものを見た気分で、義人は話を続ける。


「もう一度聞くけど、シアラと戦えるか? いや、もしかすると戦うことはないかもしれない。でも、戦う可能性はある。今度はそんな戦いだ。それでも志信は、明後日の戦いに臨めるか?」


 それまでわざと見せていた気軽さを消し、真剣な表情で問いかけた。

 もしも志信が戦えないと言うのなら、義人達はさらに不利になる。だが、それでも志信が迷いを持ったままで戦いに挑むぐらいならばと、義人は不戦を促した。


「……いや、大丈夫だ。俺は、戦える」


 噛み締めるようにして、志信が告げる。例えシアラが相手でも戦えると、義人の目を見てそう言った。


「…………」


 義人は志信の瞳を真っ直ぐに見返し、頷く。


「……わかった。それじゃあ、頼りにさせてもらうよ」

「……ああ」


 そして、志信は言葉少なに義人に背を向ける。義人はそんな志信の背中を黙って見送り、その姿が見えなくなってから大きなため息を吐いた。


『あれで良かったのか? 妾としては、シノブがあの魔法使いを相手に戦えるようには見えなかったぞ?』


 それまで黙っていたノーレが、義人へと尋ねる。それを聞いた義人は頭を掻くと、寝台に腰を掛けた。


「多分、無理だろうなぁ……正直に言って、シアラが向こうについたのは痛い。でも、今の志信にシアラを相手に戦わせるのは危険だろうし、戦う際の配置を考えないとな」

『……あの魔法使いを相手に戦って勝てる可能性がある味方は、非常に限られておる。それはわかっておるんじゃな?』

「ああ。志信が無理でも、サクラなら勝てると思う……でも、あの二人って仲が良いからな。極力別の手を打ちたいところだけど……」


 そう呟く義人の脳裏に、ミーファの姿が思い浮かぶ。僅かに黙考するが、すぐに頭を振った。その手を打てば、“余計に”志信を苦しめる羽目になりかねない。


「いやはや、厳しくなってきたな……」


 吐いた言葉は、苦しげな感情で染まっていた。ただでさえ不利な状況だったが、時間を追うごとに余計に不利になっていく。三日という期限を切ったのは義人だったが、失敗だったかと僅かに後悔の念を覚えた。しかし、後悔しているだけでは勝てる戦いも勝てなくなる。そう自分に言い聞かせ、義人は思考を打ち切った。


「ヨシト様、起きていらっしゃいますか?」


 そうやって義人が立ち直った時、扉をノックする音と共にサクラの声が響く。それを聞いた義人は入室の許可を出すと、サクラを寝室に招き入れた。


「おはようございます、ヨシト様」

「おはよう、サクラ」


 ベッドから立ち上がって挨拶を交わし、サクラから着替えを受け取る義人。サクラは義人に着替えを手渡しつつ、首を傾げた。


「表情が優れませんが、何かあったんですか?」


 不思議そうに尋ねるサクラに、義人は苦笑する。気分を入れ替えたつもりだったが、サクラには通じなかったらしい。


「ああ……サクラには、先に伝えておいた方が良いだろう」


 どこか疲れたような義人の声に、サクラは姿勢を正す。カグラ関係で何かあったのだろうかと内心で疑問を覚えるものの、義人が口を開くのを待つ。


「シアラが、カグラ側についた」


 端的に、義人はそう言った。


「…………え?」


 義人の言葉が一瞬理解できず、サクラは思わず首を傾げる。しかしすぐにその意味を理解して、目を見開いた。


「し、シアラちゃんが!? そんなっ、なんでですか!?」


 驚愕した様子のサクラ。義人はそんなサクラの反応を見つつ、志信と話した内容を簡単に伝える。すると、サクラは視線を床へと向けて唇を噛み締めた。


「そうですか……シアラちゃんがそんなことを……」


 そんなに悩んでいたとは、とサクラは呟く。

 異腹の姉妹であり、自他ともに仲が良いと思っていたサクラにとって、シアラがそこまで悩んでいたことに気付けなかったのは情けなく、悲しくもある。義人はそんなサクラの肩に手を置くと、首を横に振った。


