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異世界の王様  作者: 池崎数也
最終章
174/191

第百七十一話:密談 その2

 兵士達が使う食堂の一角。そこで、普段は目にしないような組み合わせで座る二人組がいた。

 並んで座るのは、財務大臣であるロッサと騎馬隊隊長のグエン。文官の、それも大臣の座に就くロッサに、兵士達から時折好奇の視線が向けられる。しかし、共に座るのがグエンであることを確認すると慌てて目を逸らした。


「……それで、グエン殿はどちら側につかれるつもりですか?」


 手には陶器の(さかずき)を持つグエンに酒を注ぎながら、ロッサが尋ねた。日本で言うところの清酒に似た酒が杯にある程度注がれると、グエンは酒が入った瓶を手に取ってロッサの持つ杯へと酒を注ぎ返す。


「どちらも何も……」


 小さな息を吐き、グエンは酒に口をつけた。安酒というわけではないが、さりとて高い酒というわけではない。それでもロッサが見繕って持ち込んだ酒は、それなりにグエンの舌を楽しませる。

 喉に感じるアルコールの熱さを感じながら、グエンは周囲に聞き耳を立てている者がいないことを確認して口を開く。


「所詮、私は兵士ですからなぁ。命令があれば馬に乗り、槍を振るうまで」


 どちら―――国王(よしと)と『召喚の巫女』のどちら側に立ち、従うのか。その問いに、グエンははぐらかすように答えた。


「命令があれば、ですか」


 対して、ロッサは苦笑する。ある程度は予想していた返答だが、ロッサが聞きたいのは立場に縛られた答えではない。


「では、騎馬隊隊長のグエン殿ではなく、グエン殿個人としてはどちらにつかれますか?」


 その言葉に、グエンはふむと首を捻る。この時期にロッサが自分に接触してくる理由を考え、表面上は何事でもないようにしながら肴として皿に盛られた料理へ箸を伸ばす。


「……ヨシト王から、何か命令を受けているのですかな?」


 グエンは、義人からの命令でロッサが接触してきたのだと判断する。しかし、グエンが知る義人ならばもっと違う行動を取るのでは、という思いもあった。例えばそう、今隣に座るのはロッサだが、義人ならば直接この場に足を運んだのではないか、と。

 グエンの疑問に、ロッサは苦笑しながら首を横に振る。


「とんでもない。これは、私の独断です。ヨシト王は、今しばらくは動かないつもりのようです。いつも通りに過ごされていました……今日も、コユキ様の作った手料理を食べて大騒ぎしていましたよ」

「城の中が騒がしいと思ったら……いやはや、ヨシト王らしいですな」


 ロッサの話に小さく笑うグエン。その笑みに含まれたものはなく、純粋に義人の行動を楽しげに思っているようだった。

 酒を僅かに飲み干し、グエンは静かに口を開く。


「……この場限りの言葉だと思っていただきたい」

「……はい」


 真剣な含みを持たせた声に、ロッサは姿勢を正す。


「ヨシト王は、まだ若い。いや、未熟だと言い換えても良いでしょうな。国王としても、人間としても」

「…………」


 グエンの言葉に、ロッサは無言のまま首肯する。たしかに、義人はまだ若い。その考えも、理念も、行動も、若く青く、未熟な人間のソレだ。生まれ育った国では大きな争いがなく、義人本人も特別な立場にいたわけでもない。その点を考えれば、仕方がないと言えるだろう。


