第百七十四話:終わりの始まり その3
カグラと交わした約束の三日後まで、時間は多くない。
義人は城に戻るなり、心配する臣下に怒られながらも状況を説明し、準備を進めていくよう指示を出す。それを聞いた臣下達の反応は、様々だった。
「三日後?」
「三日の時間があると見るべきか、三日しかないと見るべきか……」
「しかし、時間を置けば向こう側へ裏切る者が出る可能性が……」
口々に不安を出す臣下達を見て、義人はため息を吐く。
「時間を置いたぐらいで裏切るのなら、三日だろうが一年だろうがいずれ裏切るだろ。それなら先に、カグラ側についてもらってかまわない」
義人がそう言うと、臣下達は互いに顔を見合わせる。
「それは……どういう意味ですか?」
「俺とカグラ、正しい主張をしていると思う方についてほしいってことだ。俺は、召喚国主制を廃止することでこの国を新しくする。カグラは、召喚国主制を続けてこの国の形を保ち続ける。どちらが正しいと思うか、それを踏まえて身の振り方を決めてくれ」
その言葉に、臣下達の間で僅かに動揺が走った。しかし、義人はそれを見なかったことにして、アルフレッドに視線を向ける。
「三日後、場所は王都フォレスとタルサ村の中間。兵士同士は極力殺し合わせず、勝敗は俺かカグラが負けを認めるか――死ねばそれで決まる。取り決めたのはそんなところなんだが……」
「ふむ、なるほどのう。生死を問わず総大将が敗れれば負けか……勝敗を決める条件としては、厳しいのう」
「やっぱり厳しいか?」
「うむ。例え軍同士の戦いで勝利しても、大将であるカグラ一人が負けを認めなければ、そこから自力で勝敗を引っくり返しかねん。そうなるとカグラを倒す必要があるが、それは難しいじゃろ。カグラを倒すよりも早く、軍同士の戦いで疲弊した兵力が尽きる方が現実的じゃな」
数百人の兵力よりも、カグラ一人の方が上だと言うアルフレッドに、義人は表情を引きつらせる。
「そ、そんなにか?」
「うむ。もっとも、魔力が全快してはいないようじゃから、少しは勝ちの目が見えるじゃろう」
ほんの少しだけ、と心中だけで付け足し、アルフレッドは義人に気付かれないようため息を吐いた。
カグラが相手では、志信やサクラでも敵わない。善戦ができても、それ以上は無理だろう。『強化』を使っただけのカグラに二人がかりで敵わなかった以上、本気のカグラを相手に勝てる要素はほとんどない。
カグラに勝てる可能性がある者は自分を含めると二人いるが、とアルフレッドは小雪に視線を向ける。もっとも、アルフレッドも小雪も魔物のため、カグラを打倒するようなことはできないのだが。
アルフレッドも歳を重ねてしまったとはいえ、今ならまだカグラを倒すことは可能だ。確率としては五割よりも僅かに上といったところだが、義人側の人間や中立の者の中では最も可能性がある。次点でカグラに勝てる可能性があるのは、小雪だ。白龍としての高い基礎能力を使えば、カグラに打ち勝つことも不可能ではない……が、経験不足が大きい難点だった。
アルフレッドから見れば、義人側の勝ち目は限りなく小さい。そのことを考え、もう一度だけため息を吐いた。
長い、永い時間をカーリア国と共に過ごしてきた。親友が発展させ、自身が育ててきた国だ。愛着は深く、現状は憂う他ない。
義人とカグラ、どちらが勝ってもこの国は大きく変わるだろう。下手をすれば、そのまま滅びかねない。しかし、変わらない国などないのだ。
「見守ることしかできないのが、歯痒いのう……」
その呟きは誰の耳にも届かず、静かに消えるのだった。
翌日、義人を筆頭に各部署の文官は朝から忙しなく城内を駆け回っていた。
昨晩遅くまで続いた会議の影響で睡眠時間は多くなかったが、目前に迫ったカグラ達との戦いを前にすれば、悠長に寝ているわけにもいかない。そのため、義人は朝食を取り終えるなり謁見の間で簡単に朝議を済ませると、文官や武官を持ち場へと散らせていた。
