第十六話:商人ゴルゾー
書類の山に溺れること三日間。
書類に押印することに義人は飽き始めていた。飽きるのが早いと見るか、それとも頑張ったと見るかは個人によるだろう。
何せ朝から晩までずっと押印するだけだ。途中に休憩を挟むとはいえ、飽きるのは仕方ないと言える。
執務室の窓枠に手をかけ、外を眺めて不気味に笑う義人はポツリと呟く。
「俺は鳥になる」
そう言うなり、窓を開け放った。そして窓から飛び出そうとして、サクラが慌ててしがみつく。
「よ、ヨシト様! ここは二階ですよ!? 飛び降りたら怪我しましゅ!」
慌てたのか、微妙に噛むサクラ。
二階と言っても、そこは日本とは違う建築様式だ。地面までの高さは五メートル以上あり、飛び降りれば足が折れるかもしれない。
「大丈夫。『強化』ってやつで身体能力上がってるらしいから。それにほら、俺鳥だし」
フフフ、と笑う。少々目が虚ろなあたり、精神的に危険なようだ。
「あー、今なら頭から落ちても無事に着地できる気がする。できる? うん、できるな。よし逝こう」
微妙に漢字が違ったが、義人は気にしない。もちろん、頭から落ちる気はサラサラない。
「だーめーでーす!」
必死に支えるサクラに義人は心が癒される気がした。ストレスが溜まっては、こうやってサクラに癒されている気がする。
そうやって職務放棄をしていると、執務室の扉がノックされる。その叩き方からカグラだと看破した義人は、すぐさま机に戻って真面目に仕事をしているポーズを取る。
「どうぞ」
返事をすると、予想通りカグラだった。カグラは扉を開けると中に入ってきて、開いている窓とその傍で疲れたように座り込んでいるサクラを見てニコリと微笑む。
「遊んでましたね?」
「イエ、マサカ」
片言で返す。ペッタンペッタンと押印しながら目を逸らし、義人は空いてる手で湯飲みをつかんでお茶を飲む。そして、落ち着いた表情で窓の外へと目を向けた。
「実に良い天気だ……こんな日は、外で思いっきり走り回りたいと思わないかね?」
「曇っていますが?」
「実に良い天気だ……こんな日は、外で思いっきり走り回りたいと思わないかね?」
「繰り返して言っても駄目です」
義人は外からカグラに目を向けると、微笑んで口を開く。
「人間、心にゆとりがあるべきだと思わないか?」
「それではヨシト様、これから謁見がありますので謁見の間にいらしてください」
「無視かよ」
流されたことを寂しく思いつつ、サクラが淹れなおしてくれたお茶をすする。そして、一息ついてから首をかしげた。
「謁見?」
「はい。新しい王にお目通りしたいとのことで、商人が来ています」
「商人? どんな奴?」
「カーリア国では最も力のある商人で、ゴルゾーという方です。代々商人の家系で、歴代の王と懇意にされています。会っておいて損はないかと」
「何を売ってるんだ?」
「武器や防具に魔法具、骨董品から芸術品。馬や食料など、幅広い商売をしています」
「なるほど、それは会っておいて損はないか」
「ええ。前王も優遇していたので、ヨシト様にも己を売り込みに来たのでしょう」
「……前王が優遇していたって聞くと、ものすごい嫌な予感がする」
「大丈夫ですよ……おそらくは」
最後は小さな声だったが、もちろん義人に聞こえている。
義人は嫌だなー、と呟くと、王のマントと身に着けてなるべくゆっくり謁見の間に向かった。
義人が謁見の間に入ると、何人かの臣下が同時に膝をつく。相変わらずそれに慣れない義人は手を振ってそれを止めさせると、王座に足を進めた。その王座から離れたところには一人の男が膝をついて頭を下げている。
「商人ゴルゾーだな?」
「はい。ヨシト王におかれましてはご機嫌麗しく……」
「かしこまった挨拶は良い。とりあえず、顔を上げてくれ」
王座に座った義人がそう言うと、ゴルゾーが顔を上げた。
―――商人っていうから、てっきり恰幅の良いヒゲを生やした中年のおっさんだと思ったのは俺の偏見かな?