「あの方は、臣下との壁も薄い。私はそれが好ましく思いますが、それを快く思わない者も中にはおりましょうな。こう言ってはなんですが、親しみはあっても威厳は……」

「あまり、ありませんね」


 ロッサとグエンは顔を見合わせると、はははと笑い合う。通常ならば不敬だと言われても仕方ないことではあるが、ロッサとグエンは互いにそれを(たしな)めることはない。

 二人が杯に注いだ酒で唇を湿らせると、グエンがポツリと呟いた。


「―――しかし、私の槍を捧げるに足る主君だとも思っています」


 囁くような声だったが、ロッサの耳には確かに届く。

 ロッサもグエンも、先代の国王が存命の頃からカーリア国に仕えていた。その当時を思えば、今の環境は余程上等だ。先代国王も召喚された当初は“まだ”まともだったが、酒色に溺れ始めてからは目も当てられなかった。二人はまだ三十路に届かず、先代国王の後年の姿しか知らない。そのため、先代国王と比較すると、どうしても義人の性格や行動を好意的に捉えてしまう。


「先代国王没後、乱れた内政につけこんで不正を働き、そしてヨシト王に許された私の言うことではありませんが……」


 グエンの呟きに対して、ロッサも自身の思うところを口にする。


「私も、新たな主君がヨシト王で良かったと思っていますよ」


 そう言いながらロッサが思い出すのは、不正に国庫を横領していた頃の自分。

 当時の財務大臣であるエンブズに比べれば可愛いものだっただろうが、横領に違いはない。

 先代国王が定めた国法に照らせば、横領は『官職と家名を剥奪し、本人は斬首』だった。義人はそれを『官職と家名を剥奪、そして財産も没収。退職金もなし』と言ってロッサを脅したのだが、その時のロッサは震え上がったものだ。しかし、その後に義人が言った言葉をロッサは今でも覚えている。


『頑張った分だけ報われる。それでいいだろ? アンタだって、別に横領なんてしなくても幸せな生活を送れていただろうに』


 周囲の人間も横領をしていたから、自分も横領をする。当時のロッサとしてはそれぐらいの考えしかなかった。だが、義人の言葉に従って横領した金を返却し、罪を許され、待っていたのは、謀反によりこの国から逃げ出した財務大臣(エンブズ)の後釜だった。

 その後は義人からの、時折無茶なものも含む要求に応えつつ、職務に精励してきたのだ。給与もそれに見合ったものを与えられ、働き甲斐もある。

 義人が“元の世界”に戻った混乱につけこみ、不正を働く者が出るのを抑えられなかったのは痛かったが、カグラが動いている以上それもすぐに片付くとロッサは思っていた。


「ヨシト王は隙が多く、身内に甘く、時折カグラ殿に叱られて頭を下げているような方ですが……完璧な人間などいません。だからこそ、支えたくなります」

「そうですなぁ……何度も臣下に叱られ、その度に頭を下げる国王は、他にはいないでしょうしなぁ」


 互いにそう言って、笑い合う。そして杯の酒を飲み干すと、グエンはため息のような息を吐いた。


「……騎馬隊の方は、私で抑えます。そもそも、私の隊はヨシト王に対する忠誠心が高い者が多いですからな。特に問題はないでしょう」

「ありがたいです。他の隊に手は回りますか?」


 その問いに、グエンは顎に手を当てて宙に視線を向ける。


「歩兵隊や弓兵隊ならともかく、魔法隊や魔法剣士隊は難しいでしょうな。魔法を使う者からすれば、ヨシト王よりもカグラ殿の方が魅力的に見えるようで。まあ、それでも第一魔法剣士隊の面々はヨシト王をよく慕っているようですが」


 慕っているというよりも、時折からかいすらする間柄だった。もっとも、義人もそれを受け入れているから問題にはなっていないが。


「文官の方は……」

「半々、といったところでしょうか。野心がある者は、カグラ様につくでしょう」


 そのロッサの言葉に、グエンは顎鬚を軽く撫でる。


「……下手をすると、国が割れますなぁ」

「ヨシト王も、カグラ様も、それぞれの思惑を持って動いているようですしね」


 義人が召喚国主制の廃止を取り止め、カグラに頭を下げれば片付きそうな話ではある。しかし、ロッサもグエンも、義人の言い分は尤もだと感じていた。これからのカーリア国のことを思えば、召喚国主制ではなく隣国レンシアのように王政の方が都合が良い。しかし、そこに至る道のりが険しいのだ。