「昨晩の内にカグラ側についた兵士が十二名か……内訳は?」
「歩兵隊から十名、魔法隊から二名です」
「文官の方はどうだ?」
「今のところ、カグラ様側についた者はいません。しかし、動揺が広がっているため、三日の間にどうなるかは……」
義人に付き従いながら報告を述べるロッサ。その報告を聞きながらも、義人は城の裏手にある訓練場へ向ける足を止めない。
「召喚国主制を廃止することを反対するからカグラ側についたのか、それとも勝ち馬に乗るためか。ロッサはどっちだと思う?」
「判断が難しいところです。おそらくは後者かと思われますが」
「そうか……武器や兵糧、その他の物資はどうなっている?」
義人が尋ねると、今度はロッサとは別の文官が口を開く。
「長期戦になるとは思えませんので、兵糧の方は現状でも問題ありません。しかし、刀が若干不足しています。防具や医療品については三日以内に集められるとは思います」
「長期戦になった場合はどうだ? どれだけもつ?」
「こちら側の兵だけなら三ヶ月はもちます。ただ、王都に籠城することになれば、城下の民に配分する分を含めて二週間。それ以上はもたないでしょう」
文官から提示された数字を聞き、義人は宙に視線を向ける。
「ふむ……ゴルゾーのところに人を向かわせろ。あいつなら刀の在庫もあるだろ」
「わかりました。食料についてはどうしますか?」
「そっちについてはそれとなく在庫を確認するだけで良い。籠城もなければ、長期戦もないだろうさ。それよりも早く、勝敗が決まる」
義人がそう言うと、報告をした文官がゴルゾーの元へ向かうため足早に去っていく。義人は横目でそれを見送ると、すぐに意識を切り替える。
「カグラ達の監視に向かわせた兵からの報告は?」
「今のところ、動きはないとのことです」
「律儀に約束を守るか……」
一瞬、義人の頭に奇襲という単語が浮かんだ。しかし、現状の兵力ではそれも難しい。そして、カグラとは『三日後に』という約束もある。ただの口約束だが、それを破って先手を取ったとしても、整っていない戦力では返り討ちが関の山だ。
考えをまとめながら、義人は訓練場へつながる扉を開ける。そして残った兵士達が訓練を行っている場へと向かった。
義人側に残っているのは、近衛隊に第一魔法剣士隊、騎馬隊。その三部隊は一名も欠けることなく義人側についている。そして多少数が欠けてはいるが、魔法隊と第二歩兵隊の姿もあった。
兵士達は義人の姿を見かけると、姿勢を正して一礼する。義人はそれに片手を上げて応えると、気にせず訓練を続けるよう促した。
「……士気は悪くない、か?」
訓練用の武器を打ち合わせる兵士達の姿を見て、義人は一人呟く。従軍などしたことがないため確証はないが、それでも、訓練する兵士達の表情に悲壮感や絶望感はないように見えた。訓練に励む兵士も、それを指導する隊長も、それぞれが真剣な表情で訓練に取り組んでいる。
近衛隊を指揮する志信が、魔法剣士隊を指揮するミーファが、残った魔法隊を指揮するシアラが、それぞれが兵士達に訓練を施している。騎馬隊を指揮するグエンは馬を扱う関係上この場にいないが、それでも心強さを感じさせる風景だ。
「義人? どうしたんだ?」
そうやって訓練風景を眺めていると、義人の姿に気付いたのか志信が近づいてくる。義人は志信の方へ視線を向けると、小さく苦笑した。
「各部署の見回りと指示出し……かな? この状況じゃ、仕事も碌に回らないからな」
こういう時こそいつも通りに、と思う義人ではあるが、他の人間がいつも通りに過ごせないのでは意味がない。国王自身が各部署の状態を確認し、それと同時に少しでも城の中を落ち着かせることができればと考えての行動だった。しかし、自分で思うほどに落ち着いていないのかもしれないと義人は内心でも苦笑する。