「これは志信にも言ったことだけど、シアラが決断したことだ。サクラのせいじゃない」


 全ての原因を遡れば、自身に帰結する。義人はそう言ってサクラを宥めると、頬を掻いた。



 ―――やっぱり、サクラにシアラの相手をさせるのは無理か……。



 サクラの様子からそう判断した義人は、サクラに悟られないよう視線だけ動かしてノーレを見る。


『ノーレ』

『うむ。最悪の場合、妾とお主で魔法使いと巫女の二人を倒さねばなるまい』

『うへぇ……きっついなぁ』


 おどけるように義人が言うと、ノーレは含めるようにして言う。


『自業自得、なんじゃろ?』

『……そうだな。ここまできたのが自業自得っていうのが、なんとも辛いところだよ』


 シアラを倒し、カグラを倒す。言葉にするだけならば簡単だが、実現するのは困難だ。成し得る可能性は、限りなく低い。


『それでも、負けられないんだよなぁ』


 カーリア国の在り方を変えるには、勝つしかない。それだけは曲げられないと言わんばかりの義人に、ノーレは笑う。


『ふふん。まあ、妾が一緒なんじゃ。大船に乗った気でいれば良い。なんなら、妾だけで倒してしまうぞ?』


 義人を元気づけるためか、ノーレが冗談混じりにそう言った。それを聞いた義人は、内心だけで同じように笑う。


『頼りにしているよ、相棒』

『うむ、頼りにするがよい』


 軽口を叩き合い、義人は気が軽くなるのを感じた。表情を和らげ、俯いたままのサクラを励ますように肩を叩く。


「サクラには、サクラの役割がある。シアラのことは、別の手を打つさ」


 その別の手がほとんどないが、義人はそう言った。義人の言葉を聞いたサクラは、戸惑ったように目を瞬かせる。


「しかし、手を打つと言っても……」


 並大抵の手では、シアラを倒すことはできない。呟くように、サクラはそう言った。それを聞いた義人は、片眉を上げる。


「俺は詳しくないけど、シアラの腕前はどれぐらいなんだ?」


 義人が知っているのは、レンシア国に赴く際にシアラと共闘して見知った情報だけだ。共に戦っていた志信ならばもっと詳しく知っているのだろうが、その時の義人はレンシア国第二魔法剣士隊の隊長であるカールと戦っていたため、他の人間に目を向ける余裕はなかった。

 サクラは義人の質問を聞くと、宙に視線を向けながら答える。


「そうですね……ヨシト様も御存知かと思いますが、シアラちゃんは風と氷の魔法を使う魔法使いです。それぞれ中級程度までなら扱えますし、接近戦もこなせます。『魔法文字』を使った魔法具の作成もできますし、かなり器用ですね」

「へぇ……」


 サクラの話を聞き、義人は感心の声を上げた。義人の周囲にいる人間で補助魔法を除く複数の属性の魔法を扱えるのはカグラしかいない。小雪は龍種なので除くが、複数の属性の魔法が扱えるとなると、余程の才能とそれに見合った努力が必要となる。それに加えて『魔法文字』などの技術も持っており、サクラが言うほどに接近戦ができるとなると、手強い敵になりそうだった。

 秀才か、それとも天才か。そんな感想を抱いた義人だが、同時に、普段もっとシアラと言葉を交わしておけば良かったと後悔もする。寡黙で、国王相手でも自分のペースを崩さないシアラだったが、その性根は決して悪いものではなかった。カグラが傍にいると口調などを咎められるため、話す機会が少なかったのだ。


「サクラなら、勝てるんだよな?」


 サクラに戦ってもらうわけではないが、どの程度腕が立つのかを聞きたくて義人は尋ねる。サクラはその問いに僅かに悩んだものの、小さく頷いた。


「殺す気でかかればなんとか、といったところでしょうか」


 ただし、返ってきた言葉は義人にとっても予想外だったが。


「……もしかして、シアラって滅茶苦茶強い?」


 義人も、シアラが魔法隊の隊長を務めるからには腕が立つと思っていた。僅かとはいえ、共闘した際にその腕前の片鱗も確認している。しかし、それでもサクラの回答は予想外だった。