 ロッサとグエンは互いにため息を吐くと、静かに杯をぶつけ合うのだった。








 数日後、義人の元に商人のゴルゾーが訪ねてきていた。

 通常の謁見とは異なり、義人はゴルゾーを政務室に通すと護衛のサクラを残して人払いを命じる。そんな義人の様子をゴルゾーは興味深そうに眺め、人払いが済むなり口を開いた。


「いやはや、城の中の雰囲気が張り詰めておりますね、はい」

「ゴルゾーもそう感じるか?」

「ええ、まるで戦の前のような空気です、はい」


 ゴルゾーの言葉に、義人は苦笑する。国王である義人と『召喚の巫女』であるカグラが対立しているのだ。義人は努めていつも通りに過ごしているが、周囲の人間からすれば心臓に悪いことこの上ない。

 義人は城中の臣下達に申し訳ないと思いつつ、口を開く。


「それで、今日の用は?」


 半ば予想はしているが、それでも尋ねた。すると、義人が察していることを見抜いたのか、ゴルゾーは話を進める。


「いえ、噂程度ではありますが……」


 ちらりと、ゴルゾーは柔和な笑みを浮かべながら、それでも笑っていない目で義人を見る。


「ヨシト王が、召喚国主制の廃止を唱えているという“噂”をお聞きしまして、はい」


 ゴルゾーの視線を受けた義人は、動揺することなくサクラが淹れたお茶に口をつけた。


「ふむ……その噂は、城下町で広がっているのか?」


 ゴルゾーにもお茶を勧めながら、義人は尋ねる。ゴルゾーは義人が否定しなかったことに内心で僅かな驚きを覚えるが、それを表情に出すようなことはしない。


「いえ、ほとんどの者は知りません……が、時を置けば広がりそうです、はい」

「そうか……」


 義人が召喚国主制の廃止を提案して、既に十日ほど時間が過ぎた。城下町に噂が広がる兆しを見せているのを、早いと見るか遅いと見るか。


「しかし、率先して噂を広めようとしている者もいるようですね、はい」


 義人の考えを遮るように、ゴルゾーが呟く。その言葉の内容を理解した義人は、片眉を上げた。


「……誰が、いや、“どこ”がそんなことを?」


 カーリア国きっての商人であるゴルゾーが、裏の取れていない情報を渡してくるはずもない。そう思って尋ねた義人だが、予想に反してゴルゾーは申し訳なさそうな顔をする。


「余程尻尾を隠すのが上手いようで、下手人までは。城下には他国の者も入り込んでいるようですが、噂の出所は……」


 そこで一度言葉を切ると、ゴルゾーは義人を窺う。義人はそんなゴルゾーの様子に嫌な予感を覚えたが、構わず続きを促した。


「城の方から出ているかと思われます、はい」

「……そうか」


 短く返し、義人は口元に手を当てる。

 文官が漏らしたか、武官が漏らしたか。口の軽い文官がいたか、それとも城下町の酒場に顔を出した武官が漏らしたか。考えられることはいくらでもあるが、今考えるべきは別にある。

 城下町に他国のスパイが潜り込んでいる以上、召喚国主制の廃止について国外に情報が漏れる可能性が高い。他国が動く前にどうにか問題を片付けたいところだが、それは難しいだろう。

 どうしたものかと義人は悩みつつ、ゴルゾーから他にも話を聞いていく。城下町の中で広がる噂や、市場の動向。城の人間で調べるよりも深い部分まで踏み込んだ情報も多々あり、義人はそれをサクラに頼んで書き留めさせていく。

 そして一通り聞き終えると、義人は引き出しから情報料を取り出してゴルゾーへと手渡した。ゴルゾーは両手で情報料を受け取ると、恭しく頭を下げる。


「ありがとうございます、はい」

「いや、ゴルゾーの情報にはいつも助かっているしな」


 商人にとっては、情報も貴重な商品だ。もしも同業が相手ならばゴルゾーも情報を売ることはしなかっただろうが、相手は国王。金払いも良く、商品も購入してくれる上客だ。こうやってゴルゾー自身が足を運ぶほどには、価値がある。