内心で呟くが、ゴルゾーの容姿はまったく違う。
歳は四十程で中年には違いないだろうが、体は決してたるんでなどいない。むしろ鍛えられて引き締まっており、商人というよりは兵士と言ったほうが余程納得できる。雰囲気はやや鋭く、やり手の商人という雰囲気が漂っていた。
そして、義人が最も目に付いたのはゴルゾーの目だ。
商人らしくない鷹のような鋭い目つき。少し欲に曇っているが、商人という職業に誇りを持っている目だった。そして、義人を探るような目でもある。
「私ゴルゾーと申します。ヨシト王が新しい王になられたということで、ご挨拶に伺いました、はい。つきましては、お近づきの印と私のほうで扱っております珍品などを見ていただきたく持ってきた次第です、はい」
しかし、そんな雰囲気は一瞬後に霧散した。卑屈な笑いを浮かべ、ゴルゾーは腰の低い態度を取る。義人はその態度におや、と内心で首を傾げるが、ひとまず観察ことにした。
「わざわざすまないな。珍品というのは興味が惹かれる。見せてもらえるか?」
義人がそう言うと、台車に乗っていくつかの商品が運ばれてくる。ゴルゾーは商品を一つ取ると、解説を始めた。
「これは『飛竜の翼』という魔法具です。上級の魔物である飛竜の翼が原材料に使われており、自分が思い描いた場所へと飛ばしてくれる魔法具です、はい」
見た目は羽箒みたいなものだが、色は黄金に輝いていて艶がある。義人は説明の内容に非常に気になるところがあり、すぐさま質問した。
「自分が思い描いた場所っていうのは、違う世界でも移動できるのか?」
「それは無理です、はい。物理的に飛ぶので、そういった召喚とは違います、はい」
「そうか……ちなみにいくらだ?」
肩を落としつつ、一応聞いてみる。
「五十万ネカでございます、はい」
「……高いな」
「貴重な飛竜の翼を使った魔法具ですので、値段もそれ相応になります、はい」
義人自身で自由にできる金はそんなに多くない。浮いた食費の分や王個人が使える金があるが、使うともしれない物を買う余裕はなかった。
そんな義人に、買う気はないと悟ったゴルゾーは次の商品を取り出す。
「次は稀少鉱石である『魔石』です、はい。これは身に着けている者の魔力量や魔力回復量を増幅させたり、使った魔法の威力を上げることができます、はい。無限に使えるというわけではないですが、色が透明になるまでは使用することができます、はい」
そう言って掲げたのは拳大の石だ。色は濃い紫で、見る者を引きつけるような煌きがある。
「カグラ、今の話は本当か?」
「はい。しかもあれほど色が濃くて大きな『魔石』は見たことがありません。おそらく百万ネカ以上するかと」
カグラの言葉に、ゴルゾーが頷く。
「ご明察です、はい。こちらの『魔石』は百万ネカになります、はい」
「やっぱり高いな。次の品を見せてくれ」
「はい、次はこれ『お姫様の殺人人形』です、はい。持たせた人物の姿形や能力を真似ることができる人形です、はい」
そう言って義人に見せたのは、小さな木作りの人形だ。だが、義人にはもっと気になることがある。
「『お姫様の殺人人形』? なんだその物騒な名前は……」
「名前の由来は少し長くなりますが、よろしいですか?」
「あ、うん。頼む」
名前の凶悪さに惹かれ、義人は頷く。
「その昔、この人形を作った者がおりまして。その者は姫の身でありながら一流の魔法使いで、魔法人形を作ることを得意としていました。しかし友人もおらず寂しい身の上だったため、その代わりに数十体の人形を作られました。その人形は他人の姿形を真似ることができ、感情すら持つ人形でした。姫はその人形達を友人と思い、生活を送っていたそうです。しかし、その内の一体が姫を殺し、いつの間にかすり替わっていた、という話でございます。そのため、『お姫様の殺人人形』と呼ばれております、はい」
「なんというホラー……ちなみに、いくらだ?」
「一千万ネカでございます」
「桁が違うじゃねーか!?」
