第百六十八話:後悔
その日、“亀裂”の監視から解放されたシアラは休暇を取っていた。休暇といっても実家に帰る気も出ず、自室の寝台の上で膝を抱えて座っているだけである。
いつもは感情の薄い瞳だが、今日のシアラはそれがより顕著だった。何事かを考えながら、抱えた膝に顔を埋める。まるで悔いを抱えた罪人のように、ただ沈思黙考する。
そうやってどれほどの時間が経ったのか、不意に扉がノックされてシアラの意識は浮上した。
「……誰?」
小さな声で問いかける。しかし、小さい声でも聞こえたのか、扉の外から声が返ってきた。
「シアラ、俺だ。入っても良いか?」
その声の主―――シノブの声に、シアラは僅かに表情を動かす。感情の抜けていた瞳に生気が戻り、どこか慌てたように抱えていた膝を戻した。そして枕元に置いていた帽子を手に取ると、頭に乗せる。
「……いい」
「失礼する」
シアラの許可を得て、志信が扉を開けて部屋へと入ってくる。志信の左手には『魔法文字』の刻まれていない棍が一本握られており、右手には『無効化』の棍の残骸を握っていた。
「…それ、どうしたの?」
志信が握る『無効化』の棍の残骸を見て、シアラは首を傾げる。断面が綺麗なところを見る限り、圧し折ったというわけではないのだろう。志信はシアラの傍まで歩み寄ると、部屋に置かれていた椅子へと腰をかける。
「義人と模擬戦をしてな。刀を受け止めようとしたら斬られた」
「……そう」
「ああ。それで、手間をかけて悪いがこちらの棍に『無効化』の術式を刻んでもらおうと思ってな」
そう言って、志信は何も刻まれていない棍を見せた。シアラは小さく頷くと、寝台から立ち上がって『魔法文字』を刻むための道具が入った箱を取る。
「……貸して」
「すまない」
シアラに棍を手渡し、そして、志信は首を傾げた。
「体調でも悪いのか? 元気がないように見えるが……」
「……っ」
気遣うようにかけられた言葉に、シアラは身を震わせる。すぐに気付かれるような表情はしていなかったはずだが、志信からすれば疑問に思うほど表情に出ていたらしい。シアラは帽子のつばを握って帽子を深く被ると、首を横に振った。
「……なんでもない」
「む……そうか。シアラがそう言うのならば深くは聞かないが」
志信がそう言うなり、場に沈黙が下りる。
シアラは無言で棍に『無効化』の魔法文字を刻み始め、志信は内心で首を捻りながらシアラを眺めた。
―――ふむ、義人ならばどうにかやって聞き出すのだろうが……。
義人のように快活に振る舞うこともできなければ、口下手であることも自覚している志信である。志信の気遣いを拒否するような態度を取るシアラに対して、有効な手が思いつかない。
何かを聞いてほしそうな、そうでないような。そんなあやふやな印象しか抱けず、志信は戸惑いながらも椅子から腰を浮かしかける。
「邪魔なら出ていくが?」
「……いい。邪魔じゃない」
「そうか……」
浮かした腰を、志信は椅子に落ち着けた。そして再度沈黙が訪れ、シアラが魔法文字を刻む音だけが部屋に響く。いつもならば志信とシアラの間にあるのは嫌な沈黙ではないのだが、今日ばかりはどこか雰囲気が異なる。
志信は頬を掻き、とりあえずといった風情で口を開いた。
「もしや、俺が気付かない内に気に障ることをしたか?」
「……え?」
シアラにとっては予想外の質問に、思わず呆けた声が漏れる。志信としては自分が何かやったのではないかという心配があったのだが、シアラの様子を見る限り違うようだ。そのことに内心で安堵し、志信は言葉を続けていく。
「突然訪ねたからな。それでシアラが気を悪くしたのかと思ったよ」
志信がそう言うと、シアラは強く首を横に振った。そんなことで気を悪くするわけもなく、むしろ、嬉しさに似た感情を覚えたぐらいである―――そう自覚し、シアラは頬を僅かに赤く染めて視線を下げた。そして、間違っても志信に顔を見られないよう帽子をさらに深く被る。何故自分がそんな行動を取ったのかまでは、わからなかったが。
「……そんなこと、ない」
「そうか。それなら良かった」
安堵したように息を吐く志信。そんな志信の様子に目線を伏せ、シアラは数秒ほど沈黙した後に口を開く。
「……シノブ」
「ん?」
「……すこし、相談したいことがある」
「ほう……シアラが、俺にか。珍しいな、なんだ?」
シアラとは“それなり”に親しい付き合いをしていると考えている志信だが、そのシアラから相談事を持ちかけられた記憶はほとんどない。
自分にできることならば何でもしよう、と思いながら志信はシアラの相談を待つ。そんな志信に対してシアラは逡巡するように口を開閉し、自身を鼓舞するかのように一度だけ深呼吸をした。
「……もし、もしもの話」
棍に『無効化』の魔法文字を刻んでいた手を止め、シアラは真っ直ぐに志信を見据える。