 情報を渡し終えたゴルゾーは義人の執務室から退室すると、小さくため息を吐いた。こうやって、今後も義人相手に商いが出来れば商人として助かるのだが、という感情を込めて。しかし、すぐにゴルゾーは商人としての表情を浮かべると、廊下を歩き出す。

 もう一人の上客がいるであろう、執務室に向かって。








 その夜、城下町の酒場で密談を交わす者の影があった。酒場らしく酒を手に、何食わぬ顔で言葉を交わすのは二人の男。歳の頃は二十の半ばを過ぎた程度か、城下町の住人に混じって酒を飲むその姿に違和感はない。しかし袖口から覗く腕は太く、ただの住人にも見えなかった。

 男二人はさり気なく周囲の様子を窺いながら、言葉を交わしていく。


「国王がな、この国の召喚国主制を廃止する気らしい」

「召喚国主制を? 正気か?」


 密談をする際、周囲に人がいては都合が悪いように思える。しかし、酒場などでは周囲は喧騒に満ちており、格好の密談の場となるのだ。逆に、誰もいない場所で顔を突き合わせ、密やかに話をしていては疑ってくれと言っているようなものである。見られれば、言い訳も難しい。


「まあ、何を思ってそう決断したかは関係ない。だが、今後この国は荒れるだろうな」

「ああ。レンシア国との争いがなければ手を出したいところではあるな」


 彼らの所属する国は、ハクロア国。敵国に潜り込み、現地の住民に混じって情報を集める諜報専門の兵だった。


「“外”にはどうやって情報を出す?」

「手紙はまずいだろう。もしも手紙を持った者がこの国の兵士に捕まれば、気付かれる。それに、この情報は速やかに伝えるべきだろう」


 彼らは時折食事を挟み、無駄な会話を挟み、周囲に気取られることなく話を進めていく。

 義人の住んでいた現代と異なり、“こちらの世界”では手紙を届けるには人が足で運ぶしかない。ポストに投函すれば届くような社会インフラは整っておらず、仮に人に託しても相手に届くかどうかもわからない。

 その点を考慮すれば、情報を入手した人間が伝える方が確実かつ早かった。


「そうだな……今夜は雲が多い。人に見られずに外へ抜け出すには、丁度良いか」


 そう決断するや否や、片方の男が立ち上がった。情報を伝えると言っても、その足でハクロア国まで走るわけではない。城外にいる他の諜報員へ情報を渡し、自分は何食わぬ顔で戻ってくるだけだ。

 夜が明けてから正規の手続きを踏んで城門から外に出ても良いが、それでは半日近く時間を無駄にすることになる。些末な情報ならばそれでも良いが、今回の情報は上手く扱えばカーリア国を内側から崩壊させることもできる。自国へ報告し、早急に指示を仰ぐ必要があった。

 男が席を立ち、代金を払ってから店の外へと出ていく。もう片方の男はその姿を見送ると、五分ほど時間を置いてから自身も店から出ていくのだった。


「…………」


 そんな二人の姿を見ながら、酒を飲んでいる存在がいることに気付かず。







 カーリア国の王都であるフォレスはカーリア城と城下町を城壁で囲んだ総構えの造りになっており、内外の出入りは通常ならば城門を通るしかない。しかし、何事にも抜け道というものが存在し、男は『強化』を使って城壁を乗り越えるという単純な方法で城壁の外へと抜け出していた。

 酒場で情報を交わした男は自然体で自宅で戻り、武器や食料などの装備を整えると、その足で城壁の外へと出てきたのだ。

 空に浮かぶ月には雲がかかり、視界は極めて悪い。所々で見張りの兵士による篝火が焚かれているが、それを避けて進むことは難しくない。ましてや、魔物相手ならまだしも人間相手に戦う経験が乏しいカーリア国の兵士である。男は誰にも見咎められることなくフォレスから離れ―――。