「こちらの人形、武芸達者な者の姿を真似させれば簡単に熟練の将になり、魔法が得意な者の姿を真似させれば優れた魔法使いにもなります、はい」
「むぅ、そう言われるとひどく魅力的だな」
「はい、使い方は簡単で、姿を真似させたい者を頭の中で鮮明にイメージするだけです。そしてこの人形ならば、使用者の言うことならばなんでも聞くので夜の世話なども可能です、はい」
ゴルゾーの声を潜めた発言に、義人は思わず噴き出した。
「よ、夜の世話っておまっ!?」
「そのままの意味でございます、はい。高貴な方の中には、普通の方法では物足りないという方がいらっしゃいます。しかし、この人形ならば何をしてもそうそう壊れることはありませんし、様々な人の姿形を真似ることができるので飽きないそうです、はい」
「なんというアブノーマル。いや、一男子としてはちょっと惹かれるけど」
冗談混じりに言ってみるが、一千万ネカなど払えるはずがない。しかし、義人の発言を聞いたゴルゾーは下卑た笑みを浮かべる。
「ヨシト王もお若いですなぁ……そんなヨシト王に、お近づきの印をお持ちいたしました」
「あ、そう言えばそんなことも言ってたな。お姫さんの人形がインパクトありすぎて忘れてたわ」
「では、入ってきなさい」
ゴルゾーがそう言うと、数人の女性が入ってくる。女性といっても歳は若く、まだ少女と形容したほうが適切だろう。そして、少女達は一様に怯えた表情を浮かべていた。
「それではヨシト王、私からのお近づきの印でございます、はい」
そんな少女達を気に留めず、堂々と言い放つゴルゾー。
「……何も持ってないけど?」
頭の隅では理解しつつ、それでもとぼけて言ってみる。すると、ゴルゾーは楽しげに笑った。
「お若いと色々と困りましょう? 前王も“その方面”はお好きでありましたから、はい。お近づきの印ですので、お勘定はいりません。大した額でもないですし、はい」
数えてみれば少女が六人。一番年上で義人と同じぐらいか、それよりも一つ下くらいだろう。一番年下は、サクラよりも幼く見える。
「まさか、ゴルゾーの娘なんてオチはないだろうな?」
「いえいえまさか。これらの娘は借金の形にされた者達です。借金が返ってくるあてはありませんので、ヨシト王の好きになさってけっこうです、はい。愛でるもよし、嬲るもよしです、はい」
ゴルゾーの言葉に、六人の少女は一層の恐怖感を顔に浮かべた。それを見た義人は、何気ない動作で王座の肘掛を握り締める。
「そいつは豪気なことだな」
「ええ、全員生娘ですので最初はやり辛いものがあるかもしれませんが、それも楽しみの一つでしょう?」
下卑た笑みを浮かべたゴルゾーの発言を聞いた瞬間、王座の縁がミシリと音を立て、カグラが驚いて目を見開いた。
「へぇー、借金の形で娘を差し出すねぇ。ちなみに、借金っていくらぐらいなんだ?」
「六人合わせて五千ネカといったところでしょうか?」
「一人あたり千ネカもないじゃねぇか」
「はい。市民にも貧富の差はありまして、収入が非常に乏しい者も少なくないのです、はい」
「ふーん、耳が痛いな」
「これは失礼を。ですが、そういった者は生活をするために金を借り、返せないがために自分の子供を売ることもあるのです」
いつの間にかゴルゾーから卑屈な表情が消え、当初の鷹のような目で義人を見据えてくる。その目を義人は正面から見返した。
「成程、忠告……いや、諫言か。やり方が非常に気に食わないが、アンタの言いたいことはわかったよ」
吐き捨てるように言うと、ゴルゾーは再び腰が低い態度に戻る。
「一体何のことやら。さて、それでは失礼させていただきます、はい。今後とも是非ご贔屓に」
頭を下げて退出しようとするゴルゾーに、義人は言葉を投げかける。
「ゴルゾー」
「はい、なんでございましょう?」
「アンタ、“目と耳”は良いか?」
その質問に、ゴルゾーの目が僅かに細まった。
「目と耳でございますか……何分この国だけでなくあちこちに足を伸ばして商売をしておりますから、見聞は広いと自負しております、はい」
「そうか。なら、いつかこちらから呼ぶことがあるかもしれない。その時はよろしく頼む」