“こちらの世界”に来て一年近くが経過しているが、義人は軍を率いて戦ったことなどない。義人単独、あるいは少人数での戦闘は経験があるが、カグラとの戦いでは総大将となる。その事実を認識するだけで、体の芯が震えそうになるほどだ。
「……大丈夫か?」
そんな義人の様子を見て、志信が僅かに心配そうな顔をする。
「ああ、大丈夫だ」
だが、それでも、と不安を飲み下して、義人は頷いた。義人自身が提案した召喚国主制の廃止を実現するためには、三日後の戦いを勝利するしかない。その戦いを前に義人が不安そうな顔をしていれば、全体の士気にも関わるだろう。
カグラとの確執も、もっと上手くやり過ごす方法があったかもしれない。いや、打つ手を間違えなければ、カグラを納得させた上で召喚国主制を廃止できたと義人は思う。しかし現実はそうはいかず、行きつくところまできてしまった。
今それを口にしても、何も変わるはずもない。義人はそう見切りをつけ、気を取り直すように深呼吸をする。
「さて……邪魔をして悪かったな。俺は城に戻るよ」
そう言って軽く手を振り、義人は志信に背を向ける。この場にいても、兵士達の集中を妨げるだけだろう。それに、他にもやることはある。
訓練する兵士達の姿を見てやる気を出した義人は、文官達を連れて城の中へと戻っていく。
――ただ、どこか迷うような瞳で自身を見ていたシアラに、義人は気付くことができなかった。
夜になり、義人は一人で寝室のベッドに腰を掛けていた。
「はぁ……」
思わず、ため息が漏れる。他人の目がある時は動揺を表に出さないよう注意していたが、一人になるとその注意も緩む。自身の腕が軽く震えているのを視界に捉えて、義人は苦笑した。
「異世界に召喚されて王様になったと思ったら、今度は自国民相手に戦争だよ。まったく、色々あり過ぎだっての」
そう呟くと、傍らに置いていたノーレが言葉を発する。
『……辛いか?』
気遣うような、優しげな言葉。それを聞いた義人はベッドに倒れ込むと、明かりも点けないままで天井を見上げる。
「辛いというか、現状を理解するだけで精一杯だ。いや、ある意味現実感を覚えてないのかもしれない……カグラが敵だってことに、な」
義人にとって公私の私の部分を支えたのが優希ならば、公の部分を支えたのはカグラだった。召喚された当初は怒られることも多かったが、今となってはそれも懐かしい。
「いやぁ、ある意味あの頃が一番平和だったのかねぇ」
召喚され、国王としての仕事を覚え、時間があれば魔法の練習をする。元財務大臣のエンブズに裏切られもしたが、それを除けば概ね平和だった。
時には城下町へ繰り出し、時には国内を見て回り、時にはレンシア国へ使者として旅立つ。“元の世界”へ戻るという目標があったものの、“元の世界”では経験できないようなことばかり経験した。
それが楽しくなかったと言えば、嘘になる。政務に追われた日々も、過ぎてみれば平和な日常の一コマだ。そんな日々の記憶を辿ってみると多くの人間が登場するが、カグラが登場する頻度は高い。
困ったことも、困らせたことも多々あった。カグラは『召喚』を行った張本人で、そのことに対して怒りを覚えたこともある。信頼はできずとも、その人柄まで嫌ってはいなかった。
「―――お邪魔するわよ」
義人が思考に耽っていると、義人達以外の声が響く。その声を聞いた義人とノーレが揃って窓際へと視線を向けると、そこにはミレイの姿があった。
「……心臓に悪い登場の仕方をするなよ」
「あら、驚かせちゃった? ひとまず国中に開いた“亀裂”を塞いだから報告にきたんだけど……大変なことになっているみたいね?」
そこで言葉を切ると、ミレイは困ったように頬に手を当てる。その仕草と外見からカグラの姿が重なって見えた義人は、小さく頭を振った。