「―――こんな夜更けに、城壁外へお散歩ですか?」



 不意に、暗闇からそんな声がかかった。いっそ軽やかに、街角で知人に出会ったかのようなそんな声。男はいきなり声をかけられたことに動揺を覚えるものの、すぐさま表情を取り繕って声の主へと視線を向けた。

 声は女性のものだ。しかし、周辺に気配はない。

 男はカーリア国にも間諜に対して鼻が利く者がいるのだな、と自国への報告事項に付け足す。そして相手の出方を窺うように口を開いた。


「……いえ、故郷の家族に不幸があったという手紙が来ましてね。いてもたってもいられず、出立した次第で」

「あら、それは大変ですね。しかし、こんな夜更けにそんな軽装で旅立つのは危険だと思いますが?」


 そう言われた男は、声の言う通り軽装だった。動きやすさを重視した服に、背中に短剣や僅かな食糧などを入れた雑嚢(ざつのう)を提げただけである。


「お心遣い感謝いたします。ですが、これでも多少の心得はありますので」

「そうですか……」


 納得したような声が届くと同時に、月にかかった雲が風で流れ出す。そして月の光が周囲を仄かに照らし―――男は驚愕に目を見開いた。


「なっ……召喚の、巫女!?」


 思わずそう口にしてしまうほど、衝撃的だった。間違っても、この場に出てくるような人物ではない。カーリア国においては、国王に次ぐほどの重要人物だ。まして、間諜を追うために単独でわざわざ出てくる必要はない。

 男に自身の役職を呼ばれたカグラは、僅かに微笑んだ。


「やはり、あの方の情報は正確ですね。密談を交わすなら酒場というのも常道で良かった。それに、すぐに動いてくれて助かりました」


 昼間は仕事がありますからね、と穏やかに告げるカグラ。そして無造作に男へ一歩近づき、男は反対に一歩退く。

 『召喚の巫女』がここに姿を見せ、こちらが何故城壁の外へと出たかを知っている。男は『召喚の巫女』に関する情報を頭の中から引き出し、内心で舌打ちをした。

 ある意味、近隣諸国で最も名前の知られる魔法使い。レンシア国やハクロア国のように戦を行っているわけではないため、その戦力は詳細が知れない。しかし、常人では―――人間では届きようのない魔力を持ち、卓越した魔法の腕を持つという噂の人物だ。例え噂半分だとしても、決して油断できる相手ではない。

 だが、それと同時にここ数ヶ月の情報を思い出し、男は動揺を鎮めていく。



 ――『召喚の巫女』は弱っているはずだ。“あの件”で魔力が回復していない。



 男達が掴んだ情報では、カグラは病床から復帰して間もない。国王を再度『召喚』するために魔力を使い果たし、今もろくに魔力が回復していないはずだった。

 ここでカグラを仕留めることができれば、それだけでカーリア国は終わる。他国に対する強力無比な矛と盾を失えば、あとはどうとでもなる。

 男はそう判断し―――それは、最大の間違いだった。

 カグラを仕留めるべく雑嚢から短剣を抜き、地を蹴る。男は魔法剣士であり、魔法の基本である『強化』はもちろん、火炎魔法も得意な手練れだった。カーリア国の水準から言えば、一般兵士が複数相手だったとしても渡り合えただろう。

 敵国に侵入し、有事の際には実力で切り抜けることができる。その程度には、高い腕を持っていた。男にも、それを成し得るだけの自負がある。

 各隊の隊長や副隊長が相手でも逃げ切ることが可能だという自信があり―――しかし、『召喚の巫女』を相手にするには、あまりにも不足に過ぎた。

 男は短剣が振るえる間合いへ踏み込み、迷いなく短剣を繰り出す。その踏み込み、速度、狙い。すべてが迅速かつ正確であり、男の腕前が見て取れた。

 並の兵士なら反応もできずに一撃で仕留められ、手練れの兵士でも防御が間に合うかどうか。それほどの正確性を持った一撃は、しかし、空を切った。いや、それだけならばまだ良いだろう。単純に、カグラが避けだだけだと判断できる。だが眼前にカグラの姿はなく、男は思わず周囲に目を向け、そこで自身の体に違和感を覚えた。