「……シノブが、ヨシト王にとって許されないことをしたと考えて」
その口から紡がれるのは、どこか後ろめたさを秘めたような響きがこもった声だった。
「……その時、シノブはどうやってそれを償う?」
漠然とした質問。しかし、シアラの表情は極めて真剣であり、何かしらの強い思いがあるのだろう。それを見て取った志信は、小さくシアラの質問を反芻する。
「俺が、義人にとって許されないことをしたら、か……」
シアラの話す仮定を脳裏に思い浮かべ、志信は首を捻った。義人が怒り、志信が相手でも許さないようなことが思いつかない。
「義人がそれほど怒るようなことを俺がしたのなら……そうだな、間違いなく非がこちらにあるのなら、何を置いてもまずは謝罪する。義人が望むのなら、地面に膝を突いて頭を下げても構わん」
優希に自分が怪我を負わせる、最初にそんな仮定が頭に浮かび、続いて、義人に優希の身を守るよう頼まれ、守りきれずに死なせてしまう―――そんな仮定を、志信は思い浮かべた。
もしも前者ならば、口にした通り土下座でもするだろう。己の非を詫び、寛恕を乞うしかない。
もしも後者ならば、義人は志信に対して怒りを覚えないかもしれない。しかし、志信は自分自身を許せずに自裁しかねない。
「……謝る……でも、それでも許してもらえないなら?」
志信の回答を反芻し、さらにシアラは質問を重ねた。
「悔いていることを示し、行動で償うな」
それに対し、志信はシアラを真っ直ぐに見据えて答える。
「……行動で償う?」
「すまない、悔いていると、口ではいくらでも言える。それなら、あとは行動で示すしかあるまい」
「……行動で……」
小さく呟き、シアラは自身の取れる行動の中から謝罪になるであろうことを思案する。口頭での謝罪に替わる、行動での謝意の表し方。しかし、すぐに思いつく名案はない。
そんなシアラの様子を見て、志信はシアラが何に対して苦悩しているのかを見て取った。
「義人や、カグラに対しての謝罪か?」
確かめるようにして尋ねると、シアラは小さく頷く。
もしもシアラが魔法人形を使うことを提案しなければ、義人は“こちらの世界”に戻ってきてからカグラとの間に起きた出来事で大きく悩むことはなく、カグラは魔法人形に『変化』した義人に大きく依存して余計に傷つくことはなかった―――その代わりに、カグラは精神的に持ち直すことができず、命を落としていた可能性が高いが。
良かれと思って取った行動が、裏目に出た。それも、限りなく悪い方向へと。
シアラは感情の起伏が乏しいが、これらの事態に何も感じないほど人間性が欠けているわけではない。むしろ、自身がこの事態を引き起こしたとすら考え、深く後悔するばかりだった。
シアラは何が償いになるかと思案し、いくつかの案を思い浮かべていく。
――今以上に魔法隊隊長としての職務に精励する。
それは、職務の延長に過ぎない。謝罪というには的を外しているだろう。
――金品による謝罪。
謝罪相手の義人は国王で、カグラは『召喚の巫女』。両者とも自身より上位の役職に就いており、金品などでは謝罪にならない。
他に何か良い案はないかと考えるが、相手の立場を考えると難しい。言葉でも、物でも、義人やカグラに対して許しを請えるようなものが見つからない。
そうなると最早、命でも差し出すしかないのか。やや短絡的にそう考えるシアラだが、ふと浮かぶ案があった。カグラに対しては意味がないが、義人に対しては謝罪になりそうな案がある。
――言葉でも、金品でも、命でもない。ここまでくると、残っているのは自身の体ぐらいしかなかった。
「……もしも、わたしが体を差し出したらヨシト王は喜ぶと思う?」
幸いと言うべきか、義人は男でシアラは女だ。もっとも、優希やカグラのことを考えれば下策にもほどがあるが。
深く考えることなくシアラが呟くと、それを聞いた志信が顔色を変える。
「―――っ、それは駄目だ!」
そして、思わず志信は叫んでいた。普段出すことのないような大声で、シアラが口にした提案を跳ね除けるように。
その大声を前に、シアラは驚いたように目を見開いて志信を見つめる。シアラ自身、心の底から願う謝罪方法ではないが、義人相手ならば成り立つと思ったのだ。カグラに対しては別の謝罪方法を考えるとしても、義人に対しては謝罪に成り得ると。
しかし怒りを、そしてどこか焦りに似た感情を覗かせる志信は、シアラが驚いて自分を見ていることに気づき、頭を振る。
「いや、大声を出してすまない。しかし、その、義人には北城もいるし、義人はそういった提案を喜ぶ男ではない」
焦るように、志信は否定する。事実、志信は焦燥に近い感情を抱いていた。何故自分がそんな行動を取ったのかまでは、わからなかったが。
「……そう」
志信がそう言うのならば、そうなのだろう。優希の存在やカグラの心情を思えば、たしかに取り得る手段ではないとシアラは納得する。だが、そうなると本当に手が見つからなかった。少なくとも、シアラには思いつかない。