「強いですね。例えば……シノブ様でも、距離が開いた状態で戦えば接近する前に倒されるでしょう」

「…………」


 思わず、義人は沈黙した。志信でも勝つのが難しいとなると、打つ手がないようにも思えてくる。

 義人はため息を吐くと、頭を掻いた。


「カグラと戦うまで、色々と壁がありそうだな」


 カグラと戦うまで。そう言った義人に、サクラが目を伏せた。


「……“やはり”、ヨシト様がカグラ様と戦うおつもりなのですね?」


 確信を込めた声で、サクラが尋ねる。それを聞いた義人は、ゆっくりと頷いた。


「ああ。本来なら志信とサクラにお願いしたいところだけど……二人がかりでも勝てなかったんだろ?」


 義人も、志信とサクラが『強化』以外の魔法を使わなかったカグラに負けたことを聞いている。その戦いから多少時間が空き、志信やサクラが実力を向上させたとしても、それはカグラも同じだ。今度は、魔力の消費が制限されることもない。魔力が全快していないが、今度戦うのは正真正銘、本気の『召喚の巫女』だ。志信とサクラの二人がかりで戦っても、前回と同じ結末になる可能性が非常に高い。


「わたしとシノブ様では、カグラ様に勝てませんでした。ですが、ヨシト様なら……いえ、ヨシト様とノーレ様なら、あるいは……」


 言葉を濁したサクラに、義人は頷く。

 多彩な魔法と、『強化』による身体能力の向上、培った戦闘技術。それらを総合すれば、カグラには敵わない。だが、総合力で勝てなくとも、カグラに勝つ方法はあるのだ。

 義人と志信が戦えば、志信が勝つ可能性が高いだろう。

 義人とサクラが戦えば、サクラが勝つ可能性が高いだろう。

 しかし、義人と志信、サクラの三人を比べた時、カグラに勝つ可能性が最も高いのは義人だった。義人が“本気”で戦えば、カグラに“勝てる可能性”がある。

 それは小さく、ほんの僅かな可能性だが。カグラの持つ能力の中で、一点でも超える能力を持つのは、義人とサクラの二人。そして、義人とサクラを比べた時、可能性が大きいのは義人の方だった。


「“やっぱり”そうなるか……」


 顎に手を当て、義人は何事かを考え込むようにして呟く。ここまで大事になったのならば、義人もカグラも引くわけにはいかない。

 悩むようにして沈黙した義人を見て、サクラは僅かに胸が痛むのを感じた。

 自分にもっと力があればと、悔しさにも似た感情も湧き上がる。しかし、サクラに現状を打破する力はない。全力で立ち向かってもカグラには敵わず、シアラを倒せると断言できるほどの力量もない。いや、迷いを抱えて戦えば、シアラを倒す前に自身が倒されるだけだろう。しかし、それでもサクラは決意した。

 例え自分がシアラと戦うことになろうと、百を超える兵が立ちはだかろうと、カグラと戦うことを望む義人をカグラのもとへと送り届ける、と。

 そこまで考えたサクラは、義人に対して深く一礼した。


「サクラ?」


 突然頭を下げたサクラに、義人は怪訝そうな声をかける。それに対して、サクラは真剣な声で応えた。


「この、力及ばぬ非才の身を申し訳なく思います……しかし、一命に代えてでも、ヨシト様を無傷でカグラ様の前に立たせてみせます」


 固い、感情の見えない声でサクラが宣誓する。

 命に代えてもなんて馬鹿なことを言うなと、義人は言おうとした。しかし、今回の義人とカグラとの争いは、両者に従う者達の命を奪うかもしれないのだ。そのことを自覚する義人は、拳を握る。


「……ああ。わかった」


 サクラがカグラへの道を作ると言うのなら、義人はそれに頷くだけだ。戦況がどう動くかはわからないが、敵陣を突破してカグラのもとへ向かう可能性もある。そんな状況で義人に傷一つ負わせず、消耗させずにカグラのもとまで連れて行くとなれば、実現の可能性は高くない。

 それでも、目の前の少女はそれを成し遂げるのだろうと義人は思った。サクラは、冗談でも不可能なことを言わない。付き合いは一年程度だが、そう思えるぐらいに義人はサクラを“信頼”している。