「ちょっと、な。カグラが謀反を起こしちまってさ」
「謀反ねぇ……まさか、カグラが国王に背くなんてね」
困ったと言うよりは疲れたように見える義人の姿に、ミレイは眉を寄せる。ノーレはそんなミレイの表情を見て、声を上げた。
『用件は報告だけかの? それなら、今日のところはヨシトを休ませたいんじゃが』
「んー……それだけと言えばそれだけなんだけど、他にもちょっと話があるのよ」
ノーレの言葉に首を振りつつ、ミレイは義人の元へと歩み寄る。そして義人と視線を合わせると、真面目な表情へと変わった。
「この前、迷惑料としてあなたの願いを一つだけ叶えてあげるって言ったわよね?」
「ああ、言ったな」
真面目な表情のミレイに面喰いつつ、義人は頷く。ミレイはそんな義人の瞳を見つめ、ゆっくりと口を開く。
「あなたが望むならわたしの力でヨシトを……いえ、ヨシトだけでなく、一緒に“こちらの世界”に来たお友達も一緒に“向こうの世界”に戻せるわよ?」
そして、義人にとっては予想外のことを口にした。
「……願いを叶えるとしても、大きな影響があることはできないって言ってなかったっけ? ここで俺達が元の世界に戻ったら、この国に大きな影響があると思うんだけど?」
「まあね。でも、大勢の人死にを出すわけでもなく、この騒ぎを収めるためにカグラを殺すわけでもない。元々この世界にいなかったあなた達を“元の世界”に戻して、本来の形に戻すだけよ」
嘘か本気か、ミレイは事もなげに言ってのける。もしも義人達が“元の世界”に戻れば、カグラの不戦勝で終わるだろう。しかし、そうなれば当然『召喚国主制』や『召喚の巫女』が廃止されることもない。
義人はミレイの提案を吟味し、しかし、すぐに首を横に振る。
「ありがたい話だ。でも、これは俺が片付けるべき問題だからな。気持ちだけ受け取っておくよ」
「ヨシトが片付けるべき問題ねぇ……」
それほど悩むこともなく拒否をした義人に、ミレイは肩を竦めた。
「『召喚』の仕組みを作ったわたしが言うのもなんだけど、あなたは『召喚』に巻き込まれただけよね。それに、今のカグラがあなたに恋慕したのも、あの子の勝手。そして、その上カグラは敵としてあなたの前にいる。あなた以外の誰かが倒しても、もしくはここですべてを投げ出して“元の世界”に戻っても良いんじゃないかしら?」
ミレイがそう言うと、その言葉に思うところがあったのかノーレが口を開こうとする。しかし、義人は右手を振ってそれを制した。
たしかに、義人は『召喚』に巻き込まれただけかもしれない。
たしかに、カグラが義人に好意を抱いたのもカグラの勝手かもしれない。
たしかに、全てを投げ出して“元の世界”に戻っても良いのかもしれない。
義人とて、“こちらの世界”に召喚された当初は優希や志信と共に“元の世界”に戻ることだけを目標としていた。国王という役割を演じたのも、“こちらの世界”で生きるため。それは否定できない。
だが、と義人は力強い視線をミレイに向ける。
「今、俺達が“元の世界”に戻ったらこの国はどうなる?」
「カグラの不戦勝で召喚国主制は継続。でも、国王が姿を消したことで国を保てなくなって瓦解ってところかしらね」
予想を告げるミレイに、義人は同意するように頷く。
「だろうな。俺が“元の世界”に戻っていた期間だけでも、不正を働いていた文官がいた。不正に対しては厳しく対処していたにも関わらず、だ。瓦解するのは遠い未来じゃない」
「そうねぇ……カグラやあの宰相が国王の代理を務めようとしても、長くはもたないでしょうね」
「ああ。それに、周辺国は戦争をしているとはいえそれも小康状態……瓦解したこの国に手を出せないほどじゃない。俺とカグラが争っているぐらいならまだ本腰は入れない可能性が高いだろうけど……」