小さく唇を噛みながら思案を続けるシアラを見て、志信は何故か乱れた自身の心を落ち着けながら口を開いた。
「義人ならば、誠心誠意謝罪すればそれで許すだろう。いや、そもそもシアラに対して怒りを覚えていないと俺は思っている。シアラが謝罪を口にすれば、逆に戸惑う可能性が高いだろう」
常の志信からすればやや饒舌に、否定の言葉を吐く。それを聞いたシアラは志信の言葉に一定の納得を覚えたのか、小さく頷いてみせる。
「……わかった。何か、別の案を考える」
納得したように呟くシアラを見て、志信は知らず安堵したような息を吐くのだった。
その日、アルフレッドは自身の執務室で黙々と政務を片付けていた。宰相という地位にあるアルフレッドにしては珍しく、報告に訪れる部下の姿はない。普段ならば報告だけでなく相談のためにも部下が姿を見せるのだが、今日は上手く仕事が回っているらしく、昼の三時を回ってもアルフレッドのところに顔を見せた部下は数えるほどだった。
アルフレッドは使っていた筆を置くと、急須から湯呑へお茶を注いで口をつける。そして気を抜くように息を吐くと、柔らかい笑みを浮かべた。
「ヨシト王達が戻ってきて、だいぶ落ち着いたようじゃな……」
今頃政務室で書類と格闘しているであろう年若い国王を思い浮かべ、アルフレッドは笑みを深くする。
義人が“元の世界”に戻った時はどうなることかと思ったが、その騒動も落ち着きつつある。一時は取り乱していたカグラも、最近は別人のように落ち着いている。
「はてさて、このまま上手くいけば良いがのう」
ずず、とお茶を飲み、アルフレッドは祈るように呟く。
カーリア国、国を導く義人、義人に従う臣下、城下や各地に住む国民。それら全てに安寧をと心中で呟き、続いて苦笑を浮かべる。
「いかんいかん。歳を取るとどうにも考えが……む?」
苦笑を浮かべていたアルフレッドだが、この部屋へと接近してくる気配に気づいて笑みを引っ込める。慌ただしいわけではないが、どこか落ち着きのない足音。そして、その足音に続いて複数人の足音が続いている。それらの音を拾い、アルフレッドは引っ込めた苦笑を元に戻した。
「ヨシト王じゃな。さて、何かわからぬ点でもあったのかのう」
足音とそれに付従う人間の数から来訪者を読み取ったアルフレッドは、一人呟く。すると、その呟きに応えるようにして扉がノックされた。
「おーい、アルフレッド。いるかー?」
続いて響く、義人の声。アルフレッドは苦笑を笑みに変えて入室を促すと、義人が執務室へと入ってくる。そして自身についてきた護衛の兵士達に振り向くと、軽く手を振った。
「んじゃ、俺はアルフレッドと話があるから―――しばらく、誰も入ってこないようにしてくれ」
「はっ!」
義人の言葉に敬礼で返す兵士達。それを見たアルフレッドは、おやと片眉を上げる。
政務の疑問点について聞きに来たのならば、他の人間が入るのを拒むことはないだろう。もしや重要な政策についてだろうかとアルフレッドが内心で首を傾げると、義人は扉を閉めてアルフレッドの傍まで歩み寄る。そして用意してあった椅子を手繰り寄せると、机の上に視線を向けて苦笑した。
「まだ仕事の途中だったか……邪魔しちゃったな」
「急ぎの要件もないし、構わぬよ。ヨシト王こそ、仕事の方はどうしたんじゃ?」
「今日の分は片付けたよ。アルフレッドもそろそろ終わっているかと思ったんだけど」
義人がそう言うと、アルフレッドは小さく笑う。
「今日は相談や報告に来る者も少なくてのう。急いで片付けなくとも、夕方には終わると思ってゆっくりと片付けておった」
「そっか」
一度頷き、義人は呼吸を整える。そしてポケットから折りたたんだ紙の束を取り出すと、それを開いてアルフレッドへと差し出した。
「これは?」
紙の束を受け取りつつ、アルフレッドが首を傾げる。
「最近俺が考えている案。ある程度形になったから、一度アルフレッドに見てもらおうと思って持ってきたんだ」
「ふむ……」
そう言われて、アルフレッドは紙面に視線を落とす。義人は案の内容を言わなかったが、読めばわかるのだろう。そう判断したアルフレッドは、表紙をめくって内容に目を通していく。
わざわざ国王である義人が人払いをして読ませるぐらいだ。さては内通者の洗い出しでも行っていたのかと気を引き締めるアルフレッドだが、読み進めていく内に違う意味で驚愕する。
「よ、ヨシト王……これは、なんじゃ?」
「書いている内容そのままなんだけど……」
驚愕の視線を向けてくるアルフレッドに、義人は頬を掻いた。ノーレとは話をしていたが、ノーレ以外の“こちらの世界”の住人に話すのは初めてである。それ故に驚くのも仕方がないと納得し、言葉を紡ぐ。
「―――この国を壊して、一から作り直すための原案だよ」