「わかったけど……頼むから、無理はしないでくれ」


 その言葉が出てきたのは、甘さが抜けきらないからか。義人は頭を下げたサクラの肩に手を置いて顔を上げさせると、自身を見上げてくる瞳を真っ直ぐに見つめた。

 自分よりも年若く、背も低いサクラを義人は見下ろし、自分よりも背の高い義人をサクラは見上げる。

 “こちらの世界”に召喚されてからは、護衛や身の回りの世話で関わってきた少女。ある意味、“こちらの世界”では優希やカグラよりも長い時間を共にした存在だ。政務の際には、丸一日傍で控えていたことも珍しくはない。“こちらの世界”の人間の中では、義人が最も“信頼”している内の一人だ。

 サクラは、もしも“元の世界”にいたならば高校生になるかどうかといった年頃である。自分よりも年下で、いっそ妹か後輩とでも思えそうなサクラが、命を賭けると言う。

 義人自身も、己の命を賭けなければこの難局は乗り切れないと思っていた。事実、カグラを相手にするならば命を賭ける必要があるだろう。そして、例え命を賭けても戦いに勝てない可能性が高いことも、理解している。だが、同様に命を賭けることを周囲の人間に強いるという事実が、重い。

 サクラは義人の言葉を聞くと目を閉じ、肩に置かれた義人の手に己の手を重ねる。

 義人が“こちらの世界”に召喚されて、一年近くが経過している。その内三ヶ月近く“元の世界”に戻っていたことを考えれば、実質では一年にも満たない期間しか“こちらの世界”では過ごしていない。

 “元の世界”で義人は学生で、争いごとなどほとんど無縁の国で生活していた。それが見知らぬ世界に『召喚』され、国王として働き、そして今は、腹心であるはずの『召喚の巫女』を敵にしている。戦力は義人側が不利であり、その差は日を追うごとに広がるばかりだ。その重責を考えれば、精神的に潰れるか、逃げ出していてもおかしくはない。

 それでも義人は、己が提案した『召喚国主制』の廃止を実現するためにカグラと戦う気でいる。

 “元の世界”から持ち帰った“証拠”を手に、この国がこれ以上発展することはないから、と。

 本来はこの国のために尽くす義務もなければ、その理由もない、“元の世界”に家族を持つ身で。カーリア国を良くしようと提案し、苦境に立っている。

 その義人が、無理はするなと言う。

 時間が経つごとに開く戦力差。ただでさえ、敵の総大将は『召喚の巫女』という、これ以上ない悪条件。

 それでもなお、義人は無理をするなと言う。戦いを前にした臣下にかける言葉かと聞かれれば、答えは否だろう。だが、その言葉をかけてしまうのが義人だった。



 ――サクラが、カグラに敵対してでも幸せを願った、主君(よしと)だった。



「ふふっ」


 小さく、本当に小さくサクラが笑う。どこか納得したような、それでいて嬉しげな笑み。


「サクラ?」


 己の手に自身の手を重ね、笑みを浮かべたサクラに義人は首を傾げる。サクラはそんな義人に真っ直ぐな瞳を向けると、嬉しそうに微笑む。


「わかりました、無茶はしません。ヨシト様に心配をかけたくはないですから」

「……そうか」


 サクラの言葉に、義人は安堵したような声を漏らす。サクラはそんな義人にもう一度だけ笑みを向けると、小さく一礼した。


「それでは、わたしは食事の準備を手伝ってきますね」

「ああ、よろしく頼むよ」


 言葉を交わし、退室していくサクラ。そしてサクラが退室すると、ノーレが声を上げる。


『あのメイド……』

「ん? どうした?」

『……いや、なんでもない』


 サクラの笑顔に“何か”を感じ取ったノーレだったが、それを言葉にするのは止めた。不思議そうな顔をしている義人に、これ以上の重荷を“今”背負わせるのは躊躇われたからだ。



 ―――しかし、こやつは気付いているのかいないのか……あの巫女の時もそうじゃったし……。



 呆れたような声を漏らすノーレ。とぼけているのか本当にわかっていないのか、いまいちわかりにくい義人の様子を見て、彼女は様々な事柄に対してため息を吐く。



 カグラとの戦いまで、残り二日の朝の出来事だった。


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