「―――あ?」


 短剣を持った男から、間の抜けた声が漏れる。自分の腹部を見下ろし、そして赤黒い血が噴き出ているのを視認した。


「……な……に?」


 咄嗟に腹部を押さえるが、それで血が止まるわけもない。男は腹部を押さえながら背後へ振り向くと、そこに、氷でできたと思わしき薙刀を手に持つカグラの姿があった。


「……馬鹿、な」


 男は驚愕を言葉に乗せて吐き出し、それと同時に喉元を何かがせり上がってくる感触を覚える。

 最初に相対した時、カグラは無手だった。それだというのに、一瞬で氷の薙刀を作り出し、男の踏み込みに合わせて横をすり抜け、一文字に切り裂く。それらの動作を、男の目に映らない速度で成し遂げた。


「ぐ……ぐぐぅ……」


 喉元まで上がってきた血液を無理矢理飲み下し、男は必死に思考を働かせる。

 噂に間違いはなかった。『召喚の巫女』は間違いなく噂通りの“化け物”であり、敵う相手ではない。カグラの魔力がほとんどない状態だと判断していた男は、かつてないほどに恐怖で身を震わせる。

 魔力がほとんどない状態でこれならば、全快している時はどれほどの強さなのだと。

 恐れ戦く男を目前にしながら、カグラはため息を吐く。


「困りました……やはり、体が鈍っているようですね」


 手の平で薙刀の柄を回しながら、カグラはそう呟く。ほぼ寝たきりで落ちた筋力は、『強化』で補える。しかし、体の芯自体が錆び付いているように感じられた。

 腹部から大量の血を流しながら自身を怯えた瞳で見てくる男を見て、カグラは頬に手を当てる。自分の体がイメージ通り動いていれば、一合で終わっていたはずだ。男の挙措を見ればおおよその力量を計れるが、カグラからすれば大した技量ではない。

 カーリア国の並の兵士よりは数段上であることは間違いない。もしも戦ったのがミーファならば、多少は苦戦するだろう。しかし、サクラや志信ぐらいになれば数合で勝負がつく程度だとカグラは判断した。

 目にも止まらない速度で振るった氷の薙刀には男の血もついておらず、月の光を受けて冷たく輝く。そして、カグラも氷のような視線を男に向けた。


「残念ですが、あなたの持つ情報を外に漏らすわけにはいかないんですよ……あと、しばらくは」

「…………?」


 遠退きそうになる意識を繋ぎ止めながら、男はカグラの言葉に疑問を覚える。だが、疑問を口にするよりも早くカグラが薙刀を構えた。


「あなたの情報は邪魔になります。だから」


 カグラが地を蹴り、一足飛びに踏み込む。そして大上段に薙刀を振りかぶり―――迷うことなく振り下した。








 氷の薙刀を消したカグラは、体の調子を軽く確かめてから頷く。


「これなら、なんとか間に合いそうですね」


 後始末は、部下に任せれば良い。そう判断したカグラはその場を後にしようとして、ふと疑問を覚えた。


「……しかし、ヨシト様がくださったお薬は、一体どんな材料を使っていたのでしょう? 目が治った上に、魔力もだいぶ回復しましたし、長期間療養していた割に、やけに体が軽いですが……」


 首を傾げながら、カグラは歩き出す。しかしすぐに足を止めて、カグラは今しがた自身が仕留めた男の亡骸へと視線を向ける。


「ええ、“ヨシト様の”邪魔はさせませんとも」


 そんな呟きを残して、今度こそこの場を後にするのだった。


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