「はい。それでは失礼します」
もう一度頭を下げてゴルゾーが謁見の間から退出する。その際僅かに口元が笑っていたこと
が気に入らなかったが、義人はそれよりも目の前の問題をどうにかすることにした。
「さて、えーっと……君らは」
それはもちろん、ゴルゾーにお近づきの印として渡された六人である。六人とも肩を縮め、恐る恐る義人を見ていた。だが、その中でも一番年上に見える少女が意を決したように一歩前
に出る。
「王様! わたしが王様のお相手をいたします! いえ、命じられればなんでもします! 例え痛いことでも我慢します! だから、他の子達は親元に帰してあげてください! お願いします!」
それは、必死な嘆願だった。目には涙さえ浮かべ、地面に頭をこすり付けるように頭を下げる。そのあまりの必死さに、義人は呆気に取られた後声を張り上げた。
「ま、待て待て! それじゃあまるで俺が鬼畜な王様みたいじゃねーか! しないっつーの!」
王座から立ち上がり、慌てて少女の顔を上げさせる。そして後ろに控えていたカグラに目を向けた。
「カグラ! この子らに兵をつけて親元まで送ってやれ!」
「はい、わかりました」
義人の命令を受け、カグラが謁見の間から姿を消す。そして義人の言葉を聞いた少女達はポカンと口を開け、事態が理解できたのか数秒経った後頭を下げた。
「あ、ありがとうございます!」
礼を言うと、中には気が抜けて泣き始める者までいる。義人が苦笑していると、アルフレッドが歩み寄ってきた。その顔には賞賛と不満がない交ぜになった表情を貼り付けている。
「お志は立派じゃが、その子らが親元に帰っても遠くない先に同じことが起きるじゃろう。それに、その子らが戻っても食い扶持が増えて親の苦労が増えるだけじゃ。それでも、よろしいのか?」
「……そんなことわかってるさ。どうせ俺のした判断は偽善だよ。ちょっとお金を持たせようと思ってるけど、それでも問題の解決にはならない。そうだろ?」
義人の言葉にアルフレッドは頷く。そんなアルフレッドに、義人はやり切れない表情を浮かべた。
「なあ、この国にはこんな子達が大勢いるのか?」
「大勢とは言えないじゃろう。しかし、いることは確実じゃ」
「そうか……」
一度目を伏せ、顔を上げる。そこには、何かを決意したような義人の顔があった。
「お疲れ様です」
カグラは汗を拭っていたゴルゾーを見つけ、そう声をかける。すると、ゴルゾーは恭しく頭を下げた。
「これはカグラ様。お久しぶりです。直接会うのは半年振りといったところですか?」
そんなゴルゾーに、カグラは先制口撃を仕掛ける。
「汗をかかれましたか?」
「はは……王座の肘掛を素手でもぎ取ろうとされた時は少々驚きました。それに、あのような
口を利いては斬首されても文句は言えませんからな」
苦笑しつつゴルゾーはもう一度汗を拭った。そんなゴルゾーに、カグラはやんわりと笑いかける。
「今回の王、どう見ますか?」
カグラの問いに、ゴルゾーも顔を綻ばせる。
「若さ故か、真っ直ぐですな。その上聡い。こちらの茶番はすぐに見抜かれたようですしな。そして、この国を変えてくれそうな期待が持てます」
「ええ。貴方のおかげでより良い方向へと変えてくれるでしょう。王印を押すだけの仕事には飽きてきたみたいですが、これで身を入れて政務をしてくれると思います。それはそうと、借金の方はどうしますか? わたしの方から払っても良いのですが」
「いえ、あの子達の借金の分はすでに私のほうで帳消しにしています。そして、あの子達をどうするかはヨシト王次第ですが、親元に帰すでしょうな」
「そうするらしく、わたしは今から兵を呼んでこなくちゃいけないんです」
「そうですか。それでは、私は失礼するとしましょう。ああ、ヨシト王には『情報を知りたければいつでもお呼びください』と伝えてもらえますか? もちろん料金はいただきますが」
「ふふ、わかりました」
そう言って互いに頭を下げ、カグラは歩き出す。
その顔には、若干嬉しげな表情が浮かんでいた。