義人がカグラに勝ち、すぐさま国をまとめ直すことができれば問題が大きくなることはない。しかし、義人が負けて国が混乱に陥ればその限りではないだろう。
「外敵がいれば、カグラの武力のもと一致団結するかもしれないわよ?」
「それも考えないではないけど、カグラが負けたら終わりだろ」
一対一なら負けず、一軍を相手にしても勝てる可能性が高いが、一国を相手にして勝てると言えるほど、義人はカグラの力が規格外だとは思っていない。一軍を相手にして勝てると思える時点で十分に規格外と言えるだろうが、義人はレンシア国に赴いた際に何人かの強者を知り得ている。
自身が直接戦ったカールも、雷魔法を操っていたヤナギも、その二人の上に立っていたクレンツも、一人ではカグラに敵わないかもしれないが、複数なら十分にカグラを倒し得るだろう。そして、カグラが敗れればカーリア国に未来はない。
義人の言葉に、ミレイは薄く笑う。
「でも、そういう意味では今回あなたがカグラと戦う意味があるのかしら? あなたがカグラを殺せば、この国の軍事力は大きく下がって大きな危険がある。カグラが勝っても、この国に未来はない。どっちに転んでも、事態が好転するようには見えないわ」
意思を確認するようにミレイが尋ねると、義人はゆっくりと頷いた。
「いや、戦う意味はあるさ」
「どんな意味があるの?」
「俺が勝てば、もう二度と俺達のような境遇に陥る人間はいなくなるし、『召喚の巫女』も……“カグラ”も、不要になる」
「……それは、命を賭けるに足ること? あなたが死ねば、悲しむ人間も多いでしょう?例えば、あなたの恋人とかね。それがわかっているのね?」
回答が気に食わなかったのか、ミレイは眉を寄せながら言葉を投げかける。それを聞いた義人は顎に手を当てると、考える仕草をしながら天井を見上げた。
「そうだな……たしかに、俺が負けて死んだら、悲しんでくれるやつもいる」
呟くように言って、義人は自問する。
――この戦いは、命を賭けるに足るか?
そう自問し、足ると、自答する。
投げ出すこともできる。投げ出すための手段もある。しかし、投げ出す気はない。
頭を一つ掻き、投げ出す気にならない理由を探し、義人はすぐに苦笑した。
「でも、この状況ですべてを放り出して“元の世界”に戻ったら、俺は絶対に後悔する」
「後悔? あなたは、自分が後悔しないためだけに命を賭けられるの?」
義人の言葉が心底意外だったのか、ミレイは不思議そうな顔で義人を見た。義人はそんなミレイを見返すと、口の端を小さく吊り上げる。
「ああ―――惚れた女が、俺が後悔するところを見るのが大嫌いなんでね。嫌われないためには、命の一つや二つ、賭けられるさ」
義人がそう言うと、ミレイは虚を突かれたように目を見開く。そして義人の言葉を理解すると、手を叩いて笑い始めた。
「なにそれ? 男の意地?」
からかうようなミレイの言葉に、義人は苦笑する。そして、志信を見捨てて“元の世界”で過ごそうとした自分にかけた優希の言葉を思い描き、苦笑を笑みに変えた。
「そんなもんじゃねえよ。ま、ただの惚れた弱みかねぇ……一度そういう姿を見せたら、俺が後悔する姿を見るのが嫌だって言われてな」
「ふふふ……それなら、絶対に“元の世界”に逃げられないわね」
「そういうことだ。カグラによる再召喚も、多分無理だろうしな。“元の世界”に戻ったら、その後悔を一生引きずることになる」
「ええ、それは無理ね。召喚の祭壇の装置が使えない状態だと、当代のカグラの魔力量じゃヨシトがいた世界と“こちらの世界”をつなげるのが精々で、人を“こちらの世界”に引っ張ってくるのは無理だわ」
ミレイがそう言うと、義人は僅かに目を細める。
「そっか……召喚の祭壇にある“亀裂”は塞げそうなのか?」
「一気に塞ぐのは無理そうだけど、回数を分ければ塞げそうだわ。あの規模になると、一気に塞ぐと変な影響が出そうだから丁度良いけど……様子を見るのも兼ねて、一年おきに“修繕作業”をして、五年もかからないぐらいかしら?」
「なるほど。そうなると、俺がカグラに勝てばそれでハッピーエンド……丸く収まるわけか」
義人が負けても、ミレイによって“亀裂”が塞がれて『召喚』が不可能になることを考えれば、勝つに越したことはない。
「そうね、もしもあなたがカグラに勝てれば、カグラ以外は丸く収まるわね」
「……そこだけはどうにもならないよ。俺に、優希だけじゃなくてカグラの気持ちにも応えて幸せにしてやる、なんて甲斐性があれば良かったんだけど、そうもいかなかったしな」
「甲斐性なしと言うべきか、一途と言うべきかわからないわね」
「一途だと主張したいところだな」
優希以外に、自分の手で幸せにしたいという感情が向かないのだ。このままカグラのことを放っておくつもりはないが、それが恋愛感情からくるものではないと義人は断言できる。自分が“惚れた”女性だけでなく、自分に“惚れてくれた”女性も含めて幸せにできないことを甲斐性なしと言われれば、義人に反論する術はなかった。
『しかし、お主が上手く事を運んでおれば巫女の件もどうにかなったじゃろう? 浮気を推奨するわけではないが、そこはどうにかならんかったのか?』
からかいではなく、純粋に疑問を含んだ声でノーレが尋ねる。
「無茶言わないでくれ……カグラの気持ちを受け入れなかった時点で、いつか問題になっていただろうさ。本当は、そうならないようにするつもりだったんだけど……無理だった」
『その結果が、巫女の謀反か』
ノーレが呟くように言うと、ミレイが口を開く。
「でも、勝てるの? さっきから義人は勝つつもりみたいだけど、初代の『召喚の巫女』であるわたしが鍛えた二代目のカグラに比べれば相当劣るとしても、“アレ”は人間の中では指折りの使い手よ。魔力が全快でないとしても、人間が相手にするには骨が折れるわ」
今のカグラで相当劣るのならば、昔のカグラはどれほどの強さを誇っていたのかと義人は興味を惹かれるものの、今はそんな場合でもない。相当劣ったとしても、カーリア国の中では随一の魔法の腕を持つカグラを相手にするのだ。他者が見れば義人に勝ち目はなく、義人自身も虚勢を張っていると自覚するが、泣き言を言っていても始まらない。
「勝てる、勝てないじゃないよ、勝つんだ。そうでなきゃカグラを……“カスミ”を救えないからな」
その言葉にミレイが片眉を上げるが、義人はそれに構わず、優しい手つきでノーレを握る。
「それに、俺は一人じゃないしな。心強い相棒がいる……まあ、カグラを相手にするのは危険だし、ノーレに助力を頼めないなら、勝率は一気に下がるけど」
「あらあら、それは浮気に入るのかしら?」
くすくすと笑いながら、ミレイが尋ねた。それを聞いた義人は、不思議そうに首を傾げる。
「いや、そんなつもりはないよ。ノーレのことは信頼しているし、命を預けることぐらいはできるけど……」
『……ふん、ここまで来たら最後まで面倒を見てやるわい。巫女に負けたら承知せんぞ?』
義人の言葉に、ノーレは複雑そうな声で答えた。命を預けられるほどに向けられた信頼によるものか、それとも別の理由か。義人の言葉を聞いたミレイは内心だけでもう一度笑うと、部屋の窓の鍵を外して開け放つ。
「覚悟は決めているみたいね。それじゃ、今日のところはお暇するわ。ヨシト、あなたの武運を祈っておいてあげる」
「ああ、ありがとう。召喚の祭壇の“亀裂”を塞ぎたくなったら、また来てくれ。見張りの兵士をどかすから」
そう言うと、ミレイは笑みを残して窓から外へと飛び出す。そして数秒も経たない内にその姿と気配を消した。
「さて、と……本当に、負けられないなぁ」
ミレイが出て行った窓に歩み寄り、そう呟きながら義人は窓を閉める。
腕の震えは、いつの間にかなくなっていた。